「図説 敦煌」

「図説 敦煌」(大橋一章/河出書房新社)

→敦煌の莫高窟(ばっこうくつ)はいちおう見たけれども、
なにひとつ記憶に残っていない。どの仏画・仏像もこころに痕跡を残さなかった。
けれども、ブログに旅行記を書いているので、さすがにこれではまずい。
というわけで、この写真集を買ったしだいである。
旅行記ではウソをつくだろうから、ここでは本音を。
仏画・仏像を見てなにが楽しいのかまるでわからない。
きれいだとも思わないし、こころが洗われるような感動もない。
この写真集で一度見たであろうものを見直したが感想は変わらない。
年齢の問題かな。まだ熟していないのかもしれない。

本書から知りえたことを列記する。
敦煌は国際仏教都市。西方文化のアンテナ都市であった。
中国の仏教受容に時間がかかったのは、この国が高度な文明を持っていたから。
黄河文明である。地理的状況も黄河文明とインダス文明を分け隔てた。
あちらはあちら、こっちはこっち。お互い双方の文化を必要としていなかった。
自国の文明で満足していた。
けれども、日本は仏教を急速に、それも丸ごと受容した。
これは日本の文化水準が中国に比して圧倒的に低かったためである。
そもそも文字すらなかったのだ。
日本の仏教は文字から建築まで中国のものをそのまま輸入した。
一方で中国仏教の建築物はインドのものとまったく異なる。
インド仏教はそうとう妥協して中国へ取り入った。
というのも中国文化は現実的傾向が強い。インド文化は空想的。
莫高窟の壁画には仏教とは縁のない中国思想がおおっぴらに描かれている。
この妥協性こそ仏教の特徴である。なんでも取り入れてしまう。
著者によれば、日本人の定見のなさ、融通無碍の精神構造は仏教思想から醸成された。
もとをたどれば仏教はインドの思想宗教のなかで有力なものではなかった。
ヒンドゥー教、ジャイナ教と比べるとはるかにマイナー(ほんとかな?)。
ところが仏教のみが国外に浸透したのである。
(おい、ヒンドゥー教は仏教にまぎれて日本へ来てるぞ!)

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