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なんとなく、タナボタ

本日、某大学病院にて。
名前をよばれ席を立ち会計をしにいくと肩をたたかれる。
若い女性。
これ落しましたよ。
千円札をわたされる。
えとあのその~と口ごもっているうちにその女性は消える。
財布をチェック。残金は家で確認したのと変わらず。
あいや~。千円、もうかってしまった。
こんなことは人生ではじめてであーる♪

そもそも今日は通院日ではなかった。
先週、診察を受けている。
医師との意思疎通がうまくいかずある漢方薬をけずられた。
そのせいだろう。受診翌日からひどい頭痛が。
もう我慢できない。
本来、月に1度の通院を変更したのはこれがはじめて。
お願いをしにいったわけだ。いつもの漢方薬をくださいと。それを思い立ったのは今日。
昨日の時点では今日、病院へ行くとはちっとも思っていなかった。

なにが言いたいのか。
人生はタナボタであーる♪
明日、なにがあるかわからない。これこそ人生なのだ。
わかっている。本日経験したことなどたいしたタナボタではない。
しかし、いいですか、だからといって、
どうして、明日、もっと大きなタナボタがないと断言できますか。
今日までの人生で1回もタナボタがなかったからといって、
それは明日にタナボタがないことをかならずしも証明するわけではない。
今日はダメでも、もしかしたら明日。
明日がダメでも、もしかしたらその翌日こそ!
みなさまの人生に明日、タナボタがないと言い切れるひとはどこにもいません。

タナボタを待つ。
このような生きかたがもっともかしこいのではあるまいか。
世界中のだれもが明日、なにがあるかはわからない。
もしかしたら明日、なにかあるかもしれない。
長年、待ちこがれていたなにかが。いな、それ以上のものが。
だから、今日をがんばる。
がんばるのは、報われるためではない。タナボタまでの暇つぶし。
僥倖(ぎょうこう)があったら、がんばったから当然などと思わない。
ありがたきタナボタよと手をあわせる。
最終的に死ぬまで、なんにもタナボタがなかったとしても、それはそれでよし。
いつかタナボタがあるかもと毎日ほがらかに生きられたのだから。

かといって、このような生きかたはなかなかむずかしい。
だから文芸があるのではないか(文学がなにかはわからない。あくまでも文芸)。
文芸はうまいウソで読者をだます。
明日こそはタナボタがあるかもしれないと思わせる。
いわば麻酔である。痛み止め。
笑うなかれ。どうせいつか死ぬ人生なら痛みのないほうがいいとは思いませんか。
小説、漫画、テレビ、映画――。
フィクションの役割とはこの痛み止めにあるのではないか。麻酔である。
かつて効いたモルヒネ(宗教)は、いまはなかなか薬効があらわれない。
だからこそ新薬の発明が待たれている。

わたしの祖父はスクワレンというインチキ健康食品を製造・販売していた。
成分上は効くはずがないのだが、難病の治ったひとがかなりいたそうである。
めざすはこの祖父である。がんばるつもりだ。
しかし、がんばりすぎて重要なことを忘れてはならない。なんとなく、タナボタ。

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