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「オルレアンの少女」

「オルレアンの少女」(シルレル/佐藤通次訳/岩波文庫)品切れ

→戯曲。ドイツ産。シラー作品。
シラー劇に頻出する言葉はなにをさしおいても運命である。
これはわたしが運命論者だから、ことさら気にかかるのかもしれないが、
かならずしもそうとばかりは言い切れないのではないか。
ドイツ語はまったくの門外漢なため、軽々しいことは言えないけれども。
たとえば――。

「おお、思へば運命であった。悪い星の仕業であった!」(P152)

「運不運は互のことだ。あきらめませう
――運命の球は変転極りなく廻るといふからな」(P176)

「運命が導いてくれるから、心配はいりません」(P244)

「謎をお送りになさったお方が、謎を解いて下さいます!
運命の実は、熟れなければ落ちることもないのです!」(P249)


シラーによる運命の大安売りを嫌っているわけではない。
むしろ反対で、この運命の思想こそシラーの魅力だと思っている。
個人が全力を尽くして生きようとするも、
運命とよぶほかない人間以上のものへ相対して敗れ去る。
これがシラー劇のみならず、たいはんの悲劇の型である。
ギリシア悲劇などはその典型といえよう。
シェイクスピア劇は、性格悲劇などとよばれていて、
個人を不幸におとしいれるのは運命ではなく個々人の性格だという論があるけれども、
それは一面そうとも言えなくはないけれども(ハムレットやマクベスの性格異常)、
やはり運命のまえに敗北していることに変わりはないように思える。
シェイクスピア劇の人物は性格異常から、むやみに神を試すようなことを欲する。
結果、巨大なるものの逆鱗へ触れ(それを喜ぶのもシェイクスピア劇中人物のおかしさ)、
運命の女神から鞭でびしばしたたかれ、マゾヒスティックな快楽とともに死んでゆく。

とまれ、ギリシア悲劇、シェイクスピア、シラーといった古典劇が好きなのである。
そこにあるのは自由ではない。宿命あるいは運命の世界である。
人間がどれほどがんばってもできないことがあるという思想。
人間以上のものの存在を認めながら、それでも生きてゆく姿勢。
人間はだれしもハムレットの役をあてがわれて生まれてくるわけではない。
ローゼンクランツもギルデンスターンもいなければならない。
ポローニアスとして生まれてしまったらあきらめる。
ハムレットになろうなどと思わない。フォーティンブラスさえも高みの花。
配役のなかで、よりよい演戯をするくらいが、せめてなしうること。
以上が古典劇の世界である。

対照的な近代劇の世界にも軽く触れておくと――。
ベストセラー「もてない男」で有名な小谷野敦氏は、まさしく近代の劇を生きている。
ちなみにわたしは小谷野氏を現代の論客のなかでもっとも尊敬している。
かの論客は決してあきらめないのがすごい。
通常なら、もてない人は、もてないなりに生きてゆく道を探すでしょう。
どうしたって異性からもてない人間はいる。
もてもての人間がいるのだから、まったくもてない人間がいないと釣り合いが取れない。
人間、別に恋愛なんてしなくたってよろしい。
それにインドにごろごろいる不具者を見ると、恋愛がどうしたとも思う。
もちろん小谷野氏ほどの頭脳明晰な学者さんが、
こんなかんたんなことをわかっていないはずがない。
それでも氏はいまだ恋愛結婚をあきらめない。
がんばればなんとかなると信じている。
東大卒の学歴も、ベストセラー出版も、おのが努力の結果と信じているためか。
近代劇の世界だな~とうなってしまうのである。
近代というのは、バナード(見張り役)もハムレット王子になれると錯覚させる。
小谷野氏も、実物以上のものになろうとしている。
その過程で、あちこちでトラブルを起こしている。
私信無断公開だの、削除しないと訴えるだの、これほど劇的な人間はいないのである。
小谷野氏は、あちこちで劇を生みだす論客。
日本のストリンドベリといってもいいくらいだ。

いささかシラーから脱線したかもしれない。
言いたいのは、シラーの劇世界の対極にあるのが小谷野ワールドである。
運命を認めない。自力でなんでも可能だと行動する。相手に一切妥協をしない。
シラーのような古典劇の世界へ没入するばかりではなく、
少しは小谷野敦氏をわたしは見習わなければならない。
まさにつめの垢でも煎じてのむべきである。
シラー劇を愛好するおのれに今回はいくぶんかの自己批判を加えてみた。
「オルレアンの少女」とは、あまり関係のない話題になったことを申し訳なく思う。
ひと言でいうなら、この戯曲はシラー劇のなかでもっとも単調。見るべきものに乏しい。
2月の岩波文庫復刊リストに入っていることを最後に記す。

COMMENT

小谷野敦 URL @
01/20 02:21
. ポローニアスとギルデンスターンは入れ代わってますか? ストッパードはお読みでない?
- URL @
01/20 09:12
. この猫猫先生は偽者だよね?
2ちゃんねらーのいたずらだよね?

もっとも小谷野たんもねらーだけどwww
Yonda? URL @
01/20 22:54
小谷野敦先生へ. 

えとあのそのですね、あれは主役のハムレット以外でしたら
だれでも良かったわけで、しかし、考えてみると、
先生のご指摘とおりギルデンスターンとポローニアスを入れ替えると、
よりよく文意が伝わります。
なので、さっそく訂正いたしました。ご教示、感謝します。
ストッパードの「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ」でしたら、
読んだことがあります。
まったく意味不明でした。
あのストッパードが「恋におちたシェイクスピア」の脚本に
関係しているのはふしぎです。
およそ娯楽作品とは縁遠いイメージでしたので。
まあ、わたしはアカデミー賞作品より、
小谷野劇場のほうがおもしろいわけですが。
Yonda? URL @
01/20 23:00
名無しさんへ. 

わたしはこの猫猫先生、ホンモノだと思うんですけれどもね。
たしかに怒鳴り込むイメージがあるので、違和感はありますが。
Yonda? URL @
01/20 23:24
いえ、はい. 

わかりますよ。小谷野先生のおっしゃることは(たぶん)。
役者の悲劇(喜劇?)ですよね。
端役の人間に、主役のあてがわれることが、この人生ではままあります。
反対に、主役たる人間(小谷野敦!)が脇役しか与えられないことも。
畢竟、笑いをともなう不条理劇が醸成されます。
小谷野先生はみずから不条理劇を演出&出演なさっている。
ストッパードより、よほど笑える劇だと思います。
松木 URL @
01/21 04:28
アツシを待ちながら. Yondaさんはどんな気分でいるのでしょうか?

ぜんぜん空気を読めてないと気の毒なので、お伝えしますと、小谷野敦氏は、もう二度と「分け入つても分け入つても」に来ませんよ。それは、なぜでしょう。

>わかりますよ。小谷野先生のおっしゃることは(たぶん)。
>役者の悲劇(喜劇?)ですよね。
>端役の人間に、主役のあてがわれることが、この人生ではままあります。
>反対に、主役たる人間(小谷野敦!)が脇役しか与えられないことも。
>畢竟、笑いをともなう不条理劇が醸成されます。
>小谷野先生はみずから不条理劇を演出&出演なさっている。
>ストッパードより、よほど笑える劇だと思います。

かっこいいですよね、Yondaさん。著名人の小谷野先生に向かって決めゼリフをバッチリ! ハムレットも思わずタイツに恥ずかしい染みをつくってしまいそうなくらい。

・・・でも、これって本当にバッチリ決まった「決めぜりふ」なんでしょうか。ここに注目してみました。

>端役の人間に、主役のあてがわれることが、この人生ではままあります。
>反対に、主役たる人間(小谷野敦!)が脇役しか与えられないことも。

これは、無名の自称作家、自称藝人の皆さんが犯してしまう致命的ミステイクで、プロは絶対犯さないミスです。プロと素人の線引きはここでされます。

端役?主役? はて、どこにいるんでしょうか。私にも小谷野先生にも見えませんなあ。
それって、自称作家のYondaさんにしか見えてないものじゃあーりませんか(爆笑)

小説を書いたこともないのに、小説家を自称するユニークな人に、身勝手にハムレット宣言されても、警備員を呼んで、丁重にお引き取りをお願いするだけなんです。それが、プロの世界(一般社会)なんです。福田逸さんに諭されたこと、もう忘れたんですか?

どうです? 「アツシを待ちながら」の観劇は。
不条理な劇ですよねえ・・・(失笑)
Yonda? URL @
01/21 13:02
松木さんへ. 

さすが松木さんのようなプロは言うことがちがいますな~。








 

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