宗教はわかる人はわかるけれど、わからない人はたぶんそのままわからないまま。
宗教性のある人とない人に分かれる。
誤解されかねない言い方だけれども、
精神病の素質がある人は宗教的神秘性を感得する能力があるとも言いうる。
仏教の勉強は記憶ではなくて、自分の命を掘っていくような極めて主観的な作業。
霊感、霊性とか神秘性、狂気性をうちに持っていないと宗教はわかりにくい。
不思議なことを自分で体験しないとなかなか宗教はわからないと思う。
わかるのがいいのかどうかもわからない。

酒を抜いてさ、何日も朝からがんがん繰り返し法華経を読誦したら危ない状況になる。
業界用語では六根清浄というんだけど、感覚が異常なほど研ぎ澄まされてくる。
百円ショップで買ったなんでもない、
ふかひれスープや穂先メンマでご飯を食べるだけで命の味に打ち震える。
うまいなあと身震いするほど感動する。
それがいいのかはわからなく神経がむき出しになったような感じで痛くなるのよね。
おいおい、どこまで行くのかって怖くなる。
子どものころやったアーモールとかドッペルが幻聴のように聞こえてくるから。
で、YouTubeで聞くと、生命の神秘がわかったような気がして涙が込み上げてくる。
法華経の方便品第二がアーモールやドッペルとまったくおなじように思える。
ちょっとこれヤバいんじゃないかと1日だけ酒を飲んで興奮を鎮めたものだ。

学会員の主張するよう打算的な損得の意味での功徳があるのかはわからないけれど、
間違いなく法華経は人を狂わせる危ないものを有している。
ほかのお経にもそれぞれなにかおかしなものが入っている。
法華経は朝だけで、夜は浄土系のお経を声に出して読む。
法華経は早く読めば読むほどリズムが乗って来るけれど、
浄土系はゆっくり読んだほうがこころが落ち着くような気がする。
40を超えたおっさんが毎日、お経を唱えているなんてちょっと人には言えない。