旬のものはおいしい。
今年の9月に横田増生氏の「潜入ルポ amazon帝国」が上梓。
渦中というか、火中というか、やっぱりわたしは変なものを持っている。
今日は1日、風邪を引いているし、することもないので、
派遣先企業についてネット調査。調査というより下世話な好奇心。
ジャーナリストの横田増生氏の著作は一部ネットで読める。
氏はさすが天才ジャーナリストというべきか。
たった2週間の潜入取材で、
そこまで断定する左翼的な思考枠組(パラダイムとかいうんですか?)
は新鮮だった。わたしは左翼も右翼も創価学会も敵に回したくない。
おいしい思いがしたい快楽主義。
いちばんいいときにいまの派遣先企業にもぐりこんだのかもしれない。

わたしは2ヶ月、
いわば潜入するのだから氏よりおもしろいものを書けるのではないか。
しかし、こちら真実を告発するとか正義みたいなジャーナリスト精神は皆無。
そもそも真実は人の数だけあると思っている。
風邪はあと1週間、2週間、後を引くような気がする。
月火木金のシフトなのだが、
大晦日は入れるが元日は入れない。
元日には社食で餅つきイベントがあるらしいので、
お願いしたら入れてくれるかしら。
そういうのってお金を払っても見られない貴重なイベントよ。
1月1日を盛り上げようとする社員や社食と、
それをシラーっとした視線で眺める、
正月からここで単純作業かよ、
という思いの勤労者の対比を目撃したくもある。
けれど、5日連続労働は辛いのかな。
ネットでうまいと評判の200円カレーだが、
本場仕込みの舌はスキャナーの不快音をPPPP(間違っています)。
これは完全な風邪だろう。
咳をしたときの頭痛の感じ、お腹の下し方はまさに風邪。
とにかく身体が動かなくて、
川口駅発シャトルバスの最終便に発車3分前に乗車。
あわてた。バス車内から見る朝の光りがまぶしかった。
前日研修を受けたストー(商品を棚に入れる作業)だが、
トレーナーは直接的な表現は使わなかったが、
まあ知的障害者でもやれる簡単な作業であると。
おそらくミスを連発したのだろう。
白いスタッフジャンバーを来た社員がすっ飛んできて、
「土屋さん、いますぐピッキングに行ってください」。
あまりにも単純な作業はできないようだ。
やっているうちにどうでもよくなってしまう。
ピッキングは、ほほう、アダルトグッズが異常に多い。
そんな発見もあって、にゃはっ、とほくそ笑むことがある。
オナホ、バイブ、ローター、SMグッズ、包茎矯正リング。ほかにもいろいろ。
まあ、とりあえず風邪のせいにしておく。
もちろん雇用者だからストーをやれと言われたらやりますよ。

わたしとおなじでさっそうにストーをおろされ、
ピックに行かされた50過ぎのおっさん。
Tさんと同病相憐れむ(ストーができない病)で慰め合う。
Tさんは深刻に悩んでいたのである。
いまは短期だが、ここでがんばれば、
雇用を継続してもらえるのではないか。
それなのにこんなミスをしてしまって。
「ずっと働きたいんですか?」
「うん、時給いいし」
「これは1/18までの期間限定価格ですよ。あとはがくっと落ちます」
「そうなの?」
「繁忙期特価というやつです」
「次の仕事決まるかな?」
わたしは満面の笑みを浮かべながら答えました。

「大丈夫! Tさんなら、絶対大丈夫!」
朝、起きて、身体、痛いよ、動かないよ。
やはり昨日「休む」と言っておけばよかった。
おへその下のほうが歩くだけで痛いんだから。
シャトルバスに乗りながら、倉庫についたら、
派遣会社の人に、ここまで来ました。もう限界です。
そう言おうと思っていたら、いない。
天へなにかが通じたのか、はじめて部署を代えられ、最初は座学。
それからも体力消耗度の低いトレーニング程度。
それでもこっそりふらふらしていたが、一応10時間勤務。
明日もストーらしい。
なんとか行って、土日でしっかり休んで、健康を戻したい。
今日のことは忘れられない日になるだろう。
来年の秋とかしんみり思い出しそう。
1日、横になっていたが、寒気がするからこれは風邪も入っているのか。
それとも単に気温が下がっただけなのか。
16時くらいに、「明日休ませてください」と言おうか心底迷った。
しかし、そんなことをしたら代わりの人を急遽見つけなければならないから、
お世話になった派遣会社に迷惑をかけてしまう。
しかし、現場で倒れたりしたら派遣先企業に迷惑をかけてしまう。
1回休んだら、そのままずるずる行かなくなってしまいそうなので怖い。
あのエスカレ倉庫で死んだ人も、こういう葛藤があったのかもしれない。
昨日トレーナーがさ、棚に商品がなかったら、
かならずエスカレしてくださいって。
あの会社の特徴の、エスカレをなまで聞けてちょっと嬉しかった。
おとといわたしの指導教官の女性トレーナーをはじめて名前で読んだら、
ちょっとびくっとして「うわっ、おもしれえ」とか思っちゃった。
3人のトレーナーの名前は覚えた。
大丈夫かな明日、この体調で行って。
こういうのも後には浮き世のいい思い出になるのだろう。
職場の朝礼でこういった意味の唱和があった気がする。
「生きて元気に帰る」
昨日はもう8回目だから、
初回と比べたらかなりピッキングも早くなっていると思う。
それがいけないのか限界までやっちゃって、
最後のほうは燃え尽きていた。
帰宅時なんか下り階段で転ぶんじゃないかと、
手すりを握ったくらい。
ふくろはぎがつる。腰、膝、肩、肘が痛い。
これは内臓系かへその下あたりも痛い。
帰ってほとんど酒も飲まずに、すぐ横になったくらい。
会社の人は悪くない。なんと入ってから一度も急かされたことがない。
作業中、トイレに行っても水を飲んでもいい。
だから、自己責任ということになるのか。
でも、なんかプライド的に早くやりたくなっちゃうんだよね。
で、実際スピードは上がるからもっと上を目指してしまう。
今朝も足がつったり、そもそも起き上がれず、さんざんな状況だった。
明日出勤できるのかと思ったくらい。
いまの感じだともうひと晩寝たら少しは復調しそう。
自分のペースを見つけなければ。
人間にとって、なにをしていいかわからない状況は、ある意味で恐慌。
いまわたしはとりあえず来年の1月半ばまで、
現職場で働くという約束があるから、
それに向けていればとりあえず(2回目)なにも考えずにいられる。
とりあえず(3回目)クリスマスも正月も越せるだろう。
今日なんかもかなり危なかったが、
明朝7時過ぎに川口のバスストップに行くために必要なのは、
衣類の洗濯、それからたまった食器を洗うこと。
いますべきことは明日、川口に行くことを目標としたらいい。
うまく寝て、うまく起きればいい。最低限、約束は守りたいじゃん。
匿名からコメントがあって、あんたのことは会社に通報した。
解雇か告訴だろうって。
いやになってすぐ消したが、そういう監視カメラ社会は息苦しい。

しかし、あれはウソだろう。
だれがわたしなんかに興味があるのかって。
ブログのアクセス数も減るばかり。
それを気に病んでいるわけでもなく、
山田太一さんの本から教わった「だれもあんたなんかに興味はない」
を再確認して、そういうものかと変な安心を得ている。
明日7時くらいに川口駅に行く。
そうして勤務は7回目。
わざわざわたしなんかお雇いくださったのだし、
それにどうやら日本物流社会の悪習「早帰り」「早帰し」はないようなので、
(注:早く作業させて労働者を早く帰し給料を下げること)
可能なかぎり早く正確にピッキングする。
まあ、急ぐとミスが出るのだが。

休みの今日ピッキングのマニュアルを読んだら(時間外労働!)、
そういうことだったのかとわかった。
どうしてこれを初勤務のときにくださらなかったのか。
EFエリアはトートをふたつ使用していいのか。
ひとつのトートが終わったらFエンターか。
で、ふたつめを使えば生産性は高まる。
もうひとつのほうのマニュアルもほしい。
もう老いたし生産性の自信はないけれど、教科書はあっても困らない。
いまの目標は明日のことだけ。
そうすれば来年のこと、八王子菩薩のことは忘れていられる。
「味覚小説名作集」(大河内昭爾:選/光文社文庫)

→いわゆる文豪の食いもん小説のアンソロジー。
岡本かの子の「鮨」は何度読んでもいい。
いまのグルメ番組の根っこにある人情スタイルの元祖はこれだろう。
食はカロリーでも糖質でもインスタ映えでもなく物語である。
糖質制限中毒、糖質制限絶対正義の創価学会、
宮本輝はいくらお金を持っていても鮨(すし)を食えないんでしょう?
銀座の「久兵衛」でなくても、チェーン店「くら寿司」でも、うまいものはうまい。

このアンソロジーの「鮨」に次ぐ作品は矢田津世子の「茶粥の記」。
事前情報なんてぜんぜん得ないで読んでいるから驚いた。
最近の小説かと思ったくらいだ。
矢田津世子は、いまわたしが気になっている坂口安吾のイロ(恋人)で、
超絶美人ではないか。
矢田津世子なんて聞いたこともなかった。
人間の嗜好ってなんなのだろう?
たまたま「いいな」と思う書いた小説を書いた人が、気になる作家のイロ。
まったく(アマゾンのレビューのような)先入観がなくて読んで、
それでいいと思った小説を書いた人が矢田津世子という人で、
だれでもいいが、ちょっと気になって調べてみたら坂口安吾のイロかよ。
摩訶不思議なりミステリー。

矢田津世子「茶粥の記」は早逝した夫を妻が偲ぶという物語。
世間的にはつまらない小役人だった夫はやたらグルメに興味を持っていた。
食べてもいないもののグルメ記事を、さもうまそうに書くのである。
あたかも実際に食べたかのようにである。
そもそもからして食が大好きで、それを語る饒舌はみな舌を巻いた。
なかには実際に食べたと思っていた人も大勢いたが,
妻の自分は本当のことを知っている。
夫は法螺(ほら)を吹いているだけ。
しかし、その法螺話は現実よりも現実らしい。
現実に美食を口にするより、未体験の夫の美食談を聞くほうがおいしい。
あるとき夫はこう言った。

「想像してたほうがよっぽど楽しいよ。どんなものでも食べられるしね」(P51)

夫の死後、妻ははじめて小役人の旦那の書いたグルメ記事を読み思う。

「良人(おっと)の文章はまだ続いて、
土佐の「鰹(かつお)のたたき」のことが、
その料理の仕方まで懇切に述べてあるのだった。
読みながら清子は、
「嘘ばっかり、嘘ばっかり」
と見えない良人を詰(なじ)った。
食べもしないくせに嘘ばっかり書いていると
肚立(はらだ)たしい気分になったが、
しかし不思議に良人の文章から御馳走が抜け出して次つぎと眼前に並び、
今にも手を出した衝動に、
清子はつばが出てきて仕方がなかった」(P62)


みなさん女子さまも現実の男なんかより妄想のほうがいいでしょう?
そこをどううまく書くかだ。
矢田津世子は美人で、安吾より先に世に出ちゃったから(芥川賞候補!)、
無頼男子は怒って別れちゃったという説がある。
食レポって美女美男がやるでしょう?
あれは相乗効果で味も美味いと思ってもらえるからなの。
食品宣伝をやるのは美女美男でしょう? そういうことなの。

水上勉「寺泊」は旅行したとき、
下層民ががつがつ食らうカニがうまそうだったなあ、という食レポ。
ダンディーな水上勉だから成り立つ世界。
おれに食レポ文章を書かせたらうまいと思うが、顔がまずいのでまずい。
庄野潤三の「佐渡」も食レポだが、それは「プールサイド小景」(芥川賞)。
源氏物語で知られている「耳瓔珞」の円地文子の「苺(いちご)」は佳作。
女は好きな男の食べ物の好き嫌いに強い影響を受けてしまうって話。
こちら女っぽいのか、自信がないのか、似た傾向がある。
七味唐辛子が好きな子といたらおなじものが好きになり、
鶏の唐揚げがめっぽう好きな子といたらおなじになるが胸肉はダメ。
ももか皮、ぼんじり。
耕治人という人の「料理」は食事が人をつくるという本音めいた小説。
食べているものの影響って強いよね。仕事とも影響する。
耕治人は戦時中に豪華なメシを食いながら、
自分が仕事をできないのは(売文を書けないのは)
料理の作り手がよくないからだとか書いてしまうおかしな人。
しかし、そういう関係もあって、
いまガチンコ肉体労働10時間をしていると(人によって大したことはない)、
なーんかさ、コンビニの雑な味なものが食いたくなるんだよ。
大好きな刺身とかあんまりうまくない。
これをアマゾンでは生産性という。

矢田津世子が美人で安吾のイロで、
「放浪記」「晩菊」の林芙美子や
チェーホフの湯浅芳子と交友があったということを知ったのは今日の収穫。
こういうゴシップがいちばんおもしろい。
その方面の専門家の小谷野敦さん、住所を教えますから献本してください。
現代のマイナー文壇裏話をすると、
小谷野敦さんの「代理夫婦」――東大vs早稲田事件の、
本当の真相を知っているのは、モデルにもなった当方オンリー。
あれはね、あれなんだよ。

「文豪の探偵小説」(山前護:編/集英社文庫)

→いわゆる文豪の探偵短編小説を集めたアンソロジー。
さあ、行くぞ。
人の読んだ小説の感想なんて
みなさんご興味ないのことを知らないわけではないが、
よしスタート。
みな探偵小説というよりもミステリー。
そもそも人生自体がミステリアス(不可思議)なのだから、
ほとんどの小説がミステリーとも言える。

谷崎潤一郎の「途上」はむかしながらの探偵が登場して、
ある病死を殺人事件だと推理する。
偶然に女は死んだように見えるが、それは夫が
もっとも死ぬ確率が高い境遇に妻を追いやったからだろうと名推理。
これは数学の応用で新しい手法と乱歩が絶賛したらしいが、
文系は理系にコンプレックスがあるから点が甘くなる。
確率統計の論理で言えば、すべての殺人事件は数学的必然である。
数学的に殺人事件も交通事故も決してゼロにはならない。
おなじ論理で日本にたくさん巨大倉庫を持ち、
そこで大勢の作業員が働いていたら確率統計的に死者は出てしまう。
アマゾンがことさら劣悪な労働環境とは言い切れない。

佐藤春夫の「オカアサン」はどこが探偵小説という話で、
人語の真似をする鳥のまえの所有者を空想する物語である。
センチメンタルでとてもよかった。
芥川龍之介の「報恩記」は人情噺で読み物としておもしろい。
こんなにたくさん短編小説を読んだのは、
自分なんかに期待をかけてくれる八王子の人のためにいい小説を書いて、
せめて恩を返そうとのいわば報恩の思いからだったのだが、
それが向こうからの刑事告訴になってしまう人生はミステリー。
あるいは向こうは恩返しが足らないと不満だったのかもしれない。
芥川龍之介のストリンドベリからの影響が見られる一節を抜く。
盗っ人は人の不幸をあざ笑う。

「わたしのように四十年間、悪名ばかり負っているものには、
他人の、――殊に幸福らしい他人の不幸は、自然と微笑を浮ばせるのです。
(残酷な表情) その時もわたしは夫婦の歎(なげ)きが、
歌舞伎を見るように愉快だったのです。
(皮肉な微笑) しかしこれはわたし一人に、限った事ではありますまい。
誰にも好まれる草紙[読み物]といえば、悲しい話にきまっているようです」(P105)


まあ、人の不幸っておもしろいよねえ。
武蔵小杉のタワマンとかお悔やみ申し上げるのが世間の建前だが、
本音の「ざまあ!」を隠して隠して隠すのが世間というもの。
建前をあたかも本音のように思ってしまうのは二種類。
シナセンの女社長のような、苦労知らずの善人ぶりたがり屋さん。
それからブラック企業の社員や、新興宗教に洗脳された人たち。
ホワイトかブラックではなく、
トイレに行けないなんてかわいそうだなあと思いながら、
ざまあ! とこっそり舌ペロするのがアダルト。芥川がそう言っている。
芥川がそう言っているだけで、わたしはお気の毒でしょうがなかった。

川端康成の「死体紹介人」は気持の悪い小説。
睡眠薬中毒でガス自殺した川端康成は、
ほんものの変質者だったことがよくわかる。
制服を着てバスの車掌さんをやっていたまじめな乙女、
まだ男を知らない天涯孤独の少女の
(献体のための)全裸死体写真に欲情する話。
倒錯趣味にもほどがあるが、それがわかるわたしはいったい?
いまは女性の裸の価値が暴落したのではないか。
わたしはいまヌードを見たい女性タレントは思い浮かばない。
川端康成「死体紹介人」は女性へのロマンがある。ただし倒錯した。
まじめで内向的で健全で薄幸、若死にした少女の裸はエロいって、
そんな本音を川端は言うのだから。川端康成は「世間を知らない」(笑)。
八王子の怖いおじさんに怒鳴られたほうがいい。
小説は商品なんだから、世間(おれ)のルールを守れ。刑事告訴するぞ。

太宰治の「犯人」は心中する直前に書かれた読み物。
最近、自分はとても不安が強いという認識を得たが、
決して文豪と自分を同列に並べるわけではないが、
太宰もまた不安感に悩まされた人だったのではないか。
小さなこと、些事を針小棒大にも大きな不安に変えてしまう。
ふつうの人なら笑い飛ばすことを真剣に深く悩んでしまう。
太宰の「犯人」は金ほしさに姉をナイフで切りつけた男が、
これで姉を殺した自分の人生は終わったと思いつめ自殺する話である。
実際は姉は軽い怪我で、それほど怒っていなかったというオチである。
うちうちに(警察にはいわず)処理しようと思っていたら、
弟が自殺してしまったことを姉は嘆く。
小さなミスをして、それは小さなことなのに、
大事件を起こしてしまったと先の不安に押しつぶされ、絶望にかられ、
パニックになったあげくに自滅していく人間というものがいて、
それが太宰やわたしである。
宮本輝も不安神経症だったが、男は創価学会で不安を克服した。
不安は宗教か酒、ドラッグに行きつく。異性という人もいるかも。
太宰は「犯人」でおのれの不安をうまく読み物にしている。
ひとつの読解をすれば、この事件の「犯人」は不安である。
些事を大げさに考えすぎた不安。

「もはや、それこそ蜘蛛(くも)の巣のように、
自分をつかまえる網が行く先、
行く先に張りめぐらされているのかも知れぬ。
しかし、自分にはまだ金がある。
金さえあれば、つかのまでも、恐怖を忘れて遊ぶ事が出来る。
逃げられるところまでは、逃げてみたい。
どうにもならなくなったときは、自殺。(中略)
この不安。
スパイが無言で自分の背後に立っているような不安。
いまに、ドカンと致命的な爆発が起りそうな不安」(P216)


太宰って精神科系統の病気を寄せ集めたような人だよな。
すべてを「よかたい」とか「ええがや」で豪快に笑い飛ばせる下品な
お西のほうのおっさんになっていたらよかったが、
津軽の太宰にそれは無理で、もし関西の商売人のようになってしまったら
いまでも少年少女をだますような小説は書けなかっただろう。
先行きの不安におびえながら強がる少女の精神の美しさを太宰は描けた。

志賀直哉「范(はん)の犯罪」は、
事件の真相が「わからない」ことを描いた字義通りのミステリー。
すべての殺人事件がよくわからないでしょう?
殺意の有無とか裁判で問われるけれど、そんなもの、わからないじゃない。
ほとんどの殺傷事件が偶然とも言えなくはない。
ちょっとしたきっかけで殺しちゃったり、殺さなかったりするわけ。
なぜそれをしたのかと問われても自分でもわからない。
ただし世間に通用するストーリーをつくることならできる。
供述調書とか裁判は、
世間さまに通用するストーリーを複数人で作成しているだけとも言える。
なぜミスをしたのか? そんなことはだれにもわからないが、
それでは世間が許さないので、
世間が納得する因果関係(物語)を捏造する。
八王子の人なんかも、なぜ自分がわたしなんかに小説を依頼したのか、
そしてその後に怒り狂って刑事告訴をすると、
よりによって姉に大量のメールを送りつけたのか「わからない」と思う。
わからない。不可思議。それがミステリー。

自分も他人も真相も「わからない」。
法華経でいう唯仏与仏(ゆいぶつよぶつ)。
森鴎外の「高瀬舟」は、まず他人がわからない。
名家でエリート、医者の森鴎外は底辺庶民がわからない。
「高瀬舟」で、
いまでいう役所の中間管理職みたいなことをしている語り手は、
弟殺しの罪で島に流される貧乏人のことがわからない。
なぜなら、それほど不幸そうではないからである。
それどころか旅行を楽しんでいるかのように見える。

「喜助[罪人]は世間で為事(仕事)を見つけるのに苦んだ。
それを見つけさえすれば、骨を惜しまずに働いて、
ようよう口を糊(のり)することのできるだけで滿足した。
そこで牢(ろう)に入ってからは、今まで得がたかった食が、
ほとんど天から授けられるように、働かずに得られるのに驚いて、
生れてから知らぬ滿足を覚えたのである」(P250)


いっぽうで下級役人の自分は定職があるにもかかわらず、
ちっとも生活に満足を感じず、将来の不安にたえずおびえている。
不満と不安だらけである。
どうしてこの罪人はこんなに幸福そうなのだろう。
他人のみならず、話を聞くと真相もわからない。
罪人は弟を殺した罪に問われているが、いまでいう安楽死だったのである。
弟は死病にかかり、貧乏な兄の世話になるのが申し訳ない。
そこで兄のために自殺をはかるのだが、うまくカミソリで喉を切れず苦しい。
苦しみのさなか、兄に見つかってしまう。
弟は兄にカミソリを抜いて、この苦しみから解放してほしいと頼む。
そういうわけで弟思いの兄は願いをかなえてやったら弟殺しの罪人。
これは果たして悪なのだろうか? わからない。
とりあえず世間的に上の人が決めたことなのだろうから、
そうなのだろうと下級役人は自分をごまかす。
わからないのは不安にかられるからである。
本当は自分も他人も世界も真相も、なにもかもわからない。
しかし、そういった本当のことに気づくと不安が生じパニックになる。
このため、世間法が流通しているが、それも怪しいものだ。

最後に正解がないことから生じる不安を克服する言葉を教えます。
それは大丈夫。大丈夫だから。絶対大丈夫。
毎朝、大丈夫! 
という声で起こしてくれる目覚まし時計があったら売れると思うので、
企画立案発注制作してアマゾンで売ってみようかしら。
失敗したらどうするのかって。

絶対大丈夫♪

ある事情から文豪モードになり、
あなたは世間を知らない、刑事告訴だと言われ、
1ヶ月間、今度は法華経を読誦する出家隠遁者モードになり、
どういうわけかいまは朝7時のバスに並んでいる、
むかしでいうところの日雇い(スポット派遣のこと)だが、
43歳にしてお疲れさまです、お疲れさまでした。
「お疲れ」の意味がわかった。
いままでわからなかったのは、それはそれ。
朝から晩まで働いたら、自分の好きなことはできないじゃん。
休日は身体を休ませるだけ。
低賃金では酒も飲めない、趣味も生かせない、なんにもない。
せめてもの救いはギャンブルだが、あれは喫煙みたいなもの。
いまの勤務先の朝や晩のシャトルバスに乗ると、勤労感謝。
みなさんお疲れさまです。
いくら働いても、そのぶんだけ税金を取られ、
だれかがうまいメシを食う。そういうものだ。
「お疲れさまです」の意味がようやくわかった令和元年勤労感謝的日。
世界に土下座したくなった。
邦画。2017年上映作品。原作小説は綿矢りさで2010年発表。
いま若い子たちと働いているわけだ。女性も少なくない。
内面を知りたい。かといって聞いたらハラスメントだ。しかし、知りたい。
まさに小谷野敦の「おまえに興味がある」。
いま働いているところは疲労が激しくロボットになりそうになる。
けれど、それじゃいけない。せめて映画でも見よう。
いまこの環境ではなかったら、
絶対に映画「勝手にふるえてろ」は見なかったであろう。
ジェイコム日本映画放送チャンネルで録画視聴。
結論をいうと、よかったなあ。よかった。
原作も監督も主演も女流。
正直、うざっ、と思っていたがよかった。
綿矢りさの小説は3、4読んでおり、その魅力は知っていたが、
この映画でも綿矢りさの味はよく出ていた(原作は読んでいません)。

おもしろかった。
シナセンルールではやっちゃいけないことばかりだったが、
それはカンヌ「万引き家族」もそうだが、
カンヌは芸術退屈だったのに対し、こちらはおもしろかった。
このたびの視聴は純粋におもしろかったので、
他人の感想はチェックしていない。
処女の妄想に近いが、これは男性の妄想でもあろう。
いまもいま、なにを描くべきことがあるのかと思っていたが、
こういう新しい手法もあったのか。
これはおもしろい。あの展開はよかった。
綿矢りさみたいな鬱屈した子ってかわいいよねえ。
つ、つ、つきあってください、できたらワリカンで。

どうやらわたしはいまの仕事先の繁忙期スポットの走りの模様。
はじめは口頭で説明されたけれど、わたしはぜんぶ覚えられなかった。
優秀な大学生の同期はわかっていた(?)から、
これはわたしの問題かもしれない。
数日の後輩スポットさんに聞いたら、
みんな小さなマニュアルを持っているの。
今日くださいってお願いしたらふたつのうちひとつしかいただけず。
情報漏洩を恐れたんですか?
いまだにわたしはマニュアルがないからスキャナーの起動が不安。
おかげで先輩さんたちと
会話するきっかけになったからあながちマイナスでもない。
作業中のトイレの行き方も今日はじめて知った。
べつに派遣先企業が悪いわけではなく、教える人手がないのでしょう。
仕事の構造がわからないから、ネットで調べた調べた調べました。

インターネットでまさに山のような悪評をぜんぶ読んだけれど、
わたしの行っているところにかぎっては、そんなことはない。
いまのところ。
事前にネットで調べていたら、怖くて行けなかった。
調べなくてよかった。

物流職場経験は多いけれど、どこも人間関係で揉めていた。
どうやって建前上でも、あの平和な感じを出しているのか興味がある。
食べ物に麻薬でも入っているのか。
今日はじめてB定食390円を食する。
わたしは昼は空腹も感じないしトイレが怖いので、
ランチは食わないが好奇心。
某パチンコ工場の社食のほうがうまかった。売店もことさら安くない。
缶ジュースの自販機にはコーラがないので依存症の人は辛いかも。
がんばれ川口! できる子なんだから。
もうおじさんも、がんばっちゃうから。えいえいおうしちゃう。
金が入ってくると思うと嬉しくて、明日はひとり鍋だ。
もうすぐクリスマス。みんなハッピーしようぜ。
心理学の用語の誤選択提示(正確には誤前提提示だったか)。
心理学には疎いので間違いかもしれないが、
わざと誤った選択肢を提示して相手を誘導すること。
みなさん、わたしのことを好きですか?
1.好き。
2.嫌い。
3.どちらとも言えない。
こういうAI(えいあい)的な質問を出しちゃうと、
答えが3つしかないと思ってしまう。
4.なんか気になる。
5.興味がない。
こういう選択肢は消えてしまう。
6.質問に答えたくない。
こういう選択肢もあっていいでしょう?
7.よくわからない(うまく言葉にできない)。
これも消える。
選択肢だと言葉にならない思いが。
いまあなたは幸福ですか?
これも選択肢によって答えが決まる。
わたしはいま幸福だかよくわからないが不幸でもない。
よくわからない。言葉にできない。
幸福ですか? にはイエスノーの二分択だが、
そこにはおもしろいという答えはない。
いま生きていておもしろい。
おもしろいんだからいいじゃん。
いま野島ドラマ「彼氏をローンで買いました」第七話を
視聴しましたが、本当によろしいでございますね。
先月、法華経を覚えた経験から、役者の魅力に気づいた。
野島ドラマ、真野と横浜、セリフまわしが完全じゃん。
どうやって記憶したの? 意味から? 
でも、あの意味を取れるほど老いてはいないでしょう?
早口だった。あれを覚えるのがどれだけ難しいか。
朝5:30に起きて、6:30に家を出て、7:00にバスストップに並び、
8:00から19:00までアマゾンからの要求に応えていたら、
眼鏡を拾った夢を見た。ひさびさに世界が彩鮮やかになった。きれいだった。
もういつ退場してもいいと思っていたが、こんなことがあるんだな。
一瞬だけ世界が輝きを取り戻した。なにもかもきれいだった。
音階の歪みを認識できるのは音階があるから。
それだから宣伝めくがスズキメソッド。
3歳からやったバイオリン。
すべての音を耳で取れる、というより手で取れちゃうのがスズキメソッド。
だから、取れるんだから。



「文豪エロティカル」(芥川龍之介・谷崎潤一郎ほか/末國善己編/実業之日本社文庫)

→「10人の文豪が「性と生」を描く!! 永遠のエロス」という惹句。
谷崎潤一郎というのは本当に変な人なのだと「青塚氏の話」を読んで思う。
女性の精神のみならずパーツにも偏愛をみせた人である。
美人女優を妻にする映画監督が、
ある老人からあなたの妻は自分の家にいると声をかけられる。
不思議に思い男の話を聞いていると、
なるほど老人は自分同等か自分よりも妻に詳しい。
正しくは、妻のパーツに詳しい。
なぜなら監督の撮影した映画に出てくる女優を何度も見て、
さらにはフィルムの断片さえ集めさえして、
脳内に完全に女のすがたを再現することができるからである。
いまなら等身大フィギアとでもいうべきものを家で制作している。
胸のかたちがどうしてもうまく再現できなかったが、
ある映画で女優が一瞬だけものを拾うシーンのとき谷間を見せたので、
「代数の方式」によって(!)胸の形状も把握しえた。
老人が言うには、自分はあなたの妻の映画女優を完全に所有した。
あなたの細君は年々老いていくだろうが、
自分の女は永遠の美を有している。
だとしたら、自分のほうが彼女をわがものとしているのではあるまいか。

いったい本物の女性とはなんなのかを考えさせられる佳作である。
沢尻エリカだって絶対に素顔はいい子なのである。
しかし、われわれ大衆は、
テレビや映画の沢尻エリカを沢尻エリカと思ってしまう。
あえて虚像の女優や男性アイドル、
俳優を所有するのはとても楽しい行為なのだろう。
そのことを谷崎潤一郎はあの時代から書いていた。
ある女優のすべての写真集、出演作品をコンプリートするのって快楽。
韓流スター好きのおばさんも(いまでも大勢いるらしいぞ!)、
本物は違うと知りながら虚像をわがものとして所有したいのである。
わたしはあなたのすべてを知っている、みたいなさ。
不幸なケツ毛バーガーさんに、
そういう思いを抱いた男性は少なくなかったのではないか。
もしかしたらそれが究極の愛かもしれないわけだから。
谷崎潤一郎の「青塚氏の話」はアイドルの原型を見事に描いている。
パイオニアこそ完全に隈なく書いてしまうものなのかもしれない。
耽美派、快楽主義の谷崎潤一郎は、
虚像のほうが実像よりも美しいことを知っていたのだろう。
実在する女性よりも、
映画や小説、漫画、アニメのなかの女性のほうが美しい。
現実は幻滅の危機に脆くもさらされているが、虚像は虚像のままである。
イエスや釈迦、阿弥陀仏、観音菩薩は永遠にわれわれをお救いくださる。

わたしも天龍源一郎や山田太一に偶像として救われたことがある。
天龍源一郎の名勝負をリアルで見た数で
わたしに勝てる人はそう多くないだろうし(それでもかなりいる!)、
山田太一にかぎっては、
氏が書いたものをいちばん目にしたことの多いのはわたしである。
わざわざ早稲田の図書館まで行って、未刊行戯曲をぜんぶ読んだ。
これは活字(言葉)にかぎっての話である。
現実としては、わたしは一度も山田太一さんと逢ったことがない。
おそらく逢うことはもうないのだろう。
虚像を愛していると言われても仕方がない。

虚像を愛するという生き方は宗教的だが、それほど悪いものか。
フィクションのAKBならAKBを愛せるのなら、それだけで生きがいはある。
わたしもせめて好きな女優やアイドルのひとりでもつくりたいのだが難しい。
唐突に読書感想文。
本書に収録されている坂口安吾「戦争と一人の女」から。
安吾のなかのアニマ(理想女性像)は言う。女は言い放つ。

「私はだいたい男というもの四十ぐらいから
女に接する態度がまるで違うことを知っている。
その年頃になると、男はもう女に対して
精神的な憧れだの慰めなど持てなくなって、
精神的なものつまり家庭のヌカミソ[=母性という意味]だけで
たくさんだと考えるようになっている」(P209)


だから、坂口安吾は女性理想像を書くのである。
現実だけでは、つまらない。嘘がほしい。嘘にすがりつきたい。
近年、わたしは自分と坂口安吾の類似性をとみに感じている。
まさかいまさらこの年齢になって全集を買って読む余裕はないけれど。
ヒロポン中毒だった坂口安吾のアニマは言う。

「私は淫奔(いんぽん)だから、浮気をせずにはいられない女であった。
私みたいな女は肉体の貞操を考えていない。
私の身体は私のオモチャで、
私は私のオモチャで生涯遊ばずにはいられない女であった」(P211)


思えば、むかし2ちゃんねるでネカマをやらかしたとき、
坂口安吾が大好きだという男性が食いついてきたものである。
現実にあんな女はいない。現実はそうではない。現実は――。
坂口安吾「戦争と一人の女」の女は、戦争が終わったことを嘆く。

「これからは又、夜と昼とわかれ、ねる時間と、食べる時間と、
それぞれきまった退屈な日々がくるのだと思うと、私はむしろ
戦争のさなかなぜ死ななかったのだろうと呪わずにはいられなかった。
私は退屈に堪えられない女であった。
私はバクチをやり、ダンスをし、浮気をしたが、いつも退屈であった。
私は私のからだをオモチャにし、そしてそうすることによって
金に困らない生活をする術も自信も持っていた。
私は人並の後悔も感傷も知らず、
人にほめられたいなどと考えたこともなく、
男に愛されたいとも思わなかった。
私は男をだますために愛されたいと思ったが、
愛すために愛されたいと思わなかった。
私は永遠の愛情などはてんで信じていなかった。
私はどうして人間が戦争をにくみ、
平和を愛さねばならないのだか、疑った」(P230)


織田作之助の「妖婦」もちょっと目を見張るほどいい。
織田作は太宰や安吾とともに無頼派と呼ばれた作家。
まあ、ヒロポン沢尻エリカ系統だったのである。
織田作之助の「妖婦」はいちおう「阿部定事件」をモデルにしたそうだが、
事実とは異なるところが多く、彼のアニマが描かれていると言ってよい。
胸もふくらんだ小学生女子が銭湯で男子にからかわれて、
堂々となにも隠さずひとりで男湯に乗り込んでいくところな本当にいい。
文学的なものは、退屈な日常のせめてものうるおい。
沢尻エリカは文学をした。
むかしから嫌いではなかったが、今回の薬物騒動でさらに気に入った。
しかし、底の浅さが見える夢のないおじさんになってしまった。
だれかに夢中になりたいものである。

「エロティックス」(杉本彩責任編集/新潮文庫)

→有名作家の官能小説アンソロジー。これがよかった。
わたしは本を読むとき感想をメモしながらページをめくる。
そのときのメモ書きをもとに感想を書く。
そうしないと、どこがおもしろかったということばかりではなく、
下手をすると内容すべてを忘れてしまうことさえあるからである。
ところが、「エロティックス」を読んだときのメモ書きがどこにもない。
しかし、驚くべきことに、内容を覚えているのだ。
通常、短編小説は読むからそばに忘れていくものだろう。
にもかかわらず、これだけ覚えているのは名作ぞろいだったからである。

花村萬月の「崩漏」がまずよかった。
小悪党の青年がナンパした知的障害を持つ覚醒剤中毒の美少女を
フーゾクに売り飛ばし大金を儲ける。
そのうえ美少女は名器で、これは太い金脈を得たとほくそ笑む。
だが、少女の膣は弱く、多用には耐えきれないものだった。使えねえ。
悪の青年は妹に似ている孤児の精薄少女のシャブを抜いてやる。
善意からではない。海外に売り飛ばすためである。
最後の最後に青年の心に菩提心が芽生え、
少女を妹と思い一緒に暮らしていくことにする。
話はこれだけなのだが、文豪の小説と違い、テンポがあり、
風俗描写も巧みで実にうまく読者の心を捕らえるのである。
知らない世界を覗き見する快楽もあった。

岩井志麻子の「魔羅節」は本書のナンバー1.
男色はまったくわからなかったが、岩井志麻子に醍醐味を教えてもらった。
作者が欲望のままに書きたいように書いているところもいい。
文化の果てのド田舎で、雨が降らねえ。作物が育たぬ。
祭りの晩、お天道様にいけにえを捧げる。
両親を亡くしたか細いなよなよした美少年を、
村の屈強な男たちで輪姦したのである。
正常と異常を入れ替える。ケとハレの境を刺激する。雨が降った。
それから美少年は村の衆の慰み者となって男娼として生きていく。
実際に映像で見たら吐き気を催すだろうが、
観念の上で美少女のいでたちをした少年が、
もう逆らえぬと男を捨て大勢の欲望の捌け口になるところは劣情をそそる。
後ろを無理やり攻められながら、
そんなみじめな自分に顔を赤らめ小さな男根を膨張させてしまい、
その少女の男の子の部分をからかわれ、かわいがられ、もてあそばれ
犯されながら果てるところは倒錯美の極みといったていである。
官能小説の大傑作である。

嫌いな人は嫌いだろうが、富島健夫の青春ポルノ小説はいい。
恥じらいやためらいがあるからである。
登場する少年少女たちが、
まだ純粋で潔癖で理想を捨てていないゆえであろう。
富島健夫「ベアトリーチェ凌辱」。
高校の優等生の美少年と美少女がいる。清い交際をしている。
ヤリチンの番長が成績のいい少女に片恋慕するがすげなく断られる。
番長はどうするか。ある夜、少年少女を別の場所で縛り上げる。
不良のたまり場である小屋にワルたちを集める。
みんなの見ているまえで優等生の処女と童貞は交接する。
理想を振りかざしていた優等生も男性の生理には逆らえないのである。
レイプはしていないだろう?
好き合っている同士をくっつけてやったんだから感謝しろよという、
番長のひねくれた哄笑がどこか小気味いい。

団鬼六の「不貞の季節」を読むのは二度目だが、
内容を覚えていたのに相変わらずよろしい。
気が強いインテリの美人妻が、おのれの舎弟とくっついてしまう。
しかし、男はSMでインテリの妻にひどいことをするのである。
妻はあんあん快楽にもだえ、その声をテープに録音させ、
苦痛と快感に卒倒する「私」――。
いまなら恋人のむかし出演したAVを見るようなものだろう。
ドラマ「北の国から」ではたしか宮沢りえがこの設定を演じていた。
宗教人類学者の植島啓司もそうだが、
意外と寝取られ好きは多いのではないか。

普光江泰興の「すこぶる変態」は奇書の類ではないか。
欲望のままに書かれた、
寒気がするような文章で、人によっては人生のベスト1になりうる。
性的嗜好はまったくさまざまである。
団鬼六が巻末で杉本彩との対談で、
自分は女性の書いた官能小説では興奮しないと言っていたが、よくわかる。
しかし、岩井志麻子のような例外も存在する。

「愛」(有島武郎/芥川龍之介/他/SDPbunko)

→愛にまつわる(著作権の切れた)文豪の名作短編を集めたアンソロジー。
岡本かの子は短編をいくつか読んだが、
もしかしたらいいのは「鮨」だけではないかという気がする。
有島武郎の「惜しみなく愛は奪う」は観念的で、
むかしはこういう舶来ものめいた恋愛論が受けていたのかと嘆息する。
わたしは恋愛がよくわからない。
アルコール依存症で睡眠薬中毒だった坂口安吾は「恋愛論」を、
「恋愛とはいかなるものか、私はよく知らない」の一文から始めている。
しかし、途中から様子がおかしい。

「教訓には二つあって、先人がそのために失敗したから
後人はそれをしてはならぬ、という意味のものと、
先人はそのために失敗し後人も失敗するにきまっているが、
さればといいって、だからするなとはいえない性質のものと、二つである。
恋愛は後者に属するもので、所詮(しょせん)幻であり、
永遠の恋などは嘘の骨頂だとわかっていても、
それをするな、といい得ない性質のものである。
それをしなければ人生自体がなくなるようなものなのだから。
つまり、人間は死ぬ、
どうせ死ぬなら早く死んでしまえということが成り立たないのと同じだ」(P250)


まるで恋愛を熟知したもののような態度で、
人生必須のものとばかり熱く語り始めるのである。
恋愛をしなかったら、人生は存在しないとまで熱っぽく論じている。
酒とクスリであたまのネジがゆるんだのだろうか。
恋愛は損得関係とコントロール願望と言い切った、
精神科医の春日武彦氏の覚めた論調のほうがわたしには親しい。

「耳瓔珞 女心についての十篇」」(安野モヨコ選・画/中公文庫)

→心が乾ききっていると、川端康成の純な短編に安らぎをおぼえる。
むかし少年と少女はふたりきりで歩いていた。
手もつないでいなかった。放課後だった。川端康成「むすめごころ」。

「もう皆が帰ってしまって、静かな校庭の藤棚の下を、
あなたと私は歩いていた。
曇り日の湿った土の上に、二人の小さな靴音だけだった。
小石を見つけて、私がちょっと蹴ると、
あなたはまたその先でちょっと蹴る。私が蹴る。あなたが蹴る。
そんなことが二人の気の合ったしるしのようで、私は云いやすかった」(P71)


たわいもないことを、それなのに勇気を出して、
少年はおずおずと少女に問いかける。
だれにもあったであろう、あの時代がしあわせというものではないか。
女の子がとてもまぶしいものに思えた少年時代。
ロマンチストだったわたしの心もいまは枯れ果てている。

少女は女になり、妻になる。妻に言い寄るのはもうかつての少年ではない。
円地文子の「耳瓔珞(みみようらく)」から。
病気で子どもを産めなくなった滝子に遊び人の高梨が無遠慮に近づく。
「僕と遊んでみないか」と言って、
さっと脇から手を差し込み乳房をぎゅうっとつかむ。
あなたはまだまだどころが、いまがもっともいい女なんだよ。
耳元でささやかれると滝子は小娘のように顔を赤くして逃げる。
高梨は滝子に「あなたは淫蕩(いんとう)だ」とささやきかける。

「あの術(て)この術と、面白ずくに滝子の肉体を求めて来た高梨も、
いつか滝子の靡(なび)きそうで靡かない守勢のねばり強さにあぐねると、
突然ぱっとふり向いた感じの素早さで逃げ足になった。
滝子の方から電話をかけても出て来ない。
訪ねて行っても留守を使う。
滝子はそうなって後、
それまで極力逃げ退いていた高梨のあらっぽい肉体への接触感や
常識を麻痺(まひ)させる甘い言葉の数々が
旱魃(かんばつ)田のように罅(ひび)割れた自分の心身に、
どんなに時ならぬ美雨を恵んでくれていたかをひしひしと感じた。
自分はやっぱり女なのだ。
男の胸の骨の一片をとってつくられた女なのだ。
滝子はひとり床の中にのたうってうめいた。
やむを得ない孤独の中で、
滝子は暴風雨の荒れ狂ったあとのカンナの花のように大きく破れ、
猶(なお)真紅に咲きのこっている自分をまざまざ見た。
自分の体内の敵を庇(かば)いながら女であることを確かめたい、
不自然に淫蕩な季節が。その後滝子をおとずれた」(P169)


やたら難解な漢字を使い文学っぽくしているが内容はポルノに近い。
が、わたしはこういうことを書く女流が好きだから引用している。
話を石女(うまずめ)だが、いまや花咲き誇る女の滝子に戻す。
女の花が開いたのである。
滝子は女っ気のないやもめの飾り細工の職人を誘惑するようなことをする。
冷たくからかうわけである。

「その時以来、滝子は次郎さんに細工を注文に行く時、
次郎さんの鼻さきでばっと立上り
靴下なしのぬっぺり白いふくら脛(はぎ)から
華奢(きゃしゃ)な踝(くるぶし)をあらわにみせたり、
背中にピンが落ちこんだといって、
次郎さんのごつごつした手の指さきをこごんだ背骨の奥深く
さし込んでまさぐらせたり、次郎さんが喘(あえ)いだり、
慄(ふる)えたりするのを異様なたのしさで眺めるようになった」(P178)


その後、次郎は作業中の事故で死んだが、
あれは自殺ではなかったのかと考えると、
滝子は自身の虚栄心が満たされるのを感じる。
尺八に抵抗がないあばずれもいいが、
あんなものは決してせぬ気位が高く、
むろん身体を許さないがしかし、男の心を意地悪にもてあそぶ女はいい。

有吉佐和子の「地唄」から気になったところをふたつばかり抜く。
尺八ではなく三味線の話である。

「あの三味線の方が、あの、難しくて、
ピアノは譜の通り弾けば、一応の音が出て音楽らしくなりますのに、
三味線は譜ではてんで曲になりません。
それが私には魅力なんです」(P138)

「生意気なようですけど、ああ、洋楽は音の表を拾って行き、
地唄は音の裏を拾うような、そんな気がするんです」(P139)


瞽女(ごぜ)とか虚無僧(こむそう)とか見たこともない世代なのに、
あのような物悲しくもどこか甘い世界に年齢のせいか心をひかれる。

「夢」(夏目漱石/芥川龍之介/他/SDPbunko)

→夢にまつわる(著作権の切れた)文豪の名作短編を集めたアンソロジー。
有島武郎は3月4日に小石川で生まれたのか。
のちにキリスト教の洗礼を受ける。
この本の目次では有島武郎「真夏の夢」となっていたが、
これはストリンドベルヒ(ストリンドベリ)の童話の翻訳のようだ。
いまストリンドベリなんていう名前を出してもなんにもいいことがないから、
有島武郎の作品にしたのだろう。
童話はストリンドベリにありがちな夢幻的なもの。
最後は、母とむすめがお花畑で会話しているシーンで終わる。
お空に虹がかかっていて、それを見た少女が母に問う。

「「あれはなんですか、ママ」
おかあさんはなんと答えていいか知りませんでした。
「あれが鳩の歌った天国ですか、いったい天国とはなんでしょう、ママ」
「そこはね、みんながお互いお友達になって、
悲しいことも争闘(あらそい)もしない所です」
「私はそこに行きたいなあ」
と子どもが言いました。
「私もですよ」
と憂さ辛さに浮き世をはかなんださびしいおかあさんも言いました」(P68)


わたしもそこに行きたいなあ。
天国や浄土をつくりださざるをえないほど、
人ははかなくさびしいものなのです。
わたしのお母さんはもうそこへ行ったと思うとうらやましいです。
曇り空の下、生きているのははかない、さびしいものですね。

「晩菊 女体についての八篇」(安野モヨコ選・画/中公文庫)

→安野モヨコという人が選んだ日本文学の名作短編集。
芥川とか太宰とか有吉佐和子とか。
文学をふくめ芸術はお金あってのものだよねえ。
家にお金がないと教育が受けられないし、
芸術の細かな味は観賞体験を積まないとわからない。
そして、芸術関係はたいていの場合、金にならない。
日本はみんな金持まで庶民ぶるが、
インドではマハラジャ(富豪)は偉く貧民はいやしいという、
わが国にはあまり公にできない価値観が露骨にまざまざと現出している。
それはおそらくインド古来からのカルマ(宿業)思想の影響で、
現世でいい思いをしているやつは過去世の果報だろうという国土的了解。
タージ・マハルこそまさにまさにジャストのインドの象徴。
富と美は悪ではない。

本書でもっとも印象深かったのは、
もう読むのは三度目になる林芙美子の「晩菊」の一説。
芸者あがりの美しい年増女の「きん」は思う。

「きんは金のない男を相手にするようなことはけっしてしなかった。
金のない男ほど魅力のないものはない。(中略)
女が何時(いつ)までも美しさを保つと云う事は、
金がなくてはどうにもならない事だと悟った」(P192)


命の次に大切な金というが、金は命よりも大切かもしれない。
しかし、命は金では代替できないのもまた真実である。
太宰の「人間失格」だったかな。反意語ゲームというものがあった。
「命」の反意語は「金」の気がする。同意語でもあるのだから難しい。
人間は努力や運の相乗効果で小金持レベルならいくことがある。
でも、そういう男女は芸術と触れる時間がなかったから、
どうしようもなく芸術がわからない。
芸術は富豪のステータスなのである。

むかし芸者の「きん」と愛し合った田部はいま事業に行き詰まり、
あわよくば大金を借りられないかと女のもとを訪れる。
むかしは旦那としてさんざん世話してやったのに、
「きん」はびた一文払うつもりはないようだ。
田部はむかしは美少女だった、ごうつくばあさんの「きん」を見て思う。
最初は作者の林芙美子の語りである。
それから男の主観的述懐に変転する。

「小説的な偶然はこの現実にはみじんもない。
小説のほうがはるかに甘いのかも知れない。
微妙な人生の真実。
二人はお互いをここで拒絶しあう為に逢っているに過ぎない。
田部は、きんを殺してしまう事も空想した。
だが、こんな女でも殺したとなると罪になるのだと思うと妙な気がした。
誰からも注意されない女を一人や二人殺したところで、
それが何だろうと思いながらも、
それが罪人になってしまう結果の事を考えると
馬鹿馬鹿しくなって来るのだ。
たかが虫けら同然の老女ではないかと思いながらも、
この女は何事にも動じないでここに生きているのだ」(P208)


命よりも金――の思想である。
林芙美子は男と女、命と金に執着した。
いまのわたしにないものである。

*たぶん、この↓アマゾンのリンクから入って関係ないものをご購入なされても当方にお金が入ってくると思います。入ってこないのかな? よろしくお願いします。

「書物との対話」(河合隼雄/潮出版社)

→「どっちも正しい」ことが理解できない人がいるじゃないですか?
常に唯一の正解があると信じているような。
人生をセンター試験の選択肢のように考えている。
かならずなにか正しいことがあると信じている。
「どっちも正しい」ことがあるなんてイヌがニャンと鳴くようなものだ。
わたしが河合隼雄から教わった最大のことは「どっちも正しい」ことはある。
夫婦喧嘩、離婚訴訟なんて「どっちも正しい」「どっちも悪い」なんだから。

「私が読んで感激するのは「純」と名のつくような文学ではないのである。
ともかく下世話なことに関心が高いのだから、これも当然のことで、
そのような自分の特性? を生かして、
心理療法などという仕事をすることになった。
嫁と姑の戦いとか、三角関係とか、
(もっとも、大学時代は三角関数の方を学んでいたが)、
一般には犬も食わないと言われていることに、
一所懸命にかかわってゆくのである」(P58)


まあ、いろいろな見方が世の中にはあるもんだ。

「文学作品は傑作であればあるほど、いろいろな「読み」を可能にする。
私は私の勝手な「読み」をここに書かせて頂いたが、
読者の方々は、それぞれ自分なりの「読み」をされることだろう」(P71)


いろいろな人がいるのだもの。
「絶対的真理はない」は河合隼雄の名言のひとつだが、
河合の師であったユングは、
かなりエキセントリックに自分の絶対正義を主張する人であった。
それを疑問に思った河合に、ユングの高弟のマイヤーはこう言ったという。
ユングは絶対真理、唯一真理を説いているようではないか。
質問にマイヤーはこう答えた。

「彼[マイヤー]は、「お前の疑問はもっともで、
もちろん個性化の方法は他にもあると思う。
ユングは自分の方法を唯一のもの思っていたらしい」と言った。
そして、「自分の方法を唯一無二と思わずに、
パイオニアの仕事が可能だろうか」とつけ加えた。
これはまったく味わいのある発言であると思う」(P299)


わたしは浄土宗の法然や彼を批判した日蓮を思い返した。

あさってから死者も出るという悪評高い巨大倉庫で、
高時給に目がくらみ働かせていただくが、聞いたところ女性が6割。
いじめられたらどうしよう?
そこで南無妙法蓮華経だ。女子部のみんな、僕を守ってくれよな。
参拝は済ませておいたぞ。
あそこも物価が安いから学会率が高そう。なにを得られるか。

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「破地獄偈」(由木義文/「よくわかるお経の本」/講談社) ※再読

→二相(相対)を超える。河合隼雄の好きな華厳経の教え。

1.自分とはなにか? 善悪、正誤、損得である。
2.自分とはなにか? 自己愛、自尊心である。
3、自分とは、自分の善悪、正誤、損得。
4.自分ではなく、世間ばかり見てきた人は自分の善悪、正誤、損得がわからない。
5.他者と向き合って自分の善悪、正誤、損得がわかる。
5.このとき人は人、自分は自分とはならない。
6.自分は正しい。自分は善人。このため自分は損していると考える。
7.相手は誤り。相手は悪人。相手ばかり得している。
8.どうしたらいいか? 善悪、正誤、損得の白黒をつけよう。
9.刑事告訴だ。刑事告訴は二分法志向の究極。自分は悪くない。
10.正義のためならなにをしてもいい。相手の近親者にも親切心から連絡する。

こうなってしまった場合、相手を刺激しないのがいちばん。
相手は常に善で正、損をしていると思っているんだから。
こちらがなにを申し上げても悪で誤謬、得をしたいんだろう?
お経の「破地獄偈」を唱えても意味がない。

「若人欲了知

三世一切仏

応観法界性

一切唯心造」


「もし三世の真理を知りたいなら、世界は心のみと観てください」

・あなたも悪くないし、わたしも悪くない。
・どちらが正しいともいえない。それは仏さまにお任せしよう。
・世間的価値観を捨てて、善悪を捨てよう。自由になろう。
・あなたもわたしも仏さまってことで。とりあえず、そういう感じで。
・自他の二相(相対)を超えられませんか?

↓なにか1冊お経の本を買うならこれ↓

いまの援助交際、パパ活とかわけわかんない。
リッチなおっさんが若くてきれいな女子大生やOLに
高級店でメシを食わせてやり報酬を払うんでしょう?
1.なぜ高級店でメシを食いたいのか?
2.なぜ女性同伴者が必要なのか?
3.なぜメシを食わせたメスに謝礼を出すのか?
4.目的はなんなのか?
5.性行為をしたいならば、専門店がある。
6.そもそも性行為はそんな高価格商品か?
7.ただでも入手可能なのが性行為商品。
8.どうせ脱ぐのに男性も女性もおめかし代が高いのではないか?
9.なぜ大衆店でゆっくりやすらがないのか?
10.これがステータスってものなんですか?
40を過ぎたおっさんが、
小さくまとまりたくないなんて、バカかとアホかと。
いまでも小さく小さく、たとえば施設警備員を目指して、
ダメおっさんの地位を獲得することは、
楽ではないがまったくの無理ではないと思う。つつがなく生きていく。
ひとりさみしく独身で、楽しみは週に一度の晩酌で、サザエさんを見る。
一方でバカな、きぐるいめいた小さくまとまりたくないという願望も燻る。
もう43歳なんだから、いつ死んでも御の字。
できることで好きなことはやった。
パーッと花火のように散っていきたいとも思う。
前科もないし悪友もいないし、シンナーさえ未経験なのに、
小さくまとまりたくないとか思っちゃう。
四国の寺子屋で庵主をやらないかという話もあった。
「あ、これは資金繰りがうまくいったらの話だから。あんま信用しないで」
「僕だって、そんな甘い話がないことはわかっています」
八王子には暑いイメージしかない。
僕が悪いのだろう。
その場合、こうしたら失業給付を取れます。
そのためには過去の派遣会社に離職票を郵送してもらってください。
これは「正しい」のだが、前提としてあるのは善悪、損得。
ボランティアの人はわかると思うけれど、
「そうしたくない」という人がかなりいる。
言葉にすれば「めんどうくさい」「かったるい」。善意や好意の押し売り。
え? 簡単ですよと説明しても、ハロワでおばさんと喧嘩して帰ってくる。
ならば、いいところを見つけましたので働きましょう。
それはかなり「正しい」行為です。あくまでも善悪、損得から考えたらの話。
「この派遣会社に電話して求職をお願いしてください」
そうお願いしても「わかんねえよ」。
「おれには過去の派遣会社の人とのつながりがあってよ」
「そこはひとまず置いておいて、この年末年始は僕と一緒に働きませんか?」
「めんどうくさい」「かったるい」と思われたのだろう。

ここで自分は「正しい」ことをしているのになんで? と怒るのはアマチュア。
僕くらいになると「めんどうくさい」のだろうなあ。
「かったるい」のだろうなあ。
おのれの過去から類推して、自分の正義を通そうとしない。
「あなたのためを思って」とか怒鳴らない。
しばらく待ってみようと思う。
もしかしたら別のもっといい道が彼に拓かれるかもしれないのだから。
僕はまるでなにもわからないということを知っている。唯仏与仏を信じている。
孤独だと女性から愛されたいと思う。
つまり、もてたい。だが、しかし、そこが魔。
なぜなら愛情はコントロール願望だから。
愛されたいは、コントロールされたい。愛は迷惑行為。
「きみ、ぼくのことを好きなら好きなようにさせてくれ」にはならない。
「あたしが好きな人がそんなことをするの耐えられない」になっちゃう。
むかし朝日賞作家の山田太一さんの講演会によく行ったが、
質疑応答でよくあるのは「こういうのを書いてください」というコントロール願望。

好きはコントロール願望(べき思考)。

わたしもむかし作家で精神科医の春日武彦さんに、
シェイクスピアを論じてくださいとか迷惑発言をブログでしちゃった。
「無償の愛」は野島伸司ドラマのテーマのひとつだが、
あの人、若くして成功してお金もたんまりだからなあ。
いまはもううらやましいのかどうかもわからない。
コメント欄で「私小説を書け」とさんざん言ってくる人がいるけれど、
こちらを好きなのはわかるが、言われているうちは書かない気がする。
人生好奇心オンリー。世界を知りたい、おまんを知りたい、そんだけ。
唐突だが、あたまが悪い子ってなにを考えているのだろう?
ぼく、お坊ちゃんだし、お育ちいいし、あたまの悪い子、知らない。
ガチなヤンキーみたいなセリフを聞いたことがない。
それを聞いたら文学開眼するのではないか?
いい子ばっか。悪い子おらへん。
これから寒い時期、鳥肌が立つような女にめちゃくちゃに壊されたい。
南無妙法蓮華経。法華経2回。
大財閥の家から女子高生のお嬢さんの家庭教師として雇われたい。
お嬢さんは完全に僕を舐めきっていて悪いこと三昧。
彼女は超ビッチのヤリマンで、男の順番管理も僕がやらされる。
家庭教師の時間なんてなくて、僕は悪いことを教えられるばかり。
ドラッグをすすめられて、ダメですよとか泣いちゃう。
ヤクザの幹部クラスも彼女が好きで意気投合。
お互い依存症で飲みに飲んで、そこで聞いた話をもとに芥川賞ゲット。
長年の夢、彼女へ告白するが、
勃つのかこれ、と男性自身をチョンキックされる。
僕はむくむく復活する。いいか、それが僕の夢だ。
明日から南無妙法蓮華経を百倍増やす。大勝利を目指して。
映画鑑賞日記。
みじめな小兵めいた大飯ぐらいのぼくにはしっかりと夢があって、
この映画みたいにミニスカの女性高性のパンツを脱がせて、
そうそうだ、ノーパンでいやがる彼女を気遣いながらデートをしたい。
この映画のように大好きなノーパンな彼女をわるたちに拉致され、
児ポが怖くて手を出せなかった彼女を輪姦しようとするわるに、
ばかやろうと文部省的な説教をしたい。
彼女は気が強く生意気でそんなぼくの説教に協賛してもらいたい。
「不純異性交遊はあくだ」と生徒会長のように宣言してもらいたい。
しかし、風でスカートがめくれノーパンがみんなにばれる。
悔しがりながら
「きみたちの偏差値では覚えられないでしょう」と言ってほしい。

だれにも見せたこともないまっさらな下部を見られ、
「淫乱じゃねえか」と嘲笑される彼女。
「なにこいつ処理しているんだ。ヤリマンかよ」
大事なところをスマホで撮られていることも知る。
大激怒したぼくはビックツモローなパンダパンチ、パンダキックを出すんだ。
わるにはかなわず逆にボコボコにやられてしまう。
地面に横たわりながらかすんだ目で、わるたちに回される彼女を見る。
けなげにも彼女は屈辱を見せないようにビッチのわるい女を演じている。
ぼくが食べたかった初物をわるがそうとも知らず回し食いしている。
後日、ぼくは泣きながらわるたちからその日の動画を購入しろと言われる。
それを泣きながら10万円で買うんだ。お嬢様の彼女と再会してもらうために。
こういう妄想てんこもりの映画はおれのカンヌだ。
「劇場版 教科書にないッ! 3」。括目せよ。

いま怪我をして働けない人がいたら、
失業給付の取り方を教えてあげるのはいいことでしょう。
「まず離職票を取ってください。めんどうかもしれませんが、そこから」
大宮のハローワークはそういうことを教えないらしい。
働けるなら働けと怒鳴るおばさん。
有識者が行ったらなんとかなるかもしれない。
今日、時給1350円の短期派遣バイトが決まった。
全員即決なのに、あの高額賃金なのに断る人もいるほど評判が悪い。
ここは59歳のAさんでも取ってもらえるな。
Aさんに「一緒に働きませんか?」。
時給いいし、一緒に働くと楽しいじゃないですか?
M社のYさんに電話してください。
このご返答が「わけわかんねえ」で電話をしても出てくれない。
Aさんなりのルールがあるのだろう。
わたしはそれを否定する気はない。
ただM社のYさんにいくばくかのご迷惑をおかけした。
他人がなにをしてもスーパーフリー。
なにもす「べき」ことはない、たぶん、おそらくきっとね。
野島伸司ドラマ「彼氏をローンで買いました」。
「舐めてではなく舐めろ!(フェラではなくクンニを)」
「この低学歴が!(バカな男は死ね)」
「あたしのマタは一個だけ(おまんこは文化遺産)」
かわいいかわいい真野恵里菜さん。殴られたい。
ぼく、がんばるからね今日も明日も、このドラマがあれば。
みんな悪人だと怒る人がいる。
わたしはなぜか善人に恵まれるが、どうしてなんだろう?
わたしなんかと3時間以上おしゃべりしてくれる人がいるのよ。
そのとき気づいた。
わたしは自分を悪人だと思っている。善悪は相対関係。
こちらが悪を自認しているから、周囲が善に見えちゃうのか。
なんでみんな崩れた壊れた歪なわたしなんかに親切にしてくれるの?
創価学会だと長らく思っていたが、どこの組織? まったき偶然なの?
外食以外、家ではフライもの揚げ物を食べない。
なぜならそうすべきだからだ。
酒は飲むときは飲むが日本酒3合まで。
そうすべきだろう。
日本語はわたしが思うようにすべきだ。
それが正しい日本語。わたしは正しい。
なぜなら世間はそうなっているからである。
チェーン店の店頭カツ定食を、
憧憬の目で眺めていた男はかっこうよかった。
うっとり男の禁欲、努力主義に惚れた。
好きなようにしない。
世間を知れ学べ。これが世間だ。わたしが世間である。
「あたし」は「私」にすべき。
「かわい」は「かわいい」、「可愛い」ならより可。
「文尾」の「お」はカット(すべき)。
「けれど」という語尾は正しくないから、
要訂正。世間を知れよバカ女子高生。
すっぽんだかにんにくが大量に入った、
あなたの健康がめちゃくちゃになりますよというカップ焼きそばを
オーケーで贖い平らげてしまったわい、まい、らいふ。
めちゃくちゃにしたいは、めちゃくちゃにされたいなんだなあ。
めちゃくちゃにしている男、自由。
めちゃくちゃにされている女、自由。
なにものからの解放。
めちゃくちゃにされて喜ぶブラック社員、なにものからの解放。
家族をめちゃくちゃにして自殺する女、なにものからの解放。
ああすべきだったのに、なにものからの解放。尾崎豊でした。
孤独だから愛されたいは、コントロールされたい。
家族がほしいは、コントロールされたい。コントロール願望。
なにをしたらいいかわからない。だから、コントロール願望。
好きはコントロール願望。
好きにされたいも、反対側のコントロール願望。
精神科医の春日武彦先生に会いに行って、
男のコントロール願望にしたがいたい。
めんどうくさいのだもの。
あっちはそれを嫌うのがわかるから好きなのだが。
宗教じゃないところ。
「ハムレット」のツービーオアノットツービーは誤選択提示、べき思考。
ビーフリー、スーパーフリーもあった。
「マクベス」のフェアイズファウルも二選択の誤選択提示っぽい。
どうしたらいいのか考えると、
人間は二分法の誤選択提示に行きついてしまうという罠がある。
ならAI(えーあい)はいいのかって、あれは二分法の究極形だわさ。
空海は密教か顕教かの二分法の誤選択提示。
最澄は仏心仏性の有無の二分法誤選択提示。
法然は難行か易行(念仏)かの二分法誤選択提示。
親鸞は自分を信じるかどうかの二分法誤選択提示。
日蓮がまずしたのは、念仏か題目かの二分法的な誤選択提示。
そこが間違えているが、それは言葉(二分法)では言えない。
微笑みの世界。
ある言葉が現実を妙に生彩にするという現象がある。
むかしは春日武彦先生にご著作で教わった「ゴントロール願望」。
コントロール願望はかなり世界がくっきり見えるサングラス。
最近ある人(秘密)から教わったのは「べき思考」。
この言葉を世界に当てはめたらクリアになる。
怒るのもべき思考。悩むのもべき思考。笑えないのもべき思考。
しかし、べき思考がなかったら、この世は犯罪だらけ。
電車もまっとうに動かない。
行政も医療も世間もべき思考でまわっている。
善人であるべきだ。約束は守るべきだ。こうすべきだ。
フリーロスだがアイニージュー。
原作漫画のファンだったものには、
ジャンルの違いを考えさせられる映画。
小説<漫画<映画<ドラマ<ネット――。
この順番でよくも悪くも大ざっぱになる。
映画は尺があるし漫画のように細かいことを描けない。
原作ファンはあの配役はないと思うが、
見終わったらあれもあれでいいのかと。
だって、現実、漫画のような女子高生はいないわけだし。
映画は漫画よりもリアリティーを必要とされる。

いちばん難しいのは、
かわいい女子高生がなぜ冴えない中年男を愛するのか?
そこで原作漫画は文学のバリューを使っていたような気がする。
中年男が文学オタで精神的に深い、みたいなさ。
現実の女子高生ってみんなバカでしょう?
だけど、マーケティングの王道は女子高生。
おれみたいなダメなおっさんでも女子高生映画なら見るからかなあ。
この映画は長い原作漫画をうまく料理していたと思う。
しかし、おれのなかの女子高生はそうではない。
なるべくみんなの女子高生を描こうとした本作の苦心には敬服する。

これ作った人だれなの? おれんなかじゃ「万引き家族」より上よ。
学園お色気きわものコメディー。
セックス行為はないのだが、そこがいいわけ。
そこにいたるまでのモンモンとしたモヤモヤ、ウジウジ青春ドキュン!
美人の英語教師が男子学生に教わった口淫のやり方を
廊下を歩きながらまじめに練習をしているんだけれど、
そんなこと実際にないからこそいいのよ。それをどうこういうのは野暮。
オタクの男の子が同級生のリアル女子高生の秘唇を見てしまい、
いわば現実を知って
失神するところなど本当にいい(これは原作漫画にもあったシーン)。
美人局にだまされる男性教師も味があっていいなあ。
どこか文部省的気配もおふざけお色気のテイストをよく出している。
隠し味ってやつだ。
うん、おれのなかのカンヌだ。
おれのカンヌをやる。
いらないだと? もらえるものはもらっておけ!

カンヌの是枝裕和監督の芸術作品。
日本人があれ取るのってすごいんでしょう?
むかしから映画を見る習慣がなく、
大学時代に原一男教授の映画のゼミを取ったのがきっかけで、
そのときたまたま上映していた是枝裕和監督の
「ワンダフルライフ」を見てえらくおもしろく、
バカな早稲田の学生らしく「あれ、おもしろかったです」と教授に言ったら、
「あれはダメだ」――。
どうしてですか? って聞いたら「ダメなものはダメだ」。
「見たんですか?」
「見なくてもわかる」
活動屋、映画世界は怖いと思ったものである。

映画「万引き家族」は心理学の「べき思考」で説明すると納得する。
万引きはすべきではない。
大人は働くべきである。
子どもは学校に行くべきだ。
男女が一緒にいたら婚姻関係を結ぶべき。
映画では最低30分経過までに登場する人物の関係を説明すべき。
映画は観客を楽しませるべきもの。

こういう「べき」をすべて壊したのがカンヌの「万引き家族」。
1時間見ても、登場人物同士の関係がわからないんだよ。
最後まで見ても物語がよくわからなくネットでチェックする始末。
よくこんなのを是枝裕和さんは作れたなあ。
これにカンヌを与えた世界も、
地上波で10パーセント超えしたわが同胞にも畏敬の念を覚える。

すごい映画を見た。
スーパーで万引きしちゃうと思ったら、他家の子どもも万引きしちゃう。
すぐに仕事を辞めてしまう。
昼からだらだらソーメンでビール。女から誘ってふしだらなセックス。
きもちええがな。
女子高生は学校に行かないで、触りなしの風俗店で働いている。
らくしてもうかるがや。
ばあさんが死んでも国に報告しないで、庭に埋めちゃう。
まあ、いいんじゃん、当面は。
発覚しなければ、先を考えない。いまだけ主義。
そしてそして、これらの人物は一緒に住んでいるが家族かどうかわからない。
そしてそしてそして、いいかげんな生活がけっこう楽しそう。
最後は公権力から誘拐と死体遺棄の罪で罰せられる。
え? でもでも、え? おれたち楽しく過ごしていたんだけれどなあ。
それでダメなの? え? え? どうして?
実際は「万引き家族」がみんなで
孤独老人やリストカット少女、虐待児童を救っていた。
助け合っていたと見えなくもないが、
それは公的にはやっぱりダメなんだあ。
捕まっちゃったよ、アハハ。

大人は働くべき。
子どもは学校に行くべき。
女子高生は風俗店で働くべきではない。
万引きはすべきではない。
親は親らしくすべき。
男は男らしく、女は女らしくすべきである。
正しい日本語を使うべきだ。
セクハラやパワハラ、モラハラはすべきではない。
家族はこうあるべき、社会人はこうすべきという規範がある。
しかし、それが本当の幸福かなあ?
是枝裕和監督は早稲田大学第一文学部文芸専修を卒業したスーパーフリーな人。
おもしろくはないが、こころに残る作品ではあった。
これを評価するものは、世間的に正しいふるまいをしていると思う。

最近の邦画だと思う。最近が10年になっちゃうのがおっさんだから。
恋人を事故で亡くした傷心のピアニスト、
ガッキーが長崎の離島に音楽教師として行き、合唱部を指導する。
生徒の傷をいやすことでおのれの傷もいえるという王道パターン。
こういうのを見たかったのだから、それを製作できるのはすごい。
現代版の「二十四の瞳」という前宣伝だった。
どうして「二十四の瞳」は芸術なのに、こっちは商業なのかね?
あっちだって、元は商業でしょ? そもそも映画は商売やねん。
「二十四の瞳」と比べると「くちびるに歌を」はわかりやすい。
「二十四の瞳」は好きだが、
白黒だし、いまの子はストーリーに追いつけないと思う(実はわたしも)。
学童の顔がみんなおなじで、むかしの人ってあたまがよかったの?
「くちびるに歌を」は感動ポルノのようなわかりやすさがあってよい。
最後の合唱発表会は、
鈍感なわたしでもわかるほどの催涙プッシュ画面が続く。
しつこいといえばそうだが、いまはあのくらいやらないとわかってもらえない。
少なくとも映画オンチのわたしはわからない。
はじめてガッキーを見た。そして、忘れた。

最近のスウェーデン映画。ジェイコムで視聴。
30分くらいで限界といったんストップ。
ネットで調べたら大好評で、スウェーデンの人の5人にひとりが見たとか。
スウェーデンといえばこころの師匠、ストリンドベリの国。
ハチマキを締めなおして再視聴する。
スウェーデンのブルーワーカーが死ぬまでの回想記。
何度も自殺しようとして、そのたびに回想が入る構成。
最後は自殺ではなく自然死できてよかったね(なのか?)。
この偏屈なおっさんの人生唯一のエピソードは妻との恋愛結婚。
まあ、ふつうの人の人生ってこういうものなのか。
そのくらいしかないのが人生かしら。
映画サイトで絶賛されていたが、
よさをわからなかったのは結婚していないからかも。
この映画を見たのは、たまたまやっていたから。
それとタイトルにひかれた。
映画はまったくわからない。
書籍よりは多数派層を意識したメディアなのだろう。

台風が来たとき、日本映画放送チャンネルで視聴。
緊急速報みたいのが入っていないのがよかった。
福井の田舎女子高生が、全米のチアの大会で優勝するまで。
実話をもとにしているとのこと。

仏教的なことを考えた。
この映画は最初に全米大会に参加するシーンを出している。
前宣伝でも優勝していることを告知している。
最初からネタを割っているわけだ。

これって法然のほうの大無量寿経と一緒なわけ。
あれは最初から法蔵菩薩が阿弥陀仏になったことを書いている。
阿弥陀仏になったことを前提に法蔵菩薩の努力がアピールされる。
口汚いことをいうと、報われることがわかっている努力が描かれる。

この「チアダン」もかならず報われる努力。
顧問の先生が自己啓発本を山のように読みながら、目指せ全米チア!
創価学会的なノリはかなり大衆に評価されていた。
主演の広瀬すずはかわいかったが、もう覚えていない。
街で見てもわからない。

シナリオとしては本当にうまい。
こうすれば多数派に気に入られるという構成を極め切った職人の仕上げ。
広瀬すずとイケメンの高校生のラブをくどくなく描いていた。
サッカー大会の経費の削り方はうなった。
部長の子のエピソードも手短に、しかし効果的に描いていたと思う。
みんなから愛される映画だと思う。
それがいいのか悪いのかは、ともかく。

お色気学園コメディー。原作は漫画でなぜか読んだことがある。
これはバカにされる類の作品だが、
この低予算でこれを作れる関係者に拍手。
何度もバカバカしくて大笑いした。
昭和のエロ本的なサブカルのノリを特化した感じで、これはうまい。
しかし、12歳以上にならこんなお色気を見せてもいいのかなあ。
まあ、見ようと思えば小学生でもネットでなんでも見られる時代。
主役の女の子は元アイドルで、最初はありがちな顔だなと思っていたが、
見ているうちに時間とともにかわいいなあと。
もしかして映画の鑑賞方法とはこういうものではないか。
こんなことをこの年齢まで知らなかったとは恥ずかしい。
こういう映画を見て、これは現実じゃないと怒る人はいないでしょう?
もともとフィクションはそういうものだし、それが娯楽ってもの。
あんがい人を救うのって芸術作品ではなくこういうものかも。男性ね。

BSフジでやっていた、
去年のなんとか賞を取ったというドキュメンタリー番組。
関係者に迷惑をかけたくないから実名を出さない。
主役は、北海道の建築会社の社長さん。45歳だったか。
難病で医師から余命4年だかを宣告されている。
おそらく個人的に神との取り引きをしたのだろう。
善行として元受刑者を雇用している。
とにかく善人ぶっているところが、
テレビ的にわかりやすく、ある種の視聴者には不快だろう。
善というものは相対的な概念で悪を必要とする。
善人ぶった社長さんは、
おのれの善行のために悪たる元受刑者を必要とする。
いわゆる世間的な善行を否定するわけではないが、
自己顕示欲にはげんなりした。

自分は善であるからと元受刑者を怒鳴りつけるのも北海道らしかった。
寒かったということである。
代々の土建屋らしく社長さんはリッチで奥様もビューティフル。
派手なことが好きでむかしながらのファミリー経営。
社員はみんなファミリーみたいな。
元受刑者に渡すのは寮費を抜くと1日2千円だとか。
それで怒鳴る。尊敬されたがる。感謝を雇用者に要求する。
元受刑者を慈悲で雇ってやっても10人に9人は逃げると慈善家は嘆く。
それはあなたの人使いが問題では、
とはだれも余命宣告を受けたものにはいえない。
よく酒を飲んでいた。
思いのほか長生きして、それはなかなかいい人生なのではないか。
本人にとってのみだが、人間なんてそんなもの。
最近のドキュメンタリー邦画。
日系アメリカ人の禅僧が奇人、善人ぶっているが
じつは自分勝手なやつだったという。
禅でいう自由は、要するに自分勝手といえなくもない。
途中、監督と禅僧が喧嘩している。
どうやら老僧が命令口調になってきたのが原因らしい。
映画に出たいという虚栄心も、監督の表現欲もよくわからなかった。
結局、「死にオチ」で禅僧が死んで終わる。
この映画を禅僧がよみがえって観たら激怒するでしょう?
そういう映画を製作するのが芸術ってものなのでしょうか?
で、それを観て楽しむのが文化人?

最近のハリウッド映画みたい。ジェイコムで視聴する。
余命宣告をされたリッチなホワイトとプアなブラックが意気投合して旅をする。
「棺おけリスト」というものを作って、死ぬまでにやりたいことを消化していく。
90分程度と短く、想像以上に楽しめた。
日本のあるサイトの感想をぜんぶ見たが、
だれも指摘していなかったのはプアブラックの宗教的安心。
宗教はある程度の無心、痴呆性を要求されるが、
あの安心は金では買えない。
人を救うこと。だれかを助けること。人を喜ばすこと。
そういう意味のことがリストに入っていたことには宗教の意味を考えさせられた。

もちろん、考えてみたのは、自分の死ぬまでにやりたいこと。
ないんだよなあ、これが。
世界一周旅行とか飽きるだろうし、めんどうくさい。
タージマハルなんか死ぬまえに観ても大したことはない。
久しぶりのわかりやすい英語が耳に心地よかった。
レット・ウォーター・テイク・ユーとか言っていた。