「少女物語」(朝日的な有名作家のみなさん/朝日新聞社)

→96~97年に朝日新聞夕刊に連載されてい短編小説を集めたもの。
本当によかった。
だれにでもわかる言葉で、どれもうまく作家の世界観が表現されていた。
現場ではあまりそういう感じはしなかったが、
ネットでの情報によると、ア○ゾンはすべてを数字で管理しているらしい。
結局、スキャナーにぜんぶ数字で出ちゃうわけだから。
けれど、むろんそれは間違いで、
たとえばピック数を誇っているベテラン女性がかりにいたとしても、
あなたは女性だから10キロの米を振られていないだけかもしれない。
おなじピック数1でも米の1とスマホの1では、まったく意味合いが異なる。

それから職場には感じのいい人がいるじゃないですか?
あの人がいるから働こう、がんばろう、みたいな。
そういうのは数字に出てこないが、
職場の質を決めるのは数字ではなく、
そういう個々の人格だという説もありえよう。
しかし、数字もまた大切で時給1350円と1050円は歴然とした差である。
1350円と1200円も異なる。
正社員と契約社員、レギュラー派遣、スポット派遣の立場も違う。
だが、その溝を人間関係のトラブルにしないのは、
これはもう個々の数字にならない人格、人間性に頼るほかない。
感じのいい人、感じの悪い人は数字にならない。
それに相性というものがあって、みんなに好かれる人はめったにいないだろう。

ア○ゾンで働くようになって気づいたのは、
ああ、ここで作業していると自分が消えていくという恐怖である。
人を数字で見る企業姿勢が根づいている(川口はそうでもないが)。
わたしはピック数いくつ、ミス数いくつの存在ではない。
わたしはわたしである。
このため、休日は狂ったように自分の世界を取り戻すために
ブログに過去読んだ小説の感想を、
☆いくつというのではない自分の感想を書き散らした。
自分を消されたくない。

職場に本当に1年も違わない同世代の男性がいる。
聞いたら宅建を持っていて、長らく公務員として勤めていたという。
5年まえだったか、6年まえだったか。
仕事がいやになったのか、なんだったのか、なにもかもいやになった。
実家暮らしということもある。
酒とギャンブルにおぼれきった。毎日そればかりだった。
よかった。よかったなあ。よかったとしか言えない。
「土屋さん、お酒を飲みながらギャンブルすると楽しいですよ」
いまは医者にとめられて一滴も酒を飲んでいないという。
放埓のかぎりをつくしたが、今年からは週5日ア○ゾンで働く。
わたしが今年の11月にまた来るかもとふざけて言ったら、
そのときはかならずいると宣言。仕事を教えてもらう約束をした。
おそらく公務員をしていたときの彼は、
クズっぷりが激しいわたしなんかと話す幅の広さがなかったことだろう。

本書、新井満の「ひとみの夏休み」から。
少女のひとみは人生に思い悩んでいる。

「いい大学といい会社にまっすぐつながっていて誰もが乗りたがる、
そういう絶対安全路線バスに慌てて乗り込むことに、
疑問を感じ始めたんです。(……) それより自分の足で、
自分の好きな道をゆっくり歩いてみよう。そう決心したんです」
「迷子になるかもしれないよ」
「覚悟はできています」
「君にぴったりの言葉を思い出したぞ。
道草を食ったやつが、結局、一番遠くまで行ける」(P82)


本書は朝日新聞に連載されたものだが、
もちろんこれは建前で、
本当は有名大学を出ているものしか朝日新聞には入社できない。
朝日新聞の内部でも、
本当に個性的なことをやろうとしたら会社と衝突して辞めざるをえなくなる。
しかし、そこにこそ、自分があるとも言える。
むかし朝日賞作家の山田太一さんが講演会で早口で言った。
「自分が自分を愛さなかったら、だれが自分を愛してくれるんですか」
「本当のこと」をないがしろにしてはいけない。

堀田あけみ「姉妹の事情」から。
堀田あけみはいい小説を書く。
そういえばこのまえア○ゾンのピッキングで、
女史原作の映画「アイコ十六歳」のDVDを手に取った。
富田靖子が主演かと思ったものである。
いまYouTubeで動画をちらりと見たが、あの子も情がある演技ができる。
さて、堀田あけみ「姉妹の事情」。これいいよ。
というか、この小説集はいいからア○ゾンで買っちゃいませんか。
五人姉妹の次女が美枝である。

「彼女[美枝]は気付いていない、というか、眼中に入れていないが、
姉妹は究極の敵であり味方だった。
もちろん人並みの姉妹愛はある。
しかし、言いたい放題の彼女に
傷つけられることが一番多いのが姉や妹でもある。
長女の真美からは、何回か注意されている。
口を開く前に、少しは考えなさい。
「本当のことを言って何が悪いの?」
「それで傷つく人がいたら悪い」
「傷ついたって、本当のことがわかるんなら、その方がいいと思う」
美枝の意見が必ず正しいとは限らないんだよ。
どうして本当のことなんて言うかな」
「私がそのように感じていることは、事実だからです」
そんなやりとりが何度かあった後、真美はその問題には触れなくなった。
勝ったと思う。正義は勝つ」(P101)


自分の世界を深めるとかならずと言っていいほど世間さま、
他人と衝突してしまうのである。
少女ならぬ大人としては
あんまり自分の思った「本当のこと」を言ってはいけない。
しかし、少女の魅力は大人の嘘を
ズバッと見抜くところにあるのも真実である。
とはいえ、わたしだって大人の寛容に助けられている。
職場で「本当のこと」、ミスをずばずば指摘されたらひとたまりもないだろう。
わたしだってア○ゾンに対して本当に思ったことは大人として書けない。

それでもあれくらい書いている。
いまのわたしは「本当のこと」よりも嘘のほうが好きという姿勢である。
人から送ってもらった自費出版の本に対して、
本当に思ったことなんて書くはずないだろう?
で、その自費出版の八王子さんから
けっこうなお金を払うので小説を書いてくれと言われ、
苦吟して書いたら書いたで「本当のこと」を言うと鼻息荒く怒鳴られても、
あれさ、八王子先生ももうすぐ還暦で子どもじゃないんだから、
そういうのはやめましょうよ。世間を知らないのはどっち?
わたしだって(記録に残ってしまうから)
本当に「本当のこと」はブログに書いていない。
記録に残らない口頭だったら相手次第でかなり「本当のこと」が言える。
本音キャラは、キャラで、その人の言う本音は「本当のこと」ではなく、
つくりもののセリフ。
「本当のこと」なんてない。あってもつまらないものだ。
つくづく嘘っていいよなあ、と思う。
嘘のよさがわからなかったら、
知りたかったら、ア○ゾンから「少女物語」を買ってくださいよ。

高橋克彦「去り行く精霊」も本当によかった。
とくにそのなかの「廃墟の天使」は絶品。
ある廃墟で退廃したカメラマンで独身、28歳の男性が少女と出逢う。
彼女は14、5歳と思しき少女。10歳で戦争で死んだという。
カメラマンのことを「おじいちゃん」と呼ぶ。
名前は「純子」。「おじいちゃんの初恋の人の名前だったんでしょう?」
近未来戦争で死んだ少女、純子は言う。
「でも、あたしは10年生きることができてとても楽しかった」
「おじいちゃん、ありがとう」
泣けるよなあ。なんで作家はこんなすごい嘘が書けるのだろう?
かつて純子さんという親友がいたが、もう何年も逢っていない。
「本当のこと」をいえばそんなものだが、現実だけではやりきれない。
嘘がほしい。現実ならぬものを夢みたい。
おっさんがまるで少女のようなことを――。

小池真理子はむかしなんか読んだ記憶があるけれども、
こんないい小説を書く人だったのか。「昭和の風景」はすばらしい。
この人は少女だったころの記憶が残っている稀有な存在。
「夏の夜」は子どもの少女が近所の世話好きのおねえさんに、
現実そして女性というものを教えてもらう話で本当にいい。
わたしは人に本をすすめるのはいやだが、これは損しないぜ。
いつも近所の子どもたちと遊んでくれる薄幸な家のおねえさん。
親が病気のため、家の母親係をしているうちに二十歳になった。
少女はおねえさんのことを友人だと思っていた。
夏祭りの日、おねえさんはいなかった。
おねえさんの兄がそんなあたしを見てタバコくさい口で笑った。
いやだなあ。おねえさんの兄とは思えない。
おねえさんは路地裏で男性と向き合っていた。
男はあたしが親友だと思っていたおねえさんに迫った。
あたしはおねえさんを呼んだが、無視された。
男は女にひどいことをしたが、
女はいやがりながら完全にいやではないのがわかった。
おねえさんはおねえさんではなくなった。友情なんてなかった。
本当は嘘だった。嘘だと思っていたことが「本当のこと」だった。

人の言ったことを額面通りには受け取るな。
少年は好きな子の悪口を言う。少女は好きな子の悪口を言う。
なぜか気になる。嫌いなのになぜか気になる。
それがいわゆる、その「無意識」ってやつだ。
小池真理子「昭和の風景」の「秋の放課後」から。
本書でいちばんさわやかで情味あふれる切なさがある小説はこれ。
何度か読み直して、どこかお借りできないかと創作中に思ったものである。

中学生、少女の容子は転校生の男子、山田が嫌いである。
最初のころいろいろ親切にしてあげたのに、
いまでは自分の悪口を広めている。
それもいちばん自分のコンプレックスの細目であることを突いてくる。
こいつだけは許さないと少女は山田のことを憎んでいた。
秋の放課後。
テニス部の練習中にゼッケンがはがれたので教室に戻ると山田がいる。
また細目をからかわれる。
夏が終わり秋である。練習中にかいた汗も窓からの風邪で引いていった。
山田とあたし、ふたりだけ。
こいつは悪ぶっているくせに成績がいいのが困りもの。
少女には、なれない山田の関西弁がきつい。

「俺のころ、嫌いやろ」
ふいに山田が言った。
開け放されている教室の窓に依りかかり、
チュウインガムをくちゃくちゃかみながら、
山田は窓の外の銀杏(いちょう)の木を見ている。
美しく色づいた銀杏の木は、山田の大きな目を黄色く染めている。
聞こえなかったふりをしていると、
山田はもう一度、「嫌いなんやろ」と聞いてきた。
「大っ嫌いよ」と容子は針を動かす手を休めずに言った。
「この世でいちばん嫌い」
「どんなとこが嫌いか言うてみい」
「聞かなくてもわかるでしょ。全部嫌いよ。
関西弁をしゃべるのも嫌い。偉そうな顔も嫌い。声も性格も全部」
チュウインガムの音が途絶えた。
銀杏の葉を揺する風の音がした。
「おやじがな」と山田がぽつんと言った。
「事業に失敗したんや」
容子はふと、顔を上げた。
山田は無表情に窓の外を見ていた。
「誰にも言うてへんけど……今夜あたり、多分、夜逃げや」
返す言葉を失った。
山田は我に返ったようにガムの音をさせ、
いつもの皮肉めいた笑いを浮かべると、
汚れた鞄(かばん)を小脇に抱えた。
「メガネギツネ容子。俺、おまえのこと、好きやったんやで」
教室から走り出て行った山田の足音はやがて消え、
後には銀杏の葉を通り過ぎる風の音だけが残された」(P230)


※誤字脱字失礼。そのうち直します。疲れている。

今日さピッキングをしていたら、ストーの老人が棚の空きを探していた。
「空きはありませんか?」と聞いたら、
「もう飽きた。ここ数年、こんな仕事ばっかり。もう飽きた」
悲壮な声で言われ戸惑う。
いまトレーナーになっている人とか、どうして飽きないのだろう?
わずかなトレーナー手当なんて休憩時間のほぼカットでかえってマイナス。
どうして若い人がア○ゾンには多いのだろう?
洗脳しやすいためかもしれない。おまえはこの程度だ思い知れ!