「けれども」の精神もまた、たいせつって話。
人と人はわかりあえないけれども、けれども、けれどもの話。
言葉で人間はわかりあえるというのは錯覚で、
むしろ微笑や、落胆の表情や土下座のほうが伝わることがある。
そんなことをこのまえ姉夫婦に土下座してわかった。
前日の23時半にメールが来て、明日墓参りに行くと。
姉絶対主義者の僕は、これは「おまえも来い」という意味だと解釈。
当日は土砂降りで、そのせいではないが、単なる僕の不始末で40分遅刻。
姉から怒っているメールが矢のように飛んでくる。
わざわざユニクロ1万円スーツを着て行き、
姉、義兄、姪のまえで芸能人を真似て深々と土下座したものである。

後日、聞いたらあのメールは「来い」ではなく単なる報告だったとのこと。
「前日の23時半に来いなんて言うはずないじゃない」
母の遺骨霊園は歩いて20分くらいのところにあり、
姉にあたまが上がらない僕は23時半のメールを
「明日、来い」と解釈してしまった。
言葉は通じない。
正確な言葉を使えば、
意味は絶対的一義的に通じると思っている方もおられる。
誤解する、誤解されるのが当たり前で、
そもそも人は言葉をもってしてもわかりあえないと思うが、
そうは思わない人もいて、
それもまた一種の味わいだと思えなくないこともない。
大学生のころ、レポートで、10枚だったのに3倍、4倍書いたことがある。
テレビ番組がどうの、という授業で、先生がいい人で出席を取らず、
そうなるともちろん行かない。
そのわたしが稚拙な評論「ふたりのシンジ」を書いたのである。
「ふたりのシンジ」とは、
当時流行していた社会学者の宮台真司と脚本家の野島伸司。
本気になって気狂いめいてものを書いたのはあれがはじめてかもしれない。
宮台真司と野島伸司が好きな、
バカでアホなスーパーフリー大学の女子部の学生だった。
「高校教師」「人間・失格」「未成年」――忘れられないドラマである。
くだらぬ評論を書くのに、
もっとも役立ったのはサブカル雑誌「ブブカ」の野島伸司特集。
「ブブカ」ってまだあるのかなあ。
いまなら若気の至りとも言えるが、
本当に宮台真司と野島伸司が好きだった。
計算とかなにもなく、ただ書きたくて「ふたりのシンジ」を書いた。
教授はおそらく読んでもくれなかったとは思うが「A」をくれた。
いい大学だったと思う。
長年、どうしたら小説やシナリオを書けるのかわからなかった当方が、
ああ、そういうことかとわかったヒントのようなものを書きたい。
言っておくが、小説やシナリオの公募は運、運、運。
負け犬の遠吠えのように聞こえるかもしれないけれど、
あれで運を落として人生がめちゃくちゃになった人は大勢いると思う。
もっともそれがいいのか悪いのか、善悪のようなものはわからない。

創作方法のひとつとしてわかったのは「わからない」。
たとえば主人公がある日、
偶然からある人のカバンのなかを盗み見てしまう。
カバンのなかになにが入っていたのか?
それは作者も「わからない」。
なにか入っているかもしれないし、空(から)かもしれない。
繰り返すが、作者にも「わからない」。
翌日も翌々日も「わからない」。他人のことは「わからない」。
ある日あるとき、なーんだと入っていたものがわかる。

だれも興味がない仏教の話をすると、法華経の中身は「わからない」。
最後の最後まで真理は説かれずに終わり、法華経が真理であると。
しかし、そうとしか真理は表現できないという形態はわかる。
それが真理ではないか、とも言えるわけである。
「わからない」のが正しい。
読み込んだことのある宗教作家は、
カトリックの遠藤周作と創価学会の宮本輝である。
どっちも聖人ぶらないところで聖人ぶっている。
わかるかな、この表現?
自分は聖人ではないと聖人ぶってアピールしている。
宗教作家は遠藤周作も宮本輝も、どうしてか説教臭くなる。
遠藤周作のなにより好きなものはふたつあり、
それは一流店の飯と目下のものへの思いあがった説教だったという。
宮本輝も説教が好きで、
村上龍との対談で若い女の子は軽々しくおっぱいを見せちゃいけない、
とか解釈しだいでは爆笑をもよおしかねない説教をしている。

そうそう、宮本輝と村上龍の対談で笑ったところ。
宮本輝が、忙しくて村上龍の最新作を読めなかったって。
そうしたら村上龍も、僕も輝さんの最新作を読んでいませんって。
村上春樹は有名だけれど、村上龍っていまなにをしているの?
村上龍も途中から小説に説教を入れるようになった。
「5分後の世界」のサラリーマンへの説教に共感した、
大学生の恥ずかしい僕。
村上春樹は2000年までほぼぜんぶ読んでいるけれど、
あまり説教をしない人だよね。
ベストセラー「ノルウェイの森」で、
「自分に憐憫の情を持ってはいけない」のような説教があって、
大学生のころは、そういうものかと思ったが、
いまは自分を憐れんでもいいと思う。

説教とメッセージというのは微妙で、
それはこの小説はなにを言いたいのかわからないという一定数の
バカ読者がいるためとも言える。
本物は説教を入れずにメッセージを入れられるのだが、
それだと売れない。多くの人にわかってもらえない。
おそらく創価学会の宮本輝も本気になれば、
説教を使わない名作短編を書けるのだろうが、それは売れない。
なにを言いたいのかわからないとか言われてしまう。
いつもの説教トーンがいいと言われてしまう。
僕の話などどうでもいいが、いわゆる説教作家で、
かなりメッセージをわかりやすく入れるほうである。
読者を信じていない。人間を信じていない。
宗教作家は物語がうまいが、僕はたぶん下手だと思う。
9月1日は夏休みの終わりで18歳以下の自殺が多いらしい。
脳内統計だと、うちのブログの読者様は高齢者ばかり。
18歳以下の読者様はいないのではないか。
自殺したらいけませんが、
生きていてもいいことはありませんよ。
自殺したらいけませんが、
いま負けているあなたは一生零落者です。敗北者。
自殺したらいけませんが、
あなたの人生はよくて一生ニート。
自殺したらいけませんが、
あなたを好きになる異性なんか現われるって思う?
自殺したらいけませんが、
あなたが将来お金を稼げる可能性はゼロです。
自殺したらいけませんが、
あなたは明日学校に行ってまたいじめられるのです。
自殺したらいけませんが、
この先、日本は真っ暗です。
自殺したらいけませんが、
老人のために税金を払うよき社会人になってください。
自殺したらいけませんが、
あなたが漫画家や声優になれる可能性はゼロです。
自殺したらいけませんが、人を殺してもいけません。
いまの若者って辛そう。
いや、おれたち団塊ジュニアのほうが「つらたん」だったのかもしれない。
KDDIからショートメールが来てさ。
「このメールが届いた方限定!」
「スマホに特別価格で機種変更できます」
「いまだけのチャンス! 9月30日まで!」

なーんか詐欺っぽい香ばしいメールである。
しかし、作家で精神科医の春日武彦先生でも、いまはスマホ族だと考えると。
ここはスマホに乗り換えるべきなのか。
パソコンが動かなくなってわかったのは、おのれのネット依存。
安いパソコンの購入方法もネットに接続しないとわからない。
楽天西友ネットスーパーやユニクロから買物をできないのも辛い。

じつはネット依存の傾向があり、ネットのジャンクなニュースは大好き。
1日中でも見ていられる。
小説なんか読まなくなること必定。
さっき近所の工事現場の警備員。
この酷暑のなかお疲れ様ですと思ったら、日陰で椅子に座りスマホ。
こんな高齢者がスマホをしているのかという驚きと、
こんな楽そうな仕事があるのかという二重の驚愕であった。

おれ、朝とか出勤時に警備員と挨拶するのが好きでさ。
おっ、なんか社会に参加しているぜ、みたいな山田太一的感覚。
あれほど不真面目な警備員は見たことがないが、
たしかにあの場所は車も人も通らないし、あれでいいと思う。

スマホに換えようかなあ。
スマホにしたら若い女の子との出会いがあるんでしょ(妄想)?
春日武彦的やや精神病的妄想をするとガラケーからスマホに換えた瞬間、
運勢のめぐりがよくなって、
女の子にモテモテでお金も入ってきてウハウハになる可能性もなくはない。
でもさ、エーユーショップってやたら混んでいて1時間待ちとかざらだしね。
スマホをやるとスピードが速まりそうだが、
数日メールボックスを開かなくても、まあいっか、
と思えるこのゆったりモードも捨てがたい。
ゲスな男なのはばれていると思うのでゲスなことを書く。
人と話して楽しいのって3つ。
1.お金の話
2.人の悪口
3.差別ネタ
最初は1から入り、関係が深まると2にいたり、最後は3。
こんなことを書いたら、軽蔑されるかな。
人をあまりにも低く低く見すぎているのかもしれない。
でも、どこが安いとか、こうしたら税金が得だとか、普遍的会話。
それから人の悪口は会話の王道。
人の悪口がうまい人というのがいて、まさに生きている醍醐味。
よほど親しくならないとできないが、差別ネタは盤石のごとし。

嫌いなのは初診でもないのに病院の診察で時間を取る人。
調査したら正しいことがわかるだろうが、
女性は男性よりも診察時間を多く取る。
医者に話を聞いてもらいたいという気持がどうにも理解できない。
わたしなんか「今回はあれの調子が悪いので、このお薬ください」
の常時3分診療希望患者だから医者には嬉しい存在のはず。
わたしが3分で終えているから、ほかの人に20分取れるのである。
このまえ25分近くひとりで時間を取っているおじいさんがいて、
たまたま一緒にいた姉に、
「あんな老人になっても死にたくないのかね」と言ったら、
「そんなことを言うものではない」と怒られた。ぐすん。
姉に逆らえない弟。

ちょっとまえワードの使い方がよくわからなくて姉に電話したら、
「今日対応しなきゃダメ?」と怖い声で言われたが、
その日のうちにやってくれた。
で、その説明を読んだのだが、よくわからない。
姉にあたまが上がらないダメな弟。
どうして男は先生になりたがるのだろう? 威張りたいのか?
小学校5、6年のときの担任が古家眞で、こいつがひどかった。
いまはどこかの大学で客員教授として、学生に教育学を教えているらしい。
いままで何度も古家眞のひどさは実名で書いてきたが、
民事裁判を起こされてもいないし(そもそも出廷しないが)、
たとえ裁判とやらで負けても払う金がないから徴収できまい。
そもそも、そもそもの話だが、これは事実だから古家眞もどうしようもない。
古家眞はすごかったなあ。伝説の小学校教師である。
とにかく児童を男女構わず殴る。
平手ではなくグーで殴ることもしばしばあった。
自分の姉はフジテレビ社員だから、
報道されることはないと自慢気に言っていた。

それから女子を脱がす。
小学校5、6年ともなれば、
どこのクラスも女子は保健室で健康診断をやっているのだが、
古家眞だけは自分の教室で、男子を排して、少女を真っ裸にしていた。
事実である。事実であるから、この数年、訴えられてもいないのだろう。
姉がフジテレビの社員の現在大学教授、古家眞の醜聞は続く。
中学になってからの同窓会で知ったのだが、
古家眞は女子生徒に性的悪戯をしていたらしい。
よく女子生徒を膝に座らせていたが、そのとき股間をもてあそんでいた。
これはYさんから聞いた話で、
おなじことをされたという女子生徒の証言も複数ある。

この文章の結論は、古家眞教授の弾劾ではない。
先生になりたいなあ、という夢想である。
さすが小中はないが、高校や大学の先生になって女子学生に悪戯したい。
セクハラではない。悪戯である。
ハブとまむしがおなじか別かはわからぬが、
まむし酒が出てくるのは太宰の「親友交歓」。
わたしのなかではハブもまむしもおなじ。違うと言われたらすまん。
太宰の小説では田舎者の自称親友が、
太宰のたいせつなウイスキーを豪快に飲み干し、
「まむし焼酎に似ている」と言った。小説の前半。
これでいいかな?
定年後の老人の夢に、「こだわりそば屋」があるらしい。
1.とにかく自分にこだわりたい。
2.自分を打ち出したい。
3、自分の味を求められたい。

「自分の味」ってなんだろう?
バカはいちから手打ちを学ぶようだが、
経営を考えたら経済的に不遇な有能職人を、
相手の想像以上の報酬で呼び寄せるほうが科学的効率的確率的正解。
何回もそばをつくらせ、
これは自分の味じゃないと批判する経営者的醍醐味。
自分は師匠で、
弟子の腕を人生経験から鍛えているのだという指導者、お大尽気分。
相手が自殺したら、「あいつはおれのような根性がなかった」で終わり。
代わりはいくらでもいる。また新しいそば職人を鍛えたらいい。
そういうおそば屋オーナーにだまされてもいいからお金がほしい。
父が焼鳥屋だったので、いやしい食のことばかり考えている。
食はいやしい。ほかの命を口にしてみずからが生き残る行為なのだから。
わたしは父の影響か、刺身が好きだが、あれは料理と言えるのか。
ほぼ素材勝負だろう。
魚がよければ、切り方で見かけは変わるが、味は変わらない。
この場合、うまい料理人とは目利きと同義である。
西洋人コックなんて、
いい魚を目にしたらどのように自分で料理するかを考えるのではないか。
味を自分好みに変えようとする。それが料理だと思っている。
それもまた正しく、わたしはこってり料理された逸品も好きである。
安居酒屋で枝豆なんて注文するのは理解できない。
そのままの素材はダメでも料理をすればうまくなるものもある。

自分で料理したい。これをコントロール願望という。
どいつもこいつも自分好みの味に変えてやる。コントロールしたい。
自分の味覚が絶対だ。
自分が「うまい」ものはみんなも「うまい」に決まっている。
刺身で食べればいちばんいいものをフライにしたがる。
さらにカレーをかけたり、ハンバーグをのせたりする。
それも料理のいち方法であろう。
暴れ馬を自分好みの馬に調教したときの快楽はめったにないだろう。
男が気の荒い自己主張の強い勝気な女に惚れるのはこういう理由による。
素材そのままより、自分好みの味に変える。
それが男だ。男の生きがいだ。いい女はチェーホフの「かわいい女」である。
おまえを屈服させおれの色に染める。おれの味にする。おれが世界だ。
それが男なのかもしれないし、女もそうかもしれないし、
「世間知らず」と成功者から怒鳴られるような甘ちゃんのわたしのことだから、
すべてがまったくの間違いという可能性も大いにありうる。
わたしは小説で若い女性の一人称は「あたし」を使った。
「あたし」はダメだと年長者から言われた。「私」に変えたほうがいい。
なぜなら自分のまわりで「あたし」を使う人がいないから。
「あたし」も「私」も耳で聞けばおなじようなもんじゃないですか?
それに小説で会話を続けるとき、
「あたし」を使うと話者が女性だとわかりやすい。
いちいち「~~」と冴子が言った――とやらなくていい。
「お約束なんですよ」と説明したが、ご納得いただけなかった。
そんなお約束を壊してメタを目指してほしいと言われた。
「メタってなんですか?」と質問したら、
自分のように集合論(?)をやっていないとわからないとお答えいただく。
メタ小説の意味はよくわからないですが、わかりにくそうじゃないですか?
「わかりやすさ」と「メタ」を同時追及するのはかなり難しいと思う。

思い出したのはむかし宮本輝の小説を否定したこと。悪かったなあと。
30くらいの女性が語尾に「わ」を使っていたのを、ありえないと否定した。
「行ってきたわ」みたいな女性語。
いちおう、その年代の女友達に確認したうえである。
しかし、あれはお約束で漫画雑誌「スピリッツ」なんかでも、
ふつうに「わ」は登場する。
漫画やアニメの影響か、女子中学生の会話を盗み聞きしていたら
10代の女の子が「わ」を使っているのには驚いた。
女性語の「わ」は現実からいったん消えて、
漫画やアニメといったフィクションで復活してリアルに舞い戻ったのかもしれない。

どうやら次回の小説のテーマは、
「仏教布教のためのわかりやすい製品、機械、部品」らしい。
こうはっきりとテーマがわかると書きやすい。
文学味はいっさい消して、部品のような小説を書きたい。
「あたし」は使わないで「私」にする。
書いたことのある人ならわかるだろうが、
思い入れのある作品ほど否定されると辛い。
機械になって部品を組み立て発注元の望む製品をつくりたい。
なぜかといえば3作目のお金がほしいからである。
そのお金があるかないかで、人生は大きく変わるだろう。
発注元が3回と言い出したことだから、どうかお願いします、神さま、仏さま。
しかし、口約束。
そういうお約束をいただいたという嬉しい報告メールは方々に出しているが。
「契約書を交わさないんですか?」と聞いたら、
約束は守るとおっしゃる。自分を信じてほしい。
「もし約束を守らなかったら、いつものようにブログで叩けばいいじゃない?」
長年の「本の山」のファンの御仁でした。

そういえば昨日だったか、
宿敵シナリオ・センターの小林幸恵社長に電話をした。
シナセン関係者(本人がそう自称している)が、
悪辣な批判コメントをしばしば書いてくるので
どうにかならないかという相談。「シナセンに謝れ」と。
人間はなぜその行為をするのか自分でも意味がわからないことがある。
あとで行為の意味を知る。
「あれから10年経ったのよねえ」
と語り合い懐かしさで胸がいっぱいになった。
「わたしはいまさら謝ってほしいとか思いませんが、
シナリオ・センターはわたしに謝罪してほしいんですか?」
と聞いたら、いろいろな意見があっていいと思うとのお答えだった。
「いまでもうちのことを恨んでいるんでしょう?」と聞かれ、
思わず正直に「はい」。
「しかし、シナセンへの恨みがあるから生きていけるというか、
そういう面では感謝しています」と答えたら小林社長は笑っていた。
わたしも笑った。まさか笑って話せる日が来るとは思わなかった。
匿名掲示板に悪口を書かれるのは、読まなければいいのである。
わたしはそこらへんはけっこうタフで本当に読まない。
しかし、コメント欄に直撃されると読まざるをえず、
匿名悪辣批判は本当に困る。
どうか対策をしてくださいとお願いしたが、
どうにもならないことは小林社長もわたしもわかっていた。
10年まえに話したときより、声がマイルドになっていた。
小林社長が10年で変わり、そしてわたしもまた変化したのだろう。
「ドラマは変化である」――シナリオ・センター創設者の新井一の言葉である。
「猫と偶然」(春日武彦/作品社)

→作家で精神科医の最新エッセイで、
最初の感想は「8月4日の記事」に書いています。
春日さんとの共通点は運勢を異常に気にしているところだろう。
運というものはどこか神秘的で、
それは「猫と偶然」に結晶しているのではないか。
というのが、作者がタイトルに込めた意味かと思われる。
精神病というのはかなり不可思議な病気だが、
春日医師は長年狂人と向き合ううちに、
運というものにしみじみ思いをはせるようになったのではないか。
20歳とかで統合失調症になってしまったら不幸の極地だが、
原因はよくわからず、しいて言うなら「ついていなかった」しかない。
敷衍すると、これは春日医師にも言えて、
医師がいつ不幸のどん底に落ち込むかはわからない。
みんな自分は大丈夫だと思っているが難病にかかる人はかかるし、
交通事故に遭う人は何秒かの差でどうしようもなく車に轢かれる。
不幸と親和性が高い精神科医は、
持って生まれた不安感や猜疑心に苛まれる。

わたしなど春日武彦さんの1/10の幸運にでもありつけたら、
ケーキにロウソクを立ててひとり祝うが、
それは春日先生の外面(地位・収入・家族)を考えたときのケースで、
内面まで考えてしまうとわからなくなる。
本書で知ったが、あれほどの渾身の大作、
「私家版・精神医学事典」はアマゾンで★ひとつをつけられたのを皮切りに、
書評にも取り上げられず重版もかからなかったらしい。
似たような話をすれば今年、奇特な出資者から依頼され小説を書いたが、
その作品は感情的にボロクソに批判され、
あげくの果ては自作を98万でぜんぶ買い取れという詐欺師めいた指示。
3回契約だったが、1回分のギャラは払わないという。
人生こんなものだが、あんまりだよなあ。
こういうとき春日武彦さんはどうするのかというと、
「買物依存症予備軍」のようになるらしい。
つい無駄なモノやガラクタの類を買ってしまう。その心は――。

「少なくとも当方においては、迷信ないしは魔術的な心性が絡んでいる。
どうでもよさそうな品物を(ボディが限定色のペンとか、
サルの文鎮とか、電子煙草の新型とか)であっても、
それを自分の家に迎え入れることによって運勢がたちまち好転したり、
今まで自分でも気付かないままであった何らかの才能や能力に
目覚める契機になるのではないか
――そんな夢のようなことを考えてしまう。
人生における(好ましい意味での不連続点)が
もたらされているのではないか、と。
考えようによっては、怠惰かつ物悲しい話である。
いじらしい、とでも形容すべきか。
だが当人としては、情けないと思いつつ多少の「ときめき」もあるのだ」(P114)


それは仏教信心のメカニズムと似ていなくもないのだろう。
春日先生の立派なところは、
たとえばカスガ先生オリジナルグッズをつくって(もちろんベースは猫)、
患者に配らないだろうところである。
本当はそのくらいで軽い神経症なら治ることもあることを知りながら。
冗談だが、わたしがつくっちゃおうかな。
猫の春日先生が白衣を着ている置物(ぬいぐるみ)で、
占い師めいたいかがわしきトーンも身に備えている。
用途はいろいろ。夜抱いて寝てもいいし、
ムカムカするとき床に叩きつけてもいい。
サッカーボールの代わりや罰ゲームのパーティー用品としても使えるだろう。

いま落ち込んでいるが、春日先生に相談しても、
「そりゃあ、いまのところどうしようもないだろうねえ」だろう。
おすすめの占い師を教えてくれて、行けとは患者に指導しないだろう。
気持を明るくして笑顔でいないと幸運が舞い込まないのはわかるけれど、
この1年以上、八王子の59歳の事業家に振り回され、妙な夢を抱かされ、
結局はポイ捨てされて、さらに怒鳴られ、
金もあと1回分払わないつもりだろう。
かといって、人生そんなもんだし、いい方面を見たら、
この歳までなんとか生きられていることに
満足しなかったらいけない気もする。
下を見たらきりがないのはわかるが、しかし、なんだかなあ。
努力は報われないのに対し、
若い子がさして努力もしていないのにキラキラしている。
それは運だからどうしようもないのはわかるのだが、いまいち腑に落ちない。
やさしい奥様がいる著書多数の院長先生の春日武彦さんでさえ
そうなのである。

「猫は元気に遊んだり眠ったりしているものの、
わたしのほうはいまひとつ生活に生彩がない。
ことさらトラブルを抱えているとか心配事があるわけではないのだが、
何か輝きに欠ける。カタルシスがない。
この世に生まれて良かった! なんて気分にちっとも遭遇しない。
平穏無事であるのを感謝して、
それ以上を望むなんてバチ当たりだとは思うが、
どうも「つまらない」。冴えない日々を送っているようで気が沈んでくる。
猫の溌剌さに引きずられて気分が高揚してくれればいいのに、
逆にしょぼくれた人生が対比によって炙り出されてくるように思えてしまう。
電車に乗って中野まで出掛けた。占い師に見てもらうためだ」(P154)


春日さんは占い師から開運のかぎは寅(とら)だと教わり、
それにまつわるパワースートーンを購入して、
「やるだけのことはやったのである」
「あとは臆することなく幸運を受け止めるだけだ」と思う。

わたしは占い師に行く金はないが、パワーストーンくらいならなんとかなるか。
一時期、創価学会の数珠を手に法華経を毎朝読誦していたのも、
基本構造は春日先生の占い師やパワーストーンと変わらない。
今回は今度こそはと思っていたのだが、
またもや全身の努力は灰燼に帰した。
慣れないゴマをすったり、相手を立てたり、いろいろ尽力したのだが。
そうすると逆に舐められてしまうのだろうか?
暗く考え込んではいけない。明るく、明るく!

本書は春日さんの本のなかでは、めずらしいくらい明るい色調である。
おそらく外科のナースをしている(現在は手術室師長)奥様を
ひんぱんに登場させているからだろう。
夫婦二人で日光江戸村に行き、
春日さんがマスコットキャラクターの「にゃんまげ」を見つけ、
走って駆け寄り夫婦で交互に記念撮影するシーンでは、
「春日さん、裏切り者、醜形恐怖症ではなかったのか!」という気も失せ、
ただもう微笑ましかった。
スマホを持った春日先生は裏切り者ではなく、
老化とともにいい感じに世界と仲直りをした感じがして、
長年の読者のわたしも安らかな気分になった。
生活力たっぷりの常識感覚をお持ちの奥様と、
世界への違和感で苦しみ続けた離人症気味の春日さんは、
ベストカップルと呼ぶにふさわしい男女でしょう。おふたりに幸あれ。

東日本大震災が起こったとき、
演劇はなにができるのかとか雑誌で読んで吹きそうになった。
文学はなにをできるのかの特集もあった気がする。
文学にできるのは、ありゃあ、たいへんだなあ、と思いながら、
テレビの実況中継を見ながら酒を朝から飲むくらいだと思ったが。
テレビはまだしも、文学に力はありません。
そこらへんを年長者はわかっていない。
演劇なんかほとんどバイト持ち出しの赤字なのだから、
震災をどうこうよりも自分のことを考えろって。
映画もなんか大衆娯楽から学問になっちゃって、
大学で教えられるものに成り下がった。
哲学は自意識過剰発達装置で、
おじいさんは別でしょうが、
若者のあいだではいまどきアクセサリーにもなりません。
令和元年、漫画とアニメ以外、なんにもなくなっちゃった……。
いまの純文学新人賞の選考委員を見たら、
むかし古株たちから「文学的達成がない」
とか意味不明な批判をされていた若者たちが中年になった。
で、彼(女)らが選考委員になったら、また新人に
「文学的達成がない」的な「先輩を敬えよ」的な言説でお茶を濁す。
え? あなた、そんなすごい大作をお書きになってデビューしたんですか?
綿矢りさは選考委員を辞めちゃったし、
あれだけ書ける大道珠貴も選考委員をやっていないし、
柳美里は師匠の教えでやらない方針で、それぞれ美しい。
後輩を厳しくいじめるのは先輩からそれだけいじめられたものである。
むかし漫画雑誌「月刊スピリッツ」に
掲載された新人作品「誰にもなりたくない」(不正確)。
タイトルの記憶はあいまいだが、やるなあと思った。
何度も繰り返し読んだし、いまでも覚えているのだから相当なものである。
孤児院で育った孤独な男性が工場で淡々と働く。
めんどうくさそうな自意識過剰な女工から
「あなたみたいな人になりたい」と言われ、安アパートから逃げ出す。
似たようなライン工経験のあるわたしには身につまされる話であった。
しかし、大賞は別の作品で佳作か副賞どまりだった。
わたしからしたら大賞の作品はドタバタしていておもしろくなかった。
どうしてこっちが大賞ではないのか怒りさえ覚えた。
おそらく選考委員の花沢健吾コミックライターが
ボロクソに批判していたからだろう。
「なにを言いたいのかわからない」とか、全否定していた。
花沢健吾コミックライターの「アイアムアヒーロー」こそ、
わたしにとっては「なにを言いたいのかわからない」の極地だったので、
そういうものなのかと納得したものである。
身もふたもないことをいうと、人間って階層があるよね。
たびたびモデルにしてごめんなさい。
このまえ大宮のAさんと花見をしたとき、マルエツでつまみを買ったのだが、
Aさんがサラダも買わなきゃって、マカロニサラダかなんかに手を出したの。
わたしはピシャリ。
「それはサラダではないです。野菜なんてほとんど入っていない」
「え? だって、サラダって書いてあるよ」
この溝は埋められないとスパゲティーサラダで手を打った。
マヨ系は好きだから、まあ、うまかったのだが。
Aさんと気が合うということは、わが階層はかなりのものではないか。
出身階級といってもよい。
基本的に怒号が飛び交う底辺職場で賃仕事をすることが多かった。
安賃金のため酌婦程度とも交際がない。
畢竟、人間を下に下に見てしまうところがある。
わたしが書いた小説なり文章なりを、
たとえばAさんにわかってもらえるとは思わない。
純文学とか書く人はそのあたりをどう処理しているのだろう?
お嬢さまやお坊ちゃまで周囲には高貴な階層のものしかいないのか?
「AVなんて男女がパコパコしているだけでつまらない」
花見の席でそういったら、Aさんが大うけしていた。
パコパコがよかったらしい。
「どうしてつっちいそんな言葉を知っているの?」
「おなじ階層だからですよ」とは言えなかった。
9月30日に「文学界新人賞」の締切だが、すごいなあ。
前回の応募数が2100って、そのなかで、
それぞれ小説観の異なる下読みを納得させ最終選考に残り、
受賞にいたるなんて一生分の運を使い切ってしまうのではないか?
それに賞金が50万って……。
50万のために2100もの純文学作品が書かれるのか。
で、選考委員にはボロクソに言われるんだろう。
無冠の100万と文学界新人賞の50万なら、
みんな後者を選びそうなところがあり、それが「文学」の魔であろう。
いまの時代の新しい「文学」なんてよしんばあったとして、
だれがそんなものを読むのだろう? 関係者しか読まないと思う。
むかしは芥川賞作品くらいブックオフ経由で追っていたが、
いまはそれすら余力も情熱もない。
書いてみてわかったけれど、小説創作はものすごくたいへんで、
これまで他の作家の小説をかなりボロクソに言ってきたことを悔いた。
恥じ入ったといってもいいかもしれない。
だが、2100ものエネルギーをもっと他のところに使ったらいいのに、
そうはさせないのが「文学」という魔なのであろう。おお、こわっ。
ある程度の老齢になり富にも恵まれると、人は後進を育てたいと思うらしい。
尊敬されたい。先生と呼ばれたい。勲章がほしい。
そこで彼(女)が始めるのが塾である。
カント塾、猫猫塾、シネマ塾、ビジネス塾、弘道会――。
教えの道を弘めようとか野望をいだく。我欲ではなく慈悲(のつもり)。
それはそれでいいのだが、その強い教導性がわからない。
自分は絶対善で逆らうものは去れよ、みたいなさ。
わたしは人になにかを教えるなんてとんでもないが、
もしかしたら相手の相手なりの新発見を間接的にお手伝いする触媒には、
めったになかろうがごくたまになら、なれるのかもしれないと思う。
大宮のAさんから連絡があり、まあ飲まないかと。
かつての派遣同僚である。還暦間近。
いま体調が悪いことを話して、秋にでも晩秋にでもという話になった。
まえにAさんと会ったのは花見のときである。男ふたりさしの花見。
ムショあがりで独身の男はいまも精力絶倫らしい。
スマホでYouTubeの痴漢動画を見ていると酔っぱらって白状した。
長い(短い?)職務経歴でプライベートまでいったのはこの人だけで、
とにかくおもしろい人で小説のネタにできないか何度か考えたくらいである。
Aさんと出会ったのは某菓子会社の倉庫なのだが、
いきなり男はわたしの目のまえで、
それなりに高額のクッキーを積んだものを大量に床にぶちまけてくれた。
新しい職場で、おどおどしていた僕にとって
「失敗してもいいんだ」というメッセージのように思えて気が楽になった、
その後、Aさんと話すとそれほど落ち込んでいないので、
あるいは大物ではないかとさえ思ったものである。

お互い契約期間終了で菓子倉庫を離れた。
なんとなく派遣くずれのように単発をしながら中年ニートをしていたとき、
Aさんがうちの近所のパチンコ工場で働いていることを知り、
調べてみると新たな募集も出ている。応募した。
あの夏の汗だらけのパチンコ台運搬は忘れられない。
契約期間終了後に1階の仲間で赤羽の「鳥貴族」で打ち上げをした。
いわゆる会社の飲み会は初体験で忘れがたい想い出である。
パチンコ工場でAさんとは持ち場が違ったが、
ランチと帰宅時はいつも一緒だった。
決して単純な善人というわけではなく、ときには1時間遅刻する。
おとといの話である。
体調不良を訴え、
「もう女にも興味がなくなっちゃいましたよ」とショートメールに書いた。
59歳のAさんは毎日、朝立ち(朝勃起)がすごいことを誇り、
こう返答してくれた。
「つっちいはまだまだ若いんだから大切な女子とこれから必ず出会えます」

嘘って本当よりもいいよなあ。
ある人との約束で25日までに大掃除と新しいパソコンの設定を終え、
26日からは健康診断に向けて長期禁酒に入るつもりだったが、はたして。
いまHDMI入力端子のあるデスクトップパソコンは本当にない。
ジャパネットたかだにもはじめて電話してしまったよ。18万のが1台きり。
コメント欄で教わったパソコン工房にも電話したさ。
ここだと10万ちょっとで希望のものが手に入るらしいが、秋葉原でしょう?
自分でパソコンを組み立てるとか、ちょっと。
いままで量販店で完成形のしか買ったことがないし、なんかアキバこわい。
さらに到着まで10日近くかかるらしいから25日新出発は無理。
義兄は一流会社員で、いわゆるできるやつなのだが
(僕の正体を芯から知っている姉があまり話させてくれない)、
彼がその方面に詳しいらしく、姉経由でいまご返答を待っているところ。
明日、老体病体に鞭打って池袋(ビックカメラ、ヤマダ電機)、
秋葉原(パソコン工房)とめぐったほうがいいのかしら。
聞くとわかることが多い。
秋葉原は銀座とならぶ二大の嫌いな街で、いつも道に迷うが、しかし。
それとも健康診断までこのパソコンをなだめながら、
ごまかしごまかし使い、
健康体になってから(なるのか?)動き始めたほうがいいのか。
細かな話を言えば消費税の増税もかかわってくる。
小説締切だった7月のクレカ請求料金が異常に高い。
ああ、あのときは書けたら死んでもいいと、なら栄養を取らなきゃと、
通常の金銭感覚を逸脱した食費を計上したのであった。
でも、20万のパソコンは高いよなあ。
いくつかまえの記事でコージーメイト(契約社員)のことを書いた。
いい人だったと。親切で好ましい人だったと。
彼が報われないのはおかしいと。
当時の派遣同僚にAさん57歳がおり、なんだかんだといまでも交流がある。
Aさんによると、コージーメイトのYさん43歳はひどく性格が悪く、
意地悪な嫌味を何度も言われたという。
あいつはねちねちした最低のやつ。
Aさんがそう言うからにはそうなのだろう。
だが、Yさんは僕にはとてもやさしかった。
Yさんの自信なさげなところが好きだったと言ってもよい。
そのYさんが14歳年上のAさんにはきつく当たっていたのか。
わからないよなあ。おもしろいよなあ。
ただお菓子を箱に入れるだけの毎日をみなさんどう思っていたのだろう?
それにも細かい決まりがあって、向きとか入れ方が厳しいのである。
一時期ふざけて懐かしくもありコージーコーナーの菓子を数度贖い食したが、
マドレーヌが曲がっているのなんて数知れぬほどあったぞ。
クッキーが割れているのもあまた。
どうせ味は変わらないからクレームなんて入れようとも思わなかった。
あんがい、ああいう仕事へのこだわり(マドレーヌの向き!)は、
顧客のためではなく、むしろ毎日単純反復労働を
繰り返すベテラン低賃金者のためにあるのかもしれない。
女はダブルインカムになるからいいが、男で低賃金はつらい。
人によって意見は分かれるだろうが、女のピークは15~30歳。
一方で男のピークは30歳~45歳くらいではないか。
女はピークのうちにいい男を捕獲して遺伝子を残さなければならない。
浮気や不倫が許されない文化だと、26歳で結婚した男はそこで男が終わる。
浮気や不倫を感情的に批判否定するのは99%女とみてよい。
せっかく自分が獲得した成長しつづけるATMを泥棒猫に取られてたまるか。
若いうちに詐欺被害者のように性欲に導かれ結婚した男は、
30を過ぎたら厳しい嫁にはない「甘いもの」を求めたくなるのではないか。
しかし、それはピークを過ぎた嫁で母の女には許せない。
テレビや芸能界を好むのは女。
テレビや芸能界を支えるのはスポンサー(巨大資本)。
このため、浮気や不倫がこうまで指弾されるのであろう。
わたしは恋人や妻が浮気や不倫をしても、
まあそうしたくもなるねと思うのみだろう。
おれなんかよりいい男はいっぱいいるでしょ?
なのに、小生なんかとわずかでもお付き合いくださり、ありがとうございますだ。
うつ病患者のようなことを言ってみると、
みんな何が楽しくて生きているのか?
ほしいものなんてある? おれないよ。ただお金はほしい。
とはいえ、何かを買うためのではなく、漠然とした不安を消すためのお金。
10億円なんていらないし、手に入れても生活レベルは変わらないと思う。
下衆を承知で書くと、「人の悪口」って楽しくない?
新しい職場に入り数ヶ月も経過すると職場の人間関係がわかってくる。
誰と誰が仲悪いとか、誰が誰を好きだとか。
そういうのって、しみじみ、生きる楽しみのひとつだと思う。
人間の意外な一面とか見ると胸が躍る。
10億円なんかゲットしたら、そういう楽しみを失うとも言えるわけだ。
偶発的なハプニングも生きる楽しみ。
わけがわからない不思議な偶然は、
どこか神仏の存在を予感させてくれるため楽しい。
おお、そう来ましたか、みたいな驚きは楽しい。

ほかに生きる楽しみって何があるのだろう?
人によっては絶対に抵抗できない相手を、
威圧的に怒鳴るのが楽しいというものもいよう。
おまえのためを思っているんだ、とか鬼コーチを気取りながら。
根性を鍛えなおしてやる、とか。
いわゆる恋愛は金銭関係だと信じたいから興味がない。
若さはほしいよなあ。
43歳にもなると体力の衰えを自覚すること甚だしい。
20代のときのようにはとてもいかない。
半面、老いのよさもあって、
この年齢になると人の評価を求める気持もだいぶ薄まる。
この程度の人生だったかという諦念が生じるためだ。
つまらない精彩がない毎日。
この倦怠感は高額の占い師に頼るほど高尚なものではない。
いつ死んでもいいし、生きていてもいいなんて書くと中学生のポエム。
いまはとりあえず新しいパソコンを買う金銭と判断力、
それを設定、ネット接続する元気がほしいくらいでいいのかなあ。
いつパソコンや健康がフィニッシュするのかわからないので書いておく。
最近、やたら43歳男の犯罪が目につく。43歳。
過去の戦績が明確に判明して、
未来の絶望坂が見える年齢なのかもしれない。
40を超えるともう派遣系、よくても契約社員しかない。
年収は200万円ちょっと。
そこから住民税や社保(年金等)を引かれたら手取り十数万円。
家賃は5、6万円の独房。
本人は医療にかかる金もないのに、社会保険を負担。
老人は高い検査を1割負担で長寿三昧。
なまじっか顔も性格もいいので、一度は結婚もしたようだが、
あまりにも金がないので愛想をつかされる。
思い切って自分はこんなところで働く器ではないと会社を辞めたが、
結果はどこにも雇ってもらえず、明日の金に困って前職場に土下座復職。
顔も性格もいいのは僕も見たからわかるが、押しが弱い。怒鳴れない。
わたしをふくめて彼のことを嫌いな人は少ないだろうが、オーラが貧しい。
いちおう契約社員なのに、
旦那が正社員の女性パートからはみなバカにされている。
ここまでかというほど、あわれになるほど、かなしくなるくらい。
口癖は「金がない」――。
そんな彼は末端派遣の僕を怒鳴っていびっていじめてもいいのに、
そういうことをしなかった。親切であった。いい男であった。
あの人はなにが楽しくて生きているのだろう?
コージーコーナーの同年代、Yさんは忘れえぬ人のひとり。
顔も性格もいいし、いい人なのだが、
そこを弱点と思う人がいまは多いのやもしれぬ。
みなさまはお盆休みはいかがお過ごしになりましたか?
わたしは血縁とも友人とも知り合いとも会わず、
孤独に酒を飲みながらお掃除していました。
今年に入ってからもう覚悟を決めた「文豪モード」。
小説創作のこと以外、すべて知らぬ存ぜぬの先延ばし。
締切日に人生が終わってもいいとまで思っていました。
家は本やメモ書き、開けていない郵便物、ごみが散乱して坂口安吾状態。
坂口安吾はアルコール依存症で睡眠薬中毒の戦後無頼派作家。
ようやく人を呼べる状態まで家をキレイキレイにしましたよ。
といっても、いまや来てくれる人はひとりもおりません。

ようやく部屋の掃除を終え、さきほど近所のコジマ&ビックカメラへ。
いまテレビ一体型のディスクトップパソコンって流行らないみたい。
東芝さまもディスクトップからは手を引いて、いまはノートパソコンのみ。
うちはジェイコム放送をパソコンのモニターで見ているのだが、
そのためにはパソコンにHDMI入力の端子がないといけないとのこと。
で、いまのパソコンにHDMI入力機能があるものは非常に少ない。
店頭在庫を調べてもらったら富士通のやつだけで20万円だとか。
いまのこのパソコンは8万5千円で買ったのよ、そない殺生な……。
賭けに出る。もうパソコン自体が終わりそうな気配がぷんぷん。
しかし、キーボード交換で急場をしのげるか。
キーボードを換えてもパソコンの故障でどうにもならないかもしれない。
そうなったらキーボード代金は掛け捨て。
安い有線キーボード千5百円を購入(安い!)。
いま恐るおそる接続したら、かろうじて動いたって話。

むろんこれは一時しのぎで、いつパソコンが壊れてもおかしくない状態。
パソコンがなかったら買物もバイト探しもままならぬ。
どこかに行きたくても駅の経路がわからない。
じつは2週間以上まえからキーボードを
買い替えたらどうかとは言われていたのだが、あえて後回しにした。
実際問題としてキーボードがなかったらブログは更新できない。
すると、なにがいいか。書いちゃいけないことを書かなくて済むのである。
さんざんいまここには書けない愚痴を聞いてもらったあとで、
旧友は「これは天のはからいよ」とか言っていたっけ。
たしかにそうだったのかもしれない。
あの日にキーボードが壊れたのは深い意味があったのかもしれない。
繰り返すが、いまでもいつなんどきパソコンが壊れても、
まったくおかしくないほど画面は不安定で不穏。
今月末にお金が入らなかったらと思うとゾッとする。
パソコンが起動しなくなり初期化したと思ったら今度はキーボードが動かなくなる。聞いたらパソコンの寿命は5年らしく、もうこのパソコンに買い換えて6年半。キーボードを買い換えるという手もあるそうだけれど、パソコン自体も明らかにおかしい。もうこのあたりが年貢の納めどきか。しかし、いま体調がよくない。立っているだけで、くらくらする。とてもパソコンを新しく買ってネットにつなげる体力がない。酒が悪いのだろう。5日ばかり酒をやめたら体調はかなり復活する。その勢いでパソコンを買いに行くしかあるまい。

この記事はどうやって書いているのかというと、マウスは動くのである。だから、携帯電話(ガラホ)からメールをパソコンに送り、それをコピペしている。長文は書けない。

昨日はゆっくりと時間をかけて精神科医で作家の春日武彦先生のご新刊「猫と偶然」を味読した。今日はおもしろかった部分を再読して、いざ感想を書こうと思ったらキーボードの異常である。正式な感想文を書くのは先になることを非常に申し訳なく思います。「猫と偶然」はいかにも春日先生らしい世界が深まりを見せていることが未熟な読者であるわたしにもよくわかり、長年の愛読者には先生の変化も感じられ、読書の純粋な楽しみを久々に満喫させていただきました。他人の世界を知るのって楽しい。ここをこう書き直したらいいと思うところはひとつもなく、春日武彦さんが春日武彦の世界の奥行きを深められているのがとにかく嬉しく、春日さんをさらに好きになったが、わたしは別に氏から好かれたいとは思わない。ベタベタした人間関係を嫌う気持はよく理解できるため、礼状はあえて送りません。著者は書いた本を送る。読者はそれを真心を込めてゆっくり読み、つたない感想文を綴る。影響を受ける。そういう歪な関係も春日先生となら許されるような気がします。本書はくくりでいえばエッセイ集になるのでしょうが、「深大寺」「猫・匂玉」「黒い招き猫」「歓声」は上質な私小説としても読める。とくに「歓声」は春日武彦という人間の私性がうまく表現されており、ちょっと過去にも例のない名作になっている。どこまで事実かわからないが、内容が事実でも虚構でも、あれだけうまい言葉で人間を描ける作家がいまそれほどいるとは思えない。本書の新機軸は奥さまを登場させているところで、かなり気を使って書いているのがわかり、春日夫婦のどこか非日常的な日常が愛読者のわたしには親しみをもって伝わってきて、生意気をいうようだが微笑ましい。楽しい読書だった。嬉しい読書だった。春日武彦先生は言葉の使い方が非常にうまく、このたびの読書でも影響をたぶんに受けた。本書の新機軸はもうひとつあり、わたしの大好きな患者の悪口がいっさい書かれていないこと。にもかかわらず、これだけの名作を書ける春日先生はもう「精神科医で作家」ではなく、「作家で精神科医」だろう。本人にしたら春日武彦というひとりの人間なのに色眼鏡で見るほうが間違えているのかもしれない。これからも春日武彦さんの世界を遠くから覗き見る楽しみがあると思うと生きているのもまんざらではない。正式な感想は後日。

人間って怖いもので他者はどこまでもわからなく、それまで穏和だった人がいきなり豹変して、声を荒らげテーブルをばんばん叩くこともあるが、人間はそんなものであることをわたしは春日武彦さんや山田太一さんの作品から学んだ。人間なんて、そんなもの。人生なんて、そんなもの。しかし、そんなものばかりではないことも両氏の作品から教わったことだ。そういう嘘のような希望を求めて、いまでも飽きずに河合隼雄さんの本を読んでいる。本当が嘘になることも、嘘が本当になることもある。いまでもわたしごときが春日武彦先生からご新刊を送っていただけることが嘘のようで本当のこととは信じられない。嘘のような本当である。思い返せば、そういう不思議なことが、わが人生ではよく起こる。そのような星回りなのでしょう。
8月1日、地獄がやってきた。パソコンが起動できねー。
東芝の「あんしんサポート」に朝からさっきまで5、6回電話した。
初期化するしかないですね。データぜんぶ消えますよ。
「失うものない」と強気で、しかしべそをかきながら「はい、了解です」。
断捨離だ、過去を捨てるんだ、白紙からはじめの一歩だー。
まだいろいろインストールしているところ。1日では終わらんかった。
まず不安だったのはパスワードを覚えているか。
このFC2ブログのパスワードはなんだったか。
ふたつメールアドレスを持っていますが、どっちも記憶しているか。
そのらへんの問題はいま解決した。
困ったのは初期化して、新しく入れたら字が以前よりも小さくなったこと。
で、文字表示を「大」にしても大して変わらない。
うちのブログは改行が変だとよく言われるけれど、
あれは自分のパソコンで見やすい改行にしていただけなの。
文字表示を「大」にしてもまだ以前よりも字が小さく読みづらく、
そして改行がおかしくなっていて読みにくいことこの上ない。
自己愛者だから以前の記事をけっこう読み返すのだが、これからは大変。
被災者でべそをかいているYonda?さんに、
ぜひぜひあたたかいご支援や励ましのコメントやメールを。

明日もまた朝から東芝さんに電話させていただく。
パソコンは東芝を買ってよかった。
東芝は昔から好きで電子レンジもわざわざ高い東芝製を買ったのだが、
1年半経過の冬に壊れ、修理に出すと1ヶ月以上かかると聞き、
寒い時期にそれはないだろうと他社の安い電子レンジに買い替えた。
わたしのなかで東芝の株が大幅に下がったものである。
しかし、今回の東芝の「あんしんサポート」で株は急上昇復活。
次のパソコンもまた絶対に東芝にします。「あんしんサポート」があるかぎり。
このブログを書いているページもまた文字が小さくなっている。
いままで以上に誤字が増えると思いますが、どうかご容赦ください。
春日武彦さんの最新刊を読むはずだったのに、まさに一寸先は闇。
お気に入りやデータ、ぜんぶ消えたよ。おれにはもう失うものはない。