「杜甫」

「杜甫」(黒川洋一/角川ソフィア文庫)

→毎度のことだが、サルでもわかるビギナーズ・クラシックス。
中国を代表する詩人をひとり選べとなったらこの杜甫(とほ)になるらしい。
「詩聖」とも称される中国随一の文豪。

アルコールで脳がいかれているのだろうか。さっぱり杜甫のよさがわからなかった。
しかし、「杜甫はトホホ」とおちゃらけるほど落ちぶれてはいないつもり。
杜甫にはゲーテにひってきする名声と退屈があるように思う。
どうして杜甫が中国の代表詩人なのかという問いに、ある答えを出してみよう。
わからないからである。一見(いちげん)さんは杜甫を理解することができない。
なぜなら存命当時の中国情勢、古来からの中国神話(伝説?)が、
杜甫の詩に大きく関与しているからである。
つまり、杜甫は周辺の勉強をしっかりやらないとわからないということだ。

これはある階層にとってとても都合がよろしい。
まず知識人階級にとって、杜甫という詩人は大いに利用価値がある。
杜甫を用いて無知蒙昧な大衆を見くだすことができるからである。
これは支配者階級にしても悪いことではない。
というのも、知識人階級の生殺与奪を管理しているのは支配者階級。
支配者にとっては杜甫の芸術的価値などどうでもいいのである。
対象が人民の支配および国家発揚に使えるかというのが問題。
この点で、杜甫という詩人はたいへん便利なようである。

日本で杜甫の影響をもっとも受けたのはおそらく芭蕉であろう。
日本を代表する俳人である。
ここはもう同国人のよしみでみなさまにニヤニヤしながら聞きたいのだが、
芭蕉の俳句っていいか?
ほんとうに芭蕉の俳句をすばらしいものだと思いますか。
わたしは「おくのほそ道」作者、すなわち旅行ライターとしての芭蕉は天才だと思う。
けれども、いい年をして、芭蕉の俳句のどこがいいのかまるでわからない。
いつの間にか憶えてしまった俳句はいくつかある。
残念ながら、そのどれひとつとして感銘を受けたものはない。
よしんば、こんなことを白状しようものなら、大学教授に笑われるのだろう。
あるいは、俳句の先生? まあ、プロのひとからお叱りかあざけりを受けると思われる。

杜甫と芭蕉は似ているのかもしれない。
勉強しないとわからない。
にもかかわらず、なのか、それゆえに、なのか、両者は国を代表する文豪である。
おそらくだが、地位学識問わず、だれにでもわかる陶淵明や山頭火のような文人に
高い評価を与えてはいけないという理由が、なにかしらあるのであろう。

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