「2週間で小説を書く!」

「2週間で小説を書く!」(清水良典/幻冬舎新書)

→本書を読んで自分には小説を書く才能がないのだと思い知らされた。
意見と描写は違うのだという指摘がいちばん印象深い。
意見を書くのはかんたんだが描写はそうではないと清水良典はいう。
なぜなら――、と文芸評論家でもある著者は時代をさかのぼる。

「百年前の明治時代には、文章を読み書きできるのは一握りのエリートだけだった。
だから、小説を書く人は、人類の代表のように重いテーマに苦悩したり、
人道への警鐘を鳴らしたりしたのである。
その真似事のような文章を、こぞって学校は生徒に書かせるようになった」(P70)


読書感想文や小論文のことである。

「その甲斐あって、文章を書く力はある程度みんな備わっているのだが、
そこからすっぽり抜け落ちているものがある。
これらの書く力は、全て考えや意見(オピニオン)を書くことばかりなのである。
しかし、小説を書くのに最も大切な書く力とは、具体的な人物や行動や風景を、
目の前にあるかのように再現する力、すなわち<描写>力である」(P71)


これほど真っ当な教唆を、
まさか本書のように安易なタイトルの新書から得られるとは思わなかった。
仰せのとおりなのである。小説は描写であるとはよくいわれる。
じゃあ、描写ってなんなのだろうと思う。
我われがふつうに書いている文章はなんなのか。
読書感想文や小論文の延長線上にある意見(オピニオン)だったのである。

過日、ある大学病院の眼科を5年ぶりに受診したことをブログに書いたが、
たしかにあの記事はオピニオンでまったく描写がなっていない。
大学病院がどのような建物だったかぜんぜん書いていないし、
対面した女医さんがどんな顔をしていたのかも読み手にわかるように書いていない。
いろいろな理由があるが、どれも描写が書けない言い訳になってしまう。
大学病院と書いたら、だいたいどんな感じかわかるのではないかという甘えである。
同様、若い女医さんと書いたら、あとは読み手がめいめい想像すればいいという判断だ。
しかし、これを書かなかったら小説にならない。
読み手に病院や女医のイメージを伝えるのが小説ということだ。愕然とした。

駅から病院へ行くまでの道程でもさまざまなものを見ているはずである。
そういったことをわたしはひとつも書いていない。むしろ、書けない。
書くことに興味が持てないのである。
読む場合もおなじで、ながながと描写が続くとわたしは退屈してしまう。

「私たちは<描写>の文章を書くための訓練や指導を一度も受けた経験がない。
学校教育はオピニオンを要求しても、描写力は必要としなかった。
だから小説を書こうという人は、
自力で描写力を身につける訓練を自分に課さないといけない。
本書に載っている実践練習の大半は、
じつは描写力を増すためのトレーニングにほかならないのである」(P71)


至極もっともである。極めて正しい指導というほかない。
清水良典は大学で創作のクラスを10年受け持ってきたという。
この文芸評論家が学生に課している課題のひとつが「コップ」である。
どこにでもあるコップに八分目まで水を入れる。
このコップを文章で描写するのが小説家志望に課せられた訓練である。
コップの思い出に逃げてはならない。目の前のコップをただ描写する。

白状すると、いまわたしの横には水の入ったコップがある。
さっきからずっとコップを見つめているが、少しも描写ができない。
かなしいかな、「コップがある」としか書けないのである。
才能がないのをぎりぎりで認めたくないので、
負け惜しみに小説家・宮本輝の言を引いておく(対談集「道行く人たちと」)。

「だっていまの作家の多くが、たとえば、飛行場からモノレールに乗って
浜松町に着くまでの間のことを十何ページにわたって書いたりするんですよ。
そんなものは、モノレールに乗った、浜松町に着いたでいいじゃないですか」(P184)

COMMENT

coco URL @
04/25 12:15
一寸関連あるので. 
アジア漫遊記、読了。中国編から尻上がりに面白くなりました。
特に好きなのは「敦煌料理店3部」「新京の美女」「青島ビール」。
Yonda?さんの描いた情景とわたしの想像する情景とは、まったく
違ったものかもしれませんが、リアルなそれぞれの中国が脳内に
出現しました。
ただやはり、美女の外観描写があくまで美女というだけで(笑)
で、好みにあわせて自由に味付け。
Yonda? URL @
04/27 21:43
cocoさんへ. 

くだらぬ旅行記をぜんぶ読んでいただき、
ほんとうにありがとうございます。
あれを読破されたかたは日本に10人もいないはずです。
どのように感謝したらいいかわからないくらいです。

> 特に好きなのは「敦煌料理店3部」「新京の美女」「青島ビール」。

ありがとうございます。書き手もおなじ記事が好きです。
「敦煌料理店」はぜったいに書きたかったのです。
後者ふたつは少し複雑なのですが、あの記事はノンフィクションです。
見たままに書いたのが「敦煌料理店」です。
実際にあのような料理店がありました。

そのうえご存知でしょうが、
あのズイさんが「本の山」にコメントまでくださいました。
書き手がどれほどうれしかったかおわかりいただけませんか。
生きていて良かったとさえ思いました。

「新京の美女」は、どうやらいまだ「本の山」をお読みくださっている模様。
おそらく、もう一度逢うので、今度こそ顔をじっくり見てきます。
もちろん、描写するためです。

プライベートな事情からお返事が遅れて申し訳ありません。
いつか敦煌へ旅する機会がございましたら、
ぜひぜひリニューアルした「敦煌料理店」をよろしくお願いします。

http://www.china-world.info/dunhuang/
coco URL @
04/30 23:20
. 
>あのズイさんが「本の山」にコメントまでくださいました。

ズイさんのコメントを発見されたときのYonda?さんを想像する
だけで、こちらもニンマリしてしまいます。サプライズでしたね。
旅のいいところは、旅立つまでと最中と帰った後、
それぞれに楽しめることでしょうか。

ご紹介のURLで実物のズイさんを拝見しましたが、思わずワォ!!
イメージそのままの人物が画面から笑いかけているではないか。
まさに「敦煌料理店」の中に棲む、ズイさんその人でした。

「新京の美女」「青島ビール」は完成された物語になっているので、
Yonda?さんの創作がかなり入っているのでは、と思いました。
短編小説です。

>もちろん、描写するためです。

たいてい、一人の作家の作品にほぼ共通しているのが、美しい
ヒロインの描写。書き手の好みが反映されるからでしょうか。
楽しみにしています。
Yonda? URL @
05/01 21:40
cocoさんへ. 

こんばんは。
今日は禁酒なのでテンションが低いです。
まだ若いのだからズイさんを見習って、
がんがんビールをのまなければならないのでしょうが。

描写ってむずかしいですよね。
たとえば青島の海岸。
ところどころ日本の海水浴場のようになっているのです。
砂浜です。そのあいだは岩が連なりあっています。

……ダメだ。うまく描写できません。
どうしたら描写のちからがつくのか。
考えてみると、不自然でもあるわけです。
我われは他人に風景の説明なんてしませんもの。
(それとも、わたしがしないだけなのか)
だいたい写真を見せて、「こんな感じ」で終わりです。
描写というのは、映像で育った世代には馴染まないように思います。
けれども、描写のうまい若い人もいるのだろうから、うーん。
今後の課題です。








 

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