むかし漫画雑誌「月刊スピリッツ」に
掲載された新人作品「誰にもなりたくない」(不正確)。
タイトルの記憶はあいまいだが、やるなあと思った。
何度も繰り返し読んだし、いまでも覚えているのだから相当なものである。
孤児院で育った孤独な男性が工場で淡々と働く。
めんどうくさそうな自意識過剰な女工から
「あなたみたいな人になりたい」と言われ、安アパートから逃げ出す。
似たようなライン工経験のあるわたしには身につまされる話であった。
しかし、大賞は別の作品で佳作か副賞どまりだった。
わたしからしたら大賞の作品はドタバタしていておもしろくなかった。
どうしてこっちが大賞ではないのか怒りさえ覚えた。
おそらく選考委員の花沢健吾コミックライターが
ボロクソに批判していたからだろう。
「なにを言いたいのかわからない」とか、全否定していた。
花沢健吾コミックライターの「アイアムアヒーロー」こそ、
わたしにとっては「なにを言いたいのかわからない」の極地だったので、
そういうものなのかと納得したものである。
身もふたもないことをいうと、人間って階層があるよね。
たびたびモデルにしてごめんなさい。
このまえ大宮のAさんと花見をしたとき、マルエツでつまみを買ったのだが、
Aさんがサラダも買わなきゃって、マカロニサラダかなんかに手を出したの。
わたしはピシャリ。
「それはサラダではないです。野菜なんてほとんど入っていない」
「え? だって、サラダって書いてあるよ」
この溝は埋められないとスパゲティーサラダで手を打った。
マヨ系は好きだから、まあ、うまかったのだが。
Aさんと気が合うということは、わが階層はかなりのものではないか。
出身階級といってもよい。
基本的に怒号が飛び交う底辺職場で賃仕事をすることが多かった。
安賃金のため酌婦程度とも交際がない。
畢竟、人間を下に下に見てしまうところがある。
わたしが書いた小説なり文章なりを、
たとえばAさんにわかってもらえるとは思わない。
純文学とか書く人はそのあたりをどう処理しているのだろう?
お嬢さまやお坊ちゃまで周囲には高貴な階層のものしかいないのか?
「AVなんて男女がパコパコしているだけでつまらない」
花見の席でそういったら、Aさんが大うけしていた。
パコパコがよかったらしい。
「どうしてつっちいそんな言葉を知っているの?」
「おなじ階層だからですよ」とは言えなかった。
9月30日に「文学界新人賞」の締切だが、すごいなあ。
前回の応募数が2100って、そのなかで、
それぞれ小説観の異なる下読みを納得させ最終選考に残り、
受賞にいたるなんて一生分の運を使い切ってしまうのではないか?
それに賞金が50万って……。
50万のために2100もの純文学作品が書かれるのか。
で、選考委員にはボロクソに言われるんだろう。
無冠の100万と文学界新人賞の50万なら、
みんな後者を選びそうなところがあり、それが「文学」の魔であろう。
いまの時代の新しい「文学」なんてよしんばあったとして、
だれがそんなものを読むのだろう? 関係者しか読まないと思う。
むかしは芥川賞作品くらいブックオフ経由で追っていたが、
いまはそれすら余力も情熱もない。
書いてみてわかったけれど、小説創作はものすごくたいへんで、
これまで他の作家の小説をかなりボロクソに言ってきたことを悔いた。
恥じ入ったといってもいいかもしれない。
だが、2100ものエネルギーをもっと他のところに使ったらいいのに、
そうはさせないのが「文学」という魔なのであろう。おお、こわっ。
ある程度の老齢になり富にも恵まれると、人は後進を育てたいと思うらしい。
尊敬されたい。先生と呼ばれたい。勲章がほしい。
そこで彼(女)が始めるのが塾である。
カント塾、猫猫塾、シネマ塾、ビジネス塾、弘道会――。
教えの道を弘めようとか野望をいだく。我欲ではなく慈悲(のつもり)。
それはそれでいいのだが、その強い教導性がわからない。
自分は絶対善で逆らうものは去れよ、みたいなさ。
わたしは人になにかを教えるなんてとんでもないが、
もしかしたら相手の相手なりの新発見を間接的にお手伝いする触媒には、
めったになかろうがごくたまになら、なれるのかもしれないと思う。