次の日、莫高窟からバスで市街地へ戻るとまっすぐ敦煌料理店へ向かった。
ズイさんとは、昨日のことでお互い気まずい。
「喧嘩はよくあるから。みんなとよく喧嘩をしたね」
そういうと、かれはわたしの知らない日本人の名前をあげた。
「だけど、またビールをのむ。忘れる。楽しい。気にしない。大丈夫」
すでにのんでいるようで顔が赤い。
わたしはめずらしく昼のビールをのんでいなかった。
朝の10時から6時間、莫高窟にいた。昼食をとるひまがなかったのだ。
まずは冷たいビールである。
「つまみは?」と聞かれるが、あとでとお願いする。
厨房からトウさんがすがたを現わす。昨日とはちがいおだやかな顔をしている。
ズイさんに小声でたずねる。
「トウさんと仲直りしたの?」
ナカナオリ? と反復された。「どういう意味?」
このようにズイさんはかんたんな日本語が抜け落ちていることがある。
「仲直りとは、……関係がよくなる。喧嘩する。そのあとに愛してる」
ジェスチャーをまじえ笑いながらそう説明すると、
「仲直り。うん、いい言葉だ」
ズイさんはノートにメモしている。のん兵衛のくせに意外と勉強家なのである。
「ボク、トウさんと仲直りした」
さっそく使っている。
「昨日の晩、トウさん生理だった。だから、フェラチオしてくれた。愛してるって」
仲直りを知らない中国人がとんだ日本語を知っているものである。
わたしはあわてる。
「いいの? トウさん、そこにいるんだよ」
「大丈夫。トウさん、日本語わからない」
あけすけである。
「今度のトウさんとの喧嘩、ほんとうにつらかった。
ふだんはやらないんだけど、店の女の子とやっちゃった。セックスしちゃった。
口止めはしたけれど、トウさんにばれないか心配ね」
経営する風俗店の売春婦と関係をもったというのである。
このおっさんは、なんでこうもオープンなのだろう。警戒心がないというのか。
楽しくなったわたしはその場でビールを2本あけた。
ネットカフェへ行く旨を伝えるとズイさんは不満なようである。
かならず戻ってくるからと説得する。
ブログ「本の山」を更新をしながら思う。
敦煌の莫高窟はこんかいの旅の最終目的地として想定していたところ。
いまそこから帰ってきた。いったいなにを見たというのだろう。
莫高窟は絢爛(けんらん)たる仏教美術で名高い。
だが、そのひとつでも、ほんとうに見たといえるか。
なんでもいい。こころにぐさりと突き刺さるものはあったか。
美しいとさえ、わたしは思わなかった。
すべてが乾いていた。うるおいというものがなかった。
言うまでもないことだが、こちらの不勉強のためである。
生まれつき美術鑑賞能力が乏しいためもあろう。
あるいは、とも思う。大きな勘違いをしていたのかもしれない。
わたしの見たいものは、敦煌莫高窟のようなところには決してないものではないか。
とすると、そもそも期待するのが間違いだったということになる。
敦煌料理店へ戻ると、昨日のヤマグチさんがいる。ご飯を食べている。
かれは会社員で、飛行機を経由して昨日敦煌へ着いたばかり。
聞くと、これから天の川ツアーに参加するようである。
そのまえに腹ごしらえを、というところで、わたしが現われた。
なにを食べているのかたずねると、ロバの煮込みということである。
瞬間、昨日のズイさんとのやりとりを思い出した。そうだ。だからロバなのだ。
「カネがないのなら、旅をしないほうがいい」といわれたわたしは、
なら明日はこの店でいちばん高いものを注文するとやり返したのだった。
ロバが最高値のメニューというわけではない。
だが、どうしてか明日はロバを食うと宣言したのだった。
それを覚えていてズイさんはわざわざロバを仕入れておいてくれたのである。
ひとのよさにうなってしまう。
正直なところ、敦煌料理店を再訪するか朝の段階では迷っていた。
冷静になって考えてみると、やはり厨房をトイレとして使うのはおかしい。
そんなところで作られた料理は食べたくない。
ところが、莫高窟から戻ってくると、ごく自然に敦煌料理店に足は向いた。
そういえばヤマグチさんは知らないのだ。
このロバ料理は、昨晩ズイさんとわたしがさんざん小便をしたところで作られたことを。
「ロバっておいしいんですか」
かれは困ったような顔をする。そばにズイさんもいるのである。
「おいしいですよ」
かなり苦しそうだ。
「これがロバの肉なのかという感動ですね。おいしいです。うん、おいしい」
自分に言い聞かせるようなかれのしゃべりかたで味の想像がつく。
ズイさんのまえには、またもやビール瓶とグラスである。真っ赤な顔をしていう。
「これはね、トウさんが作ったから、おいしいですよ」
敦煌料理店、自慢の料理のようだ。
ヤマグチさんのありがたい助言を参考にして、
わたしは煮込みではなくロバ肉を野菜と炒めてもらうことにする。
それから茄子の冷菜。キュウリの冷菜もいただくことにした。
敦煌最後の晩である。
ヤマグチさんは昨日のわたしとおなじように天の川ツアーに向かった。
ズイさんもちょっとした用事があるとかでトウさんと出て行った。
留守番を頼まれた。ビールなら勝手に冷蔵庫から出してくれとのことである。
ビールをのみながら、することのもないので情報ノートを読みふける。
口がさみしくなると、トウさんお手製の料理をつまむ。
予想にたがわず、そのどれもまずかったが、ビールで流し込めないわけではない。
おそらくこのまずさは、
日本人の口に合う中国料理というものを過剰に意識した結果だと思う。
考えてみると、日本語の情報ノートなるものを熟読したのはこれがはじめてである。
タイ、カンボジア、ベトナムと日本人宿とはほとんど縁がなかった。
ノートはとても楽しいものだった。といっても、内容が楽しいというわけではない。
麻薬の入手方法と、どこがどれだけ安いという話ばかりである。
けれども、酔った目でそれらをながめていると、それもいいのかと思う。
勇気をだして忙しい日本から飛びだしたんだ。
せいぜいだらだらするがいい。麻薬でもなんでも好きなだけやればいい。
長期旅行に個人で出かけるような人間は、日本という国とうまく渡り合えないものが多い。
せめて海外にいるうちは羽を伸ばせばいいじゃないか。
いつか旅にも終わりが来る、その最後の日までは。
情報ノートに書き込むような旅行者は長期のものばかりだ。
短期の旅行であったら、このようなノートになにかを書く時間の余裕などない。
ノートには、いろいろな日本人の旅への思いがつづられていた。
3年かけて世界一周をめざしているもの。
上海からヨーロッパまで自転車で走破しようとしているものいる。
だれもかれも日本では得られないなにものかを求めているのである。
麻薬情報や格安情報の裏側に、そんなかれらの情熱が透けて見えるような思いがした。
せっかく生まれてきたのだから、なにものかを自分の目で見たい。
自分の耳で聞きたい。舌で味わいたい。身体全体で体験したい。
けれども、旅をしたからといってなにかが得られるとは限らない。
たいがいはなにも獲得できないことを確認する旅になることであろう。
いや、そんなことは旅立つまえからみんなうすうす気がついているのである。
それでも、どうしようもなく旅をしたい。日本を離れたい。
中国語で話しかけられる。顔をあげると、青年が店内をのぞいている。
「不明白。我是日本人」と答えると、かれの顔に笑みが広がった。
「なんだ日本人ですか。この店のひとかと思ったや」
ひと懐っこい笑顔である。まあまあ、とわたしはビールをすすめる。
話し相手ができたという気分である。
聞くと、かれは中国の広州で働いているカワハラさん。
黄金週間を利用して敦煌へ観光に来た。
年齢をたずねると、わたしとおない年であった。
そこにズイさんが戻ってくる。
カワハラさんは、中国語で話しかける。しばらくふたりは中国語で話していた。
まったく意味がわからない。ズイさんが厨房に入ってから内容をたずねると、
自分はベトナム人だと自己紹介したという。茶目っ気たっぷりに笑う。
日本人とばれないか実験をしたとのことである。
その声を聞きつけたズイさんが、やっぱりと厨房から出てくる。
「この店に入ってくる時点で、日本人と思って間違いない。
看板が日本語ですからね」
それから3人でビールをのみながらいろいろと話した。
カワハラさんは、広州で2年前現地の女性と国際結婚したという。
いまはふしぎな別居生活を送っている。
かれは奥さんの実家に住んで、そこから会社へ通っている。
いっぽうの奥さんは日本にいるという。それもカワハラさんの実家である。
日本語を勉強しているらしい。
ズイさんが先輩風をふかせてカワハラさんへいう。
「中国の女性は厳しいでしょう。最初はやさしい。びっくりするくらい、やさしい。
だけど、結婚をしたらがらりと変わる。急に厳しくなる」
「そんなことはない」とカワハラさんは反論する。
「ぼくの場合、最初から気が強かったですよ。日本人の子とは比較にならないくらい」
中国に住んでいる日本人ならわかるかもしれない。
長いあいだ疑問に思っていたことをカワハラさんに質問してみる。
いままで幾人か日本語のわかる中国人におなじことを問うたが、
だれも答えてくれなかった。
「あれはなんなのですか。中国人って、日本人を見るとミシミシっていうでしょう。
わたしが日本人だとわかると、ミシミシといいながら笑う。
なんとなくバカにされているのはわかるんです。けれども、どういう意味かはわからない」
これを聞くとカワハラさんは大笑いした。
「ミシミシとバカヤローは中国人ならだれでも知っている日本語なんです」
「え、あれは日本語だったんですか」
なんでもミシミシとは、日本語のメシメシがなまっているということである。
メシメシが中国人の耳にはミシミシと聞こえる。
中国では毎日のように抗日ドラマがテレビで放送されている。
日中戦争時代を背景にした、人民の愛国心を発揚するための戦争ドラマだ。
このドラマに登場する日本兵が、食事のときに決まって「メシ、メシ!」と怒鳴るらしい。
さらに日本兵は中国人民を「バカヤロー」と不当に叱りつける。
この結果、「ミシミシ」と「バカヤロー」が人民周知の日本語となった。
いわれてみれば、ミシミシと笑われるのは安食堂の店員からであった。
かれらからしてみれば食事を取るわたしのすがたは、まさにミシミシであったのだろう。
カワハラさんも奥さんのお母さんからいまだにいわれるという。
「食事の用意ができるでしょう。すると、ミシミシって呼びにくるんです」
今度はわたしが笑う番だった。「けど、むかつきませんか?」
「もう馴れちゃいましたよ。それに抗日ドラマ、あれは日本の時代劇みたいなものですから。
水戸黄門みたいに、毎回のように中国人民が日本兵を打ち負かします」
天の川ツアーからヤマグチさんが戻ってくると、
入れ替わるようにカワハラさんは去っていった。
「ぼく、ひどく汚い招待所へ泊まっているんです。1泊30元。
現地採用だから給料、安くって」
それからもズイさん、ヤマグチさん、わたしの3人でビールをのみつづけた。
今日は天気がよく星空がよく見えたとヤマグチさんがいう。
かれはアルコールがまったくダメらしいが、今日のような日はのみたくなるらしい。
ズイさんがわたしに釘を刺す。
「今日は遅くまではダメよ。トウさんが待っているから」
ヤマグチさんが笑いながら請け負う。
「おなじホテルだからいっしょに帰りますよ。ぼくがひっぱってゆきます」
すっかりわたしののん兵衛が知れ渡っているようである。
苦笑するしかない。それにしてもふしぎである。
旅先で出会うとどうしてこんなにかんたんに見知らぬひと同士が打ち解けてしまうのだろう。
これこそズイさんのまれに見る人徳のなせる業なのかもしれない。
「つぎでほんとうに最後の1本」をわたしが1回、ズイさんが1回やって、
この日の酒宴はお開きとなった。
ヤマグチさんがことさらわたしを心配してくれているのがおかしい。
見ると、よほど酒に弱いのか。かれのほうがふらふらしている。
われわれはズイさんに別れを告げ莫高賓館までの道を歩く。
突然、ヤマグチさんがうっとりしたような声でいう。
「やっぱ旅はいいな。ほんの数日前まで日本にいたなんて信じられないや。
いま敦煌にいるんだ。ぼくは敦煌にいる。
いろんなひとに会えて、お酒をのんで、敦煌へ来てよかった。
日本でたいへんだったけど、来てよかった」
同感だった。北京や上海なら、こういう大仰な物言いは似つかわしくない。
しかし、シルクロードの要所、東西文明の交差点たる敦煌でなら許されるような気がする。
むしろ、ふさわしいのではないか。
敦煌は壮大な感動をもって語られる地でなければならない。
「わたしも」といった。
「わたしも敦煌へ来てよかった。いまあの敦煌にいるなんて信じられない」
ふたりの酔っぱらいはホテルの廊下で手を振って別れた。
翌朝、バックパックを背負いホテルをチェックアウトすると敦煌料理店へ向かった。
店内をのぞくと、ちょうどズイさんが厨房から出てくるとこだった。
「じゃあな!」とわたしは元気よくいった。
「おう!」とズイさんは右手をあげた。はじめて見る酒の抜けた顔だった。
バスターミナルまで歩く。敦煌へ来てしまったのだ。もう帰るしかないとふっ切れる。
今日は嘉峪関へ行く、あさってには北京へ行く、と自分に言い聞かせる。
動きはじめたバスは敦煌料理店のまえを通過する。
窓から見下ろしたが店内にはだれもいなかった――。
以上で敦煌料理店の話はおしまいである。
帰国してからもう半年である。いまさらながらこれを書くきっかけとなったのは、
敦煌料理店が今年いっぱいで閉店することを知ったことである。
「バックパッカー相手の店はもうからない」とズイさんが述懐していたという話が、
12月2日付けのあるブログの記事として紹介されていた。
「だから、今年いっぱいで店を閉める」ということである。
閉店するのなら書いてもいいかと思った。むしろ、書くべきではないかとも思った。
かつて敦煌にはすばらしい食堂があった。
多くの日本人がその店で夜を徹して酒をのんだ。笑った。
見知らぬ日本人旅行者同士でも、ズイさんが中心にいることで、みんな仲良くなれた。
ネットで検索すると、ズイさんの記事がたくさん出てくる。
すべて読んだが、だれひとりとしてこの中国人のことを悪くいう旅行者はいなかった。
2002年3月から営業を開始した敦煌料理店は2007年暮れに閉店する。
もう日本人が敦煌へ行っても、あののん兵衛と乾杯することはできないのである。
いまとなってはズイさんが厨房で小便をしたことや、
裏で風俗店を経営していたことは笑い話であろう。
酒豪、性豪の善人であるズイさんを知るひとは、さもありなんとふきだすに相違ない。
もし敦煌料理店がつづいていたら営業妨害になったこの種の話も、いまや時効だと思う。
それでもなおズイさんのプライバシーを配慮して名前を漢字表記にしていない。
ズイさんの名前で検索してもこの記事は出てこないということである。
ふと思い出したのだが、こんな会話をズイさんと交わした記憶がある。
「40になったらビールをやめるんでしょ」
「ぜったいやめます」とズイさんはいった。
「いつ40になるの?」
この回答が、たぶん12月だった。
あんがいズイさんは公約どおりに酒をやめるのかもしれない。
店を閉じたズイさんが北京へ行って英語を勉強するといううわさをネット上で見つけた。
敦煌料理店の元主人の再出発に、海を隔てた日本からエールを送りたいと思う。
そして、お世話になった無数の日本人を代表して感謝したい。
ズイさん、お疲れさまでした。いままでありがとうございました、と。
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