「書物との対話」(河合隼雄/潮出版社)

→「どっちも正しい」ことが理解できない人がいるじゃないですか?
常に唯一の正解があると信じているような。
人生をセンター試験の選択肢のように考えている。
かならずなにか正しいことがあると信じている。
「どっちも正しい」ことがあるなんてイヌがニャンと鳴くようなものだ。
わたしが河合隼雄から教わった最大のことは「どっちも正しい」ことはある。
夫婦喧嘩、離婚訴訟なんて「どっちも正しい」「どっちも悪い」なんだから。

「私が読んで感激するのは「純」と名のつくような文学ではないのである。
ともかく下世話なことに関心が高いのだから、これも当然のことで、
そのような自分の特性? を生かして、
心理療法などという仕事をすることになった。
嫁と姑の戦いとか、三角関係とか、
(もっとも、大学時代は三角関数の方を学んでいたが)、
一般には犬も食わないと言われていることに、
一所懸命にかかわってゆくのである」(P58)


まあ、いろいろな見方が世の中にはあるもんだ。

「文学作品は傑作であればあるほど、いろいろな「読み」を可能にする。
私は私の勝手な「読み」をここに書かせて頂いたが、
読者の方々は、それぞれ自分なりの「読み」をされることだろう」(P71)


いろいろな人がいるのだもの。
「絶対的真理はない」は河合隼雄の名言のひとつだが、
河合の師であったユングは、
かなりエキセントリックに自分の絶対正義を主張する人であった。
それを疑問に思った河合に、ユングの高弟のマイヤーはこう言ったという。
ユングは絶対真理、唯一真理を説いているようではないか。
質問にマイヤーはこう答えた。

「彼[マイヤー]は、「お前の疑問はもっともで、
もちろん個性化の方法は他にもあると思う。
ユングは自分の方法を唯一のもの思っていたらしい」と言った。
そして、「自分の方法を唯一無二と思わずに、
パイオニアの仕事が可能だろうか」とつけ加えた。
これはまったく味わいのある発言であると思う」(P299)


わたしは浄土宗の法然や彼を批判した日蓮を思い返した。