「花と波濤」

「花と波濤」(井上靖/講談社文庫)絶版

→昭和28年「婦人生活」に連載されたもの。
昭和28年といえば井上靖と愛人の白神喜美子の関係が悪化してきたころである。
いままで井上靖の小説を読んでも正体がつかめぬような得体の知れなさがあったが、
元愛人の暴露本「花過ぎ」を読んだからか、この小説の骨組みがはっきり見える。
すべての小説家がそうだとは断言できないが、
少なくとも井上靖は顔の見える少数の近辺者のために小説を書いていたのではないか。
この小説からも愛人の白神喜美子へのメッセージと見受けられるところが散見する。

恋人の画家に苦情をいう女――。

「純粋でない人は嫌い! お仕事も、愛情も純粋であってほしいのです。
有名にならなくても、食べられなくてもいいじゃあありませんか」(P133)


これは井上靖が小説執筆時に愛人から言われていたことである(笑)。
多作をする井上靖を白神喜美子はこころよく思っていなかった。
見たこと聞いたことすべてを書かなければ井上靖のような多作はできないのである。

この小説のヒロインの独白――。

「人間と人間の結びつきというものの、
持っている哀しさのために、自分は泣いたのだ」
そう、ゆっくり一語一語、口から出して言った。
自分も真崎も朱美も義之も、哀しいといえばみんな哀しいと思った。
人間というものが、みんな哀しいと思った。みんな悪い人間ではない。
一生懸命生きようとしている。
それでいてその組合せが、なかなかうまく行かないのだ」(P221)


これなどは明白な伝言である。妻子ある井上靖が愛人に小説で弁明しているわけだ。
僕たちの関係はどうしようもないね、と愛人を慰めているのである。
井上靖は決して空想で小説を書いた作家などではない。
かれの小説にはどれも元手がかかっているのである。
傷つけあい流れた血で文字を書いているといったらいささか大げさかもしれないが。
井上靖の小説は無数の読者に向けられたものではなかったのではないか。
特定のだれかに宛てて書かれたものであったと考えると、
そのとき井上靖の膨大な作品群は動揺を見せるのだろうか。

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