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「宗教と科学の接点」

「宗教と科学の接点」(河合隼雄/岩波書店)絶版 *再読

→8年ぶりに河合隼雄に関心をいだいている。
といっても、関心のレベルはだいぶ異なる。
8年前は河合隼雄からがんばって学び、現状を打破しようとしていた。
ところが、いまはすっかりあきらめている。もう現実は徹底的にどうしようもない。
諦念のただなかで河合隼雄のデタラメがとても懐かしく思い出されるのである。
ユング派の心理学者、河合隼雄の言説は、おそらくインチキである。
そして、いまのわたしは学問的真実などよりよほどいかがわしいホラ話に好感を持つ。

本書を再読して、ふたつ感興をもよおしたところがあるので紹介したい。
ユング心理学では人間の意識を浅いほうから3段階にわける。
意識、個人的無意識、集合的無意識である。
意識とは我われが通常の生活で用いている領域のこと。
個人的無意識とは、フロイトの発見したいわゆる無意識のこと。
フロイトはここに抑圧した性欲が蓄積され神経症の原因になると考えた。
かつてはフロイトの弟子だったユングの新しさは、さらに深い無意識を想定したことにある。
これが個人的無意識の下層に位置する(とされる)集合的無意識である。
この集合的無意識において人類はみなつながっているとユングは指摘する。
世界各地で同型の神話が採取されるのは、この集合的無意識のためだという。
テレパシーや夢のお告げが生じるのも集合的無意識の存在ゆえ。

A:意識
B:個人的無意識
C:集合的無意識


専門というには程遠いが、わたしは劇にも関心を寄せている。
劇は、おもに人間の欲望の対立である。欲望と欲望の相克(そうこく)が劇の実相だ。
人間の欲望はユング心理学で考えるとAの意識の領域から発生する。
だが、劇中では対立する人間でさえ(ユングにいわせると)
C の集合的無意識で相通じている。
このC の領域が、あるいは劇の完成において大きな役割を果しているのではないか。
まるで学問的根拠もない(そもそもユングは学問ではなくオカルトだが)思いつきである。

話を移す。
ネイチャー(nature)という言葉の扱いに河合隼雄は東西思想の相違を見る。
西洋においてネイチャーとはアート(art)、すなわち人工に対する自然であった。
日本人はこのネイチャーの訳語に自然を用いることにしたが、
古来、日本および中国においては、この自然にもうひとつの意味があった。
「おのずから然(しか)る」という意味での自然である。
ユングは東洋思想に興味を持ったが、東洋の宗教思想は自然がカギになるのではないか。
河合隼雄の指摘である。
西洋は自然を人間の支配化におくことで科学を発達させてきた。
科学は、因果関係が根本にある学問領域である。
この因果律のみではかなわぬとユングは東洋思想に接近する。
結果、共時性という概念を生みだすにいたる。
共時性は意味のある偶然。因果律によらないものごとの生起基準である。
整理すると、因果律は「原因→結果」、共時性は「自然=おのずから然る」となる。
この整理は、河合隼雄の飛躍のさらに上をゆくわたしの果敢なジャンプだ(笑)。
もとより河合隼雄はインチキ扱いされることも少なくないから、
ここでわたしがさらにトンデモない方向へ突き進んだとしてもさして問題ではあるまい。

西洋科学=因果律=「原因→結果」
東洋思想=共時性=「自然(おのずから然る)」


河合隼雄は版画家の棟方志功を例に挙げる。
美術評論家の柳宗悦が、この版画家をつぎのように評していたという。
「棟方の仕事には『作る』という性質より『生れる』という性質のほうが濃い」
ここに河合隼雄は、東洋における自然の作用を見るのである。
最終章で河合は、みずからの専門領域、心理療法についてこんな説明をする。
心理療法は患者を「治す」わけではない。患者はだれもが自己治癒力を持つ。
心理療法家は患者が「治る」お手伝いをするだけだという。
そのとき心理療法家にとって重要なのは、人為を加えず自然にまかせること。

芸術=「作る」(人為)と「生れる」(自然)
治療=「治す」(人為)と「治る」(自然)


人為が有効なのは、そこに因果関係があるときのみである。
では、いっぽうの自然にまかせるときはなにに留意すればいいか。
河合隼雄はコンステレーション(布置)という言葉を持ちだす。
コンステレーションとは、たとえば夜空における星座のような全体の見取り図のこと。
因果律を超越した宇宙的視野のことである。
コンステレーションに配慮するとき、意味のある偶然が見やすくなる。
この偶然によって事態の改善を望もうというのが河合隼雄の心理療法である。

考えるに、子作りという言葉はあるが、どこまで先端医学が進もうとも、
子どもは作られるものではなく、生れてくるものでしかない。
ならば、なにゆえ、我われは芸術作品を個人が創作可能であると考えるのか。
芸術も子どもとおなじように自然に生れてくるものとは考えられぬか。
この考えにはだいぶ慰められた。インチキ学問の効用である。

(追記)本日「本の山」カテゴリーに新しく「河合隼雄」を加えた。
以前の調査だが、うちのブログは河合隼雄に複雑な感情を抱いているかたの訪問も多い。

COMMENT

COCO URL @
03/03 21:09
. 宗教と科学をリンクさせようと試みるのが、まず新興宗教団体。次いで心理学者、さらに物理学者。意地でもリンクさせないのが宗教学者。

大乗の唯識派では、第八識の「阿頼耶(あらや)識」を無意識の最深層部と捉え、阿頼耶識に蓄積された種子の具有を説き、他者の無意識層との根源的つながりを示唆しています。よくユングの「集合無意識層」と対比されますね。

中国天台ではさらに第九識「阿摩羅(あまら) 識」を加え、
→熱狂的法華経(天台智ぎ解釈)マニア日蓮→創価学会→宮本輝 
と、つながる(笑)
宮本輝は講演会などでしばしば九識論に言及するとか。
そういえば一時期、河合隼雄は創価学会ともリンクしていましたっけ。

「意味のある偶然」。
偶然の一致に意味を見いだす分岐点は、そこに強い感情が生じるかどうかでしょうか。
Yonda? URL @
03/04 23:13
COCOさんへ. 

仏教にもお詳しいのですね。
わたしには唯識思想は難しすぎて目下お手上げであります。

創価学会は純朴な因果律を重視していると思います。
かの宗教団体の根本思想は「信心すれば功徳がある」です。
日本人の大好きな「がんばれば報われる」と似ています。
創価学会がわが国で大躍進した理由でしょう。
信心すれば癌でもなんでも治るというのが創価学会ですから。

河合隼雄と創価学会の関係は知りません。
第三文明社と河合隼雄は関係があったようですが。
まえに宮本輝がテルニスト掲示板で河合隼雄を絶賛しているのなら、
見たことがあります。4、5年前の話です。

創価学会信者の宮本輝は熱心な因果律の信者です。
以下の感想文の引用部分をご覧ください。

宮本輝「春の夢」
http://yondance.blog25.fc2.com/blog-entry-168.html

「共時性」「自然」の思想を、わたしは法華経よりも支持しています。

> 「意味のある偶然」。
> 偶然の一致に意味を見いだす分岐点は、そこに強い感情が生じるかどうかでしょうか。

まさしくそうだと思います。重要なのは論理ではなく感情。
おっしゃる通りであります。
COCO URL @
03/07 01:04
. 仏教は好きでかじっているだけで学術的な知識はほとんどありません。

仏教の歴史は非信仰から是信仰への変遷史ともいえます。
相反する膨大な思想を呑み込みながら紀元前から現在に至る。信仰の非から是へ、転換せざるを得なかった理由に興味があります。

たしかに創価学会は「宿業転換」と「現世利益」によって組織拡大してきたのでしょう。
しかし因果律と功徳で信者を集める新興宗教は他にいくらでもあります。
創価学会は因果律だけではなく、宇宙生命論という生死観があります。それが教義に深みを加え、唱題行とともに信者にとっての魅力になっているのでは考えています。

十界互具→万人に具わる仏性 →九識(阿摩羅識)→宇宙生命
宇宙は生命そのものであり、個々の生命はその顕在化である‥‥らしい。
ウパニシャッド哲学の「梵我一如」 に近い考え方です。「因果律」と「生命論」、どちらの思想も初期仏教では否定されているのが面白い。

>宮本輝「春の夢」
>このツボと池田大作氏が同じかどうかはまだわからない。

ネタバレ講釈部分は知人の創価学会員もやばいヨと言っていました。
あの集金システムと個人崇拝には裸足で遁走するのみです。

>「共時性」「自然」の思想を、わたしは法華経よりも支持しています。

そうですか。
共時性らしきものは何度か経験があります。
法華経は難しくてよくわかりません。
ただ、自然の理には娑婆世界の不条理を必然たらしめる何かがある‥
と感じています。感じているというより信じているといったほうがいいかな。

Yonda?さんの山田太一論に刺激されて入手した「早春スケッチブック」シナリオを読みました。山田太一のドラマはいくつか見ていますが「早春~」は未見です。おりをみてDVDも借りるつもりです。

なんというか、しょっぱなから最終話までやられっぱなしという感じ。
本でこれほど泣かされたのは何年ぶりでしょうか(笑)
Yonda? URL @
03/08 04:46
COCOさんへ. 

酔い覚めの一杯の水って、とてもおいしい。
宇宙を感じてしまいます。大げさだけれども。
宇宙生命とわたくし、なんて考えてしまう。
「一念三千」という学会用語がありましたよね。

新興宗教って、教義はさほど重要ではないのかもしれません。
むしろ、教義自体は「あとづけ」くらいの位置。
いちばんポイントになるのはひとだと思います。
ひとがらです。
こんないいひとが信者なんだから間違いない。
こんなすばらしいひとが尊敬している名誉会長はすごい!
タレントの久本雅美さん、後輩の面倒見がとてもいいらしい。
新人が悩んでいると何時間でも相談に乗る。
それから「実はね」と切り出す。

そう考えると、学会員さんって意外と仏教のことを知らないのかもしれません。
なんだっけな、学会用語でありましたよね。
まずからだを動かせ、みたいな。
考えるよりも動け。功徳はかならずある。
かつての創価学会が貧乏人、病人の巣窟だったゆえんです。
宮本輝先生も不安神経症を治す「ために」学会へ入ったと聞きます。
いくら折伏しても治らないので幹部に苦情を言ったら、
まだ信心が足らんからだと逆に説教されたとか(笑)。

ところで「早春スケッチブック」を読まれましたか。
いいホンでしょう。泣けますよね。
「ありきたりなことを言うな。
おまえらどいつもこいつも骨の髄までありきたりだ!」
こんなせりふを吐く山崎努も悪くないけれども、
わたしはあの信用金庫のパパさん(河原崎長一郎)のほうが好きだったりします。
coco URL @
03/08 16:06
. 酔いつぶれたいというようなとき、酒が飲めるひとが羨ましい。

>いちばんポイントになるのはひとだと思います。

まったくその通りだと思います。ひとが動くのは理屈ではない。

>わたしはあの信用金庫のパパさん(河原崎長一郎)のほうが好きだったりします。

お父さん、最後沢村に 「こりゃあ、かなわない」と言わせました。
すべての登場人物が魅力的ですが
わたしは妹の良子がいちばんのお気に入りです。
Yonda? URL @
03/08 20:49
cocoさんへ. 

お名前が大文字になったり(COCO)
小文字(coco)になったりするのはなにか意味があるのでしょうか。
ちょっと気になっただけです、すみません。

> わたしは妹の良子がいちばんのお気に入りです。

山崎努とふたりでバス停まで歩くシーンがいいですよね。
もとい、わたしの好きなシーンでした。
coco URL @
03/09 00:25
. いつのまにPCの英字設定が変わったのに気がつかず大文字に。
2度目は直したつもりが、また大文字でアヒャッとなりました。
わたしの入力ミスです。
ひとこと書けばよかったですね。ごめんなさい。

沢村と良子のふたりだけの場面、停留所と西洋屋敷とありますが
両方とも実にいいシーンだと思います。
coco URL @
03/09 00:28
間違えました. 山崎努の役名、沢村ではなく沢田でしたね。
Yonda? URL @
03/10 01:58
cocoさんへ. 

山田太一氏は自身を一介のテレビライターと卑下している部分があります。
にもかかわらず、わたしは氏の作品にたいそうな文学を見てしまう。
もしかしたらおかしなことをやっているのかもしれません。

お名前の件、了解いたしました。
あるいは、こだわりが、なんて思っていましたが。

河原崎長一郎がお酒をのめないという設定もいいですよね。
だのに、沢田は濃い水割りを作ってさしだす。
あのシーンも大笑いしました。
元妻へ昼から「のまないか?」というシーンも泣けます。
えへへ、読んでいないひとには、なにがなんだかわかりませんね。
coco URL @
03/10 22:53
. 
もてなしに、まずは酒の支度をしてしまうんですよね。
そういえば竜彦が二度目に訪ねてきたときも酒をすすめています。
ことわった息子に、我慢についての持論を熱く語っていました…
と、きりがない(笑)

昨夜再読したら記憶ちがいがかなりありました。
望月一家はそれぞれが何度も、ひとりで沢田に会いに
行っているんですね。
みな沢田と会うたびに、徐々に内部が変化していく。

初読みは、不覚にも笑ったり泣いたり情緒に溺れたまま読了。
再読して、あらためて作者の才能に感じ入った次第です。
山田太一は超一流の物語作家だと思います。
ドラマも良いらしいですね。

なんて、ここのテーマからすっかり離れてしまいました。
レスは無用です(笑)
coco URL @
03/10 22:59
またもや(泣). >そういえば竜彦が二度目に訪ねてきたとき
  そういえば和彦が

おまえちゃんと読んでいるのか、と。
Yonda? URL @
03/11 20:54
cocoさんへ. 

> 望月一家はそれぞれが何度も、ひとりで沢田に会いに
> 行っているんですね。

山田太一ドラマの人物は会うということに真摯ですよね。
「会いたいんだ」と真正面からぶつかっていく。
そうでなくてはドラマが動かないのも事実なのですが、
裏側の台所事情をさしひいても会うことに真剣です。
「きょうひま?」という乗りではない。
積極的に会いにいく。会いたい。どうしようみなく会いたい。
人間の孤独から目を背けず、
むしろ孤独を凝視せんとする作者の姿勢がうかがえます。
村石太仮面 URL @
02/20 19:36
脳細胞に 人の言葉が 勝ってに 入ってくる. テレパシーで 検索中です
テレパシーというものが この世に 存在するように思える。こんなことを 書き込めば 狂人 扱いされるかなぁ。
テレパシーを 悪用する人は 悪魔
BATIとか あるかなぁ。
宗教研究会(名前検討中
超能力研究会(名前検討中
Yonda? URL @
02/21 02:16
村石太仮面さんへ. 

コメント欄、ご常連の貴殿と再会しまして、ああ、まあ、その、ぶっちゃけ、俗にいうところの、似た者同士かもしれないな、と思いましたですます♪








 

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