「週末バンコクでちょっと脱力」(下川裕治・ 阿部稔哉/朝日文庫)

→悪評高いがため期間限定で時給が急上昇したア○ゾンで働いてみたら、
なかには若くてかわいい女の子が多いのである。
こんな安い時給でストー(商品の棚入れ)とかしていていいの?
きみたちの価格はいまこの一瞬にも若さや美貌とともに落ちていくんだよ。
しかし、相手の身になって考えてみると、
いま若くてかわいい子だって、
学歴どころかコミュ力さえないと(わたしもそうだが)
ここで雇っていただけるだけでも持って瞑すべしなのかしら。
本当に(わたしもふくめ、わたしなどはその本尊だが)
コミュ力がない人が倉庫作業には大勢いて、ア○ゾンはまだましなほう。
ピッキングとかストーでお声がけ、あいさつができないって、
おまえら(わたしもだが)どこまで人に傷つけられてきたんだ。
そのなかでもまだましなほうで、
この待遇に文句を言わないものがトレーナーに昇進。
いやだっていう人の言い分のほうも理解できる。
たしかにア○ゾン倉庫でトレーナーになれば、
実作業から離れ楽になるが、
定期的に入れ替わりすぐ消える新人になにかを教えるのはめんどうくさいし、
おなじことの繰り返しで飽きないのか?

わたしは思っている。
「楽をしたい」
「めんどうくさい」
「飽きた」
これが人間の人間たるゆえんで、もっとも本音に近いことを。
考えているのは、こんなことばかり。
楽をしたいなあ。それめんどうくさいじゃん。ひと言、飽きた。
著者によるとタイ人もまたおのれの人間性に正直らしい。

「たとえばタイ語にブアという言葉がある。
「飽きた」という意味だ。
ある女性は、デパートで六カ月ほど働いた。
そしてあっさりと辞めてしまった。
その理由を訊くと、ブアという言葉が帰ってきた。
飽きてしまったのである。
日本人にはわかりづらい感覚である。
「飽きたくらいで仕事を辞めてどうする」などと、
説教をはじめる日本人もいるかもしれない。
しかしタイ人は、このブアを口にすると、
もう決して働こうとしない」(P191)


おおむかし、どこかの女の子から
「土屋さんとつきあっているとどんどんダメになっていく(笑)」
と言われたが、あれから10年か。
わたしも朝7時の派遣バスに並べるくらい成長したよエミー。
でも、楽をしたい。めんどうくさいことはいや。飽きっぽい。
旅行作家の著者は日本に朝帰ってくるといつもいやな気分なるらしい。
名文である。タイから日本に早朝、帰ってくると――。

「気分を暗くさせるのは、空港からの電車である。
飛行機の時間によっては、朝のラッシュとかち合ってしまう。
ただでさえテンションは低く、体は寝不足で重く、
電車は脇に置いた荷物への視線がきついほど混み合っている。
しかしそれ以上につらいのは、車内を支配する重い静けさである。
会話ひとつなく、人々はスマホや新聞に視線を落とす。
いつから日本人は、
こんなにものっぺりとした顔をした民族になってしまったのだろうか。
瞳の輝きを失ったのはいつだろうか。
十時間ほど前まで身を置いたバンコクの熱気が
無性に恋しくなってくる」(P200)


めんどうくさい日本に若い女の子が飽き飽きしないのは平成教育の成果なの?

「平成日本タブー大全」(溝口敦ほか/宝島SUGOI文庫)

→裏と表ってあるじゃないですか?
わたしは(いわゆる)不正を告発する趣味はなく、
わたしがおいしい思いをしたい。
わたしの関係者においしい思いをしてほしい。
それだけだから。ただそれだけ。社会正義趣味はない。

八王子の人から刑事告訴されるといまもって緊張状態は続いているが、
村内家具のいう「警察」がどっちの警察かわからないのよ。
庶民のみなさまはご存じでしょうが、表の警察と、裏の警察がございます。
表の警察はそれほど怖くない。
事業家で仏教科学者の八王子さんの言っているのが表の警察なのか、
それとも裏の警察なのか。
みんな知っているでしょうけれど、警察も裏では政治権力とズブズブで、
天下り先とかパチンコ会社との癒着とか、まあ、そんなものだろう。
八王子菩薩の言っているのが裏の警察だったら怖いのである。
ヤクザよりも怖い。
人権(そんなもんわたしにあったっけ?)侵害や恫喝さえ裏の警察はする。

ちょっとでも社会の上のほうにいけば日本社会のからくりはわかるでしょう?
きれいな顔をした人がご子息を有名会社にいい待遇で入れておられる。
朝日新聞の社長が息子を電通に入れたら自殺しちゃったみたいで、
これは報道できなかったオフレコ。
ありがちなつまらない陰謀論めいているが、
実質的に大企業、政治家、国家権力、報道機関は
すべて裏では利権で握手している。
それに対して、どう思うかである。
わたしは少しでもそのおこぼれをいただきたいなあ。
嫌いな言葉は正義の、歪(いびつ)なわたしわたしわたし。

この本を読んでやっぱりそうだったかと思ったが、
どこもあそこも裏では血縁や利権、主義思想でつながっている。
朝銀(朝銀信用組合)とかすごかったんだなあ。
朝鮮はパチンコで、パチンコは警察だから、うまみのトライアングル。
先日、派遣会社から
「パチンコ・スロット会社の短期仕事は不採用になる可能性が高い」
と電話が来たが、こちらのバックを知っているのか?
まあ、いないのだが(笑)。
いや、入ってもいない創価バックがある(笑笑)。

売春だってバックがなければ出来ない仕事。
警察とヤクザ両方に裏金を払うって、
どんだけ(建前ならぬ)本音はつらいんだよ。
困ったことに、裏社会は利権オンリーではないのである。
こだわりの政治信条や思想主義がからんでくるからめんどうくさい。
わたしはノンポリで政治とかどうでもよく、
ただ利権――いやいやいや好奇心、快楽のみで動く。
あと30年、毎月50万をあげるポストを用意すると言われても、
それは飽きそう、めんどうくさいと断っちゃう。河原乞食みたいなもん。
恐れずに言えばヤクザなのだろう。
ライターがヤクザの生態について正しく、それはもう正しく書いている。

「暴力社会の人たちの言う「常識」は、ひどくいい加減である。
論理の裏づけは無視され、ときには物理の法則さえ黙殺される。
確率の勝負である博奕を、
「力」(りき=人間の持つ生命としてのエネルギー)の強弱ではかったり、
万事がつねにファンタジックで、
門外漢にはとても素直に頷けない。
だが、日常的に暴力を行使している者だけが
掴みうるインスピレーションは生々しかった」(P79)


「細木数子 魔女の履歴書」(溝口敦/講談社+アルファ文庫)

→創価学会、池田大作の暴露本で溝口敦という名前を知ったが、
彼は本当にいい本を書く。文章がぐつぐつ煮えているようなさ。
徹底した取材調査と
取材対象への悪意、嘲弄、侮蔑をミックスさせるのがうまい。
わたしはテレビに出ていたころの細木数子にはまったく興味がなかったが、
本書を読んでまるでオンナ池田大作のような彼女が好きでたまらなくなった。
細木数子みたいなバイタリティーがいまほしいのである。
ああいう銭ゲバの劣等複合強者とからんで、
コンプライアンスな偽清潔主義のジャパンに一丁かましてやりたいが、
当方がそれほどの器を持っていないのだろう。
細木数子やその周辺のメンバーの1割程度の
いかがわしさのやつらも寄ってこない。
そういううさんくさいやつらとからみたいのに。プロレスをしたいのに。
一夜で大金を得て翌日にはそれを失っているとか経験してみたい。
で、さらに失った大金が5倍になって返ってくるとか、そういうヤクザな世界。
細木数子とか正体は小心だがきっぷのいい、ええおねえさんだったのだろう。
この本を読んで細木数子が好きになった。
好き嫌いが大きくわかれる人っていいじゃない。
名文家のノンフィクション作家は細木数子をこう評す。

「おそらく嫌悪派は物言わぬ多数派のはずだが、
細木数子を受容するか、拒否するかは
その人が人生の何に価値を置くかを見分けるリトマス試験紙になり得る。
細木が体現するのは人生はカネ、奢侈(しゃし/贅沢)は美徳、
この世は上手な世渡りで愉快に暮らす、
負け馬を踏み台に勝ち組になるのも勝手、といった生き方だろう」(P25)


いい子ぶっているより、よほどいいじゃないの。
細木数子にだまされるほうが悪いとも言える。
というか、細木数子に近いメンタリティーのものが引き寄せられるのだろう。
そして、食い物にされる。
わたしは細木数子的存在に肯定的だが、
彼女の占星術を信じることはできない。
でも、生きることって不安でいっぱいなんだよね。
本当のことはすべてわからない。
医者だって本当のことをいえば、だれがどうして病気になって、
それがどうして治るのかよくわかっていない。
先日、3歳年下の外科医が、本当のことにうすうす気づいたのか、
患者のわたしのまえで不穏なことを口走ったが、良心的ではあるが、
医者には医者の演技をしてほしいとも思った。
細木数子とか意味不明なことを自信たっぷりに宣言するじゃん。
むかしの医者って、あんな感じだったよね。本当は根拠もないくせに。

もう手遅れかもしれないが、細木数子のような生き方をしたい。
島倉千代子をマインドコントロールして刑務所慰問で大儲けしたんでしょう。
ヤクザの親分でも島倉千代子プロデューサーの
細木数子のお供というかたちなら堂々と刑務所に入れる。
受刑者のうちの組のもんは親分が来てくれたと涙するわけである。
ヤクザは細木数子に大金を支払う。
もちろん細木はピンハネして歌手の島倉千代子に渡すのは衣装代程度。
やるなあ、細木数子! である。悪いなあ。このアマ、よろしいでんがな。
晩年の安岡正篤を酒で骨抜きにして(安岡は家族に酒をとめられていた)
結婚誓約書を書かせたところなど、
どれほど細木数子は「できる女」なんだよ。
まっとうに生きていたってつまんないぜ、と高笑いしているかのようである。
細木数子のようなタマの女と出会って、
世間に一発かますためにはどうしたらいいのか?
本書の著者である溝口敦は細木数子の正体を的確に見抜く。
おそらくおなじ生命を持っているから、
著者には細木のことがよくわかるのだろう。

「広域暴力団のトップや幹部が法や人の権益を侵して
富をほしいままにするように、
細木もまた性倫理を踏みにじり、
管理売春やマルチまがい商法で人の生き血を吸うことで、
富を蓄え、今、贅沢な消費でデモ行進している。
人は富の由来を訊(たず)ねないから、ヤクザの親分は庶民の人気を博す。
ヤクザの親分を称賛する伝統的な歌には、
「線が太くてこせこせしない」
「今の時代は大きな腹で、
よいも悪いも呑み込むほどの力なければ役には立たぬ」
といった文句が並ぶ。
おそらく細木の性格は女だてらながら、この伝にちがいない」(P220)


今回、わたしはア○ゾンで
高時給1350円で1回も「早帰り」を食らわなかった。
レギュラーのみなさんが知ったら、あたまが沸騰するだろう。
それとも、しないのだろうか。
日給が減る「早帰り」を「常識」として受けとめる作業員が多い。
それどころか早く仕事をして、
早く帰った自分は格好いいと思う男女もいる。
あんがい、それでいいのかもしれない。
お互い納得しているなら、そういうものなのかもしれない。
ぞっとする。
共産党の荒川なおに言ったらなにか改善するのだろうか?
ア○ゾンのみならず、
どこでも大企業なら絶対にやってはいけないのに
やっているのが「早帰り」。
大日○印刷とか、ひどいぞ。
日給を保障しない「早帰り」は底辺労働者の息の根を止める。
「しんぶん赤旗」でも「聖教新聞」でも、この特集をやってくれよ。
どうせ朝日や読売にはできないんだろうから。
困っちゃうのが、おなじ作業員。
「早帰り」させられても怒らない。連帯しない。
上から早くやれって言われて下に早くやれって怒鳴って、
早く帰されて日給が半分になっても疑問に思わない。
それどころか下にもっと早くやれって怒鳴って、早く帰る始末。
会社のためになったって派遣がバッカじゃねえかと思うが、
下のほうはそんなもの。
下が連帯して拒否したらいいのに、
下はもっと下をいじめるだけで
日給を減らされる「早帰り」にはしょうがない。
いいことをした気分。学がない。教育を受けていない。
八王子の家具屋のお坊ちゃんは、
言葉の意味は一義的に解釈されると怒鳴っていたが、そうとも言えないわけ。
ここ最近、わたしがふざけて使っている「キューポラのある街」は川口のこと。
でもさ、ふつう「キューポラのある街」が川口ってことはわかんないじゃん。
映画「キューポラのある街」は、ひどいアル中の浦山桐郎監督の処女作。
浦山桐郎は(高卒の大文化人の)原一男教授のお偉いお師匠さま。
「キューポラのある街」というひと言にいろいろ意味が含まれている。
いま住んでいるところ、河を越えたら「キューポラのある街」。
「キューポラのある街」には極左、共産党系っていう意味もある。
そこらへんをわかるのが文化で知性なんだなあ。
いい映画である。いわく、きみは「ひとりじゃない」――。