むかしとは異なり、いまは人に本をすすめるのが嫌いである。
でも、ネットで若いイケメンが読書家ぶって、
ちょっとかっこいいおれをアピールしていたので、
その千人のうちのファンのひとりでも奪いたいという狙いの黄金週間緊急企画。
いま泥酔しているからテキトーに思いついたまま。
あえて名作は外し、しかもブックオフオンラインで百円程度で買える本を紹介する。
大学偏差値40でも1日で読めそうな本をあえて選択した。
むろん、奇をてらったわけでもない。

1.「問題は、躁なんです 正常と異常のあいだ」(春日武彦/光文社新書)
2.「本当に偉いのか あまのじゃく偉人伝」(小谷野敦/新潮新書)
3.「ぐれる!」(中島義道/新潮社新書)
4.「偶然のチカラ」(植島啓司/集英社新書)
5.「少女物語」(朝日的な有名作家のみなさん/朝日新聞社)
6.「二十六人とひとり」(ゴーリキイ/木村村彰一訳/「穴」百年文庫/ポプラ社)
7.「私小説のすすめ」(小谷野敦/平凡社新書)
8.「しつこさの精神病理」(春日武彦/角川oneテーマ21)
9.「クチュクチュバーン」(吉村萬壱/文春文庫)
10.「さもありなん 三部作」(村内弘道/パレード)
要約すると、八王子騒動は経済的には大赤字になったが、
なんにもないよりは、まあ、八王子からお声をかけてもらってよかったといえよう。
精神的健康も身体的健康も壊れたけれど、
ぷらぷら派遣をしているよりは、
(どうせかなわぬと当時から知っていた)夢を見ながら、
40歳を超えて大量の短編小説や仏教書を読むのは、なんにもないよりはおもしろかった。
お互いいっぱい身体中に傷がついていて、これからその傷がうずくだろうし、
さらに刺した刺されたがあるかもしれないが、それでも、なんにもない退屈よりはよかった。
あんな話がなかったら、いまさら仏教書とか名作短編とか読まなかったもん。
だって、めんどうくさいじゃん。
お互いべつべつの夢を見ていたのだろうが、それぞれ、なんにもないよりはよかった。

1年以上「本の山」の記事を独占(コントロール)した料金を、
あれで高いと言われたら立つ瀬がない。
時給換算にしたら百円とかになるのではないか。
いきなり芝居がかって弘道さんが姉にメールを入れたときは、
人生でトップ3に入るくらいのサプライズ。
村内弘道さんはあのときはじめて自分で決断したのだと思う。
(偉そうで申し訳ないが)それが彼の人生においてどれほどたいせつなことだったかは、
のちのちわかるだろう。
あのとき姉も芝居がかっていて、どこかハプニングを楽しんでいる気配があった。
そんなことを書いたらお尻ペンペンされてしまうかもしれないが。
ドラマティック、劇的な事件のようなものを弘道さんがはじめて起こした。
本当に自分が「正しい」と思ったことをしてみた。それは貴重な体験である。
わたしにとってはあんな大迷惑は二度と思い出したくない惨事。

なんにもないのが幸せというのも真理だし、
それではつまらないではないかというハムレット論理もそれまた「正しい」――。
おのれの正義ばかり主張する弘道さんにめんどうくさくなって、
「そんなもん、どっちでもいいじゃないですか」
と言ったら、弘道さんは村内家秘伝の「机バンバン芸」を披露してくださった。
あの腕の切れ、
テーブルのものをなにひとつ動かさない的確さ、
リズムの美的音調――村内家具を目撃した。
何度も何度も村内家具のCMを視聴して好きになってしまった。
いまはみんな洗練されているから、逆に洗練されていない泥臭さがいい。
いつの時代からやって来たんだという6つ原色ワンピースを着た、
修正も整形もしていないタバコくさそうな女の子たちが、
むかしのアメ横生中継のようなダンスを能天気に披露する。
しろうとAVものでも人によってはちょっと……
という女の子たちのナチュナル感がすばらしい。
それからいきなり原爆ドームって政治的主張でもあるのか、
絵のおもしろさを狙っただけなのか、あたまがパーンとしたドッキリを味わえる。
八王子は東京都から外れて(こっそり言うと一緒にされたくない)、
八王子県を作ってくれよという地方独自性を村内家具はうまくアピールしている。
村内家具はかつての天龍WARのような、
オモチャ箱をひっくり返したような魅力がある。
パスポートなしで行ける異国が八王子、とりわけ村内家具はその象徴である。
八王子の村内弘道さんはわたしと正反対の人なんだなあ。
親の仕事を言いなりに継いで、きれいごとを社会人としてすらっと言える。
いっぽうわたしはスーパーフリーに生きてきて、
いまなんだか八王子で弘道さんと酒を飲んでいるけれど、
そういうことはけっこうあったから、まあ、こんなものかなって。
あの人はわたしと正反対で律儀でまじめで日本酒は1日3合まで。
油ものは家ではいっさい食べず(食べさせてもらえず?)、
このため外食時は欠食児童のように、
ものすごい勢いで天婦羅とかおいしそうに食うのよ。
弘道さんは日本酒しか飲まず、わたしも合わせたのだが、
おかげでいままでそれほど好きではなかった日本酒を好きになったもん。
いい話になってるかな?
八王子って闇市をそもまま起こしたような繁華街でわけわかんない。
最初の店とかわからないで電話したもの。
最後に会ったとき、しみじみ、土屋さんは最初慌てていたよねえ。
とか言われて、バカにされたのかと思ったが、単に懐かしんでいるだけのようだった。
そりゃあ、八王子お生まれの村内さんじゃないんだから、
あんな路地のなかの路地はわからないよ。まさかあれが最後になるとはね。

弘道さんは良寛の書が本によって一字違うとか、
そんなことで、なんとか協会に手紙で問い合わせする人。
相手も困ったみたいで、
うーん、そのほうが読みやすかったからじゃないか。
困った人だなあ、という(わたしみたいな)テキトー対応だったらしい。
良寛? そんなもん、どっちだっていいじゃん、と腹の底では思っていたが、
こんなどうでもいいことに夢中になる人がいるんだなあ、と驚きだった。
わたしがギャグで創価大学グッズをお土産で買って、
嬉しくて自慢したら「こいつ、あたま大丈夫か?」って顔をするのよ、弘道さん。
土屋さんは良寛みたいで放っておけないって言ってたのに、
刑事告訴とはあんまりじゃないか弘道兄貴!
ムラウチ・ドットコムってパソコンも売っていたのか。
うまくやっときゃあ、売値の2、3割引で一体型パソコンを買えていたのかもしれない。
人に甘えたり、かわいがられたりするのが、とにかく下手なのである。
かといって親分肌でもない。
いま村内弘道さんのいちばんの思い出は机を叩くときの手のスムーズな動きである。
あれは年季が入っている。
八王子の棟梁といえば最近知ったが村内家具総帥の村内道昌さまである。
わたしが厳しいお叱りを受け、小説にはダメ出しされた弘道さんは彼の次男。
YouTubeで、ジェイコムでやったという八王子の村内道昌総帥の法話を聞いた。
わからないんだよなあ。土地勘がない。
村内家は八王子の(多くの小作人をかかえる)大地主。
八王子インターチェンジができると聞いて(どうして早耳で仕入れられたのか)
土地を買って大儲けしたという武勇伝をしていた。
その土地を創価大学(創価学会)に転売して大儲けしたのだと思う。
視聴回数の異常に少ない番組では創価の「そ」すら出なかった。
でも、土地を買って作った旧村内ホームセンターの裏が、
創価大学の寮になったのではないか。
土建業界に幅を利かせていたようなことも言っていた。
驚くべきことは、
八王子の天皇陛下、総帥、大君の村内道昌大将軍がまだ死んでいないこと。
お顔がそっくりの健一郎さんや弘道さんにお金がまわらないではないか。
ラジオの村内放送の人って八王子関係なの?
村内家具のCMの最初に出てくるギャルがブスばっかりで、
もしかしたらこの会社は優良企業かもしれないと思った。
八王子の村内道昌総帥、どうか1年でも長生きしてくださいませ。
相続税はどうなるんだろう。
おそらくだが創価学会スタイルで、
ごまかせる密約が美術関係でできているのであろう。
創価学会のルノアール事件は有名だ。
くっそお、弘道さんを怒らせたのは失敗だった。
釣り損ねた魚は大きい(逃がした魚は大きい)。
いけないところは他人に興味をあまり持たないところ。
これはという人にはがっちり聞き込みするのだが。
ぶっちゃけ、村内家具から最初にメールがあったとき調べなかったもの。
どうせ田舎にある家具屋だろう程度。
刑事告訴すると姉にメールを送られたときは、
村内弘道さんの狂気、異常性にぞっとしたがそれでも調べなかった。
調べたら記事も出てくるが、興味がないので読めない。
コメント欄で教わったが村内家具、おもしろいじゃん。
こんないかれた企業だったのか。
だったらわたしに原稿依頼をして、
あろうことか村内校正で真っ赤に染めようとするよな。
このCMを教わって思った。
創価大学(寮)真裏の地主村内家具とかかわったのは必然だったと。
上野クリニックとか、そっち系の会社だったのかよ。



学習院の村内家具が飼っていると自慢していた日大教授はだれなのだろう?
どうせ落合仁司つながりだからその妻、恵美子さんもコネクション。
落合仁司って橋爪大三郎や宮台真司とも関係があるのか。
八王子は立川と近く、あのあたりは独特の宗教文化があるからなあ。
「おれは日大教授がバックにいる」
いやあ、学習院と日大だったら学習院のほうが上な気もするが、
八王子山中ではそうではないのかもしれない。
村内家具のバックにいる日大教授ってだれなんだろう?
いまわたしは村内家具を崇めていて、机の叩き方を独自で練習している。
八王子流をぜひ実地でおしえていただきたいものである。
お膝元八王子に気に食わないやつを呼びつけ、
一対一、対面任侠気取りで机をばんばん叩きながら、
「おまえおれを舐めるなよ。世間は甘くないぞ」
そう怒鳴りつける彼には伝統があった。歌舞伎のような伝統芸に近かった。
見惚れたといってもよい。
おれは村内家具代表取締役で、
日大教授ごとき一匹くらい傘下にかかえられる八王子の本物の山もちの財閥だ。
「世間は甘くないぞ(ばんばん)!」
机は壊れなかったし、音の鳴らし方、怒声の音調まで抜群で、
八王子の伝統芸を感じさせた。これこそヤクザ社会、八王子のいきり。
机の叩き方がさすがはプロで村内家具はうまかった。
まるで太鼓のように村内家具の重役は机をうまく叩いた。
八王子の悪鬼もまだしもという顔で怒鳴った。
「私は正しい!」
さすが蛇の道は蛇である。
家具は村内家具のような専門店で手で実地で確かめて買うべきだろう。
師匠のひとりは株式会社シナリオ・センター社長の小林幸恵氏だが、
かのスクールの体験記を書いていたら辞めろと職員に囲まれ圧迫された。
辞めろって。聞いたのね。
「辞めたら、せめて研修科に入るときに払った進学料くらい返してくれるんですか?」
お答えは、絶対に返さない。
商売人は一度もらった金を返すことはない。
なーに、あまたれたことを言ってんだ、バーカという顔で小林社長に見下された。
いまはその通りだと思う。
シナリオを一度も書いたことがないが、いい人生の先生でした。
「1回払った金を返してもらえると思うなよ」(大意)
堂々とこんなことを言えるのは、わが師匠たる小林幸恵社長くらいだろう。
そして、コロナ大貧困社会に生き抜くためには、この思想がもっとも必要である。
うちはひとたび金をもらったらその金はなにがあろうとも絶対に返さない。
ピースボートのような知名度の高いところだって倒産されたら終わり。
返金はできない。
金銭取引にとっていちばん重要なのは信頼関係。信用だね。
SNSの時代だから、なんでも本当のことを書かれちゃう。
あそこの派遣会社は毎回架空の案件であおって、人を集めているとか。
山田太一ドラマ「想い出づくり」初回にもあったな。
商売なんてそんなもので、採算度外視の嘘で客を釣る。
しかし、それがまったくのゼロだと詐欺になるから100人にひとりくらいまわしてやる。
そのひとりになれたらいいのだが、なかなかそうはいかない。

どこかの派遣会社で、
「新橋の大手出版社で投稿小説の校正1800円」という案件があったな。
もちろん、落ちたが、
そもそも新橋に大手出版社なんてないことを知っていたのだから、
お約束に付き合ったって感じ。釣り案件。
スマホに代えて匿名SNSとやらを始めたらおいしい思いができるのかしら。
ここ数年は金が絶対の時代が続くだろう。
そこをどう持ちこたえるかが庶民の知恵かな。うまい話はない。
人を見たら詐欺師と思え。むかしからの付き合いは信用がある。
3月の終わりから4月の中途までブログを更新していない時期があったと思う。
あのときはこれはやばいのではないかと思って自粛した。
そのとき笑ったのは数ヶ月に1度しかメールを送ってこない日本旅行さんからの
「メルマガ自粛します」メール。
おまえんとこ、いままでも自粛モードで、自粛宣伝すんな。

そういえば日本旅行を使ったのは1回きり。
山田太一ファンの奈良のお医者さんが僕なんかに会いたいって。
そのときふらふらしていたからいいですよって。
でも、人間不信があって交通費は自腹になることも考え、いちばん安い「こだま」。
京都のホテルいちばん安いところにした。
いざ、もらえないとなったときの対処である。

奈良では、お話をうかがうばかりであった。
逆に僕には奈良のお医者は、こうなのかという勉強になったくらい。
交通費宿泊費支給どころかお小遣いまでくれるって。
開いてみたら驚きの高額10万円。

その10万円をなにに使ったっかって?
山田太一さんからもらったようなものだから返そうと。
早稲田大学演劇博物館に行って、未公刊戯曲をぜんぶコピーして味読熟読。
これでもかとその感想をブログ書きつけましたね。これが礼儀であると。
だから、いま山田太一さんの戯曲(演劇)情報は、
ぜんぶインターネット(「本の山」)にあるわけである。

本当の文化貢献というのは、
あの奈良の医者のようにするものだと思いましたですね。
あとから調べようとするものには、かならずやうちのブログが足がかりになるはずである。
金を払ったのだからどうこうせいという八王子のようなことは、
奈良のお医者さんはおっしゃらなかった。
好きなように書いていいよ。それだけでしたね。
これからミゾユウの時代の時代がやってくるんだろうなあ。
何度も自殺したいと迫る母に対して
「絶対にしないで」と渾身の約束をして破られ、
(それも眼前投身自殺という復讐に近い行為で)廃人同様になった僕には、
肌感覚的に慣れた親しい地獄世界である。
今日、ある派遣会社の人から言われた。
派遣会社の約束なんて信じちゃいけませんよ。
うちらは平気で雇用を切ります。
会った人に約束を破られても、おなじ人と見ていませんから腹も立ちません。
派遣なんか信じないでください。
本音を言ってくださるいい人だったと思う。
30日に雇用の詳細が決まるらしいが、
そういう約束の電話さえしてこない人は複数いたから派遣はねえ。
雇われるほうの非を責める声も多いが、どっちもどっちの世界。
金がないって悲惨だなあ。
これから「なにをしてもいい」というルールど破りのサファリパークになるのだろう。
働いた給料が翌月支払われるかもわからない混乱社会が始まる。
いざとなったら経営者は夜逃げするだろう。
ぜんぶ約束を破って、おさらばさいさい。借金? 知らんがや!
どれだけ非情になれるかが勝負の分かれ目の時代がやってくる。
小金のあるおっさんがホテルにSNSで知り合った女子大生を呼び出し、
「ひととき融資」をにおわせいいことをしてホテル代も払わず逃げていく時代が来る。
人を信じたほうが負け。どれだけうまくちょろまかすか。
わたし、働いていて、いつもわからなかったもん。
どうしてこの会社はお給料をくれるんだろう。逃げたら丸取りなのにって。
そういうのが正義になる時代がもうすぐ来るのかもしれない。
「未曽有のコロナだから」といえば、なんの言い訳にもなるポストコロナ社会。
考えたら働いた翌月に会社が給料を払ってくれるのって当たり前ではない。
経営者はいつでも夜逃げできるし、そうしたら丸ごと金を手に入れられる。
さあ、これからは厳しいぞ。
芸術や文化と言っていられなくなる時代が10年は続くだろう。
これから大不景気がやってくる。一円十円の無駄も許すな。
人生は金だ。
口ではきれいごとで、自分は学者で仏教を勉強しているなどと言っていた八王子紳士。
いざ金に困ったら、身もふたもなく、恥も外聞もなく、
会ったこともない女性に「弟を刑事告訴する」というデタラメの脅迫メールを送信。
一度ではない。何度も何度もである。
私は八王子の名門、村内家具の代表取締役だ。警察とも関係がある。
「非常に遺憾ですが私は貴女の弟様を刑務所に入れられる立場にあります」
金だなあ。村内家具って(山や美術館もあるのに)株で溶かしたのか、
あんがい金はないんじゃないか。
一族が見知らぬ女性に金を脅し取るようなメールを書くのが村内家具。
僕は道元さんや空海さんを信仰している信心深い性質でねえ、
と言っていた村内弘道さんも金には狂う。おもしろいなあ。
奥さんも稼いでいるんだからなんとかなると思うが、仲悪いって聞いたしなあ。
ベトナムと金、ベトナムと蛍について10数年前のことを書きたい。
ベトナムのカントーってところでさ、田舎町で、そこは蛍ツアーを売りにしていたのよ。
カントーの川で蛍を見ましょうみたいな女子大生向きツアー。
夕飯がついて十ドル(当時千円だから)だから大したことはない。
はなからバカにして申し込んだ。
時間まですることがないから村の奥まで歩く。
すると現地人から呼び止められる。大歓迎よ。夕飯にまでお呼ばれした。
これってすごいことなんだよ。
ふつうの日本人はベトナムの田舎町カントーの一般家庭の夕食は味わえない。
僕はこれもすべて既に払った料金に含まれると思っていた。
10人近い大家族で、
はじめて食べるベトナム家庭料理は新鮮で、
これだけでも1万取れると思ったくらいショッキングだった。
しょっぱいご飯のおかずが多かったが、
その濃厚がベトナムならではの味を感じさせた。
冗談だろうが、うちの娘と結婚しないかとお見合いじみたこともやらされた。
住所交換もした。
最後にパパがバイクでボート乗り場に案内してくれた。
そこでガソリン代を請求されたのである。
そこではじめてこれがコースではなく、本当の現地民との触れ合いだと知った。
お見合いもジョークではなかった。
なにか呆然としてガソリン代を払ったものである。
カントーお約束の10ドル蛍ツアーはまったくおもしろくなかった。酒もまずかった。
引き続き金の話をすると、見栄を張る貧乏人がおなじ貧乏人としてわからない。
貧乏なおれなんかからしたら、「サイゼリヤ」は月に1度食べたら贅沢よ。
居酒屋なんて「たきおか」「いこい」「一休」でも無駄遣いしちゃった気分。
でも、あそこらの「あんきも」や「白子」は変に化粧していないぶん、
高級店よりうまく感じる。
これは嘘だが山にこもって10年仏道修行をしたことがあるのだが(嘘よ)、
山を下りて町に出たときの世の浮かれっぷりだな。
おれんなかじゃ、ユニクロが贅沢でブックオフが大学だったのだが……。
どうしておんなじ貧乏人の酒嫌いの女が
ウイスキー1杯千円とかするバーに行きたがるのかわからなかった。
そこのマスターは20歳年下の女客と結婚したって聞くし、
あんがいそんなものかもな。人付き合い(金払い)が勝負。
そういう常識を知っているエリート貧乏人とプア貧乏人がいる。
貧乏人のくせに見栄で高い店に行きたがる人って多い。
姉とかおれは精神病の母からきつい貧乏教育を受けたから贅沢ができない。
相手がいくら金を持っているなんか家族でも聞けない。
しかし、聖姉弟というかまれに存在して
姉は弟のふところ事情を把握していることがある。
それはもう絶対的信頼だ。
10年以上、お世話になっている血のつながっていないお姉さんには
聞かれてもいないのに言っている。
話は変わるが、ファイナンシャルプランナー、
心理カウンセラーは聞いてしまうことも多いだろう。
相手が金を持っていないと思うと、
テーブルをばんばん叩いて怒鳴る風潮が八王子にはあるようだ。
いかにも人間くさい流儀作法で悪くない。
しかし、そんな金勘定からは生まれないのが芸術作品。
八王子大菩薩は最初、
羽振りがよかったのか歴史に残る芸術作品をご所望されていたが、
最後は資金繰りが苦しくなったのか
「こんなもんビジネスにならない」と八王子に呼び出され大声で怒鳴られた。
金だよなあ。つくづく金だよなあ。
これからしもじもの金の奪い合いが始まるな。
会社だって金がないんだから、労働力が余っているいま、
ハローワークで募集をかけてもくるかもしれない。
その場合、高い派遣会社は立場的に下なんだからキャンセル。
そうなると派遣会社の信用問題になる。
いまはSNS主流だから、あそこは弱いとばらされたら人が集まらなくなる。
人材派遣会社の自然淘汰もコロナ禍で始まるだろう。
強いか弱いか、が明確に現われる。強いところが勝つ。
あからさまになる。労働者なら若いほうが有利。女ならかわいいほうがお得。
すさまじい金の奪い合いが始まるような気がする。
払えない相手からいかに奪い取るか。
口約束なんて信じないで、破られるのを前提に複数と口約束しておく。
人を裏切るとか関係なし。
たとえだれかを裏切ったところで苦しむのは自分ではない。
義理人情なんか信じたら貧乏くじを引く。
安いものをさらに安く買いたたけ。いや、もっと安くできるだろう。
相手の足元を見ろ。相手が泣いたぶん、自分が笑える。
だれが死んだって、自分や自分の家族が死ぬよりはいい。
死にたくなければ、相手を合法的に殺せ。
もう60歳オーバーの仕事はないぞ。
あっても競争率は100倍だ。
金だ、金だ、アハハハハ、金だ。
さっき派遣会社の人に電話したら、GW明けの仕事も決定ではないとのこと。
だったら、あの某有名派遣会社がはじめて電話をくださって、
「近所で働きませんか?」と言ってくれたのはチャンスだったのか。
「ありがとうございます。しかし、先約がありますので……」と断ってしまった。
しかし、先約なんてなかった。
とはいえ、まだ希望がないわけではない。派遣会社にも面子はあるだろう。
コロナ禍で慌てている人に申し上げたいのは、なんとかなるよ。
なるようにしかならない、とも言えるが。
20年まえ母から目のまえで飛び降り自殺されたとき、だれも助けてくれなかった。
そのときはいちおう友人や知人のようなものも複数いたのだが、
だれも助けてくれなかった。僕の気持をわかってくれなかった。
ボロボロ。いままで親友だと思っていたやつも、逃げ出した。
心酔していた原一男教授に連絡したが、
ちょうどあのころは彼が多忙快楽に目覚めたころのようで、
たいへんよくしていただいたが、めんどうくさそうな表情がちょろちょろ見えた。
むろん、それは人間として当然の感情で責められるべきものではない。
結局、同居していた姉のお世話になったのである。
姉は父と母の問題にはかかわらないというスタンスだった。
しかし、母と弟がこうなってしまうと、そういうわけにはいかない。
ブログには公開できないほど姉にはお世話になっている。
やがて気づくわけである。
僕の存在が姉の人生を拘束している。浸食破壊している。
とはいえ姉がいなかったら僕の人生は破綻する。
そのとき義兄が姉をうまく奪っていってくれたんだよなあ。
10年レベルの苦しみの結果である。
こんなことができる人はいないと思うが、姉は僕を好きなようにしてくれていた。
好きなようにしろ。
インドでも東南アジアでも中国でも、どこにでも行け!
どうしようもねえ、とあきらめていたのかもしれない。

みなさまに伝えたいのは、
そのとき、義兄が登場したとき、
見知らぬ女性が突如3人現われ僕を救ってくれたことである。
天の配剤というのはうまくできていると驚いたものである。
見知らぬ女性3人に親身に助けられて、そのときの孤独を脱出できた。
あれはギリギリだったと思う。生きるか死ぬかのギリギリ。
それからもいろいろあるのだが、今日はこのあたりで失礼する。
いつしか眼前投身自殺をされた自分の気持をわかってほしいと思うことはなくなった。
15年くらい経ったときかなあ。なぜなら人と人はわかりあえないのだから。
八王子の59歳の社長が「どうして自分の気持をわからないんですか?」
と被害者ぶって偽善的なメールを寄こしてきたとき、
ああ、こいつは甘い人生を送ってきたんだろうなと失笑した。
僕はいやなやつである。
この時期に近所でケーキ屋とラーメン屋がオープンしたそうだが、ついてない。
いまどき900円でやっていた床屋はさっそうとやめていた。
近所の養老乃瀧も営業はかなりがんばっていたが、緊急事態宣言でクローズ。
がんばって一生懸命働いて夢をかなえた努力の末路よ。
わたしは多額の借金を抱えるくらいなら、早めに店を閉じるほうが賢いと思う。
しかし、ネット記事で読んだコロナ以前の話だが、
かつて(親から引き継いだ)ガソリンスタンドを
5つも6つも経営していた社長さんが、自己破産して、
55歳で物流会社の契約社員で手取り16万とか物悲しい。
結婚しているから共稼ぎなのがせめてもの救いか。
「もっと早く廃業していればよかった」
そう言っていたが、そういうのもすべて運の問題だからねえ、こればかりは。
夢をかなえたとか言って、
この努力がよかったとネットや雑誌でブイブイドヤっていた人も、
まさに一夜にして転落。それはまったく努力とは関係ない。
「努力すればかならず夢がかなう」
と宣伝集客蓄財していたシナセンの小林社長はいまなにを思うのだろうか?
飽きた。生きているのに飽きた。
そんなことを言われても困るのはわかっているが、飽きた。
戯曲、仏教、山田太一、宮本輝、創価学会、いろいろ夢中になったが、
どれも限界まで達してしまい、とどのつまり飽きたというわけだ。
海外孤独旅行もお腹いっぱい味わった。
これはご縁の問題だろうが、女、株、ギャンブルに夢中になることはなかった。
なにかに夢中になりたいんだよ。
GW明けに短期派遣で働くことになっているが、ガチンコ印刷工場は初めてだし、
紙は重いっていうし、ちょっとドキドキしているがドタキャンなのか連絡が来ない。
本来ならとっくに工場見学を済ましていなければならないのにさ。

また父からは、ふん、肉体労働かと鼻で笑われるのだろうが、
精一杯身体を使ったあとにビール(もどき)を飲んで、
しかし明日の労働のことを考え深酒しないのは、
古いテレビドラマや映画の労働者を演じているようで悪いものではないよ。
朝起きて職場へ歩いて向かうときの「今日も働くぞ」という気分もいい。
父には悪いことをしたといまでは少し思う。
膨大な教育投資をかけてもらったが、結果がともなっていない。
あの人は百歳まで長生きしたい人だから、
わたしの残り余命をプレゼントしたいくらいだ(10年あるかしら)。
しかし、面倒な重度精神病の母の世話をすべて思春期の息子に押しつけ、
そのおかげで自分は好きな仕事に専念できていたのだから、
損得はいちがいには言い難い。

いま本も映画も飽きてしまった。
どっちも飽きるほど触れていないだろうというお叱りもわかるが、飽きたのだもの。
シェイクスピアに夢中になったいたころとか懐かしい。
知れば知るほど深みが増していく仏教の世界もおもしろかった。
根底にある確信はこの先に「なにかある」という希望であった。
しかし、いま思う。なんにもない。なんにもなかった。なんにもありゃせんよ。
自己保身のために書いておくと、
これは朝日賞作家で小林秀雄賞作家の山田太一先生のお言葉。
いまは老人が死ななくなった。老人が死ぬのは不幸ではない。
お金は十分あるのにポストにしがみついている老人が多く参る。
原一男さんだって、わたしが学生だったころは、
「いつ死んでもいい」と言っていたが、
10年後には大学教授や名声栄誉というポストにしがみつき、
健康食品への偏愛を恥ずかしげもなく「週刊朝日」に公開し、
20年後にいたっては自分はあと20年、
100歳まで生きてポストを守ると宣言している。下には厳しい目を光らせる。
おなじく下層民出身の毎日賞作家の宮本輝も100歳まで生きて、
権力ポストを維持することを生きる目的としているそうだ。

わかるのは、おそらく、権力ポストほど輝かしいものはないのだろう。
15年前、惰性で文京区の投げやりな循環器医師のもとに、
だらけたジェネリックの薬をもらいに気休めに暇つぶしに行っていた。
あるとき、自堕落な若者だったわたしは言ってみた。
「別にお薬なんかもらっても、長生きしたくないからどうでもいいんですよね」
お答えは――。
「わからないよ。いつどうなるかわからない」
いざ結婚をしたりポストを得たりしたら長生きしたくなるかもしれない、
ということだろう。
あれから15年、結婚やポストといった幸運、幸いには恵まれていない。
しかし、なんとなく血圧の薬をのんでいる。そういうものであろう。
いちおうGW明けから働くのだが、派遣会社から詳細の連絡はない。
またドタキャンかもしれない。
一般的にこちらから連絡してもお忙しい派遣社員さんはつながらないことが多く、
そうなると返信を待つという作業がなによりもめんどうくさい。
そんなガラケーにピリピリ注意を払うのはいや。

今年44歳で百年前なら平均寿命だが、生きていて退屈がまさる。
新しい言語パターンなんてめったにないし、
それをたまさか見て興趣をそそられて使用してもすぐに飽きる。
とくに食は飽き飽きとしている。
おなじ味ばかりじゃないか。
もっと売れなくてもいいから変わりばえのあるものを出せ。飽きる。

コロナで豊洲市場で生魚鮮魚がいいものなのに売れないっていう。
売れても高級割烹に客が来ないだろう。
なら、われわれのスーパーに安く卸せばいいのに、
刺身の質量金額は変わらないままである。
こういうときなら、最上級のウニを安価でスーパーで売ってみろよ、
と思うが、できない事情もあるらしく、それがわからない年齢でもない。

コロナ禍で禁止の温泉に行っても通俗観光をしても、それはパターン。
どうして飽き飽きしないのだろう。
そうそう、わたしは若いころカンボジアのアンコールワットで
おそらく脱水症状からぶったおれ、
ポリスに必死でヘルプミーと頼み、病院で点滴を受けた。
ボランティアで来てくれた通訳をかねた年若の日本人女性から、
この国は10万、20万とるよと言われたが、
結果は4千円だった。概してカンボジアのポリスも医療者も親切であった。

退院したその日、
わたしはスタミナをつけなければと焼き肉セットを
カンボジアビールで流し込んだのであった。
そういうものである。海外旅行保険に入っていなかった。
自由であった。死んでもそれまでと思っていた。
アンコールワットのいちばんの思い出である。
大林宣彦監督の17年公開の映画をジェイコムで視聴する。
3時間近い映画は「序破急」の構成になっているので3日にわけて見た。
42歳の俳優が高校生をやり、30近い女優が女子高生を演ずる、
太平洋戦争前の青春を描いた映画。

「あいつが美しいのは孤独だからだ」
「なんだかさみしいネ」
「みんなさみしいネ」


「観念(精神)vs○vs生命(肉体)」

あまりにもわかりやすい作品構築モデルである。
脊椎カリエス知性、結核肺病少女、三島由紀夫的身体、永遠を記録する千歳、
豆腐屋の青春軍国少女、あきんどピエロ小僧、主役はノンポリ――。
こんな映画は1%の人も本心からは褒めないだろう。
センチメンタリズムじゃないか、ノスタルジーじゃないかと一笑にふされる。
おもしろくもないし、見るのが苦痛である。
しかし、なにかがわが心に残っているのである。
これだけは描いておきたいという映画監督の執念であり、エロチシズムであり、美感だ。
作品的にはくどい。
真っ裸の青年ふたりが鉢巻をしておなじ馬に乗り海辺を闊歩するのはくさい。
しかし、彼はそれを描きたかった。

7、8年まえに「回送車」というコンクール応募シナリオを書いた。
3人の女ともだちのクロニクル(年代記)である。
女優は10代後半、20代後半、30代後半にやってもらう。
シナリオの構成は序破急の3部作。
1部ではみんな女子高生で3人全員にセーラー服を着せる。主役は10代。
2部ではみんな20代後半で、主役は20代の女優に任せる。
3部ではここぞとばかり30代後半の女優に演技を任せる。
まあ、大実験作だが、当時はそういう認識はなかった。
みんなこのくらいはわかるだろう。
ところが、コンクールでは一次も通らず。
毎回、好意的なご感想をいただいている友人にも「これだけはわからない」。
たぶんいちばんわたしが書きたい性的リビドー満載の作品だったのである。
メール上にあるかと思ったら、
当時はプリンターが元気でいちいち印刷して郵送していたみたいで存在しない。
みんなコロナで暇なんだら、それをいま公開しようと思ったが原本が消失している。
その駄作愚作は「回送車」という――。

大林宣彦監督の「花筐」の評判は、
コネで決まる映画賞をのぞいては非常によくない。
しかし、かつて「回送車」というだれにも評価されないアマチュア作品を書いたものが、
「花筐」を絶賛しなかったら、おのれを否定するような陰鬱な気分になる。
「花筐」は老齢の大林宣彦監督がおのれの性的リビドーをすべて込めて
描き上げたところの桃色浄土である。
名作かどうかではなく、彼はこれを創作したかった。そこには一片の嘘もない。
なかなか忘れられない映画である。
人のこころに傷をつける映画を大林宣彦はつくり、そして死んだ。
おすすめできる映画ではとてもない。

作家で精神科医の春日武彦さんとホラー作家の平山夢明氏が
対談本でおすすめしていた(?)サイコパスなアメリカ映画。
たまたまジェイコムでやっていたので、ああ、これかよって。

忍耐力がないためか、最後まで視聴するのにかなりの苦労を要した。
図式的に説明すれば、映画のテーマは「神の法か世間法か?」である。
「罪人を殺すのは罪か?」「救済とはなにか?」「正義とはなにか?」

キリスト教のカトリックには7つの大罪というものが定められているらしい。
耶蘇教とは無縁のこちらはまったく知らなかった。
暴食、色欲、強欲、憤怒、怠惰、嫉妬、傲慢がそれらのようである。
米国犯罪都市に新米新婚の正義感の強い若い白人刑事がやってくる。
彼がペアを組まされるのが黒人の定年間際のベテラン刑事。
おりしも残虐な連続殺人事件が起こる。
正義感の強い若手刑事は犯人をなんとか捕まえようとする、
黒人ベテラン刑事は、これはカトリックの7つの大罪、
「暴食、色欲、強欲、憤怒、怠惰、嫉妬、傲慢」がテーマになっていると気づく。

この過程がかったるかった。
ホラー作家の平山夢明氏はこの殺人過程を楽しめたそうだが、
わたしはそこまで逸脱していない(サイコパスではない)のだろう。
人が殺されてゆくのを見てもさっぱりおもしろくなく何度も消した。

この映画の見どころは最後のクライマックスである。
連続殺人事件犯人はカトリックの7つの大罪をテーマにして人を罰していた。
暴食なやつは死ね。過剰に好色な女は死ね。
強欲な弁護士は死ね。怠惰なやつに生きている価値はあるか。
「神の法」からしたら犯人の殺害は理にかなっているのである。
どうして神の定めた大罪を犯したやつらをぬくぬくと生かしておいてよいのか。
それこそ怠慢の罪ではないのか。
いっぽう正義の熱血漢の若手新婚白人刑事は「世間法」の犯罪を憎む。

わたしは正義を主張するやつが嫌いだから、
このイケメン白人刑事もあまり好ましく思っていなかった。
むしろ、自首してからは連続殺人犯のほうに共感していたくらいである。
犯人は弁護士を仲介にして、警察と交渉する。
聖職者的殺人犯の彼はいったいなにをしたいのか。
「世間法」における犯罪者は、白人と黒人の刑事ふたりを郊外に連れ出す。
そこに臨時雇いの宅配便が箱を持ってやってくる。
黒人刑事が箱を開けてみると白人刑事の妻の惨殺された首であった。

犯人は大笑いする。
「おまえの妻は妊娠していたんだぞ。それをおれはまずこれでもかと犯してやった。
手籠めにした。どのお口の穴もいただいたよ。
それからじっくり時間をかけて殺してやった」
若手白人刑事は怒りに震える。
「神の法」の7つの大罪でいえば「嫉妬」と「忿怒」である。
「世間法」からいえば殺人の罪を犯したいという衝動にかられている。
いったい正義とはなにか。
熱血漢の正義若手白人刑事は「神の法」も「世間法」も犯す。
犯人をみずからのピストルで銃殺する。

最後はよかったが、そこに行き着くまでが、世代的にか、異様に長く感じられた。
人間はどうしようもなく正義にこだわるが、それはとてもグロテスクである。
「神の法」の正義も、「世間法」の正義もグロテスク。
グロテスクでサイコパスな当方は最後のイケメン正義漢の絶望が小気味よかった。
正義なんか滅びればいい。

犯人の日記から――。

「我々は何とくだらない操り人形だ。
世を気にせず――己を知らず、性に興ずる楽しさよ。
道を外した我ら」


連続殺人犯が救済者でなかったと、どうして言えようか?
「正義」は作品のテーマになるにふさわしい述語である。

「仏尊の事典 壮大なる仏教宇宙の仏たち」(学研)

→一般的多数の男性の理想像というのがあるらしく、
それは壇上に堂々と立って、スーツを着た大勢の弟子を大声で指導して、
「ありがとうございます」と感謝され、尊敬されるというもの。
釈迦のみならず伝統仏教、新興宗教もみんなそんな感じでしょう。
むかし焼鳥屋の父がワタミのあの人の講演会に行って感動したとか言っていて、
自分とは違う人種なんだなあ、と強く思ったものである。
ワタミの会長にあこがれる心理も、教えを伏して押しいただく感情も、
精神的不具の僕にはわからなかった。
しかし、それこそ仏教(宗教)の世界みたいね。
僕は「真実は人それぞれ」と思っているから、
だれがどんな突飛な宗教を信仰していても抵抗感はない。

去年、八王子社長に仏教小説を依頼され、
その過程で何度か面会し、メール交流を交わした。
僕ごときが八王子の敏腕ビジネスマンに教えられることはなにもない。
だが、八王子社長は接触ごとに「おかげさまで気づきがありました」
と感謝のメールを送ってきて困惑したものである(メールの証拠あり)。
僕としては、八王子さんが彼なりの真実に行き着いてくれたらいいなあと。
こちら生まれも育ちも商売人だから、
無料で四国お遍路さんに配る(せめて最後まで読んでもらえたらよい)
エンターテイメントを意識して1年以上かけて、くだらぬ仏教小説を書いた。
それを八王子社長はこちらの想像以上にぼろくそにけなすのである。
いままでの謙虚な態度はなんだったのかと人間不信が増すレベルである。
彼はワタミの社長のようになっていた。
自分がルール。自分が絶対に正しい。
ギャラもおまえなんかに支払わない。どうだ。参ったか。わがちからを知ったか。
しかし、いま思えば、それもまた仏教なのである。
仏像には明王というガードマンがいる。

「明王とは、真言の霊的な力を持つ王という意味で、
救い難く、教化しにくい衆生を畏怖・屈服させ、
正しい方向へ導こうとする仏である。
このため、その形は忿怒の表情の恐ろしい姿のものが多いが、
教えの意味は菩薩度同様である」(P15)


八王子社長の村内弘道さんは、
僕と1年交流することで忿怒の不動明王という仏、菩薩になることができたのである。
テーブルを壊さんばかりに叩きながら、ほとんど見知らぬ他人を怒鳴る。
こんなことは不動明王のような仏や菩薩にならなければ決してできないだろう。
八王子名士の実業家、村内弘道氏ならなおさらである。
男を仏にしたのは僕の功績であるといってよい。
お布施が安すぎやしないかと思うが、
脇役がそういうことを言ってはならないのかもしれない。
いつの日か彼は大勢の弟子をはべらし、
ワタミの会長のように獅子吼する日を夢見ているはずである。
不動明王の村内弘道は僕が足元の礎となることで完成したといってよかろう。

「雑学3分間ビジュアル図解シリーズ  ユング心理学」(山中康裕=監修/PHP研究所)

→大学時代のユングが霊能者のスウェーデンボルグに
夢中になっていたことからわかるよう、ユングは学者というよりも新興宗教の教祖。
晩年はハーレムをつくって、まさしく教祖然として、
自説は絶対に正しいと自分の弟子たちに叫んでいたようである。
いちおう精神科医でもあったわけで、ということは、
これは精神科の病気は新興宗教でも治りうることを証明していよう。
大学時代、河合隼雄の「ユング入門」を読んで、
ここには新しい学問世界が開陳されていると身震いしたものである。
あれから20年以上経ち、河合隼雄の本を134冊読んだ結果、
ユングは学者ではなく、性欲たっぷりな独裁的な新興宗教のトップだとわかった。
河合隼雄も最初はユングを西洋権威の後ろ盾として世に出たが、
晩年はユング用語も使わなくなったし、ユング批判さえしている。
河合隼雄が学者かどうかもまた議論がわかれるところだが、
わたしは河合のほうがユングよりも実力的に上だったと思っている。
ユングはインチキのスピリチュアル的なオカルトで、しかし、ではなく、
がためにこのゆえにユングはおもしろいといまでは思っている。
43歳まで孤独と不安に苦しみながら生きると、
幼少期のようないかがわしい世界が恋しくなるのである。
ユングは超能力者を自称していたし、
河合隼雄もまたおのれの霊能力のようなものをこっそりにおわせている。
これは「こっそり」が肝心で「おおっぴら」にやるとインチキくさくなる。
晩年の河合隼雄は否定的だったが、
ユングは自己実現を万民の人生の目標として設定していた。
むろん河合の言うように、べつに自己実現しない人生もあっていいのだが。

☆「みんな→じぶん」

去年、八王子の社長さんに依頼されて仏教小説を書いたらえらく批判された。
その口調は「自分はこう思う」「自分はこうではないと思う」なのである。
しかし、よく聞いてみると「みんなはこう思う」「みんなはこうでないと思う」。
八王子社長に自分なんてなく、あるのは「みんな」だったのである。
自分がこう思う以上、みんなもこう思う。
だから、これは間違っている。多数決の論理である。
長年、八王子で荒っぽい金儲けをしてきた社長さんに自分を求めるのは無理というもの。
しかし、そういう地位や名声、財産に恵まれた人ほど自分にこだわる。
ユングの自己実現は定式化すればこうである。

☆「みんな→じぶん→たから」

晩年の河合隼雄はこんなものをバカにしていたが、
ユングやそのお仲間の霊能者一派は、これを後生大事に信奉している。
このあたりに霊能者サイドに富裕層がつけ込まれる隙が生じるのだろう。
ライターはユングの共時性、シンクロニシティを縁起律と表現している。
世の中には縁起律が存在する。

「なぜなら、ユングは世の中のあらゆる物事は互いに繋がり合い、
連動していると考えていたからです」(P94)


そうだとしたら、現在の高額霊能行為が、おのれの幸運と連動しているかもしれない。
同様に占い師に占ってもらうことが、おのれの禍福と連動しているかもしれない。
これはスピリチュアルなオカルトだが、それに慰められるものがいてもいいのではないか。
わたしに霊能力は(おそらく)ないが資金繰りが不安な八王子社長は、
愚かにも当方ごときを、そういったシャーマン的な存在と見ていたところがあった。
たとえそうだったとしても、いただいたお金は決して多いとは言えないだろう。
本当のインチキ霊能者や宗教家に引っかかったら1千万、1億を持っていかれる。
そういう新興宗教的マジナイで病気がたまさか治るのも人生のおもしろいところ。
なぜなら、禍福や幸運不運はまったくデタラメで、
裏の仕組みはだれにもわからないからである。
いつだれに幸運が舞い込み、いつだれに突然の不運が舞い込むかはわからない。
せいぜい宗教家商売をするなら、そのくらいはわかってほしい。
河合隼雄はわかっていただろうが、ユングは疑わしいと言わざるをえない。

「霊界日記」 (エマヌエル・スウェーデンボルグ/高橋和夫=訳編/角川ソフィア文庫)

→スウェーデンボルグ(1688-1772)はスウェーデンの科学者、神学者、神秘主義思想家。
わかりやすく言えば、オカルトやスピリチュアルの元祖。
いまで言う新興宗教の元締めみたいなもの。精神病者あつかいするものもいた。
ゲーテ、バルザック、ドストエフスキー、ユゴーに影響を与えたとされる。
わが愛するスウェーデンの文豪ストリンドベリもまた晩年、
重度の精神病に苦しみながらスウェーデンボルグの書に救いを見出している。
解説で訳者が指摘していたが、
本書は源信の「往生要集」に近いというのは、まさしくそうだと思ったものである。
本書は大乗仏典と似たところがある。
このことから、法華経も浄土三部経も存命時の釈迦の教えを正しく記したものではなく、
後世の信者が創作したものであるとの確信を得た。
天国(浄土)の描写など「霊界日記」は法華経や阿弥陀経の描写にそっくりである。
ならば、大乗仏典もおそらく「霊界日記」同様に(釈迦の正確な教えではなく)
スウェーデンボルグのような奇人変人聖人が霊的世界を描いたものであろう。
精神病的妄想と書いてもいいが、そうするとありがたみが薄れる。
スウェーデンボルグが夢(天界/霊界)でイエスやパウロに会ったように、
瞑想の奥深くで釈迦に会い、
法華経やもろもろの大乗仏典の説法を受けた仏教修行者もいたと思われる。

果たして他生(霊界、天界)や精霊(天使)は存在するのだろうか。
現代科学的な計測は難しいだろう。
なぜならスウェーデンボルグによると霊界には空間・時間が存在しないからである。
そこでは死者も精霊として存在している。
精神科医の春日さんによると認知症の独居老婆が、
屋根裏になにかいるという妄想を語りだすことがままあるらしいが、
卑俗な世界におとしこめば、この「なにか」は精霊の一種だろう。
認知症が進むと(死期が迫ると)死者が見えるというのも同様のケースだろう。
難しいことを言わずとも、われわれは夜見る夢で死者と何度でも会うことが可能。
たしかに夜見る夢には時間も空間もないように思われる。
もしかしたら数百年後の科学は霊界を計測しているかもしれない。

「霊界」というとオカルトがかっているが、
「あの世」「死後の世界」「天国と地獄」「もうひとつの目に見えない世界」
くらいに言葉をやわらげたら少しは身近な感じもするのではないか。
目に見えないもうひとつの世界がある。
スウェーデンボルグはもうひとつの世界が見える人だったのである。
宗教家、神学者らしく彼は善悪の問題にこだわる。
当然、偽善にも厳しく、
世の人は主イエス・キリストへの信仰から善をなしているのではないと説く。
人々は「外なる拘束」から善行をなしているに過ぎない。
このあたりはストリンドベリ的な露悪趣味が感じられ興味深い。

「外なる拘束とは、人間の富、名誉、生命、名声などが滅びないように、
[たとえ外面だけであるにせよ]人間が善く生き、
隣人に悪いことをしないという拘束である。
こうして人間は外なる手段によって支配される」(P82)


コロナ禍でいい人ぶる人は多いが、
彼らは(内心の信仰からではなく)おのれ自身の「富、名誉、生命、名声」
という「外なる拘束」に支配されているだけという見方も可能である。
スウェーデンボルグは一見すると、
「善人は天国へ行き、悪人は地獄に行く」という単純な牧歌的世界観を
説いているように見えるが、そうではない。
スウェーデンボルグが見てきたところの霊界はそうはなっていない。
この世の善悪とあの世(他生、死後世界、霊界)のそれは異なる。

「[知識からではなく]多くの経験から以下のことを私は知った。
すなわち、この世で悪い人だとさばかれた人びとの多くが、
[他生では]祝福された者たちのあいだにおり、
これに反して、世間で善い人だと思われた人びとの多くが、
[他生では]不幸な者たちのあいだにいるのである」(P145)


あの世(他生、死後世界、霊界)の善悪はこの世とは異なる。
この世とて単純ではない。
善をなす信心深い者たちほど不運に見舞われることがある。
たとえば日本では、本人たちは善だと信じている学会活動を好んでする、
善なる学会員の家庭が不幸の連打に見舞われることが少なくない。
学会員にかぎらず、いわゆるいい人は不幸と親和性が高い傾向に見受けられる。
これはいったいどういう事情によるのか。
なぜ信心深い善人たちは不運に見舞われるのか。

「周知のことだが、不運に出会うと多くの信心深い者たちは善について考え、
自分たちはみずから為した善のゆえに不運を免除されて当然だと考えがちである。
けれども、そのさい免除されるとすると、
彼らは、それはみずからが善良であるためだと誇り、
この誇りから邪悪な者たちをあざける結果、
善を不当にみずからのものとしてしまうのである」(P125)


これはものすごくおもしろい過激な真実を霊界から言い放っているのである。
ひと言で申せば、善悪(行為)と禍福(幸運不運)は関係ないよと。
努力(善)をして幸運が舞い込むと、その人物はおのれの努力(善)を誇り、
周囲のものを邪悪であるとあざけるようになってしまう。
これは無信心の極みである。神を冒涜(ぼうとく)しているに近しい。
このため、信心が強いものにはたびたび不運が舞い込むのである。
そのとき男(女)は神について、主イエス・キリストについて真剣に考えるだろう。
主の偉大さに思いを馳せることだろう。偉大なる主の摂理に。
霊や天使たちとこの問題について語り尽くしたというスウェーデンボルグは述べる。

「節理は、誰かが出口を知らないまま密林の中を歩いている様子から説明されよう。
彼は出口を見つけると、その発見を自分自身[の深慮]のおかげにする。
これに反して、高い塔に立って、そこからさまよっている人を見て、
その人の知らないうちにその人を出口へと導くものが節理なのだ。
……人間がそうしたものを自分自身の深慮、偶然、または幸運のおかげにする理由は、
人間は目先のものだけを眺めて、はるか遠方にある目的――
これはこの世にも他生[霊界、死後]にも関連している――を少しも眺めない……
ということである。このことは天使たちによって明らかにされ確証された。
主の摂理なしに起こるものは何もないことは、
自然界にあるさまざまなものによって明らかだが、
こうしたものはふつう幸運のおかげにされている」(P124)


これを日本流に言い直したら、「善意も宿命(節理)より、悪意も宿業(神意)から」
と説く唯円の「歎異抄」の世界である。
ギャンブルで勝つのも負けるのも節理、神意、仏意、宿命、宿業である。
病気になるのも治るのもすべてが節理、神意、仏意、宿命、宿業である。
みながみな万事が主の摂理、天にまします主の愛といってよい。
このあたりはキリスト教くさく、日本人にはわかりにくいところがある。
しかし、ハイカラな面もありスピリチュアルな女子からは支持されるのではないか。

「愛とは、自分を他者に与えようと願うことであり、
自分にではなく他者に仕えることに喜びを感じることである。
そしてこうした者が多くいるとき、そこに相互的な愛が生まれるのである。
なぜなら互いに似たものは相互的だからである。
しかし、自分を他者にまさって愛する者や、金銭にがつがつした者、
ましてや強欲な者はこの相互的な愛を受けることができない。
このようにして主[の愛]のあらかたが示されるのである。
これらのことがらは霊たちの面前で語られた」(P101)


ストリンドベリや野島伸司ドラマの狂った愛の原形であろう。
こういう「愛」はDVや泥沼の離婚調停に発展する危険性も有する。
「愛」の使者スウェーデンボルグいわく――。

「真の結婚の愛においては、夫はその配偶者を自分を愛する以上に愛しているし、
彼は彼女のために死さえいとわないのである。
そればかりか、彼は彼女に自分の全財産を費やし、
自分のために使うよりもむしろ彼女に与えようとする」(P100)


こんなことを主張する女がいたらそれはきちがいかボーダーで、
決して関わってはいけない地雷女だろう。
そして、そういう女性が(男くさい仏教ではなく)スピリチュアルにはまるのである。
精霊や天使とお話するってどこかオママゴトの郷愁があるではないか。
スウェーデンボルグの偉いのは大の汗くさい男が、
こういうことを大真面目に真実であると信じていたところである。
なぜなら男は霊界でこれらの真実を経験したからである。
「霊界日記」は知識ではなくスウェーデンボルグの実体験を書き残したものなのだ。
わたしはスピリチュアルを否定しない。
なぜなら、この世のなんにもない退屈、理不尽、味気なさに絶望しているからである。
目には見えない「もうひとつの世界」があったら、どんなにいいことか。

※なお、スウェーデンボルグにインスパイアされて書かれたのが、
世界的奇書(愚書)とされるストリンドベリの「青書」である。すべては節理であった。

「青書」(ストリンドベーリ/宮原晃一郎訳/日月書院)

八王子の時給十万円男といえば作家で科学者の村内弘道氏だが、
10万円という金額の微妙さが庶民感覚があってよい。
どこだかばれないように書くが、むかし働いていたところで、
自分の正体は時給10万円のスピリチュアルカウンセラーだという先輩男性がいた。
だから、きみたちは時給10万円の人間にこうして仕事を教えてもらっているんだよ。
本来ならありえない体験なんだ。
彼のスピリチュアルなメンター(精神指導者)は時給100万円らしい。
「百万だよ、百万。わかるか! 僕は特別に安くしてもらっているが、百万だよ百万!」
変なスピリチュアルにいかれているのは世間的善人が多く、
彼にもだいぶ助けられた。ああいう信者って善人だから付き合いが楽でいい。

八王子の時給10万円の村内弘道は最悪だった。
小さいころから周囲にちやほやされたうえでの自称時給10万円だから。
幼いころからお坊ちゃん扱いで長じては親の会社で重役待遇。
履歴書なんて書いたことはないだろう。
だから、世間の怖さを知らず、
はじめて会う人に自分は時給10万円もする価値ある学者で作家なんだと自慢して、
それを意地悪くも全世界に暴露公開される八王子貴族の村内弘道59歳。
子どものころから学習院で自分のことを皇族と思っているのだろう。
なにかあったら顧問弁護士や八王子警察署に言えば解決する八王子貴族。
自分は絶対に常に常に正しいと59年間思わされ続けてきた村内弘道59歳。
「あいつは刑務所」と言えばだれでも裁けると信じてきた八王子絶対正義59歳。
そんなやつ、いるのかって、いるんだから、そこが八王子。
八王子の顔役で「僕は時給10万円」が自慢の作家、
村内弘道59歳の新刊が楽しみである。いつ出るんだろう。
「さもありなん第四部」が待たれてならない。
八王子の村内弘道社長に時間場所を指定されて呼び出される。
帰宅時間は相手の気分しだいである。
「時給10万円の私が土屋さんと会ってあげるのはサービスなんだよ」
またまた村内弘道社長に時間場所を指定されて呼び出される。
「一期一会」「一蓮托生」と永遠の友情アピールをされる。
おなじことを繰り返される。
「時給10万円の私が土屋さんと会ってあげるのは特別なサービスなんだよ」
そこらへんを歩いている人はみんなムラウチを知っているが、私とは会えない。
依頼された仏教小説を書いたら、こんなものは小説ではないと否定される。
「時給10万円の私が土屋さんの小説なんか2回も読んであげたんだよ」
毎回、日時場所を指定され「会いたい」と呼び出されるが、
「時給10万円の私が土屋さんなんかと会ってあげている」というスタンス。

きみは八王子のムラウチを知らないな。
いまごろ知った。あなたは八王子の王族、皇太子みたいなものだったのか。
わたしから村内弘道さんに会いたいとお願いしたことは一度もない。
いつも唐突に呼び出された。そしてきまって言われる。
「時給10万円の私が土屋さんと会ってあげるのはサービスなんだよ」
それぞれの地方に田舎ごとにルールがあり、あれは八王子ルールなのだろう。
「人間も畜生も平等」というポエムを愛唱していた村内弘道社長だが、
学習院の彼はおそらく一度も人間同士の平等になんて思いも及ばなかったことであろう。
時給10万円のムラウチと他の下等民は地位に明確な差がある。
初期に天台の十界論を失礼にならないように(こんなことも知らないのかよ!)
気を配って教えてあげたら、これはおもしろいと八王子第一等は満足そうだった。
ただの家具屋だろうと思っていたが、
八王子にとって村内財閥は欠かせない存在で、いわば天皇家のようなもの。
逆らったらなにをされてもおかしくないほど権力を持っていたのか。
不似合いな大物を気取っていた、
さほど人間的魅力もない村内弘道さんの横暴は、
バックに八王子の天皇、村内財閥が顔並みそろえていたからか。

5代前・三造 高祖父・宇三郎 曽祖父・栄一 祖父・村雄 父・壽一 僕・伸弘



ムラウチはすばらしい!
ムラウチはうつくしい!!



以上、伸弘さんのブログより引用。
八王子の経済界(不動産もろもろ)は戦前からムラウチが支配していた。
村内財閥に逆らったら八王子では生きていけない。
イベントもすべて村内財閥を通さなければならない。

そんな八王子の村内弘道さんをブログで夢中にさせて、
高額で小説依頼までいただいたわたしも八王子天皇・村内家の威光を帯びている。
八王子の政財界は村内一族が独占しているとのこと。
田舎の事情はよくわからない。

*八王子のまさに王子、伸弘先生のおブログ↓
https://murauchi.muragon.com/entry/1723.html
いまコロナ禍でNHKのニュースキャスターふぜいが、
「みなさん助け合って思いやりの心を持ちましょう」と言っている。
人はそういう世界を信じたいのか、
助け合いの美談みたいなものが
最近視聴するようになった地上波では放送されることが多い。
いっぽうで特殊詐欺が流行っているという報道もある。
あなたを助けましょう。あなたを救いましょう。

八王子名士の村内弘道さんも、
「仏教的慈悲から土屋さんを救いたい」と言って近寄って来たのである。
世間知らずのわたしは「世間は甘くない」と強がり、
八王子社長で金満家の村内弘道さんのことを信じることができなかった。
「土屋さんは天才だ」
「ふたりで文学の世界を変えよう」
「土屋さんは絶対ものになる。スターになる素質がある」

そんな甘言に騙されるものかと思っていたが、根っからの世間知らずなのだろう。
八王子山麓の豪族メンバー、村内弘道氏をいつしか信じるようになっていた。
世の中は、そんな悪い話ばかりではないのかもしれない。
この人なら信じられるのではないか。
ならば、ご迷惑はかけられない。
なにかのときのために姉の連絡先を教えた。

結果は「土屋さんは世間を知らない」
とテーブルをばんばん叩きながら(あれは村内家具の机ですか?)
怒声を浴びせられ、あげく当方の甘ちゃんぶりを愚弄されるかのように、
まったく断りもなくお世話になっている姉に
「弟を刑事告訴する」というメールを村内家具代表取締役名義で送られた。
村内一族から犯罪者あつかいされ、
姉夫婦も八王子メジャー企業の村内家具の言うことを信じてしまい、
わたしは姉から厳しいお叱りを受けた。
世界のムラウチからしたら、ざまあみろ、だろう。貧民よ、身の程を知れ。

村内弘道さんとしたら「土屋は心底からのバカだな。
世間知らずもいいとこ。きちがいのバカあほクズは死ね」であろう。
実際、わたしは村内さんを信じて、
すべて個人情報を丸投げで提供したのに、
賢い名門育ちのあっちは住所さえ教えてくれなかった。
いつでも切れるように、であろう。八王子の名門村内家は甘くないぞ。
「世間知らずのバーカ」と村内一族はわたしのことをあざ笑っているだろう。
いや、多忙な時給10万円の彼らはもうわたしのことなど覚えていないはず。
あんな世間知らずのバカは記憶する価値もないからだ。

うちのような名門一族レベルになると八王子警察署とツーカーだ。
なにかあったら、あんなやつ、いつでも刑務所にぶち込める。
覚えておく価値もない。
うちは顧客の創価学会とも手を組んでいるし、
近所には八王子抗争で知られる山口組武闘派の弘道会もある。
村内弘道さんは創価学会は大嫌いだが、
当方が学会の悪口を言うとうちのお客さんの悪口は言うなという威圧的態度であった。

これからコロナ禍は本当の地獄を表面に出してくるだろう。
人を信じるのはたいせつだが、詐欺には気をつけよう。
「あなたを助けたい」「あなたを救いましょう」――八王子手法。
これほど激怒しているわたしが八王子の富豪家具屋、
村内組(村内兄弟)にいっさい連絡をしていないのは、
姉に尋常ならぬ恩義があるからである。
そういうことも弘道さんには教えてしまったから、
「さもありなん」の作者は姉にわたしを犯罪者扱いするメールを、
村内家具代表取締役を強調した文面で送ったのであろう。
八王子の「さもありなん」はわたしがいちばん嫌がることをしておいて、
そんなことは知ったことかと平然と悟り澄ました道元顔で生きている。
まあ、そんなものである。
騙される(信じる)ほうが悪いという一面もなくはない。
仏教というのは、善も悪も含んでいる。
世間というのは善悪の世界だ。世間=善悪。
がために、このゆえに仏教は「出世間」と思うものがいるが、もう一段階深く行ける。
それが天台宗の円頓章(えんどんしょう)でいう「無出世間」だ。
「世間(善悪)」がないという「出世間」もないのが「無出世間」。
抹香くさい男にしかわからない無益な役立たずの思弁哲学である。
八王子さんは無世間さえ理解できず、世間法に頼り、
いちばんこちらが嫌がる姉への連絡を冷酷にした。
土屋なんかどうにでもなれ。知ったことか。あいつがどうなったって知らねえよ。
切る。切ったら終わり。こいつは言うことを聞かないから切る。
切れ。切ってしまえ。それが勝負だ。

弘道さんがそういうことをしてもいいのなら、
わたしも東京都八王子市左入町787の村内健一郎さんに連絡してもいいのか?
弟さんが口約束を守らないどころか、わたしを刑事告訴しようと企んでいる。
弘道さんは卑怯で自分の住所を教えてくれなかった。
べつに知りたくもないのでいいのだが。
いつも(創価大学寮の真裏の)村内家具の公式住所を書いていた。
平気で悪をもなしうる村内弘道さんには仏教の才能もあると思うのだが、
本人は単純な善人として手堅い生活を、できるだけ長く堅守したいようだ。
それもよろしかろう。
だが、八王子村内が世間的悪=姉への連絡――
をしたことをわたしは未来永劫忘れないだろう。
完全な侮辱行為をされたと。顔に泥をこれでもかと塗られたと。
八王子の山のくっさい泥を顔中に口や鼻の中までね。
広小路産業の村内弘道社長の誕生日がたしか7月12日(14日?)。
その日に2作目の小説を送信するという約束はどうしたらいいのだろう。
仏教テキスト小説を書けよ、というご依頼。
メールには書いていなかったが、無限回の「八王子校正」前提の村内作品。
去年の9月に2週間で書き終わっているんだよね。
村内弘道っていうスーパー実業家の天才仏教学者が主役で、
みんな彼を尊敬しているという話。「さもありなん」は聖書。
忙しい時給10万円の村内指導者に依頼され、
代行としてわたしが市民会館の会議室で少人数に仏教を教えるという、
戯曲スタイルの私小説。むろん通俗的なハッピーエンド。
わずか120枚そこそこながら、
釈迦仏教から大乗仏教、日本各仏教、創価学会までテキストの内容に入っている。
村内弘道さんはみんなから尊敬されている最高の偉人として描いている。
仏教の大筋をうまくとらえた初歩のテキストになっていると思う。

まあ、村内さんが読んだら怒るだろうが、書き直せばいいんでしょ?
ちなみに書き直しはメールにも約束として記載されていない。
前回の1回目の書き直しは、村内流にいえばわたしのサービス。
2作目はべつに村内さんに書き直されてもいいってくらい、
こだわりやプライドがない小説。名義も村内弘道で構わない。
これを7月に送ったら、刑事告訴されるのか。
姉からは電話やメールをしたら、
その瞬間に刑事告訴という八王子からの伝言をいただいている。
わたしだったら、そういう自分の殻を破るような読書体験はしたいが、
八王子でぬくぬく蝶よ花よと育てられた村内さんは、
過激な世界はお嫌いかもしれない。
小さな自分という巣に一生こもっているのも、幸いでないとどうして言えようか。
八王子さんは姉へのメールで、土屋さんを料亭に招待したと書いていたそうだ。
ちなみに八王子が姉に送ったメールは、読んだら憤死しそうなので未読。
しかし、料亭ではなくちょっと高い居酒屋、割烹料理店くらいが適当だろう。
あれを料亭と書いてしまうところに村内弘道さんの人間性が出ていると思う。
ご馳走してもらう立場だから当たり前だが、料理決定権はまったくなし。
でも、ふたりで鮎の塩焼き、ふぐのから揚げ、あん肝ポン酢を、
おいしいおいしいって、仏教のうさんくさい話をしながら食べたよねえ。
悪い思い出といったら、なにかに失礼になるだろう。
八王子さんは食べるのが速いのよ。
コース料理だと、出てきたらすぐに食べている。
早食い男は仕事ができるという都市伝説があるが、あれは本当かも。
わたしはまず酒を飲んでからゆっくり食べるほうだから合わせるのに苦労した。
酒を殺して飲むなんて初体験だったが、やろうとしたら難しくなかった。
しかし、むろん酒自体はうまくない。
帰宅してからウイスキーを炭酸割で飲まざるを得なく、酒量は増えた。

いったい八王子の名士と八王子で何回会ったんだろう。
向こうは手帳をつけているだろうが、
非正規ニア無職のわたしにそんな習性はない。
時給10万円の八王子紳士と5、6回は会ったような気がする。
待ち合わせ場所には毎回、30分まえに行っていたし、
気を張り巡らせていたので酒を飲んでヘマをすることもなかったと思う。
いまから思えば、あんなに品行方正にしたから、末期で舐められたのかな。
やろうと思えばあのくらい真っ当な行動はまだできるのである。
けっこう焼き魚の食い方はうまいほうだと自負していたが、
鮎の塩焼きの骨の残し方では八王子さんに負けたと思った。
鮎なんて食べたのは下手をしたら10年ぶりくらいだった。
八王子さんとの交流で勉強になったのは、
商取引では口約束を守らなくてもいい。
わたしは広小路産業の村内弘道さんと3年にわたって、
1年に1回仏教小説を書くという約束をしていた。口約束である。
完全に村内弘道さんを信用していたので、
2回目のギャラの支払いを渋られたときには天地がひっくり返るほど驚いた。
わたし「だって、約束したでしょう?」
八王子「証拠はどこにある?」
わたし「約束したじゃないですか? 覚えていないんですか?」
八王子「だから、証拠はどこにある? メールを見たが、どこにも書かれていない」
わたし「口約束したじゃないですか?」
八王子「証拠の話をしているんだ。証拠はあるのか?」
わたし「人を信じちゃいけないんですか?」

八王子さんは渋々金を払ったが、惜しくなったのだろう。
あれは恐喝されて払ったのだと言い始めた。
直接わたしに言うのではなく、姉に実弟を刑事告訴すると。
証拠はわたしが彼に支払いを求めたメールである。
約束を破る人だとは思わなかったから、きついことを書いた。
八王子さんは「これが証拠だ」と土屋を刑事告訴すると。
してほしくなければ、要するに返金せよ。
八王子のあいつは計算高く、無関係の姉を巻き込んだ。
そうすればいちばんわたしを困らせることができるからである。
相手の弱点を見つけ、そこを容赦なく突け。
結果、八王子は2回目のギャラは許すと善人のふりをした。
しかし、実際は口約束でしていた、
3回目のギャラ、1~3回目の自費出版費用を支払うことを回避している。
まんまと300万近く、うまうまとふところに貯えた。

しょせんは口約束だからと相手の足元を見て、
(告訴をちらつかせながら)取引相手との約束を平気で破る村内弘道社長の
環境ビジネス広小路産業の行く先はどうなるものか。
わたしはあれだけ非人道的なことをできる今年還暦の村内弘道社長を
少なくともビジネスの面では評価していて、
村内家具を離れた彼はこれから大成功をおさめるのではないかと思う。
わたしなんか凡人だから口約束でも相手のことを考え破ることができない。
ビジネスに手を出したら失敗する典型だろう。
広小路産業の村内弘道社長の前途は洋々である。
近い将来、大儲けしたら、
あんな世間知らずもいたなとバカなわたしのことを一瞬でいいので、
思い返してほしいものである。
村内経営哲学――成功するものは非情でなければならぬ。
口約束なんかいくら破ってもいい。
ビジネス面からいえば村内弘道はわたしの師匠、善知識である。

(リンク)広小路産業株式会社
http://hirokouji.info/
仏教小説で書きたかったのは、
善悪や正邪といった相対(二相)を超える絶対(ほとけ)の世界。
ブログでも何度も書いたし、
面会の口頭でも繰り返し説明したがわかってもらえなかった。

絶対(時空のない無量永遠世界)=自由(無言語世界)
 ↑
 ↓
相対(善悪、正邪、損得、正誤、貴賤)=世間(法律/言語世界)


八王子さんがいちばんしたかったのは彼独特の「校正」という特殊作業で、
そこでは万事、八王子が「正しい」ことになる。
しかし、「正」とは「誤」の相対概念に過ぎないでしょう。
絶対的なものではない。
それをどうしようもなく彼は理解できず、自分は絶対に「正しい」。
なぜなら、土屋さんが「誤」であるからだ。
自分は正義である。善である。なぜならおまえが誤謬で悪であるから。
わたしはその善悪の相対世界を揺るがすものを、
成功したかはともかく意図的に書いたのである。
異常な量の「校正」=自分の正義を主張してきた彼に言った。
「どっちでもいいじゃないですか。それがこの小説のテーマです」
そうしたら、仕事はそういうものじゃない、と男は怒鳴った。
テーブルをばんばん叩きながら大声で「土屋さんは世間を知らない」。
世間的善悪の象徴が警察(世間法取締官)である。
自分絶対正義の八王子さんが刑事告訴に行き着くのは、
ある意味必然だったのである。
あれだけ説明したじゃん。
世間法(相対的善悪)を超えるのが、たとえば捨て聖の一遍の念仏だって。
善悪貴賤高下を捨てて念仏する。

本当に人と人はわかりあえない。
いまでも男は自分は善をなしたと誇っているのではないか。
本来なら刑務所に入れてもいい男を救ってやった、とかさ。
八王子さんには振り回された。
八王子さんに感謝しているところもたぶんにある。
現金をあつかう商売人の汚いやり口というのを彼に教わったものだ。
口約束では、
年に1回、合計3回仏教小説を書き、
それをあちらの金で自費出版するという話だった。
2回目のギャラを払ってもらうときの、八王子さんが怖かった、
本当か嘘か最後までわからなかったが、
あるいは本当に資金繰りで追い込まれていたのかもしれない。
「どこに証拠がある」と男は言う。
自分はこれまでのメールのやり取りをすべて見直したが、
そういう約束はどこにも記載されていない。
ゆえに守る必要はない。
めんどうくさいからわざわざ調べなかったが、
おそらくメールに約束の記載はなかったと思う。
口約束だけなのである。
世間を知らないわたしは口車に乗せられたようなもの。

ここからは闘いに近い。
向こうも口約束は覚えているだろうが、証拠がないという事実は事実だ。
わたしは1回目の仕事で、
いただいたギャラの倍以上の働きはしたと思っている。
向こうが気分任せで送ってくるつまらない小説をいやいや読んだ。
「モレルの発明」とかいう意味不明の小説である。
まえに書いたポエムの件もあり、
本来の業務以外のサービス労働を複数回要求されているのである。
最低でも2回目のギャラをもらわないとこちらの採算が合わない。
怒りしか残らない。
「くだらないブログなんかやめちまえよ」
「1本名作を書いたら死んでもいいじゃないか」
こちらが健康を害しているのに八王子に呼び出されて、
村内家具からこういうことを言われるのである。

わたしも村内さんとおなじように金の亡者になっていた。
2回目のギャラの支払いの口約束を破り、それがブログにより知れ渡ったら、
村内家具および広小路産業の信用も失墜しますよ。
3回の約束をしたことは友人へのメールに書いており、これは証拠になります。
2回にわけて八王子さんはギャラを振り込んでくれた。

作家の村内弘道氏に送った最後のメールの内容は以下である。
・お得意の「校正」の文面を断定形ではなく疑問形で書いてください。
・「これは間違っている」と断定的に書かれると不愉快で、
今後の関係に差支えがあります。
「こうではないですか?」「こういう読解を人によってはします」
そういう疑問形の「校正」をしていただけませんか?
・3回目のギャラを払ってくれますか?
なぜなら書面に残して置いたら証拠になる。
このメールからの返信がなく、
時給10万円の男はなにをしているのかなあ、と思っていたら、
村内弘道社長は面識もない姉に大量のメールを送りつけ、
実弟を刑事告訴して刑務所に入れざるを得ないと脅しを入れていたのである。
もちろん、最後にわたしが送ったメールは、
都合が悪いので、姉には送っていなかった模様。
商人(あきんど)とは金のためならここまでする人種なのか。
実世間のことを実地で勉強させていただいたことに感謝している。

彼のやり口を知ったいま、
わたしならビジネスで村内さんの広小路産業とは関係したくないが、
男の口八丁手八丁に魅せられてしまい、
うまく口車に乗せられる人も少なくないのだろう。
締め切り直前に1回目の仏教小説を書いているとき、
八王子さんから量が増えるなら原稿料を上げてもいいというメールが来た。
なら、そんなに資金繰りに困っていたわけではないのではないか。
というのは、素人考えなのかしら。

こっちから村内さんに電話やメールをしたら、
向こうは刑事告訴をしてくるらしい。
されてもいいが(どうせ受理されないし)姉がそれは困るというので、
いまのところは思いとどまっている。
ああ言ってきた以上、向こうからも電話やメールは来ないだろう。
いわゆる絶縁というやつである。
「土屋さんと僕は一蓮托生だ」と熱っぽく語った村内さんの言葉が耳奥で空しく響く。
八王子は夏は暑く、冬は寒い。

(リンク)広小路産業株式会社
http://hirokouji.info/
八王子さんの本を3冊も読んで、本人とお会いして、
メールのやりとりをして思ったのは、くそ生意気(な意見)だが、
このおっさん、ぜんぜん大したことはないなあ。
大物ぶっているけれど、底が浅い。そこいらのありふれた俗物。
だから、おれが書いた小説を八王子が意味不明なぼろくそ批判をした時も、
どうせおまえは俺のことを好きなんだろう。
もうおまえはおれから離れられないんだよ。
そんなチョー生意気なことを記憶の片隅に意識しながら、
あいつはしばらく放置でいいかと、
どこか上から目線で八王子を見下していたのである。
この人は悪いが人間の深みがない底の浅い、
劣等複合過剰などこにでもいる権威好きの俗物。
おれがなにしたって、こいつはおれとの縁を切れないだろう。
器の小さな、見かけだけ大物ぶったやつをあつかうのは楽ちん。
そんな甘えがばれたのか、
八王子は姉に実弟を刑事告訴して刑務所に入れると宣言。
おまえ、そこまで、めんどうくさいやつだとは思わなかったよ。
正直、負けたと思う。
八王子の村内家具がよく言っていたのは、自分の時給は10万円。
だから、自分は生まれも育ちもここの、そう八王子から出られない。
土屋さんの時給はいくらかな?
自分の時給は10万円オーバーだから、
土屋さんが八王子に来いというのが村内家具の経営方針(交通費支給なし)。
最初のほうは土屋さんと自分は一期一会の関係で一蓮托生とか言っていたのである。
一生の因縁みたいなことを、いい年をした老人が感激したように語っていた。

契約期間中、変なメールが来たこともあった。
村内家具のあの人は中年クライシス時期に、
四国の遍路旅をしてまこと感傷的で通俗的な慰めをえたという。
いきなり作家の村内弘道は奇妙なポエムをメールで送ってくるのである。
彼が四国遍路をしていたときに愛唱していたという、
教師だかなんだかがつくった「人間と畜生も平等」という意味のポエム。
それから良寛のポエムもメールで送ってきた。
感想を聞かせくださいって、わたしがまず思ったのは、それは料金に入っていない。
めんどうくさいやつだなあ。
いっしょに温泉に行こうと頼まれたこともあったし、
村内弘道社長は金で友達を買おうとしていたのか。

いまから収支を計算してみたら村内家具との関係は大赤字なのである。
弘道さんからのポエムメールへの返信を書くのにも調査費や、
そのままの(費やした)時給もかかる。
あれだけの金でそんなに人をこき使うのが村内家具なのか。
めんどうくさいなあ、と思いながら、村内ポエムの感想も、
ただ働きだなあと思いつつ、相手の気が満足するように書いたものである。

村内弘道さんの教祖体質はひどい。
あいつ、お金持のおぼっちゃん。実家は山持ちどころか美術館持ち。
村内家はただ当然の山を創価大学(創価学会)に高額で売り払い大儲けしている。
弘道が宗教家ぶっていたのを見てぞくぞくしたのは、
なんかのおりに、おまえに教えを下してやろうって、偉そうに、
おれの辞世の句を教えてやる。
そんなもん、興味ねえ、めんどうくさいと思っていたら、
八王子の四国遍路巡礼教祖は箸紙の裏に奇妙なポエムを達筆で書いて、
それを重々しくわたしに押し与えたのである。まるで池田先生のようにだ。

そんなものいらねえよと思ったが、時を経て、いまはパソコンの近くに置き、
酒を飲んだとき笑いのネタにしている。村内さん、おもしろい人だなあ。
わたしが村内さんにお願いをしたことは一回もない。
会いたいとお願いしてきたのも八王子。
好きなように仏教小説を書いてくださいとお願いしてきたのも八王子。
いつも日時どころか場所まで八王子から一方的に指示される。
いい人にもほどがあるのか、なにか達観しているのか、
すべて八王子からのお願いに従った。
ドタキャンされても、そういうものか八王子世界はと。
一回だけ八王子にお願いしたのは、
約束していたギャラを延期してくれと言ってきたとき。
それは違うだろう。親友関係でもないし、友情もないだろう。
お金は払ってくださいと強くお願いしたら、
それは恐喝名誉毀損だと八王子の村内弘道は言い張り、
刑事告訴をして刑務所にぶち込んでやると姉に無断でメールした。

四国の教祖になりたい八王子の村内弘道さんが、
まるで創価学会の池田大作さんのように、
食事中、わたしに重々しく、これを一生の宝にしろよと下賜くださった辞世の句。

「朝ぼらけ(死にぼらけ) 土の渇きに 梅一凛」

村内弘道さんの悟りの境地は「偏在三千大世界観」とのこと。
これだけ信頼関係を結んだ(と世間知らずの当方が勘違いした)村内弘道は、
会ったこともない姉にいきなりメールを送り、
実弟を刑事告訴して刑務所に入れざるを得ないと大物ぶった。
こちらの迷惑を想像できないのだろうか。
最後は姉に(何度も八王子に親分気取りで呼び出した)当方に連絡もなく電話して、
今回だけは特別に温情で刑事告訴しないであげると善人ぶったそうだ。
自分が本気になったら土屋さんなんか永遠に刑務所とのこと。

八王子に日時を指定され呼び出され言われたことは――。
「時給10万円の私が土屋さんと会ってあげるのはサービスなんだよ」
「時給10万円の私が土屋さんなんかの(くだらない)小説を二回も読んであげたんだよ」
言いたいのは、わたしが村内弘道さんになにかお願いしたことは一度もない。
村内家具の悪口ばかり書いているように思われるかもしれないが、
むろんおれも悪いし、むしろおれのほうが悪いのかもしれない。
村内家具からメールが来て、続いて自費出版の本が3冊届いた。
読みたくないわけである。めんどうくさいじゃない?
いやいやため息をつきながら読んだら、
著者はこの自費出版で読者を救ってやるという、
読者感情を逆なでする挑発表現が多い。そのうえ意味不明。
男の名著「さもありなん」の1部、2部は数式が延々と書かれているのね。
同志社かどっかの経済学者の物まねをしたらしい。

四国の寺にいっぱい無料郵送したが、反応はなしって、それはねえ。
いきなり知らない人から、
意味不明の数式ばかり書かれた本を、
「真理を教えてやる」「おまえを救ってやる」というスタンスで送ってこられても。
そもそも10ページも読めないし、
こんな本を見知らぬ人に送ってくるのは嫌がらせとふつうは思うだろう。
しかし、自費出版作家の村内家具は、
自分は偉大な仏教的功徳を積んだという自己満足で気分は菩薩界。

八王子の帝王は、
物まね愚書「さもありなん」を村内家具の関係者大勢に無料で配った。
感想は「難しくてわからない」がほんの少数来たのみ。
みんな読まなかったんだよ。だれもおまえなんかに興味はない。
しかし、八王子の偉い人だし、めんどうくさいなあ。
なんとかご機嫌を取っておこう。
「さもありなん」の第三部は法律的に問題があるのではないか。
まず道元の短文を掲載。
その後、三人の学者の訳をそのまま著作権を無視して引用して、
最後に自分の訳をいちばん「正しい」ものであるかのように記す。
本人の書いた部分は1/4しかないのである。

ブログ「本の山」の読書感想文では、めんどうくさいやつだなあ、
と思いながら、そのくらいの社交はする時期かもしれないと無理やり褒めた。
それから八王子で最初に会ったときに、酔ったいきおいもあったのか、
「村内さんの本はよくわからないので、
お話をうかがってゴーストライターとして書き直したい」と申し上げた。
これが彼を怒らせたんだろうな。恨みは積もって1年後。
拙作小説には真似をされて、どこもかしこも「わからない」と指摘された。
「土屋さんは日本語がおかしいんじゃないか?」
「小説よりまえに日本語だな」
「正しい文法を学校で習わなかったのか」

事業家で理系学者、自費出版作家の村内弘道氏は、
いま自分の集大成となる「さもありなん第四部」をご執筆らしい。
途中で書けなくって困っていると相談されたときの、おれの回答も悪い。
「どうせだれも読まないんですから、
いつものように適当な数式でも書いてごまかせばいいんじゃないですか?」
そんなことを言ったら、そりゃあ、怒るよなあ。
「私は(きみなんかとは違って)学術論文も読んでいるんだ。
わかるか? 学術論文だ」
「私は日大の教授とも知り合いなんだ」
「数学者のカントールは絶対に正しい(絶叫)」
「結局、東洋は西洋に勝てなかった(学者気分)」

村内家具と土屋「本の山」、どっちが悪いかといえばおれかもしれない。
村内さんは自分は絶対的に正しい日本語しか使わないと何度も宣言していたから、
「さもありなん第四部」が発売されたら自費で購入してもいい。
あれ、おれ、そこまで悪いやつではないのでは?
作家で精神科医の春日武彦さんの本でなるほどと思ったのは、
「SOSを出すのも能力」ということ。
人は男はとくに強がって、人から同情されることを嫌いSOSを出さない。
出せないんだ。現実を認めたくない。弱みを見せたくない。
しかしだ。いいか、しかし「SOSを出すのも能力」だからな。
この春日さんの言葉を知ってすごい気楽になった。
相手の迷惑を知りつつ「助けて」のメールを送れるようになった。
依存されるのは迷惑だが、
必要とされるのは(迷惑な面もあるが)それだけではないだろう。
シナセンの小林社長の愛唱句は「あきらめなければかならず夢はかなう」。
これはSOSを他人に出すのを思いとどまる、
いわば女社長の嫌いな自民党的な自己責任論である。
あきらめてもいい。損切りできるのこそ本当の能力かもしれない。
コロナで金銭的な大損をした経済人は多いだろう。
おそらくこれはねばってもどうにもならない。
損を認めたり負けを早々と自覚し、そのうえで次善の対策を考えたほうがいい。
いつまでも明けない夜もあるのである。

その点で、うまかったのは八王子の村内家具。あいつは金儲けがうまそう。
わたしを切ると決めたときの行動がすごいんだ。
金のたいせつさを腹の底から知っている。
いきなり見知らぬ女性(わたしの姉)に、
あんたの実弟を刑事告訴して刑務所に入れるという
大量のメールを自分に都合のいいところだけ、ほとんど脅迫みたいに、
村内家具代表取締役という肩書を威圧的に書き込みながら送信する。
取り引き相手のわたしをまったく無視してである。
自費出版ということは隠して、自分は著書多数の有名な学者であるとも誇る。
姉夫婦は心底震えたことだろう。
八王子の村内家具はとどめを刺すというか、
会ったこともない姉に電話までしている。
村内弘道さんは一流の経済人で土屋の感情などまったく考えず、
あいつの家族関係なんて壊れても知ったことかと非人道的な損切りをした。
結果として3百万円くらいの損失から逃れたのではないか。
しかも、姉に対しては自分は善人というていで。
村内さんに教わったことは、書面に記載されていない約束はいくら破ってもいい。
人情なんかにとらわれないで損切りをたとえ無慈悲でも実行する。
一流の人から一流の経済教育を受けたと思うが怨念が消えることはないだろう。
仏教というのは、わかりやすく説明すれば「悟り」と「救い」なんだ。
自分が悟りたい、他人を救いたいというのが仏教である
宗教をうさんくさいと思っている人は大勢いましょう。なぜか?
「悟り」と「救い」がいんちきくさいからである。
「悟り」の意味は、悟ったと周囲から見られたい。尊敬されたい。いい人ぶりたい。
「救い」の意味もおなじで、だれかを救うのが目的ではなく、
相手をコントロールして、そのうえでさらに世間からいい人として見られたい。
コロナ騒動のなか、
多くの大物政治家、大物経済人、大物芸能人がいい人ぶりたがっている。
わざとらしい芝居がかった大げさなアピールをして自己喧伝している。
八王子さんが初対面で、地盤地元にわたしを呼びつけて言った言葉は、
自分が仏教精神から土屋さんを救ってみせるであった。

いまならわかるが、八王子さんに救われたどころか、
あの人と会ったせいで、精神的健康も肉体的健康も著しく害し、
お世話になっている姉との関係もギクシャクしたものにされた。
経済的にも多額のマイナスが出ている。
「悟り」の世界にいる八王子さんはわたしを「救う」どころか、
迷惑をかけてメチャクチャにしているのである。
自分は半ば「悟り」を開いた仏教者だから土屋さんを「救う」――。
自分は「悟り」の境涯にいるため、
人を「救う」立場にいるという村内家具重役にはボロボロにされた。
最後にテーブルをばんばん叩きながら男は
「土屋さんは世間を知らない」と怒声を張り上げた。
たしかに「世間知らず」だったと思う。
日雇い派遣や短期派遣というのは、まさに社会の底辺だが、
経験から述べると男はほとんど国保も年金も払っていないよ。
国保なんて払わなくたって病院に行けないくらい。
行かなきゃいいって底辺は考えるんだよ。
コロナっぽいかなと思ったとしても、
病院という選択肢はなく日銭が減るのもいやで職場にゴー。
去年の12月に入院したことからわかるよう、
わたしはそこまでは堕ちていなかったわけだ。
年金だってどうせ自分たちはもらえないんだから毎月2万円も払えるかよ。
国保は催促が来ない。
年金のほうはたまに思い出したように来るらしいが、
そもそも払う金がないんだから。
住民税は運が悪いとなんの予告もなくいきなり
まさにガチンコで給料を強制差し押さえしてくるらしい。
銀行口座から取っちゃう。

小池都知事は怖いって。

なんで社会保険に入らないのかって、半分は会社が払ってくれるとはいえ、
もう半分は自分で支払わねばならず、
そうなると国保年金を無視していた時代のほうが、
その場しのぎの身銭としてはよくなる。
それに社保に入るとき、
これまでの国保年金の未払いぶんをさかのぼって払えと言われる。
そんな彼らが仕事で手を抜くかといったらそんなことはなく、
性格も明るく、互恵的利益を考える癖がついているのか、
たとえばわたしのような、あまり出来のよくない男にも親切だ。
しかし、こういう「底辺の現実」を作品にしても、みなさん、ご興味ないでしょう?
わたしもそんな「どん底」の世界を描いた作品に金を払いたくない。
かなり上のほうも、かなり下のほうも、世を舐め切った社会見学気分で見てきた。
本当の贅沢三昧の上流社会や、
道に落ちているものまで口にいれる窃盗寸前の乞食生活は知らない。
創価研究のトップランナー島田裕巳が
精神雑文家の和田秀樹との対談本で言っていたことが、
意外と真実を突いているように思う。
たくさん税金を払ったものには国が勲章をばんばん与えたらいいのではないか。
そうしたら、思いのほか富裕層はみんな喜んで税金を払うのではないか。
これは文豪の井上靖も言っていて、
男がまずほしがるのは金で、金に不自由しなくなると女を求めるようになり、
最後に行き着くのは国の勲章である。自己愛と虚栄心だ。
ならば、そうだとしたら、国は勲章の原価なんて安いのだから、
ほいほい高額納税者にその見返りのようなそぶりは見せず、
重々しく下賜(かし/プレゼント)したらよろしい。
高卒の原一男さんなんかも定収入、地位と名声、女の取り巻きを得て、
最後に勲章がほしいのではないかしら。
虎視眈々と(国の章ではないが)身分不相応な朝日賞を狙っているやもしれぬ。
さもありなん、である。
在日パチスロ会社から、ありえないドタキャン不採用を経験して、
もうキムチは一生食わないというくらい在日コリアンに嫌気がさした。
在日コリアンの俳優、新井浩文が派遣マッサージの女を力尽くで犯して訴えられ、
和解金二千万円を提示したそうだ。
金、持っているんだなあ。あるところにはあるんだなあ。
一発二千万なんて、事前に持ちかけていたらOKが出ていたのではないか。
しかし、すべて後の祭り。一瞬で終わる。パチンコみたいなものか。
新井は在日ネームということを教えてもらい、
名前研究家のわたしは感謝している。
元三省堂の見栄春女店員の新井見枝香さんが作家になったそうだ。
講談社から1冊出しているから作家だろう。
いまだれが読んでいるのだろうという文芸誌にも連載を持っている作家だ。
こっそり白状すると、なんだか新井見枝香に負けた気がするのである。
あの顔とあの身体、あの年齢で単身(もちろん引き上げた男はいただろうが)
女無頼で成り上がった彼女をハムのようにたくましい存在だと思う。
おれは新井見枝香になれなかったという敗北感がある。
うすぼんやりとしたキラキラ、夕暮れのような枯れたピカピカがさみしげでよい。
ストリッパーデビューをしたそうだが、思いっきり自分迷走高速道路だな。
いいよ、いいよ。しかし新井見枝香が妬ましい。
おれだって新卒で倍率1%だかの三省堂書類選考に通ったんだぞ。
思えば今年に入ってから一度も本屋に行っていないかもしれない。
うまく、くわえこんだな、新井見枝香と思うおのれの下劣さに、慣れた。
いまはライターが高貴な職業だと勘違いしている人が多い気がする。
フリーでライターやってます、どやっ、みたいな20代、30代。
なかにはけっこう大きな会社にいたのに辞めて、
webライターになってドヤ顔しているものもいて、もったいないよ。
なんでみんな低賃金のライター仕事をそこまで誇るのだろう。
その根本は自費出版幻想につながっている。
なーんか、自費出版でも本を出したら自分が特別だと勘違いしちゃう。
webライターのゴールなんて、新書1冊でも出せたら大成功だろう。
みみっちいいじましい自己顕示欲というか。
アナウンサー幻想を千倍けちくさくしたようないじらしさが、
だれでも書ける(しかし署名入りの)ライター記事にはあり、なんとも物悲しい。
ファンだからあえていうが、最近のロケニューの女ライターの記事はひどい。
在日記者が火事場泥棒のように、
井戸に毒を入れて回った朝鮮人のように、
コロナ禍の繁華街を嬉々としてレポートしているのよりも、
ロケニュー女性webライターは低質である。
読者に共感を求める書き方が気に食わない。
もう愛するロケニューも終わりなのだろうか。
コロナで資金繰りに困った中小企業に利子なしで貸付するっていうが、
あれはお国が貸すわけで、返済しないで計画倒産したらどうなるのだろう。
いま多くの反社や任侠が
ダミー会社、幽霊会社でひと儲けしようと狙っているのではないか。
無利子無担保で金を貸すって性善説にもほどがある。
いまは混乱期だから書類の細かなチェックもままならないと思う。
助成金とか悪(わる)がはびこりそうな気がする。
いや、高額納税をしているわけじゃないから、
どうでもいいと言えばどうでもいい。
みんな群がるのが税金のうまみ。利権って言うんでしょ、老人は。
いろんな人が集まる派遣職場で親しくなった人にまず聞くのは税金のこと。
大勢の人から聞き取り調査をしたが、言うことはみんなばらばら。
みんなよくわかっていない。
市役所で公務員をしていたっていう、
酒と競艇で身を持ち崩した人に聞いてもわからない。
それぞれ払っている金額が不平等極まりなく、運のようなところがある。
おそらくマイナンバーが関係している。
マイナンバーを申告するところで働いていたときは、翌年の税金で泣いた。
年収200万もいっていない人から国保年金で月約4万、
そのうえ住民税も払えと来たからな。
エリート高給取りが偉いと思うのは、
みんな税金をいっぱい払ってくれているから。偉いよ、あいつら。
有能な人のおかげでわたしのような無能も生きていけている面がある。