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「さくらの唄」

「さくらの唄」(山田太一/大和書房)絶版

→テレビドラマシナリオ。昭和51年放送作品。全26回。
どうでもいい話から入ると、このドラマはわたしの生まれた時期に放送されていた作品。
驚くのは回数で26回。2クールにまたがって放送されたホームドラマである。
のべ放送時間を計算すると約20時間。
映画の平均が2時間くらいだと考えると、そのおよそ10倍である。
にもかかわらず「さくらの唄」にはほとんどストーリーといったものがない。
だれも死なない。逮捕される犯人もいない。仕事で成功するものもいない。別離もない。
結ばれるカップルはたったの一組のみで、浮気も不倫も予感こそあれ成立はしない。
さらに注目すべきは、ドラマがおおかたおなじ家のなかで進行している点。
流行のスポットは出てこない。お洒落なレストランとも無縁。
最大の驚異は、それなのにこのドラマはおもしろいということである――。

舞台は下町の一軒家。
一家の主人は指圧院を開業する伝六。妻の泉は心臓をわずらっている。
子どもは3人いて、うえから麗子、加代、進。
長女の麗子は30を過ぎているのに独身。あまり器量がよくないためである。
次女の加代も独身。貯金局勤務。
こちらは顔は悪くないのだが、ぬけているところがある。あたまが悪い。
進は高校2年生。なかなか優秀なひとり息子である。
ドラマはひとり暮らしをしていた麗子が、子どもを身ごもって実家に戻ることから始まる。
ことさらストーリーというものがあるとすれば、
物語のなかばで麗子が意中の男性と結婚し、式の翌日に出産することくらいである。
ほかは全編、下町に生きる庶民の生活のくだらなさ、いじらしさが描かれる。
並外れた不幸も夢見るような幸福もこの一家におとずれることはない。
ドラマで描かれるのは、
いいかたはよくないがどこにでもある不幸と、ささやかな幸福のふたつである。
日常といいかえてよい。日常のちっぽけな幸福と不幸を山田太一は丁寧に描く。
殺人事件に巻き込まれるようなものだけが不幸なのではない。
がんばって艱難を乗り越え夢をかなえることばかりが人間の幸福ではない。
だれの身の回りにもあるささいな、しかし切実な幸福と不幸。
山田太一が「さくらの唄」で描いたものである。

人情ドラマである。泣き虫ドラマといったほうがいいのかもしれない。
ドラマのなかで老若男女をとわずひんぱんに登場人物が泣くのである。
なぜ山田ドラマの人間は泣くのか。どうしようもないからである。
恋愛というものは、どうしようもないもののひとつ。
30年以上も男と縁のなかったブスの麗子は、
なかばだますようにして酔っぱらった会社員の中西基二(美輪明宏)と関係を持つ。
そこで身ごもってしまう。麗子はどうしようもなく基二が好きである。
だが、恋愛というのはどうにもならない。どうしようもない。相手あってのもの。
自己啓発本や恋愛マニュアルには、こちらが相手に好意を持つと、
向こうもおなじような感情をいだくといったことがまことしやかに書かれているが、
現実はそうかんたんにいくものではない。
そんな楽ちんなものならば、世の中から片想いというものがなくなってしまうではないか。
いくら相手を恋しく思おうが、どれだけがんばろうが、どうしようもないことはあるのだ。
そのときひとは泣くしかない。
麗子は母の泉にすがりつくようにして泣く。

「お母さん――(はじめて涙が溢れ)好きなの。
あの人、好きなの、お母さん(泣いている)」(上巻P47)


その様子を廊下で父親の伝六と妹の加代が、いたたまれなくも見ている。
泉は、泣きつづける娘の髪を撫でている。

伝六と泉は、娘の麗子になんとか基二をあきらめさせようとする。
それも成功しかけたところで、基二が病で寝込んでいるという話が舞い込む。
いそいそと出かけていき、たのまれもしない看病をする麗子である。
伝六も泉も口惜しくて仕方がない。
なにもあんな男の看病を、愛する娘が、
嫌われているのにもかかわらずすることはないと口惜しいのである。
父の伝六はバーでやけ酒をのむ。母の泉は家で大福をやけ食いする。

泉「(食べ)麗子ちゃん、可哀そうで、やになっちゃうわよ(と怒って食べる)」(上巻P203)

ところが翌朝、基二が一家をおとずれるではないか。
なにをいうかと思えば、娘さんをくださいというのである。伝六は怒って追い返す。
家族全員、伝六を責める。せっかくのチャンスだったのではないか。
伝六はいう。ほんとうに麗子が好きならもう一度、求婚に来るはずである。
基二は来るのか、来ないのか。その晩遅くのこと、なんと基二が再訪したのである。
出張の指圧から夜半に帰宅した伝六は、家の近くにたたずむ中西基二を発見する。

伝六「入ってくれ。さあ、入ってくれ。
あんたの来るの、家中で待ってたんだ(と腕を掴んで)麗子! お母さん!
中西くんだ。中西くんが来たぞ!(とガラス戸をドンドン叩く)」

●廊下
泉を先頭に玄関へかけ出す一同。なおみ(お手伝いさん)もとび出してくる。

●玄関
泉「お父さん、中西さん?」
進「(とびおりて鍵をあけに行く)」
伝六「ああ、中西さんだ、中西さんが来たんだ」
進「(あける)」
麗子「――」
基二「(目を伏せたまま一礼)」
泉「よく、よく来てくれましたね」
伝六「さあ、入ってくれ。入ってくれよ」
基二「(うなずいて中へ)」
伝六「来るっていったろ、麗子。きっと中西さんは来るっていったろうが」
麗子「うん――でも、あの、どういう用で」
伝六「どういう用ってことがあるかよ」
泉「そうよ、麗子ちゃん」
伝六「さあ、やってくれ。玄関先で悪いけど、家中で一刻も早く聞きてェんだ。
あんたの用件を聞きてェんだよ」
基二「(うなずく)」
一同、息をのむ。
基二「やはり、麗子さんを、いただきたいんです」
伝六「よく言ってくれた。よく言ってくれたぜ」
麗子「――」
泉「(泣く)」
加代「(泣く)」
進「――(目を伏せる)」
麗子「(ワーッと泣いてしまう)」
伝六「(涙を拭いている)」
基二「――(立ちつくしている)」
泉「――」
伝六「――」(上巻P227)


どうしようもないとあきらめていたことが、どういうめぐりあわせかうまくいったのである。
ひとはこのようなときにも泣く。むろん、わたしも読みながらわんわん泣いている。
山田ドラマの人物はどうしようもないと泣き、
どうしようもないと思っていたことがうまくいったと泣くのである。
このときかれらは人事を超えるなにか大きなものを見ていたといったら
大げさなのだろうか。少なくとも読者のわたしはそれらしきものを見た。

姉の麗子が片づいた。つぎは妹の加代である。
加代は、弟の家庭教師をしている朝倉(田村正和)に片想いしている。
ところが、朝倉には妻がいる。朝倉の妻は難病でずっと入院している。
加代は迷うわけである。朝倉と自分がどうにかなったら奥さんを苦しめてしまう。
現実はどうしようもない。朝倉は病身の妻を深く愛しているのである。
おりしも、加代に求婚する男性が現われる。トラック運転手の田代である。
加代は朝倉に相談する。結婚したほうがいいですか?
朝倉は答える。いい人じゃないか。
けれど、いい人ならいくいらだっているもん、と応じる加代。

朝倉「でも、他の人は、彼のように、加代さんを愛してはいないんじゃないかな」
加代「そうね。他の人は私を愛してはいないわね」
朝倉「それは、大事なことじゃないかな」
加代「そうでしょうか」
朝倉「そう思うな」
加代「私が愛してなくても、大事ですか?」
朝倉「――」
加代「私が愛してなくても、向うが愛してくれたら、
それを大事にしなきゃいけないんですか?」
朝倉「大切に考えてみてもいいんじゃないかな」
加代「そんなら、先生は大切に考えますか?」
朝倉「――」
加代「先生が愛してなくても、向うが先生を愛してたら、その人を大切にします?」
朝倉「ぼくは結婚してるからね」
加代「結婚してれば、いいんですか?(……)」(下巻P277)


加代は、愛してもいない田代との結婚を決意する。
それからふたたび朝倉のアパートをおとずれ、
最後のお願いを聞いてくれとたのむのである。
一回でいいから、だれにも内緒でふたりだけでどこか遠いところへ行きたい。
一日中が無理なら午後だけでもいいから、最後にひとつ思い出を持ちたい。
なんとも、いじらしいじゃないか!
家族は全員、加代の朝倉への恋慕を知っている。みな反対している。
家族の包囲網をくぐりぬけ加代は朝倉との遠出に成功する。
もうこれで終わりだ。あとは結婚しかない。朝倉は妻を愛していた。キスひとつなかった。
加代は疲れきって家へ戻ってくると、母のもとへ行く。
加代は、母の泉が心臓の発作で寝込んでいることを知る。自室に戻る加代。

加代「(障子をあけて入って来て)向う行っててよ(と窓をあけて顔を外へつき出す)」
麗子「(現われ)逢って来たんでしょ。先生と(と障子を閉める)」
加代「――」
麗子「なにがあったか聞かないけど、お母さんの所で泣こうとしたんでしょ。
そう思って帰ってきたんでしょ」
加代「――」
麗子「代りに、私、胸かしてあげるから泣きなさい。
泣いて、さっぱりしちゃいなさい(ここまでは人情っぽくいって、あとは挑発的に)
さあ、さっぱりしなさいって。さあ、なにしてるのよ。加代ちゃん。
泣いて、先生の事なんか忘れちゃうの。なにしてるのよ、ほら」
加代「お姉ちゃんなんか」
麗子「なによ?」
加代「人の気持なんかなんにも分らないんだから(と振りかえって、麗子をひっぱたく)」
麗子「いいわよ。打ちたきゃぶっていいわよ。感じないもん、そのくらい。
フフ、早く、ぶってさっぱりしなさいって」
加代「お姉ちゃんなんか(と打ち)お姉ちゃんなんか(とあとは、めちゃくちゃに打つ)」
麗子「(抵抗しない)」
加代「(ひきずり倒してぶつ)」
麗子「(抵抗しない。抵抗を決してしないことで、麗子の加代への気持が、
画面に溢れてしまうくらいに抵抗しない)」
加代「(あとは泣いてしまう。麗子にすがりついて泣いてしまう)」
麗子「(涙がたまっている)」
加代、泣いていて――。(第25回、終了)(下巻P315)


ここで山田太一ドラマにおける人情シーンを定式化してみる。
Aはどうしようもないことが原因でBのまえで泣き伏す。泣くしかないのである。
Bはその問題のどうしようもなさを知っているから、助言などしたりはしない。
BはAの手助けなどからきしできないことを痛感する。
AもBも人間相互のどうしようもない断絶に打ちのめされる。
相変わらずAは泣いている。相変わらずBはAの苦悩をどうすることもできない。
BもAのように泣いてしまう。
現実のどうしようもなさはなにも変わらない。ただAもBも泣いている――。

加代に求婚するトラック運転手の田代がまたすばらしい。
本人に何度も愛を打ち明けたが振り向いてもらえない。伝六からは怒鳴られる。
しかし、加代を思う気持はつのるばかりである。
田代は、佳代の母である泉を喫茶店へ呼びだす。

田代「加代さんを、やはり、いただきたいんです」
泉「(うなずく)」
田代「ああいう人、この頃、ほんといないし、気持、なんか、とってもやさしくて、
ぼくは、加代さんとなら、あったかい家庭が持てるんじゃないかって、
どうしても、思えるんです」
泉「(うなずく)」

<マスターが紅茶を持ってくる>

田代「――」
泉「そんな風に、加代のこと、思って下さるの、本当に嬉しいわ」
田代「いえ――」
泉「ただ、こればっかりは、最後は本人の気持次第だから」
田代「勿論そうです。ぼくは、立派な人間じゃないし、
金儲けもそううまくないみたいだし、ボーッとしてるような所もあるし、
そんなにいい所ありませんから――」
泉「どこがいい所?」
田代「(ちょっと黙って)わり合い、人の身になる方かな、と思います」
泉「そう」
田代「だから、ぼくなんか嫌だっていう加代さんの気持も分るような気がします。
普通なら、オレに惚れなくたって無理はないやって諦めるんですけど――
今度は、どうしても諦めきれないんです」
泉「(うなずく)」
田代「加代さん、ぼくにとっても合ってるような気がするんです。
加代さんが、家にいたら、すごくはり切って働けるような気がするんです。
勝手なことばかり言うようですけど――」
泉「ううん」
田代「あ、紅茶、どうぞ」
泉「ええ――(レモンを紅茶に落す)」
田代「――」
泉「――(スプーンを置く)」(下巻P267)


このシーンのよさをご理解いただけるか自信がない。
稼ぎも顔もよくない朴訥なトラック運転手の田代が、加代の長所をこういうところがいい。
加代さんの、気持のやさしさが好きになったというところである。
自分の長所を、人の身になる方、なんていうところにも、なみだぐんでしまう。
ところが、加代はメンクイなのか、どうしても朝倉(田村正和!)のほうがいいのである。
田代とスナックで偶然逢った加代は、かれをある小料理屋へ誘う。
先日、朝倉と一緒に行った店である。
おなじロケーションに朝倉と田代を置き、見比べようとでもいうのだろうか。

●小料理屋
朝倉と来た店である。田代と加代、来ていて、加代、コップ酒をのんでいる。
田代「加代さん」
加代「注いで」
田代「やめよう」
加代「いいの、ついで」
田代「これだけだよ(と注ぐ)」
加代「どう?」
田代「え?」
加代「こんな私、嫌いになったでしょう」
田代「ならないよ」
加代「しつこいなあ、あんたって(とベソをかきながらのむ)」(下巻P288)


この夜は泥酔した加代を田代が家まで送る。
このときである。玄関にみんなが集まっているところで加代は宣言する。
決めたというのである。「私、田代さんと結婚することに決めたの」
最終回は、加代の結婚がどうなるかが筋のかなめ。
伝六と泉は、愛してない男と結婚するなという。
姉の麗子は両親に反対する。その理由はこうである。フミは知り合いのおばさん。

麗子「いい? フミさん」
フミ「うん」
麗子「この世の中の夫婦でよ。
本当に愛し愛されて結婚した人なんて何組いると思う?」
フミ「うん――」
麗子「大抵は、お見合いかなんかで、どうですか。まあまあでしょうか。
なんていって一緒になるとか、エリート社員だからつかまえちゃったとか、
片方がワァワァいうから結婚したとか、割合いい加減だと思うのよ」
フミ「うん」
麗子「だからってみんな不幸のドン底にいるわけじゃないでしょ。
むしろさあ、この人じゃなきゃ嫌だなんていい合った二人の方が、
離婚したりしらけたりしてるんじゃないかしら?」
(近所の)おばあちゃん「そんなもんよねえ、世の中なんか」
麗子「私は、それをいいたいのよ。加代ちゃんは、
そりゃたしかにいま田代さんを、愛してるっていうんじゃないかもしれないわよ」
でも、そんな事たいしたことかしらっていうのよ」
伝六「一番大事なことじゃねえか」
麗子「だからお父さんは、いい年をして甘いっていってるの」(P325)


最終回の最終場面、果たして加代は結婚するのか――。

加代「私、よす」
泉「そう」
加代「いい人に逢うまで、よす」
泉「そう」
加代「フフフ」
泉「(朝倉)先生の方、大丈夫ね」
加代「大丈夫」
泉「そう」
加代「やっぱり忘れるために結婚しちゃ、田代さんにも悪いもん」
泉「そうね」
加代「いい人出て来るの待つ」
泉「うん」
加代「ひとりで」
泉「うん」
加代「フフフ」
泉「(微笑する)」(下巻P341)


非情なリアリストにしてその反面、
情熱的なロマンティストたる山田太一らしい結末である。

このドラマは山田太一の父親が亡くなって間もなくのころに書かれたものらしい。
伝六の指圧師という設定は、
実は山田太一のお父さんが戦後しばらく指圧をやっていたことと関係している。
めったに体験を書いたりはしない作者にしてはめずらしいことである。
継母と連れ子に苦労した体験も、基二のせりふとして生かされている(上巻P273)。
おそらく山田太一にとってこの「さくらの唄」は
とりわけ思い入れのある作品なのではないか。
のちに述懐するところを聞くと、
父親が亡くなってから山田太一はシナリオに説教を入れるようになったそうである。
むろん、意図したわけではなく、指摘されて気がついたとのこと。
父親が見ていると思うと、それまでは軽々しく説教なんて書けなかったという。
最後に「さくらの唄」から指圧師、伝六の説教を抜粋する。

伝六は息子の進をバーへ連れて行く。高校生の息子へ酒をのめという。
というのも、伝六は昨夜、泥酔して帰宅した。
バーのママであるユミの肩を借りての帰宅だった。
進はそんな父を嫌悪した。「バーの女なんかとなにやってんだ」といったのである。

伝六「一口でいいからのめ」
ユミ「先生」
進「のむよ。なに怒ってんだか、ちっとも分んないよ(とのんで)
ウウー(と思わず顔をしかめる)」
伝六「そんな顔すんな、そんな顔ッ!(とカウンターを叩く)」
ユミ「どうしたの?」
伝六「いやあなインテリってェのがいるだろう、ママ」
ユミ「なんのこと?」
伝六「本ばっか読みやがって、なんでも分っているような顔してよ。
そのくせ、なんにも分っちゃいねえ。
人の気持も分らなきゃ人を見る目もなけりゃあ、世間も人情も分らなねえ。
たーだ、なんとなくえらそうでよ。男らしいとこもなんにもねえ野郎がいるだろうが」
ユミ「そりゃまあいると思うけど――」
伝六「こいつ(進)は、そういうのに、なりかかってやがった」
進「なにいってんだ」
伝六「あやまれ。ママに、あやまれ、進」
進「なにを?」
伝六「なにをだと?」
ユミ「なにをよ? 私だって分らないわよ」
伝六「昨夜の事(こ)ったろうが(とカウンターを叩く)」
ユミ「昨夜?」
伝六「(進に)昨夜、ママがいる所で、お前はなんていった?
バーの女なんかっていったろうが」
ユミ「いいのよ」
伝六「よかねえやな(進に)お前は、バーを知ってるか?
バーがどんな所だか知ってるか?」
ユミ「知る訳ないじゃない」
ユメ子(=ホステス)「そうよ」
泰子(=ホステス)「可哀そうよ」
伝六「ホステスにはな、お前(進)なんかより、
余程立派な人間がいるって事を考えたことはねえのかッ!」
進「――」
伝六「わけもなく人をバカにする奴が、俺は大嫌ェだ。
人の身にならねえ奴が大嫌ェだ。目の前でよ、目の前で、
バーの女なんかって言われたママの気持を、手前は考えたか? 考えたかよ」
ユミ「別に、どうって事ないわよ」
伝六「いやあ、大事なこった。こういうことを忘れて、
本なんぞいくら読んだってなんにもならねえや」(上巻P151)


こんなわかったようなことを書いている山田太一が実は酒場のようなところが嫌いで、
ママとかホステスのたぐいを敬遠している(「いつもの雑踏、いつもの場所で」62ページ)
という事実は、山田太一ドラマのおもしろさを理解するうえで決して忘れてはならない(笑)。

COMMENT

akemifa URL @
05/13 23:45
懐かしく思い出しました. このドラマの挿入歌 美空ひばりの「さくらの唄」は、このドラマ以来私の大好きな歌です。
思い出し検索して辿り着きました。
おかげさまで、懐かしくドラマの場面を思い出しました。
ありがとうございます。
ブログにも書かせていただきました。
Yonda? URL @
05/14 22:47
akemifaさんへ. 

思いました。ほんとに思ったのです。
いいなと思いました。むかしのテレビドラマはよろしい。
30年経っても思い返してくれる人がいるのですから。
山田太一さんはすごいと改めて思いました。
人の胸を打つドラマを書ける人間にあこがれます。
ブログにコメントなどふつうはいたしません。
わが身をかえりみても思うことです。
わざわざコメントをいただき、ほんとうにありがとうございます。

「さくらの唄」はさぞかしすばらしいドラマだったのでしょう。
おかげさまでよくわかりました。








 

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