すごい映画ですよこれは。08年米国産ジェイコム視聴。
孤独感、不安感が強い日というのがたまにあるのだが、
その日にこれを見たらシュートでガチンコで死にたくなったくらいの名作。
名作の定義が人のこころを揺り動かすなら、
わたしを死にたくさせるなんて名作。名作で間違いない。
20年まえはスターレスラーだったが、そんな人気は長続きせず、
いまの本職は肉屋の売り子で、
金にもならないドサまわりプロレスをすることで自尊心を保っている、
世間的肩書は肉屋非正規店員なのだが、
本人の自意識は大物の有名プロレスラー。きついよ。見てて死にたくなる。
本人が恋人だと勘違いしているストリーッパーの風俗嬢も悲しい。
哀憫の情からレスラーのプライベートな関係(絶縁された娘への贈り物)
に付き合ってあげるが、
子持ちの彼女は過去の栄光だけが頼りの貧乏レスラーはごめんこうむる。
店でレスラーが色男彼氏ぶって個室ダンス(セックス)に誘ったときには、
ひと言「お金の関係だから」。
レスラーは長年の薬物摂取がたたって、いまは心臓麻痺寸前。
医者からはプロレスをしたら死ぬと言われている。
むかしはスターだったのに、いまは肉屋のアルバイト。
娘との関係も戻しつつあったが、最後はバカヤロウ。
売春婦とクスリを決めて便所でセックス。ああ、よかったと寝ちゃう。
最後の希望である娘とのたいせつな約束は寝過ごす。
もうどうにでもなれ! 死んでもいい。
レスラーは20年まえのライバルとの再戦におもむく。
客は少数ながら入っている。
歓声が耳に聞こえる。あのころに戻ったようだ。

心配してかけつけた子持ちのストリッパーにレスラーは言う。
肉屋アルバイトではない満身創痍のプロレスラーの言葉である。

「俺にとって痛いのは外の現実のほうだ。
もう誰もいない」


男は歓声に支えられ、トップロープの天高くから舞う――。
こころを傷つけられた痛みの伝わる映画であった。
二度と見たくないほどよかった。

かる~く嘘で慰められたいと思って見た米国産2005年の映画だがひどい。
エリートのサラリーマンが仕事でポカをして、彼女にも振られ、
父親も死んだってことで地元に帰るが、
そこで再生するというヒューマンムービー。
半分で消してネットで調べたら、この映画が
「マニック・ピクシー・ドリーム・ガール」という批評用語を生み出したのか。
さらに映画ドットコムの悪口レビューがおもしろくて、
ひどいもの見たさで最後まで半笑いで視聴する。
「マニック・ピクシー・ドリーム・ガール」は主人公の性的慰安婦のこと。
躁病的で妖精のような明るさを持っており、現実には存在しない。
映画監督&脚本家のあたまの中にだけ存在するのが
「マニック・ピクシー・ドリーム・ガール」。
この映画のヒロインは
「マニック・ピクシー・ドリーム・ガール」の元祖、象徴とのこと。
たしかに人格はまったくないし、
いきなり傷心のヒーローのまえに陽気に登場し、
いわゆるタダマンで肉体的のみならず
言葉で精神的にも主人公を励ましお決まりのごとく最後は結ばれる。

この映画のおかしさは「マニック・ピクシー・ドリーム・ガールだけではない。
父親が死んだのだから通夜や葬式なのだが、
みんな狂的躁的なバカ騒ぎをする。
いきなり踊ったり、未亡人が洗濯屋に勃起されたとか、
どこまでアメリカンジョークなのか、
「葬式躁病」かわからないほどテンションが高い。
映画全体が
躁病的に陽気にナイスに愉快にアメリカンに病んでいるのである。
躁鬱混合状態みたいな捨て鉢なところがある。
最後は火事になっているのにみんな笑っているし、集団精神病の世界か?
ジェットコースターみたいに鬱と躁を行き来する。
こうなったらだれも止められないので出来ちゃいましたって感じの作品。
まったく作品意図がわからないので、
そのばかばかしさに最後は笑うしかなかった。
スッチーから逆ナンされて
数日後にはベッドインなんてイケメンは楽でいいなあ。

なんの事前情報も得ず、
ただジェイコムの番組表を見てなにげなく視聴した2008年作品。
まったく期待しないで見たのがよかったのかもしれない。
友人がいないため携帯電話を持たない短大卒の子(蒼井優)が、
家を飛び出して海や山や地方都市とふらふら気ままに移住して、
ゆる~くそこで働いてはめんどうくさくなって出ていっちゃう物語。
これはたぶんこの監督にも女優にも人生で1回しか撮れない大傑作だと思う。
女性目線で新しい女性像を実に巧みに、そして美しく描いている。
蒼井優の映像作品をはじめて見たがこの子はこの時期、神に愛されていた。
若いころの田中裕子によく見ると似ている(ドラマ「想い出づくり」時代)。

どうせ女だし友達もいないし短大出で仕事もないし、
それなりに男は寄ってくるけれどめんどくさいなあ、
と思いながら、こういうものかなあ、なんて思いながら。
困ったような顔をし男友達と軽い気持でセックスをしちゃう。
でも、振られたかなあ、なんて思うと、また苦虫をかみつぶしたような、
しかし諦観微笑をしながら町を出ていく。
こんなものだなあ。
こんなもんかよ。
こんなんじゃないのに。
という気張ったところのあまりない女性の自然体を
蒼井優は実にうまく表現している。矛盾を苦虫顔でうまく出している。

10年まえに見たらくだらないと怒ったが、
いまはこの作品の現代的でしかし永遠の美に打ち震える。
どうしようもないけれど、でも笑っちゃおうという蒼井優がすばらしい。
これは男性目線ではなく女性目線。
携帯も持っていない孤独な、
自分に自信があんまりない女性っていいよなあ。
人間関係めんどうくさいって、ふらふら放浪しちゃう蒼井優の、
たとえれば川に流れる水っぽい感じ。水臭いのではなく、水そのまま。
口からそっと入ってくる無味で無防備な天然水みたいな女性の魅力を、
この作品の映画監督と蒼井優はうまく表現している。
これはもう一生に一度のミラクルムービー。

そのままを味わえ、としか言えない。
視聴後、予告編を見たらひどいのよ。
この映画はこうして見ろと言語で定義している。
言葉のちからは強いから、その言葉の枠内で映画を見ちゃうとダメね。
そうじゃないまっさらなこころで見ると、
蒼井優のナチュラルなビューティー、少女的なためらい、
どうせ男性社会なんだろうファックユー!
というふてぶてしい静かなたたずまいが、
まったく自然に男性のこころにも入ってくる。
言語以前のなにか新しいものをこの映画は描いている。
圧倒的に女性にしか支持されない映画だろうが、僕はこの作品が好きだ。
静かな怒り、恥じらい、ためらい、不敵、やさしさが丁寧に描かれている。
女性運動の新たなちからにはならないが、
そこがかえって男性性を消していて、
なんかあきらめた感じの蒼井優がいい。
でも、笑っちゃおうっていう最後のノリも。
本当にいい映画を見ましたね。

ふつうに自然体に、なににも逆らわずに自由に生きる――蒼井優。
映画の中にしかいない虚像だろうが、
この作品は新しい女性像をしっかりと描いている。
「ホワイティ―な彼女!」蒼井優の、
戸惑った自己主張のないうっすらとぼけた顔がかわいかった。好きだなあ。

「「金権編集長」ザンゲ録」(ターザン山本/宝島社)

→プロレスは世間の縮図だが、あまりにも生々しい。
本書は出た10年まえに立ち読みした記憶があるけれど、もう一度精読する。
著者はむかし世間的事件とまでいわれた大ヒット雑誌、
「週刊プロレス」の隆盛期の編集長を務めていた人物。
栄光と挫折というが、プロレス界の権力の頂点まで上り詰め、
独裁者となったはいいが、その異常な自己顕示欲が嫌われ、
業界から追放処分を食らった後は、
「わが世の春」のころの側近どころか妻子にまで見捨てられ、
もはやお笑い乞食ピエロになった、自分が裸だと知っている「裸の王様」だ。
世の中って金なんだなあ、と驚く。
むかしの新日本プロレスは記者会見をすると取材に来た記者連中に
昼飯10倍レベルのお車代を払っていたという。
そうしたら悪口を書かれないし、記事にも大きく取り上げてもらえる。

戦前の新聞記者はゴロツキあつかいされていた。
なぜかというと客商売でも報道するのは彼らだから、
彼らにいい顔をしないと悪口を書かれてしまう。
「あれを書いちゃえ」「それは書くな」はまさに金銭が飛び交うゼニゲバ世界。
大きなメディアに取り上げられれば、そのぶん売れるんだから。
スポンサー(資金提供者)の悪口は、大新聞でもなかなか書きづらい。
それがプロレスとなったらもうめちゃくちゃである。
報道という意識がない。

プロレス界の激震はメガネスーパー田中社長のSWS創設である。
週プロのターザンはそうしたら(スキャンダルで沸き)
雑誌が売れると計算して天龍SWSを大バッシングした。
そうしたらSWSに敵対する全日本プロレスの馬場さんが
50万円の税金がかからない裏金をくれたってさ。
これに味をしめたのかギャンブル依存症のターザン編集長は、
競馬の血が騒ぐと馬場元子に30万をことあるごとに要求したという。
ターザン山本の「週刊プロレス」に悪口を書かれたら終わるからである。
最後は1回150万円を元子さんから裏金としてもらったという。

メガネスーパーの田中社長といったら大物の経済人である。
すぐにこの仕組みを理解して、ターザンに50万円を渡して和解する。
一流経済人の田中社長はもうプロレス界とかかわりあいたくないと思い、
ターザン山本に毎月裏金を50万12ヶ月払い続けたという。
メガネの田中社長が一流だと思うのは、手を引くときの素早さである。
社長はプロレスを真剣勝負の喧嘩だと勘違いして業界参入した。
レスラーもみんな関係者は本当のことがばれたらスポンサーに手を引かれてしまうと、
田中社長にプロレスはお芝居だと教えなかった。
田中社長はガチンコだったのである。だから、手を引くのも早い。
藤原喜明というマイナーレスラーがいるのだが、
てめえの器を考えず東京ドームで興業をしたいと言い出した。
もうプロレスラーとかかわりあいたくない。
「できる男」田中社長は金で落としたターザンを仲介者にして、
5千万の手切れ金を藤原組長に払ったという。
5千万なんてわたしなら一生食べていける金額だ。
ビジネスに熟達したメガネの田中社長はまったく義理人情にとらわれることなく、
まず味方の天龍源一郎を切り捨て、
敵のターザン山本に税金のかからない大金を渡し、
藤原喜明程度のレスラーにも手切れ金を5千万円を払う度量があった。
「刑事告訴をするぞ。金を返せ」と叫ぶ八王子社長とはものが違うのである。

大仁田からもトラブルのとき20万をむしり取る。
その大仁田が自分を「週刊プロレス」の表紙にしてほしいと言ってきたときは、
たかだか30万で買えるほど週プロの表紙は安くないと居丈高に接し、
だがしかし、しっかりお金は受け取り自分ひとりのふところにおさめている。
で、そういう大量の裏金をギャンブル依存症のため、
すべて競馬で溶かしているのである。
あのターザン山本でさえ2回も美人の女性と結婚して、ふたり娘がいる。
わたしもまだまだではないかとうっかり夢のようなものを見てしまうゆえんである。
本当の「悪」や純粋な「トリックスター」、
逃げ場のない恐怖政治をやらかす「独裁者」の生身の姿がターザン山本にはある。
人を騙すトリックが天才的にうまく、時代にうまく抱かれ、ああ、無情なり。無常なり。
時代が変わると、こてんぱに女神からのめされたのがターザン山本。
ギャンブル依存症じゃなかったら、彼の才能は光らなかっただろう。

しかし、貯金をしろよとも言いたくなる。
「週刊プロレス」の看板を失ったのが、彼の終わりの始まり。
最後はあんなに昵懇だった馬場さんからも相手にされなかったという。
扇動、洗脳がうまいプロレス業界の先導としてひと花上げ、きれいに散り去った。
むかしはみんなからチヤホヤされたが、いまはもうだれにも相手にされない。
プロレスラーよりもプロレス的なプロレス記者であった。
教養もなんにもないくせに知ったかぶってでかい花火を打ち上げた。
あんな零落したじじいでも夢香レベルなら寄ってくると思うと、
あのあたりの業界は怖い。
いまのマスコミさんも、底にあるのはターザンの裏金自我意識だと思う。
いや、それでいいのだが、そんなものなのだから、それはそれで。

「天龍源一郎の世界一滑舌の悪い人生相談」(白夜書房)

→重度の精神障害を持ち作業所に行くのがもういやだって、死にたいって、
そういう40男がよりによってエロ本紙一重のサブカル雑誌「BUBUKA」で
天龍源一郎さんに人生相談をして、
答えは「アイドルはみんな必死で生きている。そこから生き方を学べ」――。
人生相談の相談って裏では編集者が書いているんでしょう?
ガチンコで40歳の精神病の男が「BUBUKA」を買うって「なま」すぎる。
死んだほうがいいんじゃないのって世界。
相談者もそれを自覚しているから「死にたい」なのか。怖いぜリアリティーが。
答えが必死に生きている女性アイドルに学べって、
そこはもう電流爆破式でWARな人生問答だな。

結局、人生でスポットライトを浴びる人なんてほんのひとにぎり。
みんな屈辱、切歯扼腕のなかに夢かなわず無駄死にする。
1万人にひとりのスポットライトを浴びた天龍源一郎はいう。自分を貫け。
「なにこのやろう、こんちくしょう、いまに見ていろ」と思え。
不遇時代がなんだ。

「それに世の中って必ずグルッひと回りするから、
いつかはスポットライトを浴びるタイミングが来る。
俺も相撲からプロレスに転向した時、芽が出なかった。
でも「誰かがどこかで必ず見ている」という夢物語で自分を励ました。
そして”天龍イズム”というようなプロレスができた時に
スポットライトを浴びた、ということです(P37)


「誰かがどこかで必ず見ている」――。

天龍のこの夢物語で自分を励まして20年間生きてきて、
八王子さんが現われたときは涙が出るほど感謝した。
しかし、彼はメガネスーパーの田中社長みたいなもんで、
あっさりわたしを切って、いまでは刑事告訴も辞さないかまえであるという。
本当に「誰かがどこかで必ず見ている」のだろうか?
43歳にもなるとその夢物語を信じられなくなる。
自分ではこの43年、20年、手抜きはしないで懸命に生きてきたつもりだが、
おそらくみんなもそうで、スポットライトを浴びるかどうかは確率的な偶然の問題。
いま自分に夢があるのかはわからない、そういう年齢だが、
いつ夢をあきらめるべきか。天龍は人生相談に答える。

「夢をあきらめるタイミングって言うけどね、それは今じゃない。
ホントに切羽詰まっていたら、こんな甘い相談なんかしてこないからね。
行き詰って、苦しくなって、どうしようもなくなって、
辞めるしかないという時はいつか必ず来るんだ」(P139)


ネットにいっぱい悪口を書かれているけれど、
天龍同盟で一緒だった川田利明さんは、
うまいタイミングでプロレスの夢をあきらめたのだと思う。
その生き方、死にざまは悪くないが、三沢さんやハヤブサ選手はちょっとねえ。
わたしもこのあたりで堅実におのれの小さな器と向き合ってもいいのだが、
岸壁絶壁まで切羽詰まっているかと聞かれたら、まだ行ける。
がんフィニッシュかと思っていたらがんではなかった。
いったいどうしたらいいんだろう、天龍さん?

天龍源一郎の女性観はすごいぞ。男にとって女とはなにか。
貧乳で悩んでいると「BUBUKA」に相談してくる女性なんか存在するのか?

「でもまあ、男にとってパッと見で顔、その後にスタイル……
胸なんて3つ目4つ目だから大丈夫ですよ!!」(P143)


内面はどこに行ったんだよ。女性の内面は。
それはパッと見ではわからないのは事実だが、
女は顔だってレボリューションだな白夜書房。
「BUBUKA」は大学時代、たまに買っていたよ。女が買える雑誌ではない。
生身の女性を愛せないというアニメ好きの
「BUBUKA」愛読者の相談にはどう答えるか。

「アニメの女はいつまで経っても同じままだけど、
生身の女性は変化があるからいいんだよ。
生身の女性と付き合うと、うまくいかなかったり葛藤もあるけれど、
逆に100%応えてくれるときの嬉しさもある。
年をとるにしたがって自分の色に染まっていく
女の人を見るというのは満足感が高いもんだよ。
お前がね、人から好かれるような人間だったら、
彼女をどんな色にでも変えられるんだよ。
究極の言い方をすれば、好きなキャラクターを作れる監督になれる、
かもってことだよね」(P123)


天龍源一郎はすっかり奥さまの嶋田まき代の色に染められたのだが
(天龍はまき代さんの作品)、
されたほうも相手を自分の色に染めたと思っていたのか。
天龍のお嬢さん紋奈(家紋が広がりますようにって意味)ちゃん。
馬場元子レベルに業界から「しょせん女のくせに」と評判が悪いそうだが、
わたしがおきれいな紋奈代表を自分の色に染めてやると思うまえに、
彼女は平凡なサラリーマンと運命的な結婚をしてしまった。
紋奈さんがいまやっているのはプロレス互助組織の設立。
猪木、藤波、長州、お父さまの天龍、みんなあくが強いけど、うまくいくのかな。
困ったらおれの胸に飛び込んで来いよ。
そのままパワーボムで持ち上げるつもりだが、
それはフランケンシュタイナーで返させるための布石である。
ともあれ、和光学園高校出身の嶋田紋奈代表にはいろいろご活躍をしてほしい。
紋奈ちゃんレベルの年齢、華で人生相談に答えるのは(本書で数回)、
ちょっと違和感があったが天龍の娘さんらしくていいとも言えよう。
紋奈ちゃん、天龍源一郎をしっかり看取ってくれよな。任せたぜ。

「天龍源一郎 引退記念特別号 下巻」(ベースボールマガジン社)

→よく言われていることだが、
むかしの新日本プロレスと全日本プロレスの違い。
猪木さんの新日本は自分が光ろうとする。
馬場さんの全日本は相手を光らすことで両方ともに光ろうとする。
プロレス技のほとんどはふたりが協力しないとかからないが、
相手の技をきれいに受けてあげることがプロレスであるという考え方。
天龍源一郎は全日本育ちだから新日本に行ったとき驚いたという。
みんな自己主張ばかりで相手の技を受けないからである。
プロレスは人生にも通じており、次の天龍の言葉は重い。

「プロレスという興業において誰が勝者かっていえば、
リングに上がった人たちが終わって帰ってきたときに、
勝った人も負けた人もお互い光ることなんです。
勝ったほうが光るのは当たり前だけど、
敗者がスポットライトの消えた中に行くんだったら、
そんなことをやるために2人だろうが4人、6人だろうが
リングに上がっている選手というのは、俺はね屁だと思ってますよ。
そんなのレスラーじゃないよというのが俺の極論ですよね。
負けたヤツが光るからあの試合は面白いよ、あのカードは面白いよと、
また次に期待を持たせることができる。
それがプロだと思うんですよね」(P12)


やたら勝利を叫ぶ宗教団体や、それを信仰する宮本輝という作家もいるが、
彼(女)らは人生の味わいの半分を見逃しているとも言えよう。
天龍は覚えているだけでも大仁田、高田、北尾に最初は負けている。
芸能人のレイザーラモンHGに負けたときは大勢ファンが離れていったという。
天龍いわく、あれは嶋田家(金)のためにやらなければならなかったとのこと。
あのせいで難波天龍隊の旗振りの人も去っていったという。

WARの天龍が新日に乗り込んで大阪で越中とやった。
あれの舞台裏がたいへんだったらしい。
新日本最後の興業でメインがなんで外様の天龍と、
おなじく全日本出身で外様の越中なんだと揉めた。
揉めたのは馳浩とのこと。
メインで越中が天龍と熱い試合をやったら今度はマサ斎藤が怒ってくる。
このあとドームで天龍と長州の試合が決まっているのに、
あんなに盛り上げてどうする? 越中は分をわきまえろって。
プロレスって実社会以上に人間関係がめんどうくさいので裏がおもしろい。

いまは新日本のレフリーの海野が天龍にかわいがられて、
一緒に競馬に行くもののぜんぶ負けて電車で帰った話とかしみじみよろしい。
淵は自分が見えていなくて、
淵と蝶野の試合を武道館のをメインにしろって主張した模様。
メインは天龍ハンセンvs川田ウイリアムス。
淵は武道館でメインを張れる器ではないことに気づかないのだろうか?
三沢たちがいなくなって、自分がトップだと思っていたら、
天龍が戻ってきたのだがら怒りはわからなくもない。

川田って変な奴で(そこがおもしろいのだが)天龍引退記念号で
生々しい裏話を披露している。
三沢たちが出ていった全日本。
出戻りの天龍のギャラは川田の数倍だったという。
で、最初のシングルで負けを飲まされるんだから、
ひねくれた性格がもっとひねくれるわけだ。
1歳年上の三沢と川田では入団時から給料がぜんぜん違ったという。
もちろん三沢のほうがはるかに上。おなじ高校卒で1年しか変わらないのに。
ひねくれているから一段下に見られるのか、
不遇だからひねくれるのかの相関関係は難しい。
川田の天龍評がものすごいのである。よくこれを載せたなと思う。

「[天龍は]食べていくのがうまかったかもね。
稼げるところろを回って歩くのが上手だった人。その点ではすごい。
オレはそういうのができなかったからね。(……)
全部、いいところを取って歩いたでしょ。(……)
そりゃ、うらやましいよ。ただオレには同じことはできない。
天龍さんだからできたことであって、オレにはできない。
だから、どうにもならない。器だって違うしね」(P67)


こういう出しちゃいけない本音をポロっと口にするところが川田のよさであり、
馬場や三沢から嫌われた理由でもあろう。
言うか、よりによって天龍引退のお祝いの席で、そんなことを。
繰り返すが、そこが川田利明のおもしろさなのだが。
その川田の言っていた「器」という言葉が大きい。
明らかに「器」や「華」といった宿命的なものが人間にはある。
天龍を30年以上おっかけてきたファンのこちらの「器」はわからない。
「天龍源一郎 引退記念特別号 上巻」(ベースボールマガジン社)

→2015年に引退した天龍源一郎の特集本をいまさら読む。
天龍のように熱く生きたいが心に点火してくれるものがない、
以下、むかしのプロレスファン以外はわからないと思う。
SWSが解散したときメガネスーパーがWARに支度した用意金は1億。
カブキ、石川、原クラスには月給200万を払っていたという。
プロレスラーは人間関係が込み入っており、女以上にどろどろしているが、
金になる、お客が来ると思えば、
嫌いな相手ともスイングしたプロレスをできるものがいて、
それがどうやら天龍源一郎のようだ。

天龍同盟で弟子だった川田利明の証言がおもしろい
試合に納得いかなかったときの天龍の控室での不機嫌はほとんど狂人。
怖いとかいうレベルではなく、空気が緊張して一歩も動けないくらい。
川田がプロレスに覚醒したのは、阿修羅・原が解雇されたあとの最強タッグ。
はじめて武道館のメインを経験して自分が変化したのを感じたという。
それはお客さんの声援。会場の雰囲気。

「……お客さんの歓声とか声援で自分がやらされちゃうっていうのがあるんだよ。
地方で誰もお客さんが入ってない寒い体育館でやれって言っても、
たぶん体が動かない。
そこでやるのがプロだろうと言われたらそれまでだけど、
やっぱりお客さんに動かされるっていうのはあるよ」(P60)


川田はこのとき、天龍や鶴田が別の世界に生きていたことを知る。
脚光やスポットライトは人を天狗にさせるが、成長させる面もたぶんにあるのだろう。
それから応援してくれる観客の存在。
超世代軍のころ、川田は一度天龍に呼び出されたことがあったとのこと。
プロレスの団体をしたい人がいるが、おまえ社長にならないか?
うさんくさい話なので断ったら、その後、天龍から、
「おまえ、あの話に乗らなくてよかったな」と言われたそうだ。

天龍の奥さまのまき代さんの結婚当時の写真が載っていてきれいだった。
奥さまの実家は別の本では土建屋の社長となっていたが、
下巻では芸能事務所の社長をしていたといったようなことを
天龍が話している。いまでいう高級キャバクラみたいなものもやっていたんでしょ。
かきりなくヤクザに近いところにいるカタギの親分みたいな感じか。
まき代さんが京言葉で話していたのが新鮮だった、
ギャンブルが象徴的だが、
けっこうな大金がパーッと入ってくることが
長い人生でめったにない事象ではない。
このときどうするかだ。
1.パーッとつかう。
2.散財しないで貯金する。
わたしはどこまでも2の存在かもしれない。
パーッとつかうといっても20歳近く上のお世話になった派遣先輩に、
たかだか2000円の食べ飲み放題をおごるくらい。
それは彼を小説のモデルにしようと
虎視眈々と狙っていたことも関係している。
どっちがいいのだろう?
天龍夫婦なんか典型的な1のパターン。猪木もそう。
馬場や鶴田は2の堅実派だが貯めた金を使う間もなく死んだ。
父に聞いたら「わからないなあ」。
それが正解なのだが、
わたしは父の教育をうまくしているのだろうか(笑)。
ほとんどの人生上の問いおいて「わからない」がいちばんの正解。
やってみないとわからない。そして人生は一回かぎり。
今日板中で最終診断が下ったわけ。
大腸に穴がいっぱい空いているけれど、
がんじゃなかったらまあいいんじゃね?
穴はもうどうしようもないし、どうなるかわからないし、まあ、それはそれで。
昨日まで父親とはどっちかが死ぬまで永遠に会わないだろう
と思っていたが、
近所だったこともあり気が向いて父に電話した。これが一念三千よ。
人のこころの摩訶不思議、それが一念三千。
その人のこころの万華鏡こそ人生を決めるもの。一念三千は万華鏡。
野島伸司ドラマ「高嶺の花」のオープニングも
万華鏡で創価学会の一念三千でしょう。
母親がわたしの眼のまえで飛び降り自殺をしたのも一念三千。
翌朝まで持ちこたえられなかったのは一念三千。
一念三千の言葉があるのは法華経ではなく、
創価学会が無視している円頓章。
ありのままそのまんま、なんにもしない無為が円頓章。
あれから20年が経ちました。
だれが世間知らずなんだろうって話。
わたしは1年以上かけて八王子大菩薩が
ご依頼くださった仏教小説を、できる限りエンタテイメントとして、
なるべく多くの人に最後まで読んでいただけるよう書いた。
八王子さんが対面で口にした本はすべて読んだ(「無常」「南無阿弥陀仏」ほか)。
本気だったのである。一生懸命だったのである。
資料代だけでも金銭度外視にもほどがある。ノーギャラに近い。
その一作目の八王子感想の「こいつをやっつけてやれ」感がすごくてねえ。
「こんな小説の書き方はしない(ってあなたはなにさま}」
「土屋さんは世間を知らない(おれは八王子の敏腕実業家)」

ああ、おれをやっつけたかったのねと思った。
そういう人は過去にもたくさんいらした。
これはもう放置しておくほかない。無常を信じて変化を待つ。
で、二作目にとりかかったのだがギャラの問題。
あっちが待ってくれと言い出したの。
最初の約束を変えてきた。
一作目の「校正」が終了するまで支払いを待ってくれ。

え? そんなことを許容したら
永遠無限の(大した根拠もない)
ほぼ無益な「校正」をすることになっちゃうじゃん。
ここで強いことを言ってギャラを払ってもらった。
ここが恐喝だとか名誉毀損だとか八王子大菩薩は言っているわけ。
それは「払わない」でも押し通せたが、
人のよい世間知らずの八王子大菩薩は払ってくれた。
しかし、あるときハッと気づいたんでしょうね。
小説なんかなんの価値もない。

で、姉にメールを送ったとさ。
わざわざ「村内家具代表取締役」って大げさにアピールして。
そこは世間を知っていて、
姉夫婦は「村内家具代表取締役」の威光に完全降参で、
会ったこともない八王子の言い分を真に受けてわたしを犯罪者扱いしたから。
そこではじめて村内家具の世間的パワーを知ったくらい。
いまの八王子さんは村内家具とは別のベンチャーな仕事をしているのだが。
結局、一作目を書籍化したら二作目のギャラに近くなるから、
このあたりで絶縁というのが八王子大菩薩の世間常識感覚だと思う。
いちおう三作目のギャラも約束しているのだが、
そこはごまかしたいという世間的知恵。
去年、書いた二作目の小説を
読んだことがあるのは(読んでいただいたのは)わずかひとり。
10年以上お世話になっている。この関係を言葉にするのは難しい。
というか、あてはまる日本語がないからである。
極めて近しい叔母さんと甥っ子くらいが適切なのだが、
血はつながっていないので
「親友」くらいが75%くらい当てはまっている言葉か。
1年以上かけて書いた一作目を八王子大菩薩にボロボロに叩かれて、
小説なんか仏教ビジネスの商品道具に過ぎないと言われたので、
二作目は10回でも書き直してやるぜってくらい気楽に2週間で書いた。
これはもう完全な仏教テキスト小説で、私小説っぽく、
わたしが市民会館の小部屋で少人数に仏教を教えるという、
半分戯曲スタイル。八王子大菩薩もモデルにした。
この二作目で言いたかったのは「真実とは人を喜ばせること」。
だから、学会の人と無宗教の人を喜ばせる「真実」は異なる。

昨日、久々に会った父は意外と元気そう。
「若返ったんじゃない」「あと10年は絶対大丈夫」「見違えた」
そんな「真実」を連発したから。
二作目の小説のギャラもすごくて、それを2週間で書いちゃって、
でも(メールしたら)刑事告訴するっていうから、
まだ相手に渡していないという、いやね、そのね、ほとんど反社小説じゃね?
でもでも、あっちが連絡してくるなと言ってきているわけだから。
ひとりにしか読まれていない書き直しフリーの小説も味わい深い。
いま成功者の間で流行っている言説が、あえて友達をつくらない。
時間を取られるし、めんどうくさいから。
これを早くから言っていたのは、作家で精神科医の春日武彦氏。
メンテナンスがかったるいから友達の数をセーブしていると言っていた。
わたしもそのつもりだが、みなさんご存じのよう、
こちらの場合、友達を「つくらない」というより「できない」が実相。
むかし年収1千万オーバーの、大企業の世田谷本部長さんから
「友達」という言葉を聞いたけれど、
あちらさまと当方では金銭感覚が違うからそもそも交友が続かない。
メシを食いにいくと行っても
あっちとこっちでは金銭感覚が天と地ほど違うから。
友人のメンテナンスには金銭が必要とされるケースが多い。
むろん、そうではない場合もある。
矛盾を生きているから、最近久々に芽生えたのが、
もうすべてをあきらめたように近場の長期アルバイトで死んだように、
しかし質実剛健に黙々と生きるのもいいではないかって。
娑婆っ気や山っ気をなくして
すなおに時給千円程度という自分の価値を受け入れて静かに生きる。
生きているのが生きている目的。
たまにむかしの小説や映画を見て、おのれをなだらかに慰める。
酒は仕事終わりの金曜日にしか飲まない。
向上心もなく自分に見切りをつけて生きる。
もちろん、時給千円程度のバイトでも落とされるかもしれないけれど。
いまごろパチンコ工場で働いているはずなのに、
延期ばかりで、これは派遣を舐めるにもほどがあるって話。
かたくまじめにつまらなく、しかし堅実に生きるのもいいのかなあ。
宿命がそれを許さない気がふんだんにしますけれども。
いちおう息子っぽく父親に相談するふりをする。
「向上心がないんだけれど、どうしたらいい?」
高い服を着たいとも、高級腕時計が欲しいとも、
高い店に行きたいとも思わない。向上心がない。
父は貧乏からそういうのを目指した人だから聞いてみた。
父は正しい答えを言ってくれた。
「それはわからないなあ」
入院したことを姉から聞いた父が電話してくれたらしい。
「この電話は使われていませんって」
見たら番号が間違っている。わが父だなあ。
昨日最後の板中外来が終わった。
結論は検査結果、とりあえず大腸がんではぜったいないからこれでよくね?
腸に穴が開きまくっているけれど、これはどうしようもない。
次にひどい炎症を起こしたら開腹手術をして大腸カットをするくらい。
胃はともかく大腸がストレスで穴が開くとは考えられないと自説を開陳する。
腸の穴はだその、まあお腹に時限爆弾があるくらいと思ってくれ。
これで診察は終了。またお腹が泣くほど痛くなったら来てくれよな。
どうしてお腹が痛くなるかはよくわからない。
便秘は腸の穴に便がたまるから避けろ。ありきたりだが食生活の改善な。

点滴の影響の左手の痛みでロキソニンを1ヶ月くださいと言ったら2週間。
内科はロキソニンなんか
1ヶ月くらい楽勝で出してくれるが外科はそうではない。
ふと思い立って父に1年ぶりに会いに行った。
お互いの宿命の行きつく先はどこなんだろう?
「熱い恋愛なんてしたことある?」って聞いたら「覚えていない」だそうだ。

なにもかもみんなそんなものなのだろう。