みんな悪人だと怒る人がいる。
わたしはなぜか善人に恵まれるが、どうしてなんだろう?
わたしなんかと3時間以上おしゃべりしてくれる人がいるのよ。
そのとき気づいた。
わたしは自分を悪人だと思っている。善悪は相対関係。
こちらが悪を自認しているから、周囲が善に見えちゃうのか。
なんでみんな崩れた壊れた歪なわたしなんかに親切にしてくれるの?
創価学会だと長らく思っていたが、どこの組織? まったき偶然なの?
外食以外、家ではフライもの揚げ物を食べない。
なぜならそうすべきだからだ。
酒は飲むときは飲むが日本酒3合まで。
そうすべきだろう。
日本語はわたしが思うようにすべきだ。
それが正しい日本語。わたしは正しい。
なぜなら世間はそうなっているからである。
チェーン店の店頭カツ定食を、
憧憬の目で眺めていた男はかっこうよかった。
うっとり男の禁欲、努力主義に惚れた。
好きなようにしない。
世間を知れ学べ。これが世間だ。わたしが世間である。
「あたし」は「私」にすべき。
「かわい」は「かわいい」、「可愛い」ならより可。
「文尾」の「お」はカット(すべき)。
「けれど」という語尾は正しくないから、
要訂正。世間を知れよバカ女子高生。
すっぽんだかにんにくが大量に入った、
あなたの健康がめちゃくちゃになりますよというカップ焼きそばを
オーケーで贖い平らげてしまったわい、まい、らいふ。
めちゃくちゃにしたいは、めちゃくちゃにされたいなんだなあ。
めちゃくちゃにしている男、自由。
めちゃくちゃにされている女、自由。
なにものからの解放。
めちゃくちゃにされて喜ぶブラック社員、なにものからの解放。
家族をめちゃくちゃにして自殺する女、なにものからの解放。
ああすべきだったのに、なにものからの解放。尾崎豊でした。
孤独だから愛されたいは、コントロールされたい。
家族がほしいは、コントロールされたい。コントロール願望。
なにをしたらいいかわからない。だから、コントロール願望。
好きはコントロール願望。
好きにされたいも、反対側のコントロール願望。
精神科医の春日武彦先生に会いに行って、
男のコントロール願望にしたがいたい。
めんどうくさいのだもの。
あっちはそれを嫌うのがわかるから好きなのだが。
宗教じゃないところ。
「ハムレット」のツービーオアノットツービーは誤選択提示、べき思考。
ビーフリー、スーパーフリーもあった。
「マクベス」のフェアイズファウルも二選択の誤選択提示っぽい。
どうしたらいいのか考えると、
人間は二分法の誤選択提示に行きついてしまうという罠がある。
ならAI(えーあい)はいいのかって、あれは二分法の究極形だわさ。
空海は密教か顕教かの二分法の誤選択提示。
最澄は仏心仏性の有無の二分法誤選択提示。
法然は難行か易行(念仏)かの二分法誤選択提示。
親鸞は自分を信じるかどうかの二分法誤選択提示。
日蓮がまずしたのは、念仏か題目かの二分法的な誤選択提示。
そこが間違えているが、それは言葉(二分法)では言えない。
微笑みの世界。
ある言葉が現実を妙に生彩にするという現象がある。
むかしは春日武彦先生にご著作で教わった「ゴントロール願望」。
コントロール願望はかなり世界がくっきり見えるサングラス。
最近ある人(秘密)から教わったのは「べき思考」。
この言葉を世界に当てはめたらクリアになる。
怒るのもべき思考。悩むのもべき思考。笑えないのもべき思考。
しかし、べき思考がなかったら、この世は犯罪だらけ。
電車もまっとうに動かない。
行政も医療も世間もべき思考でまわっている。
善人であるべきだ。約束は守るべきだ。こうすべきだ。
フリーロスだがアイニージュー。
原作漫画のファンだったものには、
ジャンルの違いを考えさせられる映画。
小説<漫画<映画<ドラマ<ネット――。
この順番でよくも悪くも大ざっぱになる。
映画は尺があるし漫画のように細かいことを描けない。
原作ファンはあの配役はないと思うが、
見終わったらあれもあれでいいのかと。
だって、現実、漫画のような女子高生はいないわけだし。
映画は漫画よりもリアリティーを必要とされる。

いちばん難しいのは、
かわいい女子高生がなぜ冴えない中年男を愛するのか?
そこで原作漫画は文学のバリューを使っていたような気がする。
中年男が文学オタで精神的に深い、みたいなさ。
現実の女子高生ってみんなバカでしょう?
だけど、マーケティングの王道は女子高生。
おれみたいなダメなおっさんでも女子高生映画なら見るからかなあ。
この映画は長い原作漫画をうまく料理していたと思う。
しかし、おれのなかの女子高生はそうではない。
なるべくみんなの女子高生を描こうとした本作の苦心には敬服する。

これ作った人だれなの? おれんなかじゃ「万引き家族」より上よ。
学園お色気きわものコメディー。
セックス行為はないのだが、そこがいいわけ。
そこにいたるまでのモンモンとしたモヤモヤ、ウジウジ青春ドキュン!
美人の英語教師が男子学生に教わった口淫のやり方を
廊下を歩きながらまじめに練習をしているんだけれど、
そんなこと実際にないからこそいいのよ。それをどうこういうのは野暮。
オタクの男の子が同級生のリアル女子高生の秘唇を見てしまい、
いわば現実を知って
失神するところなど本当にいい(これは原作漫画にもあったシーン)。
美人局にだまされる男性教師も味があっていいなあ。
どこか文部省的気配もおふざけお色気のテイストをよく出している。
隠し味ってやつだ。
うん、おれのなかのカンヌだ。
おれのカンヌをやる。
いらないだと? もらえるものはもらっておけ!

カンヌの是枝裕和監督の芸術作品。
日本人があれ取るのってすごいんでしょう?
むかしから映画を見る習慣がなく、
大学時代に原一男教授の映画のゼミを取ったのがきっかけで、
そのときたまたま上映していた是枝裕和監督の
「ワンダフルライフ」を見てえらくおもしろく、
バカな早稲田の学生らしく「あれ、おもしろかったです」と教授に言ったら、
「あれはダメだ」――。
どうしてですか? って聞いたら「ダメなものはダメだ」。
「見たんですか?」
「見なくてもわかる」
活動屋、映画世界は怖いと思ったものである。

映画「万引き家族」は心理学の「べき思考」で説明すると納得する。
万引きはすべきではない。
大人は働くべきである。
子どもは学校に行くべきだ。
男女が一緒にいたら婚姻関係を結ぶべき。
映画では最低30分経過までに登場する人物の関係を説明すべき。
映画は観客を楽しませるべきもの。

こういう「べき」をすべて壊したのがカンヌの「万引き家族」。
1時間見ても、登場人物同士の関係がわからないんだよ。
最後まで見ても物語がよくわからなくネットでチェックする始末。
よくこんなのを是枝裕和さんは作れたなあ。
これにカンヌを与えた世界も、
地上波で10パーセント超えしたわが同胞にも畏敬の念を覚える。

すごい映画を見た。
スーパーで万引きしちゃうと思ったら、他家の子どもも万引きしちゃう。
すぐに仕事を辞めてしまう。
昼からだらだらソーメンでビール。女から誘ってふしだらなセックス。
きもちええがな。
女子高生は学校に行かないで、触りなしの風俗店で働いている。
らくしてもうかるがや。
ばあさんが死んでも国に報告しないで、庭に埋めちゃう。
まあ、いいんじゃん、当面は。
発覚しなければ、先を考えない。いまだけ主義。
そしてそして、これらの人物は一緒に住んでいるが家族かどうかわからない。
そしてそしてそして、いいかげんな生活がけっこう楽しそう。
最後は公権力から誘拐と死体遺棄の罪で罰せられる。
え? でもでも、え? おれたち楽しく過ごしていたんだけれどなあ。
それでダメなの? え? え? どうして?
実際は「万引き家族」がみんなで
孤独老人やリストカット少女、虐待児童を救っていた。
助け合っていたと見えなくもないが、
それは公的にはやっぱりダメなんだあ。
捕まっちゃったよ、アハハ。

大人は働くべき。
子どもは学校に行くべき。
女子高生は風俗店で働くべきではない。
万引きはすべきではない。
親は親らしくすべき。
男は男らしく、女は女らしくすべきである。
正しい日本語を使うべきだ。
セクハラやパワハラ、モラハラはすべきではない。
家族はこうあるべき、社会人はこうすべきという規範がある。
しかし、それが本当の幸福かなあ?
是枝裕和監督は早稲田大学第一文学部文芸専修を卒業したスーパーフリーな人。
おもしろくはないが、こころに残る作品ではあった。
これを評価するものは、世間的に正しいふるまいをしていると思う。

最近の邦画だと思う。最近が10年になっちゃうのがおっさんだから。
恋人を事故で亡くした傷心のピアニスト、
ガッキーが長崎の離島に音楽教師として行き、合唱部を指導する。
生徒の傷をいやすことでおのれの傷もいえるという王道パターン。
こういうのを見たかったのだから、それを製作できるのはすごい。
現代版の「二十四の瞳」という前宣伝だった。
どうして「二十四の瞳」は芸術なのに、こっちは商業なのかね?
あっちだって、元は商業でしょ? そもそも映画は商売やねん。
「二十四の瞳」と比べると「くちびるに歌を」はわかりやすい。
「二十四の瞳」は好きだが、
白黒だし、いまの子はストーリーに追いつけないと思う(実はわたしも)。
学童の顔がみんなおなじで、むかしの人ってあたまがよかったの?
「くちびるに歌を」は感動ポルノのようなわかりやすさがあってよい。
最後の合唱発表会は、
鈍感なわたしでもわかるほどの催涙プッシュ画面が続く。
しつこいといえばそうだが、いまはあのくらいやらないとわかってもらえない。
少なくとも映画オンチのわたしはわからない。
はじめてガッキーを見た。そして、忘れた。

最近のスウェーデン映画。ジェイコムで視聴。
30分くらいで限界といったんストップ。
ネットで調べたら大好評で、スウェーデンの人の5人にひとりが見たとか。
スウェーデンといえばこころの師匠、ストリンドベリの国。
ハチマキを締めなおして再視聴する。
スウェーデンのブルーワーカーが死ぬまでの回想記。
何度も自殺しようとして、そのたびに回想が入る構成。
最後は自殺ではなく自然死できてよかったね(なのか?)。
この偏屈なおっさんの人生唯一のエピソードは妻との恋愛結婚。
まあ、ふつうの人の人生ってこういうものなのか。
そのくらいしかないのが人生かしら。
映画サイトで絶賛されていたが、
よさをわからなかったのは結婚していないからかも。
この映画を見たのは、たまたまやっていたから。
それとタイトルにひかれた。
映画はまったくわからない。
書籍よりは多数派層を意識したメディアなのだろう。

台風が来たとき、日本映画放送チャンネルで視聴。
緊急速報みたいのが入っていないのがよかった。
福井の田舎女子高生が、全米のチアの大会で優勝するまで。
実話をもとにしているとのこと。

仏教的なことを考えた。
この映画は最初に全米大会に参加するシーンを出している。
前宣伝でも優勝していることを告知している。
最初からネタを割っているわけだ。

これって法然のほうの大無量寿経と一緒なわけ。
あれは最初から法蔵菩薩が阿弥陀仏になったことを書いている。
阿弥陀仏になったことを前提に法蔵菩薩の努力がアピールされる。
口汚いことをいうと、報われることがわかっている努力が描かれる。

この「チアダン」もかならず報われる努力。
顧問の先生が自己啓発本を山のように読みながら、目指せ全米チア!
創価学会的なノリはかなり大衆に評価されていた。
主演の広瀬すずはかわいかったが、もう覚えていない。
街で見てもわからない。

シナリオとしては本当にうまい。
こうすれば多数派に気に入られるという構成を極め切った職人の仕上げ。
広瀬すずとイケメンの高校生のラブをくどくなく描いていた。
サッカー大会の経費の削り方はうなった。
部長の子のエピソードも手短に、しかし効果的に描いていたと思う。
みんなから愛される映画だと思う。
それがいいのか悪いのかは、ともかく。

お色気学園コメディー。原作は漫画でなぜか読んだことがある。
これはバカにされる類の作品だが、
この低予算でこれを作れる関係者に拍手。
何度もバカバカしくて大笑いした。
昭和のエロ本的なサブカルのノリを特化した感じで、これはうまい。
しかし、12歳以上にならこんなお色気を見せてもいいのかなあ。
まあ、見ようと思えば小学生でもネットでなんでも見られる時代。
主役の女の子は元アイドルで、最初はありがちな顔だなと思っていたが、
見ているうちに時間とともにかわいいなあと。
もしかして映画の鑑賞方法とはこういうものではないか。
こんなことをこの年齢まで知らなかったとは恥ずかしい。
こういう映画を見て、これは現実じゃないと怒る人はいないでしょう?
もともとフィクションはそういうものだし、それが娯楽ってもの。
あんがい人を救うのって芸術作品ではなくこういうものかも。男性ね。

BSフジでやっていた、
去年のなんとか賞を取ったというドキュメンタリー番組。
関係者に迷惑をかけたくないから実名を出さない。
主役は、北海道の建築会社の社長さん。45歳だったか。
難病で医師から余命4年だかを宣告されている。
おそらく個人的に神との取り引きをしたのだろう。
善行として元受刑者を雇用している。
とにかく善人ぶっているところが、
テレビ的にわかりやすく、ある種の視聴者には不快だろう。
善というものは相対的な概念で悪を必要とする。
善人ぶった社長さんは、
おのれの善行のために悪たる元受刑者を必要とする。
いわゆる世間的な善行を否定するわけではないが、
自己顕示欲にはげんなりした。

自分は善であるからと元受刑者を怒鳴りつけるのも北海道らしかった。
寒かったということである。
代々の土建屋らしく社長さんはリッチで奥様もビューティフル。
派手なことが好きでむかしながらのファミリー経営。
社員はみんなファミリーみたいな。
元受刑者に渡すのは寮費を抜くと1日2千円だとか。
それで怒鳴る。尊敬されたがる。感謝を雇用者に要求する。
元受刑者を慈悲で雇ってやっても10人に9人は逃げると慈善家は嘆く。
それはあなたの人使いが問題では、
とはだれも余命宣告を受けたものにはいえない。
よく酒を飲んでいた。
思いのほか長生きして、それはなかなかいい人生なのではないか。
本人にとってのみだが、人間なんてそんなもの。
最近のドキュメンタリー邦画。
日系アメリカ人の禅僧が奇人、善人ぶっているが
じつは自分勝手なやつだったという。
禅でいう自由は、要するに自分勝手といえなくもない。
途中、監督と禅僧が喧嘩している。
どうやら老僧が命令口調になってきたのが原因らしい。
映画に出たいという虚栄心も、監督の表現欲もよくわからなかった。
結局、「死にオチ」で禅僧が死んで終わる。
この映画を禅僧がよみがえって観たら激怒するでしょう?
そういう映画を製作するのが芸術ってものなのでしょうか?
で、それを観て楽しむのが文化人?

最近のハリウッド映画みたい。ジェイコムで視聴する。
余命宣告をされたリッチなホワイトとプアなブラックが意気投合して旅をする。
「棺おけリスト」というものを作って、死ぬまでにやりたいことを消化していく。
90分程度と短く、想像以上に楽しめた。
日本のあるサイトの感想をぜんぶ見たが、
だれも指摘していなかったのはプアブラックの宗教的安心。
宗教はある程度の無心、痴呆性を要求されるが、
あの安心は金では買えない。
人を救うこと。だれかを助けること。人を喜ばすこと。
そういう意味のことがリストに入っていたことには宗教の意味を考えさせられた。

もちろん、考えてみたのは、自分の死ぬまでにやりたいこと。
ないんだよなあ、これが。
世界一周旅行とか飽きるだろうし、めんどうくさい。
タージマハルなんか死ぬまえに観ても大したことはない。
久しぶりのわかりやすい英語が耳に心地よかった。
レット・ウォーター・テイク・ユーとか言っていた。