むかし漫画雑誌「月刊スピリッツ」に
掲載された新人作品「誰にもなりたくない」(不正確)。
タイトルの記憶はあいまいだが、やるなあと思った。
何度も繰り返し読んだし、いまでも覚えているのだから相当なものである。
孤児院で育った孤独な男性が工場で淡々と働く。
めんどうくさそうな自意識過剰な女工から
「あなたみたいな人になりたい」と言われ、安アパートから逃げ出す。
似たようなライン工経験のあるわたしには身につまされる話であった。
しかし、大賞は別の作品で佳作か副賞どまりだった。
わたしからしたら大賞の作品はドタバタしていておもしろくなかった。
どうしてこっちが大賞ではないのか怒りさえ覚えた。
おそらく選考委員の花沢健吾コミックライターが
ボロクソに批判していたからだろう。
「なにを言いたいのかわからない」とか、全否定していた。
花沢健吾コミックライターの「アイアムヒーロー」こそ、
わたしにとっては「なにを言いたいのかわからない」の極地だったので、
そういうものなのかと納得したものである。
身もふたもないことをいうと、人間って階層があるよね。
たびたびモデルにしてごめんなさい。
このまえ大宮のAさんと花見をしたとき、マルエツでつまみを買ったのだが、
Aさんがサラダも買わなきゃって、マカロニサラダかなんかに手を出したの。
わたしはピシャリ。
「それはサラダではないです。野菜なんてほとんど入っていない」
「え? だって、サラダって書いてあるよ」
この溝は埋められないとスパゲティーサラダで手を打った。
マヨ系は好きだから、まあ、うまかったのだが。
Aさんと気が合うということは、わが階層はかなりのものではないか。
出身階級といってもよい。
基本的に怒号が飛び交う底辺職場で賃仕事をすることが多かった。
安賃金のため酌婦程度とも交際がない。
畢竟、人間を下に下に見てしまうところがある。
わたしが書いた小説なり文章なりを、
たとえばAさんにわかってもらえるとは思わない。
純文学とか書く人はそのあたりをどう処理しているのだろう?
お嬢さまやお坊ちゃまで周囲には高貴な階層のものしかいないのか?
「AVなんて男女がパコパコしているだけでつまらない」
花見の席でそういったら、Aさんが大うけしていた。
パコパコがよかったらしい。
「どうしてつっちいそんな言葉を知っているの?」
「おなじ階層だからですよ」とは言えなかった。
9月30日に「文学界新人賞」の締切だが、すごいなあ。
前回の応募数が2100って、そのなかで、
それぞれ小説観の異なる下読みを納得させ最終選考に残り、
受賞にいたるなんて一生分の運を使い切ってしまうのではないか?
それに賞金が50万って……。
50万のために2100もの純文学作品が書かれるのか。
で、選考委員にはボロクソに言われるんだろう。
無冠の100万と文学界新人賞の50万なら、
みんな後者を選びそうなところがあり、それが「文学」の魔であろう。
いまの時代の新しい「文学」なんてよしんばあったとして、
だれがそんなものを読むのだろう? 関係者しか読まないと思う。
むかしは芥川賞作品くらいブックオフ経由で追っていたが、
いまはそれすら余力も情熱もない。
書いてみてわかったけれど、小説創作はものすごくたいへんで、
これまで他の作家の小説をかなりボロクソに言ってきたことを悔いた。
恥じ入ったといってもいいかもしれない。
だが、2100ものエネルギーをもっと他のところに使ったらいいのに、
そうはさせないのが「文学」という魔なのであろう。おお、こわっ。
ある程度の老齢になり富にも恵まれると、人は後進を育てたいと思うらしい。
尊敬されたい。先生と呼ばれたい。勲章がほしい。
そこで彼(女)が始めるのが塾である。
カント塾、猫猫塾、シネマ塾、ビジネス塾、弘道会――。
教えの道を弘めようとか野望をいだく。我欲ではなく慈悲(のつもり)。
それはそれでいいのだが、その強い教導性がわからない。
自分は絶対善で逆らうものは去れよ、みたいなさ。
わたしは人になにかを教えるなんてとんでもないが、
もしかしたら相手の相手なりの新発見を間接的にお手伝いする触媒には、
めったになかろうがごくたまになら、なれるのかもしれないと思う。
最近、好意的援助的なブログコメントが続いているので感謝しています。
パソコン購入の件、勉強になります。

むかしのコメント欄でも大感謝した人がいて、
今日その記事にアクセスがあったので再覧。
中国人の若い女の子が日本人に犯されまくるAVはなんだったかなあ。
「これが日本のAVです!中国人留学生に涙の中出し○○連発!」
とご即答いただき、その調査力にあっぱれ参ったしたものである。

タイトルでググったら動画が出てくる。
当時は最初しか見なかったが、最後まで見たらすごい。
経験人数ひとりの
25歳の日本語がけっこうペラペラのかわいい中国人女性が
九州かどこかにきて、
野外で日本のこぎたないおっさんにナカダシ輪姦されまくる。

ぶっ飛んだのは数十人からナカダシされるギャラが18万円。
途中で彼女は屹立した男根に囲まれながら、
ナカダシはやめてと泣き叫ぶ。
Pはおまえのギャラを半額の8万にすると脅す。
この時点で計算が合っていないのでPは鬼畜である。
顔射(顔にぶっかけ)なら8万円はらってやる。
これは仕事だ。仕事を舐めるな。

野外には4、50人の勃起男性が様子を見守っている。
続けられる顔射。25歳のシナ女性が悲鳴を上げる。
顔に出すのはやめて。あと何人なの? 顔は精液まみれである。
Pいわく、これは仕事だ。仕事はつらいもんだ。我慢しろ。

最後にいかにも屈強な色黒青年が現われ桃花ちゃんにナカダシする。
約束が違うじゃないのと泣く桃花ちゃん。
「あなた、人間性ないの?」
ボキャブラリーから中国若年女性の賢明優秀さがうかがえる。
Pは非道で「仕事にはハプニングが存在する」と怒鳴る。
この会場やAV男優を集めるのにいくらかかっているのかと大声で威圧する。
桃花に「おまえギャラをすべて諸経費に回すぞ」と、
それが日本の常識のようなことを言う。
4、50人から身体をおもちゃのように遊ばれた桃花ちゃんは渋々うなずく。

いやがっている女の子に対して、
異国の子だからか、チンポをぎんぎんにたぎらせている男たちが怖かった。
あるいは従軍慰安婦は事実だったのかもしれない。
男らしくなくて申し訳ない。動画にはいっさい興奮しなかった。

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妄想の男女差
もう人生は敗戦処理で負け戦の後始末だが、
女遊びというものをしたかった。
そもそも女遊びがなにを意味するのかもネット検索後のいまもわからない。
わたしは握手をふくめて、知らない人から身体を触られるのが嫌いである。
見知らぬ商売女と当たり障りのない会話をするのも嫌い。対人恐怖症。
父親譲りのひどい吃音症だが、
これでは障がい者手帳を取れないので関係団体をひそかに恨んでいる。
女遊びとか楽しい人には楽しいのだろうなあ。
元体操の池谷某さんも酒を飲めないのにキャバクラ通いをしていたとか。
酒を飲んでも接客上手な商売女とでさえしどろもどろ、
対人恐怖症で吃音症の醜い顔の貧困が身体に染み込んだわたしには、
池谷さんが池田先生のように思える。人間革命したいなあ。
大宮のAさんから連絡があり、まあ飲まないかと。
かつての派遣同僚である。還暦間近。
いま体調が悪いことを話して、秋にでも晩秋にでもという話になった。
まえにAさんと会ったのは花見のときである。男ふたりさしの花見。
ムショあがりで独身の男はいまも精力絶倫らしい。
スマホでYouTubeの痴漢動画を見ていると酔っぱらって白状した。
長い(短い?)職務経歴でプライベートまでいったのはこの人だけで、
とにかくおもしろい人で小説のネタにできないか何度か考えたくらいである。
Aさんと出会ったのは某菓子会社の倉庫なのだが、
いきなり男はわたしの目のまえで、
それなりに高額のクッキーを積んだものを大量に床にぶちまけてくれた。
新しい職場で、おどおどしていた僕にとって
「失敗してもいいんだ」というメッセージのように思えて気が楽になった、
その後、Aさんと話すとそれほど落ち込んでいないので、
あるいは大物ではないかとさえ思ったものである。

お互い契約期間終了で菓子倉庫を離れた。
なんとなく派遣くずれのように単発をしながら中年ニートをしていたとき、
Aさんがうちの近所のパチンコ工場で働いていることを知り、
調べてみると新たな募集も出ている。応募した。
あの夏の汗だらけのパチンコ台運搬は忘れられない。
契約期間終了後に1階の仲間で赤羽の「鳥貴族」で打ち上げをした。
いわゆる会社の飲み会は初体験で忘れがたい想い出である。
パチンコ工場でAさんとは持ち場が違ったが、
ランチと帰宅時はいつも一緒だった。
決して単純な善人というわけではなく、ときには1時間遅刻する。
おとといの話である。
体調不良を訴え、
「もう女にも興味がなくなっちゃいましたよ」とショートメールに書いた。
59歳のAさんは毎日、朝立ち(朝勃起)がすごいことを誇り、
こう返答してくれた。
「つっちいはまだまだ若いんだから大切な女子とこれから必ず出会えます」

嘘って本当よりもいいよなあ。
師匠「ダメじゃ。わしの世界にはいたっていない」
弟子「あと何回、書き直せばいいんですか?」
師匠「わしの世界に到達するまでじゃ」
弟子「わしの世界って……」
師匠「それは言葉にはできん」
弟子「教えてください」
師匠「だから、それは教えられん。わしは偉い。その世界までついてこい」
弟子「これはどうでしょう?(再提出)」
師匠「わしの世界はこんなものではない(激怒)」
弟子「すいません」
師匠「いや、いいのじゃよ。わしの世界は深いのだ」
弟子「ああ、先生には遠く及ばない」
師匠「いや、きみにはポテンシャルがある」
弟子「これでどうですか?(再々提出)」
師匠「バカヤロウ。わしの世界はこんなもんじゃない!(怒鳴る)」
弟子「先生の理想郷はなんですか?」
師匠「それは言葉では言えんな。だが、わしはそこに達している」
弟子「先生は偉いんだなあ……(ため息)」
師匠「(えっへん)」
弟子「これはどうでしょう?(再度提出)」
師匠「ダメじゃ。わしの世界にはいたっていない」
弟子「あと何回、書き直せばいいんですか?」
師匠「わしの世界に到達するまでじゃ」
弟子「わしの世界って……」
師匠「それは言葉にはできん」
弟子「教えてください」
師匠「だから、それは教えられん。わしは偉い。その世界までついてこい」
ある人との約束で25日までに大掃除と新しいパソコンの設定を終え、
26日からは健康診断に向けて長期禁酒に入るつもりだったが、はたして。
いまHDMI入力端子のあるデスクトップパソコンは本当にない。
ジャパネットたかだにもはじめて電話してしまったよ。18万のが1台きり。
コメント欄で教わったパソコン工房にも電話したさ。
ここだと10万ちょっとで希望のものが手に入るらしいが、秋葉原でしょう?
自分でパソコンを組み立てるとか、ちょっと。
いままで量販店で完成形のしか買ったことがないし、なんかアキバこわい。
さらに到着まで10日近くかかるらしいから25日新出発は無理。
義兄は一流会社員で、いわゆるできるやつなのだが
(僕の正体を芯から知っている姉があまり話させてくれない)、
彼がその方面に詳しいらしく、姉経由でいまご返答を待っているところ。
明日、老体病体に鞭打って池袋(ビックカメラ、ヤマダ電機)、
秋葉原(パソコン工房)とめぐったほうがいいのかしら。
聞くとわかることが多い。
秋葉原は銀座とならぶ二大の嫌いな街で、いつも道に迷うが、しかし。
それとも健康診断までこのパソコンをなだめながら、
ごまかしごまかし使い、
健康体になってから(なるのか?)動き始めたほうがいいのか。
細かな話を言えば消費税の増税もかかわってくる。
小説締切だった7月のクレカ請求料金が異常に高い。
ああ、あのときは書けたら死んでもいいと、なら栄養を取らなきゃと、
通常の金銭感覚を逸脱した食費を計上したのであった。
でも、20万のパソコンは高いよなあ。
なんと体力が衰えているかという話だが、
もう7月の小説創作時点で今年のエネルギーは
使い果たしてしまったような気がします。本当に疲れましたね。
でも、それはわたしにとってはゴールでも、
スポンサー様にとってはスタートだったようです。
これから「無限校正」のようなものをやるから大変だぞとおっしゃる。

スポンサー様が拙作にダメ出しする。それをわたしが書き直す。
常に相手が「正しい」という前提で、こちらは無限回数の書き直しをする。
どんな作家にもできるのは自分の世界を深めるだけで、
天才でも他人の世界をそのままは描けないのですが、
新潮新人賞以上のお金を支払った側がそれを要求したいのはわかります。
「無限校正」は常に命令口調、断定口調。「ここはそうではない」――。
いきなりある個所を「削除」と指示されることもあります。
「いくらなんでも削除はないでしょう」
と申し上げたら「急いでいたんだ」とのご返答。
「無限校正」を繰り返したら、限りなくわたしの世界は薄まることでしょう。

「下の陰毛」はダメと指摘されます。「上には陰毛はないだろう?」
でも、「下の陰毛」でも通じるし、そう書きたかったんですよと言ってもダメ。
ワカゾウには若僧と若造のふたつあります。
わたしはあえて若僧にしたのですが、ここもダメ出しされました。
「なぜなら老人は僧のことを僧と思っていないから若造にすべき」
どうしてスポンサー様が作者もわからない作中人物の気持を
わかっているのか不思議でしたが、
お金をいただいている手前、書き直しますと答えるしかありません。

自分を世間知らずだなあ、と思ったのは、
このときポロっと口をすべらせたこと。
「○○さんが『正しい』から直すのではなく、
『お金』をいただいているからですよ」
そんな生意気な口調はスポンサー様の逆鱗に触れたことでしょう。
その直後に怒鳴られました。
ヒロインの名前も否定されました。要は、変えたほうがいいのではないかと。
ヒロインは「冴子」ですが、これは井上靖「あすなろ物語」のヒロインのひとり。
宮本輝の初恋は「あすなろ物語」の「冴子」です。
宮本輝「流転の海」シリーズ最終巻「野の春」で、
宮本輝を思わせる青年と恋仲になるのは「大谷冴子」。
わたしは「冴子」を使うことで井上靖と宮本輝に敬意を表明したのです。
そんなのは読者にはわからないと言われても、
作者はそういうものがないと作中人物に思い入れを抱けません。

「小説ではここで心中表現をすべきではない」
といった小説研究家でもあるかのようなこちらを疲れさせるコメントもあり、
下請けの苦労を身をもって感じました。
よくご存じの世間を教えてくださっていたのでしょう。
下請けにはなにをしてもいい。それが世間です。甘くない世間です。

製本するといっても有料の自費出版ですから(スポンサー持ち)、
「無限校正」を延々とやっているかぎり、お金は出ていきません。
世間を知ったようなふりをして物申しますと、
資金繰りが苦しい会社は「無限校正」が最適解になります。
いざ製本はされても公刊はされないみたいです。
万が一、みなさまが愚作をお読みになりたいと思われたら、
直接当方にご注文いただくしかない。
読んでいただけるだけでありがたいので、お金なんか取りません。
スポンサー様も「無限校正」後の本は四国で無料で配るそうです。
「慈悲だ」とスポンサー様はおっしゃっています。

たしかに慈悲でギャラは群像新人文学賞よりもはるかにいいのです。
いま思ったのは、もちろんスポンサー様と相談したうえで、
冗談半分で今回の拙作を群像新人文学賞に応募したらどうなるか?
10月31日締切でネット応募もできますからプリンター不調でも大丈夫。
「土屋顕史 43歳 無職」「土屋顕史 43歳 派遣社員」――。
確率的にはありえませんが、
万が一佳作にでも入ったら、一部で笑いの渦が起きましょう。
わたしは老け顔で、まあ醜いので、
伸びしろのようなものを関係者にまったく感じさせないことでしょうから。
「仏教しばり」の会話が多い小説ですから「群像」向けではないかもしれません。

作家に可能なのはその人の世界を深めることだけで、
依頼主様の世界は表現できないのですが、お金、お金、お金!
なんとかうまく双方の折り合いを見つけたいです。
たとえ四国で拙作が無料配布されても、こちらにメリットはありませんが、
1年間小説や仏教への情熱を復活させてくださったお礼と考えます。
作家で精神科医の春日武彦氏のご新刊は「猫と偶然」――。
パソコンが一時的に回復(?)したいま読み直したらやはりおもしろい。
いい味が、極上味が出ている。
昨日のブログ記事で山口組の弘道会のことを書いた。
そうしたら今日、神戸で弘道会の幹部が暗殺されかけたという。
偶然だろう。偶然であることはわかっている。
しかし、占い師めいたこういう偶然が非常に多い。
わたしの小説処女作は京アニ放火事件を予言していたとも言える。
わたしとしてはこういうことが多いため、いつものことかと思っていたら、
依頼主様がその神秘性にブルブルしておられた。
たしかに小説のタイトルも内容も、解釈によっては京アニ事件を当てている。
タイトルを伝えたのは事件1週間まえで、完成したのは数日まえ。
本当にこういう不思議な偶然はわたしの人生でよく起こるので、
ふふん、いつものことかと思っていたが、
人によってはスピリチュアル的な恐怖、憧憬さえ感じるものなのかもしれない。
ねえねえ、世間さま、もっとも僕を重んじて、厚遇して、お金をおくれよ。
こんなことを書くから「土屋さんは世間を知らない」
と大声で怒鳴られ、テーブルをばんばん叩かれるのかもしれません。
でもさ、僕さ、ほんとさ、なんか持ってるで。やばいものを。
いくつかまえの記事でコージーメイト(契約社員)のことを書いた。
いい人だったと。親切で好ましい人だったと。
彼が報われないのはおかしいと。
当時の派遣同僚にAさん57歳がおり、なんだかんだといまでも交流がある。
Aさんによると、コージーメイトのYさん43歳はひどく性格が悪く、
意地悪な嫌味を何度も言われたという。
あいつはねちねちした最低のやつ。
Aさんがそう言うからにはそうなのだろう。
だが、Yさんは僕にはとてもやさしかった。
Yさんの自信なさげなところが好きだったと言ってもよい。
そのYさんが14歳年上のAさんにはきつく当たっていたのか。
わからないよなあ。おもしろいよなあ。
ただお菓子を箱に入れるだけの毎日をみなさんどう思っていたのだろう?
それにも細かい決まりがあって、向きとか入れ方が厳しいのである。
一時期ふざけて懐かしくもありコージーコーナーの菓子を数度贖い食したが、
マドレーヌが曲がっているのなんて数知れぬほどあったぞ。
クッキーが割れているのもあまた。
どうせ味は変わらないからクレームなんて入れようとも思わなかった。
あんがい、ああいう仕事へのこだわり(マドレーヌの向き!)は、
顧客のためではなく、むしろ毎日単純反復労働を
繰り返すベテラン低賃金者のためにあるのかもしれない。
女はダブルインカムになるからいいが、男で低賃金はつらい。
人によって意見は分かれるだろうが、女のピークは15~30歳。
一方で男のピークは30歳~45歳くらいではないか。
女はピークのうちにいい男を捕獲して遺伝子を残さなければならない。
浮気や不倫が許されない文化だと、26歳で結婚した男はそこで男が終わる。
浮気や不倫を感情的に批判否定するのは99%女とみてよい。
せっかく自分が獲得した成長しつづけるATMを泥棒猫に取られてたまるか。
若いうちに詐欺被害者のように性欲に導かれ結婚した男は、
30を過ぎたら厳しい嫁にはない「甘いもの」を求めたくなるのではないか。
しかし、それはピークを過ぎた嫁で母の女には許せない。
テレビや芸能界を好むのは女。
テレビや芸能界を支えるのはスポンサー(巨大資本)。
このため、浮気や不倫がこうまで指弾されるのであろう。
わたしは恋人や妻が浮気や不倫をしても、
まあそうしたくもなるねと思うのみだろう。
おれなんかよりいい男はいっぱいいるでしょ?
なのに、小生なんかとわずかでもお付き合いくださり、ありがとうございますだ。
うつ病患者のようなことを言ってみると、
みんな何が楽しくて生きているのか?
ほしいものなんてある? おれないよ。ただお金はほしい。
とはいえ、何かを買うためのではなく、漠然とした不安を消すためのお金。
10億円なんていらないし、手に入れても生活レベルは変わらないと思う。
下衆を承知で書くと、「人の悪口」って楽しくない?
新しい職場に入り数ヶ月も経過すると職場の人間関係がわかってくる。
誰と誰が仲悪いとか、誰が誰を好きだとか。
そういうのって、しみじみ、生きる楽しみのひとつだと思う。
人間の意外な一面とか見ると胸が躍る。
10億円なんかゲットしたら、そういう楽しみを失うとも言えるわけだ。
偶発的なハプニングも生きる楽しみ。
わけがわからない不思議な偶然は、
どこか神仏の存在を予感させてくれるため楽しい。
おお、そう来ましたか、みたいな驚きは楽しい。

ほかに生きる楽しみって何があるのだろう?
人によっては絶対に抵抗できない相手を、
威圧的に怒鳴るのが楽しいというものもいよう。
おまえのためを思っているんだ、とか鬼コーチを気取りながら。
根性を鍛えなおしてやる、とか。
いわゆる恋愛は金銭関係だと信じたいから興味がない。
若さはほしいよなあ。
43歳にもなると体力の衰えを自覚すること甚だしい。
20代のときのようにはとてもいかない。
半面、老いのよさもあって、
この年齢になると人の評価を求める気持もだいぶ薄まる。
この程度の人生だったかという諦念が生じるためだ。
つまらない精彩がない毎日。
この倦怠感は高額の占い師に頼るほど高尚なものではない。
いつ死んでもいいし、生きていてもいいなんて書くと中学生のポエム。
いまはとりあえず新しいパソコンを買う金銭と判断力、
それを設定、ネット接続する元気がほしいくらいでいいのかなあ。
いつパソコンや健康がフィニッシュするのかわからないので書いておく。
最近、やたら43歳男の犯罪が目につく。43歳。
過去の戦績が明確に判明して、
未来の絶望坂が見える年齢なのかもしれない。
40を超えるともう派遣系、よくても契約社員しかない。
年収は200万円ちょっと。
そこから住民税や社保(年金等)を引かれたら手取り十数万円。
家賃は5、6万円の独房。
本人は医療にかかる金もないのに、社会保険を負担。
老人は高い検査を1割負担で長寿三昧。
なまじっか顔も性格もいいので、一度は結婚もしたようだが、
あまりにも金がないので愛想をつかされる。
思い切って自分はこんなところで働く器ではないと会社を辞めたが、
結果はどこにも雇ってもらえず、明日の金に困って前職場に土下座復職。
顔も性格もいいのは僕も見たからわかるが、押しが弱い。怒鳴れない。
わたしをふくめて彼のことを嫌いな人は少ないだろうが、オーラが貧しい。
いちおう契約社員なのに、
旦那が正社員の女性パートからはみなバカにされている。
ここまでかというほど、あわれになるほど、かなしくなるくらい。
口癖は「金がない」――。
そんな彼は末端派遣の僕を怒鳴っていびっていじめてもいいのに、
そういうことをしなかった。親切であった。いい男であった。
あの人はなにが楽しくて生きているのだろう?
コージーコーナーの同年代、Yさんは忘れえぬ人のひとり。
顔も性格もいいし、いい人なのだが、
そこを弱点と思う人がいまは多いのやもしれぬ。
アルコール依存症の病識(自覚)は、
ふんだんにたっぷり目いっぱいございますですね。
このまえある人に目は黄色くなっていないかと黄疸の有無を聞いたら、
まだ大丈夫とのことで、いいのか悪いのか、ひと安心(していいのか?)。
むかしは酒で人に迷惑をかけることも多かったが、最近は自制している。
酒に酔った還暦近い相手から「世間知らず」と大声で怒鳴られ、
あたかも喧嘩でも売っているかのようにテーブルをばんばん叩かれ、
まるでそう山口組の武闘派で知られる弘道会のヤクザのような
示威行為を現前で暴力的にされても、笑顔でいられたくらいである。
「まあまあ、怒るのはやめましょうよ」

どうやら荒ぶる酒としみじみする酒があるようだ。
わたしはむかし酒を飲むと荒ぶったが、いまはしんみりする。
長らく好きだったのは、父の影響かビール。父おなじでビール一辺倒。
結局、外で飲むといちばん原価率が高いのはビールなのである。
これは諸説あるが、生ビールと瓶ビールの問題がある。
わたしはめずらしいだろう瓶ビール派。
生ビールは薄くて味がなくて、いくら飲んでも酔わない。
水で薄めているなんていう都市伝説を疑いたくなる。
銀座ライオンとか専門店ならば、生ビールもうまいが、価格は異常である。
一方で瓶ビールはどこで飲んでも味が安定している(そりゃそうなのだが)。

居酒屋営業経験の過去を持つ父に言わせると、
飲み放題で生ビールを出すといくらでも飲まれちゃうから赤字になる。
このため、むかしながらの瓶ビールを飲み放題でも出していたという。
しかし、聞いた話だと生ビールは営業マンによる販促キャンペーンがあり、
無料で大量の生ビールをおまけしてもらえるらしい。
いまは体調不良だからそんな自信はないが、
むかしのわたしは中生ならば6リットル飲んでも千鳥足にならなかった。
そのときでさえ瓶ビール12本(6リットル)はかなり足に来た。
いま食べログで調べると、居酒屋の飲み放題の生ビールは別料金でしょう。
瓶ビールで飲み放題をやっているところなど、
よほどの高級店しか見かけない。
アル中、ヤク中、違法薬物犯罪者の中島らもの言うように、
酒は味わうために飲むものでもあるが第一義は酔うこと。
さして味わいのない、いくら飲んでも酔わない生ビールなんぞを
居酒屋の飲み放題で頼むのも業腹である。
かといって、いまの若者のようにジュースまがいの酒を飲むのもどうだか。
あれの原価って数十円レベルだぞ。

今年の夏の驚きはビール(もどき)をあまり飲みたくならないこと。
20年近くビール(もどき)ファンだったのが、こうも変わるのか。
昨年の秋くらいからその傾向はなくもなかった。
決して怒ったり物に当たったりすることのない、ある関係の、
まあスポンサー様の影響からか日本酒を飲みだしたらこれがうまい。
うまくなった。井上靖の影響かもしれない。
小説締切日が迫り自棄になっていたこともあり、
もう金も命も終わってもいいと、
そんなえせ文豪モードから飯田橋にある高級日本酒飲み放題にも行った。
そこでいわゆる高級銘酒を飲んだら本当にうまいのである。
うまいのはわかるが、だがしかし、
毎日こんなうまいものを飲みたいとは思わなかった。
1年に1、2回飲めたらいいと。
いつもは井上靖の好きだったという「白鹿」の、それも紙パックので。

だれにも読まれない可能性が
非常に高い小説処女作を書き終わったらまた変化が。
日本酒が野暮ったくなってきた。
で、なんだかいままで大嫌いだったアルコール度9%の、
ジュース風味のどこまでも安っぽいウォッカベースの、
ストロング缶チューハイが意外といけるのではないかなんて。
数値的に見たら、いちばん安く酔えるのはブラックニッカのハイボール。
家飲みの話。あれを4リットルで買って、1リットル百円程度の、
ペットボトル(レモン)炭酸水で割るのがもっともコスパがよい。
味の問題でもブラックニッカは癖がなく、どのつまみとも合う。
しかし、いまのわたしはどうしてか数値的には酔うはずの、
ブラックニッカハイボールでは酔わない。
いささかも酩酊による昂揚や陶酔が訪れない。
ブラックニッカの(ダイエット)コークハイを飲むと
逆に目がさえてくるのだから怖い。

いちばん嫌いな季節は夏で、大好きなのは秋。
秋といえば梨。果物はどうも苦手だが梨だけは別であれは人生の果実。
いまもいまスーパーでは梨の缶チューハイが売りに出されている。
いまうちにひと缶あるのはサントリーのそれ。
原材料を見たら、ウイスキーとブランデーのブレンドらしい。
アルコール度はわずか4%。この秋梨チューハイを料理する。
ジョッキに氷を盛りだくさん。
ペットボトルの怪しい無名焼酎を半分くらいまでどぼどぼ。
そこに梨の缶チューハイを革命投入。これでどろどろに酔う。
知る人ぞ知る天龍カクテルならぬYonda?カクテル。
ちかぢか1、2ヶ月禁酒をして区の健康診断を受ける。
そこで異常が出たら、そのときの話。
入院も視野に入れているが、医療保険にはひとつも入っていない。
ガンなら末期にいたってはじめて知りたいという厭世観を持っております。
みなさまはお盆休みはいかがお過ごしになりましたか?
わたしは血縁とも友人とも知り合いとも会わず、
孤独に酒を飲みながらお掃除していました。
今年に入ってからもう覚悟を決めた「文豪モード」。
小説創作のこと以外、すべて知らぬ存ぜぬの先延ばし。
締切日に人生が終わってもいいとまで思っていました。
家は本やメモ書き、開けていない郵便物、ごみが散乱して坂口安吾状態。
坂口安吾はアルコール依存症で睡眠薬中毒の戦後無頼派作家。
ようやく人を呼べる状態まで家をキレイキレイにしましたよ。
といっても、いまや来てくれる人はひとりもおりません。

ようやく部屋の掃除を終え、さきほど近所のコジマ&ビックカメラへ。
いまテレビ一体型のディスクトップパソコンって流行らないみたい。
東芝さまもディスクトップからは手を引いて、いまはノートパソコンのみ。
うちはジェイコム放送をパソコンのモニターで見ているのだが、
そのためにはパソコンにHDMI入力の端子がないといけないとのこと。
で、いまのパソコンにHDMI入力機能があるものは非常に少ない。
店頭在庫を調べてもらったら富士通のやつだけで20万円だとか。
いまのこのパソコンは8万5千円で買ったのよ、そない殺生な……。
賭けに出る。もうパソコン自体が終わりそうな気配がぷんぷん。
しかし、キーボード交換で急場をしのげるか。
キーボードを換えてもパソコンの故障でどうにもならないかもしれない。
そうなったらキーボード代金は掛け捨て。
安い有線キーボード千5百円を購入(安い!)。
いま恐るおそる接続したら、かろうじて動いたって話。

むろんこれは一時しのぎで、いつパソコンが壊れてもおかしくない状態。
パソコンがなかったら買物もバイト探しもままならぬ。
どこかに行きたくても駅の経路がわからない。
じつは2週間以上まえからキーボードを
買い替えたらどうかとは言われていたのだが、あえて後回しにした。
実際問題としてキーボードがなかったらブログは更新できない。
すると、なにがいいか。書いちゃいけないことを書かなくて済むのである。
さんざんいまここには書けない愚痴を聞いてもらったあとで、
旧友は「これは天のはからいよ」とか言っていたっけ。
たしかにそうだったのかもしれない。
あの日にキーボードが壊れたのは深い意味があったのかもしれない。
繰り返すが、いまでもいつなんどきパソコンが壊れても、
まったくおかしくないほど画面は不安定で不穏。
今月末にお金が入らなかったらと思うとゾッとする。
パソコンが起動しなくなり初期化したと思ったら今度はキーボードが動かなくなる。聞いたらパソコンの寿命は5年らしく、もうこのパソコンに買い換えて6年半。キーボードを買い換えるという手もあるそうだけれど、パソコン自体も明らかにおかしい。もうこのあたりが年貢の納めどきか。しかし、いま体調がよくない。立っているだけで、くらくらする。とてもパソコンを新しく買ってネットにつなげる体力がない。酒が悪いのだろう。5日ばかり酒をやめたら体調はかなり復活する。その勢いでパソコンを買いに行くしかあるまい。

この記事はどうやって書いているのかというと、マウスは動くのである。だから、携帯電話(ガラホ)からメールをパソコンに送り、それをコピペしている。長文は書けない。

昨日はゆっくりと時間をかけて精神科医で作家の春日武彦先生のご新刊「猫と偶然」を味読した。今日はおもしろかった部分を再読して、いざ感想を書こうと思ったらキーボードの異常である。正式な感想文を書くのは先になることを非常に申し訳なく思います。「猫と偶然」はいかにも春日先生らしい世界が深まりを見せていることが未熟な読者であるわたしにもよくわかり、長年の愛読者には先生の変化も感じられ、読書の純粋な楽しみを久々に満喫させていただきました。他人の世界を知るのって楽しい。ここをこう書き直したらいいと思うところはひとつもなく、春日武彦さんが春日武彦の世界の奥行きを深められているのがとにかく嬉しく、春日さんをさらに好きになったが、わたしは別に氏から好かれたいとは思わない。ベタベタした人間関係を嫌う気持はよく理解できるため、礼状はあえて送りません。著者は書いた本を送る。読者はそれを真心を込めてゆっくり読み、つたない感想文を綴る。影響を受ける。そういう歪な関係も春日先生となら許されるような気がします。本書はくくりでいえばエッセイ集になるのでしょうが、「深大寺」「猫・匂玉」「黒い招き猫」「歓声」は上質な私小説としても読める。とくに「歓声」は春日武彦という人間の私性がうまく表現されており、ちょっと過去にも例のない名作になっている。どこまで事実かわからないが、内容が事実でも虚構でも、あれだけうまい言葉で人間を描ける作家がいまそれほどいるとは思えない。本書の新機軸は奥さまを登場させているところで、かなり気を使って書いているのがわかり、春日夫婦のどこか非日常的な日常が愛読者のわたしには親しみをもって伝わってきて、生意気をいうようだが微笑ましい。楽しい読書だった。嬉しい読書だった。春日武彦先生は言葉の使い方が非常にうまく、このたびの読書でも影響をたぶんに受けた。本書の新機軸はもうひとつあり、わたしの大好きな患者の悪口がいっさい書かれていないこと。にもかかわらず、これだけの名作を書ける春日先生はもう「精神科医で作家」ではなく、「作家で精神科医」だろう。本人にしたら春日武彦というひとりの人間なのに色眼鏡で見るほうが間違えているのかもしれない。これからも春日武彦さんの世界を遠くから覗き見る楽しみがあると思うと生きているのもまんざらではない。正式な感想は後日。

人間って怖いもので他者はどこまでもわからなく、それまで穏和だった人がいきなり豹変して、声を荒らげテーブルをばんばん叩くこともあるが、人間はそんなものであることをわたしは春日武彦さんや山田太一さんの作品から学んだ。人間なんて、そんなもの。人生なんて、そんなもの。しかし、そんなものばかりではないことも両氏の作品から教わったことだ。そういう嘘のような希望を求めて、いまでも飽きずに河合隼雄さんの本を読んでいる。本当が嘘になることも、嘘が本当になることもある。いまでもわたしごときが春日武彦先生からご新刊を送っていただけることが嘘のようで本当のこととは信じられない。嘘のような本当である。思い返せば、そういう不思議なことが、わが人生ではよく起こる。そのような星回りなのでしょう。
8月1日、地獄がやってきた。パソコンが起動できねー。
東芝の「あんしんサポート」に朝からさっきまで5、6回電話した。
初期化するしかないですね。データぜんぶ消えますよ。
「失うものない」と強気で、しかしべそをかきながら「はい、了解です」。
断捨離だ、過去を捨てるんだ、白紙からはじめの一歩だー。
まだいろいろインストールしているところ。1日では終わらんかった。
まず不安だったのはパスワードを覚えているか。
このFC2ブログのパスワードはなんだったか。
ふたつメールアドレスを持っていますが、どっちも記憶しているか。
そのらへんの問題はいま解決した。
困ったのは初期化して、新しく入れたら字が以前よりも小さくなったこと。
で、文字表示を「大」にしても大して変わらない。
うちのブログは改行が変だとよく言われるけれど、
あれは自分のパソコンで見やすい改行にしていただけなの。
文字表示を「大」にしてもまだ以前よりも字が小さく読みづらく、
そして改行がおかしくなっていて読みにくいことこの上ない。
自己愛者だから以前の記事をけっこう読み返すのだが、これからは大変。
被災者でべそをかいているYonda?さんに、
ぜひぜひあたたかいご支援や励ましのコメントやメールを。

明日もまた朝から東芝さんに電話させていただく。
パソコンは東芝を買ってよかった。
東芝は昔から好きで電子レンジもわざわざ高い東芝製を買ったのだが、
1年半経過の冬に壊れ、修理に出すと1ヶ月以上かかると聞き、
寒い時期にそれはないだろうと他社の安い電子レンジに買い替えた。
わたしのなかで東芝の株が大幅に下がったものである。
しかし、今回の東芝の「あんしんサポート」で株は急上昇復活。
次のパソコンもまた絶対に東芝にします。「あんしんサポート」があるかぎり。
このブログを書いているページもまた文字が小さくなっている。
いままで以上に誤字が増えると思いますが、どうかご容赦ください。
春日武彦さんの最新刊を読むはずだったのに、まさに一寸先は闇。
お気に入りやデータ、ぜんぶ消えたよ。おれにはもう失うものはない。