「揺れる耳飾り」

「揺れる耳飾り」(井上靖/文春文庫)絶版

→30を過ぎて思う。小説ってなんのために存在するのか。
気休めではありませんか。味気ない現実を一瞬でもいいから忘れたい。
だから、ひとは小説など読むと思うのですが、どんなもんでしょうか。
現代文学の冒険とか、言葉の革命なんて、どうだっていいんです。関係ない。
そんなもんは幸福すぎて退屈なひとのあいだでひっそりやってくださいな。
いまさら文学を読んで人生が変わるなんざ思っていません。
30を過ぎれば、人間みんなそうではありませんか。
読むのに労力を要する、有閑作家のマスターベーションなどごめんこうむりたい。
だから、井上靖なのです。
井上靖は戦後の荒廃した世相を背景に、それでも清冽とした小説を発表しつづけた。
きたない世の中できれいなものを描いたのが井上靖であります。
きれいな世界、いいじゃないの。
現実がきたないなんて、いまさら当たり前すぎて、
わざわざ小説家の先生から教えていただくものではない。
平成にもなって、いまだに井上靖の小説を読む理由です。
「揺れる耳飾り」は失恋小説。
物語の最後で一組のカップルが誕生する。
この結ばれた男女それぞれに片想いしていた男女がいる。
加納とヒミコ(すまん、原文の漢字をパソコンで出せない)である。
ふたりはそれぞれの失恋を体験して電車に乗る。かれらの別れるところがいい。

「電車は横浜駅に停車するために速度を落した。
ヒミコは立ち上がって網棚からスーツ・ケースを降ろした。
「わたし、次で降ります。ここで別れてしまった方がいいでしょう」
加納は一瞬驚いたらしかったが、
すぐヒミコが家に帰るには横浜から東横線に乗換えた方が近いことを悟ると、
「よし」
加納は握手をするために手を出した。ヒミコがそれを軽く握ると、
「俺は家へ帰って蒲団をかぶって寝る」
「わたしは起きてる」
「それは各人の自由だ」
「じゃ、お気をつけて」
ヒミコは荷物を持って座席を離れた」(P225)


いいとは思いませんかね。
失恋した若者がふたり、男女です。握手をして別れる。きれいじゃありませんか。
失恋したから蒲団をかぶって眠る青年というのもたいへんよろしい。
若者らしい潔癖にあふれている。
現実にはこんなことはないって、それは当たり前。そもそも時代が違う。
いえ、当時もこんなきれいな失恋は少なかったことでしょう。
にもかかわらず、ではなく、だから、井上靖はきれいな失恋を描いた。
これを甘いだのなんだのと愚弄する男女はうらやましいがきりです。
今現在よほどめぐまれた立場におられるようだから。
現代のハイソ(死語!)な若い女性様は男を見るとかれの生涯年収を計算するという。
なんとも頼もしいかぎりだと思う。
けれども、そんな女性が登場する小説は読みたくないのです。

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