「賢人ナータン」

「賢人ナータン」(レッシング/篠田英雄訳/岩波文庫)

→戯曲。ドイツ産。
レッシングは時代的にいうと、クライストの少しあと。
のちのゲーテやシラーに影響を与えた。
とくにこの「賢人ナータン」はゲーテ、シラーともに最大限の賛辞を捧げている。

劇はいろいろな理由から作られるが、
劇本来の役割は主張の多重奏にあるのではないか。
なにかをみなに言いたいとする(A)。だが、それはかならずしも正しくはない。
その反対の意見も、ことによると正しいかもしれぬ(B)。
しかし、AでもBでもないCという考えかたもできる。Cこそ正解ともいえる。
答えのない問題には、演劇という表現形式がもっとも適しているのかもしれぬ。
わかりやすい具体例を用いよう。
公共の場は全面禁煙にせよ、という意見がある(A)。
分煙すればいいではないかという意見もある(B)。
煙草のみならず酒も自宅でしかのませるなという意見がある(C)。
考えようによってはAもBもCも正しいわけである。
これが現実ならつまらないものである。
Aは自己の正当性を主張する。BもCも同様である。譲歩などあるわけがない。
結果は多数決でA、B、Cのいずれかに決定されるわけだ。

評論ではA、B、C、それぞれが正しいなどと書くことはできない。
そんなことをしたら支離滅裂な文章になってしまう。
だが、劇文学ならば、AもBもCもおのおの正しいと書くことができるのである。
小説でも不可能ではないが、戯曲ほどの自由はない。
小説家がA、B、Cのどれに思い入れがあるのかで物語がゆがめられてしまう。
付言すると、小説の名作というのは、この歪曲が少ないものをいうのであろう。
作者はAが正しいと思っているのにもかかわらず、どうしてもBが幅を利かせてしまう。
とすると、より戯曲に近い小説が、あるいは名作なのかもしれない。

さて「賢人ナータン」である。
この戯曲におけるA、B、Cは、ユダヤ教、キリスト教、イスラム教である。
A、B、Cの対立に都合がいいよう時は十字軍の遠征。場所はエルサレム。
A、B、Cの利害は複雑にからみあっている。
この戯曲における最大のテーマはユダヤ教、キリスト教、イスラム教。
この3つは根をおなじくしているのに(旧約聖書)、なぜいがみあうのか。
いちばん正しい宗教はどれか。とりたてて回答は明示されない。
ユダヤ教徒の養女と、キリスト教の兵隊の恋がストーリーのかなめである。
この兵隊さんは、敵であるイスラム教のスルタン(ボス)から命を助けられている。
結末を書くと、例の娘さんと兵隊は、実は兄妹の関係であった。
兵隊はスルタンとも血縁関係のあることが明らかになる。
なんてことはない。みな血縁だったのである。
兄と妹の再会は「人類みなきょうだい」の標語を連想させおかしい。
とりあえず芝居としては閉幕する準備ができたが、最初の問いの答えはでていない。
いっこうにかまわないのである。
これが劇だ。A、B、C、それぞれ正しいのが劇といえよう。

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バロック・啓蒙・賢者ナータン  院生の天窓  2007/01/11 11:07
 帯をみると、第三巻が本日発売予定なそうなので、周回遅れといったところですが、再びあの著作集の紹介を。  『坂部恵集2 思想史の余白に』 岩波書店  戦後日本を代表する哲学研究者のひとりにして、碩学の哲学