「満ちて来る潮」(井上靖/角川文庫)絶版
→昭和30年の新聞小説。
井上靖は膨大な量の中間小説を書いている。ほとんどが恋愛小説である。
わからないことが、ふたつあった。
なぜ井上靖は恋愛小説を書くのか(売れるからとか野暮なことは言わないで)。
なぜ恋愛ものは嫌いなわたしが井上靖の中間小説をこうも好んで読むのか。
恋愛ものが嫌いである。恋愛小説、恋愛映画。まったく関心がない。
美男美女がいちゃついているシーンなど、むかむかしてくるだけである。
けれども、井上靖の恋愛小説は――。
このたび気づいた結論は井上靖の書くものは恋愛小説ではない。
失恋小説である。だから、読むことができるのだ。
井上靖が描くのは、恋愛ではなく、失恋である。
ラストは表現媒体の性質上(新聞小説!)ハッピーエンドにせざるをえなくとも、
その過程でこの作家はふんだんに失恋を描写する。そこが美しい!
どうやらわたしは恋愛は嫌いだが失恋は好きなようである。
考えてみれば、こうも言えなくはないか。
これは個人的には大発見だったのである。
凡愚の市井人でさえも失恋においては巨大な運命と向き合うことができる。
ある女を好きになったとする。身も心もぼろぼろになるほど好きだ。
けれども、その女にはべつに好きな男がいる。どうにもならない。
どうにかしようと満身の思いで愛を告白する。受け入れてもらえない。
これだけ相手を好きだというのに、なおも相手を動かすことができぬ。
個人の意思、人間の努力のなんと無力であることか。
女ひとり、どうにもできぬのである。
このときかれは運命を見る。個を超える巨大なものを感知せざるをえぬ。
失恋シーンを引用しよう。
多田は笙子を好きである。結婚したいと思っている。
だが、笙子にはひそかに恋する相手がいる。妻のある男性である。
この日、最後の求愛をした多田を笙子ははねつける。
言ったのである。妻のいる男性を愛しているから、あなたとは結婚できないと。
それでもあきらめきれない多田である。
「じゃ、最後に一つ、あなたに伺いいましょう。
あなたはどうしても僕とは結婚できませんか」
「ええ」
「どういうわけで」
「いままでその理由ばかり申し上げて来たじゃありませんか。
どうかしていらっしゃるわ、多田さん」
「どうかしている!? なるほど、どうかしているでしょう。
おそらく、いま、僕はどうかしている」
ふたりが期せずして立ち停まったところは、そこだけ鋪道が明るくなっている、
フランス料理のネオンの看板がついているレストランの前であった。
笙子は多田信次の顔を見た。
威張っているのか、憤っているのか見当のつかない顔であった。
今まで見たいかなる場合の多田の顔より、
それは魅力のないものに笙子には見えた。
反対に多田には、今までのどんな笙子よりも、いまの笙子が美しく見えていた」(P292)
男にとって、求愛をかたくなにこばむ女の顔ほど美しいものはないのである。
ならば、ストーカーこそ、真に女の美を知るものと言えなくはないか。
好きで好きでこんなにも好きなのに、一度も自分をふりむいてくれない女の顔――。
自分を完全に拒絶する女の顔がどれだけ美しいか。
あの女には好きな男がいる。ああ、自分という存在を決定的に否定される苦痛。
これは苦痛なのか。快楽ではないか。苦は快なり。快は苦なり。
苦快一如だ。運命の女神よ!
やばいな。読書感想文から完全に逸脱している。暴走パンダ。このへんで、やめとこ。
紺野はダム建設技師である。人妻の苑子に恋をしている。
苑子にもいつしか紺野の想いが伝わる。
ある日のことである。苑子は紺野に言う。旦那と別れようと思っている。
ふたりはテレビ局の塔の上にいた。これはよくないとあわてて下界におりる紺野。
それから行くあてもなく街中を歩くふたりである。
「紺野さんは、一体塔の上で何をお考えになってらっしゃいましたの」
「僕ですか」
紺野はちょっと考えるようにしたが、
「天竜ダムの建設所長の大木田博士のことを、ふと思い出していましたね」
と言った。これは本当であった。紺野は苑子の話を聞いている時、
ふと大木田博士の短い言葉を突然思い出したのであった。
――僕は大抵のことは知っていますが、ただ一つだけ知らないことがありますよ。
いつだったかよくは覚えていないが、とにかく天龍ダムの事務所で、
大木田博士は紺野とふたりだけになった時、こんなことを言ったことがある。
紺野には、その時、彼が何を言い出すかまったく見当がつかなかった。
――一体、何です?
紺野が訊くと、大木田博士はまじめな顔で、
――それは恋愛です。恥ずかしい話だが、僕はまだ恋愛というものを知らない。
ダムのことばかり考えていて、
恋愛というものを経験する暇がなかったんでしょうかね。
大木田博士はちょっと照れたような顔をして、大きく肩をゆさぶって笑った。
紺野はこの時ほど自分の恩人であり、
大先輩であるこのエンジニーアを畏敬の目で眺めたことはなかった。
紺野はテレビ塔の上で、どういうものか、
この大木田博士の言葉を思い出したのだった。
しかし、紺野は大木田博士の名は口にしたが、このことは苑子には話さなかった」(P330)
手塚治虫氏も、恋愛をしたことがないともらしていたという。
突然、へんなことを思い出した。
では、恋愛とはいかなるものか。
人妻恋しの紺野さんに聞いてみよう。
「しかし、これだけは許されぬ。世の中に女は多いのに、
他人の細君に惚れるというのは何ということであるか。
しかし、何回、繰り返しても、いっこうに紺野の事件は解決しなかった。
瓜生苑子と一緒に、
もう一度同じ時間を持ちたいという欲望はいささかも衰えなかった」(P244)
ふうむ。単純明快である。井上靖先生によると、恋愛とは一緒にいたいと思うこと。
今現在、わたしの周辺に、だれか一緒にいたいという異性は存在していない。
ということは、恋愛をしていないということか。
恋愛をしたいと思う。それから振られたい。失恋したいのである。
ストーカーまでやれたら最高だが、わたしにそこまでできるかは自信がない。
しかし、やらねばばらぬ。すべては美を求めんがためである(言い放つ)。
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