便座に腰をおろしてみる。こういうときは冷静にならなければならない。
あせってもなにもいいことはない。まず自分の置かれた状況を的確に判断することだ。
そうすれば、おのずから対策が見つかるはずである。
このアジア3ヶ月の旅でいろいろな難所をくぐりぬけてきたわたしだ。
かならずやこのたびの危機も乗り越えられるはずである。
謎の美女、石野梅子と会った翌朝のことだった。
目覚めるとひどい頭痛がする。これは二日酔いなんてものじゃないと思う。
まるで毒でも盛られたかのようである。
ジーンズにTシャツ。昨日の格好のままでわたしはベッドに倒れていた。
まずシャワーを浴びようと思ったのだ。
しかし、と思い直す。このホテルは朝食が宿泊料金に含まれている。
朝食は時間が決められていて7時から9時のあいだである。
時計を見ると8時45分。間に合ったとうれしくなる。
急いで洗顔、歯磨きを済ませ、最上階にある食堂へ向かう。
ビュッフェ形式の食べ放題である。
重症の二日酔いなのに、いざ食べ物をまえにするとがぜん食欲がわく。
まだわたしも若いのだとおのが頑健な肉体をほこりに思う。
朝食を済ますと1階のフロントへ行き延泊料金を支払う。
1泊108元(1600円)のビジネスホテルである。
部屋に戻ったわたしはシャワーを浴びることにした。
浴室はシャワーとトイレ、それから洗面所がいっしょになったものである。
ちなみに、バスタブはない。
着ているものをベッドのうえに投げ捨て、あたらしい下着とシャツを取りだした。
こうして全裸になったわたしは浴室へ入ったのだった。
ドアがなかなか閉まらなかった。ちからを込めてひっぱるとガチャリと変な音がした。
中国のホテルでは熱水が出ないこともめずらしくないが、
この部屋のシャワーは極めて良好である。湯量も申し分ない。
あたま、からだの順で身を清めたのだった。
大きなバスタオルでからだのすみずみまで拭く。
ツインの部屋のため清潔なタオルが2人分用意されている。大、小2枚ずつだ。
タオルをけちるホテルがたまにあるが、その点でもこのホテルは合格である。
さっぱりした自分の顔を鏡にうつす。
朝食も取った。シャワーも浴びた。満足、満足だ。
このとき、自分の投げ込まれた状況にはじめて気づいたのである。
浴室のドアが開かない。まさかそんなはずはあるまい。まだわたしは楽天的だった。
ノブを引く。ためしに押しもした。ガチャガチャと音がした。
こんなはずがない。わたしは現実を認めようとしなかった。
ドアが開かないなんてことはない。あってはならないことだ。
わかった。こういうときは、ちょっとしたコツが肝心なんだな。
ノブを微妙なちからで左右どちらかへ動かしたらカチャなんて音がしてドアが開くのである。
そうして、まったく中国のトイレには困ったもんだぜ、なんて笑うのである。
世の中はそういうふうにできているんだ。
社会の仕組みを知らない人間が、こういうトラブルでいちいち大騒ぎするのである。
だが、わたしはちがうよ。そんな安っぽい男と思われたら心外だな。
わたしはだれかに向けて話しかけていた。
余裕たっぷりにノブを数分間いじったが扉が開くことはなかった。
ほう、なるほど、そう来ましたか。
ふりかえると鏡にうつった自分の顔が目に入る。ひどく狼狽している。
いけない、いけませんね。笑顔をつくる。うん、よし、笑顔になった。
わたしはこのくらいヘッチャラである、と思いたかったのだ。
あわてても仕様がない。このようなピンチのときに、その人間の真価が問われるのである。
便座に腰をおろす。頬杖をつく。いよっ、「考える人」!
自分で自分に突っ込みを入れるが、ちっとも笑えやしない。
原因を考える。どうしてこんな事態におちいったのだろう。おれなんか悪いことしたかな。
いや、そういうことではない。あまり深刻に考えるのはよそう。
原因として考えられるのは、ドアの不具合、ただそれだけである。
自己啓発本を思い返す。困ったときには、どうすればいいか。
たしか最悪の事態を予想し、それを受け容れる覚悟を持つことが重要だと書いてあったな。
この場合、最悪の事態とは、このまま閉じ込められることである。いつまでか。
先ほど延泊料金を払ってしまったから明日の正午までわたしはこの部屋の使用権を持つ。
この期限が切れたらホテルの服務員が部屋を調べに来るだろう。
よし、最悪の場合、わたしは明日の正午までこの浴室にいなければならない。
これを受け容れる? 冗談じゃない。まだ朝の9時半くらいのはず。
丸まる24時間以上、こんなところでなにをしていればいいのだ。それも真っ裸で。
しかし、最悪のケースとはいえ、生命の危険はないのである。
なにしろ浴室だ。飲み水には困らない。たとえ腹を壊してもこのとおりトイレがある。
アチョー!!!!
便座から立ち上がったわたしは開かずの扉を思い切り蹴り飛ばした。
ドアは頑丈でぴくりとも動かない。ふざけんな、こらあ! しばいたろか、このドアホが!
狭い浴室で思いつくかぎりの罵声をあげながらわたしは扉と格闘した。
すなわち、蹴りこんだ。突っ張った。この場合、ドアが壊れようがこちらに非はない。
努力は報われなかった。ドアの丈夫さを思い知っただけで終わる。
この扉を人力で破壊することは不可能であると悟る。
ならば、タオルを腰に巻いただけの恥ずかしいすがただが、
ここは救援を求めるほかあるまい。外からドアのカギをなんとかしてもらうしかない。
だが、なんと叫べばいいのだろう。ここは日本ではない。助けて、なんて通じないだろう。
中国語でこういうときになんといえばいいのか思い浮かばない。
英語ならどうだろうか。ヘルプミーにしようと決める。
浴室のドアをどんどん叩きながらヘルプミーと叫びつづける。
5分ほどつづけるがまったく応答がない。
タオルを腰に巻いただけの男がドアを叩きながらヘルプミーはかなりマヌケである。
自己嫌悪に一瞬とらわれるが、いまとなってはなりふり構わずでいくしかない。
叫びつづけるのも疲れるものである。小休止を取ることにする。
狭い浴室を点検する。どこかに外へ通じているところはないか。
皆無である。完全な密室だ。浴室の壁を叩く。タイルのため手が痛い。音も反響しない。
やはり扉を殴り蹴りしながら声を出すのがもっとも効果的に思われる。
叫ぶ、疲れる、休むを何度か繰り返す。まったく気づいてもらえない。
またもや便座へ座り込む。とんでもない体験をしているのではないかと思う。
これを書いたらおもしろいものができあがるかもしれない。
ひとり芝居なんてどうだろう。浴室に閉じ込められた人間がどう変わってゆくか。
これはなかなか興味深いテーマではないか。
人間の神秘を解きあかす画期的な芝居になるかもしれない。
いや、現実逃避をしている場合ではない。一刻も早くこの状況から脱出しなければ。
そのためにはやはり外部にわが窮状を訴えるしか道はない。
だが、こんなふうに叫ぶことが、ほんとうに効果があるのだろうか。
山で遭難したときはなるべく体力を温存して救援を待つと聞いたことがある。
わたしもここはひっそりと待つことに専念すべきではないか。
それはちがうと思い改める。ここは山ではない。長春のホテルの浴室だ。
やはりちからのかぎり助けを求めるのが適切だと思われる。
ふたたびドアを叩きながらのヘルプミーを開始する。まったく反応がない。
壁に両手をつきうなだれた姿勢でわたしは神と向き合った。
こんなことを書くと笑われることだろうが、わたしは真剣だった。
もしここから助けられるようなことがあったら、と心中で神へ語りかける。
お酒は……やめられない。もう一度最初からだ
もし救援されたら、そのときは神に感謝して、わたしは生まれ変わりたいと思います。
そうだ、この危機から脱出できるようなことがあったら、やさしくなろう。
真っ当な人間になろう。親切な人間になろう。よりよき人間として生まれ変わろう。
だから、助けてくれ、である。神さま、仏さま、どうかお助けください。
どうしようもない苦境におちいった人間が決まってやる神仏との契約である。
わたしは一心に祈った。大げさなようだが、ここは万事行き届いた日本ではないのだ。
異国でこのような目に遭ったらだれしも心細くなるはずである。
それからどれくらい経ったのだろう。時計がないので時間感覚がおかしくなっている。
わたしは叫び続けていたのだが、向こうでひとが集まっている気配がする。
このときわたしがどれだけうれしかったか。感動したか。ひとのあたたかみを知ったか。
そうだ、いまわたしは困ってるんだ、ここだ、この部屋だ、浴室だ、気づいてくれ!
あらんかぎりの声で救援を求める。
部屋のドアが開けられる音がする。助かったと思った。なみだが出そうになった。
浴室の扉のまえに大勢のひとが集まっているのがうかがえる。
いま開けるといっているのだろう。落ち着いた中国語が耳に入る。
ここからもドアが開くまでにはだいぶ時間を要したのだが、わたしは平気だった。
人間にとっていちばん苦しいのは、だれにも気がついてもらえないことなのかもしれない。
いまの場合のように、だれかほかのひとがわたしの苦しみを知っていると思うと、
意外と苦境にも耐えられるものである。むしろ、苦しみは霧散する。
あとは開くだけだと知っているから、もう悩む必要はないのである。
結局、どのカギをためしても開かず、職人がよばれてドアノブを解体することになった。
扉が開いたとき、5人の中国人がことの成り行きを見守っていた。
わたしは疲れきっていた。バスタオル1枚のすがたで椅子に腰をおろした。
このホテルのマネージャーらしき長身の青年に声をかけられる。
かれの中国語はわからなかったが、わたしを心配してくれていることはわかった。
怒るつもりはまったくなかった。
このうえ怒ったりしたらどんな罰が当たるかと思ったのである。
ホテルの服務員はわたしを気遣って部屋から出てゆく。
下着をはき、あたらしいシャツを着る。時計を見ると11時半だった。
そうとう長い時間に感じたが、わずか2時間のことだったのである。
部屋は10階だった。窓から下を見おろすと変わらぬ長春の往来である。
わたしはおもてへ出た。長春の青い空を見あげる。
自分があの事件のまえとは完全に変わっていることを感じていた。
そして、この生まれ変わりの感覚を、
いっときの錯覚とあざわらう日が近い将来かならず来るだろうことも予感した。
それを食いとめなければならないと思った。
生まれ変わりたい、生まれ変わらなければならない、
そうわたしは5月の長春で決意したのだった。
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