いまは引きこもりを外に出す引き出し屋というものがあり、
それに春日武彦先生の片山成仁病院が関わっているそうだが、
引きこもりを外に出すなんてけっこう簡単とも言えて、
かわいい女の子に写真つきで「好きです」とメールを出させたらいい。
むかしの「レンタルおねえさん」の本当バージョン。
嘘でいいのよ。ビジネスでいいの。
引き出されちゃった男が働きはじめ(社会活動に参加して)、
そのとき嘘だとばらしても彼はもう引きこもりに戻れない体質になっている。
そういうものよ、人間なんて。男女なんて。
嘘でも嘘とばれなければ結果がよければ、それは本当のことなんだ。
法華経の火事の話があるじゃない?
火が燃え盛っている家で子どもたちがそうとは気づかず遊んでいる。
ブッダとおぼしき父親が嘘をついて子どもを家から出すわけ。
おまえたちのほしがっているプレゼントをあげるからって。
で、家を出てきたら、もっといいプレゼント(法華経かよ!)を渡すという。
ただし本当の引きこもりは、
女性に関心がなくなっているからこの手は通じない。
片山成仁病院の関係している引き出し屋ビジネス、
強制拉致連行で成功しているケースも多々あろう。
結果オーライというか、結果がよければいいというのが、法華経。
世間的に悪いとされることをしても成績がよければ、
それは結果的に善となる。創価学会、顕正会、日蓮正宗の思想である。
むかし山田太一さんが講演会で、
人間はたくさんの人間と一緒にいるだけで変わるのかもしれない、
と言っていたけれど、そういうこともないとは言えない。
去年なんかずっと創作小説でひとりぐつぐつ煮え立っていて、
大勢の人がいるア○ゾンの倉庫や、
ほぼプライバシーがない板中の大部屋に入って、
なにか憑き物が落ちたところもあるのかもしれない。
作家の春日武彦さんが、
精神科の医者なんてめんどうくさいことをやっているのは好奇心に尽きる、
と言っていたけれど、すごいわかる。
いまわたしを生に引き留めているのは好奇心と快楽くらいだもの。
むかし小谷野敦さんの「退屈論」を読んで、
自分は退屈という感情がわからないと書いたけれども、
いまではわかりすぎるくらいわかる。
下世話な好奇心と卑小で卑俗な快楽くらいしか
生きている意味を見出せない。
しかし、ひっくり返せば好奇心と快楽がいかに重要かってこと。

好奇心&快楽♪

わたし、他人のことや社会のことを実体験として知りたいもん。
入院生活は快楽の正反対の不快だからいやいやいや。
好奇心は満たされた部分もある。
なんかな、おもしろくないなあ。
孤独旅の経験者は知っているだろうけれど、
トラブルって本当はおもしろいんだよね。
少なくとも退屈とか考えていられなくなる。
八王子体験もなんだかんだいっておもしろかったもの。
へえ、人間ってこうなんだという、そのね、発見が。
なーんか、なまのものを見ちゃったよって感じ。
人間のいじましい虚栄心、とめられない征服欲、恥ずかしい誇大感。
八王子さんの人生にとっても、
後年ふりかえったらめったにない楽しいことだったと思うんだよね。
血潮が沸き立つような感情体験をしたわけだから。
その料金として、あれはそんなに高くないと思うのは世間知らずか。
メールどころか携帯電話番号を公開してもおもしろいことはない。
最近、たまに公衆電話からワンギリの電話がかかってくるくらい。
本で読んだけれど、製薬会社の営業が医者を落とす(懐柔する)とき、
まず「遊び」から教えるらしい。
医者は世間知らずだから金を渡しても「遊び」を知らないから使い道がなく、
このため金のありがたさがわからないので、まず「遊び」から教える。
これはむかしの話ね。
いまはいろいろ厳しくなって医者にそういう「うまみ」はほとんどないとのこと。
いま自分の子どもが医者および医療従事者になりたがったら、
本気で止めると本に書いていた医者もいた。
「遊び」というのは俗に言う女遊びだろうけれど、
嫌いなんだよね、そういうの。

派遣で働いているおっさんなんてそういうのばっかで、
さんざんギャンブルもすすめられたけれど、
金銭に執着があまりないから興味がない。
パチンコ、競馬、競艇、いろいろすすめられたけれど、
仕組みを知るのがそもそもめんどうくさい。
競艇はわかりやすいよって言われたけれど、
選手の名前を覚えたりするのがね。
結局、本でも読んでだれも読まない感想文をしこしこ書くしかないのかなあ。
もうそれも飽きたっていうか、いまさらなにを読めばいいの?
ア○ゾンでもそうだったけれど、
おなじ派遣との会話がめっぽうおもしろいんだよね。
他人の人生や価値観っておもしろい。
朝のバスで創価学会やア○ゾンの話をハイテンションでしていたら、
バス中の人に聞こえていたらしく焦った。
いま感想を書いている本はすべて去年、読んだ本。
八王子さんから依頼された小説を書くための仕込みのようなものが多い。
こんなわたしに期待してくれる菩薩のような人だと思って意気に感じて、
なんとかいいものを書こうとしたのだけれど、結果は最悪の事態。
お金はいちおうもらってるんだけれど、これからどうなるんだろう?
こっちからは連絡するな(したら刑事告訴するぞ!)って話だから、
放っておくしか道はないのだが。
無断で姉にあんなメールを送られて、
いまさら八王子に呼び出されても行けるかどうか疑問。
一生懸命がむしゃらにがんばったんだけどなあ。
あの人、なにがしたかったんだろう?
そうか、四国に自分の仏教を弘めたかったのか。うまくいくといいいですね。

今年の「読書はじめ」はまだ。
ここは文庫になった宮本輝「草花たちの静かな誓い」しかないだろうと、
お世話になったアマゾンに注文したらなんかプライム会員になっている。
会員になった覚えはないのに。
電話したら、外国人がオペレーターだった。
去年の6月に健康食品をお急ぎ便で注文したときに
30日間の無料会員になって、そこから自動的に有料会員になったってさ。
あれはまえにも引っかかりそうになったが、引っかかっていたのか。
ちょっと待ってよ、と思ったら、半年分3000円を返金してくれるって。
なんかアマゾンに怖くて注文できないよ。
むかしはアマゾン、本は送料無料だったでしょう?
いまは総額2000円以上じゃないと500円の送料がかかるって
外国人が言っていたけれど本当なの?
よくわかんないのはいやなので楽天ブックスから注文。
今日気づかなかったらアマゾンから、
今後も毎月500円引き落とされていたのか。

もう人生どうにでもなれモードが徹底してきて、
来月の大腸のチョーめんどうくさい検査は受けるよ。
検査で病状が悪化したら、運が悪かったということ。
ガンとか見つかったらめんどうくさいなあ。
それから近場で短期で働いて、それから先は知らない。
「宗教と精神科は現代の病を救えるのか?」 (島田裕巳・和田秀樹/ベスト新書)

→宗教ライターで創価ウォッチャーの島田裕巳と
教育ライターで精神著述家の和田秀樹の対談本。
一回、記事を書いたが、ぜんぶ消えてしまった。これって学会の陰謀?
――なわけがない。
いまは精神商売で大儲けできるでしょう。
和田秀樹の知人の精神商売屋さんは、
青山のメンタルクリニックで1日130人のお客さんをさばいて、
稼ぎに稼いでいるとのこと。5分診療、楽勝ビジネス。

「わずか5分くらいの診察で、
精神科の医者から「大丈夫ですよ」とか、
「それは考えすぎないほうがいいですよね」と言われ、
ありがたいと思って患者さんは帰っていくわけです」(P56)


現実は、そんなもの。
「大丈夫ですよ」
「それは考えすぎないほうがいいですよね」
実質的に上記のふたつがいちばん効く言葉なのである。
なのに、それができない医者が大勢いる。
青山の精神商売屋さんが大儲けできるのはこのためである。
「大丈夫ですよ」
「それは考えすぎないほうがいいですよね」
なんでこんな簡単なことが言えない医者が多いのか。

わたしは島田裕巳のことを
現代日本における創価学会研究の第一人者だと思っているが、
氏は学会の二代目会長の戸田城聖について
かなり「本当のこと」を言う。
どこにでも書かれていることだが戸田はひどいアル中だった。
創価研究のトップ、島田氏いわく――。

「戸田さんの演台には必ず酒が置いてあって、
だいたい飲みながら話しているんです。
しかし、そういう状態ですから、本当にあけすけというか、
隠すものもなにもないという感じで話をしている。
それが会員にはとても魅力的だったんでしょう」(P111)


現代日本の創価学会研究者として、
他の追随を許さないトップランナーの島田裕巳が17年発刊の本書で
危ない本音を口にしている。
いわく、創価学会ってだれが儲かっているの?
本部職員の給料はいいって言うけれど、
あいつら自前で宗教活動をしているんだぜ。
池田先生の大量の本を買ったり、その他、宗教活動費用がぜんぶ自前。
それを差し引いたらいくらになる?

先日、ア○ゾン倉庫で日蓮正宗の52歳のおっさんに
「腸に穴が開いたのは仏罰」とあざわらわれ、
彼が朝からお腹が痛いと言っているときににやにやしながら
「信心が足らないんじゃないですか?」と笑って聞いたら、
その後の夕方「回復した」と言われ、
ふざけて「大勝利っすね」とほめてあげたら、
日蓮正宗52歳からムカッとされた無宗教43歳の読書感想文でした。
ロケニューの佐藤さんの真似をすると「現場からの報告は以上です」――。

「お医者さま」(別冊宝島編/宝島社文庫)

→板中に入院したとき、
なぜか姉に持ってきてもらった鞄に入っていて、
そういう縁で病院で読んだ本。
ひとむかしまえの医者の裏話。
ちょっと裏話をしてみよう。
お世話になっているのでイニシャルで書くが、
2年まえだったか作家で精神科医のK先生のご診察を受けたいと思って、
先生が院長をしている病院に電話したことがある。
直接、手紙やメールでお願いしろという話だが、
それってなんだかコネの悪利用みたいで、
正々堂々K先生に診察してもらいたい。
ほかの精神科医ではいやだ。電話しました。
矢のような速さでK先生からメールをいただいたが(ありがとうございます)、
このわたしが愛人かなにかとナースに勘違いされて大迷惑したそうである。

このたびの入院経験でもわかったのは、
病院でいちばん権力があるのはナース。
本当に病院で悪いのはあいつら(笑)。
たぶんそうだろうと思っていたが、
ひとりに話したことがみんなに知れ渡っている。
女のうわさ話のネットワークほど迅速で怖いものはない。
創価学会なんて婦人部、女子部が主権を握っているとみて
「間違いない」(池田大作氏ご愛唱のお言葉の聖句)。
わたしは入院以前から、
女性ひとりに話したことはみんなに伝わっているという猜疑心があった。
逆に言えば、みんなになにかを伝えたかったら、
女性ひとりにそれとなく言えば事足りる。
入院体験を経て実体験としてわかったことだが、ナースってかわいいよ。
板中は(大勢すぐ辞めるので)若いナースばかり。
女が大嫌いなわたしさえ、ざわざわしたこころをいまだに引きずっている。
まあ、宝島の暴露本らしく、医者のひとりが言う(むろん男)。

「医者が看護婦にモテモテっていう時代は、
残念ながら終わったんじゃないでしょうか。
でも、考えてみてもくださいよ。
若い看護婦は相変わらずたくさんいるんです。
世の中、AVとか風俗で制服っていったら、三つでしょう。
セーラー服、スチュワーデス、看護婦。
そういうところで欲望を抑えているんだから、
僕ら若い医者って本当に我慢強い人種だと思います。
たとえばね、廊下で看護婦の後ろを歩いていると、
光のかげんによっては、レントゲンみたいにすけて見えるんです。
それから、若い看護婦が向こう向いてかがんだりすると、
びしっと体に張りついて、
パンツの模様までわかっちゃったりするんですよねぇ。
そういうのと一日中とか、一晩中とか一緒にいても、
我慢するんですよ、みんな。
「白衣のままでしたことはないのか? オレはあるぞ」
なんていう先輩もいますけれど、
とてもじゃないけどそんな自信はないです。
せいぜい、かがんでいる看護婦さんの後ろにまわって、
腰を動かす真似をしてみんなでくすくす笑うくらい。
AVそのものじゃないかって言われそうですけど、
実際そうなんです(笑)。
AVの世界と病院って、人間の本音が出てしまうところが
共通しているんじゃないですかね」(P147)


ナースを看護婦と呼ぶところ、時代性からわかるよう、
「せいぜい、かがんでいる看護婦さんの後ろにまわって、
腰を動かす真似をしてみんなでくすくす笑うくらい」の医者はセクハラアウト。
というか、93年以前はそんなことが許されたのか?
セクハラは女性がセクハラ自己申告したらそれが正義。
不細工な女性上司が男性部下にセクハラをされたといえば、
パワハラとセクハラとどっちが勝つのいえば、それはセクハラの令和日本。
女って敵にまわしたらこれほど怖い生き物はないよ。
すぐ群れるし、あることないこと上にチクり弱者気分でほくそ笑む。

作家で精神科医のK先生の本でよく覚えているのは「やべえよ」体験。
作家が若年、産婦人科医をしていたころの女性患者。
血がとまらない。教科書に書いてあった通りに処置しても血がとまらない。
どうしよう? この女、死んじゃうんじゃねえ?
それより死んだら、おれ訴えられたりするの? 
という生々しい描写が秀逸だった。
何冊かの本でおなじご経験を拝読させていただいたことがございます。
医者の本音だなあ。
患者ってなまものだから、いきなり急変する。
本書にも「大丈夫」と本人や家族にも伝えていた患者がいきなり
心臓発作で死んで無力感に襲われるケースが出てくる。
そのときの結論は、どうやら故人と家族の仲が悪かったようで、
「クレームが来なくてよかった」だったのは宝島的リアル。

医者って入院してきた患者の病状を悪くいう「ならい」があるらしい。
そうしたらもし患者が悪化しても面子を保てるし、
万が一患者が急死しても家族から責められることはない。
わたしがS状結腸穿孔で入院したとき、
いますぐ死ぬようなことを外科医から言われたし、
別室で姉にはもっとひどい病状と説明したそうだが、
本当はどうだったのだろう?
最初は最低1ヶ月以上の入院は必要と言われたのにわずか半月で退院。
その後、いわゆる肉体労働に従事したが、
救急車で運ばれることはなかった。
匿名の宝島医師は言う。

「まず、患者が入院してきたときに、
ムンテラ(患者家族への説明)はなるべく厳しく、
最悪の状態をも含めて述べておくことです。
ですから、どんな軽症でも、「大丈夫です」の太鼓判はないのです。
「大丈夫でしょう。
でも、確率は低いのですが、このような事態も考えられるのです」と、
本人はともかく、家族にだけはムンテラしておくことです。
もし急死したというような場合、
訴えるのは本人ではなく家族ですからね」(P210)


「つまり、自分では「大丈夫」と思っていても、
その予測とは逆に患者の家族に「危ないかもしれません」と、
最悪の結果の可能性を強調する予言をしておいた場合には、
予測を裏切る「最悪の結果」が出たとしても
<予言>は正しかったことになり、
家族との対応もそう困難なものにはならないと考えられるのである」(P210)


医者がいちばんいやなのは同業者に患者として来られることらしい。
わたしのような素人は高額のCT写真を見せてもらっても、
正直なにがなんだかさっぱりわからないが、
同業者はわかっちゃうわけでしょう。
作家で精神科医のK先生が同業者にかからないのは、
相手のへたくそな診察に気づいてしまいそうなのがいやだという。
だから、占い師にはまるというのも、うーん、人それぞれだなあ。
しかし、同業っぽい感じがカウンセラーのもとに行かせないのだろう。
たぶんそっちのほうが効くのだろうけれど。
いつだったかカウンセラーから
お話をうかがったら認知行動療法は効きそうなのだが、
わたしができるかと問われたら、
そんなめんどうくさいことはできないのひと言。
医者だって患者に正しい健康指導はいくらでもできるだろうが、
いざそれを自分ができるか考えてみたらあいまいな笑みを浮かべるだろう。

盲目的信仰。たとえば、わたしの父親世代。
いや世代ではなくタイプなのかもしれない。
姉もそうだが、お医者のおっしゃることをある種、盲目的に信じられるのは、
断じて蒙昧ではなく恵まれた才能のひとつだろう。
大腸の検査とか受けたくないが、
値段も5、6千円程度っていうし、
姉に相談したら絶対受けろって言われるだろうし、
言い争うのもめんどうくさいし、
キャンセルすると他人に迷惑をかけるからたぶん受けると思う。
常識ってそういうことか。

「フリーランス女医は見た 医者の稼ぎ方」(筒井冨美/光文社新書)

→この本を読んでいるときは、
まさか自分が大病で入院するなんて思わなかったなあ。
17年に出されたかなり新しい本なので、要点をまとめる。おもしろかった。

・派遣医師の日給は5~20万。派遣会社が存在して登録する。
・むかしは医局の力が強く研修医は奴隷で「学徒動員」と言われた。
・慶應医学部の学費は意外と安い。
・偏差値が低い大学の医学部になるほど学費は高騰する。
・現在、研修医に人気が高いのは眼科、皮膚科、精神科。
・理由は急患・当直・時間外労働・医療訴訟が比較的少ないため。
・むかしは人気だった外科の希望者の減少はとどまることを知らない。
・心臓外科医・脳外科医は絶滅危惧種。
・激務だがやりがいがあり「医者としての成長」が楽しいが激務。
・人気病院の給料は安く、田舎の不人気病院の給料はべらぼうに高い。
・帝王切開は高度なテクニックでゼニの取れる仕事。
・だが、急患当直あり24時間労働の産婦人科は本当にしんどい。
・医者は元気そうにしていないと患者からの信頼を失う。
・あたしの麻酔はうまいってよ、オホホ。

最近思うのは、医者ってどうして人気があるんだろう?
生まれ変わっても医者はいや。
高収入つったって、そこそこだし、使う暇がない。
そもそも学費を考えたら、投資として採算が合うのか?
開業医の場合、変にお金を使うと悪い評判が立つらしい。
いまは訴訟リスクどころかネットに悪口を書かれてしまう。
実体験だが、ナースも医者をあまりあこがれや尊敬の目で見ておらず、
ひんやりしたものを感じたものである。
入院中わたしの外科担当医を見ていたら、いつも病院にいるし、
働きざかりだから楽しい面もあるのでしょうが、いつ休んでいるの?
外科ってじつは薬剤部と看護部、事務に
ヤイヤイ言われる中間管理職なの?
メスを持たない外科医って、ふつうの人みたいじゃん。
ある内科医が(体育会系の)外科とうちらはべつの人種で、
一生理解し合えないだろうと本音らしきことを言っていた。
いまの医者はネットの影響で患者に舐められる。
怒鳴ったりしたらそれこそネットで叩かれ、その記録は未来永劫残る。
社会的ステータスは高いが、医者たんつらたんっぽそ。
みんな、ちゃんと医者の言うことを聞けよ!

「医療格差の時代」(米山公啓/ちくま新書)

→わたしは医者の著者の本を過去に何冊も読んでいて、
医療ミスの罪は問えないのではないかという立場に賛同していたが、
いざ自分が明らかに点滴の過誤で
左手の親指に強い痛みが発生しちゃうとそうも言っていられない。
病院に電話したら、こういう問題を相談する部署がないって言われて。
それからどうしても「証拠はあるのか?」になっちゃうよね。
本当にうちのナースのミスか、それは証明できるのか。
しかし、痛みが始まったのは入院中だし、
病院にいたときはほとんど本を読んでいるか寝ているかだったから、
本人の感覚としては原因は点滴以外考えられない。
一回、深夜、手のひらに点滴を刺され、痛みで絶叫した記憶がよみがえる。
ああいう田舎の病院だとすべては「先生(医者)に相談して」になっちゃうみたい。
わたしは経営責任者とリアルな責任の問題の話をしたかったのだが。

点滴も難しい問題をはらんでいて、
わたしはベテランのナースにやってほしいと頼んだが、してくれないわけ。
というのも、新人の修行にならないから。まあ、実験台だ。
今回、たぶんあのナースがやったと思っているけれど、1、2年目。
わたしの経験だと3年でもまだダメで、
個人差はあるが5年経つと点滴がうまくなる。
で、外来で医者に聞いたら、
「点滴はだれがやってもこういうことは起こりうる」と。
いちおう「証拠はあるのか?」ではなく「点滴が原因説」を認めてはくれているわけ。
さんざんわたし、ナースに点滴問題で騒いだから、
聞き取り調査の結果、みんなの記憶に残っていたのでしょう。
それでも「証拠はあるのか?」でも行けたけれど、
そうすると敵対関係しかなくなっちゃう。
病院にも医者にも正直に言ったけれど、「痛み」は自己申告。
痛いっていえば痛いの世界で、客観的証拠がない。
でもまあ、痛いんだけれど。

今度、大腸に内視鏡を入れる検査をしたいらしく、
点滴の件もあるから、医者は繰り返し強調していた。
この検査の結果として、お腹の痛みがさらに悪化することもある。
それはやってみないとわからない。
いまの医療としては、検査をしてみないと診断はつかない。
「ほっといたらよくなりませんか」と聞いたら、
「放置してよくなることは絶対にない」。
なぜ1ヶ月後に検査をするのか聞いたら、
「そのころには腸の穴が閉じているかもしれない。
ほら、人間って自然治癒力があるんだよ」
矛盾しているのだが、外科ってそういうところがある。
とにかく医者がほとんど懇願するように言っていたのは、
姉に説明させてくれ。一緒に来てくれ。
「いやだ」と答えたら、自分から姉に電話するって。
その理由が本書を読んでわかった。 

本書には林寛之「日常診療よろずお助けQ&A」から
「医療過誤を避ける方法」が引用されている。それによると――。
1.患者家族を味方につけろ
2.帰す際は「悪ければいつでもまたすぐに来てください」
3.患者のニーズをしっかりさせる
4.患者に質問させる
5.過剰なくらい説明せよ
6.患者満足度は最初の1分間は口をはさまない
7.正直に勝る武器はない

あの医者もこのマニュアルを忠実に守っていたのである。
その日の晩に姉に電話したっていうし(笑)。
「死んでもいい」というわたしの患者ニーズが困るのだろう。
大腸検査も「長生きしたいならやるほうが得」みたいな感じだし。
わたしは長生きしたくもなく、とりあえずの痛みが取れれば、
べつに診断(病名)がつかなくても、そんなに気にならない。
著者や精神科医の春日武彦さんの影響で、
この10年くらいで医者の権威がわたしのなかで失墜した。
医者というか医学をあまり信じていない。
医学を宗教の一派くらいにしか考えられなくなってしまった。
この本を書いた米山公啓氏の名著「医学は科学ではない」の影響も強い。

「医学が絶対的なものではなく、
曖昧な科学である拙著『医学は科学ではない』で指摘したところ、
その反響はさまざまだった。
臨床医からはその通りだという意見が多く、
いわゆる理系の方からは、当たり前ではないかという指摘もあった。
しかし、重要なことはいまだに多くの患者が
「医学は絶対的なもので、医者の答えは誰に聞いても同じものである」
と信じているところだ。
患者はあまりにも医学に対して
大きな期待を寄せすぎているとしか思えない」(P190)


指の痛みに対して出された最初の薬は「リリカ」。
効かなかったですと言ったら、やっぱりねって感じ。
処方したときに「効かないかもしれない」とか言うんだもん。
そんなことを言われたら効くものも効かない。
「先生、嘘でもいいから、これは効くって言って薬を出してください。
痛みなんて主観的なものなんだから、それでよくなることもあります」
「でも、嘘はいけないじゃない」
「嘘でも効けばいいんです。痛みが取れれば」
そうしたら医者はこちらの要望に応えて、巧みな演技をしてくれた。
「特別に薬剤部に聞いてみる」って。
結局、もったいぶって出そうとしたのがメチコバールで、
ごめん、それ知っている。
顔面神経麻痺のときにも橈骨神経麻痺のときにも出されて、
神経の外科医からも内科医からも
「しょせん気休めのビタミン剤」と言われた経験があるから効きっこない。
薬剤部に電話するような演技だけは感心したが、メチコバールの不運よ。
医者は患者をうまく騙す宗教家の才能が必要かもしれない。
いまの先生は脅しのようなムチは好きだけれど、
アメを処方するのがお嫌いなようである。

(関連記事)
「医学は科学ではない」(米山公啓/ちくま新書)

「アジアSEX・麻薬旅行マニュアル」(バックパッカーズ)

→90年代後半のアジアのSEXと麻薬の裏事情が口コミ形式で語られる。
このころはいまの大学生が生まれていなかった時代。
もうすっかりおっさんだからむかしを懐かしむと、むかしはよかったなあ。
世界的にいまのように規制がなく、ゆるく、夢やロマンのようなものがあった。
いまは世界中、どこに行ってもみんなスマホを持っていて(旅行者さえも)、
それでやりとりしているからたとえインチキでも夢も冒険もあったもんじゃない。
この本のような90年代後半のアングラな、いわばエロ本のノリが懐かしい。
こういうスタンスがすべて2ちゃんねるに吸収されて、
いまはどこへ行ったのだろう?

麻薬の「めくるめくような夢心地」ってどんな感じなんだろう?
本当にドラッグは経験したことがないので、
そしてもうこの年齢では恥ずかしくてできないので、
かえって逆に夢想が広がり活字に淫靡な空想を膨張させられる。
いまは廃刊したターザン山本の「週刊プロレス」の世界。
この本のようなガイドを片手にどきどきしながら麻薬を探す青春は、
それほど悪いものではなかったのかもしれない。
麻薬って、言うほど廃人にはならなく、そもそも入手しづらいから、
日本に帰国するとスパッとやめる人が多いって聞くよね。

瀬戸内寂聴も小説で書いているけれど(「花に問え」)、
麻薬でラリってみんなで踊り狂うって、それこそまさに一遍の踊り念仏。
「花に問え」の舞台になったインドのゴアに、
わたしも29歳のとき1週間以上遊びで滞在していたけれど、
カタブツの外見のせいか薬物のお声は1回もかからなかった。
どっかで期待していたのかもしれない。あのころは若かったし。
ゴアのレイヴってなんなの? 想像するしかない。
どうせいまはこんなに盛り上がっていないだろうと思いながら。

「強烈な音と会場の光に目が馴れてきたら、
ダンススペースを良く見てみましょう。
何百人から時には何千人という人間が踊り狂っています。
その光景は例えて言うと、
踊る宗教やサイコセラピーのワークショップに似ているようです。
ここでは、日本のディスコや盆踊りのように
決められた振り付けやお立ち台もありません。
他人に迷惑をかけないかぎり、すべてが自由です。
それぞれが好きかってな方向に、好きかってな動作で、
音と一体となって踊るのです。
最高に気持ちイイので、あなたも、
あなたなりの動きで音と一体となって踊ってみましょう。
よく見ると、日本人の踊る姿もチラホラ見かけるでしょう。
あなたの知っている顔も踊っているかもしれません。
全体的には白人が大多数ですが、
日本人や、稀にインド人も混じっています。
不思議と黒人はほとんど見かけることがありません。
最近では、日本人以外の黄色人種もだんだん増えているようです。
みんなそれぞれに楽しんでいます。
あなたも好きなだけ楽しんでください」(P141)


自由。解放。過激。アングラ映画監督の原一男じゃないんだから(笑)。
でも、あの世代って、そういうノリが好きでしょう?
なのに、いまは大学教授におさまって、お堅い文化論をかましている。
みんな自分を解き放てばいいのに、それができない。
そもそもそんな大きな自分もなく、小さな自分勝手で終わっちゃう。
全共闘のやつらとかどこに行ったの?
ウーマンリブとかフリーセックスとか、ぜんぜん自由じゃないよね。

八王子さんから、
「土屋さんはバリ島に行ったほうがいい」
とか言われて、え? お金を出してくれるの?
と思ったら、もちろんそういう話ではなく、自分でって話しで、それはそうだが。
どうせバリ島もいまはスマホに汚染されているような気がする。

「バリ・ヒンドゥー教には日本の常識では計り知れない部分も多く、
例えばトランス・ダンス等は
「狐つき」などと呼ばれ否定的に扱われがちですが、
バリ島では重要な神事の一つです。
バリ・ヒンドゥーでは特に「善」と「悪」のバランスが取れた状態を尊び、
この状態が崩れる事をいやがる傾向にあるようです。
各村や街には「バリアン」と呼ばれるメディスンマン(呪術師)がおり、
現地人は西洋医学の病院へ行っても
原因の良く分からない病気に罹った時は
バリアンのところへ行くのが普通の事とされています」(P49)


おれもバリアンに診てもらったら運命の損傷が回復して人生一発逆転――
とかそういうのを夢見られる年齢ではもうない。
本書にはカンボジアのスワイパー村に行けばひとむかしまえなら
ロリ美少女が買えたと懐旧談が掲載されているが、
その時代からもう20年以上経った。
こんな上出来な本をつくったやつら、まだ生きているか?
何十年後かには民俗学的資料になりうる奇書の類であろう。
もはや想像して楽しむことしかできないが、
あるいは空想するのこそ最大の快楽行為やもしれぬ。
実際は麻薬とかやってもつまらないんじゃないのかなあ。

まさか性犯罪はしないが、
女の子への関心が一時的にだが戻ってきたのである。
女が大っっっ嫌いなわたしにとっては奇跡的な事象。
板中でナースに囲まれたことが大きかったのか。
ア○ゾン非正規女組の影響か。
板中のナースのSYさんの「ないです」とかチョー笑ったな。
もろに関西弁の「ないです」で、
酒も飲んでいないのにわたしが真似したらSYさんも大笑い。
夜勤明けで、点滴が入らない。
強気なナースのSYさん、チョーかわいかった。
右手に打たせろって言うけれど、それではケツがふけない。
そこにジュンイチ先生が現われ、目先の利益、
「先生、点滴は打てますか?」
と聞いたら、
「むかしはこのくらいしかできることがなかったから、よくやらされたよ」
ジュンイチ先生、一発で左腕に点滴を決めてくれた。
「いよっ、天才外科医」
とか酒も飲んでいないのに朝からこのテンションのわたしって精神病?
点滴の影響か左手の親指がいまも非常に痛い。
ジュンイチに聞いたら「まあ運が悪かったとあきらめろ」というようなことを。
あそこでやられたと思った点滴はSYさんではない。
むろんジュンイチ先生でもない。
SYあの子、生意気で強気で喧嘩腰でしかし優しくかわいかったなあ。
エレンタールの水に溶かさない粉末を
はじめてそのまま持ってきたのが彼女。
関西弁の「ないです」――。
おもしろすぎて忘れられませんですね。
「快潔! アジアひとり旅」(日比野宏/新評論)

→海外で女に騙されるのが抜群にうまい写真家の
日比野宏の本を教則本として読む。
騙されてもいいというか、
騙された経験をネタにして本を書いている人だから。
日比野宏のアジア本は大好きなので顔を調べたことがある。
どんなイケメンかと思ったら、
失礼だが、もっさりした感じの、その、これ以上言わせんなよ。
日比野宏さんは鏡を見る習慣がないのかな?
じつはわたしもそうで重度の醜形恐怖症で自分の顔が嫌いでしょうがない。
ここからがわかれる。
日比野さんはなぜか自分がもてる、もてうる可能性があると信じている。

わたしなんか醜形劣等複合ありまくりで、
国内外問わず女が向こうから近づいてきたら詐欺だと100%即断できる。
どうせ取るもんなんてないよと鼻で笑える。
しかし、もっさりした日比野さんは、女の騙しにうまく引っかかる。
それってそうとう自分に自信がないとできない行為。
自意識過剰きわまれり。
自分に寄ってくる女は詐欺師に決まっているとふつう思わないかなあ。
だから、好きな人はキャバクラが好きなんでしょう。
わたしなんかもてたことがないから、もてるという状態が理解できないよ。
もてるってどんな感じなの?
この本でも著者はベトナムだったか。
初対面の女とベロチューしている隙に金を盗まれた経験を書いているが、
どうしておまえは自分が初対面の女性とベロチューできると思うんだ?
それが才能なの? 鏡を見ろよ!

そうそう読書感想文だっけ?
本書はスマホ全盛のいまには
まったく役に立たなくなったアジア孤独旅行指南本。
旅って偶然で変わるじゃん。
あそこで偶然にもあの人に会ったから
行き先が変わるというのが旅の醍醐味。
いまのスマホ世代はアジアのパイオニア、
旧世代の日比野宏さんのお言葉を正座して何度でも読み返せ。
どのように旅をしたらいいか。

「行き先が決まったら、そのあとの行程はまだ空けておいたほうがいい。
行った先々の町や村で長居したくなることもあるし、
親密になった人々ともっとつきあいたい場合もある。
きめ細かいスケジュールを立てると日程に束縛されてしまうので、
だいたいの目安を立てたら、
その後のことは成り行きにまかせるほうがいい」(P185)


偶然をもっとも味わえるのが孤独旅や、その日限りの日雇い派遣。
いまの地位や学歴、収入ではなく、見た目、オーラですべて判断される。
たとえば日雇い派遣。
こいつ使えなそうだなあ、と思ってもらえたら楽な作業にまわされる。
50歳以上のスポットおじさんがア○ゾンで上と言い争ったら、
めんどうくさいやつだと思われ、
以降楽な作業しか回されなくなったと言っていたが、
それも人間としてどうだか複雑なところではあるが真実のひとつだ。

わたし、女の子に騙されたことってないんだよね。
神→女の子を騙す。
奴隷→女の子に騙される。
この二項分類からしたらわたしは幽霊みたいなものだろうか?
本当のことを知りたいような、知りたくないような。
本書で旧世代の日比野さんがまた言っちゃいけないことを言っているのである。

「中国旅行が流行っていた当時は、
「硬座」に何日間も乗りっぱなしだったということが
旅行者の自慢話になっていた。
ガイドブックなどにはよく三等車に乗れば
庶民の生活が見られると書かれているが、
乗ってから余裕があるのは最初の一、二時間だけでだんだんあきてくる。
あとは苦痛との戦いだ」(P193)


わたしも中国鉄道で3、4泊した自慢話をブログに書いたなあ。
派遣先のア○ゾンを、ホワイトだとか、ほかよりはましとか、
社食でうまいものがあったとか書いているけれど、
一流企業に内定が決まった(家が金持っぽい)大学生の美少年Mくんは、
最初から最後まで一貫して「本当のこと」を言っていた。
「庶民の生活がわかった」
といったような健気なことを言わないのが逆にかわいい。
「ここは過酷だ。こんな過酷とは思わなかった」
「どれもつまらない作業」
「こんなことをしていると生きているのがいやになる」
「聞いてもいないことをめっちゃくちゃ注意されイラッとしましたよ」
「もう二度と来ることはないでしょうね」

「週末バンコクでちょっと脱力」(下川裕治・ 阿部稔哉/朝日文庫)

→悪評高いがため期間限定で時給が急上昇したア○ゾンで働いてみたら、
なかには若くてかわいい女の子が多いのである。
こんな安い時給でストー(商品の棚入れ)とかしていていいの?
きみたちの価格はいまこの一瞬にも若さや美貌とともに落ちていくんだよ。
しかし、相手の身になって考えてみると、
いま若くてかわいい子だって、
学歴どころかコミュ力さえないと(わたしもそうだが)
ここで雇っていただけるだけでも持って瞑すべしなのかしら。
本当に(わたしもふくめ、わたしなどはその本尊だが)
コミュ力がない人が倉庫作業には大勢いて、ア○ゾンはまだましなほう。
ピッキングとかストーでお声がけ、あいさつができないって、
おまえら(わたしもだが)どこまで人に傷つけられてきたんだ。
そのなかでもまだましなほうで、
この待遇に文句を言わないものがトレーナーに昇進。
いやだっていう人の言い分のほうも理解できる。
たしかにア○ゾン倉庫でトレーナーになれば、
実作業から離れ楽になるが、
定期的に入れ替わりすぐ消える新人になにかを教えるのはめんどうくさいし、
おなじことの繰り返しで飽きないのか?

わたしは思っている。
「楽をしたい」
「めんどうくさい」
「飽きた」
これが人間の人間たるゆえんで、もっとも本音に近いことを。
考えているのは、こんなことばかり。
楽をしたいなあ。それめんどうくさいじゃん。ひと言、飽きた。
著者によるとタイ人もまたおのれの人間性に正直らしい。

「たとえばタイ語にブアという言葉がある。
「飽きた」という意味だ。
ある女性は、デパートで六カ月ほど働いた。
そしてあっさりと辞めてしまった。
その理由を訊くと、ブアという言葉が帰ってきた。
飽きてしまったのである。
日本人にはわかりづらい感覚である。
「飽きたくらいで仕事を辞めてどうする」などと、
説教をはじめる日本人もいるかもしれない。
しかしタイ人は、このブアを口にすると、
もう決して働こうとしない」(P191)


おおむかし、どこかの女の子から
「土屋さんとつきあっているとどんどんダメになっていく(笑)」
と言われたが、あれから10年か。
わたしも朝7時の派遣バスに並べるくらい成長したよエミー。
でも、楽をしたい。めんどうくさいことはいや。飽きっぽい。
旅行作家の著者は日本に朝帰ってくるといつもいやな気分なるらしい。
名文である。タイから日本に早朝、帰ってくると――。

「気分を暗くさせるのは、空港からの電車である。
飛行機の時間によっては、朝のラッシュとかち合ってしまう。
ただでさえテンションは低く、体は寝不足で重く、
電車は脇に置いた荷物への視線がきついほど混み合っている。
しかしそれ以上につらいのは、車内を支配する重い静けさである。
会話ひとつなく、人々はスマホや新聞に視線を落とす。
いつから日本人は、
こんなにものっぺりとした顔をした民族になってしまったのだろうか。
瞳の輝きを失ったのはいつだろうか。
十時間ほど前まで身を置いたバンコクの熱気が
無性に恋しくなってくる」(P200)


めんどうくさい日本に若い女の子が飽き飽きしないのは平成教育の成果なの?

「平成日本タブー大全」(溝口敦ほか/宝島SUGOI文庫)

→裏と表ってあるじゃないですか?
わたしは(いわゆる)不正を告発する趣味はなく、
わたしがおいしい思いをしたい。
わたしの関係者においしい思いをしてほしい。
それだけだから。ただそれだけ。社会正義趣味はない。

八王子の人から刑事告訴されるといまもって緊張状態は続いているが、
村内家具のいう「警察」がどっちの警察かわからないのよ。
庶民のみなさまはご存じでしょうが、表の警察と、裏の警察がございます。
表の警察はそれほど怖くない。
事業家で仏教科学者の八王子さんの言っているのが表の警察なのか、
それとも裏の警察なのか。
みんな知っているでしょうけれど、警察も裏では政治権力とズブズブで、
天下り先とかパチンコ会社との癒着とか、まあ、そんなものだろう。
八王子菩薩の言っているのが裏の警察だったら怖いのである。
ヤクザよりも怖い。
人権(そんなもんわたしにあったっけ?)侵害や恫喝さえ裏の警察はする。

ちょっとでも社会の上のほうにいけば日本社会のからくりはわかるでしょう?
きれいな顔をした人がご子息を有名会社にいい待遇で入れておられる。
朝日新聞の社長が息子を電通に入れたら自殺しちゃったみたいで、
これは報道できなかったオフレコ。
ありがちなつまらない陰謀論めいているが、
実質的に大企業、政治家、国家権力、報道機関は
すべて裏では利権で握手している。
それに対して、どう思うかである。
わたしは少しでもそのおこぼれをいただきたいなあ。
嫌いな言葉は正義の、歪(いびつ)なわたしわたしわたし。

この本を読んでやっぱりそうだったかと思ったが、
どこもあそこも裏では血縁や利権、主義思想でつながっている。
朝銀(朝銀信用組合)とかすごかったんだなあ。
朝鮮はパチンコで、パチンコは警察だから、うまみのトライアングル。
先日、派遣会社から
「パチンコ・スロット会社の短期仕事は不採用になる可能性が高い」
と電話が来たが、こちらのバックを知っているのか?
まあ、いないのだが(笑)。
いや、入ってもいない創価バックがある(笑笑)。

売春だってバックがなければ出来ない仕事。
警察とヤクザ両方に裏金を払うって、
どんだけ(建前ならぬ)本音はつらいんだよ。
困ったことに、裏社会は利権オンリーではないのである。
こだわりの政治信条や思想主義がからんでくるからめんどうくさい。
わたしはノンポリで政治とかどうでもよく、
ただ利権――いやいやいや好奇心、快楽のみで動く。
あと30年、毎月50万をあげるポストを用意すると言われても、
それは飽きそう、めんどうくさいと断っちゃう。河原乞食みたいなもん。
恐れずに言えばヤクザなのだろう。
ライターがヤクザの生態について正しく、それはもう正しく書いている。

「暴力社会の人たちの言う「常識」は、ひどくいい加減である。
論理の裏づけは無視され、ときには物理の法則さえ黙殺される。
確率の勝負である博奕を、
「力」(りき=人間の持つ生命としてのエネルギー)の強弱ではかったり、
万事がつねにファンタジックで、
門外漢にはとても素直に頷けない。
だが、日常的に暴力を行使している者だけが
掴みうるインスピレーションは生々しかった」(P79)


「細木数子 魔女の履歴書」(溝口敦/講談社+アルファ文庫)

→創価学会、池田大作の暴露本で溝口敦という名前を知ったが、
彼は本当にいい本を書く。文章がぐつぐつ煮えているようなさ。
徹底した取材調査と
取材対象への悪意、嘲弄、侮蔑をミックスさせるのがうまい。
わたしはテレビに出ていたころの細木数子にはまったく興味がなかったが、
本書を読んでまるでオンナ池田大作のような彼女が好きでたまらなくなった。
細木数子みたいなバイタリティーがいまほしいのである。
ああいう銭ゲバの劣等複合強者とからんで、
コンプライアンスな偽清潔主義のジャパンに一丁かましてやりたいが、
当方がそれほどの器を持っていないのだろう。
細木数子やその周辺のメンバーの1割程度の
いかがわしさのやつらも寄ってこない。
そういううさんくさいやつらとからみたいのに。プロレスをしたいのに。
一夜で大金を得て翌日にはそれを失っているとか経験してみたい。
で、さらに失った大金が5倍になって返ってくるとか、そういうヤクザな世界。
細木数子とか正体は小心だがきっぷのいい、ええおねえさんだったのだろう。
この本を読んで細木数子が好きになった。
好き嫌いが大きくわかれる人っていいじゃない。
名文家のノンフィクション作家は細木数子をこう評す。

「おそらく嫌悪派は物言わぬ多数派のはずだが、
細木数子を受容するか、拒否するかは
その人が人生の何に価値を置くかを見分けるリトマス試験紙になり得る。
細木が体現するのは人生はカネ、奢侈(しゃし/贅沢)は美徳、
この世は上手な世渡りで愉快に暮らす、
負け馬を踏み台に勝ち組になるのも勝手、といった生き方だろう」(P25)


いい子ぶっているより、よほどいいじゃないの。
細木数子にだまされるほうが悪いとも言える。
というか、細木数子に近いメンタリティーのものが引き寄せられるのだろう。
そして、食い物にされる。
わたしは細木数子的存在に肯定的だが、
彼女の占星術を信じることはできない。
でも、生きることって不安でいっぱいなんだよね。
本当のことはすべてわからない。
医者だって本当のことをいえば、だれがどうして病気になって、
それがどうして治るのかよくわかっていない。
先日、3歳年下の外科医が、本当のことにうすうす気づいたのか、
患者のわたしのまえで不穏なことを口走ったが、良心的ではあるが、
医者には医者の演技をしてほしいとも思った。
細木数子とか意味不明なことを自信たっぷりに宣言するじゃん。
むかしの医者って、あんな感じだったよね。本当は根拠もないくせに。

もう手遅れかもしれないが、細木数子のような生き方をしたい。
島倉千代子をマインドコントロールして刑務所慰問で大儲けしたんでしょう。
ヤクザの親分でも島倉千代子プロデューサーの
細木数子のお供というかたちなら堂々と刑務所に入れる。
受刑者のうちの組のもんは親分が来てくれたと涙するわけである。
ヤクザは細木数子に大金を支払う。
もちろん細木はピンハネして歌手の島倉千代子に渡すのは衣装代程度。
やるなあ、細木数子! である。悪いなあ。このアマ、よろしいでんがな。
晩年の安岡正篤を酒で骨抜きにして(安岡は家族に酒をとめられていた)
結婚誓約書を書かせたところなど、
どれほど細木数子は「できる女」なんだよ。
まっとうに生きていたってつまんないぜ、と高笑いしているかのようである。
細木数子のようなタマの女と出会って、
世間に一発かますためにはどうしたらいいのか?
本書の著者である溝口敦は細木数子の正体を的確に見抜く。
おそらくおなじ生命を持っているから、
著者には細木のことがよくわかるのだろう。

「広域暴力団のトップや幹部が法や人の権益を侵して
富をほしいままにするように、
細木もまた性倫理を踏みにじり、
管理売春やマルチまがい商法で人の生き血を吸うことで、
富を蓄え、今、贅沢な消費でデモ行進している。
人は富の由来を訊(たず)ねないから、ヤクザの親分は庶民の人気を博す。
ヤクザの親分を称賛する伝統的な歌には、
「線が太くてこせこせしない」
「今の時代は大きな腹で、
よいも悪いも呑み込むほどの力なければ役には立たぬ」
といった文句が並ぶ。
おそらく細木の性格は女だてらながら、この伝にちがいない」(P220)


今回、わたしはア○ゾンで
高時給1350円で1回も「早帰り」を食らわなかった。
レギュラーのみなさんが知ったら、あたまが沸騰するだろう。
それとも、しないのだろうか。
日給が減る「早帰り」を「常識」として受けとめる作業員が多い。
それどころか早く仕事をして、
早く帰った自分は格好いいと思う男女もいる。
あんがい、それでいいのかもしれない。
お互い納得しているなら、そういうものなのかもしれない。
ぞっとする。
共産党の荒川なおに言ったらなにか改善するのだろうか?
ア○ゾンのみならず、
どこでも大企業なら絶対にやってはいけないのに
やっているのが「早帰り」。
大日○印刷とか、ひどいぞ。
日給を保障しない「早帰り」は底辺労働者の息の根を止める。
「しんぶん赤旗」でも「聖教新聞」でも、この特集をやってくれよ。
どうせ朝日や読売にはできないんだろうから。
困っちゃうのが、おなじ作業員。
「早帰り」させられても怒らない。連帯しない。
上から早くやれって言われて下に早くやれって怒鳴って、
早く帰されて日給が半分になっても疑問に思わない。
それどころか下にもっと早くやれって怒鳴って、早く帰る始末。
会社のためになったって派遣がバッカじゃねえかと思うが、
下のほうはそんなもの。
下が連帯して拒否したらいいのに、
下はもっと下をいじめるだけで
日給を減らされる「早帰り」にはしょうがない。
いいことをした気分。学がない。教育を受けていない。
八王子の家具屋のお坊ちゃんは、
言葉の意味は一義的に解釈されると怒鳴っていたが、そうとも言えないわけ。
ここ最近、わたしがふざけて使っている「キューポラのある街」は川口のこと。
でもさ、ふつう「キューポラのある街」が川口ってことはわかんないじゃん。
映画「キューポラのある街」は、ひどいアル中の浦山桐郎監督の処女作。
浦山桐郎は(高卒の大文化人の)原一男教授のお偉いお師匠さま。
「キューポラのある街」というひと言にいろいろ意味が含まれている。
いま住んでいるところ、河を越えたら「キューポラのある街」。
「キューポラのある街」には極左、共産党系っていう意味もある。
そこらへんをわかるのが文化で知性なんだなあ。
いい映画である。いわく、きみは「ひとりじゃない」――。

大宮のあの人でさえ上と喧嘩して辞めちゃったア○ゾンを
まさかわたしが完走できるとは思わなかった。
ア○ゾンって悪いイメージばっかじゃん。拘束時間を除くと意外といいのよ。
若い子が多い。女の子が多いって、おまえら、もっと、うん?
そういえばそのとおりで若くて多少かわいい女の子だって仕事はないよね。
「死にたい男子」だから、どうしても「働いてみた」になっちゃう。
いまでも謝罪したいのは、
Sさんがトレーナーをやめたのってわたしのせいなの?
あのくらいどこの倉庫でもふつうで軽いレベルで、
あんな理不尽は当たり前で告発しようとかそんな気はまったくなかった。
どっちかっていえばSさんのことを嫌いというより好きだったし、
それはあっちもわかったでしょう?
こちらの妄想だが、
社食でHさんは髪をぱあっと広げていい匂いがしたなあ。
からかいのような笑いをされたけれど、
ああいうちょっときつい感じの年下のおねえさまと社外で話してみたいなあ。
地獄耳だから既婚だってことは知っているよ。

ストーのKさんは、
いわゆる美少女っぷりがいちばんなのに暗い顔をしていた。
朝いっしょに来ていたのは彼氏なの?
Kさんの変な暗さは魅力的でした。
Aさんはアジアン系で川口でいちばん話しやすそうなのは彼女。
ICQAのDさんとは(トラブルを)
やっちゃったって思われていたみたいだけれども
(彼女が上司にエスカレしたのはわかった)、いいんじゃない?
代わりにICQAにヒゲのイケメンが行かされるようになったし、
いいんじゃない? あのイケメンも既婚ね。
食いつめたら川口に土下座してまた行きます。
繁忙期で時給があがっても(行きたいです)。
どうかみなさまよろしくお願いします。
わかっていたよ。ア○ゾン川口でわたしは女子に守られていた。
日蓮正宗の人から、おまえは地獄に堕ちるとア○ゾンで言われた。

DSC_0217.jpg

朝、7時前にこうして行列しながら派遣はバスを待つのである。

DSC_0218.jpg

自由はない。

初勤務の日は雨だった。
行列のひとりに聞いた。
「わたし、今日がはじめてなんですが、内部はどんな感じなんですか?」
「え?」
「その、わからなくて、怖くて」
「『ハイハイ』言ってりゃあいいんですよ」

実際、そうだった。想像していた何倍もましだった。
先輩の彼の顔はそのうち見なくなった。

ア○ゾン川口はおすすめあるよ。「キューポラのある街」
「しんぶん赤旗」はア○ゾンをたたきたいようだが、
だれか潜入させたのかしら? 取材潜入。
2か月近く、ア○ゾンに潜ったぼくの結論は、あそこはまあホワイト。
早朝バスと会社内待機時間がきついが、
そのうちあれも時給換算されるだろう。
ア○ゾンよりなにより「しんぶん赤旗」は、いったいどうして
年収1千万の共産党、荒川なお利権者、
成功者をやり玉にあげないのだろう?
あの人、どんなコネがあるんだろう? 親はだれなの?
お近づきになりたい。彼はなにかを持っている。
板橋区、
自民党の山田貴之議員と共産党の荒川なお議員は年収1千万オーバーで、
大勝利顔が似通っている。バックはなにか?
だから悪い女の子に人生をめちゃくちゃにされて死んでいきたい。
「キューポラのある街」の倉庫で、
髪の毛がまっきんきんで、とんがっていて、
おれさまさまが怖いなあ、と思う女の子のそばに寄ったら、
逆に怖がられるおれってどんなきちがいオーラを出しているんだよ。
ふつうあの子のほうが怖いだろ。
ああいう、あたまの悪そうな礼儀知らずの、
生意気な女の子と交際してみたいんデス。そうなのでありマス。
飽き飽きしているんだよ。
海外でも行けばって話だが、43歳にもなるとめんどうくさい。
ビザを取ったり、現地で料金交渉をしたり。
結局、ほしいものが悪評高いナウなア○ゾンで働いてみたいだったりするわけ。
ぜんぜん世評と実際のア○ゾンは違うじゃん。
しかし、飽きる。
飽きたってなんだって、おまえぶん殴るぞの世界だが、飽きた。
つまらないんだよ。刺激がほしいんだよ。
ホリデーのア○ゾンは「やべえ」ってくらい刺激があった。
板中への入院も海外旅行以上におもしろかった。
かかってこいよ、バッカヤロ♪
もう何年もまえから書いているが、
「ほしいものはほしいもの」――。
ほしいものがないのである。
お金はほしいが、お金で買えるほしいものはない。
称賛や受賞もからきし興味がなくなった。
そりゃあ、エミ―に恩返しをしたいけれど、
お金や物品で返すのはあっちも困ると思う。
もう飽きたよ。
「死にたい」ではなく「死んでもいい」というか、飽きた。
飽き飽きした。本当に飽きた。
ア○ゾン川口倉庫の2階、EFエリアは大きくて重い商品が多いんだ。
最後のころはそこに行かされるのが定番になっていて、
高い時給をもらっているんだから、それに男だしウフフンだったのである。
最終日にようやく真実、本当のことに気づく。
このEFエリアのものをわたしはピッキングしているだけだが、
この商品の山はだれがどのように積んでいるのか?
機械とか人工知能ではなく、
人間が手づかみでEFエリアの山を積み上げていたのである。
険しい顔をした、
しかし、顔のつくりは非常にいい、体格のよく絞れた青年だった。
時給1050円で、あれをさせられたら厳しい顔になるし、
もしわたしだったら時給1350円のスポットを見たら、
顔をグーで殴りたくなるだろう。だからグーで。
帰りのバス乗り場で見たら、
お若い彼氏はかわいい彼女とおなじ川口倉庫で働いているみたい。
ここで出会ったのかな。
おふたりに幸あれと願ったものである。
人生、そんなもの。
朝7時に「キューポラのある街」で密林行のバスに乗るのも本日が最後。
同時性、共時性、キューポラのある街。
うしろの席のレギュラーさんが、
まるでわたしに訴えかけたいように「本当のこと」を話している。
「キューポラのある街」の密林にも「早帰り」はふつうにある。
ストーなんか昼に仕事がないからと帰されることもある。
最悪の場合、朝来て朝にそのまま帰ってくれも。
だって、「キューポラのある街」だもの。
自分だけいい思いをしたのではないかという罪悪感にまみれながら、
それでもしかし「キューポラのある街」だもの。
わたしたち一部スポット組は時給1350円、
10時間完済でフィニッシュしたから、そんな現実は知りたくなかった。
聞かなかったことにしたい。
いやなら辞めればいいじゃないという物流倉庫の常識は知っている。
どこもみんなやっていることだから。
そうしないと数字(生産性)が出ない。すべてはお客さまのために。
女に対して好奇心はあるが、それはあくまでも悪戯な好奇心。
愛とか恋とか人生を賭けるということはまったくなく、悪戯っぽい好奇心。
相手に旦那、主人、夫、彼氏、恋人がいたほうがよく、だから好奇心。
火の用心の火遊び燃えた遊技場。
119鳴らしてぼくの救急車。
きみの笑顔に参ったしたいギブアップまで待てないよ。
きみのことを彼女と呼ぶ彼氏にわくわく好奇心。
不正と書いて歪(いびつ)と読むが、ぼくはふしだらなきみが好き。
生まれてはじめてポエムを書いたのはきみのおかげさゲッチュー。
「悦楽王 鬼プロ繁盛記」(団鬼六/講談社文庫)

→病院で日給クラスの高額料金を支払い、
心霊写真のようなCT画像を見せられて、
「僕は素人なんで、そんなことを言われてもチンプンカンプンです」
と2歳年下の外科医に物申し損をした気分でお会計をして、
あとどのくらい打てるのか出玉いくざんと銀行に寄ったら、
残金が微量ながら増えており、そういえば働いていたっけ?
と過去を振り返り、お金、お金と鼻歌を歌いながら、
すっかり気分をよくした僕は赤羽の立ち飲み屋「いこい」に行き、
今冬最初となる「あんきも」「白子」(200円!)を注文しながら、
吃音症のため同様に好物の「なめろう」は頼めず、
しかしながらひさびさの酒を愛するつまみと満喫したのであります。

「あんきも」や「白子」「うに」「塩辛」は好みがわかれる。
大衆魚の「さんまの刺身」のようなわかりやすさがない。
刺身の「かつお」がまずいなら「まぐろ」もどうだかって話。
「たこ」は唐揚げにするのがいちばんうまい。
酔いどれ気分で生きてきて、
気づけば余命が推し測られる健康状態になったが、
人生最後に行き着くのは快楽や悦楽である。それが生物学的正解である。
動物の答え。アニマル・アンサー。
ブログの記録を見ると、
先日まで某電脳大手通販会社の倉庫で働いていたようだが、
そのときはおそらくそれが快楽であり悦楽であったのだろう。
「あんきも」「白子」「うに」だった。
倉庫は快適だった。
絶対、こいつ人を殺したことがあるだろうという面相のおっさんが、
仕事もできないのに300円も多く時給を取っているこちらに怒鳴ってこない。
若い女の子が時給1200円のトレーナーで、
いまの地位にそこまで疑問を抱いていない。

ああ、窮屈だ。パーッとやらないか。
パーッとやらないかというのがSM作家の団鬼六である。
パーッとやろうぜ。
尿酸値や肝機能なんて気にせんで、
レバ刺をたらふく口楽しながら、あたまがバカになる酒をしこたま口悦せよ。
ア○ゾン川口喫煙倶楽部では
ちかぢか飲み会が開かれるそうだが、それでいい。
酒でも飲み散らかして不満を言ってパーッとしよう。
倉庫のうえのほうだって、大した給料を取っていないし
(ア○ゾン研究家の大学生のMくんいわく5、6百万)、
あいつらだってエスカレに縛られまくりで、
自分の意思なんか通らない。
だから、わたしのようなクズもうえからのエスカレで働けたのだが、
それはちょっと大きな声では話せないことかもしれない。
ア○ゾン労働は快適だったが、それがいいのか悪いのかわからない。
変なやつがいないのである。
SMのパイオニア、団鬼六はいう。

「奇人変人に興味を惹かれるという事は
それだけ私は真面目人間が嫌いだという事になる。
世の中には性的な変人も多いが。
心理的な変人はさらに多いのである。
しかし、そうした変人の中にこそ豊かな人間性が感じられることがまた多いのだ。
そうしたアブノーマルな部分を掘り下げていくと、
人間とは一体何かという不可解さが生じ、
奇怪な密林地帯に彷徨(さまよ)った感じになるのである」(P26)


大衆、庶民は奇人変人ではないから大衆、庶民なのである。
大衆、庶民が好きなのは「男はつらいよ」の寅さんこと渥美清。
一部では東南アジアへの
ロリ買春悦楽三昧で有名だった変態性欲者(児ポ相手にだけは言ってもいい)、
渥美清とSMポルノ作家の団鬼六は交友があった。
「男はつらいよ」の渥美清は、
よく団鬼六の大豪邸、庭つきの広いお屋敷に来て、
近隣の庶民、いわゆる大衆を呼び集めて説話をしたという。

「渥美清はそうした近所の人々に所望されれば、
寅さん映画撮影中の珍談も語ったが、
近所の人達の生活体験というものを聞きたがった。
寿司屋や酒屋、ソバ屋などの苦労話を聞くのを好み、
また、聞き上手であった。
なる程、わかる、とうなずき、
そして次には面白い合いの手を入れて、一座をわかした。
そうした庶民の生活体験や生活感情が、
彼の芸の肥やしになるのかも知れない。
渥美清は、こうして見知らぬ人々をむしろ歓迎するように集めて、
賑やかに騒ぐのが好きなようで、また一方では、
たえず隔離された寂しさを求めているようなところがあった。
渥美清の喜劇の本質というのは、
そんなところにあるのかも知れない。
だから、『男はつらいよ』の寅さんが、
彼の生涯のはまり役だったともいえるだろう」(P130)


――と、このように団鬼六は渥美清を評しているが、
SM作家のほうは寅さんからなんと言われたか。
渥美清はSMポルノ作家の団鬼六にこう言ったという。

「文学作品とか芸術作品といったものは別にあなたがやらなくたって、
この世にやる人はワンサといますよ。(……)
正直いって、僕だって寅さん映画が売れるから次から次に出演しているんです。
そんな役者でいいのかと自分で疑問を持った事は何度もあります。
自分の可能性を自分が狭(せば)めているんじゃないかと思いました。
しかし、役者とは大衆に支持されるものなら、
どんどん出演すべきだと思います。
大衆に悦ばれ、支持されるものに出演するという事、
これは役者冥利に尽きるものです」(P124)


求めるものは快・楽・悦。だから、求めるものは快・楽・悦。
マゾ的な快楽も悦楽も当然あっていい。あってしかるべきである。
朝7時まえから川口駅前で行列するのもある意味、快楽、悦楽である。

「十三歳の実験」(富島健夫/光文社文庫)

→だからなんだと言われても困るが富島健夫と梶山季之は同年代で、
それゆえかつて日本国だった朝鮮で生まれたという共通項がある。
富島健夫は大衆ジュニアポルノ作家で、
食えない芸術よりも実質的な金を取ったことでも両者は共通している。
「十三歳の実験」は富島健夫の遺作となったロリータ小説。
13歳の少女に早稲田の学生が性の手ほどきをするという。
ちなみに富島は、
瀬戸内寂聴に初期作以外はみんなクズと言われた丹羽文雄の門下。
富島健夫も梶山季之も丹羽文雄になろうとしてなれなかったが、
瀬戸内寂聴は女性を味方につけて師匠格の丹羽文雄を軽々と飛び越えた。
富島健夫や梶山季之を読む女はいないだろうが、
瀬戸内寂聴を読む男もいまい。

女は13、4歳がいちばんおもしろいとも言える。
12歳の小学生くらいまでは、身長も体力もほぼ男女差はなく、
かえって女の子のほうが成長が早いこともままあるが、
ご存じのとおり第二次性徴というものがあり、
そこで子どもは男と女に決定的に遮断されるがためである。
まず体力という面で、女は男にかなわなくなる。
女は強い男が怖くなる。おのれが第一種ではなく、
第二種の性だという自覚を余儀なくされる。
第一等ではなく第二等の性別である。
男ではなく女である。
ポルノ老人作家の早稲田一文、
丹羽文雄門下の富島健夫が最後に行き着いたのは、
ふくらみかけのおっぱいと産毛のはえた裂け目だっだということだ。

単純所持禁止の児ポ。富島健夫のゴールは児童ポルノ。
芥川賞候補作家で児ポ作家の富島健夫は男の夢を描き続け、あっさり死んだ。
受賞歴はゼロである。
男の児ポ小説「十三歳の実験」は、
どうしてかドストエフスキーの小説のように読むのに時間がかかった。
部落や朝鮮、創価学会がマイルドになったいま、
最後のホットな聖域はおそらく児ポ。JKでもおばさんあつかいするのが児ポ。
想像するのは自由である。国家権力も取り締まれない。

「女巡拝記」(梶山季之/徳間文庫)

→梶山季之は「男性自身」の山口瞳とマブダチだったことで知られる(?)
昭和の大衆作家だが、いま読み返すものはいないと思われる。
梶山は仕事中毒で酒と女が好きで45歳で死んでいる。
ものすごい金を稼いだそうだが、納税額をまず考え、かわいそうだなあと思う。
「女巡拝記」は短編小説集で、日本男児が
世界各国で女とやりまくるという会話だらけの娯楽小説で悪くはない。
が、女のパターンが昭和だが、しかし、そこがいいとも悪いとも言える。
女は男に尽くせ、みたいな規範を大衆小説はなんの疑いもなくなぞっている。
女って食いものみたいな商品であることが
ちょっとまえまであからさまに社会通念としてあって、
女サイドもそれを了承していたのが、こういうのを読むとよくわかる。
女は男によって金で買われる食べもので、別名は子を産む機械。
新品は高いが、中古品や旬を過ぎると時に買い手がつかなくなるもの。
「女巡拝記」から――。
宣伝会社の中年社員が、タイで妻の年の離れた妹の処女を食う話。
若い女は京子といい男が縁故採用してやったモデル。

「京子は、その点、若いだけに、すべてに溌剌(はつらつ)としていた。
乳房は、姉と違って小さいが、お椀型に盛り上げっている。
採用テストの時に、審査員として視(み)たのであるが、
乳首は桜ん坊のように大きく、しかもピンク色であった。
あの乳房は、将来、楽しみのある乳房である。
腹の筋肉はぐッと締まっているし、腰のあたりも、くびれている。
ふくろはぎの筋肉は、ほどよく盛り上がり、
足首は仔鹿(こじか)のように引き締まって、
見るからに若々しく躍動的だった。
それに、モデルになる位だから、面(めん)がいいのである」(P98)


梶山季之は女性を自分とおなじ人格を持った「人間」としてまったく見ていない。
こういう男がかつてもてたのである。
おそらくいまも建前ではなく本音では、そうだろうと思われる。
そうそうなにか劇的に変化するものではない。
「女のくせに」「男のくせに」は変わらない。

「こころに届く授業」(河合隼雄・谷川俊太郎)

→職場で日蓮正宗の人からまた折伏させてくれ。
どうせ日曜日は暇でしょう? 
と言われたけれど、あれはお金をもらってもいや。
なにがいやかというと言葉以前に声であり音が不快なのである。
必死で暗記したと思しきことを間違わないように
棒読みで早口、小さな声で話すのである。聞いていてあたまがおかしくなる。
ときおり「わかる? わかる?」
とこっちを小馬鹿にしたような接続詞的なものが入る。
そういうのを聞いているともう身体的に異常を起こして吐き気がするくらい。
むかしYouTubeで顕正会の女子部のスピーチを見たことがあるけれど、
意味以前に抑揚があって音としてうまいのである。
ちゃんとしたリズムがあるわけ。
みんながヒソヒソになる日蓮正宗から派生した、
特殊学会の「庶民の王者」「永遠の師匠」の名誉会長もスピーチがうまいのよ。
意味よりも、音として心地がいいところがなくもない。
それはなにかいえば、日本人は結局、七五調になってしまう。
谷川俊太郎が小学生相手の授業でやったことだが、
斉唱(みんなで唱えること)をすると、
どうしても七五調的なリズムになってしまう。
それが意味たる言葉以前の音でありリズムであると詩人の谷川は言う。

「言葉というのは、
どんな地域の言葉でも初めは文字がなかったんですね。
最初は声だったわけ、音だったわけね。
音だけだと、すぐ消えちゃってなんか不便だということだと思うんだけど、
それでだんだん文字というのが生まれてきて、
日本でも文字ができた。
だから、言葉は、まず初めは声だった、音だった、
ということがすごく大事だと思うんですね。
そう考えてみると、私たちが普段しゃべったりなんかしているということも、
文字で表現できないような、いろんな大切なことを声や音は
表現できるからだというふうに思うんですね」(P66)


腸に穴が開いて入院中、うさんくさいクリスマス演奏会で、
バイオリンが奏でる演歌を大勢の患者やナースと聞いて
実際に目をうるませたわたしだから音の大切さはよくわかる。

職場ア○ゾンの唱和で好きだったのは「腰を曲げない捻(ひね)らない」。
しゃがんでもなにをしても物理上、
腰を曲げないと一番下のA棚の商品は取れないのだが、
あえて「腰を曲げない捻らない」と唱和するところが
社会の矛盾を生きているような屈折した快楽があったのである。
それをみんなで唱和するところに
社会の虚構のただなかを「仲間」と生きているという連帯感があった。
前回はなくなっていたが、明日復活するかどうか。
おなじスポットがA棚を蹴飛ばしているのを一度見たことがあるが、
気持わかるなあ、と肩を組みたくなったものである。
わたしも一度だけA棚を蹴って閉めたことがあって、
それが最初のストーのトレーニング中というのだから。
唖然とするトレーナーに「うっかり本性が」と言ったら、
見なかったことにしてくれた。あの人には逆らえない。
監視カメラを見てくれたらおわかりになるはずだが、その一度だけである。

倉庫内に音楽を流している会社も多い。
昭和歌謡曲を流していたのがセ○ンイレブン。
妙に宗教がかったヒーリング音を流していたところもあった。
ちなみにア○ゾンは無音。
「通ります」「はい」「通ります」「どうぞ」「ありがとうございます」が音楽。
長年、ア○ゾンで働いていると
スーパーとか公衆の場で「通ります」と言っちゃわ(は?)ないだろうか。
谷川俊太郎は詩人だが、
ア○ゾンの倉庫からも詩のようなものを感じ取れるのが
本物の詩人かもしれない。
べつに谷川俊太郎が偽物と言っているわけではない。
そもそもわたしは詩がまったくわからない。

「読む力・聴く力」(河合隼雄・立花隆・谷川俊太郎/岩波商店)

→15年まえはインターネット社会の到来で、
バラ色の未来が訪れるような幻想があったんだなあ。
少なくとも立花隆と谷川俊太郎はそう思っている。
立花隆はとくに集合知のインターネットに愚かな希望を見ていた。
ネットなんてバラ色でもなんでもないけれど、もう引き返せない。
駅のなかをみんなスマホを見ながら、
イヤホンして歩いてる日本を3人のうちだれが想像したか。
グーグルで調べて、ア○ゾンで買って、ツイッターやラインでつながる。
立花隆の脳内お花畑状態は、いまから見ると笑える。
ネットで世界がいい方向に変わると無邪気に信じている。
根拠は要するにインターネットは無限の書庫みたいなものだろうということ。
河合隼雄だけはネットにあまり肯定的ではない。
なにかをネットで検索したら
バーッと結果が出てくることに狂喜する立花隆に対して河合隼雄は――。

「そのときにバーッと出てくるよりも、
自分がどこかで出会うほうが面白いということはないのですか。
(立花隆「それはないではないです。
プライベートな生活では、個人的に出会うのが面白いでしょうね」)
僕はそれで十分にいっているから、何も要らないと思っています。
僕はホームページがないのでホームレスと言っています。
そういうのがなしでも結構面白いと思っているのですが、
やたらあまり出てきて、結局選ぶのだったら、
僕が勝手に人生の中で選んでいるほうが
面白いのではないかというやり方をやっています」(P164)


タイトルは「読む力・聴く力」である。
河合隼雄は「読む力」にも懐疑的だ。あえて「読まない力」を説く。
なにを読むかといえば、文字になった言葉である。
しかし、ケルトのような無文字社会もある。
ケルトは、意図的に文字を持たなかったのではないか。

「なぜかというと、文字ができるということは
便利な代わりに心の働きを限定するところがあるのです。
たとえば山という字ができると、山がわかったように思ってしまう。
この山も、あの山も同じ山だという概念が成立する。
人間の進歩ではあるけれど、そのために感性は衰えるわけです。
一つひとつの山を見て感じとることができなくなってきます。
ケルトはそちらのほうを発展させたのではないか。
だから文字がないのではないかという考え方は面白いと思いました。
アメリカの先住民も文字を持っていないです。
文字によらない感覚はものすごい洗練されていて、
ちょっと見てもそこに何か通った跡があるというのがわかったり、
僕らと全然違う感性を磨く。
それは文字を持たなかったからだ」(P178)


インターネットどころか出版(活字)文化さえ否定している。
いまはすたれた出版文化も全体の歴史から見たら最近のものなのである。
科学文明が紙に文字を大量印刷することを可能にした。
その本も売れない。インターネットだ。
では、さかのぼって見て、本のまえはなんだったかというと、
「話す」「聴く」である。言葉は文字以前は「話す」「聴く」であった。
果たして「聴く力」は、
耳とテープ(ふるっ)に録音するのとどちらがすぐれているのか。
これは「見る力」は、
目とビデオカメラ(ふるっ)のどちらがすぐれているかにも通じる。
河合隼雄は心理屋のボス猿で、
多くのカウンセラーの相談に乗るということをしている。
その役割をスーパーバイザーという。

「僕のところにスーパーバイズを受けに来る人もいますが、
僕がいろいろ言うわけだから
テープレコーダーを持ってくる人は絶対に断ります。
テープレコーダーに覚えてもらうような気持ちなら来るなと言います。
自分で覚えて、自分で忘れて、残るやつがいいのであって、
テープレコーダーは忘れませんからね。本当ですよ。
全部入っているというのはナンセンスです。
僕がいっぱい言った中の、何かがその人にヒットすればいいわけでしょう。
だからそういうときに僕は絶対に使わせないです」(P139)


わたしは観光地に行ってもいっさい写真を撮らない。
そもそもカメラを持って行かない。
旅した海外の光景はほとんど覚えていないが、
現地で聞いたことで覚えていることならある。それでいいのだろう。
現代科学の最先端企業のア○ゾンが倉庫内部を公開したがらないのは、
あまりにも原始的で人力に頼りすぎているのが恥ずかしいからだろう。
入庫をインバウンドと言葉を入れ替えても、
やっていることはほかの倉庫とそう変わらない。
ただし言葉を英語に変えたら、
いまの若い人には受けがいいのかもしれない。
ア○ゾンとそのレビューは古本屋文化と出版業界の一部を消すだろうが、
それはかつて出版文化が無文字社会にやったこととおなじだから、
それゆえ、いいとも悪いともかならずしも断定しがたい。

「下着の社会心理学」(菅原健介+cocoros研究会/朝日新書)

→大学教授がワコールにお金と資料を出してもらって作った本。
決して売れたわけでけではなく無料で配りまくった本ではないか。
教授と下着メーカーのワコールの宣伝になるわけだから。
最初の疑問提起は、女性はなぜ隠すべき下着にこだわるのか?
答えは、高い下着を買う人はポジティブで称賛欲求が高く、
安定を求めているというワコールが望むとおりになっている。
昭和30年ころの女性下着専門家の女性がエッセイで、
女性は下着で美しい身体をアピールして男性に立ち向かおう、
みたいなことを書いているものの引用が新鮮だった。
当時はブラジャーをつける習慣はあまりなかったらしい。

わたしをふくめ男は全般的にガードのゆるい、
いわゆる下着をチラチラ見せてくれる女性が好きだが、
それはおなじ女性から総攻撃を食らうとのこと。
なぜなら社会には規律があるからである。
そういう誘惑をすると不特定の男が特定の女性にひきつけられてしまい、
一夫一妻の安定した社会を壊すので、
その危険信号として羞恥心は存在すると本書には書かれているが、
どうも嘘くさい。
なんでも社会的に説明するのは、社会学者だからだろう。
ああ、いまたしかめたら心理学者だが、似たようなものだろう。

以前はつぎ生まれ変わるなら絶対に女で美女でと思っていたが、
今年になってからは女に生まれるのもめんどうくさそうだなあと。
だって、女として生まれたら夢がないじゃん。
子どもがあこがれるような偉人に女っていない。どこも男社会。
来世は河原の小石に生まれ変わって、美少女に川に投げ込まれたい。
職場でもどこでも「女は」って男相手に言うと、
みんなビクッとして「女性は」って言い変えるよね。
(例)
「(職場の)その部署に女もいました?」
「ええ、女性もいましたよ」
令和のいま女は完全に女性に成り上がったと言うこともできよう。
わたしは女性に生まれて男に勝とうとピリピリなんかしたくない。
繰り返すが、生まれ変わったら河原の小石になりたい。
男とか女にこだわることなく、小川をながめながらじっとしていたい。

「自分だけの1冊 北村薫のアンソロジー教室」(北村薫/新潮新書)

→去年、おととしと自分の小説を書くために
アンソロジー(名作集)を気が狂ったように読んだ、そのまとめがこの本。
アンソロジーは名作を集めたものなのに、
なぜかつまらないものが多い理由を
作家でアンソロジー編集経験も多い著者はこう説明している。

「名作ばかり集めた筈なのに、
実際には感嘆するようなアンソロジーが少ない。
ことに、テーマのあるアンソロジーに、それを感じた。
≪夜≫とか≪猫≫とか、そういうお題のあるものですね。
そうなると、作品を選ぶのが大変になる。
≪つまらなくても、お題にあうものを、間に合わせで入れてるんじゃないか≫
と思いました。
確かに、そういう面もあるでしょう。しかし、そればかりではない。
自分でアンソロジーを作ったときは、
≪これなら文句はないだろうっ≫というものを揃えました。
それでも、全部の読者の賛同は得られないんですよね。
≪小説を読む喜びは、この中にあるだろうっ≫と思うような自信作が、
案外、好評でもなかったりする。
当たり前のことですが、作品を評価する物差しは人によって違うんですね。
だからこそ、様々なタイプのアンソロジーが生まれる。
それからね、『古今』や『新古今』みたいな勅撰集だと配列に工夫する。
つまり、歌集なんかだと、名作ばかり並べてもいけないんです。
超傑作ばかりだと、読者が疲れてしまう。
駄作ではないんだけれど、
≪これはいいな≫程度のものが入っていないと傑作がきらめかない」(P48)


評価は人それぞれなんだよね。
あるものをいいと思う人もいれば、くだらないと思う人もいる。
だからいい、という面もあるだろう。人それぞれ。
八王子の人は自分の感想が絶対正解でみんなもそう思うって言っていたな。
理由は自分が科学者だから(笑)。
評価はさまざまだから、
結局はどのくらい売れたかというのが
安定した評価基準になるのかもしれない。
売上は創価学会の池田先生の本のように自爆営業で伸ばせるとはいえ。
しかし、ア○ゾンのレビューのように評価を先に動かすという手もある。
最初に☆5つをたくさんつけておく。
裏情報を書いておくとア○ゾンの社食はレビュー方式なんだよ。
食べた後、箸やスプーンを5段階評価で入れることになっている。
みんな☆5つに入っているのは、あるいは最初に
そこにたくさん箸を入れているからじゃないかって思っている。
焼き魚のマスを食べたとき、魚が冷たくてパサパサでさ。
なんで社食で刺身でもないのに冷たい焼き魚を出すの?
そう思って、だれも入れていない☆ひとつに箸を入れたことがある。
みんなは390円ならこのくらいと思うのか、☆5つ4つばかりだったが。

☆5つで評価するとなると☆48は出せないわけでしょう?
個人的な思いが、☆に制限を受けてしまう。
さらにつけたすと、そのときは売れなくてもいい小説ってあるのね。
あとから評価されるものもいっぱいあるじゃない。
たくさん売れても、いまでは忘れられているものも数知れない。

北村薫さんは2010年時点で、ネットで本を買わない派らしい。
本どころかネットでものを買わないアンチ・ア○ゾン。
古本屋で探しているものを見つける楽しさを強調している。
それはものすごいわかるが、
わたしが去年古本屋街の神保町に行ったのはもはや1回だけ。
もう探しているものもなくなちゃったし、
新しい作家を発掘するとかも、
ぶっちゃけ、いま知っている作家だけで十分という老齢になってしまった。
北村薫さんとは異なり作家で精神科医の春日武彦さんは、
いまではスマホを所持し、ア○ゾンから小物を買うのが趣味の模様。
小物を買ってくれるお客さんは現場で働く作業員には嬉しい存在。
春日武彦先生、お買い上げ、ありがとうございます。
それと新刊書店にも行かなくなったから、
春日さんの新刊が発売されても愛読者のわたしは気がつかない。
どうかよろしくお願いします。
今度、久しぶりに汚い字で礼状を書きますので(ハガキですが)。

作家で精神科医の春日武彦さんといえば、
ア○ゾンに深く傷つけられた被害者のひとり。
構想から何年もかけた渾身の大著「私家版 精神医学事典」が
ア○ゾンのレビューで☆ひとつをつけられ、
その影響かまったく売れず評判にもならなかったという。
しかし、春日先生の大著は
しっかりとわたしのこころには届いているわけである。
北村薫さんはいう。

「作品というのは、固定されたものとしてそこに≪ある≫わけではない。
読みによって、その姿を変えるわけです。そこに読書の味がある。
別の人が、違う角度から語ってくれるのは、
こちらも聞きたいし、読者の方にも聞いていただきたいわけです」(P119)


「私家版 精神医学事典」も廉価な文庫になったら評判になるかもしれない。
本は読み手によってまったく様相を変えるのである。
その複雑な味わいをたった☆5つで評価するという風潮を
つくった責任の一端はア○ゾンにある。
これは☆5つ、これは☆4つといえば、なにかわかったような錯覚を得る。
ちなみにア○ゾンの社食は食後の箸入れがレビューになっているから、
箸をどこかに入れないわけにはいかない。
もしかしたらあそこにも監視カメラがついているのかもしれない。

いつもの被害妄想を働かせると、
もしかしたら「土屋を辞めさせろ」みたいな空気があるのかもしれない。
今日もまたピッキングの査定だよ。あれはいやなもんだよ。
わたしばかりマークされている。1週間で3回。
ほかの人はそんなことをされたことがないってよ。
またチェックするのかよ、うぜえなあ、と思った。
お得意の監視カメラで見ていればいいのに(笑)。
なんか数字が前回よりも下がっているってさ。
「どうしてだと思いますか?」
「今日はストーやICQAがたくさんいるからじゃないですか?」
通路に人がいると邪魔だが、あっちも作業しているし、
知らない人だから声をかけにくいんだよ。
そんな自分勝手にぐいぐい進めるかって話もある。
下手なストーとかICQAをやっていたときにピックが来るとうざかったもん。
棚の整頓具合によっても変わるし、ものにもよるし。
おなじ商品でもバーコードが違うなんて今日もいっぱいあった。
「わたし、あと2回で辞めるのに、
どうして何度もこんなことされるんですか?」
検査官の子はそのことを知らなかった模様。
わたしは「辞める」のでも「辞めさせられる」のでもなく、
正確には15日(水)、16日(木)で契約が終了して
もうア○ゾン川口に行くことはない。
たぶん職場の人とはもう一生逢わないだろう。
「土屋を辞めさせろ」もなにもないわけ。自然に消えていくから。

昨日の行為が問題になっているのかな。
2階と3階を猛スピードで往復させられたあと、ゆっくり水を飲んだこと。
そういうことでいちいちカリカリしているから死者を出しちゃうんだよ。
いや、ア○ゾンにとってはなによりも生産性がたいせつなのは理解している。
人の生命よりなによりも生産性が命。
ア○ゾンはそうこなくっちゃ。
ア○ゾンって早退する人が多いような気がする。
わたしも一度、休憩室で倒れている青年を見たことがある。
その後、どうなったのか知らない。
わたしも16日を境にいきなり消えるけれど、
トレーナーも同僚も、辞めたのか辞めさせられたのかわからないはず。
答えは、単なる契約終了なのだが、
そういうふうに人が消えていく職場がア○ゾン。
そして、いきなり新人が大量に入ってくるのがア○ゾン。
しかし、ア○ゾンは悪くないんだよ。そうしたほうが生産性がいいんだから。
みなさんがア○ゾンからいいものを安く買えるのは、
われわれ作業員のおかげではなく、
ア○ゾンの徹底した生産性重視の優れた企業精神のためである。
わたしはもうすぐア○ゾンの作業員からお客さんに戻る。
何度も書くが実際に働いてみてア○ゾンが好きになった。
とてもいい想い出になるだろう。

今日、Sさんからスキャナーの右下を押したら
いまやったビン(棚)が出てくること。
スキャナーにいまカートにある商品の数字が記載されていることを教えてもらう。
どうしてトレーナーは教えてくれないのかわからない。
それを知っていたら、いままでどれほどミスを防げていたか。
とはいえ、ア○ゾンはまだまだ成長する余地を残しているとも言える。
生産性を最優先するア○ゾンの成長はこれからもとまることはないだろう。
生産性とは数字のことである。
生産性が悪かったようで、ごめんなさい。
あと2回、命を捨てる覚悟で生産性向上に努める所存でありまっす。
今日のア○ゾンさまからのご質問。
「あなたの能力は仕事に反映されていると思いますか?」
選択肢にわたしの答えがないわけ。
わたしの回答は「そもそも能力がありません」だから。
数をかぞえるのはめんどうくさい。
重いものを持つのは苦手。
注意力散漫。
すぐに取り乱す。
なにかを覚えたりするのは遅い。
物忘れが激しい。
早起きができない。
人にごまをするのは下手くそ。
空気を読めない。
小説を書いたら素人に怒鳴られる始末。

そういう人がやらされるのがピッキングだが、
今日はア○ゾン先生がご乱心。
ランチまえのこと。
2階で作業していたら3階へ行けと。
倉庫だから2階から3階ってかなり長い階段を上らなければならない。
3階に行っって商品をひとつピックしたら今度は2階のGエリアへ行け。
2階で商品をひとつ取ったらまた3階へ行け。
まさかと思って3階で商品をひとつだけ取ったら、
今度は2階のBエリアに行け。
ア○ゾン先生ってあたまが悪いんじゃないですか?
それとも先生にからかわれていたのだろうか?
最後のところでいやになって、時計を見たら12:11。
ゆっくり水を飲んでからランチ休憩に入った。

ランチ以降も3階へ行かされて一個取ったら2階へ帰れがあったな。
ステータスが上がったのかもしれない。
けっこう戦力になっているのかもしれない。
明らかにピッキングが早くなっているもの。
棚の高いところ(G)にあるものとか、
ジェントルマンのア○ゾン先生は重いものは女性へ振れないんでしょう?
やっと戦力になったところでもうすぐ最終回を迎える。

わたしのなかでは2020年はまだ始まっていない。
ア○ゾンが終わってから今年が始まる。
大掃除もなにもしてないもんなあ。
もう新年に期待するほどの甘さはない。裏切られ続けたよ、おまえには。
さて、シャワーを浴びて寝よう。
今日のラストスマッシュ(?)はアイリスオーヤマの電気ストーブ3個だった。
「少女物語」(朝日的な有名作家のみなさん/朝日新聞社)

→96~97年に朝日新聞夕刊に連載されてい短編小説を集めたもの。
本当によかった。
だれにでもわかる言葉で、どれもうまく作家の世界観が表現されていた。
現場ではあまりそういう感じはしなかったが、
ネットでの情報によると、ア○ゾンはすべてを数字で管理しているらしい。
結局、スキャナーにぜんぶ数字で出ちゃうわけだから。
けれど、むろんそれは間違いで、
たとえばピック数を誇っているベテラン女性がかりにいたとしても、
あなたは女性だから10キロの米を振られていないだけかもしれない。
おなじピック数1でも米の1とスマホの1では、まったく意味合いが異なる。

それから職場には感じのいい人がいるじゃないですか?
あの人がいるから働こう、がんばろう、みたいな。
そういうのは数字に出てこないが、
職場の質を決めるのは数字ではなく、
そういう個々の人格だという説もありえよう。
しかし、数字もまた大切で時給1350円と1050円は歴然とした差である。
1350円と1200円も異なる。
正社員と契約社員、レギュラー派遣、スポット派遣の立場も違う。
だが、その溝を人間関係のトラブルにしないのは、
これはもう個々の数字にならない人格、人間性に頼るほかない。
感じのいい人、感じの悪い人は数字にならない。
それに相性というものがあって、みんなに好かれる人はめったにいないだろう。

ア○ゾンで働くようになって気づいたのは、
ああ、ここで作業していると自分が消えていくという恐怖である。
人を数字で見る企業姿勢が根づいている(川口はそうでもないが)。
わたしはピック数いくつ、ミス数いくつの存在ではない。
わたしはわたしである。
このため、休日は狂ったように自分の世界を取り戻すために
ブログに過去読んだ小説の感想を、
☆いくつというのではない自分の感想を書き散らした。
自分を消されたくない。

職場に本当に1年も違わない同世代の男性がいる。
聞いたら宅建を持っていて、長らく公務員として勤めていたという。
5年まえだったか、6年まえだったか。
仕事がいやになったのか、なんだったのか、なにもかもいやになった。
実家暮らしということもある。
酒とギャンブルにおぼれきった。毎日そればかりだった。
よかった。よかったなあ。よかったとしか言えない。
「土屋さん、お酒を飲みながらギャンブルすると楽しいですよ」
いまは医者にとめられて一滴も酒を飲んでいないという。
放埓のかぎりをつくしたが、今年からは週5日ア○ゾンで働く。
わたしが今年の11月にまた来るかもとふざけて言ったら、
そのときはかならずいると宣言。仕事を教えてもらう約束をした。
おそらく公務員をしていたときの彼は、
クズっぷりが激しいわたしなんかと話す幅の広さがなかったことだろう。

本書、新井満の「ひとみの夏休み」から。
少女のひとみは人生に思い悩んでいる。

「いい大学といい会社にまっすぐつながっていて誰もが乗りたがる、
そういう絶対安全路線バスに慌てて乗り込むことに、
疑問を感じ始めたんです。(……) それより自分の足で、
自分の好きな道をゆっくり歩いてみよう。そう決心したんです」
「迷子になるかもしれないよ」
「覚悟はできています」
「君にぴったりの言葉を思い出したぞ。
道草を食ったやつが、結局、一番遠くまで行ける」(P82)


本書は朝日新聞に連載されたものだが、
もちろんこれは建前で、
本当は有名大学を出ているものしか朝日新聞には入社できない。
朝日新聞の内部でも、
本当に個性的なことをやろうとしたら会社と衝突して辞めざるをえなくなる。
しかし、そこにこそ、自分があるとも言える。
むかし朝日賞作家の山田太一さんが講演会で早口で言った。
「自分が自分を愛さなかったら、だれが自分を愛してくれるんですか」
「本当のこと」をないがしろにしてはいけない。

堀田あけみ「姉妹の事情」から。
堀田あけみはいい小説を書く。
そういえばこのまえア○ゾンのピッキングで、
女史原作の映画「アイコ十六歳」のDVDを手に取った。
富田靖子が主演かと思ったものである。
いまYouTubeで動画をちらりと見たが、あの子も情がある演技ができる。
さて、堀田あけみ「姉妹の事情」。これいいよ。
というか、この小説集はいいからア○ゾンで買っちゃいませんか。
五人姉妹の次女が美枝である。

「彼女[美枝]は気付いていない、というか、眼中に入れていないが、
姉妹は究極の敵であり味方だった。
もちろん人並みの姉妹愛はある。
しかし、言いたい放題の彼女に
傷つけられることが一番多いのが姉や妹でもある。
長女の真美からは、何回か注意されている。
口を開く前に、少しは考えなさい。
「本当のことを言って何が悪いの?」
「それで傷つく人がいたら悪い」
「傷ついたって、本当のことがわかるんなら、その方がいいと思う」
美枝の意見が必ず正しいとは限らないんだよ。
どうして本当のことなんて言うかな」
「私がそのように感じていることは、事実だからです」
そんなやりとりが何度かあった後、真美はその問題には触れなくなった。
勝ったと思う。正義は勝つ」(P101)


自分の世界を深めるとかならずと言っていいほど世間さま、
他人と衝突してしまうのである。
少女ならぬ大人としては
あんまり自分の思った「本当のこと」を言ってはいけない。
しかし、少女の魅力は大人の嘘を
ズバッと見抜くところにあるのも真実である。
とはいえ、わたしだって大人の寛容に助けられている。
職場で「本当のこと」、ミスをずばずば指摘されたらひとたまりもないだろう。
わたしだってア○ゾンに対して本当に思ったことは大人として書けない。

それでもあれくらい書いている。
いまのわたしは「本当のこと」よりも嘘のほうが好きという姿勢である。
人から送ってもらった自費出版の本に対して、
本当に思ったことなんて書くはずないだろう?
で、その自費出版の八王子さんから
けっこうなお金を払うので小説を書いてくれと言われ、
苦吟して書いたら書いたで「本当のこと」を言うと鼻息荒く怒鳴られても、
あれさ、八王子先生ももうすぐ還暦で子どもじゃないんだから、
そういうのはやめましょうよ。世間を知らないのはどっち?
わたしだって(記録に残ってしまうから)
本当に「本当のこと」はブログに書いていない。
記録に残らない口頭だったら相手次第でかなり「本当のこと」が言える。
本音キャラは、キャラで、その人の言う本音は「本当のこと」ではなく、
つくりもののセリフ。
「本当のこと」なんてない。あってもつまらないものだ。
つくづく嘘っていいよなあ、と思う。
嘘のよさがわからなかったら、
知りたかったら、ア○ゾンから「少女物語」を買ってくださいよ。

高橋克彦「去り行く精霊」も本当によかった。
とくにそのなかの「廃墟の天使」は絶品。
ある廃墟で退廃したカメラマンで独身、28歳の男性が少女と出逢う。
彼女は14、5歳と思しき少女。10歳で戦争で死んだという。
カメラマンのことを「おじいちゃん」と呼ぶ。
名前は「純子」。「おじいちゃんの初恋の人の名前だったんでしょう?」
近未来戦争で死んだ少女、純子は言う。
「でも、あたしは10年生きることができてとても楽しかった」
「おじいちゃん、ありがとう」
泣けるよなあ。なんで作家はこんなすごい嘘が書けるのだろう?
かつて純子さんという親友がいたが、もう何年も逢っていない。
「本当のこと」をいえばそんなものだが、現実だけではやりきれない。
嘘がほしい。現実ならぬものを夢みたい。
おっさんがまるで少女のようなことを――。

小池真理子はむかしなんか読んだ記憶があるけれども、
こんないい小説を書く人だったのか。「昭和の風景」はすばらしい。
この人は少女だったころの記憶が残っている稀有な存在。
「夏の夜」は子どもの少女が近所の世話好きのおねえさんに、
現実そして女性というものを教えてもらう話で本当にいい。
わたしは人に本をすすめるのはいやだが、これは損しないぜ。
いつも近所の子どもたちと遊んでくれる薄幸な家のおねえさん。
親が病気のため、家の母親係をしているうちに二十歳になった。
少女はおねえさんのことを友人だと思っていた。
夏祭りの日、おねえさんはいなかった。
おねえさんの兄がそんなあたしを見てタバコくさい口で笑った。
いやだなあ。おねえさんの兄とは思えない。
おねえさんは路地裏で男性と向き合っていた。
男はあたしが親友だと思っていたおねえさんに迫った。
あたしはおねえさんを呼んだが、無視された。
男は女にひどいことをしたが、
女はいやがりながら完全にいやではないのがわかった。
おねえさんはおねえさんではなくなった。友情なんてなかった。
本当は嘘だった。嘘だと思っていたことが「本当のこと」だった。

人の言ったことを額面通りには受け取るな。
少年は好きな子の悪口を言う。少女は好きな子の悪口を言う。
なぜか気になる。嫌いなのになぜか気になる。
それがいわゆる、その「無意識」ってやつだ。
小池真理子「昭和の風景」の「秋の放課後」から。
本書でいちばんさわやかで情味あふれる切なさがある小説はこれ。
何度か読み直して、どこかお借りできないかと創作中に思ったものである。

中学生、少女の容子は転校生の男子、山田が嫌いである。
最初のころいろいろ親切にしてあげたのに、
いまでは自分の悪口を広めている。
それもいちばん自分のコンプレックスの細目であることを突いてくる。
こいつだけは許さないと少女は山田のことを憎んでいた。
秋の放課後。
テニス部の練習中にゼッケンがはがれたので教室に戻ると山田がいる。
また細目をからかわれる。
夏が終わり秋である。練習中にかいた汗も窓からの風邪で引いていった。
山田とあたし、ふたりだけ。
こいつは悪ぶっているくせに成績がいいのが困りもの。
少女には、なれない山田の関西弁がきつい。

「俺のころ、嫌いやろ」
ふいに山田が言った。
開け放されている教室の窓に依りかかり、
チュウインガムをくちゃくちゃかみながら、
山田は窓の外の銀杏(いちょう)の木を見ている。
美しく色づいた銀杏の木は、山田の大きな目を黄色く染めている。
聞こえなかったふりをしていると、
山田はもう一度、「嫌いなんやろ」と聞いてきた。
「大っ嫌いよ」と容子は針を動かす手を休めずに言った。
「この世でいちばん嫌い」
「どんなとこが嫌いか言うてみい」
「聞かなくてもわかるでしょ。全部嫌いよ。
関西弁をしゃべるのも嫌い。偉そうな顔も嫌い。声も性格も全部」
チュウインガムの音が途絶えた。
銀杏の葉を揺する風の音がした。
「おやじがな」と山田がぽつんと言った。
「事業に失敗したんや」
容子はふと、顔を上げた。
山田は無表情に窓の外を見ていた。
「誰にも言うてへんけど……今夜あたり、多分、夜逃げや」
返す言葉を失った。
山田は我に返ったようにガムの音をさせ、
いつもの皮肉めいた笑いを浮かべると、
汚れた鞄(かばん)を小脇に抱えた。
「メガネギツネ容子。俺、おまえのこと、好きやったんやで」
教室から走り出て行った山田の足音はやがて消え、
後には銀杏の葉を通り過ぎる風の音だけが残された」(P230)


※誤字脱字失礼。そのうち直します。疲れている。

今日さピッキングをしていたら、ストーの老人が棚の空きを探していた。
「空きはありませんか?」と聞いたら、
「もう飽きた。ここ数年、こんな仕事ばっかり。もう飽きた」
悲壮な声で言われ戸惑う。
いまトレーナーになっている人とか、どうして飽きないのだろう?
わずかなトレーナー手当なんて休憩時間のほぼカットでかえってマイナス。
どうして若い人がア○ゾンには多いのだろう?
洗脳しやすいためかもしれない。おまえはこの程度だ思い知れ!
シャトルバスで聞いたレギュラー同士の話って、おれは盗聴器か?
白いあたまの女の子(髪を銀に染めている)子っているじゃん。
わかりますわかります。
あの子、おかしいんだよ。
すぐに新しい部署に行きたがる。
「その仕事はおもしろいですか?」ってよく聞かれるけれど、
仕事はねえ……。
白い女の子は目立っていて、職場のあちこちにいるので驚いていた。
「おもしろい仕事」とか、おれっぽいことを言うなよ。
今日、休憩室でいっしょになって横顔をじっとり見たらかわいかった。
缶ジュースを飲んで、すぐに休憩を切り上げた。
あの子、わたしも入ったころから気になっていたいわば同期の白い花。
なんか世界が飛んでいる感じが親近ですね。
43歳になってよかったと思うのは、
負けに負けに負け続けてきたから、
他人の評価がほぼどうでもよくなったこと。
いまの若い人は知らないかもしれないけれど、
むかし2ちゃんねるっていう匿名掲示板が隆盛で、
そこにわたしは何度も実名で誹謗中傷を書かれたから。
シナリオ・センターの件で。
多くの人が、そういうのを違法行為だと信じているようだが、
実際は警察にも取り締まれない。
わたしもブログのネタにするため警察に電話したら、
ああ、ネットに実名で悪口を書かれたレベルではうちは動かない。
弁護士を立てて裁判やっても、時間と金がかかるだけ。回収できない。
「本当のこと」を教えてもらった。

よく言われるが、わたしもそうだが、
他人の評価を気にしているうちは世間さまの奴隷でおもしろくない。
ア○ゾンのレビューみたいのをまじで信じているやつって他人を信用しすぎ。
今日さ、ア○ゾンに行ったら、スキャナーにまた例のやつが出てきた。
質問である。たとえば「あなたの上司の指導は適切だと思いますか?」。
1.かなり適切である。
2.ほどほど適切である。
3.そうは思わない。
――まあ、こんな感じ。
これは誤前提提示、誤選択提示なんだよね。
「答えたくない」や「わからない」「めんどうくさい」がないし、
そういうひと言でもいえないケースが多い。

今日、スキャナーに出てきたのは、
「あなたは自分の仕事に自信はありますか?」。
スキャナーはスマホみたいでガラケーのわたしには恐怖感がある。
たしか――。
1.絶対の自信がある。
2.ほぼ自信がある。
のふたつしか選択肢がなかったような気がする。
下にスクロールしたらもっと別なのがあるのかもしれないが、
わたしはそういうスマホ的操作ができない。
こういう選択肢問題は嫌いだから、どの答えをしたのか毎回覚えていない。
文字を見ないで適当に回答をプッシュしている。

あと勤務が4、5回しかないのに、
だれでもできるピッキングの勤務評定をされて、評価は「遅い」。
まあ、そうなのかもしれないなあ。
自分ではけっこうがんばっているつもりだけれど、他人から見たらの話。
ぜんぜん傷ついたりしていない。
危険なことを言うと、ピッキングが早くて、だからなに? いばれるもの?
2日後の今日、また勤務評定があった。
えらく若い女の子で新卒くらいかもしれない。
ボトムアップをしていると言われて、
あなたのピッキング評価は「91.28」点。これはいい数字らしい。
91点までは覚えているが、小数点以下は適当。
「100点を目指してがんばってください」って、あと勤務は4回ですよ。
聞いたらされていない人もいるのに、どうしてわたしだけ2回も?

そんな高得点はいらない。いま万全の体調ではまったくないし。
医者にいまの仕事内容を言ったら99%とめられる。
「下手をしたら死ぬぞ」って。
菓子の箱入れは圧倒的に女性のほうがうまいけれど、
ア○ゾンのピッキングは男性のほうが有利。
背が高いから、上の棚からも余裕で取れるし、真ん中の棚も見やすい。
いちばん下の棚からいくつも10キロの米を取り出せる。
無数にあるアダルト商品にも抵抗がない。
というか、ア○ゾンはせめて10キロ以上ある商品は(本音は5キロ)、
人工知能でどうにかできないの?
あれは男の腰を完全破壊するし、女は子どもを産めなくなる。
むかしは女も多かったが、今日の夜勤は男ばかりだった。

心理学では返報性という用語がある。
相手からなにかをもらうと、お礼を返したくなる。
ほめられると称賛を返したくなる。
ア○ゾンはけっこう姑息に通俗心理学の技を、
そうとは知らぬ作業員に用いている。
わたしはア○ゾンから91点をいただいた。
こちらが勤務地のア○ゾン川口FCをレビューするなら――。
・みんな親切。
・トイレも食堂もきれい。
・どうしてか若い女の子がいる。
・怒号が飛び交わない。
・作業中、トイレに行けるし水も飲める。
・今回、期間限定で時給が高かった。
・退院後、下手をしたら死ぬかもしれないわたしすぐに復職させてくれた。
・ネットにこれだけ好きなことを書いてもおとがめがない。
・友人にプレミアム会員のア○ゾンヘビーユーザーがいる。
以上によりア○ゾンの点数を発表する。

ア○ゾンは100点!

どうしてみんなそんなに他人の評価(レビュー)を
まるでア○ゾンのように気にするのでしょうか?
今日は休みだったのだが、昨日「入ってもいいよ」って。
建前は「お願いします」だが、
本音はたぶん「この高時給で入れるけれど、どうっすか?」
「ありがとうございます」とこちらからお願いしました。
いやさ、あはっ、お金があっても使い道は医療費くらいなんだけど。
17日に入院した病院の外来にまた行って、
そのとき採血、CT、投薬でおそらく今日の日給くらい持って行かれる。

どっちの意味かわからないふりをする。
1.お金をあげるから派遣先企業のことを書くな。
2.そもそも疲れて書けないだろう(昨日はそうでした)。
3.もうちょっと盛り上げてもいいよ。
まあ、おそらく1なのだろうが、意味がわからないふりをしておく。
2もそうで、疲れるとブログ更新なんてできない。

今日さ、職場である女の子と久々に目を合わせたら、
このバカ、書きやがって、なによ、なんなの?
そんな感じで多少(妄想的だが)甘酸っぱくにらまれて、
かわいいよかわいいいよ時間に正確な子はかわいいよ。
基本的に毎日がおんなじことの繰り返しでつまらないし、
女子はそういう話が好きだから、
むかしだったらこういう話で盛り上げられたけれど、いまは健康が。
だって、先月のはじめ腸に穴が開いて
死ぬかどうかの状態だったわけだから。

しかし、実際問題、今日はけっこう働いていたんじゃない?
昨夜は体調が悪く(実はいまも)21:30には強制睡眠に入っている。
18:00に3階に上がったら日蓮正宗のTさんがいて、
「いやあ、今日はずっと3階で楽ですよ」
とか言うから殴ってやろうかと思った(笑)。
またTさんの宗教勧誘が激しくて、また折伏させろって。
いつものように「かわいい女の子を連れてきたらいいよ」
って答えたら、「考えてもいい」。
え? それは勘弁してよ、本当になにか囲まれる感じじゃない。
ア○ゾン先生はレギュラーになるTさんに、
もっときついところを振ってあげて。

あの子の目はかわいかったな。あの子、あんな目をできるんだ。
因縁があるから接近したら脳内で変な信号が点滅する。
2回目以降は目を合わさないようにした。
何回目だかで行く方向をわざと避けたよね。かわいいかわいい。
劇――ドラマについてわかりやすく簡単に説明します。
多くの劇、ドラマの構造はこうなっています。
単調な日常に飽き飽きしていると、変な人が突然現われ波乱が生じる。
最後にその人物は去っていき劇は閉幕する。
ここで重要なのは、
毎日は本当におなじことの繰り返しでつまらないことです。
退屈で退屈でしょうがない。なんにもないじゃないか。
劇的なものが欲求されるのはこのためです。
「人間・この劇的なるもの」という古臭い名著がありますが、
ドラマを運んでくるのは人間です。
人と人が出逢い別れる――それがドラマです。劇的なことです。
退屈を解消するものであります。
しかし、秩序や安定は崩れません。
なぜなら、みんな劇的なものを望みつつ、
秩序や安定が崩れるのを嫌うからです。
秩序や規則は社会生活を営む上で重要です。
時間は守らなければなりません。約束は守るべきです。
なんでも大目に見てはいけない。
それから新来した異端者がとどまってはいけません。
去らなければ劇が完成しない。
いつまでもホリデーではいられない。
やはり安定、秩序、規則は大切であります。
人生は芝居ではない。
この劇構造の教科書のような名作がウィリアム・インジの「ピクニック」です。
いまでも名前を覚えているミリーという女の子がよかった。

(関連記事)
「ピクニック」(ウィリアム・インジ)
ア○ゾンさんは(少なくとも川口は)
クリーンなイメージを打ち出そうと一生懸命。
入口からクリーン。トイレもクリーン。食堂もクリーン。
警察から救命処置で表彰されたとか、そういう貼り紙がきらきら光る。
みんな仲良し。みんな楽しく働いている。会社は作業員のことを考えている。
スポットがよく行く2階の休憩室には、
倒れた人が出た場合の連絡方法まで貼り出されている。
しかし、いちばん入口から遠い3階の休憩室で、
ある貼り紙を見たときは吹き出しそうになった。
内容をメモしていないので、こちらの妄想も入っているかもしれない。
「いいか。おまえら、ア○ゾンを舐めるなよ。
ちょっとでも変なことをしたら、すぐ警察に突き出すからな。
どうしてそういうことができるのかって?
あらゆるところに監視カメラを仕込んでいるからだ。
おまえらがなにをしようとバレバレなんだよ。
ぜんぶ見えているぞ。
おまえの一挙手一投足はすべてア○ゾンの監視下にある」

ここでちょっと表現のレベルが下がる。
「棚にある食いものを勝手に食ったらそれはばれるぞ!」
おいおい、それはないだろう?
それともかつてそういうやつが本当にいたのだろうか? 絶対貧困。
まさに建前とは正反対のいい本音だなあ、とこの掲示には感心した。
どぎつい脅迫文めいた下品な調子が、
お洒落な女の子の腹黒さを見たような感激を催させたものである。

ところが、である。
2日前に行ったときにはあったあの「やばいもの」が今日にはなくなっている。
だれがあの「やばさ」に気づいたのだろう?
うちのブログの影響なんてないよね?
ちなみにわたしはあの貼り紙を見て、
ア○ゾンは休憩室やトイレ付近にも
監視カメラを仕込んでいるとにらんでいる。
休憩室で寝転がるなんてア○ゾンの怖さを知らない。
もちろん、階段にもあるだろう。
黄色いベストを着た女性が禁止されている荷物の両手持ちをしていたが、
ア○ゾンはすべて見ている。
2階、3階を何度も往復させられると、
わたしはア○ゾンさま、ご覧くださいと、
わざと演技過剰によれよれよぼよぼ手すりをつかんで階段を上り下りする。
俗に盗聴器と言われるところのマイクもついているだろう。
休憩室にも高精度のマイクはあると思っている。
こっちはスポットだからそうと知りながらも気楽になんでも話すが、
レギュラーはそれをうすうす知っているからか、休憩室でおしゃべりはしない。
そんなバカなことはしない。カメラがあるならマイクもあるぞ。

しかし、わたしはそんなア○ゾンが嫌いではないのである。
お金もいっぱいもらったし、見聞も広げられた。
なにより入院中の励みになった。ありがたかった。
入院中、職業を何度も聞かれたが、ア○ゾンって言うと通りがいいのよ。
ああ、知ってる、知ってる、あたしもプレミアム会員よって。
それにア○ゾンはやたら悪評が高いので、
あそこで働いたことがあるっていうとバカな話、ハクがつくじゃないですか?
あとア○ゾンに行くのは泣いても笑っても、あと5回だけ。
あそこでたまたま知り合った人とはもう一生逢わないだろう。
旅みたいな一期一会。旅みたいな出逢いと別れ。
きっと将来とても懐かしい想い出になることだろう。
そんなことを言っていたら、
来年(もう今年か)また繁忙期に時給に負けて行っちゃうかもしれないけれど。
そうしたら出禁を食らっていることが判明したりして(笑)。
明日からは感謝シーズンだな。
ア○ゾンへの感謝を込めて真心尽くして、、
お客さまに商品を迅速にお届けするお手伝いをしようと思う。
ア○ゾン、いろいろおもしろかったよ。話題のとこだしね。
昨夜、社会人として不適切な記事をいくつか書いてしまった模様。
謝罪して削除いたします。

今日、ア○ゾンで「査定」のようなものがあった
Hさんがなにかメモを取っていたが、なにをしているのかなあと。
わたしはふつうにピッキングをしていた。
そうしたら、わたしのピッキングの評価をしていたという。
評価は「声出しはいいが、遅い」――。
わたしは棚のなかで商品を探す癖があるらしい。
出しながら探したほうが早くなるとのこと。
最初と比べたら早くなっていると思ったが、まだダメかあ。

ほかのスポット派遣はどういう「査定」を受けているのだろうか。
そういう興味から休憩室で、知らない顔に話しかけてみる。
「ピッキングですよね?」
声が届かなかったのか無視されてしまう。
どこから見てもまともなふつうの30歳くらいのまじめそうな青年である。
また作業に戻る。
たまたまトート(オリコン)をドロップするタイミングが一緒になったときに、
その青年から話しかけられる。

以下、青年の言葉はすべてきっつい関西弁なのだが、
東京育ちのわたしにはうまく再現できない。
青年「おい!」
わたし「はい?」
青年「おまえ、さっきなんか話しかけただろう?」
わたし「あ、はい」
青年「おまえに出勤簿の行列に割り込まれたことがあってむかついていたんや。
失礼なやつやなあ」
わたし「それは、ごめんなさい」
気づかなかったが、彼がそう言うならそうなのだろう。
わたしが悪い。

青年「おい、待てよ!」
わたし「はい?」
青年「さっきなにを話しかけてきたんや?」
わたし「もういいです」
青年「いいやない。言わんか!」
わたし「ピッキングの査定みたいのがあったでしょう?
ほかの人はどう言われたのか気になって」
青年「そんなん、トレーナーさんに聞けばいいだろ」
わたし「そうですね」
怖いのである。逃げたい。
この後もなにか青年は言うが、マスクをしているため声がこもり聞こえない。
聞き返したら、青年が大声で怒鳴る。
「今度、おれに話しかけてきたら、承知しないからな。覚えとけ!」

どこから見てもふつうの青年に怒鳴られてしまった。
まあ、悪いのは一方的にわたしなのだが……。
あの顔は見た記憶がないから、いつもは違う部署にいるのかもしれない。
怖かった。久しぶりに震えが来た。
その後、彼と出くわしたらいやだなあ、と思っていたら、
ピッキングの最中ふたたび顔を見ることはなかった。
悪いのはわたしなのだから仕方がないのだが怖かった。
何事かと2階から女性トレーナーのMさんが飛んできたくらいである。
あるいはMさんが来たのは関係なかったのかもしれない。

そういえば帰るときに急ぎすぎたなあ、と謙虚に反省する。
今日はチャイムまで作業をした。
そうしたらカートを返す場所が満杯で置けない。
どうやら2階のカートが3階に来ているらしい。
どうして2階のが3階に?
だって、1回カートを離してから階段で3階に来るでしょう?
もしかしたらエレベータかなんかで来たのだろうか?
わたしも最初にスキャナーに3階の表示が出たときはわからなかった。
聞いたら、あの人は、教え方が、まあ、その、人はいろいろね。

ア○ゾンのアンケートにも答え、19:20の第1便のシャトルバスではなく、
19:30のほうのバスに久しぶりに乗車する。
レギュラーの古株男性が
車中、女性の品定めをしている会話が丸聞こえでおもしろかった。
みんな人の噂話が好きだよねえ。
大声で怒鳴って来た青年にはもう一度謝りたいが、
話しかけちゃいけないみたいだからやめたほうが賢明だろう。
悪いのはわたしである。

そうそうHさんから「ミッシング処理」(棚にない商品を処理すること)
の許可を得たので、一段、レベルアップしたようで嬉しい。
でも、本当にしていいのかな?
休憩室で大学生のMくんと話す(「くん」と書くと男とわかる)。
かわいい要領のいい男の子。
もう一流企業に就職が内定している。
あと今日を入れて4回のシフトだという。
「見えない?」
「なにがですか?」
「美しい世界が」
「はい?」
「もうあと3回だと思うと、このア○ゾン倉庫が美しく見えない?」
「え?」
「もう見ないと思うとなにもかも美しく見える」
「――(Mくん、困惑)」
「どこに行くんでしたっけ?」
「はい?」
「卒業旅行」
「フランス、ドイツ、チェコ、1週間で」
「どこの観光名所に?」
「男同士なので、その場で決めようかと」
「喧嘩になるよ(にやにや)」
「なりませんよ」
「携帯(スマホ)持って行くの?」
「はい。でも、あっちはワイファイがあまりないようで」
「つまらない」
「え?」
「スマホ、つまらない。わからない。人に聞く、そこからいろいろある」
「――」

説得力がないのひと言で、わたしは仕事がわからなくて
大学生のМさんにいろいろ聞きまくりだったのである。
彼は家が裕福なのかわたしよりも行った海外の国が多い。
いちばんお世話になったのは彼かもしれない。
初回、女性トレーナーがかわいい男の子の彼ばかり見て話すのよ。
嫉妬したくらい、
彼はかわいくてイケメンで優秀で性格がいい理数系のトップエリート。
わたしなんかとお付き合いくださり、ありがとうございます。

本当はフランス、ドイツ、チェコよりも、
この川口のア○ゾン倉庫のほうが美しいとも堕落中年は思う。
ア○ゾンが宗教じみているのは、独自の用語を説明しないで使うところ。
ほら、創価学会も独特の四字熟語を連発するじゃない?
アウトバウンド、インバウンドってなに?
出荷、入庫のほうがわかりやすいじゃないですか?
シェルフストーってなに? シェルフピックってなに? 
棚をシェルフっていうのがそんなにかっこういいのですか?
ICQAってお困り屋さんみたいなもんでしょう。
パックは梱包。エフシーは荷卸し。
エスティーアイはなんの略だかわからない。通称ランボー。脱落者おおし。
エーアールもなんのことだかわからない。ここは日本ちゃいまっか?
わかっている人はわかっている。
朝礼で不明な点はエスカレ、と言いかけて、
上に相談してください、と言い直した。
エスカレなんてア○ゾン業界用語は、
よほどア○ゾンを調べて好奇心もふくめて入ってきたような我輩しか知らん。
ちょっと実験的なことをしてみよう。
職場のア○ゾンでは
インフルエンザ(ってなに?)予防のためのマスクが推奨されている。
みんなわかっていることだが言わないが、
マスクをすると声はほぼ聞こえない。
ただでさえみんな声が小さく何番に行きますと言われても聞き取れないが、
マスクなんてされたら、なんかノイズがあったなあ程度。
というか、「何番に行きます」は聞き取れないのが当たり前。
昨日、大柄の礼儀正しい男性が大きな声で「何番に行きます」
と言ってくれたときには、すべて了解して、この作業を楽しいと思った。
わたしもなるべく大声で相手の耳に向けて言うようにしているが、
病み上がりゆえ疲れるとそういうのもままならない。
それから新人相手に「何番に行きます」と行ってもかえって混乱させるだけ。
だれがどうだかわからないので、
わたしは相手を戸惑わせないように、
近づくときは、本当はしちゃいけないのかもしれないが、
カートから離れ、そろりそろりインチキ笑顔で目標の棚に近づく。
モクモク作業でミスをするのは人がそばにいるときである。
ア○ゾンをよくしようとか、変えようとか、
そういう思いはなく、笑いませんか? 微笑みませんか?
あそこはそこら中に監視カメラがついているらしいけれど、
わたしはいつも「やれやれまあさ」といった感じでは?
規則は規則だけれど、それは正しいけれど、
わたしみたいに(ほかにいるか?)
倉庫内に絶対禁止の携帯電話を持ち込んちゃうバカもいるわけで、
だから笑うほかないではありませんか?
上は現場を知らないし、下は上層部の苦悩を知らない。
エスカレは最適解ではないが、せめてものエスカレ。
みんなどれだけ対人ダメージを負ってここに来たのかと疑うほど、
それほどのモクモク作業だが、
ときには作業中に笑ってもいいではありませんか?
学会ファンのわたしと
日蓮正宗の52歳Tさんが仕事中に1秒だけふざけあっている。

Tさんが運悪く、商品のない棚に当たってしまい、
あせってスキャナーを何度も鳴らしている。GHエリア。
おそらく上のはからいだろう。いや、ア○ゾンの人工知能さまか?
そのすぐ横にわたしが行かされる。
もうわたしはニヤニヤしているわけである。
「Tさん、どうしたんですか?」
と言いながら自分のピック商品はすぐ見つかり、ラッキー。
「商品がないんですか?」
Tさんは無言。たぶん本音は、うるさいなあ。
わたしはTさんをからかう。
「エスカレしましょうよ。エスカレ。
あはっ、でも、もうHさんは帰っちゃったからだれも来ませんが、あはっ」
「わかった」
「なにが?」
「商品は土屋さんのポケットの中にある」
「なーに言ってんだか。Tさん、ピッキングの才能がないんじゃないんですか?
ほうら、わたしはすぐ見つかった(悪ふざけのジョーク)」
その瞬間、事態が動く。
Tさんのスキャナーの画面が切り替わったらしい。
上がTさんが困っていることを知り、それをないことにしたのである。
Tさんとわたしは、顔を見合わせて笑った。
ふたり、笑った。
「少女ミステリー倶楽部」(ミステリー文学資料館編/光文社文庫)

→自意識過剰は14歳くらいの少女だけに許される期間限定の行為である。
自分をどのキャラにもうまく同化できないで、
かといってメンヘラや不思議ちゃんというキャラもいやで、
そうなると学校に行けなくなるのだが、
いざ学校へ行かないと今度は不登校児のキャラになってしまうので、
それもいやだっていう。
男全般、男の自意識過剰は恥ずかしくて目も当てられないし、
おばさんの自意識過剰は厚かましい。
わたしは職場にこんなアクセス数50人(1日)の過疎ブログが
ばれているのではないかという
自意識過剰な面もまだかなしくも残存しているが、
しかし、やっと大人になった部分もあり、
「食いつめて高時給に目がくらんで短期仕事に応募したものの、
単純作業の仕事でさえろくにできない恥ずかしさを自覚しながら、
にもかかわらず厚顔にも気づいていないふりをする痴呆的微笑が売りだが、
それがちっとも売り物になっていないほど落ちぶれ果てたおっさん」
のキャラにおのれを溶け込ませている。自意識過剰だなあ。

まあ、ユング的な意味でだれのこころにも自意識過剰な少女がいるのよ。
いまの職場である女性トレーナーが休憩時間に
スポット派遣がたくさんいる休憩室に入れないで、
入ろうとしてターンして外に出たときは年齢にそぐわない少女を見た。
おなじトレーナーがなにに悩んでいるのか、
休憩室でうつむいて暗い顔をしているときにも不安定な少女を見た。
わたしに休憩時間に入るのが早いと走って飛んできて注意した女の子が、
ああ、あんなことしなきゃよかったと休憩室で寝転んだり、
わざとわたしに聞こえるように
こんな会社はひどい会社と会社批判を始めたときは、
自分を持て余しているようで、いま思えばかわいい少女だった。
円形脱毛症になるほど、
思い悩むまじめな中年男性のなかにも少女はいる。
ほとんどの自意識過剰は醜いが、少女のそれだけは美しい。

本書は少女を題材にしたミステリーのアンソロジーである。
どれもわからなかったことがわかり善悪がはっきりする話で、
少女的なるもの、少女性、処女性、
いわば不可解な自意識過剰とは相いれない意識が明瞭とした小説であって、
そのぶん読み物としてはおもしろい。
いちばんを挙げれば木々高太朗の「老人と介護の娘」である。
没落した名家の美少女が、
元は法律学者をしていたという高齢男性の家に破格の条件で雇われる。
両親思いの娘さんはお金がない自家のことを思って、
意にそぐわない住み込みの介護の仕事に就く。
明文化はされていないが、明らかに下半身の世話も求められていた。
糞尿の世話という意味ではもちろんなく、男と女の関係のことである。
当然、男を知らない生娘(きむすめ)の
まじめな少女には覚悟のいることだった。
ある日、老人が寝床で死んだ。どういうわけか?

娘さんは晩にマッサージのためにという理由で老人の寝床に呼ばれていた。
いよいよ女になるのかとどれほど生娘の少女は緊張したことだろう。
それを覚悟のうえでの住み込みだったのである。
ところが、指一本、清い身体に手を触れられることはない。
男はうつぶせになっており、少女はそのうえにまたがり、
肩から首を手でマッサージするのである。
今日はされなかった。でも、明日はされるだろう。
いったいどんなことをされるのだろう。
少女はこっそり自室でおのれの裸体を姿見(鏡)にうつしてみた。
むろん、性行為をまったく知らないわけではないが、
小説で読んだことがあるだけで、
そのとき身体が火照ったのを覚えている。
あのときポカっとしたのはどこだったか。
今日こそは自分は女になるのだろうと思って寝床へ向かうが、
なにもされない日々が続く。
名家の子女でまじめで本をよく読んでいるから、いろいろ考える。
自分になにか落ち度があるのではないだろうか。
また衣服を脱いで姿見のまえに立ち、おのれと向き合う。
身びいきなのは知りつつもあたしは美しいと思う。
なぜ男は手を出してこないのだろう。
マッサージの仕方が悪いのだろうか?
相手のうえにまたがり胸を押しつけ肩から首を手でもむ。
男は「もっと強く、強く」と言うだけである。

老人の死因は絞殺。検事の判断は不起訴。事件性なし。
検事の推理を聞こう。

「想像ですから、気にとめないで下さい。
つまり股を開いておしつけ、手は首にかけて全身の重みがのったので、
想像では、オルガスムスが来たのでしょう。
少女の、最初のオルガスムスではないでしょうか。
それで時間をすっかり忘れ、忘我の境になったのではないか――と」(P260)


死んだ老人の長男はそれを聞いてこう言ったという。
「――ハテサテ、では老人も満足して死んだでしょう。
父としては、それは色っぽい大往生でした」
そう言うと、男だけがわかるひくい笑い声を立てた。
いまア○ゾンの川口倉庫で働いているが、ローターが本当によく出る。
1時間に10個以上ローターばかりピックしたことがある。
お買い上げありがとうございますだが、
職場や仲間内では社交家ぶって、
自宅や自室では自分の世界に耽る女性の内向的な少女性っていいよなあ。

大学生のころ、水道橋のコンビニで夜勤のバイトをしていた。
気に食わない先輩がいた。
日大の音楽系のサークルの人で、ビートルズが好きだと言っていた。
あのころのコンビニは妙な音楽が流れていた。
一度聞いて忘れられない曲があった。
この曲はなんですか?
数日後に日大の先輩にメロディーを口笛で吹いて聞いた。
それが「もしも明日が」だった。
彼をはじめて先輩だと思った。

よし、いいことを引き寄せるぞ。
今日は社食でおいしいアイスが出て嬉しかった。
気づいたら痩せていたようで、ワンサイズ下のジーンズが入った。
かなりお腹が痛かった気がするけれど、
ちゃんと最後まで働けてよかった。
わたしのピッキングのうまさ(そんなものあるのか?)ってどのくらいなんだろう?
無駄に背が高いからG棚の奥まで見える。
2階と3階を5、6回往復させられても、フンと斜に構えていられる。
今日は20:30に帰宅してシャワーを浴び21:30のいまから就寝。
明朝は5:30起床予定。
お腹が少しでもよくなっているといいなあ。
明日はきっともっといいことが起きるような気がする。
いや、引き寄せてやる。
それではみなさん、おやすみなさい。