FC2ブログ

「ダマスクスへ 第一部」

「ダマスクスへ 第一部」(ストリンドベリイ/茅野蕭々訳/第一書房)絶版

→「ダマスクスへ」はのべ3年の時を経て完成したストリンドベリ晩年の戯曲大作。
三部からなる長編戯曲はゲーテの「ファウスト」と比較されることもある。
表現主義戯曲、象徴主義戯曲のさきがけとなった作品でもある。
どういうことか平易に説明すると、リアリズムではないということに尽きる。
我われの生活シーンとは異なる芝居である。
すなわち、時間・空間・背景が非リアリズムである。
実際には起こりえぬ現象が舞台で繰り広げられる。
「ダマスクスへ」はストリンドベリの地獄期を描いたものとされる。
精神分裂病が悪化して強制入院までさせられた晩年の数年を、
作者は地獄期と命名している。
通常の精神病患者の場合、狂気の世界へ行ってしまうと戻ってこれない。
運よくこちらがわに帰ってきても、目撃した狂熱世界を記憶していないのが大概である。
だが、天才ストリンドベリはおのれの目に映ったまがまがしき狂的世界を、
劇作として昇華することに成功した。「ダマスクスへ」である。

精神分裂病が、現実への夢の侵食であることがよくわかる。
第一部が開幕すると、ストリンドベリを思わせる「知られぬ人」が広場にたたずんでいる。
かれは何もかもがわからない。
なぜ私が存在しているのか。なぜここに立っているのか。どこへ行けばいいか。
何をなすべきかもわからない。まるで夢の世界である。
知られぬ人のまえに夫人が現われる。
この夫人を追いかける。逆に追いかけられる。
出逢うが一緒にいると耐えられず別れる。ところが、別れるとお互い狂おしいほど恋しい。
「ダマスクスへ」の長大な物語を要約すれば、この繰り返しである。

夫人はストリンドベリがいままで出逢い別れてきた女性の混合体として描かれる。
夢は現実の影響を受けるが、決して現実そのものではないのと同様である。
夫人は医師と結婚している。知られぬ人は医師から夫人を奪うのである。
ストリンドベリの最初の結婚相手が男爵夫人だったことと共通している。
ストリンドベリにとっての男爵が、知られぬ人に対する医師の関係である。
知られぬ人は医師への罪悪感に苦しむ。
この医師は乞食、贖罪師と何度もすがたを変え登場する。
ストリンドベリにとって普遍的な敵の象徴といえよう。
突如、少年時代の忌まわしき記憶がよみがえる。
知られぬ人は窃盗の罪を友人になすりつけたことがあった。
おなじ苦しみである。他人のものを盗む。人間はおなじあやまちを幾度も繰り返す。
知られぬ人は夫人と逃避行におもむく。夫人の実家をめざすのである。
実家の父母はどちらも知られぬ人を嫌悪する。
みなが自分を嫌うのは自身が呪われた存在だからだと男は思う。
かれがひとり山道を歩いているとき事故に遭う。
気づいたら救護院のベッドのうえである。3ヶ月もここに入っていたと知らされる。
これはストリンドベリの精神病院体験と相応すると思われる。
知られぬ人は夫人を探す旅に出る。おりしも夫人も知られぬ人を探す旅の途次にいた。
第一部の終わりでふたりは再会するが何も解決することはない。

「ダマスクスへ」の救われない陰鬱さをいくつか紹介したい。
まるで悪夢のようである。そのうえ夢固有の神秘めいたところもある。
我われは夢のなかで人生のからくりをかいま見ることがまれにある。

知られぬ人「何かして貰ひ度いことがあるのかい」
夫人「ええ、一つ。あなた私を殺して下さい」(P152)

知られぬ人「――判決は下された。
しかしそれは私が生れない前に下されてゐたに相違ない。
何故かといふと、私は子供の時にもう罰をうけ始めたのだから……
私の生涯には喜んで顧ることの出来るやうな点は一つもない」(P158)

知られぬ人「今こそ手袋が投げられたのだ(=決闘の合図)。
さああなたは偉大な者同士の接戦を見るだらう。
(上着と胴着をあけ、驚異的な目を上に投げる) さあ、来い。
やるなら、お前の電(いかずち)でおれを打殺してみろ。
出来るなら、お前の嵐でおれを驚かしてみろ」(P162)

(夫人の)母「あなたは未だ疑つてゐるのですか」
知られぬ人「さうです。種々の事を。また沢山の事を。
しかし茫乎(ぼんやり)と解りかかつて来てゐることが一つあります……」
母「と仰しやると?」
知られぬ人「私がこれまで信じなかつた種々の物や……力があるといふことです」
母「あなたの数奇な運命を操つてゐるものは、
あなたでも他人でも無いことにお気がつきましたか」
知られぬ人「丁度そのことが認められるやうに思ふのです」(P207)


第一部の終わりで知られぬ人は医師に再会しなければならぬと思う。
おのれが妻を奪ったあの医師にである。

知られぬ人「私はある――病院に病んで臥てゐました。
熱があつたんです……しかしそれは非常に変な熱でした」
医師「何がそんなに特殊だつたのです」
知られぬ人「かういふ質問をしてもいいでせうかね。
人は覚めていながら、それで妄想に耽ることが出来ますかつて」
医師「あります、気が狂つた時には。ですがその場合に限りますな」(P238)

COMMENT









 

TRACKBACK http://yondance.blog25.fc2.com/tb.php/1716-a824225e