「わが文学の軌跡」

「わが文学の軌跡」(井上靖/中央公論社)絶版

→今年なぜか敦煌くんだりまで行くことができ、
砂漠のなかにある映画のセットへ入ったときは感動したものである。
井上靖原作の映画「敦煌」のセットがそのままテーマパークになっている。
映画撮影時の写真とともに、原作者の近影がはられていた。
井上靖先生――。この作家とのふしぎな縁を感じずにはいられなかった。
そもそも小説を読み始めたのがこの著者の「しろばんば」であった。
井上靖に小説を読む愉(たの)しみを教わったといってもよい。
どうしてかいまになってまた井上靖なのである。
本を読み始めてからこんなわたしにも人生でいろいろなことがあった。
けれども、根本は変わらないということか。やはり井上靖が好きなのである。

本書は座談会形式。
篠田一士と辻邦生が聞き手となり、作者自身から井上文学の内実が語られる。
宮本輝の文学観との相似に驚かされる。
ほとんどおなじことを井上靖が言っているのである。
言うまでもなく先行作家は井上靖。
宮本輝はただならぬ影響を先輩の物語作家から受けたのであろう。
だが、唯一の、しかし根本的な相違がふたりの物語作家にはある。
井上靖はこの本のなかでいつか親鸞を書きたいと述べている(P123)。
いっぽうの宮本輝は創価学会。日蓮なわけである。
日蓮は浄土真宗を手ひどく攻撃した。南無阿弥陀仏を愚弄した。
宮本輝も親鸞には否定的なようである(「春の夢」の歎異抄批判)。
梅原猛によると、親鸞と日蓮の違いはこうである。
親鸞は死を見すえている。いっぽうで日蓮は生に拘泥(こうでい)する。
日蓮を、いかに生きるべきかしか問題にしない底の浅い思想と批判することも可能。
親鸞を、現世否定の、支配者にのみ都合のいいあきらめの思想と断罪することも可能。
日蓮と親鸞。宮本輝と井上靖。ふたりの物語作家のこの相違は興味深い。
これまた梅原猛の言だが、日本のインテリはがいして親鸞びいきなのだという。
比較的無知な民衆が日蓮思想に深いかかわりをもつ傾向にある。

井上靖は言う。

「(デビュー当時は)がまんして読むような小説ばかりが
評価されていた時代ですね」(P94)

「私小説は私小説で読んでいておもしろいですが、小説を書きだしたころは、
私小説は書くなといった気持がありましたね。
でないと、いいものは書けても、大きいものは書けない。
どうせ小説を書きだしたんだから、書けても、書けなくても、
おもしろいもの、大きいものを書いていこう、こういう気持でしたね」(P92)


井上靖も宮本輝も、「おもしろいもの、大きいもの」を書く物語作家である。
両者の根底に仏教があることはなにか「おもしろくて大きな」物語と関係しているのか。
そのとき親鸞と日蓮の相違はどのように影響するのか。
あるいは、物語の技術は作家それぞれの資質の問題で、仏教とは関係ないことなのか。
深い関心をいだいている問題である。

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