パソコンが起動しなくなり初期化したと思ったら今度はキーボードが動かなくなる。聞いたらパソコンの寿命は5年らしく、もうこのパソコンに買い換えて6年半。キーボードを買い換えるという手もあるそうだけれど、パソコン自体も明らかにおかしい。もうこのあたりが年貢の納めどきか。しかし、いま体調がよくない。立っているだけで、くらくらする。とてもパソコンを新しく買ってネットにつなげる体力がない。酒が悪いのだろう。5日ばかり酒をやめたら体調はかなり復活する。その勢いでパソコンを買いに行くしかあるまい。

この記事はどうやって書いているのかというと、マウスは動くのである。だから、携帯電話(ガラホ)からメールをパソコンに送り、それをコピペしている。長文は書けない。

昨日はゆっくりと時間をかけて精神科医で作家の春日武彦先生のご新刊「猫と偶然」を味読した。今日はおもしろかった部分を再読して、いざ感想を書こうと思ったらキーボードの異常である。正式な感想文を書くのは先になることを非常に申し訳なく思います。「猫と偶然」はいかにも春日先生らしい世界が深まりを見せていることが未熟な読者であるわたしにもよくわかり、長年の愛読者には先生の変化も感じられ、読書の純粋な楽しみを久々に満喫させていただきました。他人の世界を知るのって楽しい。ここをこう書き直したらいいと思うところはひとつもなく、春日武彦さんが春日武彦の世界の奥行きを深められているのがとにかく嬉しく、春日さんをさらに好きになったが、わたしは別に氏から好かれたいとは思わない。ベタベタした人間関係を嫌う気持はよく理解できるため、礼状はあえて送りません。著者は書いた本を送る。読者はそれを真心を込めてゆっくり読み、つたない感想文を綴る。影響を受ける。そういう歪な関係も春日先生となら許されるような気がします。本書はくくりでいえばエッセイ集になるのでしょうが、「深大寺」「猫・匂玉」「黒い招き猫」「歓声」は上質な私小説としても読める。とくに「歓声」は春日武彦という人間の私性がうまく表現されており、ちょっと過去にも例のない名作になっている。どこまで事実かわからないが、内容が事実でも虚構でも、あれだけうまい言葉で人間を描ける作家がいまそれほどいるとは思えない。本書の新機軸は奥さまを登場させているところで、かなり気を使って書いているのがわかり、春日夫婦のどこか非日常的な日常が愛読者のわたしには親しみをもって伝わってきて、生意気をいうようだが微笑ましい。楽しい読書だった。嬉しい読書だった。春日武彦先生は言葉の使い方が非常にうまく、このたびの読書でも影響をたぶんに受けた。本書の新機軸はもうひとつあり、わたしの大好きな患者の悪口がいっさい書かれていないこと。にもかかわらず、これだけの名作を書ける春日先生はもう「精神科医で作家」ではなく、「作家で精神科医」だろう。本人にしたら春日武彦というひとりの人間なのに色眼鏡で見るほうが間違えているのかもしれない。これからも春日武彦さんの世界を遠くから覗き見る楽しみがあると思うと生きているのもまんざらではない。正式な感想は後日。

人間って怖いもので他者はどこまでもわからなく、それまで穏和だった人がいきなり豹変して、声を荒らげテーブルをばんばん叩くこともあるが、人間はそんなものであることをわたしは春日武彦さんや山田太一さんの作品から学んだ。人間なんて、そんなもの。人生なんて、そんなもの。しかし、そんなものばかりではないことも両氏の作品から教わったことだ。そういう嘘のような希望を求めて、いまでも飽きずに河合隼雄さんの本を読んでいる。本当が嘘になることも、嘘が本当になることもある。いまでもわたしごときが春日武彦先生からご新刊を送っていただけることが嘘のようで本当のこととは信じられない。嘘のような本当である。思い返せば、そういう不思議なことが、わが人生ではよく起こる。そのような星回りなのでしょう。