「踏み越えるキャメラ」

04/04/13 08:42

「踏み越えるキャメラ」(原一男/フィルムアート社)*再読

→原一男は「ゆきゆきて、神軍」「全身小説家」などで知られている映画監督。
副題に「わが方法、アクションドキュメンタリー」とある。
原一男はいう。
表現をするとは何か。私たちが生きている日常。
この日常というのは監獄のようなもので、常に私たちを縛りつける、不自由にする。
表現とはそこから解放されたい、自由になりたいという欲望に他ならない。
だからキャメラをもったと原一男はいう。
キャメラをまわす。すると日常が変質する。ひとはキャメラのまえで演技をするからである。
かっこよく見られたいという思いはもちろん。お墓のまえでは泣き、不正には怒る。
ふだんはなあなあで済ませていたものに真っ向から向き合うことをキャメラから求められる。だれにだって「かくありたい」という自分がある。キャメラがその欲望を刺激するわけである。
したがってかれはキャメラがなかったらできないようなことまでやってしまう。
すると劇的なシーンが生まれる、それを原一男は撮りたいのである。
過激なものを、劇的なものを、なまの人間の葛藤を原一男は撮りたいのである。
表現は社会に向ける刃(やいば)と考えればこそである。
そのときキャメラは武器となる――。

この本を読んだのは何回目だろう。赤線や書き込みがたくさんある。
表現におけるわたしのお師匠さん(というのか?)は原一男さんかもしれない。
アジテーションがうまいんだ、このおっさん。こんなことを言っていたな。
もやもやした思い、あるだろう、それをすっとさせるために表現をするんだ。
自殺したい、ひとを殺したい、そういうネガティブな思いが表現を生み出すんだ。
で、キャメラを持とう町へ出ようとアジる(笑)。
だけどさ、うーん、確かに原一男さんの方法がすごいのは認めるし敬服もするけど、
おんなじことをやってもつまらない、コピーになってしまうと思うわけ。
じゃあ、何をおまえはやっているんだと聞かれたら自己嫌悪を吐露するしかない……。

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