「花過ぎ 井上靖覚え書」(白神喜美子/紅書房)絶版
→井上靖の元愛人による暴露本。井上靖の死後2年を経て上梓された。
職業作家の手によるものではないから、稚拙な表現も少なくなく、
事実関係が読みとりにくいところもあるが、それでもこの本はすばらしいと思う。
書かなければならなかったという著者の熱意に読後、なみだを禁じえなかった。
自分を捨てた井上靖への憎悪からのみ書かれているわけではない。
いまだに井上靖に愛情を持っていることは随所からうかがえる。
しかし、現実はままならぬ。どうにもならなかった。
井上靖への著者の執着、怨念には真実のものがある。
井上靖という人間を知りたいならば、大学の先生が書いた論考の100に目を通すより、
この1冊を読んだほうがよほどためになる。
井上靖で卒業論文を書こうと思っている大学生は、
かならずこの「花過ぎ」を読まなくてはならない。
むろん、学術論文に使える箇所があるかといったら、おそらくないのだろう。
けれども、あなたは卒業論文を仕上げたいだけなのか。
井上靖という人間の持っているものを見たくはありませんか。
学問研究なんかで文豪が理解できるはずがないんだ。
たしかに学問研究という見地からいえば、これはあくまでも元愛人の一方的な告発で、
それも愛憎がもつれているから、事実かどうかを逐一調査しないとならないのだろう。
しかし、いまとなってはもう調べようがないことばかりである。
したがって無視するというのが学問なら、そんなものは犬に食わせろだ。
わたしは本書に井上靖のある面での真実が描かれていることを疑わない。
なぜなら事実よりも真実を重んじるのが文学ではなかったか。
おまえもか、井上靖よ、である。
本書の著者、白神喜美子は16年にわたって井上靖の愛人であった。
昭和20年から36年までのあいだである。
井上靖は38歳のとき白神喜美子を愛人として、54歳のときに手切れ金を払い捨てた。
38歳の井上靖はいまだなにものでもなかった。無名の新聞記者に過ぎなかった。
妻がいた。子どもも3人いた。戦後の混乱期だった。
井上靖は文学への情熱をたぎらしていた。
無名の詩人でもあった井上靖が11年ぶりに小説「闘牛」を執筆するのは、
この5歳年下の愛人を作ってから1年後のことである。愛人は雑誌記者で独身だった。
どういうことか。井上靖は小説を書くために文芸の女神、ミューズを必要としたのである。
妻子の顔を見ていても小説は生まれなかった。井上靖は創造の女神を欲した。
ふたりの関係はこういうものだったという。
井上靖が書こうと思っている小説の筋を白神喜美子に夢中で話す。
愛人は聞くだけだった。
人間はいろいろな動機で小説を書くものだが、
井上靖は愛する女性に読ませるために小説を書いたのである。
小説をふくむ文芸の原初のかたちは話すことではなかったか。
こんなおもしろいことがあったと話す。話すためには聞き手がいなければならない。
ただ聞けばいいというのではない。聞き手の耳がよければそれだけ話はうまくなる。
熱心に聞いてくれるものの存在が語り手を饒舌にするのである。
井上靖と白神喜美子。ふたりはこういう関係であった。
(余談だが、村上春樹も書いた小説をまず奥さんに読ませることで知られている)
井上靖は著者にこう言ったという。愛人の存在が妻のふみにばれた数日後である。
「僕はね、一生家族を偽っても君を連れていく覚悟をした。
家庭は毀(こわせ)せないが、君は必要だ。僕に仕事をさせてくれる。
この愛情を育てていったなら、見事な華が咲くと思う」
ここで言葉をきり、しばらく考えてから、
「そりゃあね。世間から見れば、君は僕のために犠牲になったと見られる。
しかし、果して犠牲か、どうか、人間死ぬるときでないと解らない」
こう言って、(井上靖は)まともに視線を私に向けた。
東京転勤を実現し、必ず一家揃って住む、私とは別れたと、
ふみさんを納得させ、家族を伊豆の湯ヶ島へ発たせたのは、
昭和二十二年の夏であった」(P38)
井上靖が「闘牛」の初稿を書き上げたのは昭和22年の3月。
紆余曲折を経てこの小説が雑誌「文学界」に発表されるのは執筆から2年後。
翌年の昭和25年、42歳の井上靖は「闘牛」で第22回芥川賞を受賞する。
このとき井上靖は作家として生きていくことを決めるのである。
うがった見かたをしてみよう。
38歳の井上靖は新聞記者であった。夫であった。父であった。しかし作家ではなかった。
井上靖を唯一作家として、文士として、
一目も二目も置いてくれたのが白神喜美子ではなかったか。
ただひとり井上靖を小説家として応援してくれたのがこの愛人ではなかったか。
井上靖の小説はぜんぶモデルがあるという。
身の回りの人間が話してくれたことを聞き、
おもしろそうなのをふくらませて小説に仕立てあげていたということである。
自己申告だが、なかでも白神喜美子が話したものを小説にすることが多かったという。
評論家筋から評価の高い「三ノ宮炎上」のモデルも白神喜美子の職場の同僚だった。
井上靖がどうしてこうも多作できるのかわからなかったが、
すべては耳から書いていたようである。耳で聞いた話を小説にした。
そのときかならずといっていいほど愛人に筋を話しながら小説の構成を決めていた。
井上靖は耳で聞いた話をまず脳で濾過(ろか)する。
残ったものを(たとえば愛人へ向けて)口から吐き出しながら小説としてまとめる。
これが井上靖の小説作法だったようである。
まさか文芸誌の対談で、小説作法を問われて、愛人とのおしゃべりとは答えられまい。
作家が小説を生み出す過程には、とんでもない秘密があるものだと感心する。
白神喜美子はこんな裏話を書いている。
「(著者が)彼(=井上靖)に最後に言った苦言は、
昭和二十八年十二月「文藝春秋」に「湖上の兎」を書いたときである。
この作は私の友人から、その知人のことを聞き、彼に話したことを書いたのである。
が、あまりにも、話したままに書かれていたので、
友人は知人の会社の人達から批難されたと聞き、私は友人に詫びた。
このことを彼に告げると、
「お茶でもご馳走しとけ」
であった。せめて一言、「すまなかった」と言ってほしかった。私も思わず、
「貴方のよいところは無名時代に出てしまって、
いま残っているのは才能と滓だけよ」
と言ってしまった。かつてない批難に、彼も嫌な表情で、
「その見かたは面白いね」
と言ったが、内心の不快感は全身に出ていた。
茨木、島津山の頃は苦言も素直に受け、ケンカも尾をひかなかった。
それができなくなったのは、互いの間に暗い影がさしつつあったのだろう」(P131)
昭和28年といえば井上靖はすでに流行作家である。
かれを小説家としてもてはやすのは、いまや白神喜美子ひとりではない。
ふたりの関係が疎遠になるのは必然だったのかもしれない。
昭和31年、白神喜美子は井上靖との距離感をことさら感じるようになる。
このころ井上靖の仕事が(現代小説ではなく)歴史小説に偏るのは果たして偶然なのか。
著者が井上靖と最後に会ったのは昭和36年。
手切れ金の200万円は当時、どのくらいの金銭価値を持っていたのだろう。
「彼(=井上靖)は別れに際し、
「十年たったら必ず君のことを書く。そうしたら、
こんなにまで自分を思ってくれていたのだろうかと分かってくれるだろう」
と言った。その日、彼の眼に涙を見た。
が、亡くなるまで私たちのことは記さずに終った」(P161)
だから、本書「花過ぎ 井上靖覚え書」を書いたと白神喜美子は言うのだろう。
井上靖といえば日本の文学者のなかでも頂点に登りつめたもののひとりである。
著者は自分に秘密で井上靖が軽井沢に別荘を建てたことを本書で嘆いていたが、
収入だけではない。ノーベル賞こそ逃したが、およそあらゆる文学賞を受賞している。
昭和51年文化勲章受賞。昭和63年には歌会始に招待されている。
ひとりの人間が成功するには犠牲になるものがいなければならない。
この言ってみれば当たり前の事実に人生の非情な重みを感じる。
わたしは愛人を捨てた井上靖を批難するつもりはない。悪いとも思わない。
井上靖は芸術家であったということである。
なによりも自分の書く文学作品が重要だったということだ。
創作よりも重視するものは井上靖にはなかった。
創作に使えるものがあれば、なんだって利用したということである。
やわな人間なら恨まれるのを恐れて為しえないことを井上靖が行なったのは、
この作家の心中に文学という神がいたからである。
女を捨てた、他人を決定的に傷つけた、という悔恨ですら文学者は創作に用いてしまう。
人間・井上靖なら裁けよう。だが、文学者・井上靖を断罪することはだれにもできぬ。
本書であきらかにされた「書かれなかった物語」こそ、
新聞記者・井上靖を日本を代表する文豪たらしめた秘密であったように思う。
以上で本論を終わる。これから書くのはこの本で知った井上靖のエピソード。
絶版だから本屋に行けば買えるというものではない。
このように紹介するのも多少の意味はあると思っている。
井上靖の下半身。
白神喜美子とつきあうまえ、井上靖は年上のT夫人と愛人関係にあったらしい。
T夫人は、エキセントリックな感性と才気を持った、恵まれた環境の人妻。
このT夫人から贈られた短歌を井上靖は小説「猟銃」で使用したということである。
それから白神喜美子と交際中にもかかわらず、
知り合いの女学生Aを仕事部屋に連れ込んだことがあった。
Aは胸を病んでおり、井上靖とのただ一度の逢瀬を華に、薄命で散ったそうだ。
最後に井上靖の言葉を本書からいくつか引用する。
「その言葉を言った前後のことは思い出せないが、
(井上靖は)きびしい表情で一点を見つめ、突然、
「金だ」
と言ったのが、焼きつけられたように、いまも私の脳裡から消えないでいる」(P135)
「(井上靖は)芥川賞をとり、作家への念願を果したとき、
「小説家になるには、才能と努力と運だ」と言った」(P74)
(井上靖は妻のことで白神喜美子との関係が気まずくなったときこう言ったという)
「言っておくがね。僕には家庭があるのだから、
僕を独占しようと思ってはいけないよ。
その代り、僕は文学に命をかけている。それを君にやる。
僕の書く小説が君と僕の子供なのだ。
女って、座を取ることにばかり嫉妬して、なぜ心に嫉妬しないのだろう。
いくら一緒に暮らしていても、心がそこになかったら、つまらないじゃあないか」(P41)
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