SNSの世界ってどうなっているのだろう? スマホないからわからない。
あれって女子中高生が30、40のおっさんと出逢っちゃうんでしょう?
下手をしたら小学生もって話で、男は若い子が好きというか、
いまの女子は早熟にも自分の商品価値をよくご存じだ。
差別的なことを書くと、いまの女の子なんて早くからメイクやら整形を知って、
どうせ減るもんじゃないんだし大衆恋愛や桃色遊戯はたくさんしておいたほうがいい。
だって、プレゼントをおごってもらえるし、高いメシをご馳走してもらえる。
なかにはお金をそのままくれる人も少なくない。
どうせ高学歴大学に入っても嫁に行けなくなるだけだし、
テキトーに勉強してテキトーに実践女子くらい入れたら御の字。持って瞑すべし。

大学時代の恋愛は遊びだが、社会人になったら、
そこは1年ごとに自分の商品価値が下がるトレード。
家が資産家かどうかを狩る。それは狩りだ。狙った獲物には目を離すな。
金と顔ならもちろん金を取るが、あまりまずい顔も人前に出せないので困る。
どうせ経験人数なんか男にばれようがないのだから、
「初恋の人ひとりでえす」でもいいし「処女でした」と顔を赤らめたら、
男はバカだから女の演戯を見抜けない。
20代のうちにさっさと子どもを産んで有名小学校は無理でも、最低中学は私立ね。
公立の子ってゴミ収集車のにおいがしません、奥さま?

SNSとか怖いのは、自意識過剰かもしれないが、
見ちゃうと自分の悪口が書かれている恐れがある。
ぜんぜん意味はわからないが「裏垢(裏のアカウント)」とか想像すると震えがとまらぬ。
小石川高校や早稲田大学の同期のSNSみたいのって絶対あるんでしょ?
あのどもりのネクラ、いまなにやってんの? とか書かれているのを見たら恥死しかねぬ。
しかし、あんがい良縁というかコネができるのかしら。
女の子ってぞっとするほど悪いけれど、すごい純粋な優しさもなくはない。
SNSってなんなのか。ツイッター、インスタ、フェイスブックはSNSでしょう。
ブログはSNSのカテゴリーに入るの?
電車で70越えのじいさんがバリバリとスマホをやっているのを見ると自分が恥ずかしい。
エーユーと離縁して格安スマホに乗り換えようかな。数年まえからおなじことを言っている。
エーユーがさ、大盤振る舞いで3000円分の商品券をくれるっていうんだよ。
エーユーウォレットでしか使えないやつで、見たらクズみたいな商品が高い。
その有効期限が今日でね。わかんないから電話して聞いたのよ。
わたしとしてはパソコンから買いたいの。
携帯はガラホだし。メール機能くらいしか使わないもん。
エーユーIDをうちの東芝パソコンに認証させるとか、
そういう面倒な作業が必要で、いくら言われたようにやってもできない。
3回エーユーに電話して、担当部署を変えられて延べ5人くらいと話したわ。
みんな親切でわかりやすいのだが、うまくいかない。
最後は担当のお偉いさんが出てきてくれたけれど、
結論は「あんたんちのパソコンがおかしいちゃいまっか?(要旨で原文は丁寧語)」
わずか3千円のために5、6時間使ったあきらめの悪い子。
うちのガラホでネットをすると気が狂ったような料金を請求される設定。
携帯のネットはスマホ仕様だからガラホで見ると絵も字も崩れる。
根性で来月いっぱいまで使えるポイントに変えた。こんなことしている場合かよ。
事件の真相はガラホしか持っていないやつは、
エーユーにはいないだろうという甘い算段ではないかと思っているが、藪の中。
精神科医で作家、院長先生でもある春日武彦さんのご好物は、かっぱえびせん。
春日武彦さんは独自の味覚を持ち、
かっぱえびせんのみならずコーラもやばいと書いている。
それは入院病棟がある精神(科)病院に勤めていたときの経験で、
患者たちが(ぬるいにもかかわらず)コーラを貨幣代わりの代用品として使っていたという。
これはなにかが入っていると優秀な精神科医は察知した。
独自解釈をすると、たぶんコーラは麻薬性がある。
それに近いものが入っている。習慣性物質。
長年精神薬物を扱っていたプロの春日武彦さんの実感なのだから
真実味がありすぎて怖い。
わたしはマヨもタバスコもガーリックも麻薬ではないかと思っているが、そこは素人考え。
七味はそこまで強くないが、行くところに行けば麻薬として作用するだろう。
マヨネーズと七味唐辛子を合わせたら、ガーッとね、ガーッとね。
マックとか麻薬っぽいじゃないですか。あれは子どものころに舌に覚えさせる作戦。
うちの親はいくらお願いしてもマックには連れて行ってくれなかったから、いまは麻薬回避。
テレビもうちに来たのはソウルオリンピックのころで、それまで見せてもらえなかった。
ケンタッキーも食べたくならないし、
ファミレスもコンビニも縁遠い。なんか汚らしいというか(ごめんなさいであります)。
買ってみたら入ってみたら食べてみたらおいしいんですよ。しかし、それが幼児洗脳。
回転寿司とかも食べ方がわからないレベル。怖くて入れない。
いちばん嫌いなのはラーメン屋、牛丼屋。早食いするオスが怖いからだろう。
食べ物はしっかり味わいませんか。
先輩、年上批判はしたら干されるのが業界のルール。
テレビドラマ「わたし、定時で帰りますって」原作は早稲田の一文の女性だったのか。
わたしのほうが年上だが、業界歴ははるかにあっちが先輩。
批判めいたことを書きましたことを謝罪します。
原作小説がテレビドラマになるといくら入るのだろう。
映画よりはテレビのほうが多いだろう。
映画とか情熱の世界で狂っていて、ノーギャラでやりますとかいう業界志望新人が大勢。
監督にお身体でご料金を逆にお支払いしてもいいという女性もいるがゆえに、
勘違いする大阪のほうにお勤めの大学教授もいらっしゃるようです。
しかし、そうかそうか、早稲田の一文学閥って思っていたよりも強いのか。
10年近くまえは、わたしは平成の「ふぞろいの林檎たち」を書くとか鼻息が荒かった。
ご存じのように、いまは平成でなく令和。テレビはそういう方向でいいと思う。
内田有紀とか20年まえからぜんぜん顔が変わっていないじゃないですか。
こわっ♪ きれい♪ いまのわたしはよれよれよぼよぼのおじいさん。
いま内田有紀のやっているドラマの主役30歳のBBAがワーキングガールだって。
むかしはビジネスガール(BG)で、ちょっとまえまでオフィスレディー(OL)で、
えええ、いまは30歳でもガールなの、ワーキングガール。あたまおかしいですよ。
吉高由里子っていう30越えのガールはどんな顔をしていますか? 存じません。
TBSのドラマで「わたし、定時で帰りますって」だれがホンを書いているのか見たら、
そういうことねとしか言えません。そんなにメスを盛り上げて、辛い辛い男は辛いよ。
しかし、これでいい。逆らいません。負けました。
唐十郎とかつかこうへいとか西洋演劇をまったく勉強していない暴力演出家。
文学は西洋も取り入れたのに、演劇はバカばかりでございました。
唐十郎は三田次男さんの師匠で、しょせんサーカステント小屋。
つかこうへいは北区で私塾を開いていたそうだが、お鏡をご覧ください。
西洋演劇とは、言葉だ、言葉、言葉。
基礎言語が入っていない役者は言葉が入らないし、言葉を出せない。
それは「育ちより氏」で教養の差別絶対限界世界。
なんでこんなに戯曲が売れないのか。みんな読まないのか。
シナリオはまだしても、戯曲は文学だろう。
シラーとか声に出して読んでみたら発狂する快楽世界。
むかしの昭和文士の書いたものを読むと男が女をよく叩くよねえ。
中上健次とか、あ、そこは、ひそひそ、解放しません同盟は致します。
あそこの文化なんでしょう?
宮本輝のお父さまもお母さまをボコボコに殴ってアル中にしたらしいけれど、
なんで女を殴れるの? 
むかしはテレビとおなじで女も叩けば角度によっては直ったの?
宮本輝もその血を引いていて、
抵抗できんものをいたぶるのは最高やと小説に書いている。
どこかは特定できるが、
それをいましたら宮本輝の教育者仮面がはがれちゃうからしない。
特定できますよ。ブログタイトル横に検索ワード欄があるでしょう? 
あそこに「抵抗できん」とか「最高や」を宮本輝と一緒に入れたらたぶん。
そんな底意地の悪い育ちの悪い貧乏人やないから僕はやりまへん。
息子を公開エッセイでリンチして教育者ぶるのが輝さんでっせ。
それにしても女を叩いて直すってどんな感じなんだろう? 
女ってテレビのようなものなの?
テレビ局がいちばん恐れるのはたしかに若い女性だが、それにしてもこの時代の変化。
僕なんか女性から「叩いてください」とお願いされても、
「それはコンプライアンスが」とか言っちゃいそう。
女きょうだいが、姉妹がいない人は女性のありがたさを知らないから、
女も昭和のテレビのように叩けば直るとか考え実行しそう。そんな昭和が懐かしい。
いまマウスが突然、動かなくなってさ。動くことは動くのだが千鳥足。
おまえマグロかって思うほど言うことを聞かない。動かない。
僕さ宗教好きで陰謀論は真っ先に飛びつくほうだから、すわ創価学会の仕業か。
裏社会に狙われたかとか精神病的妄想をめぐらし、ここ数日書いた記事をぜんぶ消した。
そんなわけないのにね。うちのブログの読者さまは少なく見て百人。
週に1回ご覧くださる方も読者に入れていいなら、数百はいくかもしれない。
そんな限界集落ブログにいやがらせをしてくるほど、どこの組織も暇じゃないって。
いいことを教えます。昭和のテクニック。昭和のやり口。
いまのうちはテレビがないのだが(あるにはあるが地デジなんたらで映らなくなった)
昭和のころのテレビはブラウン管というのだったっか、映りが悪くなると叩いたら直った。
僕、スマホじゃないし、いまパソコンが使えなくなったらライフライン終了。
やけくそになってマウスを叩いてみた。
正確には「おまえ使えねえな」ってこころで叫びながら数十センチ上から落とした。
体罰だ。身体に教えてやる。嘘だって思うでしょ? マウス、直った。完全復活。
昭和の教育といえば暴力、体罰、教えるとは叩くこと。
平成生まれならこういうとき、あきらめるか泣き寝入りだろうが、昭和は強いぞ。
いまの僕は壊れた人間も空手チョップで直(治)せそうだが、
自分で自分を叩くのは自傷という精神病的行為になるし、なにより痛いのでやりたくない。
神さまっているんだなあって誕生日プレゼントをヤマトで送ってきてくれたから。
発送元が作者ではなく版元だったから今回、礼状はパスしてもいいのかしら。
ぶっちゃけ、字は汚いし、ハガキとか書くの大嫌い。
俺の礼状なんかもらったほうも薄気味悪いと思う。そういうの、書く人ですよ。
会ったときいちばん驚かれるのはとにかく常識的なところ。礼節を知っている。
あいさつします。笑顔で接します。相手を立てます。
しかし、命を削りたいとも思っている。命を削りたい。太宰のように命を削りたい。

「風の誕生」(長部日出雄/福武書店)

→直木賞作家、紫綬褒章作家の長部日出雄による踊り念仏の一遍を題材にした小説。
いつか一遍の映画を撮りたいと考える助監督の思索とシナリオが同時進行で描かれる。
おなじ一遍ファンとして悪口のようなものを書きたくないのだが、
物語に起伏がなく時おり論考が始まることもあり、
一遍に興味がなかったら最後まで読めないと思われる。
聖人を書くのは難しいということもあろう。
意外と一遍はロックなやつでフリーセックスOKのキメキメな、
移動ストリップ小屋集団の主人のような存在だったのかもしれないが、
歴史考証的になかなかそういうことは書けない。
聖人というのはマイナスがない人間だから、あまりおもしろくないとも言える。
一遍時衆は男女で日本各地を旅して踊り念仏の興業を行なった。
「夢の祭り」という映画で監督を務めたこともある長部日出雄は、
時衆の旅についておもしろい考察をしている。

「集団で遊行する尼たちのあいだに、軋轢(あつれき)が生まれぬはずはないし、
とくに意識と無意識の両方において、贅肉がひとかけらもついていない痩躯に
鋭く精悍な気魄(きはく)を漲(みなぎ)らせた壮年の師に、
ほかのだれよりいちばん愛されたいと切に願う気持は、
ときに当人の尼にさえ理解できないほどの怒りや嫉妬を膨(ふく)れ上がらせ、
ほんの些細なきっかけが突き刺す針となって、それを激しく爆発させたろう。
(中略) しかし、十二光箱の境界線によって遮られながらも、
僧と尼のあいだにひそかな恋愛と競争の感情や、
微妙な心の通い合いや反撥(はんぱつ)がまじり合っていたであろう時衆の遊行は、
苦行であるのと同時に、また普通の暮らしをしている人には味わえない
楽しみでもあったのではないかとおもわれてならない。
俊彦にはそれが、男女がともに旅をして、移動と仕事と喧嘩を繰り返す映画のロケ隊と、
どこか似ているような気がするのだ」(P242)


時衆は、恋愛絶対禁止の修学旅行をえんえんとしていた先生と生徒のようだとも言える。
踊り念仏でやたら観客から受ける美少女アイドルのような尼もいたであろうし、
そういうかわいい子は先輩からいじめられただろうと考えるのが常識である。
禁止されるとよけい燃え上がるのが恋愛感情で、プラトニックなぶん、
目つきとか目配せでとても激しい火花が散っていたとも考えられる。
なかには手をつないで時衆から逃げ出した男女もいたかもしれない。
男女が朝晩一緒に毎日行動していたらなにかしら起こるものだろう。
少なくとも毎日が平坦ではなく、劇的な要素がふんだんにあった。
あるときは地方の有力者から馳走を振る舞われることもあっただろう。
べつのときには何日も食うや食わずの日々もあったはずである。
そして、踊り念仏で観客から注目され喝采を浴びる昂揚はなにものにも代えがたい。
まともなカタギの安定した生活を送れない激しいものをうちに秘めた男女が、
一遍のもとに自然に集まってきていたのかもしれない。
あまりにもかわいすぎるので12、3歳のころから村の男衆の慰みものになって、
あたまがおかしくなりかけ村を飛び出し一遍の時衆に加わった尼もいたのではないか。
そういう尼さんが生まれ持った色気を隠そう隠そうとしながら、
演台のうえで踊り念仏のダンスによっておのれの抑圧した性を解放するのである。
長部日出雄は踊り念仏の興業を以下のように描いている。

「わが国において、広く不特定の観客を集めて興行する劇場の起源は、
室町時代の勧進能あたりと推定されているから、
あるいはこれがその濫觴[らんしょう/始まり]であるのかもしれない。
板葺きや茅葺きの屋根で高床式の桟敷の他には、行器で食物を運ぶ男女や、
衝重(ついがさね)に載せた料理を提供する者たちが忙しく立ち働いており、
女性の観客の市女笠を預かる老婆が蹲(うずくま)ったりしてるので、
すでに見物に付随するさまざまな給仕の業務も生まれているのがわかる。
観客のなかで、背後に立派な屏風(びょうぶ)をめぐらして酒肴を口にしたり、
簾(すだれ)越しに見入ったりしているのは、地位の高い富裕な人たちなのであろう。
桟敷と舞台のあいだには、数えきれないほどの人と牛車が犇(ひしめ)き合って、
賑やかにさんざめいている。
板屋根の大きな踊り屋は、
これまでになく床が高く、床板もすこぶる厚い本格的な建物だ。
真剣きまわりない[原文ママ]表情で鉦鼓(しょうこ)を打つ一遍に導かれて、
称名の合唱をあたりに響かせる時衆の僧尼は、
裸足で床を強く踏み鳴らして韻律を刻み、法悦が高まって無我の境に入るにつれ、
裾の乱れも気にせず跳躍しつつ、右回りに旋回して行く――。
とうぜん舞台のかぶりつきから見上げる男たちの目は、
衣の裾からこぼれる尼衆の白い脚と、
それよりもっと奥の神秘的なあたりに惹きつけられずにはいられない」(P335)


「真剣きまわりない」って、この本は校正が入っていないのかと疑いたくなる。
実は92、3ページでも人名の誤りがあり聖戒を聖達と書き間違えている。
一遍ファン以外だれも読まないだろうし、そもそも一遍好きは少ないからこれでいいのか。
なお長部日出雄は、一遍は家督争いの際、
人を正当防衛から殺めているという説を取っている。
誤字に関しては人のことを言えないので、人間だれでもミスはあるさと微笑みたい。
この力作長編900枚を最後まで読んだのは、わたしを含めて千人もいない気がする。

「南無阿弥陀仏 付 心偈」(柳宗悦/岩波文庫)

→ある人から踊り念仏の一遍が絶賛されているよと教えてもらい、
それをきっかけにして長らく積ん読していた65年まえの本書を手に取る。
仏教入門書というあつかいのようだが、それは違う。
これは法然、親鸞、一遍、そして浄土三部経くらい最低でも読んでいないとわからない。
大学生が前提知識なしにいきなりこんなものを読まされても困惑するだけであろう。
名著であることはたしかだが、人を選ぶ名著と言えよう。
一遍ファンとしては柳宗悦はいわば大先輩なので、敬意を表してわかりやすく説明したい。
結論を最初に書くと一遍の南無阿弥陀仏は法然や親鸞よりも深い。
なぜなら相対(二相)を超えた絶対(不二/二ではない)にいたっているからである。

この本だけではなく他の本の影響もあるのだが、
最近わたしはよく言葉は二分法(これを柳宗悦は二相という)だと書いている。
理解する、わかるというのは、言葉で世界を分けること。
AということはBではないということ。
こんな単純なことを以下の文章で柳宗悦は格調高く述べている。
(以下「本の山」のルールで[カッコ]内の記述は引用者の意味補充)

「二つにものを分け、これを対比させて考えるのは、人間の論理の習性である。
二元の世界を出られぬ私たちにとっては、理解することは分別することである。
分別は文字通りものを二つに分け、これと比べることである。
実は一切の言葉、従って言葉による一切の判断は、
二相[相対/二分法]の分別を出ることが出来ぬ。
右か左か、上か下か、善か悪か、
ともかく凡(すべ)ては対辞[対句]となって表説される。
黒白を争うとか、是非を決するというが、凡ての判断は、
かかる反律[二分法]から逃れることが出来ぬ。
実に凡ての論理は真か偽かの問題に終始するのであって、裏からいえば、
是非の二があるために、その法則が成り立っているともいえる。
それ故主張のあるところには、必ず右か左かの批判が現れるのは止むを得ぬ。
これによって人は知的な理解を得ようとするのである。
だが悲しい哉(かな)。是非の差別であるから、
相対[二相]の判断たる性質を越えることが出来ぬ。
絶対[不二]の問題に対しては、一切の知的分別は畢竟[ひっきょう/結局]
方便の性質を出ないことがわかる。
究竟[くきょう/究極]なものはいつも言葉に余る」(P111)


我われは二相(相対)の世界を生きているが、仏の世界は不二(ふに/絶対)である。
以下の文章はかなり難しく読みづらいと思うが、どうかよろしくお願いします。
これもすべて一遍上人のためですから。

「すべて仏法は、一や多の如き相対の念に止まることを許さぬ。
本体をいつも「不二[絶対]」に見るがゆえに、
一にも多にも非(あら)ざるものを見ているのである。
一如(いちにょ)という時、それは万機[すべて]に即しての一如を指しているのである。
また即するが故の一如といってもよい。
一如は「即」の意である。
理としての法身仏[宇宙仏法]が働きとしての応身仏[釈迦]になり、
また報身仏[阿弥陀如来など]に化現する所以[ゆえん/理由]である。
一神がもし一個神の意なら、
仏教の立場からはなお二元に落ちた思想と評さねばならぬ。
一神では、多神への相対に過ぎぬではないか。
真に究竟なものは「不二」であり「即」であって、一や多ではあらぬ。
仏法でいう一如は数の一では決してない。
「不二」とは数からの解放を意味する。
「即」を離れて、多くの仏を見ているわけではない。
因(ちなみ)にいう、仏教は有神論であるか無神論であるかを尋ねる人がある。
そのいずれの範疇(はんちゅう)にも属しないと答えるのが正しい。
何故なら、仏教が建てる「法」はいつだとて有無の二を許さぬ。
無に対する有の如きは畢竟(ひっきょう)二元を出ぬではないか。
それ故無にも落ちぬ。「法」は不二を見届けてのことである。
不二は無碍[むげ/自由]であって、相対の名辞[言葉]を越える。
有神または無神というが如きは、まだ絶対の立場とはいえぬ」(P84)


[カッコ]の引用者の意味補充がかえってわかりにくくさせていたらごめんなさい。
柳宗悦が言いたいのは、法然や親鸞は二相(相対)どまりだが、
一遍は不二(絶対)にいたっているということである。
そのためには三人の念仏者の違いをよく知らねばならぬ。
柳宗悦はまことにうまく法然、親鸞、一遍の相違を表現している。

「法然上人はいう、人が仏を念ずれば、仏もまた人を念じ給うと。
親鸞聖人はいう、人が仏を念ぜずとも、仏は人を念じ給うと。
しかるに一遍上人はいう、それは仏が仏を念じているのであると」(P172)


人と仏というのはふたつ、二分化している二相でしょう?

「しかし省みると、「人から仏[法然]」と考えても、
また「仏から人へ[親鸞]」と考えるとしても、念ずる者と念ぜられる者、
即(すなわ)ち人と仏の二が残るではないか。
「帰入」するとか、「召喚」するとかいう言葉は、
ただ主客の位置を更(か)えたというまでで、主客の二は残るではないか。
その心は人と心を一つに結ぼうとするにあるとしても、
やはり南無と阿弥陀とを二語に分けるのである。
分けて後に結ぼうとするのである」(P137)


「南無」は人からの働きかけで「帰命する/お任せする」というという意味。
法然や親鸞の南無阿弥陀仏は、人が阿弥陀に南無(帰命)する。
したがって、南無と阿弥陀は分かれている。

「しかるに一遍上人の思索は二語たることを許さないのである。
それを未分の境地に見ようとするのである。
ここで[南無阿弥陀仏という]六字の意味は更に一つの飛躍を遂げる。
南無と阿弥陀とを連続の一語に解して六字を独一なる姿に仰いだ。
独一であるから、いわば六字を無字にまで結晶させた。
南無と弥陀は二つではない。二つならば浄土の相ではない。
六字とは不二(ふに)の姿を指してである。
それ故、人が仏に念仏するのではなく、また仏が人に念仏を求めるのでもなく、
念仏が自ら念仏しているのである」(P137)


「法然上人はいう、仏を念ぜよ、さらば仏はかならず人を念じ給うと。
親鸞上人は説く、たとえ人が仏を念ぜずとも、仏が人を念じ給わぬ時はないと。
だが一遍上人はいう、仏も人もなく、念仏自らの念仏であると」(P138)


これはわが意を得たりの解釈なのだが、
もしかしたらそれをご理解していただくためには、最低限「一遍上人語録」、
それから法然や親鸞の本を多少は読書する必要があるのかもしれません。
この文章が雑誌に公開されたのは昭和26年とのこと。
その時点でマイナーな一遍のほうが、
法然や親鸞よりも深いと言いえた柳宗悦の眼力には恐れ入る。
しかし、たしかにそうなのである。
本書には浄土真宗の血統尊重批判や寺院批判も平気のへいさで書かれているし、
日蓮への悪口も辛らつ極まりない。
柳宗悦は民芸品(無名の職人による作品)の価値を発見した人として有名だ。
この人の「ものを見る眼」のたしかさ、おのれの美意識への信頼はどこから来るのだろう。
梅原猛が田舎坊主に過ぎないと下に見ていた一遍を、
柳宗悦は法然や親鸞よりも上であると昭和26年の時点で見破っている。
一遍という言葉は――。

「一は一如で、遍は遍満、一即多の不二の教えを暗示するともいえよう。
これは「独一なる名号、法界に周遍す」という句から得たものだともいう。
いずれにしても「一にしてしかも遍」の義[意味]を示したものであって、
仏法の理念はこれ以上にまたこれ以外にはあるまい」(P254)


本書には心偈(こころうた)というミニ説教コラム集が付されているが、
これはあまりいただけない。しかし、なるほどと思ったところもある。
「見テ 知リソ 知リテ ナ見ソ」である。
意味は見てから知るほうがいい。知ってから見ると知識に縛られて、そのものが見えない。
知らないで見たほうが直観が働いてものの本当のありようが把握できる。
わたしもふくめ、いまはみんな見るまえにネットで調べちゃう、知っちゃうじゃないですか?
で、その知識に見方を制限される。
「見」から「知」は出てくるが、「知」から「見」が出てくることはないと柳宗悦は言う。
最後に付として一遍ファンの柳宗悦による日蓮大聖人の悪口でも抜いておくか。
日蓮大聖人は――。

「しばしば人は彼に日本的なるものを見るが、
しかし彼の思想にどれだけ固有なものを見出せるか。
史家が明らかにしているように、法華を説くことによって「天台」を継ぎ、
祈祷を重んずることによって「真言」に接し、
題目を称えることにおいて「称名」に影響をうけ、
その末法思想において、また「厭離穢土(おんりえど)」の浄土観につながる。
また安国を述ぶることにおいて、遠い「護国」の仏教を思わせる。
彼が他宗の凡てを罵(ののし)ったのは、
実はそれらに最も多く関心を持たざるを得なかったからであろう」(P56)


日蓮大聖人さま、ボロクソな言われようである。
柳宗悦の「南無阿弥陀仏」は仏教入門書でも浄土教解説書でもなく、
ただただひたすらおのれの「眼」を信じて一遍を礼賛した本である。

「無常」(唐木順三/筑摩叢書)

→いまから55年まえに書かれた古典的名著である。
著者は日本精神史を「あわれ」「はかなし」「無常」という3つの用語で追っていく。
ことさら解説もいらないだろうし、くだらぬ感想を書くのも野暮というもの。
黙々と心の琴線に触れたところを抜粋していく。
原文は旧仮名、旧漢字だが読者の便宜を考え新仮名、新漢字に変換する。

「『源氏物語』においては、「はかなし」は人と世のいわば存在的性格となっている。
はかなくないものはなにもない。
私は、この「はかなき存在」への同感、感情移入が、「あわれ」ではないかと思う。
それは美的同感といってもよい」(P59)


「男、女の間柄をふくめて世の中のはかなさ、頼りなさ、ひとの計り、計量、推理を
超えた計りなさの情緒的認知は、一方では「すく世」「宿世」という考え方へ誘う。
(中略) 「宿世」はおおよそ、人智を超えた事象の理由づけとして
使われているわけである。然(しか)しそれは単に理由づけとしてではなく、
その理に従うべきであるという一種の諦観、宿命観をもともなっている。
現世を現世内の原因結果の推論だけでは始末することができない、という意味で、
超現世的なものがそこにある。人の世の「はかりがたさ」を、
超現世によって規定しようとするところがあるわけである。
はかりがたき人の世、はかなき命の認知はおのずから超現世的なものを求めさせる。
頼みがたく、常なく、定めなき世を超えて、なにか恒常的なものをあこがれる」(P67)


仏教的無常観まであと一歩である。

「「はかなし」が王朝の宮廷という停滞社会における
女性の心理、情緒であったのに対し、
「無常」は、興亡、いや生死常ない戦いの世における男児、
「兵(つわもの)」の実存的体験といってよい。
そこでは、人も世もともどもに無常を露呈している」(P108)


ここで本書は「はかなし」から「無常」へ章を変える。
法然は9歳のときに父を仇(かたき)の兵から殺害される。
父の遺言はこうであった。
「敵人(あだびと)をうらむ事なかれ、これ偏(ひとえ)に千世の宿業也(なり)。
もし遺恨をむすばゞ、そのあだ世々につきがたかるべし。
しかじかはやく俗をのがれいゑを出て、我(わが)菩提をとぶらひ、
みづからが解脱を求(もとむ)には」(「法然上人絵伝」)
父の遺命にしたがって出家したのが法然である。

「法然の選んだ道は、どうすれば、うらむことなきところへ出られるか、
うらむことのないことはどうして可能であるか、の追求の道であった。
うらみは単純には消すことができない。
うらみを超えるといっても、単純に、一重に超えたのでは、うらみは何等かの形で残る。
うらみは、うらみを超えて、更に還って、うらみの対象をあわれむところにおいて、
初めて、「うらむことなき」ところへ出られる。
法然の一生はそれを実践的に示している。仇、敵をあわれむという慈悲によって、
仇、敵をも、衆生の一人として救済の相手に化しうる。
自己救済は他の救済なくしては全からず、自覚は覚他なくしては完成しない。
法然は求道者から救済者になった。
自力においてではなく、弥陀の本願を深信することにおいて、
自分一人ではなく、衆生をもその救済にあずからしめうることを証した。
これは日本宗教史において時代を画する事態である」(P140)


とはいえ、法然や親鸞は重いと唐木順三は言う。
そこで唐木は踊り念仏の一遍に着目する。
55年まえはまだよく知られていない存在であった。

「一遍によって鎌倉新仏教は初めて「軽み」をもつにいたった。
芭蕉が晩年にいいだした意味での「軽み」である。
無一物で、無念で、外へ出ていく自由である。構えのない表現である。
なにか存在の全体、宇宙にリズムというべきものがあって、
そのリズムに乗って行い、それに調べを合すといった生き方である」(P176)


以下は本書の絶唱であろう。

「……一遍が無常をいうとき、そこにはなにか浮々としたもの、喜々としたものがあり、
無常をいうことについて、格別に美文調に、雄弁になる傾向があるのはなぜか。
そういう問題が私の頭の中にある。「苦」とか「無常」とかいう場合に、
格別に美文調になるということは、変なことである。奇妙といってもよい。
その変で奇妙なことが、ふりかえってみれば、日本では当り前のこととなっている。
「はかなし」「はかなき」「はかなびたる」という王朝女流文芸に頻々と出てくる言葉も、
横か裏から見れば、「はかなきものは美しきかな」というような、
美的理念とさえ思われる場合が多い。それは「あわれ」の場合と同様に、
日本人の心情の深いところに関係していることである。
無常の場合も、古くから「無常美感」などといわれているように、無常をいうとき、
日本人の心の琴線は、かなしくあやしき音を立てる。
我々のセンチメントは無常において、
最もふさわしくみずからの在り所に在るという観を呈している」(P196)


わたしは感傷的で好きな作品はセンチメンタルなものが多いが、
たしかにそれらの基底にあるのは
「あわれ」であり「はかなし」であり「無常」である。
唐木順三は最終章で道元の「無常の形而上学」にいたるのだが、
感傷家に過ぎぬわたしには形而上学的なことはいささか難しすぎた。

「日蓮の本」(学研) *再々読

→日蓮関係の本をあまり読んでいないのだが、
この学研の「日蓮の本」は業界を少々知ったいま読み直しても改めてすごい。
おそらく宮本輝、創価学会ラインで、はじめて日蓮という存在を意識したとき、
最初に読んだのはこの本だったのではないか。
いまだからこそわかる面もあるのだろうが、
小著なのに実にわかりやすく、偏っておらず、批判的でもなく、しかも包括的で、
なによりおもしろい出来に仕上がっている。
大著よりも意外とこういう本をつくるのが難しいと自称読書家の僕は思う。
本当に内容をわかっていないとわかりやすく短くまとめられないわけだから。
この本は日蓮の多様な側面を偏向的にならずに党派性も見せず簡潔にまとめている。
巻末の法華経要約なんて本当に優秀で、あれを書いたライターはだれなのか?
あれほどわかりやすい法華経の要約はよほど対象を理解していないとできないはずだ。
でもまあ俯瞰的に見て、日蓮系はあたまのネジがゆるんだやつが多く、そこがおもしろい。
むかし15年近くまえインドのヴァイシャリーで、
日本寺妙法寺の和尚さんの車でバス停まで送ってもらったことがある。
そのとき車内で聞きたくて聞けなかったのは、
南無妙法蓮華経と南無阿弥陀仏の違いってなんですか? 
そんなこともわからなかった。若かった。大胆だったが同時に繊細で臆病だった。
29歳だった僕は42歳になり、ようやくそれを独学で理解しました。
おのれに課した宿題を間違っているかもしれないが一応解した。
本書は日蓮入門書として非常に優れています。

「仏像でわかる仏教入門」(ひろさちや/講談社+α新書)

→いまでさえ、ひろさちや先生の入門書を読むくらい仏教がわからない。
仏教学者の説はイミフだし僧侶の説教はひたすら退屈だし、いまもって救われない。
いままでなんのために仏教を勉強してきたんだろうなあ。
10年以上仏教を学んでも、ひろさちやの入門書っていう、そのね。
本書でも法身仏、応身仏、報身仏の違いがわかりやすく書かれていたが、
どうせすぐ忘れるような気がするし、
そんなことを覚えても一文にもならないし救われない。
観音菩薩みたいな存在が現われて、パーッと救われちゃうようなこともありそうだが、
いまの自分を考えるとありえないとも思う。
インドやアジア各地で無数の仏像や仏画は見たが、どれひとつとして感動したことがない。
ラオスのビエンチャンの、あれはなんだったか、いちばん有名な寺の仏画に、
エロそうな裸の女をイヒヒと笑いながら男たちがむさぼっているものがあり、
それはいまでも覚えているが、あれはなんだったのだろう。
高僧が来て説教をしはじめ、みんな神妙に聞いていたので、
僕も最後尾で真似をして聞いた。説教は終わるのが早くそこがよかった。
最後に高僧は聴衆のなかに分け入り金を集め始めた。
むろんのこと、このタイミングに感謝して僕も少額だがお布施をした。

終わったあとがすごいのである。ラオスは仏教徒の若者のパワーがある。
寺の敷地内でものすごい大音量でラオス歌謡曲を鳴らし、
トラックの荷台に若い女が立って踊り狂っている。
若い男たちもみんな大盛り上がり。そのときそれを見て僕はなぜか感動して涙した。
結局、仏像や仏画よりも人間が好きなのだと改めて思った。
あのラオスでの感動は忘れられない。

ひろさちや先生のご意見を誤解すると、仏像のいいところは物言わぬところか。
がために、人はそれぞれの機根にしたがって、仏から教えを受けることができる。
万民に共通の絶対的説教なんてないわけだ。
若いか老いぼれか、男か女かでも変わるだろうし、貴賤賢愚でも教えは変わろう。
仏像は物言わぬ。このゆえ、人はそれぞれ自身の仏と向き合うことができる。
いやさ、あはっ、僕はそんな経験はありませんよ。
仏像よりもなまの人間のほうがどこでもおもしろかった。
しかし、宗教指導者よりは物言わぬ仏像のほうがいいというのはわからなくもない。

「わが家の仏教 浄土宗」(藤井正雄・清水秀浩/四季社)

→本書に収録されている「三尊礼」というのが、なんかよくてさあ。
禁酒した晩の寝る直前には、なぜかこのお経を唱えていた。
出典が書いていないんだよ。だれが創ったのかわからない。
まあ、そんなことは感想を書くときにネットでちゃちゃっと調べればいいよねという。
でも、なんかよくてさ、つい唱えちゃうんだよねえ。
で、いま調べたら、あれは善導の言葉だったのか。
梅原猛がロマンティストの詩人と評していた中国の坊さん。
「三尊礼」は善導の「往生礼讃(偈)」の一節で「六時礼讃」と呼ばれることもある。
節(メロディー)をつけて歌うもので、日本最高の仏教音楽という説もある。
法然の弟子の安楽と住蓮はこれがうまく、
独自メロディーで皇室の女性だかをかどかわして出家させちゃったという。
結果、おかみが怒って法然は流罪で、
安楽・住蓮は首切り処刑になってしまたといういわくつきのお経がこれか。
もしかしたらわたしはわずかながらにせよ宗教的才能があるのかしら。
善導という作者名を知らないでも、
「三尊礼」=「往生礼讃(偈)」=「六時礼讃」は美しいと思ったのだから。
歌詞は決まっていてもメロディーは決まっていない。
もしかしたら日本最初の天才作曲家は死刑囚、安楽だったのかもしれない。
作曲をしたのは安楽だと梅原猛は書いている。
メロディーをつくれる人は本当にすごいと思う。
お経なんて、ラップ調というか、ほら大黒摩季の、
ほらあの「熱くなれの」歌の途中の、
ほらあんな感じで、あんなリズムでやってもおもしろいのにね。
お経は言葉だけでメロディーがないのだから、伝統なんかにこだわらなくてもさ。

「全文現代語訳 浄土三部経」(大角修=訳・解説/角川ソフィア文庫)

→浄土三部経とは、「(大)無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」のこと。
ブログを調べてみたら浄土三部経はいろいろな訳で4回読んでいるので5回目か。
大角修さんの角川ソフィア版の特徴はとにかくマイルドなところ。
「無量寿経」なんかけっこうむごい汚らしい表現があるのだが、きれいに解釈している。
訳注は読みづらいだろうと読者の便宜をはかり、すべて訳文自体に込めている。
しかし、これが現代語訳なのかと聞かれたら複雑で、
大角修さんの創作に近くなっているところもあり、
そうは言っても独自な解釈とはそういうことだろうと言われたらそれも否定できなく、
いい仕事であることは間違いない。
浄土三部経なんか読まなくてもいいと思うけれども、
発心したのなら角川ソフィア版が、
いちばん新しいしマイルドだしわかりやすいからおすすめ。

本書の「観無量寿経」で両親を殺した阿闍世(あじゃせ)の救いや、
悪役の提婆達多(だいばだった)の救いの話が出てくるが、
それは「観無量寿経」には書かれていないのではないか?
たしかに「観無量寿経」の終わり方はまったく救いがなく、
このような説話を付け加えたほうが物語としてはカタルシスがあるが、いいのか?
「観無量寿経」はその救いのなさがある種の魅力という見方もできると思うが、しかし。
このお経で自分の息子がいままさに父親を殺そうとしているとき、
その息子の母親の韋提希(いだいけ)夫人が嘆くところがある。

「わたくしはなぜ、阿闍世のような悪しき子を生むことになったのでございましょうか。
わたくしは前世に、どのような罪をおかし、
この報いを受けているのでございましょうか」(P66)


この問いに世尊(釈尊/釈迦)は答えず、西方浄土を観想する方法を教えるのみだ。
しかし、これは見方によっては答えとも言えて、
仏教を知るために韋提希夫人はこのような苦しみを受けているという解釈もあろう。
ブログに仏教本の記事を書き出すとアクセス数が顕著に下がるのだが、
それは仕方がない。現代日本を生きるお忙しいみなさまが、
非科学的な仏教なんかにご興味を持たないのはわかります。
「なぜ?」から仏教のみならず宗教は始まる。
いったいなぜどういう理由で自分ばかり苦しまなければならないのだろう?
この基本の疑問がないと仏教の本を読む気にならないだろう。
おのれの無力を知ってはじめて人は人間世界を超えたものに思いを馳せる。
教会で結婚式を挙げたばかりのラブラブの新婚さんはもっとも仏教には縁遠い。
酒井法子は薬物事件で逮捕され留置所にいたとき、
天台宗の瀬戸内寂聴さんの本を差し入れてもらい読んだという。
酒井法子本人だって、自分がどうして覚醒剤なんかやったのかわからないのである。
どうしてサーファーと結婚したのかも、どうしてあんなに孤独を感じたのかも、
いったいなにゆえ自分はヤクザの娘で、しかしとびきり美しい女として生まれたのか。

本書で法華経などに見られる全員集合の熱狂は祭礼だという指摘がされており、
まこと卓見だと思った。ライブの盛り上がりが大乗仏典の世界なのである。
みんなが盛り上がってイエイ、イエイ、ワイワイやっているのが
大乗仏典だと考えたら、読むぶんには退屈な、
えんえんと仏の名前が続くあれも昂揚の象徴なのだということがわかる。
実際にお経の世界(細かく言えば「阿弥陀経」の世界)を現実に垣間見せたのが、
踊り念仏の一遍で、盆踊りの根っこはそこという説もあるし、
ディスコもある種のクラブも、そしてAKBのようなユニットダンスもそうだろう。
その瞬間だけは辛いことを忘れられる。ならば、なぜ極楽浄土を見ないのか?
それが「観無量寿経」であり「阿弥陀経」である。
「観無量寿経」は催眠術療法やイメージ療法の基礎でもある。
美しい世界をイメージしたら、いまの辛いことを忘れられる。
努力してもどうしようもないことや、もう起こってしまった取り返しのつかないことはある。
無力。無力の自覚が浄土三部経。無力、ひとり、生まれ、死ぬ。
無力でたったひとりでさみしく死んでいくのが人間であると世尊が説いたのが「無量寿経」。

いままで「無量寿経」で説かれている48願というのが本当によくわからなかった。
それは法蔵菩薩が48の願を立てて阿弥陀仏になったから、
要するにみんな仏名を聞けば仏になれるよっていうあれのこと。
あれはお坊さんでもよくわからない人がいるんじゃないですか?
わたしもどんな解説書を読んでも「はあ?」としか思えなかったが、
この齢になって意味するところがようやくわかった。
法蔵菩薩は人間代表なんだよ。
で、生まれ変わりを無数に繰り返し修業して仏になるというのは、
あれはたとえれば選挙に出馬した立候補者のようなもの。
自分が仏になったら(成仏!)、これこれをやりますと公約したのが法蔵菩薩。
いま阿弥陀仏はいるだろう。人間の法蔵は仏になった。
しかるがゆえに法蔵菩薩の選挙公約は果たされるというのが48願の意味である。
全編マイルドな本書だが第35願の翻訳が危ない。

「たとえわたくしが仏になる時が来ても、十万無量、不可思議数の諸仏世界において、
女人が我が仏名を聞いて歓喜信楽し、菩提心を起こして、
女性である身を厭(いと)うて寿命が尽きたのちに再び女性に生まれるならば、
わたくしは仏になりません」(P201)


本願寺出版の翻訳を見てみたら、ここはわざと意味不明な文章にしてごまかしていた。
これって女性は仏名を聞いたら、
女である身を恥と思えという意味に直球で解釈されてしまう。
女性に生まれてくるのは不幸だ、災いだとはっきり書いてしまっている。
女性に質問したいのは、生まれ変わったらまた女性になりたいですかってこと。
ある人に聞いたら、絶対次は男ね、と言っていた。
わたしは生まれ変わったら美女になって、たんまりしこたま悪いことをしてやりたい。
まあ、13、4歳で売春宿に売り飛ばされる貧乏娘は絶対いやだけれど。
こんなことを言ったら差別になるのかもしれないが、
仏教は極めて閉じた暴力団のような男性社会のようなところが、よくも悪くもある。

本書のコラムで学んだことは多い。
「方丈記」で有名な鴨長明は、阿弥陀仏の絵像をかけながら、
毎日法華経を読誦して極楽往生を祈っていたという。
平安時代では法華経を唱えながら往生を願うのはみんなやっていたことらしい。
「往生要集」で知られる源信は、二十五三味会というものを開催していた。
これは基本的には念仏の会なのだが、午前中は法華経を唱え、
死者が出たら密教の真言を唱えていたという。
念仏と法華信仰と密教が渾然一体となっていたという。
2、3度読んでいたが、気づかなかったのは近松門左衛門の「曽根崎心中」。
あれは南無阿弥陀仏と唱えながらふたりは自殺している。
あの世でいっしょになろうと刃物でおのれの身を削った。
しかし、末文は「貴賤群衆の回向の種。未来成仏疑ひなき、恋の。手本となりにける」
と終わっている。自殺しても成仏できること。
そして、女のほうが成仏したあと男になってしまったら、
それは男女の恋ではないだろうと著者がおもしろい指摘をしていた。

「法然 十五歳の闇(上)(下)」(梅原猛/角川ソフィア文庫)

→法然の絵伝は複数あるようだが、これは梅原猛が書いた現代の法然の伝記である。
さすが勉強家の梅原猛だけのことはあり、知らなかったことがいっぱいあった。
以下列記すると――。
法然の師匠は叡空だが、叡空の師匠は融通念仏で知られる良忍だったのか。
で、良忍は「往生要集」を書いた源信の孫弟子。
話は変わるが、栗田勇氏は踊り念仏の一遍は法然を嫌い、
良忍を慕っていたのではないかという説を出している。

法然は民衆を救ったようなイメージで語られるが、
後白河法皇や九条兼実ら権力者の支持を獲得する政治的な面もあった。
宗門の事情で、法然の祖先は皇族だろういう説もあるが、それは嘘だろう。
法然研究の学説の正しさは、しょせん論者のアカデミックな立場の上下で決まる。
梅原猛は宗教的香気の強弱で絵伝のどれか正しいか決めるそうだが、
それもまた果たして学問と言えるのだろうか?
梅原猛は、法然は父のみならず母も殺されているのではないか、
という新説(珍説)を出している。

天台宗の法華一乗思想は「草木国土悉皆成仏」まで行き着いたが、
法然の説いた専修念仏による万民救済も意図するところはおなじで、
法然は結局のところ天台宗の僧侶であった。
夢で善導と会うという神秘体験が法然に反発が予想される布教を決意させた。
法然の弟子の安楽は、善導の詩文集「往生礼讃」に
独自の哀しくも美しい節をつけて歌い人気を取った。これは「六時礼讃」と呼ばれる。
しかし、この「六時礼讃」興業が問題となり、法然流罪の原因となる。
安楽自身も相方の住蓮とともに処刑された。
善導は放浪の仏教詩人で、書き残したものは極楽を観想する詩文ばかりで、
唯一の理論書である「観無量寿経疏」は中国ではあまり流伝せず、日本にのみ残った。
耽美家で芸術家肌の善導とは異なる理論家の法然は、
この「観無量寿経疏」を重んじたという。

75歳で法然は流罪に遭うのだが、
このとき師を思いやる手紙を書いたのは信徒の津戸三郎という元武士で、
それに対する法然の返信がすばらしい。
先に梅原猛の通解を出し、続いて原文を本書から引用する。

「こういう明日をも知れぬ年老いた身に
とんでもない醜いことが起こる所が即ちこの穢土(えど)であり、
この穢土に希望をかけず早く往生しようと思う。
それ故この穢土で起こったことは誰も彼も恨みと思わず、
わが身の宿報と私は思っているので、あなたもそう思ってください」


「但(ただ)し今生のことは是(これ)に付ても、
我も人も思知(おもいし)るべきことに候(そうろう)。
いとひてもいとはんと思召(おぼしめす)べく候。
けふともあすとも知り候はぬ身に、かゝる目を見候、心うき事にて候へども、
さればこそ穢土のならひにては候へ。
只(ただ)とくとく往生をせばやとこそ思ひ候へ。
誰も是を遺恨の事になぞゆめにも不可思召(おぼしめすべからず)候。
然(しか)るべき身の宿報と申」(下巻P131)


この手紙をもらった鎌倉の津戸三郎は、
法然の死んだ80歳のときに師に合わせるように切腹して往生を遂げたという。
「只とくとく往生をせばやとこそ思ひ候へ」――。
「然るべき身の宿報」――。
南無阿弥陀仏の哀しくも美しい、どこかしら歌謡曲を感じさせる世界である。

「消息文」(法然/大橋俊雄校注/「原典 日本仏教の思想 5」岩波書店)

→ご存じでしょうが、消息文とは手紙のこと。
手紙ってけっこう本性が現われるって聞くし、
借金を頼む手紙とラブレターほどおもしろものはないという説もなくはない。
このため法然の手紙集はかなり楽しみにしていたのだが、権威にこだわるのか岩波書店。
どうしてかわからないがカタカナと漢字のみの手紙が多く、読みにくいったらありゃしない。
何回も読んだら意味は取れなくもないが、そんな暇人ばかりではないのでないか。
法然の手紙は、日蓮や蓮如のそれと比べると情味はあまりなくあくまでも理知的である。
しかしさ、いまの話、歴史の話、
どうして浄土宗系と日蓮宗系はこんなに仲が悪いのだろう。
仏教に興味がない人は知らないのだが、
南無阿弥陀仏と南無妙法蓮華経は犬猿の仲でしょう。どちらも根っこは天台宗。
しかるがゆえに、「観音経」と踊り念仏の一遍が大好きだという瀬戸内寂聴の天台宗が
いちばん包容力があるのかもしれない。
関係ない話をすると、寂聴さんが田舎の寺の住職をやっていたとき、
無料で戒名をつけていたというのはクソババアの彼女が嫌いな人も驚くだろう美談。
それは原稿料収入が多額にあったからで、他の天台宗僧侶は戒名で稼いでいる。
知っている人は知っている話だが、坊主にも軍隊のような僧位があって、
位が高い坊さんに格式の高い戒名をつけてもらうほど値が張る。
我われ庶民には信じられない、とんでもない額になる。しかも無税というね。

さて、日蓮宗系の法華経と犬猿の仲の浄土三部経はどちらがいわゆる上なのか。
答えは、おそらくたぶん法華経。
それはなぜかといえば、歴史ある天台宗の根本経典は法華経だし、
実在したかいまでは疑問視されている聖徳太子も法華経を重んじていたし、
平安初期に書かれたという日本最古の説話集「日本霊異記」にも
下層民の物語として法華経(法花経)ばかり出てくるからである。
かなりまえに読んだのでそこまで絶対の記憶ではないが、
「日本霊異記」には浄土三部経なんて一度も登場しなかった。
どこまで客観的にわたしがなれるかは不安だが、
まあ客観的にいえば浄土三部経よりは法華経のほうが物語になっているためおもしろい。
法華経はヤクザみたいな教えで、
自分に逆らうと仏罰が当たるぞというようなことが平気で書かれている。
実在したインドの釈迦なんて、
おれさま法華経に比べたら大したことがないね、というのが法華経とも言える。
わたしも含めて偉い(偉そう?)な人には、なびくというのが人間というもの。
平安末期に密教と並んで法華経が王さまだったと思うゆえんである。
そこに天台宗に後足で砂をかける形で飛び出した法然が現われ、
法華経よりも浄土三部経のほうがいわゆる上とやったわけである。
根拠は善導という中国のマイナーな田舎坊主。相当な波乱を巻き起こしたと思う。

消息文に、念仏といっしょに法華経も唱えちゃダメですかという問いがある。
これに法然がどう答えたか。引用してもいいのだが、カタカナ書き下し文で、
4、5回読まないと(バカな当方だからか)わからないので趣旨を書く。
天台宗出身の法然だからか、
あの智者の法然でさえ異常なほど法華経にびくついているのである。
これは違う宗のことなのでよくわからない。間違ったことは恐れ多くて言えない。
そう厳重に断っておいて、善導に逃げるのである。
自分はわからないがと責任逃れをして、善導はこう言っていたとやる。
善導は念仏以外では往生できないと書いている。
善導は念仏の人はみな往生できるが、他の行ないでは百人に1、2人、
千人に4、5人しか極楽浄土に生まれないと言っている。
確率では最大2%、最低0.4%は法華経を唱えても往生できるとのことである。
奉公先の母校である天台宗に媚びを売っているとも言えなくもない。
そのくらい法華経は強く、浄土三部経は弱かったのである。

読者層がわからないので失礼なことを書くと北条政子。
ごめんねさい、わかりますよね北条政子。
鎌倉幕府の北条政子。源頼朝夫人の北条政子。
北条政子から来た手紙の法然による返事が(本物か偽物かわからぬが)ある(P188)。
繰り返し読んだら、法然がけっこう政治をできるやつだったことがわかる。
当時出家していたのかどうかはわからないが、
いまは残っていないだろう北条政子の出した手紙の内容も推測がつかないわけではない。
最初に法然はやたら功徳うんぬんについて説明していたが、
それは北条政子が念仏には功徳があるのかどうかを中心に質問してきたのだろう。
それが女性のいいところとも言えるのだが、女性は損になることをやらない。
このゆえに問題は功徳に終結される。
男性はバカだから功徳とか考えずに、
損得度外視でたとえば一国の王子だった釈迦のように家出する。
損得や功徳なんか考えていたら本来は仏教はできないのだが、
そこは法然も法然で、
念仏の功徳はあるということを釈迦の弟子発言を権威として引用後、
念仏の功徳(損は致しません)を強力アピールしている。
もうひとつ、この手紙からわかるのは北条政子の尊大さ。
法然が念仏は無智のものばかりではなく、
有智のものも往生させますと書いていることから、
北条政子がかなり高飛車な智者女、インテリ女めいた手紙を送ってきたことがわかる。
これに対して、法然は貴女のような学識あるお偉い方でも往生できます、
と丁寧に政治を考え返答した手紙がこれだとも言うことができるのではないか。
法然が師事する善導は女人を見なかったというが、
こういう女性のいやらしさを知っていたのだろう(「七箇条制誡」校注による)。

日蓮系の創価学会といえば宿命転換だが、
実は法華経にはあまり宿命や宿業について書かれていない。
もっとも人間の宿命、宿業を禍々しく差別的に描いているのは、
浄土三部経の大無量寿経である。
貧乏なのも片輪なのも難病になったのも、
すべては前世の悪業のせいだとあからさまに断言しているのが、
法然が念仏信心、念仏布教の典拠にした大無量寿経。
法華経にも不具者になったのは、
過去世でこのお経を誹謗したからだと書いてあることはあるが、
大無量寿経ほど露骨に差別心丸出しでは書いていない。
法然からしたら、法華経は自力の聖道門で大無量寿経は他力の浄土門だが、
そこには法然の無力の自覚があったのだと思う。無力。だから、他力をたのむ。
法然の父親は少年期に殺害されたのだが(これが出家の機縁となった)、
父が死ぬ直前にこれは宿業だから仕返しするなと言ったという伝記が残っている。
法然には、どうしようもない今生への諦念があったのではないか。
現世のこの世は宿業、宿命、宿善、宿悪でどうしようもないが、無力ではあるけれど、
せめて念仏くらいならできるのではないかというのは絶望であり希望である。
この世で恵まれるのは宿善で、辛い思いをするのもいまの自分が悪いせいではなく、
過去世の悪業だが、そういうのはすべて南無阿弥陀仏で消せる。
嘘かもしれないが、希望であるならば、それが人間の真実である。
宿命の善し悪しにかかわらず念仏で往生できると説いたのが法然である。

「宿善によりて[宿命のおかげで]往生すべし人の申(もうし)候らん、
ひが事[間違い]にては候はず。
かりそめのこの世の果報[幸福]だにも、さきの世の罪、功徳によりて、
よくもあしくもむ[生]まるゝ事にて候へば、まして往生程の大事、
かならず宿善によるべしと聖教[大無量寿経]にも候やらん。
たゞし念仏往生は宿善のなきにもより[助け]候はぬやらん」(P220)


法然の弟子であったとして有名なのは熊谷直実だが、またここで読者層がわからない。
熊谷直実は「平家物語」の「敦盛最期」で出て来たあの人である。
源平(源氏と平氏)の「一ノ谷の合戦」で、
源義経は卑怯とも無謀とも天才とも思える奇襲を仕掛けた。
そのとき、義経の部下として活躍したのが熊谷直実である。
海上に向けて逃げる平氏の若い武士を熊谷直実は追った。
「武士なら逃げるな。おれと戦え」
若者は応じて交戦したが、熊谷直実にはかなわず、押し倒され、あとは首を切るだけ。
熊谷直実が若武者の顔を見たら、
自分の17歳の息子とおなじくらいの年齢だったのでためらう。
自分は田舎侍だと名乗る。
若武者は名乗らず、自分の首を見せたら、だれもがわかるだろうと言う。
どうして息子のような青年を殺さなければならないのか熊谷直実は迷う。
いっそのこと逃がしてしまってもいいのではないか。逃がそうと思う。
しかし、後ろからが源氏の大群が迫ってきている。どうせ逃がしても殺されてしまう。
ならばと断腸の思いで息子のような青年を切ったという。
若武者は平敦盛という平氏の貴公子だった。
熊谷直実は無念の思いから法然の仏門に入った。
これはフィクションの「平家物語」に書いてあることで、事実ではないかもしれず、
いわば伝説の類なのだが「平家物語」には南無妙法蓮華経ではなく、
南無阿弥陀仏が底にあるのは読んだから、そして好きだからわかる。

どうしようもなかったことがある。
それはもうどうしようもない。
しかし、南無阿弥陀仏ならば――。
以下は法然が熊谷直実に書いた返信の手紙より。
当時の武士だから仕方がないのだが、
いまでいえば殺人鬼の熊谷直実は何べんも繰り返し念仏を唱えたという。

「まめやかに一心に三万・五万、念仏をつとめさせたまはゞ、
せうせうの戎行[ルール]やぶれさせおはしまし候とも、
往生はそれにはより候まじきことに候」(P166)


法然は念仏は多くすればすればするほどいいという思想で、
親鸞のような一念往生義(1回の念仏で救われる)は認めていなかったようだが、
そういう立場は熊谷直実のような出家した武士の信徒がいたからかもしれない。
最後にいちばん好きな法然の手紙を紹介した。

「無量寿経釈」(法然/大橋俊雄校注/「原典 日本仏教の思想 5」岩波書店)

→宗教で嫌いなのは信者へ他宗批判の攻撃心と堕地獄の恐怖心を植樹するところ。
法然もこの「無量寿経釈」でそれをやっているんだなあ。
「正しい」を求める心ってなんなのだろう。
言葉は二分法を離れられないから(善悪、損得、正誤、美醜、高低)、
「正しい」を追求すると必然的に「誤まり」を生み出し、それが他を邪悪のように思わせる。
わたしの解釈では、踊り念仏の一遍は南無阿弥陀仏と一体化することで、
二分法(相対)を超えた「歓喜踊躍(かんきゆやく)」(大無量寿経)の
絶対的なラリラリ・ワールドに入った人だから、
法然もそれに近いところがあるのかと思ったら、法然も他宗批判と堕地獄を説いており、
踊り念仏の土台までしか造れなかったように思われる。

先日、ある人に地獄ってあるんですか? と聞かれたが、
地獄は浄土の対立概念で、言葉は二分法だから、
浄土と言っちゃうと地獄も創らざるをえなくなるという話で、それだけで。
浄土を証明するためには地獄を強調するしかない。
念仏を正行だと信じれば信じるほど余行が邪や魔に見えてくるという言語構造。
法然は言語達人だったが、
その世界から抜け出られず年々言葉の蟻地獄に沈んでいったのかもしれない。
しかし、結局最後の遺言めいた「一枚起請文」では、
南無阿弥陀仏だけでいいと言っているから言葉の秘密に気づいていたのかもしれない。
本書で法然が言っている念仏が「正しい」理由は――。
禅は禅をやった人しか往生できないし、
法華経の人も華厳宗も三輪宗も法相宗もそうだし、
真言も唯識も勉強や修業をした人しか救わないが、
念仏はそれらの人をも含めてあまねく万民を往生させるから「正しい」――。
ここまではいいのだが、このために他宗は邪宗とやっちゃうところが法然の限界かなあ。
「正しい」念仏を誹謗するものは地獄に堕ちると宣言するところも独善的でいやだ。
どうして宗教的指導者は「正しい」ことを熱望し天国(浄土)と地獄を創るのだろう?

「仏一音をもつて説法を演(の)ぶ。
衆生類に随つておのおの解(げ)することを得云々。
仏意は多含なり」(P76)


ここでストップできないで優劣、正誤、善悪を決めたがるのが人間であり言葉である。
念仏は――。

「誰人かこれを聴いて踊躍歓喜(ゆやくかんぎ)せざる。
しかるにある人これを聴いて誹謗をなす。
まさに知るべし、この人は五劫の中に大地獄に堕つべし」(P78)


踊躍歓喜していればいいのに人は地獄を創作してしまう。
天台の一念三千思想めいたことを言うと、地獄のなかに浄土があるのかもしれない。
浄土はあたかも地獄のようなのかもしれない。

「三部経大意」(法然/大橋俊雄校注/「原典 日本仏教の思想 5」岩波書店)

→「選択本願念仏集」よりもまだ若い時期に記した「三部経大意」のほうがいい。
というか、わたしの仏教観と似ている。
読みにくさを証明するためにあとで引用をするが、カタカナで書き下しているのである。
三部経とは大無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経の浄土三部経で、
本書は法然が根本経典の意味を独自に解釈したものである。
いわく、華厳経の教え、般若経の教え、法華経の教え、涅槃経の教えといろいろあるが、
だれが仏説を信じないということがあろうか。

「コレモ仏説ナリ、カレモ仏説ナリ、
イヅレオ(を)カ信ジ、イヅレオ(を)カ信ゼザラム」(P33)


真言宗の阿字不本生(あじぶほんぶしょう)はなにを言っているかといったら、
八万四千の法門はみな「阿」という字から生まれている。
一切すべての仏法は「阿」を離れることがない。
阿弥陀の教えも真言密教とおなじで「阿」から始まっているではないか。
すべて阿弥陀のなかに眠っており、
それをどう解釈するかの違いに過ぎないのではないか。

「カクノゴトク諸宗オノオノワガ存ズルトコロノ法ニツキテ、
阿弥陀ノ三字ヲ解釈セリ」(P34)


「群盲、象を評す」のような話で八万四千の法門は、
たった一頭の像を多くの盲人がいろいろなさまざまな角度から触り、
それぞれの感想を言ったようなもので(それは当然のように異なる)、
その象を言うなれば「阿弥陀」という三字で表現してもいいのではないか。
阿弥陀仏の別願(大無量寿経で誓った第十八願)の意味は、
「みんな仏になれる」という、いまで言うなれば選挙公約みたいなものである。
不思議な奇跡のような話である。

「仏ノ別願の不思議ハ、タゞ心ノハカルトコロニアラズ、
タゞ仏ト仏ノミヨクシタマヘリ」(P32)


これは法華経に説かれている「唯仏与仏(ゆいぶつよぶつ/ただ仏と仏とのみ)で、
意味は諸法実相といって、我われには仏の世界のことはよくわからない。
そのわからない(唯仏与仏の)仏と仏のみが知っている世界を、
我われは中道だの空だの三諦円融だの唯識だの諸法実相だのと言っているが、
それは阿弥陀という三字をさまざまに「群盲、象を評す」的に解釈したものではないか。
反対から言えば諸法実相と言ってもいいが、とりあえず自分は阿弥陀と言いたい。
諸法実相は学会員が毎朝毎晩読む法華経方便品第二に説かれている内容だし、
この時期の法然の信心に近いものをわたしは有している。
法然は「三部経大意」を「とにかく疑うことなく信じましょう」で終わらせている。
どうしてこの後、法然は日蓮ほど排他的ではないが、
念仏しか認めないような人になってしまったのか、そこがわからない。
本書にも萌芽はあって釈迦は死んだのちに阿弥陀仏になり、
その阿弥陀仏こそ善導なのだという、いかにも宗教といった内容が記されている。

「往生要集釈」(法然/大橋俊雄校注/「原典 日本仏教の思想 5」岩波書店)

→「選択本願念仏集」へいたるまでの道のりを見ていきたい。
法然は本書(講演の記録とも言われる)で、なにを言いたかったのか。
中国古僧の道綽や善導を重んじよ、である。
道綽の「安楽集」を読め。それから善導の「観経疏」を読め。
しかし、当時の天台宗で道綽や善導はあまり流行っていなかった。
本場の中国でだってどうだかという話もあるくらいである。
ならば、秀才の法然はどうするかといったら、
天台浄土教の大成者である源信の名著とされる「往生要集」を持ち出してくる。
「往生要集」ならばみんな読んでいるし、評価も高い。すなわち権威がある。
博識ぶって(いや本当に博覧強記なのだが)いろいろな経典や論書を引用しながら
「往生要集」の解釈を自分の寄せたいほうへ持って行く。
研究者によると源信は智顗(ちぎ)のほうを善導よりも重んじていたらしいのだが、
法然は多数の仏典からの引用を証拠として出し、
源信は「往生要集」で道綽、善導を重要視していたと結論づける。
「往生要集」の本当の意味はこうだとオリジナルの独自解釈を証明してみせた。
こうして源信の「往生要集」の権威を利用して道綽、善導の株を上げたわけである。
聞いたこともない経典や名前がたくさん出て来たので、
法然の勉強好きには降参する。おそらく当時の同僚僧侶もそうであっただろう。

「法然 解説」(大橋俊雄/「原典 日本仏教の思想 5」/岩波書店)

→法然は仏教界の革命児だったわけで、
当然のように批判が旧仏教の側から批判が来た。
解説では大橋俊雄氏がそれらを簡潔にまとめている。
浄土宗はいきなり起こったわけではなく天台宗のなかに浄土教は含まれていたのである。
天台浄土宗といえば「往生要集」を書いた源信が有名だが、
法然もまたこの先輩僧侶の書いた「往生要集」をきっかけに浄土教へ分け入った。
しかし、天台宗の僧侶の源信は智顗(ちぎ)が好きだったらしい。
源信は「往生要集」で智顗を22回引用しているが、
善導は16回でそれも要所ではないとのこと。
そんなもん数えたくもないが、それをするのが学問研究なのだろう。
しかし、天台智顗をほとんど捨てて、
500年近いむかしの善導をまつりあげたのが法然である。
法然のまわりに弟子が集まると浄土宗のようなものになってしまい出る釘は打たれる。
法然に対する旧仏教の批判は、
面授口決(めんじゅくけつ)も血脈相承(けちみゃくそうじょう)もないというもの。
師匠から口伝えされた教えではないだろう。師匠の師匠はだれなんだ?
そんなことをいえば天台宗の祖である最澄もそうなのだが、
中国留学経験があるからまだハクがあったのかもしれない。
最澄以降はたしかに面授口決も血脈相承もあるし、空海の真言宗もおなじである。
これは法然もコンプレックスに思っていて、
だんだん善導を阿弥陀仏の化身として神格化するようなったとのこと。
わたしが仏教のいやなところは面授口決と血脈相承である。
まあ、いまの会社でも子飼いかどうかで出世がわかれると聞くからおなじか。
面授口決や血脈相承は奴隷弟子をつくるが個性はつぶされる作法だと思う。

(河合隼雄の好きな)明恵が法然をどのような文脈で批判したか。
念仏が易行なのは認めるが、余行より勝っているというのは違うだろう?
華厳宗の学僧としては、
そこらの洟垂れ百姓が自分よりも勝れているとは断じて認められなかった。
いまでいえばの話、
サンスクリット語(古代インド語)をヒイヒイ言いながらやっている大学院生が、
学会員の大勝利宣言を聞いて立腹するようなものであろう。
しかし、実際問題サンスクリット語なんかやってもだれも救わないわけで、
助け合いの精神に満ちた相互補助組織の学会員のほうが救われているのかもしれない。
法然時代の南無阿弥陀仏にもいまの創価学会にも、
庶民が学者をあざ笑っているような意地汚さと爽快さが同時にあるような気がする。
あんまり貧農や小坊主が高僧をバカにするのもよくないと思ったのか、
法然は明恵の批判を受け容れたのかどうか、
その後、念仏の教えの深浅で勝負をするのをやめ、
実践しやすいところを売りにしたという。
教学というのは年月を経るにつれ難解になってくるものである。
それでは易行の実践ではなくなってしまうと法然は年輪を重ねるにつれ、
学問放棄の姿勢を見せるようになり、
南無阿弥陀仏だけでいいと主張するようになったそうである。
これは踊り念仏の一遍もおなじである。

以下は鎌倉時代から飛んで、
大正・昭和期の石井教道という仏教学者が指摘していることらしいがなるほどと思った。
法然の矛盾を突いた批判である。
日本仏教は汎神論だろう(如来、菩薩、明王など)。
そのなかで法然は阿弥陀仏を選択しているが、
阿弥陀仏は大日如来のように全宇宙を統合したものである。
一仏(阿弥陀仏)を選択しておいて、
多仏(全宇宙)を統合するのは矛盾しているのではないか。
しかし、ひとつまえの記事でも書いたがこの「一即多・多即一」の華厳的矛盾が、
あるいは仏教的真理の本質かもしれない。
わたしから言わせたら、創価学会の一念三千も
一念のなかに三千世界が入っているというのだから「一即多・多即一」の矛盾である。
踊り念仏の一遍という名前も「一は遍なり」という矛盾をはらんでいる。

「選択本願念仏集」(法然/大橋俊雄校注/岩波書店)

→「原典 日本仏教の思想 5」で原文を何度目か読んでみる。
岩波文庫よりもこちらの版は校注が多いので、
なにか参考になるところがあるのではないかと思いまして。
結論を言うと岩波文庫のほうが校注が少なくて(読みやすく)、
字も大きいのであちらで読んだほうがいい。
角川ソフィア文庫から現代語訳つきが出ているから、
あれがいちばんいいのかもしれない。
といっても、ことさら推奨しているわけでもなく、読まなくてもいいのではないか。
わたしはファンの踊り念仏の一遍の祖をよく知りたいという目的で読む。
「法然→証空→聖達→一遍」という師弟のラインがある。
法然は直近の師匠と喧嘩別れをした人で、
5百年まえの中国人僧侶の善導を師匠とみなしていた。
あくまでも踊り念仏の一遍が中心で、法然は脇役である。

法然が親鸞と比べて大衆人気がないのは知的エリート過ぎるからではないか。
とはいえ、親鸞の人気だって「歎異抄」のイメージによっているだけで、
あれは唯円の手柄なのだが、浄土真宗大谷家は利権を独り占めした。
秀才の法然が「選択本願念仏集」でやったのは、
自分で二択の選択肢問題を創って、その二択問題の正解を書き連ねた。
実のところ問題は解くよりも創るほうが難しく、法然の優秀さがよくわかる。
「選択とは取捨の義なり」と書いているが、取るとは捨てることなのである。
「聖道を捨てて浄土に帰すべし」と冒頭に書いているが、
ほぼ仏教界の全方面に喧嘩を売っていると言えなくもない。
どうして日蓮のような激しい迫害に遭わなかったかといえば言えば
(ちょっとは遭っている)、温和な性格と天台宗のベテラン僧だったことがあろう。
そして、なにより法然は日蓮とは異なり本当にあたまがよかったのだと思う。
ほぼすべてのお経を何度も読んで記憶しているやつはほかの坊主も怖いわけだ。
負けるとわかっている喧嘩(論争)をするものはいないだろう。

「雑行を捨てて正行を修すべし」
「悪を捨てて善を取るべし」
「勝を取りて劣を捨つべし」
――ここまではけっこう常識の範囲内だが、次が法然の恐ろしいところである。
これをやったのは日本仏教界で法然が最初である。
「難易」のさあ、どちらを捨てて、どちらを取るか。
常識なら東大と創価大があれば、東大を取るのではないか。
比叡山大学、つまり現代の東大卒で東大の研究者を長らくしていた法然は、
固定給のある東大を飛び出して、創価大のほうがいいじゃないかと言ったようなもの。
「難行を捨てて、易行を取るべし」という選択はそれほど革命的な発言なのである。
根拠は創価大なら易しいからだれでも入れ大卒として就職できるではないか。
創価大はちょっとやばいかな。仏教つながりで書いてみたのだが。
創価大のところは目白大学に脳内変換をお願いします。
東大の先生をしていた人が、Fランク大学のほうがいいと言ったのである。
女人成仏とからめていえば女性は高学歴だと結婚(成仏)しにくいでしょう?
大妻女子大のほうがよほど上がり(成仏し)やすく、ならそちらのほうがいいではないか。
法然は日本の仏教者ではじめて利他、衆生救済を説いたとも言えるのである。
いままでの仏教者は呪術師みたいなもんで、貴族の病気快癒の祈祷したり、
国家の安泰を祈っているだけで、下層民はほとんど相手にしていなかった。
厳しい修業をするものもいたであろうが、
それは自力での自己救済を目論んでいただけと言えよう。
行基や空也も慕われはしただろし、公共事業など生活面の援助はしたが、
下層民が宗教的に精神面で救われる教えは説いていなかったのではないか。
法然はそれをやったのである。東大よりも、だれでも入れる公立中学のほうが偉い。

「念仏は易きが故に一切に通ず。諸行は難きが故に諸機に通ぜず。
しかれば則ち一切衆生をして平等に往生せしむがために、
難を捨て易を取りて本願としたまふか」(P106)


南無阿弥陀仏と唱えるなんてだれでも出来るっしょ?
しかし、それこそがいまの時代、正しくて善い勝れた仏道修行である。
とはいえ、法然も迫害を恐れたのか日蓮とは異なり、
わずかながらではあるものの協調性も見せている。ここも秀才めいている。
大乗仏典は多くあるが、どれも「読誦大乗」という言葉ではおなじだろう?

「皆すべからく読誦大乗の一句に節すべし。
願はくは西方の行者、おのおのその意楽(いぎょう)に随つて、
或いは法華を読誦して、もつて往生の業とし、
或いは華厳を読誦して、もつて往生の業とし、或いは[中略]。
これ即ち浄土宗の観無量寿経の意(こころ)なり」(P145)


意外と知られていないが法然もしっかり現世利益アピールはしていて、
念仏者は現世でも観音菩薩と勢至菩薩から守護されると何度も書いている。
そして死んだら観音菩薩と勢至菩薩が優しくお迎えに来てくれるのだ。
最後に法然はこの本はみだりに多くの人に見せてはならぬと記す。
口頭の説法ならば当時はテープもなにもないのだから、
いくら過激な教えも記録に残らないが、紙に書いてしまったらそれは証拠である。
言質を取られることになる。
日蓮を革命家と見るむきもあろうが、あれは人真似をしただけとも言えなくもなく、
本当の日本仏教に一大革命を起こしたのはおそらく法然であろう。
しかし、日蓮や親鸞と比較すると法然は秀才が過ぎるため、
そこが人情を感じさせない東大卒のような印象を与え大衆の人気はあまりない。

「選択本願念仏集」(法然/佐藤平訳/中央公論社)

→「大乗仏典 中国・日本編 21 法然・一遍」に収録された現代語訳。
これからわたしが念仏の由来を書いてもいいけれど、みなさんご興味ないでしょう?
鎌倉時代の下層民だってそうで、そもそも文字が読めない人ばかりなのだから。
「苦しい」けれどこの「苦しい」をなんといえばいいのかボキャブラリーがない。
「救い」を求めているけれど「救い」をなんという言葉でいえばいいのかもわからない。
仏道修行をするにもそんな時間的余裕もないし基礎的な知的能力もない。
そんなときにお経をいっぱい読んだという秀才として知られる法然という坊さんが現われ、
「南無阿弥陀仏」という言葉を教えてくれた。
みなさんが苦しいのは南無阿弥陀仏で、救いは南無阿弥陀仏にある。
ナムアミダブツ、わずか7音。これなら下層民も記憶できる。
文字をいっさい書けない人も7音くらいなら暗唱できよう。
昨日は天気がよかったせいか、
夕暮れ昭和歌謡曲を歩きながら口ずさんでいるおばさんをふたりも見たが、
わかりやすくいえばあの歌謡曲が南無阿弥陀仏なのだと思う。

個人的な話をすれば、南無阿弥陀仏の功徳をいちばん感じたのは、
むかしシナリオ・センターという学校に通っていたとき、
いきなり狭い事務所に呼び出され、職員に囲まれ、所長と社長に恫喝された。
このとき受け答えをしながら、心のなかで念仏を唱えていた。
突然なのでパニックになりそうだったが、「ええい、どうにでもなりやがれ」、
おい阿弥陀仏よ、まかせたぜ! という感じ。ままよ!
どうせなるようになるし、どのみちなるようにしかならない、
という他力をたのむ気概と諦念が南無阿弥陀仏にはある。
そして、嫌いな人は大嫌いだろうけれど、死ねば浄土へ往けるというのは救いである。
なんのために生きているのかというのは謎だが、成仏するためという考え方もあり、
死ねば極楽浄土に往生してそこで成仏できるという信仰は、
そこまで悪くないのではないか。
要するに、皿の好物をいちばん最後まで取っておくようなもので、
いちばん最後にもっとも楽しいことが待っていると信じられたらそこに幸いがある。

以下、どうでもいいことなので読み飛ばしてください。
法然が念仏信仰の根拠にしたのは中国の善導(ぜんどう)という坊さん。
仏教はひたすら先輩を立てる社会で、善導の師匠は道綽(どうしゃく)で、
そのまた師匠は曇鸞(どんらん)ということになっている。
べつに曇鸞が偉いわけではなく、
いちばん偉いのは浄土三部経(大無量寿経、観無量寿経、阿弥陀経)。
なぜ浄土三部経が偉いのかといえば釈迦が説いたとされているから。
善導、道綽、曇鸞たちがやったのは浄土三部経の解釈(どう読むか)。
善導はかなりトリッキーなことをやった人で念仏するだけでいいという解釈をした。
言葉なんてどうとでも解釈できるから、
もしかしたら善導のやったのは誤解だったかもしれない。
で、こういうのをぜんぶ読んで、ほかの仏典もあますところなく読んだのが、
はい、ようやく来ました日本の法然で南無阿弥陀仏と口で唱えるだけでいいという、
斬新な解釈を断定的に主張したのである。
善導はそこまでは言っていないのだが、
大無量寿経と観無量寿経の一節を善導の言葉とからめて
南無阿弥陀仏だけで構わないと。
口で称える念仏はむかしから坊さんの修業のひとつとしてやられていたが、
法然が独創的なのは口称念仏(称名念仏)だけでよく、
ほかの仏道仏法をすべて否定したところ。
どうでもいい話をここまでお読みくださり、ありがとうございます。

空海は違うようだが、仏教の論書というのは、
Aにこう書いてある、Bにこう書いてある、Cにこう書いてある……だからこうである。
そういう論述形式を取っており、法然の「選択本願念仏集」もまったくその通りだ。
偉人の権威を借りているだけとも、読書量自慢をしているだけとも、
もっと厳しい言い方をすればどこまでも我田引水、牽強付会なのである。
結論はなにかというと「自分は正しい」なのだからいやらしいと言えなくもない。
空海の言う陀羅尼(ダラニ/呪文)とは南無阿弥陀仏のことであると、
法然はちゃっかり人気者の弘法大師空海の権威も借りている。
そうしたら空海の真言宗の人にも媚びを売ることができる。
密教も大乗仏典に含まれると「貞元禄」とやらに書いてあるとか。
(日蓮が大好きな)天台智顗(ちぎ)も「十疑論」で、
「阿弥陀仏の名前を称えれば極楽往生できる」と書いている。
この「十疑論」は偽書(いんちき)ではないかという見方もあるらしいが、
もし智顗が本当に「十疑論」を書いていたとしたら日蓮の支柱が崩れる。
ともあれ、日蓮は法然よりあとの時代の人だから、
法然がやったのは天台宗の人に媚びを売ったとも言える。
しかし、だから、わが法然の南無阿弥陀仏は正行であると男は主張する。
仏教とは縁が薄いみなさまにはどうでもいいい話であることを十分に知りながら、
ここまで来たのだから寄り道すると「他力」という言葉をはじめて使ったのは、
曇鸞(どんらん)であることを注釈で教わるが、
学者先生はそんなこと研究してなにがおもしろいのかね。

みなさまが仏教なんてどうでもよく、論書からの引用なんか、
たとえ現代語訳でも読みたがらないのは知っていたのであえてやらなかったが、
一箇所だけしてみよう。最初のほうに書かれていることである。

「たとえ一生の間、悪いことをなし続けたとしても、
ただ心を集中して一生懸命になって常に念仏すれば、
すべての障りは自然に消え去り、必ず浄土に往生することができる。
どうしてこういうことを深く考えず、
まったくこの世を去る心をおこさないのであろうか」(P9)


いちおう原文を示しておく。むろん原文は漢文だから書き下し文。

「たとひ一形(いちぎょう)悪を造れども、ただよく意(こころ)を縣(か)けて、
専精(せんしょう)に常によく念仏せば、一切の諸障、自然(じねん)に消除して、
定んで往生することを得。
何ぞ思量せずして、都(すべ)て去りゆく心なきや」


「選択本願念仏集」の一文であることはたしかだが、法然の言葉ではなく、
道綽(どうしゃく)の「安楽集」からの引用である。
法然は「選択本願念仏集」をこの「安楽集」からの引用で始めている。
「都(すべ)て去りゆく心なきや」を訳者は
「まったくこの世を去る心をおこさないのであろうか」という意味に読み取っている。
「去りゆく」「世を去る」をどう解釈するかだが、
出家や隠遁とも考えられるが「死」とも意味を取ることもできなくもない。
念仏しながら悪いことをたくさんやって早く往生しよう(死のう)とも読める。
こういう誤解が新しい仏教を創っていくという一例である。

法然や親鸞は善悪にこだわっていたが、
踊り念仏の一遍まで進むと善悪を突き抜けている。
善悪というこの世の相対の上にある絶対が南無阿弥陀仏だという解釈だ。
一遍もまた善導とおなじで夢告という宗教絶対体験を経ている。
訳者の佐藤平氏が鈴木大拙の「日本的霊性」を話のまくらにして、
このいわゆる宗教絶対体験についてわかりやすく述べているので紹介したい。

「宗教経験の真実というかそのリアリティーは、言葉を超えている。
言葉の上に表現しようとすると、どうしても逆説的にならざるを得ない。
つまり常識的には矛盾しているように見えるが、
真実を言い当てているという意味で、逆説的論理や言表が多用されるのである。
常識というのは、倫理的意識や通常の論理である。
たとえば、「善人なほ往生す、いかにいはんや悪人をや」というのは、
倫理的常識には真っ向から対立する。
しかしそこに宗教経験の真実が表現されている。
またたとえば「不一不二」という言葉がある。
これは究極的実在を指し示して、
それは一でもなければ二(もしくは多)でもないというのである。
一でないということが二(もしくは多)を意味しているとすれば、
形式論理学上では x は二であって二でないという具合に、
同一の主語に対して同一の述語を肯定すると同時に否定することになり、
矛盾律という論理学の大原則を犯していることになる。
いわゆる常識からすれば、間違った言表ということになる。
しかし、これが宗教体験のリアリティーを言い当てているのである。
これに類する逆説的論理としては、[鈴木]大拙先生の「即非の論理」があるし、
また「一即多」「多即一」というような表現もよく用いられる」(P403)


わかりやすい文章をさらにわかりやすく言い換えるとこうなる。
死は悪であって悪ではない。死は善であって善ではない。
死は悪であり善でもある。死は悪でも善でもない。
悟りはないと悟ることが悟りだが、その悟りも悟りではないことが悟ること。

「春の道標」の日本芸術院長、黒井千次のお父さまは最高裁判事で
ご子息は山田太一ドラマの最高傑作「ありふれた奇跡」をやったフジのPだったのか。
86歳になっても生きているのが怖いし、現役で下のほうを締めているという、このね。
とっくに死んでいると思っていたし、
文学者だから親も子も不幸だと思っていたら、こう来たか。
成功者の裏のつながりというのがあって、
いまの成功者の親は調べたら大半は成功者で、
子どもも確実に業界で名を上げている。
それは正しくて、貧乏人が子どもをほしがる理由がわからなく、
あんたらの子どもはあんたら程度いけば上等で、
これから日本はマイナスだから劣化が当たり前で、あんたらなんで子どもつくるの?
あんたら貧乏でしょ? あんたらの子は宿命的にあんたら程度の生命存在。
子どもどころかご迷惑をかけるのでおんなもいりませんでございますですね。
基本、小説なんちゅうような非実用書を読むのはメスしかおらへんと思う。
数少ない小説読みの男に聞きたいじゃけん。
自分、女の書いたメス小説を読まれはりますか?
わしは柳美里の大ファンやったが(大学生のとき神保町三省堂のサイン会に行きました)、
おばさん化して男化が見られたあとはいくら中瀬ゆかり氏のプッシュがあってもあかん。
宮本輝の本のブックカバーを担当している絵師のブログを拝見しましたら、
高樹のぶ子も山田詠美もまだ生きておるねん。宮本輝「流転の海」お疲れさまパーティー。
高樹のぶ子はわしが中学生ころの人やったし、
山田詠美は大学生のころでも(20年まえですねん)、
古臭いバタ臭い九州方面のアメアメいなかいなかした感じがきつく、いややったなあ。
北方謙三さんはともかく、黒井千次さんもまだ生きてはりますか?
まったくもうみんなで黒いスーツを着て、東京帝国ホテル桜の間で乾杯しちゃって。
政治をしよる帝国ホテル桜の間。
ついに宮本輝の命の宿果て「野の春」を読み終え、怖くて書けなかった感想も記した。
僕にとっての文学の師匠は宮本輝で、
師の小説を読みながら死を思いとどまったことが何度もあった。
いまは自殺する気もなく、寿命を待ったほうが早いのかとね。
宮本輝の推薦する小説はほとんどすべて読んでいる。
トルストイとかドストエフスキーとか、
あんなくそ長いものを読めたのは師匠の導きのおかげ。
いまは内容なんてほとんど覚えていないけれど。
いろんなことを宮本輝から教わったな。いまでも学んでいる。
宮本輝に会いたいと思っていた一時期もあったが、
10年まえくらいからはあんなめんどうくさいおっちゃんとはあきまへん。
宮本輝の悪口を書いているように思われるかもしれないが、あれはラブレター。
僕は宮本輝が好きすぎて、
創価学会の勉強までしちゃった除名処分を食らった過激派テルニストやから。
宮本輝は本当にいい。あれを書かれちゃうと後進は育たないが、
師匠はまだまだ長生きするようなので、それもまたいいんやねん、と思う。
むかし宮本輝の小説「草原の椅子」のシナリオ化を11万でやって、
原作をめったくそ変えてPからこれは違うと切られたことがございます。
切られたの林真理子の小説のシナリオ化のときだったか。
いまだったらもっと上手にやれるかと問われたら、いまでもおんなじかもしれへんなあ。
「野の春 流転の海 第九部」(宮本輝/新潮社)

→宮本輝の父親は女癖が悪い大物ぶった口だけのゴロツキで、
母親はことさら料理がうまいわけでもないアル中の陰気なババアだったと思うが、
宮本輝はさんざん迷惑をかけられた両親をさも偉人であるかのように描いた。
これが創価学会の宿命転換であり、「野の春」は宮本輝の自己救済になったと思う。
宮本輝自身も学校の勉強こそできないが、
なにかを知っている大物の神童として描かれているが、
あなたのご両親もあなた自身も吹けば飛ぶような社会の塵芥。
いちばんましなのは資産家の娘で伸仁の恋人、大谷冴子(大山妙子)だろう。
育ちが悪いというのは宮本輝のためにあるような言葉で、お育ちが悪いと
ここまで嫌味な説教くさい善人ぶった
傲慢な野郎ができるのかと空いた口がふさがらない。
庶民――いわゆる学がない人間たちの
大物ぶりっ子をここまでうまく描いた小説はなかろう。
女に騙され部下に裏切られ、
みじめにもあわれにも犬死する松坂熊吾は最期まで大物ぶっている。
夫に殴られ蹴とばされ、
それは字もろくに書けない水商売あがりゆえの無教養の妻の房江は、
夫の愛人を怒鳴ることもできない下卑た根性の女で、
表面上は夫の愛人と気を合わせながら内心では軽蔑するが、
それを表面に出すこともできない陰にこもった精神が貧しい女としか思えない。
こういう両親をモデルにして、
さも男女が市井の聖人であったかのように宿命転換小説を描いた宮本輝は天才である。

すべては宿命として現証として現われる。
松坂熊吾は心根のいやしさを最後の最後で露顕している(正体を見せている)。
なんでも20年くらいまえに数年世話してやった年下の男が、
いまは東京で有名企業の社長になっている。
受験で東京に行った息子に、熊吾は大物ぶって会いに行かせるが無視された。
それはしようがないだろう。相手だって忙しいし、めんどうくさい人の子とは会いたくない。
松坂熊吾は自分が見えていないというほかなく、
いまのおまえは借金まみれで、事業に失敗して
妻子も養うことができなくなった田舎もん丸出しの「色きちがい」の暴力好き、
そのうえ糖尿病で喧嘩しても息がつづかない性格破綻者なのにもかかわらず、
老齢で金欠の熊吾は自分を関西の大将だと見誤り、
20年以上もまえの部下に恩を返せと出来の悪い息子を派遣する。
こんなのは無視するのが常識だと思うが、熊吾はそうは思わないで根に持つ。
そして、仕返しをするのが「流転の海」のクライマックスだが、それがせこいので悲しくなる。
女に溺れ零落したよれよれのスーツを着た田舎もんのおじいさんに成り下がった熊吾が、
かつておおむかし数年世話してやっただけの部下で、
いまは世間的評価も高い東京の光り輝く社長に再会したときどうするか。
相手の身になれよ。どうしてそういういやがらせを関西のやつはするのか。
そういうことをするおまえの宿命はなんなんだ?
いまをときめく東京の社長さんに、完全に落ちぶれた負け犬の犬死寸前の熊吾はいう。
負け惜しみ。

「こんなところでお逢いするとは。お久しぶりです。
大変なご英達、おめでとうございます」
「先日、息子を東京に挨拶に行かせました。
成人した息子を辻堂社長に見てもらいたいと思いまして」(P329)


70歳を超えているのにこの品性のなさ、常識のなさ、心根のいやしさはなんだろう。
辻堂社長はかつての上司、松坂熊吾をどれほど瞬座にあわれんだことか。
成功した辻堂社長は長年の2号さん(愛人)を連れていた。
零落してボロボロの松坂熊吾は、
自分にも顔に火傷をおった愛人がいるのにもかかわらず、
ゴロツキの本性を発揮して、女性に卑猥な言葉を投げかけ意気揚々と大勝利宣言する。

「お元気そうでなによりです。お若いころとかわらずお美しい」
「白粉(おしろい)つけて紅(べに)つけて股ぐらの周りに垢(あか)つけて」(P330)


70になる老いぼれが女性に対して、おまえのおまんこは垢ばかりだと、
子どものような悪口を公道路面で大声で非常識にも叫ぶのである。
相手が怒るのは当たり前だと思うが、非礼にもほどがあるのだが、
追い打ちをかけるように「化け猫顔になっちょりますぞ」と愚弄する。
宮本輝は「流転の海」最終部「野の春」で松坂熊吾の芯、正体、宿命をついに書いた。
かの作家は自分を見て、血筋家柄を見て、
宿命を観じて「流転の海」の松坂熊吾を書き上げた。
これはたいへんな仕事であった。しかとした文学であった。
よくやりました。
よく書き上げましたと、いま日本に生きる最高の文学者である宮本輝に敬礼したい。
本当によかった。何度も泣きました。

「長流の畔 流転の海 第八部」(宮本輝/新潮文庫)

→母親に目のまえで飛び降り自殺されたとき以降、
宿命を描く作家、創価学会の宮本輝に完全に目覚めたが、ぐちゃぐちゃだから。
人をやっちゃって刑務所に行った人とも仲良くなり、何べんも酒を酌み交わした。
8年、風俗で女を働かせ、
ヒモとして博打や女遊びをしていたという年上男性ともこのまえ新宿で飲んだ。
そういう人と仲良くなるような根の悪さをたぶん自分は持っている。
仁義として聞いたことをそのままは書けないが、
びっくりするような覚醒剤の輸入方法も、むかしの賭博場での裏も教えてもらった。
ヒモがいる風俗嬢の女がそれでも口内発射はいやだとか、
しかし150万も月収を取っていたのに、
わずか1万円のいざこざで男と別れてしまうことも聞いた。よかった。おもしろかった。
わたしは善悪観念が(踊り念仏の一遍の影響で)乏しいから、
かなりの話を河合隼雄のように「はい」でえんえんと聞き続けることができる。
一時的な大衆習慣であるところのいわゆるモラルなんてないし、
基本ルールは「ばれなければいい」で、そういうところの根が宮本輝と通じている。
70近いのに34、5の女に夢中になった松坂熊吾は開き直る。
熊吾は50歳で奇跡のように宮本輝という息子を授かってから運が落ち、失敗続きである。
さらにそのうえ、この数年の零落は自分でも信じられないほどだが、
なにを間違えたのか。なにもかもうまくいかない。

「俺が犯した失敗は、博美の体に再び手を出したこと。
それだけだ。たったそれだけだ。
そんなものは、そこいらの不見見(みずてん)芸者とのひとときの性交と変わりなく、
男なら誰しも似たようなことをする。
女房にばれなければそれで済むのだ。
しかし、上等の娼婦といちどだけ寝るにしても七十万円[現在換算8、9百万円]
は高すぎる。あの厄介なならず者と別れさせてやったのだから、
せめて半年くらいは俺に楽しみを与えろという欲が生まれた。
いまもその欲は捨てきれずにいる。まさか六十六歳にもなって、
ひとりの女の体に溺(おぼ)れるとは予想もしていなかった。
俺は、男の機能も糖尿病とともに萎えたとばかり思っていたが、
博実の体は別格で、いつも若いころと同じくらい漲(みなぎ)らせてくれる」(P12)


運勢から考えると、全体としてのバランスはうまく取れていると言えなくもない。
50を過ぎてから一人息子を授かるという幸運を得たら、
事業の成功は全体としてありえない。
古希(70歳)に近い年齢になって娘ほども若い女とねんごろになるという幸運は、
断じてご商売の開花とは結びつかない人生現象であろう。
どこかでいい思いをしたら、
かならずどこかで悪いことがあるというのが人生のバランスだ。
三田佳子がひとりいい思いをしたら、
三田次男が覚醒剤に夢中になるのが人生というもの。
宮本輝は今回の人生でだいぶいい思いをしているが、
それは息子や孫の人生に反発として魔のようなものが出てくるだろう。
父親がいい思いをしたら、息子や孫にいきなりの魔が出現するのが運勢の法則というか。
宮本輝はどこから見てもどう考えてもお父さまの運を奪っているわけである。
宮本輝のご子息は陽平と大介だが、彼らの子どもあたりに魔が出てくるのではないか。
ちょっと宮本輝はひとりで運を取りすぎたところがあるし、にもかかわらず傲慢である。
熊吾の妻の読み書きさえおぼつかない、水商売あがりの文盲に近い房江は語る。

「運がなくなると、やることなすこと裏目に出て、
どんな人間も坂道を転がるように落ちていくことは
新町の「まち川」でいやというほど目にしてきた。
あのころに見た幾人かの男たちの凋落(ちょうらく)と夫のそれには共通したものがある。
この運というしかないものは、いったん切れると際限がない。
その運を取り戻すには、松坂熊吾は齢を取り過ぎた。
あと三年ほどで七十歳になるのだ」(P390)


まさか小説を事実と思うものはいないのだろうが、
房江がアル中から立ち直ったそぶりを見せ、
多幸クラブ[法華ホテル]で働き始めたのは、
自殺未遂直後ではなく、事実では父親の犬死後だが、勘違いしている読者が複数いた。
しかし、熊吾の運が落ちた分、
妻の房江の運が上がることもありえるということをうまく描いているとも言える。
人生は勤行唱題の数――努力ではなく運であることを宮本輝は知っている。
当人によかれとしてしたことでもマイナスになるし、
意地悪でしたことがプラスになることもある。
運よ運、この不可思議なるものに熊吾は思いを馳せる。
いま自分は他人に世話を焼いたが、これが当人のマイナスになるやもしれぬ。

「まったくなにがどうなっていくのか「お先真っ暗」であると同時に
「前途はつねに洋々」でもある。
前者となるか後者となるかは、いったいいかなる作用と力によるのであろう。
ここ三、四年間の俺は、まさに四つ角を曲がるたびに魔と出くわしてきたようなものだ。
うまくいくはずの道へと曲がったのに落とし穴だらけで、
害を為す人間とばかり知り合ってしまう。
時代に恵まれず人に恵まれないとなると、
運に恵まれない貧乏神そのものになってしまったというしかない。
いつのまにかそんな人間になってしまったとしたら、俺はこれからどうしたらいいのか。
答はひとつだ。なにもしてはいけない」(P436)


夜半、駐車場の管理人をしているアル中の房江が隠れて酒を飲んでいたら、
同敷地内にある会社寮の17歳の青年が事務所に入って来る。
許されないことだが、いつもやっていることで、みんなどこか黙認していること。
17歳の青年が事務所にこっそり忍び込んできたのは、
門の鍵を取って駐車場の車で、
同年齢のガールフレンドと深夜のドライブをするためである。無免許運転。
アル中の房江は酒を盗み飲みしていたのをばれるのがいやで物陰に隠れる。
結果、どうなったか。青年と同い齢の近隣食堂で住み込みで働く少女は、
トラックに衝突して、
だれがだれだかわからぬほどぐちゃぐちゃになってふたりとも死んでしまうのである。
これを書けるのが宮本輝の本当の神仏に比すほどの絶対天才である。
そのとき房江が注意をしていたら、青年も少女も死ななかった。
人生のこの不思議はなんだろう。
ここは久々に小説を読みながらぞくぞく震えた。
宮本輝はこれを書ける作家なんだ。宮本輝は天才で、
いまわたしに2千円以上するハードカバーを定価で買わせる作家は氏しかいまい。
氏は関西人だが、関西弁というのは「本当のこと」を言うのに適した言語かもしれない。
妻の房江から「色きちがい」と言われた夫で小説の主人公の熊吾は、
それにもめげずいっぱしに考察する。美人の女房がいる佐竹善国は――。

「話題とは無関係のことを突然口にするのが佐竹善国の癖だったが、
それは語彙が少ないからだと熊吾は気づいた。
だから、言いたいことがつづかない。
語彙と語彙が組み合わさって論理が形成されるが、
その語彙を持たないと智慧も豊富な経験も説得力を持って伝えられない」(P447)


わかるわかる、わかるよなあ。底辺派遣で働いていると、
いい人なんだけれど語彙がないため、いきなり怒鳴る人が少なからずいた。
その感情を言葉にする語彙を持っていないという学がない哀しみ。
村上春樹を読むのはえせインテリか売女で、龍を読むのは自己啓発ビジネス男で、
われらが宮本輝先生を愛読するのがわれらが人情の機微を知った、
人間の悲喜の感動を体験から知っている本当の庶民である。宮本輝は知っている。

「満月の道 流転の海 第七部」(宮本輝/新潮文庫)

→宮本輝の父と母をモデルにした大河小説もいよいよ終盤に入りおもしろくなってくる。
実際の宮本輝のお父さまはいっぱしの事業家ぶって口だけは大きなことを言うが、
手がける商売はどれも失敗した小学校しか出ていないヤクザまがいのゴロツキだった。
お母さまは学がないため読み書きもおぼつかない水商売に売られた女で、
夫の繰り返す家庭内暴力と異常な浮気癖のためアル中になり、
新興宗教をいくつもめぐり騙され続け、
最後は創価学会の信心に行き着いたという偏狭で孤独、とても不幸な婦人だ。
それを宮本輝はホーリーファミリーのように装飾してしまうのだからさすがである。
宮本輝の父も母も市井を生きぬく人情の機微をよく知った賢者として描かれる。
ふたりとも小憎らしいほど妙に世知長けているのがいやらしい。
自分は人間の腹の底を知っているという威勢をよく張るのだが、
「流転の海」7、8、9巻はそんな粋がったふたりが壊れていく話なので、
宮本輝の愛誦句「ざまあみやがれ」をわたしも叫びたくなり、読んでよかったと思う。

宮本輝の父をモデルにした松坂熊吾はいつも他人の礼儀作法をなっていない、
気遣いが足らないと苛立ち、そういうわかっていないやつに内心の腹立ちを隠さないが、
「ひとたびはポプラに臥す」を読んだら宮本輝もそういう人なので、これが宿命なのか。
松坂熊吾はわかったようなことを言うが、実際にわかっているのである。

「背が低いっちゅうのと、学歴がないっちゅうのが、男の最大の劣等感なんだ。
男の二大劣等感というてもええ。
わしらの世代では、わしの身長は平均じゃけん、
若いころ、そのことで劣等感を持ったことはないが、
学歴に関しては、この齢になっても、劣等感がある。
尋常高等小学校しか出とらんけんのお」(P49)


そういう男が劣等感を克服するには金儲けと暴力である。
松坂熊吾は戦前は中国で手広い商売をやっていたという設定だが、
本当はどうなのだろう。
本当はかなりイカサマでアコギなことをしてあぶく銭を稼いでいただけではないのか。
「満月の道」では、松坂熊吾は馬脚をあらわしまたもや商売でヘタを打つ。
こいつはできるとか松坂一流の「人を見る目」で信頼していた部下に裏切られ、
大金を横領着服される。
むかしの愛人に再会しヤクザのヒモと付き合っているのを見た大将こと松坂熊吾は、
70万(現在換算したら8、9百万)の手切れ金を払ってやるが、それは人情ではない。
なにかといったら性欲と損得勘定である。
仕事をさぼりながら昼日中から愛人の身体をまさぐる自称大物の他称大将である。
休憩するために愛人の家に毎日のように行くわけではない。

「くつろぐどころか、俺は博美の体に溺(おぼ)れて、
天性のものとしか思えない性の技巧に巻き込まれ、何もかもどうでもよくなってしまって、
自堕落な疲労をここちよく感じながら、
寄り道をして妻と子のもとに帰る日々を送っている……。
まあ、それだけのお返しをしてもらってもいい。
俺はこの女をたちの悪い男と手を切らせるために七十万という金を払ったのだ」(P430)


女に溺れるとか宮本輝も経験したかっただろうし、こちらも同感する。
宮本輝は宿命をだれよりもうまく描く作家だが、そちらの血は引かなかったのだろうか?
女癖の悪さというか、浮気癖のことである。
宮本輝は多くの小説で浮気や不倫を「悪」とかなり断定的に描いているし、
奥さまの妙子さんは怖そうだから、一度も浮気をしていない可能性もあると見ている。
すべては父と母のなかに眠っているというのが井上靖の人生観で、
先輩作家のそれを踏襲してさらに宿命観として深めたともいえるのが宮本輝である。
繰り返すが、すべては父と母のなかに眠っている。
これが大河小説「流転の海」シリーズのテーマといってもよかろう。
すべての人間はなにかを持っていて、それは父と母から与えられたものだ。
それは影のようについてまわり、決してその影から逃れることはできない。
いくら名前を変えたとしても、父と母という宿命から逃げ切ることはできない。

熊吾の妻の房江は読み書きはうまくできないが、女というものをよく知っている。
むかしの知り合いの美しい少女と再会して、
もうこの一家とは関わりあいたくないと内心では嫌悪の念をいだきながら、
それでも下世話な好奇心には勝てず、常識がないのか相手のことを根掘り葉掘り聞き、
事件を起こした一家の娘が変名したことを知る。

「津久田咲子という本名を捨てて、これからは桜井峰子として生きていくのか。
好きにすればいいが、津久田咲子であることからは決して逃げられないのだ。
新町の花街の「まち川」で女将(おかみ)代理として働いていたとき、
私はそんな女をいやというほど見てきた。
彼女たちの行く末はみな絵に描いたように似かよっている。
どんなに姓名を変えても、本性は変わりようがなく、
どこへどう逃げても自分の影は離れられない。
津久田咲子から桜井峰子へ? 不幸な子だ。あの美しさが、
あの子をこれからもっと不幸にしていくことであろう……。
房江は、痛々しいものを見る思いで、
津久田咲子が百貨店の角を曲がって姿を消してしまうまで、
交差点の信号機の下にたたずんでいた」(P117)


これを書けるのが宮本輝の才能で、わたしはこの水商売的な世界観をよく知らない。
高校からはトップどころだし、働きに行ってもふつうのおねえさんや主婦しかいない。
キャバクラとかガールズバーに行けば少しはわかるのだろうが、そんな金はない。
「女に狂う」とか「男を惑わせる」という言葉の意味の理解が、
どこかお上品で観念的で皮相なのだ。
危険なことをいうと、女に狂ってみたいし惑わされてみたいが、
宿命としてそういうことが平凡で並以下の顔の自分には起きないような気がする。
熊吾の妻の房江は同性である女をとても冷たい目で見るが、
この底意地の悪さは芯からの育ちの苦労とそれゆえの歪みを感じさせ、
この手の女ほど敵に回したら怖いものはないと思われる。
房江は麻衣子という親戚の20代半ばの女性に久しぶりに会う。
そこで世間の苦労をこれでもかと知った下女まがいのひんやりとした人間観察をする。
この麻衣子という女は――。

「気が強くて頑固で、男運が悪く、始末が悪いことに器量がいい。
女から見れば冷たい美貌だが、それが逆に男の気をひくらしく、
麻衣子の周りには下心むきだしの男たちの目がある。
潔癖そうに振る舞ってはいても、男の扱い方を心得ていて、
時に応じて媚(こび)を小出しにする。
触れなば落ちんといった風情を漂わすのだ」(P385)


昭和の色気がある美女を宮本輝はなんとうまく描写することか。
たぶんむかしよりいまのほうがきれいな女性は多いはずだが、
メイクだか整形だかでみんなおなじ顔になってしまっていて、心が騒ぐということがない。
生まれ持った業のようなもの、つまり宿命はもっとも端的に顔に現われるのだが、
いまはメイク技術が発達しちゃったし、プチ整形で顔なんて簡単に変えられちゃうから、
そこがいい時代とも、おもしろくないともいえよう。

みんなから大将と呼ばれ、若い愛人からはお父ちゃんと呼ばれる松坂熊吾は、
とにかく自分に自信がおありなようで、
ことさら誇っているのが「人を見る目」だったのだが、
「満月の道」の終わりで信頼していた部下に裏切られ、
おのれの正体(宿命)にうっすら気づく。自分は同じ失敗ばかりしているのではないか。

「熊吾はやって来た電車に乗って座席に腰を降ろすと、
同じ失敗とは、商売における金銭への杜撰(ずさん)さや、
信頼しすぎて社員まかせにしてしまうことだけではなく、
親分風を吹かせて身の丈以上のことを請負って、
いい気持になってしまうことだと思った。
それはたぶん俺にとって、たまらない快楽なのであろう、と」(P483)


「流転の海」の松坂熊吾はネットでは大好評だが、わたしには抵抗感がある。
まず松坂熊吾のようになりたいとも思わないし、ああいうお山の大将めいた
人情家きどりの豪傑ぶった見栄坊に「大将」と媚びを売ることもできない。
それができていたら、いまごろもっと上に行っていたのかもしれないが、
宿命として「大将、大将」とボス猿みたいな説教好きにペコペコすることができない。

いまに始まった話ではないが、
宮本輝は「満月の道」でも自分がモデルの伸仁をあたかも神童のように描いている。
どうしたらここまで厚顔になれるのかの秘密は創価学会に入るしかわかる道はないのか。
高校生の松坂伸仁(宮本正仁/宮本輝)が
大学教授の書いた難解な仏教説話集(ジャータカ/釈迦前世譚)を読んで、
年上の浪人生に教えを説いたというのである。
その浪人生というのは熊吾の会社で経理をしている20そこそこの若者。
彼が法華経を語っちゃうのが、創価学会の宮本輝ワールドである。
ジャータカにこういう話があるという。
提婆達多(だいばだった)という仏教でいちばん有名な悪人がいるけれど、
実は男は過去世で釈迦の師匠の仙人だった。
釈迦は王様だったが万民を救いたいと思い出家して、
法華経を教えてくれるという仙人のほぼ奴隷に近い弟子になった。
釈迦は千年(提婆達多の過去世の)仙人に奴隷のように尽くしたが、
結局法華経は教えてもらえなかった。
これを「千歳給仕」というらしい。千年奴隷という意味。
これの解釈はいろいろ分かれるらしく、
仙人が法華経を教えなかったのは、どのお経も価値があって、
法華経ばかりが最勝というわけではないと
高校生の松坂伸仁(宮本正仁/宮本輝)の読んだ本の著者は解説していた。
しかし、自分は違うと思うと大学にも入れない20そこそこの青年は獅子吼する。
「千歳給仕」、つまり師匠に逆らわず千年奴隷をする行ないこそが法華経の内容だと。
おそらく宮本輝のお父さんは法華経なんて読んだことはなかったはずだが、
松坂熊吾はそれこそ正しいジャータカの解釈だと断定し、
法華経こそがもっとも優れており、大学教授なんかバカだと根拠もなく言い放つ。
それを青年に気づかせるきっかけになったのが松坂熊吾の息子である、
高校生の松坂伸仁(宮本正仁/宮本輝)なのだという恐るべき自画自賛。
いったいどういう才能を持っていたらこういう名作が書けるのだろう。

熊吾も房江も損得勘定からよく嘘をつくが、その嘘が巧妙で狡猾なところに舌を巻く。
熊吾は熊吾で愛人とよりを戻すために、
ヒモのヤクザとの手切れ金の交渉の際、うまい嘘で相手を騙している。
房江も世間を知っているというか、駐車場の管理人の期間延長を依頼されたとき、
自分たちはもう引っ越し先を決めて敷金を払ったと嘘をつき相手に恩を売っている。
わたしの解釈では法華経の意味は「嘘も方便」だから、彼らはよき学会員といえよう。

一応ぎりぎりの東京に住んでいると本当に関西弁を聞く機会がない。
語尾の「ねん」とか「や」とかどないして発音するねん? イントネーションがわからへん。
はっきり言うと、関西弁って異質でひたすら標準語ピーポーはむかつく。
「ぎょうさん」とか「おおきに」とか語感が下品すぎて、しかしそこがおもしろいとも言える。
大阪京都とかメジャーすぎていやだが、
土佐弁(高知方言)とか勉強したら新たな世界が開けるかもしれない。
北海道の人とか本当に「なまら」とか使うの?
わたしはおのれの言語の貧しさが恥ずかしいがや。
「がや」って土佐弁なの、名古屋弁なの?
女性語もそういえば消えたわ。東京弁しか話せない僕は方言指導されたい。
「ひとたびはポプラに臥す6」(宮本輝/講談社) *再読

→宮本輝がクソダメだと思うのは、あの人、ひとりっ子でしょう。姉や妹がいない。
ワールドが男漢で息苦しくなるときがある。
この旅行記でもしつこく繰り返し創価学会の宿命転換思想を語っているが、男の子。
床屋政談みたいなのが大好きなのが、宮本輝、男の子。
バックパッカーをシリーズで繰り返しバカにしていた大尽旅行の、
お連れを大勢配下にはべらせて大冒険をしたふりをする宮本輝は男の子。
一丁前のいっぱしの事業家ぶって恥ずかしくないのか、男の子。
小説なんていまは女の子しか読まないのに偉ぶって、男の子。
なにこいつ? 自分が総理大臣にでもなりたいのかって男の子。
偉そうな大物ぶった男の子のお仲間との資金あふれるシルクロード旅行記でした。
感激感動座布団三枚。

「ひとたびはポプラに臥す5」(宮本輝/講談社) *再読

→現代日本文学の三本柱といえば村上春樹、村上龍、宮本輝だと思うが、
いまのわたしは春樹も龍もお金をもらっても読む気がしないが(ごめんなさい)、
輝さんは最新刊をハードカバーでお金を払っても読みたい作家なのである。
自分に近いっていうのかな。だって、龍も春樹もあれはアメリカ、アメコウの世界。
宮本輝は先輩絶対の日本体育会系で暑苦しいが、それでも七五調は守っている。
40を超えた男がいまさら龍や春樹なんて読めないが、宮本輝はいまでもおもしろい。
関西弁を追手門学院大学で勉強したいくらい宮本輝のことが好きだ。
昭和の天皇陛下を政治ができない男とバカにした宮本輝は、
今度は朝日新聞の東京本社で自決した右翼の野村秋介の俳句を
バランスを取るように絶賛する。
「俺に是非を説くな激しき雪が好き」
「昂然とゆくべし冬の銀河の世」
宮本輝が好きだ。宮本輝はいう――。

「私は小説を書きたかった。この先どうなるのかは考えもしなかった。
体中の血が騒いだのだ。自分が書く小説で人を酔わせ、感動させたかった。
その一点に向かって、私は私の血の騒ぎをしずめることはできなかった。
是非なんか、どうでもよかった。
そこが極寒の吹雪であろうが、死の砂漠であろうが、私は行ったにちがいない。
誰も私を止めることはできなかった」(P32)


宮本輝の言葉は現にこうしてわたしに届いている。

「ひとたびはポプラに臥す4」(宮本輝/講談社) *再読

→宮本輝は小説で、
どうしようもない田舎のどん百姓は女房子どもに威張ると書いていたが、
それをご本人さまがまざまざと実地で見せつけてくれる名著である。
長男の宮本陽平はうまく父親の宮本正仁(宮本輝)から逃げたが、
次男の宮本大介は変な助平根性があったのを父に見破られ、
これでもかと悪口を書かれている。
これをおかしいと思わないほうがおかしいのよ創価学会。
紫綬褒章作家の宮本輝いわく、息子の幻冬舎の宮本大介営業部長は――。

「いちばん若いのに、いちばん気がきかん。疲れてると疲れてる顔見せるし、
最後に残っていたおかずを、食べてもいいですかとも聞かずに食べやがる。
どんな躾(しつけ)をされたのか、親の顔が見てみたい。親は、俺や」(P83)


宮本輝には自分絶対の宮本輝ルールがあり、それに逆らったら息子でも粛清される。
皿に最後まで残っているものを食べるのこそ優しさだと思うが、創価学会では違うらしい。
この人、あたまおかしいと思うけれど、なんでこんなに関東でも評判が高いのだろう。
幻冬舎の宮本大介営業部長もお子さんにおなじようなことをしているのだろうか?
女房子どもに威張るのって、最悪の格好悪い男じゃないですか?
「流転の海」シリーズでうまそうだと思った中華大鍋料理は、
開高健の小説のパクリだったのかと知る。
93ページに書いている。
ウイスキーの「ジョニ赤」を1万円で買ったアホな宮本輝の舌はいかがわしくてよろしい。

「ひとたびはポプラに臥す3」(宮本輝/講談社) *再読

→宮本輝は海外に行くたびに「ジャップ」や「バイシュン」とバカにされると書いている。
それは自分の下卑た根性を見透かされているせいではないかと自己分析していて、
さすがさすがの芥川賞、紫綬褒章作家である。
わたしは海外で外人にバカにされた経験は少ないが、
それが宮本輝との持って生まれたものの差だろう。
すぐにバカにされたと感じ怒るのが宮本輝と幻冬舎の宮本大介営業部長。
なんでそこで怒るの? とわからないところが両親子でふんだんにある。
それが創価学会なのかもしれない。
息子が体調が悪いと言い、朝食はいいから寝ていたいと父の宮本輝にお願いした。
このくらいで紫綬褒章作家の宮本輝は癇癪(かんしゃく)を起こすのだから、
ただただひたすらもう幻冬舎の宮本大介営業部長には同情いたしますですね。
朝食はいらない、ただそれだけよ。宮本輝は――。

「私は怒って、たとえ何も食べなくても、みんなと一緒に食堂へ行けと言った。
団体行動というのはそういうものだ。
起きるのがつらくて、少しでも寝ていたいというわがままを、
朝食をとらないのが自分の習慣だと誤魔化しているにすぎない。
体調がよほど悪くて、寝ていなければならないのならともかく、
そのようなわがままは断じて許さない。
もし、それが気に入らないのなら日本へ帰れ」(P31)


19歳の宮本大介さんはお父さんのメシの種にされるのがいやだったのに、
親孝行からふざけたシルクロード旅行について来たのに、
こんな理不尽なことを言われる。輝は絶対に大介をメシの種にしているわけ。
それでこれだけ怒るなんて横暴がすぎるのではないか、と思うが、
宮本輝が死んだあとに書かれるはずの、
幻冬舎の宮本大介営業部長の暴露本にたまらなく期待が高まる。

「ひとたびはポプラに臥す2」(宮本輝/講談社) *再読

→作家とはいかにウソ書きできるかが勝負で鳩摩羅什の法華経もウソ書きである。
インド語の原典を鳩摩羅什はかなり自己流に法華経にウソ書きしている。
この旅行エッセイによく出てくる料理は「大盆鶏」といわれる肉料理。
どこの食堂にもあると書いてあるが、
わたしは2ヶ月近く南北中国を旅したがどこのメニューにもこれはなかった。
西安からトボトボぼちぼち敦煌に行ったのだが、本当にどこにもなかった。
「大盆鶏」が宮本輝のウソ書きだったら、この人は本当の鳩摩羅什のような天才である。
なんでもいんちき通訳のフーミンちゃんが大好きな料理で、
どこでもいちばん値段が高かったという。
貧乏なフーミンちゃんはどうせ経費で落ちると見破りもっとも値が張る「大盆鶏」を
毎回のように注文したと思うのだが、しかし「大盆鶏」なんて中国のどこで食えるのか。
安食堂しか行かなかったせいかもしれない。
宮本輝ご一行さまは、臆病で、19歳のご次男くらい、もっとがんばれよと思うが、
生野菜や生緬を異常なほど怖がっている。
30オーバーのわたしは中国で生野菜も平気で食べていたが、なにも起きなかった。

宮本輝ご一行さまが敦煌で泊まったホテルを調べたら超高級で、
あはん、あはは、そういうことなのか。
幻冬舎の宮本大介営業部長とか成金の父親のことを本音では大嫌いだと思う。
宮本輝が敦煌名所の莫高窟を「つまらない」と正直に書いていたのは大笑い、同感した。
鳩摩羅什が莫高窟を見てもなにも感じなかっただろうとウソ書きしている。チョー同感。
しかし、敦煌の莫高窟の入口近くに池田大作先生の石碑があったのだが、
それを書いていいのか。敦煌の莫高窟は批判していて、
井上靖が好きなゴッホの「星月夜」には
一転して感動したふりをするのは人間としていかがなものか。
わたしは敦煌もゴッホも同様におもしろくない。くそおもしろくもないが、悪いか。

大作家の宮本輝、昭和天皇は政治(賄賂)をできないやつと批判する。

「<大きい、小さい>のなかで、うまくやるのが役人というやつなのだと思い、
占領軍の親玉、マッカーサーを思い出し、
背の高いマッカーサーと一緒に写っている<天皇>を思った。
しょせんマッカーサーは政治的すぎる軍人だったかもしれないが、
天皇は政治家ではなかったよなァ……と思いながら、
ゴビの暑さをじりじりと感じ、
戦争という分水嶺の恐ろしさについて朦朧(もうろう)と考えたが、
戦後生まれ私に実感としてわかるはずがない」(P12)


「ざまあみやがれ」と宮本輝は書いている。ざまあみやがれ。
俺は大成功して大金を遣うこんな大尽旅行をいましているぞ、ざまあみやがれ。
150ページに書いてある。創価学会の宮本輝の根性は「ざまあみやがれ」だと思う。
ざまあみやがれ、ざまあみやがれ、ざまあみやがれ。俺は紫綬褒章を取った。

「ひとたびはポプラに臥す1」(宮本輝/講談社) *再読

→井上靖と池田大作が大好きな宮本輝が書いたシルクロード旅行記。
ふたつのことをまず記しておくと、これを書いたとき宮本輝は47、8歳。
いまのわたしはそのわずか5歳下くらい。
旅した時期は94年か、95年で、
わたしも(敦煌までだが)おなじようなルートを07年にひとりで行っている。
本書は北日本新聞社の経費を丸遣いした宮本輝の大尽旅行記である。
記者、カメラマン、私的秘書のみならず自分の息子まで連れて行った観光旅行の記録。
公私混同あまりあるが、どうせ経費で落ちるのだからと通訳の中国人までついている。
大冒険のようなことを本人は書いているが、10年でどう変わったのかわからないが、
あのくらいのルートで冒険家づらをされちゃたまらない。
あんなコースはひとりでも行けるし、お仲間に囲まれて通訳までいるのに、
宮本輝はヒイヒイ言っているのだが、どれだけ成功疲れしているのか?

しかし、ファンから見たらおもしろい旅行記である。
なんでも法華経を漢訳した鳩摩羅什(くまらじゅう)の足あとをたどる旅らしい。
西安から旅は始まるが、あそこで鳩摩羅什といえば草堂寺しかない。
わたしも宮本輝のことを考えながら草堂寺にバスとバイタクで行ったことがあり、
当時のわが純情を思い返すと涙が出てくる。
宮本輝はおもしろくてさ。取材費で草堂寺の住職に会って話を聞いたのだが、
その中国人僧侶の悪口をメタクソに書いている。
お礼の200元(当時の2000円強=円高だったんだなあ)を返せとか書いている。

宮本輝はおもしろくて、氏のご次男は幻冬舎の宮本大介営業部長だが、
公刊されるこの本で部長が高校時代、喫煙で3回も無期停学になったことをばらしている。
部長もまた19歳のころから父親に似て偉そうで、人の金で貴重な旅をしておきながら、
お仲間に守られながら現地で警察官に日本語で喧嘩を売るという蛮勇を見せている。
ザ・宿命というほかない父親と息子の相似形、近似形がそこにあった。
宮本輝は大尽旅行記で中国人女性労働者を概して人相が悪いと評しているが、
わたしが行ったときはみな親切だったので、
それはご自分の心中の「悪」を投影しているだけではないか、
と言えなくもないがわからない。

通訳のフーミンちゃん(男性)が悪そうで、そこがたまらなくおもしろい。
本当は無料で行けるところでも200元かかりますと言えば、
それはフーミンちゃんの丸取り。
だって、ご一行さま、だれも中国語の数字すらわからないし、勉強しようという気もない。
通訳のフーミンちゃんは賄賂(わいろ)を払うのが大好きだったそうだが、
たしかに中国社会は賄賂なのだが、あそこまで賄賂を払うのはどう考えても異常だ。
賄賂を払ったと称して、現金をふところに入れていたとしか思えない。
宮本輝の劣等感がわかるのは、他人を「さん」で呼ばないところ。
常識的にふつう他人は「さん」で呼ぶと思うが、
低学歴の宮本輝は高学歴の記者や中国人通訳を
「くん」や「ちゃん」で呼んで自分の優位を示そうとする。気分が悪い。
50近い、いいおっさんがそんな幼稚なことをするのだから、
関西語ネイティブの宮本輝はやっぱりおもしろい。関西のおっちゃんは言う。

「男を堕落させようと企むやつは、たいていの場合、酒と女を用意するなァ。
俺が羅什やったら、酒をくらって女と寝るな。
だって、俺って堕落しやすいんだよね」(P235)


酒と女、あとひとつ男には必要なものがある。それはなんでしょうか?

「この世には、有り得べかざることがあり、統計的にも理論的にも、
決して不可能というわけではないのだが、
それでもほとんど奇跡に近いことが起こるのである。
我々にそれを教えてくれるのは、
もっとも身近なものではスポーツとギャンブルであろう」(P173)


宮本輝は麻雀を、あれは地獄を生きていないと勝てないという。

「自分のなかに地獄があることを知り、地獄を地獄として生きる……。
そのとき、何かが、その地獄を善なる何かに転換する。
その<何か>とは何か。
鳩摩羅什は、そのこともまた東方に伝えようとしたのだった」(P178)


ちょっと学術研究者きどりで輝ちゃん、かわいい。ご次男の大介営業部長よりも、かわいい。

闇金ウシジマくんが終わっちゃいそうなのが、僕の週刊「スピリッツ」。
自分のペース(酒井法子「夢冒険」)で生きているから、アイエヌジーではない。
ひと駅離れたところにある書店に漫画雑誌スピリッツは予約している。
1ヶ月とか2ヶ月ぶりに取りに行く。毎週、外国人ばかりのコンビニには行けない。
取っといてくれと言っても意味が通じないだろう。
20年以上、せめて現在とつながってなきゃと思って読んでいるのが
週刊と月刊の小学館「スピリッツ」。
そこの連載漫画「1518」は最初はくだらねえなあ、
と思っていたが、いまの回「卒業」は本当にいい。
人間の青春の哀しさ、一念三千をうまく描いている。
だれかが見ている。きっとだれかが。
「血の騒ぎを聴け」(宮本輝/新潮社) *再読

→ひたすらムカムカするだけの関西人の俺エッセイ。
そんなにおまえは偉いのかよって話。命令形のタイトルってなに?
しかし、いい話もあって、それがスパゲティーのミートソース。
大学生の宮本輝の父が大ぼらを吹きながら借金まみれで亡くなったとき、
名家のお嬢さんの大山妙子さんがホテルのロビーでミートソースをおごってくれたという。
むしゃぶるようにスパゲティーを食っていた宮本輝を見て大山妙子が泣いたという話。
この話はどこまでも泣ける。「野の春」でも使われていた。
いまは糖尿病の宮本輝さん、糖質制限でパスタなんか食えないんだろうなあ。
プロレスの天龍源一郎でも、テレビの山田太一でもおなじことが言えると思うが、
宮本輝(本名は宮本正仁)は女房(の大山妙子)がつくった創作かもしれない。
すべては大山妙子のなかに眠っていた。

「本をつんだ小舟」(宮本輝/文春文庫) *再読

→いまはそういう時代ではないが(わかりません)、
むかしは父親が小学校しか出ていない母親は水商売あがりの、
偏差値45の追手門学院大学卒の宮本輝が文春の芥川賞を取るなんて
創価的奇跡だったのだろう。みんなでお題目をあげたって聞くし。
宮本輝のような団塊世代は人数が多かったから競争も厳しく、
そのため学歴権威コンプレックスが異常にある。
団塊ジュニアの氷河期世代のわたし(76年生まれ)には、
どこか父母世代の宮本輝のことが本能的にわかる。わかるんだからわかるんだよ。
本書は関西追手門のクソガキが文春に踊らされ見栄を張って書いた名エッセイ。
過去の文豪を取り上げて自分の権威をあげるという、いかにも創価っぽい手法だが、
下手をすると宮本輝のエッセイでいちばんいいのはこれではないのか。
宮本輝には反骨がある。
名著を文春ぶって取り上げながら、だからこそ「なま」を出してくる。
去年完結した宮本輝の「流転の海」シリーズの真偽(本当と嘘)
がわからないとぼやく編集者がいたそうだが、そのまえにまずこれを読めよ。
宮本輝の原点は井上靖の「あすなろ物語」である。
氏は恋をしたという。

「小説の中の登場人物である架空の女に恋をしてしまった中学二年生の
少年について客観的に考えれば、やはり異常で気味が悪いとしか言いようがない。
けれども、「あすなろ物語」は、私の中に<内なる女>をも誕生させたことになる」(P124)


わたしは宮本輝の本当も嘘もかなりわかるが、それを証明しようがない。
宮本輝は山頭火をわかる人である。

「生きものたちの部屋」(宮本輝/新潮文庫) *再読

→中年(40代以降)になった宮本輝のエッセイ集だが、
青春の香りはまったく失せ、ひたすら説教臭と俗物臭がきつくて降参する。
人は変わる。この真実を教えてくれるという意味では名著なのだろうが、
この団塊俗物が!
高価舶来の腕時計を集めているとか、軽井沢はどうだとか、
育ちの貧しいやつが富むとこうなるのかという、まざまざとした「なま」が見える。
いっぱしの事業家、成功野郎ぶっているのが笑えるとも悲しいとも言える。
パニック障害、不安神経症のおまえは自分の足で立ったことがあるか?
それは創価学会ではないか? しかし、それもまたいいのではないかと思う。
高い腕時計や骨董を集めて喜々とする、
宿命として低学歴低身長の男は男として理解できなくもないし、
なかには魅力を感じるものもいよう。
宮本輝の書くものを読んでいてこの齢になってわかるのは、
父母への強い恨みの念である。
父母とは宿命という意味であると40を過ぎてわたしも宮本輝から学んだ。
宮本輝のお母さまは氏が中学生のときに自殺未遂を起こしている。
成功者でいっぱしの事業家きどりの宮本輝氏いわく――。

「ぼくは、たったひとつのことで、母を許さなかったが、
母は、ぼくのすべてを許してくれた。
ぼくは、母がアル中になったことを許さなかったのに、
母はぼくの失敗をすべて許したではないか。
人情の機微を知らないということは、人間として悪だ。
そんな人を愛してはいけない」(P154)


宮本輝のパニック障害はご母堂が亡くなったのちの55歳のころ、ふっと治ったという。
そこには希望も絶望もある。絶望だけではなく希望も、希望だけではなく絶望も。

「命の器」(宮本輝/講談社文庫) *再読

→宮本輝の第二エッセイ集。
このころから説教風を吹かしているので、団塊作家はパネエぜ。
宮本輝は創価学会だから全共闘なんか大嫌いなのだが、全共闘精神がどこかにある。
それが上に向かうか下に向かうかの差だが、
下に攻撃精神を向けるのがいいのか悪いのか。
それは旧来尊重、先輩絶対の体育会系のメンタリティー。
最新作「野の春」を読んで改めて思ったのは宮本輝は女性の描き方がうまい。
こちら男性の心をぐっとつかむ女性描写をするのである。
男色家からやたらもてるという低身長低学歴の宮本輝は、
女性から「どうして女の気持がここまでわかるの?」と言われることがよくあるらしい。
おそらく、このへんに宮本輝の天才の秘密がある。
14歳のとき宮本輝少年の心に女が芽生えたという。

「私は男であったが、内部に女性が同居するようになったのである。
それは私の中に、女性的な気質が発生したということではない。
動き、語り、性欲を訴え、私に抱かれたがる、
まがうかたなきひとりの女が住みついたのだ。
それは昂じれば、私を男色家にさせたのかもしれないと一時期考えたものだが、
いまはそう思わなくなった」(P78)


むかしのエッセイだからいいのだが、
宮本輝は男色家を「性のつまずき」と表現していて、これはいまなら総攻撃を食らうだろう。
わたしも男色家は理解できなく、男よりは少なくとも女が好きで、
自分の中に「内なる女」がいるのだろうが、かの女は微笑まないし抱いてとも言わない。
「内なる女」が死亡したわたしだから、
まだかの女が生きている糖尿病の宮本輝がこんなに好きなのかもしれない。

「二十歳の火影」(宮本輝/講談社文庫) *再読

→宮本輝の初期エッセイ集。何度も読んだのでボロボロになっている。
結局、男にとって命のありかたとは理想女性像で、それが宮本輝と、
宮本輝がもっとも尊敬している文学者の井上靖とおなじなのである。
宮本輝は創価学会で、創価学会は日蓮で、日蓮は法華経で、
法華経とは病んだ子どものためなら父は嘘をついてもいいという大乗仏典で、
このためどこまで本当か嘘かはわからないが宮本輝は高校時代、
ある少女を好きだったという。
友人のTと屋根裏で大人ぶってウイスキーを飲んでいた宮本輝少年。
Tくんが階下の仕立屋を指しながら恥ずかし気に告白する。
「俺、あの娘(こ)、好きやねん」

「そこには整った顔立ちの、だが少々生意気そうな娘が住んでいた。
私たちと同い齢の、たしかにぱっと人目を魅く娘だったか、とかくの噂があった。
その、とかくの噂のあらましを、私は酔った勢いでTに教えた。
「嘘つくな! あいつにかぎって、そんなことする筈ないわい」
むきになって否定するTに私はいつのまにか自分の勝手な空想を織り混ぜ、
淫靡(いんび)な風聞に幾つかの尾ひれをつけ足して話しつづけた。
話している私の体が、激しい酔いと一緒にぎらついてきた」(P77)


そのとき、その少女の薄着の姿がちらりと見えた。美しかった。
少女のことを好きだと告白したTが、大声で叫んだという。
「おい、こいつ(宮本輝)おまえのことを好きだと言うてるぞお」
果たして少女には大人ぶってウイスキーを飲む少年二人が見えていたのかどうか。
大学生になってから、その娘を見かけた。
大きな外車に乗っていた。ヤクザっぽい男と一緒だった。
少女も少年に気づき、にやっと笑ったという。
そのとき宮本輝は零落した父親と一緒にいた。お父さまもその光景を見ていた。
19歳の大学生は父親に言う。俺はあの子のことを真剣に好きだった時期があったと。
父は息子になんと言ったか。
「これからはもっと上等の女に惚れるんやなァ」
「そない言うても、性悪女ほどおいしいもんやけどなァ」
これは名作青春小説「青が散る」の夏子のモデルのひとりだろう。
宮本輝のなかにいたひとりの少女は井上靖のそれとおそらくおなじで、
たぶんわたしにもおなじ原型がある。

紙が擦り切れるほど繰り返し読んだ本書収録のエッセイが
「聖教新聞」に掲載された「宿命という名の物語」。いまでも読み返すとぞくっとする。
人間は、文学は、宿命という名の孤独に敗れ去るだけだったが、
自分は連帯の希望を書きたいという決意表明である。
わたしは宮本輝は宗教に入っていないと思っていたが、
当時、関西の創価学園だかの先生だった女性が、宮本輝は学会員だと教えてくれた。
証拠まで郵送して下さった。
わたしは生意気にも反論した。根拠としてあげたのはここである。

「私は、なぜ人間は生まれながらに差がついているのかという命題に、
深くかかわっていこうと思う。それはもはや宗教の領域だが、
私は、どこかの誰かさんがあなたをそのようにお作りたもうたのだ、
などという宗教を信じるわけにはいかない。
そうした説得に応じるには、少々すれっからしになってしまったし、
いささか残酷な現実につき合いすぎてきたからである」(P169)


創価学園の女性教師は困ったのかご返答をいただけなかった。
いまから考えれば、掲載紙の「聖教新聞」を見て「空気を読めよ」という話なのだが。
「なぜ人間は生まれながらに差がついているのか」
わたしは宮本輝のファンになって20年以上だが、まだこの答えが出せない。
それは宿命なのだろうが、宿命的に創価学会に入ることはできないようだ。
青年に向けて、こんないいエッセイ集はないだろう。

何度も書いてきたが日本違法ドラッグはやったことがない。
いま警察にしょっぴかれて尿検査されても覚醒剤反応だけは大丈夫な自信がございます。
29歳のとき3ヶ月(ビザ限界)もひとりで南北インドを旅したのに、
どうしてクスリをやらなかったのだろう? インドは麻薬大国。
それを思えば、このまえプレゼントされたインドウイスキー「8PM」か。
あれはインド大衆ウイスキーで日本で買うと高いし送料がかかるが、
15年まえの当時、現地で買うと日本円で5百円くらいで、
なによりいいのがペットボトルで売っていたから、持ち運びが楽。
ひとりでガンジス河の源流ゴームクまで行ったときにも
リュックには「8PM」が数本入っていた。
ゴームクの最寄り村で人生で一回だけ麻薬をすすめられたことがある。
知らないインド人のおっさんがドアをノックしてきてハシシを差し出し、
これと「8PM」を代えてくれないか? いやだと即答した。
あれから15年近く経ったのか。まだいただきものの「8PM」の封を開けられない。
旅エッセイ「ひとたびはポプラに臥す」で
天皇陛下を政治家に過ぎないと小バカにしていた紫綬褒章作家の宮本輝は、
自分はサラリーマンを5年で辞めたくせに、
若者には最低でも10年は修業をしろとどの小説でも高みから説教しているが、
それがいわゆる(創価学会の)池田哲学なのだろうか?
新聞連載エッセイで天皇陛下を批判して、おそらく苦情が来たのだろうが、
今度はあからさまに右翼の詩を絶賛してバランスをとるそのノンポリの潔さよ。
僕たちの世代の教科書には井上靖が載っていたが、
宮本輝が教科書作家の時代もあったというが、
あの人は創価学会で、そんなものを子どもに読ませていいのか。
天皇陛下を批判している作家に紫綬褒章をプレゼントするなんて、
この国は、いや創価学会は……。
答えはひと言「変わりました」でいいわけ。
僕も10年まえから考えたら、かなりものの見方は変わっているし、人間なんてそんなもの。
でも、変節しまくりの宮本輝さんは頑固一徹の職人になれと若者に説教する。
自分はサラリーマンを5年も勤め上げられなかったくせに、他人には偉そうに教えを説く。
宮本輝の悪口を書かせたら、おれの右に出るものはいるかって話でね。
好きなんだよ。好きだから、その好きを突き詰めちゃうと創価学会に行き着き、
自分の根本の醜さに行き当たり、ついつい大好きな輝パパの悪口を書いちゃうというね。
好き好き大好きの最後は嫌いでしょう?
宮本輝が大好きだから仏教に分け入ったし、インドに3ヶ月も行ったし、
創価学会の教学もうわべだけ勉強したし、
宮本輝を好きだから創価学会の会館で南無妙法蓮華経と唱えられるし、
今朝も久しぶりに勤行唱題を3回(三座)もしちゃったよって話で。
だから、わかるのは、好かれると最後には見限られて嫌われるということ。
それを裏切りとか創価学会や宮本輝は言うけれど、それはどうしようもないこと。
しかし、それはさみしいのもわかる。宮本輝にはずっと教祖でいてほしかった。
先ほど自分の原点を見つめなおそうと宮本輝の全エッセイを2日で読了。
「二十歳の火影」「命の器」「本を積んだ小舟」「生きものたちの部屋」「血の騒ぎを聞け」、
そして酒をすすりながら「ひとたびはポプラに臥す」全巻。
イッキ読みしてわかったのは、宮本輝がどんどん偉そうになっていくこと。
まあ、現実問題、実際問題、偉くなっているから、それはそれでいいとも言える。
もうひとつわかったのは、あの人は仕事ばかりで遊びも勉強もしていない。
低学歴のためか、やたら文学的権威に依存しているのだが、
その引用元が30前後からまったく変わらず、おなじ権威をリピートしている。
古典でもなんでも耳学問で、皮相というか、底が浅いのである。
そのくせそれを深そうに見せかけている。これが追手門学院流なのかもしれない。
今回、宮本輝全エッセイを
どうせ何度も再読しているのだからと(本当に何度も繰り返し読みました)、
東大教授で芥川賞作家の小谷野敦さんの真似をして飛ばし読みした。
あれ? うん? 追手門の麻薬にやられたのか、少しあたまがバカになっているか?
追手門学院大学のいまはなき文学部、英米文科卒の紫綬褒章作家、
宮本輝が「ひとたびはポプラに臥す」で
いかにも自分は英語を話せるかのようなことをときたま書いていたので微苦笑。
宮本輝の創価学会信心の要は、
鳩摩羅什訳の「無量義経」だったのだが(中上健次との対談で自慢げに披露)、
かの旅エッセイの最後の「あとがき」でそれは学問的に誤りだと自ら認めている。
やはり宮本輝さんはいまの日本で生きているなかでサイコーの文学者でR♪
数度逢った青年から明日六本木のディスコに行きませんか?
と言われちゃう僕も僕だが、OKしちゃう僕も僕で、深夜にスーツ必着とか言われ、
おろおろするのも僕だから僕なので僕ゆえに僕さ、いえーい。
そもそも六本木の時点で怖いし、ディスコなんて生涯行くことはないと思っていたし、
翌日って明日って意味で、大嫌いなスーツって、これ1週間後ならムリムリムリ。
即興ならノリなら、このタイミングなら。
だれも信じてくれなくていいのよ。行ったら夢の世界、幻の世界。たぶん幻想、精神病。
美男美女が酒のものまずにおなじリズムでみんな一致して踊っているのだが、
これは精神病的妄想だろうが、みんな新参の僕に親切なのよ。
さあ、みんなでいっしょに踊りましょうって感じ。
僕なんか六本木は怖いし、ディスコは怖いし、美男美女成功者風は怖いし。
美女から腕を胸で抑えられ(被害妄想・色恋妄想)
「あたし主婦、なにも問題ない」とささやかれたのは幻想で片づけられるのはわかるが、
僕の記憶ではユニクロ1万円スーツのノーネクタイの醜い僕が数人の美女から
スマホで撮影されているのだ。
僕は精神科医の春日武彦先生とおなじで醜形恐怖症(自分の顔が大嫌い)ゆえ、
カメラで(顔をふくむ)容姿を撮影されるとか死んでも避けたい被行為だが、
見知らぬ六本木、ディスコ、美女の胸に腕をつかまれるではどうしようもない。
撮られちゃった、どうしようって話。なんでみんな僕なんか撮っていたのか怖い。
顔を知っている格闘技界有名人ともご挨拶させていただいた幻想があるし、
僕はもう精神病なのでしょうか? 以上すべて、妄想です。失礼しました。夢の話。
こんなこと現実にあるわけがない。
ということが僕の人生ではよく起こる気もしますが、病的妄想なのでしょう。
宮本輝「流転の海」最終部「野の春」で、
宮本輝自身を思わせる大学生バイトが、
ホテルの風呂場でたん壺を洗うのを偉そうに拒否するシーンがある。
こういうことを書く宮本輝は自称では、自称ではね、どん底出身の庶民派作家である。
僕はそこまでの底辺育ちではないが、
派遣仕事でおなじひとつの便器を2時間洗ったことがある。
管理者が逢ったときから怒鳴っている人で、遺品整理業で、おまえ殺すぞって感じ。
逢ったときから怒鳴られる。指示に従い1時間おなじ一家の便器を洗ってもまだ汚い。
2時間洗ってこわごわどうですか? と聞いたら、
まだ汚れが取れていないだろうと50歳くらいの遺品整理業社長に怒鳴られた。
おなじ便器を3時間素手で汗水を流しながら洗わされ、
これでいいですか? とも聞けず参っていたら、
女性従業人ひとりだけの遺品整理業有限会社の、
口ぐせは「天下を取る」の社長さんが現われ、まだ汚れは取れていないが、
このくらいで勘弁してやろうとお許しをいただいた。
「おまえは(創価)学会か?」と聞かれ「違います」と答えた。
日給は5、6千円くらいだった。TDカンパニーという会社だったと記憶している。
宮本輝は地獄を見たようなことを強調しているが、あんがいではないか? 
あんがいあれはウソではないか?
まえにも書いたが、世界でいちばんうまいのは和食で、つぎが中華料理だと思っている。
10年以上まえ、中国を南北にわたって2ヶ月近く旅をしたが、
ベトナムとは異なり中国の女の子は、あの旧満州地方でさえみな親切だった。
ベトナムはツアーではなく個人旅行で行くと人間不信が悪化する魔の国。
時給850円のバイト先にいた若い中国の女の子も、きれいで優しくあたまがよかった。
大学の二外が中国語だったから、その理由はわからなくもないのだが、
たとえ女でも中国人同士の会話は(音調? の関係から)怒鳴り合いのようになる。
そして、実は中国の女の子はベトナムの女の子に負けないくらい気が強いという、そのね。
酒井法子が中国やアジアで男子から人気な理由は、
そこから逆に中国人女子やベトナム女子を推理しろって話で。
日本がアジアに向かって誇れる和女は酒井法子。
なぜ酒井法子があっちで人気があるのか。
それは中国人女性やベトナム人女性があまりにも怖いから。
彼女たちは観光客の僕や時給850円アルバイトの僕にはなぜか優しかったが、
見下されていたとも言える。
これが日本女性だ。堀越学園アルヨ。日本にはこんないい女がいるでポコペン。

「良寛の読み方」(栗田勇/祥伝社黄金文庫) *再読

→自分のようなアラフォーには良寛はまだわからないのかもしれない。
わかったふりをしたいけれど、まだわからないということくらいしかわからない。
このまえアラサーの男の子に孤独感はないかって聞いたら、
まったくありませんって元気いっぱいで言われた。
わたしは不安は比較的少ないほうだと思うが(なんとかなるさ)、
40代独身の孤独とかありますねえ。30のころとはぜんぜん異なりますね。
わたしは一遍研究でいちばん尊敬しているのは栗田勇氏だが、
著者はこの良寛入門書で
いったい何度「孤独」という言葉を使ったのかわからなくなるほど、
孤独というワードが頻出した。
それはわたしが孤独だから「孤独」が目についたのかもしれない。
良寛は西行を好きだったようだが、もう平安鎌倉時代から人間は孤独に悩んでいるのだ。
とはいえ、おなじ孤独でも40歳の孤独と60歳の孤独は、
まったく見える世界が違うはずである。
50歳の孤独も70歳の孤独もあろうし、
20代、10代の孤独にもそのときにしかない闇と輝き(!)があるとも言える。
これは男女の性別でも異なるだろうが、
女は(役に立たない)良寛を好きにならない気がする。
しかし、良寛は晩年、30歳近く年下の貞心尼からもてたわけだから一様には言えない。

いまの日本のタレント、酒井法子の10年まえの薬物問題を
令和のいまさらどうこう言うものは本物の孤独を知らない。
知ったらいいというわけでもない。
クスリのまえではみんな平等なのである。孤独も不安も消える。いまが楽しい。
40歳くらいになればみんなわかるが、生きている意味なんかないし、
社会的地位も金銭も家族も友情もかりそめのインチキで本当はなんにもない。
おそらく、その空しさ虚しさ空虚感、
仏教用語でいう「空」を真正面から見据えたのが良寛さんなのだろうが、
42歳のわたしにはまだそれがわかるとは言えない。もうすぐ43歳だ。
孤独だ不安だ空虚だ。ひとりさみしいが、ひとりのよろしさもございます。まだわからない。

(関連記事)
「良寛の読み方」(栗田勇/祥伝社黄金文庫)

(酒井法子の踊り念仏、一遍上人的な利他行為)
「酒井法子のおっぱい事件(デマばかりの俗悪雑誌「アサヒ芸能」より)」