「なかま同士」

「なかま同士」(ストリンドベルク/楠山正雄訳/新潮社)絶版

→劇作「なかま同士」は、おなじく自然主義戯曲の「父」と対になっている。
こう指摘するのは訳者の楠山正雄である。
また楠山はストリンドベリの女性観におもしろい表現を与えている。
ストリンドベリは女を吸血鬼だと思っている。
そして、作品に登場する女はみなみな吸血鬼的である。
見事にして的確な評言といえよう。
この見かたは引き継がれ山室静も「痴人の告白」解説で吸血鬼的と用いている。
楠山正雄の解説に戻ろう。
楠山によると、「父」では吸血鬼的な妻が夫を打ち負かす。
すなわち、妻が娘と共謀し夫を狂人に仕立て上げ家庭から追放する。
これに対して「なかま同士」は、夫が吸血鬼的な妻を打ち負かす筋立てである。
たしかにふたつの作品はおなじテーマのもと描かれている。
違うのは結果のみである。夫が勝つか妻が勝つか。男が負けるか女が負けるか。

夫は知られた画家である。妻も最近になって絵を学び始めた。
むろん夫が直々に教えてやることもある。
そればかりではなく夫が金を払って、妻を絵画教室にも行かせている。
いま夫婦はおなじコンクールに出品したところである。
夫の作品は入選確実と言われている。問題は妻である。
ずるがしこい妻は画家の夫に頼み、選者へ根回しをしてもらう。
おりしも妻は夫の絵が落選したことを知り小躍りする。
これで自分の作品が入選すれば夫婦の立場は逆転する。
妻は自作が入選確実という情報を仕入れる。
いままで自分を見下してきた夫にはこっぴどく復讐してやらなければならない。
妻は自宅でパーティーの計画を立てる。同日に落選作は送り返されてくる。
みんなの見ているまえで夫を笑いものにしてやろうというのである。
ところが、いざ落選作をあけてみると、それは妻の描いた絵であった!
夫は妻の出世を願い、出品の番号を取り替えておいたのである。
夫と絶縁して画家として独り立ちする予定だった妻は、
傷心のていで屋敷をあとにする。夫の完全勝利に終わったわけである。

読後、なんとも爽快な気分に包まれる。
こざかしい女郎(めろう)が男性の援助を受けながら男性社会に進出してくる。
そのあげく女は、女性は男性よりも優秀だと主張するのだから。
男に媚び成り上がった女が、恩をあだで返すかのごとく男の頬を張ろうとする。
こういった生意気な女をストリンドベリは劇作で糾弾したのである。

「なかま同士」における夫婦の主張を取り上げてみよう。まずは妻から。

「ええ、昔は、昔の夫婦関係では、さういふもの(=夫は妻を扶養)でしたわ、
けれどもわたし達はさうしたくないのです。
わたしたちは仲間同士でありたいと思ふのですよ」(P126)


対する夫の言い分はこうである。

「……わたし達は決して仲間ではない。
仲間としてお前達が何の頼りにもならぬといふことをわたしは痛感してゐる。
仲間といふ以上、大なり小なり信義のある競争者であるのに、
わたし達は始めつから敵同士なのだ。
わたし達(=男性)が鎬(しのぎ)を削つてゐる最中に、
お前達(=女性)は藪の陰にねころんでゐる。
そしてわたし達が食卓を用意した時分には、
お前達はもとからこの家の人のやうな顔をしてぬくぬくと座り込むのだ」(P145)

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