男の夢として女子校に潜入したいというものがあるが文学部は女子部である。
わたしは、えへっ、テヘペロ、女子校出身だったのである。
早稲田くらい偏差値が高いと処女ばかりで禁欲の色気がむんむんしていて、
あれはどんなキャバクラでも味わえない艶があった。
肉体的に成熟しているあたまのいい若い女の子にきみは囲まれたことがあるか?
あたまがいい若い女の子は高貴で土下座したくなるのである。
あたまがいい子って潔癖な正義の感じがするので勃起するのも申し訳なくなる。
あたまがいい若くてきれいな女の子ほどの正義はあるまい。
わたしは幸福を知っている。アイノウ・ハッピネス♪
小川範子は絶対的な妹でいくらでも穢せる。あの子をいたぶりたい。
いっぽうで南野陽子はこれまた絶対的と申していいほど姉キャラで裸も想像できない。
女性の「きっとにらむ」というト書きが好きだが、
小川範子のそれと南野陽子のそれは絶対的に異なる。
小川範子はどこまでも妹だし、南野陽子はどこまでも姉で怖い。
どちらからも、きっとにらまれたい。
宮本輝の文学の限界はひとりっこだったことで、
もうすぐ死ぬだろう山田太一の才能はきょうだいがたくさんいたことだとも言える。
きっとにらむスケバン刑事の南野陽子はかわいい。
にらむ根拠の正しさがおのれの美だけであるとわかっているところがいい。
清潔な美少女はいい。きっとにらまれたいのである。不潔な中年男になってしまった。
いまジェイコムで山田太一ドラマ「時にはいっしょに」が再放送されている。
姉弟ドラマだ。姉役の南野陽子が本当にいい。
あんなきれいなおねえさんから「正しいこと」をばしばし言われ矯正されたい。
南野陽子って天女を超えるほどかわいいよねえ。
まっすぐでセーラー服が似合いそうで絶対パンチラなんかしなさそうなところがいい。
正義の美少女は南野陽子しかいないだろう。
正義は時にはかわいいことがある。
時には、時には、いっしょに、はぁはぁはぁ。
萌えたん、萌えます、萌えるとき――。
ガチな情報として愛する母校、超自由大学の和田さんが15年の懲役を終え、
刑務所から出て来たらしい。
ぶっちゃけ、ひとり殺しても実質懲役10年は行かないわけで、
超自由な和田さんにはご苦労様でしたとしか言えない。
和田とか乙武とか、そのへん、現役だから、ぼくぼくぼく。
和田さんは早稲田の象徴天皇陛下。和田さんがんばれ、ぼくもがんばる!
佳子さまってもしかしたらあたまがいいのかなあ、
と英語発話動画を見てみたら、佳子さまは佳子さまであった。
佳子さまは佳子さまだからいい。よろしい。
あんなジャパンなイングリッシュはひさびさに耳にした。よかった。
わたしは努力が嫌いだが、そうなると最終的に行き着くのは、
持って生まれた能力である。家柄、血筋、学歴、士農工商。
お里がばれるという日本語は本物のジャパニーズワードである。
わたしの血は汚れているため、よけいお嬢さまみたいな存在に撞着する。
人は変わる。真実はそれだけ。人は思いのほか変わる。
わたしが大学時代、宮台真司の信者だったなんて、
いまの記事からしたら想像もできないでしょう。
東大の宮台真司はあたまの悪いブルセラ女子高生を持ち上げることで、
みずからを社会学的教祖にしようとたくらんだ。
あんな稚拙なテクに引っかかったのは、わたしがバカだったからだろう。
本当のことを言えば、ブルセラな女子高生、女子中生は猿みたいなもので、
いちばんかわいいのは東大女子ではなく早稲女だったのである。
とくに一文女子はかわいかった。
あたまがいい子はかわいい。高みからいじめられたい。屈服したい。もう降参だ。
生物学的な事実を言うと、遺伝子の高い子はかわいい。
皇室の佳子さまはまことかわいらしいが、かの女こそ遺伝子の高さを証明している。
科学的に物申せば、人間とは遺伝子である。
遺伝子の高いほうはなぜか寄ってくるのも高遺伝子。
遺伝子の低い子はどうしてか宿命のように低遺伝子で群れる。
で、低遺伝子たちは白痴のような真っ白なホワイトな純なこころで交尾して、
おなじ遺伝子群を再生産する。
低遺伝子は何代経たところで高遺伝子にはかなわない。常に負け続ける。
千眼美子(清水富美加)は本当のことを言った。
みんなあたしの水着写真でオナニーしているなんて信じられない。
恥ずかしくも、出家騒動まで清水富美加のことを知らなかった。
スピリチュアル女子は嫌いだが、宗教女子っていいよね。エロかわゆす。
基本的にどこも宗教は禁欲を説くところがあるじゃないですか?
それにさ、マジメでなければ宗教なんかにはまらないっしょ?
マジメで禁欲的な宗教女子はかわいい、かわいい、かわいい。
踊り念仏の一遍が鎌倉時代評判を取ったのは、
集団にアイドルの若い尼さんがいたからだと思う。
踊り念仏はAKBのようなダンスで、ミニスカの元祖である。
乱舞しているミニスカ宗教女子は秘所も隠さなかった。
そこはあたまとおなじようにつるつるに剃られていた。
気づきというものはいつも突然に現われる。先日、ふと気づいてしまったのである。
わたしの外面偏差値は35くらいだと自己認識している。
春日武彦医師とおなじで醜形恐怖症の気があり、とにかく鏡を見たくない。
ところが、ある日、真理らしきことを、ふとまざまざと発見した。
自分よりもせいぜい数レベル上の男でも結婚しているではないか。
あんなにきもいおっさんが女性と寄り添って歩いている(むろん自分よりは上だが)。
稼ぎもそうよさそうには見えないにもかかわらず。
一歩立ち止まって世界を見てみたら、女性もおなじである。
かの女の房事を想像するになにを借りればいいのかというおばさんが、
赤ん坊を抱いている。

――妥協点の問題なのだろうか?
まだひげも生えそろっていないような大学生のころは、あたまの悪い子にひかれた。
ひげに白髪を発見するようなおじさんになると、
むかしはわからなかった小谷野敦ちっくな高学歴女フェチがわかる。
あたまがいいという定義はさまざまだが、いちばん普遍的なのは語学力ではないか。
外国語をどのくらいマスターできるかで、あたまのよさは判断できると言ってよい。
文学部卒だが、自分なんかよりあたまのいい女の子がたくさんいた。
むかしは怖かったが、いまではそういう子のかわいさを惚れ惚れと思いやる。
公立中学、都立トップ高校、私文最高峰と所属階級が階段のようにアップした。
実感として物言えば、上に行くほど女子の性格はよくなっていった。
区立中学の女の子は性格が悪かったが、
いちおう偏差値の高い都立高に入ってみんな性格がいいので驚いた。
大学に入ったら、まわりは天女ばかりであった。
伝説の作家対談というものがある。
追手門の宮本輝と路地の中上健次の対談がそれである。
何度も読み返したが、最近また再読して、あれはレジェンドというにふさわしいと再認識。
宮本輝が中上健次相手に創価学会の教学を自信満々に滔々と語るのである。
中上健次は圧倒されて聞き役にまわり(笑)の連発。
子どもの中上健次がめずらしく大人になって、
さすが宮本さんは大卒だなあ、
体系がある、学がある、自分は高卒だから負けたといったようなことを言う。
むかしはわたしも宮本輝の学識に参ったと思ったが、
ひと通り仏教を勉強したいまなら、輝パパかわゆす、である。
「事の一念三千」とか創価学会用語が丸出しで、こちらの顔が真っ赤になる。
文学部は女子部。真理を言うと、文学部は女子部。
文学部出身だが女子率が異常なほど高かったのを覚えていて、
あれは得がたい体験だった。
都立高校を出て現役で早稲田の一文に来るような賢い女の子っていい匂いがするんだ。
実践女子大学のようにケバケバしていないすっぴんのかわいさがある。
早稲田でも一文くらいなら高校で我利勉していなくても入れるので
かわいい子はかわいい。
あたまがいいのにからだも女子として最盛期を迎えているのでたまらない。
女子部ならではの会話もよかった。
「油断しちゃダメ。あの子、もう女よ」
うぶな女子同士の背伸びした牽制球とか、一文はどこの女子校なんですか? って話。
文学部はキャンパスが違うので一歩足を踏み入れたらいい香りがすると言われた。
私文女子の最高峰はいまはなき早稲田の一文だったと思う。
語学以外は楽勝科目がふんだんなのもよかった。
あれ? うん? おれ、大学でなにを勉強したんだ?