「本当と嘘とテキーラ」

昨日、放送された「本当と嘘とテキーラ」の感想を記す。

危機管理コンサルタントの佐藤浩市は、スポーツメーカー社長の山崎努に指示する。
こう言ってください。「全責任は社長の私にある」
それから佐藤浩市は下っ端の課長に過ぎぬ柄本明の演技指導にうつる。
つぎにこう言いましょう。「いえ、社長、責任はすべて検品をおこたった私にあります」
少年野球チームに卸したユニフォームが欠陥品だったのである。
ユニフォームが大会までに間に合わない。
このスポーツメーカーは野球チームの父母のまえで謝罪会見をすることになった。
危機管理コンサルタントの佐藤浩市が呼ばれたのはこのためである。
会見はいちおうの成功を見せる。本当のことは露見せず、ことなきを得た。

仕事を終えた佐藤浩市のもとに中学生の娘・夏未エレナから携帯へ連絡がある。
佐藤浩市は2年前に妻を亡くし、いまは父と子のふたりだけの生活。
娘の様子がおかしいのでわけを聞くと同級生の女の子が自殺したという。
仲が良かったわけではないという。ただの同級生だったという。
だが、どこか娘は参っているようで佐藤浩市は疑問に思うが、
仕事で疲れていることもあり、これ以上問いつめるわけにはいかない。
翌日、娘の通う中学校の担任教師・戸田菜穂から連絡が入り佐藤浩市は面談におもむく。
そこには担任の戸田菜穂と教頭のふたりが待っていた。
ここだけの秘密があるという。自殺した少女は遺書めいたものを遺していたという。
佐藤浩市がコピーを見せてもらうと娘の名前が記されていた。
それからアッカンベエをした顔の絵。「死んでやるよ」
この遺書は警察にも見せていないという。
このことを知っているのは校長、教頭、担任、それから遺書を発見した体育教師。
4人のみである。亡くなった少女の両親には教えていないという。
担任の戸田菜穂は言う。「亡くなった少女はひどい子だったんです」
みんなから嫌われていた。教師の手にも負えないような子だった。
この遺書を公開したら犯人探しが始まってしまう。
もう死んでしまった子のことで、遺されたものが苦しむ必要はないのではないか。
佐藤浩市は恐るおそる言う。「もし私がもみ消してくれとお願いしたら……」
戸田菜穂は答える。この5人だけの知る秘密として闇に葬ろうと思っている。
こうしてまたひとつ本当のことが隠されたわけである。

佐藤浩市は社員研修の講師をしている。「さあ、言ってください。テキーラ」
有能なビジネスマンらしく実に堂々としている。
「今度は声を出さずに口の中だけで、はい、テキーラ」
「……(参会者、テキーラと口だけで)」
「テキーラとは心を隠して笑顔になる呪文です。
みなさんはお客さんのまえでは常に笑顔でいなくてはなりません。
だから、テキーラです。テキーラというと口角があがる。笑顔になる。
はい、もう一度、今度は声に出して言ってみましょう。さんはい、テキーラ」
最初の謝罪会見で登場した柄本明がこの会場にすがたを現わす。
佐藤浩市はあわてる。アポなしでこんなとこまで来るのは異常である。
柄本明はあの不祥事がきっかけで勤続38年の会社を懲戒免職になった。
形式上、だれかが責任を取らなければならなかった。
柄本明が選ばれた。社長からじきじきに頭をさげられたら文句は言えない。
金銭面でもだいぶ優遇してもらった。それでも不満である。おかしくはないか?
「本当のことが隠されていいのかね」
以降、柄本明は佐藤浩市の私設秘書の座におさまり(無給だが)、
このドラマにおいて道化の役を担わされる。
自殺という深刻な事件をやわらげるために用意されたポジションであろう。

本当のことの復讐が始まる。
自殺した少女はあるノートを遺していたのである。
そこにはただこう書かれていた。「尾崎朝美(=夏未エレナ)へ」
少女の母親で雑貨商を営む樋口可南子は思う。本当のことを知りたい。
本当のことが知りたくて樋口可南子は佐藤浩市を雑貨店に呼ぶ。
いつも山田太一ドラマを見て思うことだが、
だれかがだれかに逢おうとするときの顔がみな決然としている。
そのときどの役者も逢うということの重みを背負っている。
見知らぬ人間と人間が逢うことからしかドラマは生まれない。
ならば逢うという行為は果し合いに近いものではないか。
このことに山田太一ドラマは非常に自覚的である。
樋口可南子は佐藤浩市に言う。このようなノートが見つかった。
ノートを家に持ち帰った佐藤浩市は娘にただすが返答は「パパ、しつこい」。
娘からこう言われると、もうこれ以上は聞けない父親である。
樋口可南子は娘さんに逢わせてくれと佐藤浩市に頼む。
断わられると樋口可南子は父親に無断で夏未エレナを連れ出してしまう。
この場面は「誘拐された」とまで思う佐藤浩市のがわから描写される。
ふたりのあいだでなにがあったかは視聴者もわからないのである。

帰ってきた娘に佐藤浩市はたずねる。どうだったんだ?
「本当のことは言わなかったから」と娘は答える。
「パパにだけは、その本当のことを教えてくれないか」
ここで夏未エレナは微笑む。「テキーラ!」「テキーラ?」
父親が酔っぱらって話したのを娘は聞いて覚えていたというのである。
佐藤浩市は頭をかかえる。自分と娘の関係もテキーラに過ぎなかったのか。
テキーラではいけない。ビジネスならいい。家族でテキーラはいけない。
佐藤浩市がビジネスマンからひとりの人間になるのはこのときである。
娘は本当のことを話し始める。
山田太一はここまで視聴者を、ただただ、
本当のことへの興味から引っぱってきたことに注意したい。
本当のことはそれだけドラマを牽引する動力となりうる。
本当のことは、あっけない事件であった。
少女が自殺する2日前、下校する夏未エレナは突然、裏門で襲われた。
少女であった。どうして殴りかかってくるのかわからなかった。
話したこともない同級生である。
夏未エレナは応戦した。殴られたから、殴り返した。それだけの話である。
組み合っていたふたりが離れた。そのとき夏未エレナは少女に言ったのである。
「死ねば!」
本気ではなかった。まさか本当に死ぬなんて思わなかった。
いままでだれにも言えなかった。怖かった。夏未エレナは号泣する。

父娘ふたりは樋口可南子の雑貨店へ行き、本当のことを話す。
自殺した少女の母親は錯乱する。それは本当のことではないのではないか。
おかしくはないか。どうしてなにもないのにうちの娘は夏未エレナに殴りかかったのか。
本当のことは別にあるはずだと樋口可南子は叱責する。
しかし、本当のことは、この程度のことなのである。なにも出てきやしない。
感情の昂(たか)ぶった樋口可南子は夏未エレナに言い放つ。「死ねば!」
その場でうずくまり慟哭する夏未エレナであった。
自宅へ戻ってからも夏未エレナは部屋にひきこもったままである。
ここで立ちどまって考えたい。
このような状況は本当なら断じて解決しないものである。
何年も、ときには10年近くかけなければ、いろいろな傷は癒えないであろう。
本当ならそれまで優等生だった夏未エレナは不登校になるはずである。
樋口可南子は精神に異常が生じ医療の世話になるのが本当である。
人間がひとり死ぬというのは本当ならそういうことなのだ。
テキーラ。「本当と嘘とテキーラ」

この晩、山崎努が現われるのはテキーラである。
覚えておられるだろうか。ドラマ冒頭の謝罪会見で登場した社長である。
たまたま柄本明とこの社長が鰻屋で会食していた。
元部下から一連の話を聞いた山崎努は夏未エレナにひと言声をかけたくなったという。
だから、普通ではないが、突然お邪魔した。
「お嬢さん、聞いてください」
山崎努は部屋のそとから話しかける。
この非常識を視聴者に許容させるためには山崎努の怪演が必要であった。
本当ならこんなことは起こるはずがないのである。
「お嬢さんは偉い。本当のことを言ったお嬢さんは偉い」
このことだけを言いたくて来たのだと山崎努は話しかける。
自分は本当のことを言えなかった。
謝罪会見で本当のことを言ったらめちゃくちゃになってしまっていた。
保身のためにどうしても本当のことは言えなかった。
けれども、お嬢さんは本当のことを言った。
とても言えないような本当のことを言った。だから、偉い。お嬢さんは偉い。

このときふたたびテキーラが生じる。
夏未エレナがひきこもっていた部屋のドアを開けるのである。
佐藤浩市がふたりを見送り、部屋に戻ってくると、夏未エレナは笑顔で夕飯を食べていた。
本当なら解決しようがない問題をひと晩で落着させたのは、
(かりに視聴者がそう受けとったとしたらばの話だが)
もっぱら山崎努のテキーラ(演技力)によるところが大きい。
翌朝、学校を休んだ夏未エレナはひとりで樋口可南子に逢いに行く。
どうして自殺した少女が殴りかかってきたかの説明である。
夏未エレナは言う。「あたし優等生ぶっていたから目障りだったんだと思う」
「ううん。本当に優等生なんでしょう」
「ちがう。むかつかれても仕方がなかったのだと思う」
夏未エレナは少女のことをこのように思い返したという。
「いま思えば、さみしかったんだと思う」
テキーラ。なぜか樋口可南子と夏未エレナは和解する。
後日、今度は樋口可南子と佐藤浩市の仲直りである。
娘がひとりで樋口可南子のもとを訪れたことを聞き佐藤浩市は驚く。
放送時間終了におびえたかのようにふたりは握手する。
最後は主要人物せいぞろいでの花見である。
みんな笑っているけれども、あの笑いはテキーラではないかとわたしは意地悪く思った。

このような見方をするのには理由がある。
私事だからここに詳述する気はないが、
わたしは「死ねば」と言った肉親に自殺されてしまったという過去を持っている。
本当のことである。このドラマの嘘にやりきれない思いがした。
昨年だが、「自死遺族のつどい」に参加した。
子どもを自殺で亡くした何人もの母親とお逢いした。
ケースバイケースとは知りながらも、どう考たところで樋口可南子は本当ではない。
子どもを自殺で亡くすと数年笑えなくなるなんていうのはざらである。
山田太一のポリシーとして事件を書かないということがある。
ところが、今回は主義を変えたわけである。自殺は事件だ。
テレビドラマの殺人事件はかなりの部分をお約束として処理される。
実際の殺人事件とは似て非なるものでも構わない。
むしろ、脚色されたものを視聴者は好む。
これとおなじで山田太一は自殺を、お約束程度にしか捉えられなかったのではないか。
ストーリーを転がす大道具のひとつでもあるかのように自殺を取り扱った。
わたしにはそのように見えてならない。
むろん、異なる経験をお持ちのみなさまが違う感想をいだくのは存知している。
あくまでもわたしの個人的な感想であるから、
反論されても「あなたはそう思いましたか」とお答えするほかない。
正しい感想などもとよりないのである。

山田太一ドラマ「本当と嘘とテキーラ」は、
本当と嘘がきれいにわかれすぎていると思う。
本当のなかにもかなり嘘があり、嘘といいながらもかなりの本当がある。
これは、なんのことはない、いままで山田太一が描いてきたドラマ世界である。
わたしは山田太一ドラマで本当と嘘の複雑な関係を学んだといってもよい。
「本当と嘘とテキーラ」は、あたかも計算式のようである。
冒頭で本当を隠し嘘でごまかす山崎努を登場させる。
ドラマの終盤、嘘を排し本当を公開したことで傷ついている夏未エレナ。
前者が後者の問題を解決するのである。まるでプラスマイナスゼロとでもいうように。
ドラマが作者の構図に縛られすぎているように感じた。
遊びの部分がほとんどないので気詰まりすることもあった。
唐突なハッピーエンドには取り残されたような孤独感を覚えた。
不満を書き連ねたが、
いままで述べたことはすべて山田太一作品への期待の裏返しである。
たかがテレビドラマと思わず、精一杯論じてみた。この気持に嘘はない。

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