宮本輝はひとりっ子だから作品世界に限界があり、
山田太一はきょうだいもたくさんいたし、
子どもも姉姉弟だからドラマに深みが出るという新説(?)を発表したが、
そうとも言えるのではないか?
きょうだいのちから関係はきょうだいを体験してみないと本だけではわからない。
山田太一の「早春スケッチブック」で兄が義理の妹とベッドの上で喧嘩になり、
お互いがそういう行為の危なさを知ってストップするところはいい。
「想い出づくり」で姉が弟のために、いわば身体を売るシーンもいい。
今日、放送される山田太一「時にはいっしょに」の姉弟関係も変な色気がある。
一転、ピンクな話をするとビッチな妹が女を知らない兄を挑発する話はいいし、
中学生の兄がお風呂で妹の桜肉をたまたま見てしまいどぎまぎするのもいい。
男女関係は、恋愛関係、夫婦関係、友情関係だけではなく
姉弟関係、兄妹関係もあることを忘れてはならない。
きょうだいは両親とともに選べないわけで、その偶然に仏意や神意が現われる。
僕がはじめて会った人に聞くのはきょうだい。
職業とか年齢を聞いちゃうと差別(失礼)になるが、
きょうだいは質問してもいまはまだセーフ。
女のひとりっ子はいいけれど、男のひとりっ子はもうまるっきり世間を知らないね。
まだあるのか知らないが中国のひとりっ子政策はかなり国力を弱めたのではないか。
きょうだいが強いのは親の愛を求める競争と、
しかしきょうだいならではの血の連帯を知ることができるからだろう。
きょうだいでコンビを組んで親に逆らうとかもできる。
同性きょうだいはひとりっ子よりも辛い面があるのではないか?
どうしても勝敗がついてしまうのが兄弟、姉妹。
同性だとおなじ分野で競争して、それがプラスに出る場合もあるが、
マイナスに出たら哀しい。
兄妹、姉弟のきょうだいはいちばん世間的に賢い組み合わせのきょうだい。
兄弟の喧嘩はどこまでも暴力的で、姉妹の喧嘩は陰湿で後を引きそうだが、
兄妹、姉弟のきょうだい喧嘩はどこか悪ふざけのお芝居っぽさがある。
個人的な感想では、兄兄妹の末の女の子なんて、
かわいがられて育ったため性格はいいし、
男のバカさを知っているのでこちらも飾らなくていいし、
機転がきくし、ちょっとドジだし、選べるのなら兄兄妹の女性だろう。
少子化といわれるが、いまはきょうだいが少なくなったのではないか?
ひとつ裏知識を披露すると、創価学会の家の子は、
教義教学がそうなっているわけでもないのに子だくさんが多い。
法華経において、もっとも重要とされる如来寿量品第十六よりも、
諸法実相を説いた方便品第二のほうが好きである。
あれの意味を要約したら「God knows everything」になるだろう。
いま起きていることは仏意であり、
それは起こるべくして起こっているが、人間には意味がわからない。
いまこうなっていることが関係して無常ゆえ、
先々に変化が起こるがそれも人間にはわからない。

カトリック作家の遠藤周作も方便品第二の唯仏与仏を別のかたちで説いている。

「誰にも自分の人生が突如として変る切掛(きっかけ)も、その時期もわかる筈はない。
神のひそかな意志がどのようにひそかに働くのか人間の眼には見えぬからである」


努力しても空振りばかりのときもあるし、
いいかげんにやったことが大当たりを取ることもある。
ただし人間の業(行為)はすべて心の奥深く阿頼耶識(あらやしき)に貯蔵されるという。
無力であるということ。祈るしかないということ。
しかし、大きなものに守られていることを信じられること。
それは自分の心の奥にある世界かもしれず、まず自分を信じることから始めよう。