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ドラマはカルマ

「それはあなたの業(ごう)でしょうから」
さきほど電話でいわれた言葉が耳に突き刺さった。
傷ついたわけではない。うなったのみ。
よく見ているなとため息をつくしかなかった。

業はサンスクリット語でカルマ。行為を意味する語である。
ちなみにこの行為を古代ギリシア語ではドラーンという。
ドラーンからドラマに派生する。日本語にすると劇である。
とすると、業=カルマ=行為=ドラーン=ドラマ=劇。
最初と最後を取ると、業=劇である。
人間の宿業をえがく宮本輝の小説が劇的なのはこのためか。
ユージン・オニールの戯曲が日本人には仏教の業を感じさせるのも同様。
人間の業をつきつめたのが物語。
人間の行為をはなばなしくえがいたのが劇。
物語と劇が一本の線でむすばれたわけである。

みなさまはうちのブログを見て思われるかもしれない。
なんの脈絡もないと。
演劇関係と物語作家のつながりである。
このような共通性があったということだ。
人間がある行為を実行するのは、そのときの周囲の環境から判断しての結果。
ならば、かの人間を行為に走らせたものはなにかというと、
かつての行為ということになる。
なぜならば現在の環境は過去の行為の結果なのだから。

なんでもいい。なにか行為をしたとする。
それは果たして自由な行動か。いな、周囲の状況が行なわしめた。
その状況はなにゆえそうなっているか。過去の行為のためである。
かくのごとくさかのぼっていくと誕生へいきつくしかない。
どうしてかの人間が生まれたか。両親が知り合ったからである。結婚したがため。
では、どのような理由で、ふた親は結婚という行為をしたか。
行為を上流までたどると、この男女の出産時を原因とするしかない。
すると、どうだ。祖父母の時代の行為が原因である。
これこそまさしく仏教の業の世界である。宿業だ。宿命だ。

「それはあなたの業でしょうから」
かれのひと言でいろいろなことを考えた。業である。哀しいかな、業なのだ。
自業自得もひとつの業のかたちである。
だが、これだけではない。自業だけではないのだ。
両親の業も人間には関係してくる。
いまは流行らない言葉だが「親の因果が子に報いる」というやつだ。

ギリシア悲劇、シェイクスピア、ストリンドベリ、オニールが好きだ。
宮本輝、井上靖、山田太一のファンでもある。
一見すると矛盾するようなわたしの嗜好をようやく接続することができた。
ドラマはカルマだ。
物語と劇が好きなのである。書きたいのである。生きたいのである。

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