昆明であそぶ

朝起きて、外へ出てみる。昨日は暗くてわからなかったが、うーん、中国である。
眼前にそびえる巨大な昆明駅。うごめく無数の人民たち――。
人民、人民と歌いながら踊りたくなる。
中国でよくつぶやいたのは「人民め!」である。ひとり言。
中国人の厚顔無恥ぶりに辟易すると、かれらは人間ではないとおのれを慰めたものだ。
かれらは人間ではなく、人民なのだから仕方がないではないか。
昆明の朝は寒い。さあて朝食をどうするか。
招待所の横に位置する食堂がなかなか流行っているようである。
よし、食らおう。中華を食い尽くしてやる。

みなとおなじものを頼む。指さし、うなづくのみ。言葉はいらないのだ。
食べてみたら、あらら、これは坦々麺じゃあーりませんか。
日本を離れて2ヶ月。久しぶりの坦々麺である。
からいが、うまいが、しかし、だがな、いまは朝だぞ、モーニング。
なんで朝っぱらから中国人は坦々麺なんて食べられるのか。
見ると、坦々麺をすするのは、決して裕福とはいえない格好をした中国人ばかり。
ふうむ。そういうことかと納得する。坦々麺、4元(60円)なり。美味。
吐く息が白くなるほどの寒い中国の朝、熱くてからい坦々麺をじゅるじゅるすする悦楽。

昆明では、石林という奇岩で知られる景勝地が観光スポット。
けれども、ここに行くには観光ツアーに参加するしかない。
中国人のツアーに、ひとりで参加するのも気後れする。
寺だけでいいと思う。昆明では寺をひとつ見て、それでよしとしよう。
「歩き方」には円通禅寺というのが載っている。
売りは、唐代の古刹。現代ふうに言いなおすと、古いお寺である。
もちろんタクシーを頻繁につかえる贅沢旅行ではない。
バスを活用しなくてはならないのはわかっている。
しかし、どうやってバスに乗ればいいのかわからないのである。
タイ、カンボジア、ベトナムでも市内バスに乗ることはめったになかった。
外国人が日本に来たときのことを考えてください。
JRや地下鉄ならすぐに乗れるでしょう。バスはバスでも長距離バスなら乗車も容易。
けれども外国人旅行者が市内バスを乗りこなそうと思ったらたいへん。
日本人が日本で近郊バスを乗るのでさえ、見知らぬ場所ではむずかしいのだから。
この困難が、中国を旅する外国人にもふりかかる。

個人旅行でいちばん重要なことは決意である。決めること。
じぶんはここになにがなんでも行く。そう決断すことだ。
行き先を漢字でメモに書く。これを持ってバス停に行って聞きまわる。
人間、真剣に行きたいと思えば、たいがいのところへはたどり着けるというのが、
わたしの旅行信条である。
このたびも運がよかった。横断歩道で旅行会社の客引きに声をかけられる。
かれは石林ツアーにわたしを勧誘したいようだったが、
わたしにその意思ばないとわかると、ついでだからとでもいうように、
懇切丁寧にバスの乗車方法を教えてくれた。
バス停のわきに行き先一覧があること。
番号によって行き先がわかれているから、まずバスの番号に注意すること。
バスに乗ったら運転手か車掌に、目的地に着いたら教えてくれと頼むこと。
この親切な中国人のおかげで中国人だらけのバスに乗る勇気が出る。

バスは行き先にかかわらず一律1元(15円)である。
なんとか目的のバスに乗ることができた。もうこれだけで嬉しいのである。
ひとりでバスに乗れたということだけで感激できる。
この楽しさを知ってしまうと、海外にパック旅行で行くひとの気がしれぬ。
めんどうだから楽しいのである。達成感があるのである。
行き先を書いた紙を、さっとバスに乗り込みさしだす。
行くとうなづいたら運転手の近くに位置を占める。
運転手がふりかえって、ここだと示したら「ありがとう」と行って下車する。
わずか1元で円通禅寺に到着したときはとても嬉しかった。

白状すると、禅寺など舐めていたのである。
タイでもベトナムでも、数えきれぬほどの寺院を見てきた。
いまさら寺でもあるまいと思っていた。
まるで期待しないで寺へ入ったら――。
中国だ。これは中国の寺だ。思わず、泣きだしそうになった。
なみだがあふれていたことを告白する。
いかにも中国のお寺なのである。いま、わたしは、中国に来ている。
そう思うと胸をつきあげるものがある。
古来、多くの日本人が中国にあこがれてきたのである。
多くの仏僧が恋焦がれたのが中国である。
そのような大それた場所にいまじぶんが立っているということが信じられぬ。
中国の寺だから使用されているのは漢字である。
読んでいると、だいたいの意味はわかる。仏教。求法の欲望が刺激される。
知りたい。道を知りたい。これからどう生きていけばいいのか。
なにをすればいいのか。生きるとはどういうことなのか。死ぬとはどういうことか。
仏教よ、教えてくれ。仏像よ、口を開け。
おれは仏法を知りたいんだ。生死のからくりをかいま見たいんだ。

2時間ほど寺のなかをぶらぶらしていた。
「地球の歩き方」を開く。いま中国にいる。この昆明からどこへでも行けるのだ。
さあ、どこに行くか。仏教を追求したい。中国仏教を体感したいのだ。
どこもかしこも行きたいように思える。
中国は手強いぞ。東南アジアの小国とはわけが違う。
興奮して寺をあとにする。

まだ昼過ぎである。といって、なにもすることはない。行きたいところもなし。
「歩き方」を見ると、近くに動物園があるようである。昆明動物園。
結論から先に書くと「地球の歩き方 中国 06〜07」の地図は誤り。
動物園の位置を正しく記していない。
結果、動物園に着くまでかなりの時間を要した。
動物園入口で飛び上がりそうになる。パンダの絵が描かれているのである。
パンダは成都が有名だが、ここ昆明にもパンダはいたのか。
まいっちゃうな。パンダとのご対面だよ。いきなりだな、突然だな。
どう挨拶しようかな。いろいろ迷いながらゲートをくぐる。
まずは猿の芸を楽しむ。
中国まで来てお猿さんでもないと思うが、悪くはない見ものであった。
それからはパンダの捜索である。
売店のおばさんにたずねて(筆談)悲しい事実が判明する。
半年前かそのあたりに昆明の大熊猫(パンダ)は老衰で崩御したとのこと。
ああ、パンダくん。まあ、いい。成都までお楽しみはお預けだ。

園内の喫茶店でおやつにフランクフルト。
なぜかここには冷たいビールがあったので2本のみほす。
値段は7元と相場よりも高いがやむなし。
ほろ酔いで園内をまわっていると遊園地が併設されている。
むかしから絶叫マシーンは苦手なのである。酔った勢いで乗ってみようかと思う。
どうせヒマだしぃ。10元(150円)をケチってもさぁ。
中国のちんけな遊園地であそぶ孤独者は美しいかもしれぬ。
「酔ったひとは乗っちゃダメよん」の注意書きを無視して侵入。
感想は、ダメなものはダメ。むかしと変わらず絶叫マシーンは苦手。
気持が悪くなった。こんなもののどこが楽しいのかわっぱりわからない。
けれども、さっきまで仏教に打たれていた求道旅人が、
もう酔っぱらって絶叫マシーンですか? あんまりじゃないですか?
じぶんでもそう思うが、これがわたしなのだと開き直るほかない。

無性に歩きたい。行きはバスで来たが、帰りは駅前まで歩くことにする。
中国を足で味わおうなんて大仰なことを思っていたのかもしれない。
中国の、それも昆明なんていう大都市は、東京と変わらないわけである。
歩いていて、それがよくわかった。
べつに中国を感じさせるものなどなにもない。
マクドナルドがあって、どこかで見たようなデパートがあって、そのくらいである。
少しがっかりするが、それでも駅に到着するとなんだか嬉しい。

まずはシャワーだ。それから今日はどこでのむか。
駅前の大通りから、いくばくか裏側に入ったところでのむことにする。
昆明駅前の食堂は、だいたいこんなスタイル。
店の前にウインドウが。そこに今日の惣菜が盛りつけられている。
チャーハンに惣菜3品でいくら、というように金額が決っている。
アルミのプレートにじぶんで惣菜をのっけてかまわない。
さて、今日おもむいた食堂は――。
またもや「ミシミシ」である。ゆうべの食堂でもそうであったが、
日本人であるむねを伝えると、中国人は決って「ミシミシ」と言うのである。
意味はわからなくても、言語というものは感情を伝える。
「ミシミシ」が日本を愚弄する言葉であることは間違いないのである。
だが、意味がわからない。
この後、日本語を解する中国人に会うたびに「ミシミシ」の意味を聞いたものである。
知ってか知らずか、だれも教えてくれなかった。
この言葉の正確な意味を知るのは、敦煌到着まで待たなければならない。
どうかみなさまも敦煌までこの謎をお忘れなきよう。
筆者もみなさまを少し焦らしてみたくなりました。

といって、そこまで反日感情が強いというわけでもない。
テレビで放送されるような反日運動は、まあ特別なものといってよい。
たとえ概念として日本人が嫌いでも、
いま目のまえに日本人がいたら、かれをことさら嫌う理由はないのである。
この食堂でもめずらしい外国人ということでだいぶよくしてもらった。
ビールはぬるかったけどね。
この食事スタイルは気に入っている。
たくさんのおかずを少しずついただけるのは酒のみにとって悪いはずがない。
酒場歌手がまわってくる。おばさんとおねえさんの中間。
お客からカネをもらって歌うのである。
ムード的にわたしが頼まなければならない雰囲気になった。
10元(150円)だというので、まあいいかと一曲お願いしてみる。
中国歌曲などひとつも知らないので、国歌をお願いしたら場が騒然とした。
日本人は、ほらさ、中国人とかいうと愛国心のかたまりのように思うじゃない?
けれども、いざ国歌を頼んだら、みんなニヤニヤしているわけだよ。
歌手さんも、歌いたくないビームを発している。
仕事だからと中国国歌を歌い始める歌手。
みなさん、こんな想像をしてはいませんか。
中国人のことだから、肩を組んだりして、みんなで国歌を合唱とか。
同志よ立ち上がれ〜とか。
ぜんぜんそんなことないのだ〜よ。食堂の人民はみなふきだしそうになっている。
まあ、カラオケでいきなり「君が代」を歌い始めたバカがいるって感じ。
へええ、中国ってこうなのかと発見があった。
朋友、朋友♪ のところでわたしも笑いだしそうになって、
けれども、ここで笑ったら国際問題だぞとみずからを抑えてぐっとこらえた。

この食堂で新しい酒にトライ。
でかい旅行カバンをかついだ男性ふたり組が来店。
一品物の惣菜のあとに、それを注文したのである。それは小瓶に入れられた液体。
かれらは熱々の惣菜をひと口つまむ。それから目をつむって、えいやとそれをのむ。
いかにもまずそうにのむのである。
負けるもんかと思う。日本男児、ここにありを中国国民に知らしめなければならぬ。
おい、オヤジ(と言ったのだったか)。
わしにもその酒をくれんか。ああ、それだ。そこの若いのがのんでいるそれ。
これが白酒(ばいじう)との出会いであった。中国版の焼酎である。
アルコール度は、ウソじゃないぞ、52度だ〜(口から火を吹く)。
先ほどのご両人に見せつけるようにわたしも白酒を口にふくむ。
くわああ、まずいぜえ。だが、吐かぬ。どかんとのみほす。
ふたりも「やるなあ」という顔でこちらを見ている。ふっ、大和魂さ。

ふらふらになって店を出る。しかし、まだのもうというのだからこの日本人は。
屋台で串焼きを売っていたので、酒のあてにしようと数本注文。
ホテルには昨日購入したぬるいビールがまだ何本かあったはず。
焼けるのを待っていると、昆明でも女衒(ぜげん)のババアが声をかけてくる。
中国って、もしかして、売春天国なんですか〜。
マルクス主義がどうして売春を誘致するのか考えてみようと思ったが、
この泥酔状態では無理である。とりあえず女衒おばさんにはお引取り願う。
お土産の串焼きを片手に、つぎはビールだとニコニコしながら
昆明の闇を千鳥足で歩くわたしであった。

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