わたしは小説で若い女性の一人称は「あたし」を使った。
「あたし」はダメだと年長者から言われた。「私」に変えたほうがいい。
なぜなら自分のまわりで「あたし」を使う人がいないから。
「あたし」も「私」も耳で聞けばおなじようなもんじゃないですか?
それに小説で会話を続けるとき、
「あたし」を使うと話者が女性だとわかりやすい。
いちいち「~~」と冴子が言った――とやらなくていい。
「お約束なんですよ」と説明したが、ご納得いただけなかった。
そんなお約束を壊してメタを目指してほしいと言われた。
「メタってなんですか?」と質問したら、
自分のように集合論(?)をやっていないとわからないとお答えいただく。
メタ小説の意味はよくわからないですが、わかりにくそうじゃないですか?
「わかりやすさ」と「メタ」を同時追及するのはかなり難しいと思う。

思い出したのはむかし宮本輝の小説を否定したこと。悪かったなあと。
30くらいの女性が語尾に「わ」を使っていたのを、ありえないと否定した。
「行ってきたわ」みたいな女性語。
いちおう、その年代の女友達に確認したうえである。
しかし、あれはお約束で漫画雑誌「スピリッツ」なんかでも、
ふつうに「わ」は登場する。
漫画やアニメの影響か、女子中学生の会話を盗み聞きしていたら
10代の女の子が「わ」を使っているのには驚いた。
女性語の「わ」は現実からいったん消えて、
漫画やアニメといったフィクションで復活してリアルに舞い戻ったのかもしれない。

どうやら次回の小説のテーマは、
「仏教布教のためのわかりやすい製品、機械、部品」らしい。
こうはっきりとテーマがわかると書きやすい。
文学味はいっさい消して、部品のような小説を書きたい。
「あたし」は使わないで「私」にする。
書いたことのある人ならわかるだろうが、
思い入れのある作品ほど否定されると辛い。
機械になって部品を組み立て発注元の望む製品をつくりたい。
なぜかといえば3作目のお金がほしいからである。
そのお金があるかないかで、人生は大きく変わるだろう。
発注元が3回と言い出したことだから、どうかお願いします、神さま、仏さま。
しかし、口約束。
そういうお約束をいただいたという嬉しい報告メールは方々に出しているが。
「契約書を交わさないんですか?」と聞いたら、
約束は守るとおっしゃる。自分を信じてほしい。
「もし約束を守らなかったら、いつものようにブログで叩けばいいじゃない?」
長年の「本の山」のファンの御仁でした。

そういえば昨日だったか、
宿敵シナリオ・センターの小林幸恵社長に電話をした。
シナセン関係者(本人がそう自称している)が、
悪辣な批判コメントをしばしば書いてくるので
どうにかならないかという相談。「シナセンに謝れ」と。
人間はなぜその行為をするのか自分でも意味がわからないことがある。
あとで行為の意味を知る。
「あれから10年経ったのよねえ」
と語り合い懐かしさで胸がいっぱいになった。
「わたしはいまさら謝ってほしいとか思いませんが、
シナリオ・センターはわたしに謝罪してほしいんですか?」
と聞いたら、いろいろな意見があっていいと思うとのお答えだった。
「いまでもうちのことを恨んでいるんでしょう?」と聞かれ、
思わず正直に「はい」。
「しかし、シナセンへの恨みがあるから生きていけるというか、
そういう面では感謝しています」と答えたら小林社長は笑っていた。
わたしも笑った。まさか笑って話せる日が来るとは思わなかった。
匿名掲示板に悪口を書かれるのは、読まなければいいのである。
わたしはそこらへんはけっこうタフで本当に読まない。
しかし、コメント欄に直撃されると読まざるをえず、
匿名悪辣批判は本当に困る。
どうか対策をしてくださいとお願いしたが、
どうにもならないことは小林社長もわたしもわかっていた。
10年まえに話したときより、声がマイルドになっていた。
小林社長が10年で変わり、そしてわたしもまた変化したのだろう。
「ドラマは変化である」――シナリオ・センター創設者の新井一の言葉である。