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「マリア・ストゥアルト」

「マリア・ストゥアルト」(シラー/相良守峯訳/岩波文庫)品切れ

→戯曲。ドイツ産。
シラーはどうしようもない地点から悲劇を書き始める。
このままではどうにもこうにも息ができない。
いまにも窒息(ちっそく)しそうな窮屈さがシラー劇の開幕前の特徴である。
舞台のうえの人間が多すぎるのである。だれかが死ななければおさまりがつかない。
そもそもから人間と人間はうまくいくようにはできていないのだから仕方あるまい。
満員電車を想像してください。息苦しいでしょう。あれが悲劇の前段階である。
ひとりでも、ふたりでも消えてくれないか。
悲劇は、あるいはこんな願望から生まれるのかもしれない。
満員電車からデブをひとり、線路下へ突き落とす。気持がいいじゃないか。
これを悲劇のカタルシスというのはあまりにも乱暴だが、
かならずしも0点の解答例ではないと思っている。

基本へ返ろう。人間が集まると窮屈なのである。
換言すると、人間は元来、悲劇的な存在である。
人間とはなにか。欲望の主体である。みながみな代理不能の唯一者。
人間がひとりならいいのである。アダムひとりなら問題はないのだ。
しかし神はイブをお作りたもうた。このくらいからもうおかしくなりはじめている。
木の実がひとつしかなかったら、このふたりは殺しあうのではないか。
いな、ふたりは仲良く木の実を食べ楽園から追放される。
アダムとイブのあいだに子どもが生まれる。カインとアベルの兄弟である。
ご存じ、創世記神話。神が嘉(よみ)したのは弟のアベルであった。
カインは弟のアベルを殺害する――。
これが人間である。人間が集えば、かならず損益の差が生じる。
生まれからして人間は美醜・貧富・身分・性格が異なる。
くわえて、めいめいが欲望を持っている。
人間と人間が相対して劇が生まれぬほうがおかしいのである。

たとえば、ふたりの人間のあいだに食べ物がひとつしかないとする。
宗教は「隣人を愛せ」で、相方に食物を譲る行為を推奨する。
皮肉をいうと、ふたりとも篤信のものの場合、両人そろって餓死せねばならぬ。
政治は平等思想を説き、たったひとつの食料を二分するようにうながす。
この場合も、肥満した成人と栄養失調児ならどうするかという問題は残る。
さて、宗教と政治の解決法は上記のとおり。劇ならばどうするか。
劇では、このひとつの食べ物を求めて、ふたりの人間が奪いあう。
口論から殺し合いまで、なんでも許されている。なにをしてもかまわない。
これが劇なのだ。もっとも人間らしいのが劇の生きかたと言えよう。

悲劇「マリア・ストゥアルト」へ話をうつす。
ふたりの女王が登場する。イギリス女王のエリーザベット。
囚(とら)われのスコットランド女王、マリア・ストゥアルト。
どちらもイギリス王位の正統性を主張している。女王はふたりもいらない。
大臣は女王エリーザベットへ提言する。もはやマリア・ストゥアルトとの和議は不可能。

「あの方やその一族に対しては、和の講じようもございませぬ。
陛下は打撃をお受けになるか、お与え遊ばすか、二つに一つ。
あの方の生命は陛下の死であり、あの方の死は陛下のご生命でございます」(P66)


エリーザベットは幽閉しているマリア・ストゥアルトを
殺さなければならないのはわかっているのである。
だが、決心がつかない。
ひとを殺すというのは、いかような場合においても罪である。
できるならば罪を犯したくない。人類愛からではない。
殺さないのはエゴイズムゆえ。死後の裁きが怖いに過ぎぬ。
エリーザベットが死刑の決断を下せば、その瞬間、この悲劇は終わるのである。
ところが、どうしてもためらいが生まれる。
ふたり人間がいる。どちらかが死なねば立ち行かぬ。
このようなとき、なにゆえ相手が死ななければならないのか。
向こうは死のかわりに天上の安らぎを得る。こちらは罪の重荷。
ならいっそこちらが死んでしまえばどうなる。愛ゆえの自害をしたら。
キリスト教世界ならではの葛藤である。

シラーは実際の歴史とは異なる出会いの場をもうける。
エリーザベットを憎きかたきのマリア・ストゥアルトへ会いにいかせる。
(史実では両者の面会はなかったという)
劇的である。にこやかな商談の場ではない。
かりに商談ならば、白刃きらめく命の商取引の場だ。
宗教も政治も人間を束縛することはかなわぬ。なまの人間がたちあらわれる。
ト書きを引用する。

(傲然と侮蔑の眼差で暫く相手を見て)
(せせら笑って)
(激怒に燃えながら、しかも気高い威厳を以て)(P120)


これぞ劇だ。両人、この対面の場で、なんと人間らしいことか。
仲良しこよしを人間らしいとは言わない。
人間なら、自己の権利のために相手を罵倒し貶め、最後には足元へひざまずかせよ。
人間がふたりいたら、勝つものと負けるものにわかれるのである。
この場で勝利したのは囚われの女王マリア・ストゥアルト。
侮辱されたエリーザベットは腹立ちからマリア・ストゥアルトの死刑執行の許可をだす。
イギリスにふたりも女王はいらないのである。
そう、このエリーザベットこそエリザベス女王そのひと。大英帝国の幕開けである。

(注)悲劇「マリア・ストゥアルト」は日本ではほとんど知られていないが、
シラーの劇作品のなかで最高傑作だと思う。
あまり多く読んでいるとはいえないので恐縮だが、
ドイツ演劇史上でも一、二を争う傑作ではないか。完全な美しさをもつ悲劇である。

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