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「浄土三部経」

「浄土三部経」(本願寺出版社)

→浄土三部経は、無量寿経・観無量寿経・阿弥陀経からなる。
大乗仏教経典。日本の浄土宗系統の教団が重んじている経典である。
この3つのお経を浄土三部経と名づけたのは法然である。
まあ、見てのとおりでお経だ。すなわち、釈尊の教えが書かれた聖なる書物。
釈尊ちゅうお偉い聖者さんが、あーだ、こーだと世界を解きあかし、
せやから、あーせい、こーせいと説教してくれはんのがすべての仏教経典である。
むずかしく考えることはない。お経だからといって正座して読むことはない。
年代によって知らないひともいるだろうけれども、
いまは大学受験の参考書に「実況中継シリーズ」というのがあるでしょう。
カリスマ予備校講師の講義を口語体で参考書のかたちにしたもの。
あれの先生が釈尊だと考えてもらえればよろしい。仏教経典は講義形式の参考書である。

どんなありがたい教えを説いてくれているのかごく簡単に要約する。
無量寿経は釈尊が阿弥陀仏について説明している。
この阿弥陀仏ってやつは、もともとは法蔵菩薩といったんだが、どえらい出世をしてな。
こいつはいま西方に大国を持っている。阿弥陀仏の国はいいでえ。ありゃ天国や。
みんな行きたいでっしゃろ? しかし、生きているあいだは行けまへん。
死後だ。死後どうしたら阿弥陀仏の国に生まれ変われるかを我輩が教えてしんぜよう。
というのが無量寿経である。浄土三部経のなかでいちばん長い。
現代語訳でも読むのはそうとうしんどい。決しておすすめしない。

ふたつめの観無量寿経。これも乱暴にいってしまえば無量寿経とおんなじ。
説いているシチュエーションがちょっとばかし異なる。
むかしむかしインドでかわいそうな夫人がいましたとさ。
この国では息子が反逆して王たる父親を幽閉してしまった。
代わりにじぶんが王になるためである。で、その新王は母をも牢獄に閉じ込める。
このお母さん、不幸ですよね。現実に救いなんてないわけだ。
どないしたらええのんお釈迦様~とSOSを送ったら釈尊が登場する。
待ってました。不幸なひとはどこにいますか。釈尊がおうかがいします。
こんな感じだな。釈尊がこの夫人に説いた教えが観無量寿経である。
内容は、この世はもうあきらめて、極楽浄土へ生まれ変わるのはいかが?
そのために必要なのは観仏三昧。こころに仏さまのイメージをたえず浮かべましょう。
目をつむってください。いまから阿弥陀仏と極楽浄土の様子を話しますから。
ゆっくりそれをイメージしてください。これが修行になる。
まあ空腹の人間に、ビフテキを食べているシーンを想像させるようなもんだ。
これで味気ない現実を乗り切れというわけである。

みっつめは阿弥陀経。とにかく短い。
これはガイドブックだ。トラベルリポーターはわれらがアイドルの釈尊先生。
阿弥陀仏のいる極楽世界は、どれだけすばらしいかを延々と説明している。
行きたいだろう。行きたいよな。これがおまえはラッキーなんだ。
おめでとうございます。あなたは当選しました。
極楽世界行きのチケットを特別にプレゼントさせていただきます。
こんな具合だ。詐欺じゃないかと疑うのはまだまだ修行が足らない。
疑うぐらいではダメだといいたいのだ。詐欺だと断定しなければならない。
釈尊とかいうインド人は、ひでえ詐欺をやるもんだ。
ここからあとはあなたしだいだ。詐欺と知りつつあえてだまされる自由が人間にはある。
現代の詐欺商法被害者も、詐欺だとわかるまでは幸せだったのでしょう。
じぶんだけ得をしているというおかしな優越感さえあったはずである。
重要なのは、だまされるのは決して不幸ではないということである。
もしだよ、お聞きなさい。
もし最後まで(つまり死ぬまでだな)詐欺だとわからなかったら、
これは最高の幸福じゃないか。
ピーンポーン。ドアを開けるとセールスマン。名刺には釈尊と書いてある。
「阿弥陀仏の住まう極楽浄土行きのチケットはいりませんか」
それから釈尊は、かの極楽世界がどれだけすばらしいかを述べる。セールストークだな。
買いますか。買いませんか。
いいえ、お代はいただきません。こころの隅をちょっとお借りするだけです。

以上が浄土三部経のキチガイ要約である。
これで法華経、浄土三部経と、いわゆる大乗経典を軽く味わったわけだが、
小乗経典(原始仏典)とのあいだに明確な相違があるように思う。
(といっても、小乗仏典で既読なのは「スッタニパータ」くらい)
周知のとおり、小乗仏典のほうが釈尊の教説に近いのだが、
小乗で説かれるお釈迦様は地方高校の老先生といったおもむきがある。
決して派手な授業などしない。(人間の)基本をみっちりやる。
生徒から難解な質問をされたら(「死とはなにか?」)正直にわからないと答える。
生徒指導も厳しい。校則を守れとうるさくいうところがある。
このためクラスの全員から人気があるというわけではない。
おおむね優等生には人気があるようである。
ある一定のレベルに達していないとこの先生の良さはわからないのだ。
小乗先生は、まじめにこつこつやりなさい、というだけである。
だからといって、かならず東大に入れるとも約束はしない。
教えかたは凡庸だが、生徒相談において実力を発揮する先生でもある。
どんなケースでも、生徒の話をこれでもかとよく聞いてやる。
苦悩者は説教など求めていないのである。
ただ、じぶんの話をだれかに聞いてもらいたいのだ。
良いとか悪いといった価値判断を抜きに話を聞いてもらうことで励まされることがある。
老先生はこういった人情の機微を熟知しているのである。
したがって、説教自体はありきたりなものになるが、それでいいのである。
こうして生徒は立ち直っていく。

いっぽうの大乗仏典で描かれる釈尊はどうか。
こちらはバリバリの若手予備校講師といった風貌がある。
カリスマのあるスター講師である。
「おれを信じてついてこい。かならず全員を東大に合格させてやる」
こんな大言壮語を恥ずかしげもなく言い放つ。
小乗先生が小さな教室で授業をしていたのとは対照的に、
こちらの大乗先生は大教室でど派手な講義を展開する。
かれの講義は衛星中継で日本中に放送されるのである。
予備校講師が生徒を退屈させてはいけない。
したがって教壇で歌うわ踊るわの大騒ぎである(=大乗仏典のギンギラギン趣味)。
生徒からの人気は桁違いである。
だれでもかれを信じてついていけば東大へ入れるというのだから
人気が出ないほうがおかしい。
「みんな受かる。ぜったい受かる。おれの言ったとおりに勉強すればみんな合格だ」
高校ではなく予備校だから校則といったようなものはない。
どんな生徒でもおカネを払えば入れるのである。
服装も髪型も自由である。学生服(袈裟)を着る必要も丸刈り(坊主)の強要もない。
大乗先生は生徒数が多いため個別の生徒指導をする時間はない。
とにかく生徒をひとりでも多く合格(成仏)させるのがかれの務めである。
大乗先生は小乗先生を目のかたきにしている。
「もとから優秀な生徒を合格させるなんてだれにでもできる。
おれはね、どんな落第生のポンコツも合格させてやるんだから。
あんな老いぼれと一緒にされたら困るってもんだ」
小乗先生はこんな批判をまったく気にしない。
「あんな受験テクニックは学問(仏法)ではない」

最後に浄土三部経の感想を述べる。
おいおい、いくらなんでも、聖典の感想文はないだろうと思われるかもしれないが、
わたしはキチガイだからなにものをも恐れはしない。
いちばんおもしろかったのは、無量寿経の底流としてある差別意識である。
本文から引用してもいいのだが、いくら現代語訳とはいえ、読みやすいものではない。
よって、わたしがリライトする。
該当ページを記すので、ウソだと思ったら原文を参照してください。
こんなことが書いてある(112~114ページ)。
君主や貴族として生まれるのは前世で善い行ないをしたからである。
身体障害を持って生まれるのは前世で悪業のかぎりを尽くした結果だ。
汚らわしい女性として生まれたのも前世でよくよく悪い行ないをしたのだろう。
一生貧しい生活を送らざるをえないのも前世で盗人かなにかであったのが原因。
ならば、もろもろ人間は現世でなにをできるか。善行に努めることである。
この世で善い行ないをしたらかならず来世で報われる。
いくら現世で金持だろうが善事を積まなければ来世では餓鬼に生まれ変わる。
たとえ現世では乞食であろうが、現世で積善すれば来世では良い生まれになる。
では善を為すとはなにか。阿弥陀仏を信仰することである、となる(笑)。

これだけでもなかなかおもしろいのだが、もっと笑わせてくれるのは、
本願寺出版社による訳注である(236ページ)。
恐れ多くも本願寺出版社さんは仏典を否定しているのだ。
いわく、無量寿経はコジキ、メクラ、カタワ、エタヒニン、オンナを差別している。
これは不幸の原因を個人(の前世)に帰するもので、
支配者の封建制度維持の目的で利用された。
このような宿命論は、社会変革の欲望を抑止しているに過ぎない。
本来、釈尊は全人類の平等を説いている。我われ仏教徒はこのことを忘れてはいけない。
とかなんとか(大笑い)。

偽善的だよな。女性様や身体障害者様から嫌われるのを恐れているわけだ。
いまは強くなったからね、ご両人(部落様のことは関東出身だからよく知らない)。
しかし、思うわけである。薬というのは毒なのである。
毒にもならないようなものは、そもそも薬としての効能もない。
この強烈な差別意識、宿命論という毒があってはじめて
無量寿経は薬になったのではないか。毒抜きなどしてはいけない。
たとえば両足がないひとがいる。
日本でなら少しは待遇がいいのだろうがインドや中国では乞食をするほかない。
この乞食さんが仏僧に会った。聞く。
「どうしてこんな不幸な目に遭わなければならないのでしょう」
ここで僧侶がどう答えるかである。
「人間はそもそも平等で、だからあなたも金持も平等なんです。
あなたが不幸なのは社会が悪いからです。社会を変革しましょう」
こんな回答はいささかも人間を救いはしないと思う。空念仏だ。
無量寿経の正しい教えはこうである。
「辛いだろう。さぞかし辛いと思う。苦しいだろう。
仕方がないんだ。これも前世の報いなんだ。あきらめるほかない。
かといって、ぜんぜん希望がないわけではない。来世がある。
この辛い現世を乗り越えたらきっと来世では報われる。
もっともすばらしい来世が、阿弥陀仏の極楽浄土だ。あそこはいいぞう。
おまえさんもかならず来世では極楽浄土に生まれ変わる。阿弥陀仏を信じなさい。

南無阿弥陀仏だよ」

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