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「中国古典散歩」

「中国古典散歩」(駒田信二=編/文春文庫)絶版

→本書の構成はエッセイと解説からなる。
12人の文学者が、めいめい思い入れのある中国古典について気ままに語る。
直後に中国文学者の駒田信二が、それぞれの作品の解説をするという仕組み。
もういい年なのでいまさら中国古典を逐一しらみつぶしに読破していくのは不可能。
こういった軽めの一般書籍でアンテナにひっかかる古典を探すしかない。
もし見つかれば、その古典のみ重点的に読み込もうと思っている。
もとより、世界の古典を読破するなど無理なのである。
安易な一般書にたよる姿勢をどうかお許しください。

通読したがとくに気になった中国古典はなし。
ひとつ困ったのは、みなさま引用するときに、書き下し文のままのこと。
むかしは学校教育で論語の素読をやっていたらしいから当たり前なのかもしれないが、
わたしの受けた程度の漢文教育では書き下し文のままだと意味が取れない。
現代語訳がないため意味不明な箇所がいくつもあった。

「史記」に書かれているという呂后と戚夫人のエピソードがおもしろかった。
カッコ内の記述はわかりやすくするため筆者が補記しました。

「(権力をにぎった)呂后が(生前)高祖の愛姫だった(美しい)戚夫人の
手足を断ち切り、眼球をくりぬき、耳をくすべて聾(つんぼ)にし、
瘖薬(いんやく)を飲ませて唖(おし)にし、
便所の中に置いて「人彘(ひとぶた)」と名づけたこと、
それを見せられた(呂后の息子の)恵帝が、
「これは人間のすることではありません。わたしは太后(ははうえ)の子として、
とても天下を治めることはできません」といって泣き、
そのために病気になって一年あまりも起きることができなかったということは、
「呂后本紀」によって広く人に知られている話だが、
呂后のような冷酷な非人間性を持った女が、
それによって絶対者になり得たということに司馬遷は人間の歴史を見たのである。
「人間のすることではないこと」をするのは人間なのである。
「非人間性」も人間性にほかならないのである。
司馬遷は現実的な峻厳な姿勢と冷徹な眼で、人間の歴史をとらえていこうとする」(P34)

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