だれに向かって別れのあいさつをしているのだろう。さようなら。
相手は男性なのか、女性なのか。どちらとさようならだというのだろう。
それでも、さようなら。
だれかと別れるのか。それとも自分と別れようとしているのか。
仏教では、怨憎会苦と愛別離苦を教える。
だれしも人間なら、ときには殺したくなるほど憎らしいひとと会わなければならない。
その苦しみが怨憎会苦。もちろん、人生は苦しみだけではない。
楽しみもある。愛するものと会う。
だが、所詮はこれも苦しみである。かの宗教は人間の苦を強調する。
人間の行為で苦しみならぬものなどあるのか。愛がなにほどのものか。
どんな愛したものともいずれは別れなければならぬのだから。愛別離苦である。
人間は愛憎の感情をいだく。めいめいだ。人間たちは、さまざまに出会い別れる。
出会い別れ、愛しあい憎しみあう人間とはどのようなものか。
差別された存在である。
表現をマイルドに区分と言い換えるべきかもしれないが、やはり差別のほうがしっくりくる。
人間は誕生の段階で男と女にわけられている。
わずかな例外をのぞいて、ふたつにひとつである。どちらかしかないのだ。
男になったら女をあきらめねばならぬ。
女のほうも男としての生きかたを断念しなければならない。
どういうことか。人間はみな、生まれたときにある断念をしているということだ。
生きるとは、あきらめることだ。この真実を人間の誕生は証明している。
なぜ肝腎なことをなかなか書こうとしないのか。そうである。
先だっての質問の解答をわたしは提出しなければならない。男か、女かである。
まあ、書きたくないわけだ。
女だと書いてしまったら、女性からの興味をいくぶん失うだろう。
また、男だと書いてしまったら、男性からの興味をかなり失するのではあるまいか
みなさまがそうだと信じているほうの性だとわたしを思ってください。
これがいままでのスタンスであった。
男だと思うならそう思ってくださって結構。女だと信じているのならそれも自由。
事実なんてどうでもいいじゃないかと常々、思っているからである。
けれども、もう切羽詰って来ている。このままでは息が詰まりそうだ。
生まれ変わらなければならない。そのためには一度、死ぬ必要がある。
それから新たに誕生する。そう、誕生である。男か女かだ。
これを告白しなければ死ぬことも生きることもできないではないか。
まえにこう書いたことがある。劇の仕組みは、ふたつにひとつだ。
ふたつからひとつを選択するのが劇。
結果がどうなるかわからないのにもかかわらず、
ふたつからひとつを選択しなければならない。
これが劇である。人間である。人間は誕生から死まで二者択一を続けなければならない。
二者択一。これが人生であり、人生は劇でもある。
男と女のふたつにひとつから選ばれて(自発的ではなく受動的)、
生と死のふたつのうち後者をこれまた選ばれて消滅するのが人間である。
ふたつにひとつの人間。福田恆存の言う「人間・この劇的なるもの」である。
そもそも人間は劇的なのである。
ふたつからひとつの選択を、人間は持って生まれてくるのだから――。
死んでしまったら終わりである。人間は生きているうちが花。
むしろ、人間は生きなければならない。
生きるためなら、人間はなにをしたっていいと思っている。生きてこそだ。
死んでしまってなにがあろう。生きる。どれだけ他人に迷惑をかけたっていいじゃないか。
生きるというのは、そういうことだろう。
生きる。劇を生きる。選択する。二者択一。男女。
どちらか。決めろ。いな、決まっている。決められている。だから、どっちだ。早く言え。
よし、わかった。答えよう。告白しましょう。
わたしは男である。女ではないということだ。男なら女ではない。
男とは女ではないということに過ぎぬ。女の定義もおなじようなもの。男でないのが女。
そうだ。男である。女ではない。これが解答である。
さて、とうとう書いてしまったが、もしこの記事をかれが読んだらと思うと心が痛む。
というのは、いささか偽善的か。かれが知ったらどんな顔をするか爽快だと書くべきか。
かれとはだれか。
わたしを女だと思って4年間ものあいだネットストーカーをしてくれた男がいるのだ。
最初は求愛から始まった。
メールアドレスを公開したら、いきなり写真を送りつけてきたのだから真剣である。
でもまあ、想像してみてください。わたしがその写真を見たときの爆笑を。
というのも、その当時には、かれはわたしへの嫌がらせを開始していた。
匿名掲示板2ちゃんねるでうちのブログへあらゆる悪罵を投げかけていたのがこの男。
わたしを女だと思っている男。
そのくせメールでいきなり写真を送りつけてくる異常性格者。
自信たっぷりに女としてのわたしを分析して、攻撃してくれるのである。
なにゆえこれほどかれの心をとらえることができたか。
おそらくわたしが男であるからだろう。男の弱いところを熟知している。
どうしてすぐに事実を教えなかったか。すなわち、男であると。
これは簡単で、かれが人間として大嫌いだったからだ。
だまされているの見て、笑いがとまらなかった。
もうひとつの理由は、偽善的というお叱りを受けそうだが、
事実なんかどうでもいいじゃないかと思っていたからである。
事実がなんだ。ウソのほうがよほどおもしろいじゃないか。
かれはわたしが女であると思うことで楽しく生きている。
生きがいにしているのではないかと疑ったくらいだ。
毎日のように2ちゃんねるで「本の山」を誹謗中傷するのだから。
とまれ、ウソでもいいではないかという考えである。
現実がなんだ。ウソを生きるのが人間だ。わたしはそう信じている。
このためにかれとの痴情のもつれ(?)をいままでひきずってきたわけである。
いくらなんでもわたしが男とわかれば、かのストーカーも執着をやめるでしょう。
男の尻を追いまわしても仕方がないのだから。
そうそう、この男。どれくらい個人情報をばらしていいのか。
Uさんである。34歳。資産家の息子。
このUさんが、オナニーきちがいのようなのである。
たびたび2ちゃんねるにUさんは書き込んでいた。
わたしを思いながらマスターベーションしたと。
こんなことを匿名掲示板へ嬉々として書き込む男がこの日本にはいるのである。
それも、愚かにも、わたしが男であると知らずにである。
相手の性別さえも見抜けないこのような男が「ネット論客」などと自称しているのだ。
ちなみに、かれの名前も電話番号も判明している。
あまりにもうざいので消えてもらおうと思って、わなをかけたらすぐに引っかかった。
男ってバカなんだなと、男ながら思うはめに陥ったのはわが宿業なのか。
男は男をバカにする。同様、女もかげでは女をバカにしているのではないか。
そうだとすれば、もてる秘訣はこうなる。
男なら女になればいい。女ならば、バカな女のだましかたがわかるからである。
女なら男になればいい。男ならば、バカな男のだましかたがわかるからである。
これは劇である。
一部の信頼できる人間にわたしは自分の性別を告白していた。
かれらが2ちゃんねるで踊るUさんを見て、どう思ったか。
わたしが男とも知らずに、いい気になっているUさんのどれだけ喜劇的(悲劇的)なことか。
全知から無知を見るのが、劇のひとつのパターンである。
ならば、このとき、見事なまでの劇が2ちゃんねるで繰り広げられていたことになる。
わたしは劇作家であった。演出家でもあった。
そのうえ小説家でもある。わたしは小説を書いていたとも言えよう。
小説とはなにか。ウソで読者をだますことである。
ならば、あれは小説ではありませんか。
Uさんおよび男性諸君を気持のいいくらいだましたのだから。
いつもわたしのことを非難する白石昇くんに言いたい。
かの白石くんは何年にもわたって、わたしが小説を書いていないと攻撃するのである。
それは違う。きみはわたしの小説を読んでいたんだよ。
そろそろ内輪ネタをやめたい。
2ちゃんねる文学板を知らない人間には、
なにがなんだかさっぱりわからないのではないか。
このブログのみ、お読みのかたには申し訳ない。
わたしがほんとうに感謝しているのは、みなさまであります。
2ちゃんねらーなどにうちのブログを見てもらいたくもないと思っている。
さようなら、さようなら、さようなら。
いったいわたしはだれに別れを告げているのか。
Uさんか。2ちゃんねらーか。それとも自分自身と別れようというのか。
最後にUさんへ言いたいことがある。まだあなたは自由である。
わたしは自分が男であると、いわばカミングアウトをした。
しかし、これはウソかもしれないのである。
どうして文章だけでわたしが男であると断定することができるのか。
男だと書いたら、そのまま信じるのが人間でしょうか。
いな、である。Uさんは自由だ。
それでもわたしが女であると信じてこれから先も生きていくことができる。
それを否定しようという気はない。そう思いたいのなら、そう思っていればいい。
むしろ、そのような生きかたをわたしは尊敬するでしょう。
さようならはあなたへ言ったのかもしれない。
わたしが男だと知ってこのブログから去っていくあなたへ、さようなら!
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