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「エミーリア・ガロッティ」

「エミーリア・ガロッティ」(レッシング/田邊玲子訳/岩波文庫)

→戯曲。ドイツ産。
劇では偶然がよく起きる。偶然が人間を動かす。
舞台のうえの人間は考えるのだ。この偶然はなんだろう。なにを意味するのか。
人間は偶然になにを見るのか。人間を超える大きなものをだ。それをかりに神と呼ぶ。
神を見なければ人間には動かせないものがあるのである。
以前、殺人犯の手記をいくつか読んだことがある。
どの犯人も述べていたのは奇妙な偶然である。
あんな偶然がなければまさかひとを殺すことはなかったと声をそろえて言う。
まさかじぶんがひとを殺すとは思わなかった。
殺そうとは思ったが、同時に殺せないだろうとなかばあきらめていた。
それを動かしたのが偶然である。
たまたまふたりきりになったから。てっきりいないと思っていたら、偶然いたから。
そのとき人間は、おのが存在を超えるものを感知する。
こうして生じるのが劇ではないか。あるいは、悲劇と限定したほうがよいかもしれぬ。

ある国の君主が美女に目をつけた。女はエミーリアという。
ところが、この少女はもうすぐ結婚するというのだ。
君主は腹心の部下に相談して、エミーリアの結婚相手を襲わせる。婚約者は死ぬ。
いな、君主に殺すつもりはなかったのである。どうしてか殺す羽目になってしまった。
盗賊に襲われたと思ったエミーリアは君主の館へ逃げてくる。
ここまではほぼ計算どおりである。
だが、人間の計画は思うように運ばない。
なんの間違えか君主の元愛人であるオルシーナがこの館を来訪する。
最後にエミーリアを殺すことになる短剣は、嫉妬に狂うオルシーナが持ち込んだもの。
オルシーナは情夫の君主が別の女にこころを移していることを知る。
思う。どうしてじぶんはこの場に居合わせてしまったのか。

「偶然? いったいこれは偶然なのか?
殿下がここでわたしと会うことなど考えもしなかったのに、
ここで会う羽目になった、というのが?
偶然?――マリッネリ、いいですか、
偶然などという言葉は神を冒涜(ぼうとく)するものです。
お天道様の下では偶然などないのです。
――とくに、意図がはっきり透けて見えることにはね」(P108)


人間が偶然を必然と感じたとき、劇が生じるのである。
この館にエミーリアの父、オドアルドもやってくる。
オドアルドは、君主が娘の婚約者を殺したことを知っており怒り狂っている。
といって裁きの場に訴えてもどうにもならない。裁判官は君主なのだから。
せめて娘のエミーリアを返してくれるよう君主へ要求する。
君主はのらりくらりと拒否する。
身分の低いオドアルドは、なら娘と会わせてくれと懇願する。聞き入れられる。
これからしばらくのオドアルドが見ものである。
オドアルドはすべてをあきらめて君主の館をあとにしようか迷う。
どうなるのか。未来がどうなるのか人間にはわからない。迷うオドアルド。
よし、館を出ようと思った瞬間に、娘のエミーリアがすがたを現わす。

「出て行こう!(出て行こうとすると、エミーリアがやって来るのが見える)
遅かった! ああ! わしの手が求められているのだ! わしの手が!」(P146)


オドアルドはオルシーナから受け取った短剣を使うことになる。
エミーリアは父に頼む。このままではいけない。
このままでは愛する婚約者を殺した憎き仇(かたき)に手籠(てごめ)にされる。
エミーリアに頼まれたオドアルドは、愛する娘を短剣で刺し殺す。
このときオドアルドはじぶんの意思をどこかに感じていたか。
娘を殺したのではなく、なにものかに殺させられたように思ったのではないか。
これが悲劇である。すべての偶然が必然としてまとめあげられるのが悲劇だ。
君主も慟哭する。なにゆえこうなってしまったのか。
じぶんはただ女を愛しただけなのだ。
愛した、というよりむしろ、愛さざるをえないよう仕組まれたようにも思える。
その結末はどうだ。人間の意図はなにもかもくつがえされる。
かくのごとき人間の悲嘆・呪詛をもって悲劇は完成するのである。

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