まさか自分なんかに小説の執筆依頼が来るとは思わなかったし、
たくさんご馳走してもらったし、
書いてくださいというお願い形式だったが、
死花を咲かせようと150万円持ち出しで(ほとんど働かず)、
いざ1年経過してまさかもう書けないと思っていた小説が
締切りのおかげで10日程度で書けてしまい(締切り3日破りました)、
翌日ご依頼者さまからのメールを見たら、けっこうな酷評で、
でもポテンシャルはあるって。
この先、どうなるんだろう? 神さま、仏さま、好きにして!
いちおう3回という口約束を交わしましたが、持ち出し150万×3は450万。
素人の小説は(プロの小説も)いまは売れない。
わたしは労働レベルが低く、働くといったら単純肉体労働しかなく、
1日そういうことをしたら本も読めないし、小説を書くなどもってのほか。
周囲はパチンコ、タバコの大音響怒号世界ゆえ(馴れたし、さして嫌いではない)。
老人の特徴は教導願望かもしれない。わかりやすくいえば、説教くさくなる。
僕のいいところ、教導願望ゼロ。
今年になってからかな、去年からかな、10歳以上年下の、
平成生まれの青年になぜか慕われて、恥も外聞もなく、
天龍トークイベント、六本木ディスコ、酒井法子ディナーショーとゴチになっているが、
彼を教導したいとか、説教したいとか、まるでないもん。
話は聞くが答えはいつも「大丈夫。好きにしたほうがいい。スーパーフリーでゴー」
「(踊り念仏の)一遍を読んだほうがいいですか?」
の問いには、あんな古文、働いていたら読めません、無理無理の回答。
ふざけて「土屋先生」とか言ってくるたびに先生だけはやめてと答え、
しかし相手がどこかこちらをバカにしての先生呼ばわりなのが楽しい。
食いっぱぐれのない専門職だし、去年若い子と結婚したっていうし、あちら格上。
どうして僕なんかと交流を持ちたがるのか不思議。
「酒井法子さんと握手したら女運が上がりました」とか若者かわゆす。
手汗がひどい僕も相手の迷惑を考えず酒井法子と握手しとけばよかったや。
老人になると若者を育てたいとか考えるのだろうか?
きみはポテンシャルがあるとか?
僕はその青年をいまそのままで僕より上だと思うし、教導したいとかそういう願望はない。
作家はみんな経験しているのでしょうが、
1年かけて書いたものを翌日に教導されるのは、ほほう、ああいう感触なのか。
僕、ポテンシャルなんかないっすよ。売れない作家とか本当にきついと思う。
子どものころ、うちの父がさあ「水戸黄門」とか「暴れん坊将軍」が好きでねえ。
あの人、あのころからあたまが腐っていたのではないかと思う。
しかし、勧善懲悪を絶対真理だと思いたい人は大勢いて、
だからのテレビドラマよ創価学会よ。
ものすごいむかつくコメントがブログにつく。しかもけっこうひんぱんに来る。
わたしに対して、
あの屈辱的な退学処分を食らった株式会社シナリオ・センターに謝罪しろって。
そのうえ株式会社シナリオ・センターにお金を収めて短編シナリオを書けって。
商業シナリオ体験もない講師の教えにしたがえって。匿名。
100%シナリオ・センターの受講生だろう。時計を見る。まだやっている。
あのシナリオを書けない社長や所長に電話で文句を言ってやろうか?
おまえんとこの学生が匿名でよく変なことを書いて来るので困る。
もう10年まえの話だぞ。別にあちらから謝罪してほしくもないし、
こっちは金を払ったほうで謝罪とか経済を勉強しろよバカ!

まあ、わたしもわたしで講義内容をぜんぶブログに書き写して、
営業妨害だからやめてくださいと後藤所長から怒鳴られたのはガチンコ。
あそこの創作作法はまず魅力的な「善」をつくれっていうのよ。
で、正反対のアンチとかいう「悪」をつくる。
そうして「善」と「悪」の「葛藤」を激しくするのがドラマだって。
「葛藤」を激しくすればするほど、いいドラマ。
まあバカ向けのドラマを大量生産する作法ではあるが、それは絶対ではない。
シナセン首脳陣に囲まれ追放され10年、
いまでもあの学校の生徒はなにかの信徒のように謝罪しろと匿名で言ってくる。
これはもうあそこに電話して文句を言っていいレベルなのではないか。
電話しても責任者がいないって逃げる会社なんだけれど(経験あり)。
150万円もどこにあったのか借金したのか持ち出しで、このたび処女小説を書いた。
最初の読者さまからは日本語がおかしいと。
それから中盤から退屈になったと。
中盤で登場人物が勝手に動きはじめて、
彼ら彼女らを生かしたいと、いままで書いた40枚を消したもん。
悪女、悪男が生き生きしはじめたら彼らの動きにしたがいたい。
しかし、最初の読者さまからはそこからつまらなくなったというご指摘。
締切りギリギリで最後に頼ったのは、
ジャータカ、ギリシア悲劇、日本霊異記、説経節、近松門左衛門である。
批判的に土着性を言及されているが、むしろそれはほめ言葉。
まあ、どうせ売れなくて読者は百人もいないのでしょうけれど。さみしい。かなしい。
ああ、数少ない友人知人には配りまくりますよ。読んでくれないって思うけれど。
今回わたしが19年ぶりに(ご依頼いただき)書いた仏教小説は勧善懲悪を崩している。
悪がのさばっちゃって善がいわゆる精神病院おくりで、最後は仲良く握手するっていう。
おそらく書きたかったことのひとつは「善も悪もない」。二相(相対思考)の克服。
このため意識的に小説内に3という数字を多く使っている。1でも2でもない3。
1.出版されるか?
2.読者さまに読んでいただけるか?
3.売れるか?
売れないと金が入らないから困るんだよお。売れないことはわかっているのだが。
この小説の創作には1年かけたが、
わたしが開口一番いったのは「いま無名の人の小説なんて売れませんよ」。
それでもいいとおっしゃってくださる奇特な人が世におられるのは宗教的奇跡。
小説や物語を読みなれていない人は、
ストーリーが勧善懲悪になっていないとイラッとする傾向がある。
「これは真理、真実を描いていない」とか。
わたしが今回書いたくだらぬ小説もどきは勧悪懲善だから出版されないかもしれない。
それならそれも宿命よ、宿業よ、というのが書きたかったテーマのひとつかもしれない。
しょせん焼鳥屋の息子だからサービス精神いっぱいでポルノシーンを山ほど入れた。
だって、素人の書いた小説なんて無料でも読みたくないでしょう?
あと真理や真実を書いておくと、男は男の書いたポルノ(妄想)にしか興奮しない。
今回勉強のためポルノ小説も読んだが、女性の書いたものは意味不明だったから。
むかし林真理子の「下流の宴」の映画シナリオを10万円で書いたことがある。
「好きなように書いてくださいよ」と鷹揚に言われたものである。
で、好きなように書き直したら一発アウト。
契約書に書いてあるでしょうって。メール1本でカット。それ以来、会っていない。
高田馬場の人で、聞いてもいないのに自分は家庭の都合で高卒で、
と高卒アピールばかりの映画業界人だった。
若い映画志望の女子大生をただ同然で使っていると自慢する、
ブランドジーンズ好きの低身長の子ネズミみたいな男だった。
おまえは信用できないから、忙しい姉と一緒に来いとか真顔で言ってくる。
人を信用しない人で、いわば同類だったのだろう。
「10万円で好きなように書いてください」
結果、これはおれの考えと違う。ポイ。ポイだから電話しないで。終わり。
業界ってこういう人が多そうだよね。慣れています。
思えばわが人生のドタキャン率はすさまじい。
「自殺したい」と母に何度も言われて、お願いだから自殺しないでと約束した結果が、
目のまえでの飛び降り自殺&悪口日記である。
父は「(自分の)仕事のため」でしようがなかったのはわかるが、
子どものころ約束は1割しか守られなかった。
商売相手との約束はほぼ10割守っているのである。
父に関しては、いまでは5割くらいにあがったから上等である。
言ったことを守れない人だとわかっているから、あきらめモード。
父は経営する自社食堂の従業員をファミリーと呼び、わたしなんぞ奴隷あつかい。
こっちの都合なんてまったく関係なしで命令電話が来て、
したがっても「おまえ使えないな」と言われその場で帰される(プリンター故障とか)。

基本、被ドタキャン人生ね。
「おまえをかならず正社員まで育ててみせる」
「ツチヤさんは人を信じていないと言うがそれは間違い。俺が治す」
そんなことを熱く創価学会員の上司に言われていたけれど、いざとなったらドタキャン。
会社上層部と肩を組んで、明日から来るなって。失業保険もなし。
女性不信もひどく、たとえ相手にむかしからの本当の恋人がいても、
もてないわたしにとっては会ってくださるだけで大感謝である。
今年、登録した派遣会社も3日連続でドタキャンしてくれた。
契約していたのに前日の晩に明日はキャンセルで、と言われるのである。3回連続。
まあ、わたしがそのレベルの人間だからいまはすべて納得している。
基本的に他人をあまり信じていないし、約束が守られたら奇跡だと思って喜ぶ。
わたしは他人を信じていないところがある。
出版されるかわからないわたしがこのたび書いた小説は、善因善果ではない。
手法としてはよくないのかもしれないが、いわゆる世間法的悪人がめぐまれる。
むしろ善人たちが序盤つづいて自殺していく。
わたしは気合もろとも今回の短編小説で4人を自殺させた。悪人は裁かれない。
悪人は笑うが、それでいいのではないか?
むかし創価学会の会館で婦人部のおばさまから、
善人が努力して報われ幸福になる話を書いてくださいと言われたが、
たとえ売れなくても、そういうものだけは書きたくないと思った。
宗教団体名は書いていないのだが、
創価学会をにおわせるところがあり、
そこが今回のご協力者さまのお気にいらない部分のひとつらしい。
自殺したいという母に、何度も自殺しないでとお願いして約束して、
あっさり破られ、目のまえで飛び降り自殺されたわたしの宿命なのか、
ドタキャンめいたされることが主観的に非常に多い気がするが、
それはわたしの無価値を証明するものなのかもしれない。
優先順位を考えると、非常に低いくらいの自覚はあるから、人生はそういうものかと。
子どものころ自営業だった父は「自分の仕事のため」約束できないと常々言っていた。
実際、かりに約束をしてもほとんど守られなかった。
ただし父は愛するファミリーへの約束は守り給料の遅配などは一回もなかったという。
こういう環境で中年まで死にあぐんだせいで、約束が守られなくても「また来たか!」。
いつものことである。人生なんて、そんなもの。どうせ、どのみち、人は信用できぬ。
約束が守られるほうが奇跡だと思っているくらいである。
母が飛び降り自殺をするまえ、何度もおなじやりとりを繰り返した。
「ケンジ、自殺したい!」
「お願いだから自殺だけはしないで……」
何十回もこういうやりとりを繰り返した結果、せめてひとりで死ねばいいものの、
母はわたしの目のまえで飛び降りて、これ見よがしに血まみれになって死んだ。
そういうものなのである。
いまでは人気ライターとして活躍している旧友の年上女性ライターがいる。
去年、会う約束していた日の前日かそこらに、ドタキャンされた。
理由は仕事のほうが大事だから。もう数年、彼女と顔を合わせていない。
このまえワードの使い方がわからなくて電話しちゃったけれど(笑)。
わたしの勘では、もう一生人気ライターの彼女と会うことはないだろう。
彼女にとって「時間=金・仕事」だから、わたしと会う意味はない。
会っても相手のライター手柄話を拝聴するだけで、むかしのようなゆるやかな自由はない。
それが悪いとも思わないし、そういうものなのだろう。人は変わる。
そんなことを締切りを3日も破ったわたしが言ってみた。
父はとにかく子どもとの約束を守らない人で仕事がいちばんの人であった。
何度も書いてきたことだが、妻や恋人の浮気に怒る男がわからない。
俺は万が一妻や女ができても、彼女の浮気を余裕で許すだろう。
むしろ、そんな高貴なお相手がおられるのに、下男の僕なんかと感謝するタイプ。
下女から、あたしのことを好きなのはわかっているんだからと意地悪な目で挑発されたい。
下女が昨晩、大富豪と経験した快楽の極限を拝聴して、抱きついて拒絶されたい。
まあ、変態ですな。男一匹、アル中、孤独43歳、死ぬな、生きろよ。
人口の半分は女なのだから、これは奇跡的確率だろうが女にもてない。
若者に助言しておくと、人それぞれだが、40歳を過ぎると性欲もすたれどうでもよくなる。
あとは死ぬだけだから。
前世で女にそうとう悪いことをやったんちゃうかと反省モードにすら入れる。
いくらでも、もてないエピソードは書ける。
大学生のころ、高卒の大学教授、原一男先生が権威ある映画塾をなさっていた。
そこの同期生だった年下の団子顔の年下女子大生から話を聞いてほしいと連絡がある。
自称革命家、自称英雄の原一男教授のポリシーは「もっと過激に、もっと自由を」。
その高卒教授の影響を強く受けていたから団子顔の年下女子大生と池袋で会う。
「すごい経験をした」のだという。
聞いてみれば、本屋で裕福そうな中年男性にナンパされホテルまでついていったという。
処女だったが、処女と告白していたのに、
団子顔の女子大生は中年に丸裸にされ、あらゆる変態プレイをされたらしい。代金なし。
「どう? これってすごい体験でしょう? 聞いてよかったでしょう?」
見ると顔は団子顔で会話にも知性はつゆ感じられないが、身体だけはしまっている。
ホテルに行こうと誘ったら、冗談ではないと強く拒絶され、にらまれわかれた。
池袋青春談。
アンポンタンなことを書くと、人は二種類にわかれる。
小説を書いたことがある人と、ない人と――。
わたしは前者で数日まえ129枚の小説を書き上げたから。
こんなに小説を書くのが命を削るものだとは思わなかった。
小説を書けない文芸評論家とか、
シナリオを書けないシナセン講師と手をつないで荒川にでも飛び込めよ。
小説を書くのは血を吐くような行為。実際、1回血を吐いてウゲッて思ったもん。
小説を書けない創作指導教授(元)の、
セクハラ早稲田の渡部さんとか1秒でも早く死んでほしい。
居場所がわかったら……とこれ以上書いたら犯罪予告、ダメ、ゼッタイ。
そして、血を吐いて書いた小説が出版されるかも、
さらに重要なのはおもしろいのかはわからない。おもしろいかどうかは人それぞれ。
今回は「仏教しばり」、仏教にからめて書いてくださいというご要望がございましたから。
私小説禁止。私小説OKだったらシナセンの悪事をすべてばらしていたかも(笑)。
ここ1年くらい死花を咲かせたいと、ある夢を追っていて150万円の持ち出し。
自己投資や夢プライスとあきらめている。
しかし、金がない。日本年金機構から「てめえも年金はらえ」のお手紙が。
すぐさま電話して「無収入の中年ニートなのではらえませんがどうしましょう?」。
電話相手のおねえさんはやさしくて
「板橋区役所の国民年金課に行ってそう言ってください」。
やさしい声だったなあ。声だけで惚れた。
しかし、いま持ち出しの仕事をひとつ終えて、身体が動かない。
救急車レベルで片足がしびれて動けないし、嘔吐下痢は尋常ではない。
しかし、この1年好きなことをやりたいようにやりました。
うちは父母ともに口ぐせは「自分が絶対に正しい」であった。
父は「生長の家」、母はプロテスタントだったか。両者、自分は絶対に正しい――。
言い換えたら、あるひとつの真理や真実が存在する――。
あんたらが別居するのはいいけれど、仲介するわたしの立場はどうなる?
数日まえ、だれにも読んでもらえぬ小説めいたものを書いたが、
「自分は絶対に正しい」から「どっちだっていいじゃん」
への転換点で小説が退屈になっているというご指摘を受けて、そうかあと思う。
あらゆる人があらゆる小説を読んで、
この感想は「自分が絶対に正しい」と思う(もちろん私も含めて)。
そしてそれは極めて正しい。
大半の日本人は英語を聞いたり話せないから、欧米国に行ってもよくわからない。
それは反対もおなじで、白人が日本に来ても、
アジアで日本ほど英語ブロック鎖国をしている国はないだろうから(そこがいい!)、
白人で日本文化を理解できるものは少ないだろう。
事実を書いておくと、日本よりも韓国のほうが英語が通じる。助けられた。
日本カルチャーにも文学村(文壇村)や映画村がある。独特の方言もまた。
村のお言葉をよくも悪くも重視する。
ギリシア悲劇のコーラスを知らぬものに(それが当り前だが)、
ある種の高潔さを出したくてそれを真似てもわからない。
日本古来の味をだしたくて説経節の「りゅうていこがれてなきたもう」を出しても、
それが悪いというわけでは決してなく、
いまを生きるビジネスマンやウーマンにはわからない。
かといって徹底的にわかりやすくしてしまうとAIが書いたもののようになってしまう。
いろつやがなくなる。言葉が記号に堕す。
こんなわかりにくいものを書くなと思うときも、
もっと厚みのある言葉を使えよと作者に思うことができるのは、読者の読書の快楽である。