世間知らずだからこの年齢になっても世間を知ることが多い。新しい発見がある。
歳を取るといろんなことがわかる。
ひと言でいえば人生は理不尽、不平等、不公平、運、運、運――。
「そりゃあ運がよかったばい」「そりゃあ悪運じゃったのう」でしか説明できない事象ばかり。
努力なんか報われはしないし、
幸福や不幸は天からこちらの気持を無視してばらまかれている。
そして、それらの多くは片が付かない。いつまでも何代にもわたって遺恨を残す。
あたしの人生を物語にしたら1冊や2冊では済まないわよ――。

この人ともう一生会うことはないとわかっている父かたの伯母である。
たくさんいた父のきょうだいの長女。
わたしがそれを今日ここに書かなかったら、かの女が存在したことも消えてしまう。
どこまで本当かわからないが80歳を超える叔母は言った。
5人きょうだいの長女である。

シベリアで父を亡くし満州から帰国するまでは地獄だった。
地獄といえば、日本に戻ってからも地獄。
母は食堂を経営したが、
代わりに下の4人きょうだいのめんどうを見なければならなかった。
自分どころじゃない。つねにきょうだいのことがあたまにあった。
当時、女が大学に行くという風潮はなく、男ふたりを明治と法政に行かせた。
気づいたら婚期(24、5歳)を逃していた。

結婚したのは36歳で後妻。相手には子どもがふたりいた。
楽しいことは、なんにもなかった。なんにもない。なんにもなかった。
旦那は晩年に認知症を発症して、その相手をするのがひどく辛かった。
それでも何度も海外旅行に行っていたというから金はあったのだろう。
人生勉強になったのは、海外ツアーでも、
片方が認知症でも、片方がそれをうまく隠せばばれない。
認知症の旦那の世話は8年やり去年死んだ。
典型的な認知症で、警察から呼ばれることは何度もあった。辛かった。

あたしの人生はいったいなんだったのだろう?
後妻のため子どもはいない。
下の4人きょうだいを育て上げたが、しかし見返りのようなものはない。
どうせ今日で会うのは最後だし、ほかに耳はないし,
答えなくてもいいですから、と高速で聞いた。「浮気したことありますか?」
「ない」と即座に否定された。

いまはどう家を処分してどこの老人ホームに入るかだという。
問うた。いまのままで好きなように生きたらいいじゃないですか?
答えは、それだとみんなに迷惑をかけるから。
いざ死んだときにみんなに迷惑をかけるから。
迷惑をかけたっていいじゃないですか? 好きなように生きましょうよ!
伯母はそれはできないと言った。みんなに迷惑をかけられない。
人生で本当にいいことがなかった。辛いことばかりだった。なんにもなかった。
80歳を超えたおばあさんから聞いたことだから、どこまで正しいのかわからない。
人は話を盛る。
父かたの祖母は富裕な家の出らしい。初婚で嫁いだのは鹿児島の山口家。
だが、子のいないままはやばやと旦那は死んだ。
つぎに土屋家に嫁いだのだが、この家は日蓮宗だったらしい。
身延山と聞いたから清く正しい日蓮宗の本流だろう。
その後、男は満州に行った。
これはむかしからグリコがどうだとか聞いていたが、
正しくは関東軍の事務役だったらしい。
祖父は事務方の才能があったようだ。
そこで食品配給の事務仕事の関係でグリコと関係を持ったらしい。
ここがどうしてもわからないのだが、
祖父は1942~1944年にシベリア抑留になったという。
あのころ日本とロシアは和平条約を締結していたはずだから、
そんなことはありえないのだが。
しかし、何度聞いてもそのとき8歳だったという伯母は、
関東軍の父はシベリア抑留されたという。
父かたの祖父はシベリアで1944年に死んだ。
むかし満州でなにがあったのだろう?
かつて旧満州地方をむかしの地図を片手に歩き回ったことがあるが、
たしかに日蓮宗の寺が異常に多く、そこにはなにか不可思議なものがあった。
夫に死なれ子ども5人をかかえた祖母は帰国して食堂を始めた。
「生長の家」への信心は深かったという。
父も子どものころ「生長の家」の合宿に行かされたと聞いたことがある。
息子のわたしを自衛隊に行かすと酔ってか気持の悪いことを言っていた日もあった。
それは自信のことなのだが、宗教は、自分は絶対に正しいと人に思わせる。
自分は正しい。なぜならあの神や仏を信仰しているからだ。
自分は正しいのだから相手は間違えている。それが宗教の怖さよ。
父は終始おふくろ「生長の家」マインドで、おれは正しいと言ってきた。
母はといえば日本田舎ハイカラのプロテスタントで、
精神病が悪化するとよく聖書を読んで自分は正しい、周囲はサタンだと言っていた。
父と母の戦争は、精神病が勝利をおさめ、
敵がいなくなった母は息子をサタンと思い定め、
彼のまえで飛び降り自殺をして血まみれになって死んだ。自分は正しい。
学会員でいちばん辛いのは創価三世でしょう。
初代には薬になったものが二世には毒々しく感じ、三世にいたっては完全な毒となる。
うちは父かたは新興宗教「生長の家」。
この件は昨夜たくさんいる父のきょうだいの、その長女さまからいろいろうかがった。
母かたは日本のプロテスタント。
周囲からは、白人さんだか、異人さんだか、そんなふうに呼ばれていたと聞いた。
父と母の夫婦喧嘩はすさまじかったが、あれは宗教戦争だったのである。
母は姑を攻撃すること激しく、葬式には鬼の死顔を見にいきましょうと言った。
あんなものは「神の子」であるもんか。
父がどちらについたかといえば「おふくろ」である。
「おれは間違っちゃいないね」「おれのおふくろは間違っちゃいない」
だったら、おまえら結婚するなよという話なのだが。
早朝、母がわたしの目のまえで自殺したとき、
父に電話したら答えは「これから築地に行くから」だった。
男は通夜にも葬式にも来なかった。
母は遺書でものすごいめんどうくさい墓に入りたいと主張した。
その墓の管理者である叔父が問題がある人物だったのだ。
その叔父も孤独死、腐乱死体となり警察沙汰になった。
今度は父が自分のつくった墓に(遺書に逆らい)母の遺骨を入れたいと言い始めた。
そんなけがらわしい墓には行きたくなかったが、
行ってみたら墓碑に書かれた母の享年が間違えていた。
何度指摘しても次回逢ったときは覚えていない。
父の愛誦句は「おれは間違っちゃいない」で、
わたしの目のまえで復讐のように飛び降り自殺した母も
「私は絶対に間違っていない」と常々言っていた。
結婚とか子づくりしたい人の気持がわからない。
三代回った毒と毒をかけあわせた存在がわたしだから、
これからもしや大きな薬になるやもしれぬ。
どこか間違っている人でも人間味のある人がいるじゃないですか?
人間味とは、どれだけ自身の不幸の味を体感しているかではないかと思う。
どうして自分はなにも悪いことをしていないのにこんな不幸な目に遭うのか?
そこが人間味の始まりだろう。
創価学会二代目親分の戸田城聖ほど人間味があったおやじはいないだろう。
事業で大失敗したり、妻子を失くしたり、弟子筋に大量に裏切られたり。
こういうマイナスを経験するとわかることがあるのである。
有名大学を出てブランド会社に入り美女と結ばれ健常児の誕生を祝う。
だれがこんな人をこころの底から尊敬できるだろう?
大勝利顔でおのれの大勝利をアピールするものは恥を知れ。ただそれだけ。恥を知れ。
警備、見回りだけのほぼ座っているような仕事が
月収30万でボーナスつきだったら、わたしならば創価学会に土下座してもほしい。
浄土真宗ならそちらにも完全平伏、いわゆる土下座ができる。
しかし、ここで悪魔のささやきが。そういう人生ってつまらないんじゃないかなあ?
平均よりちょっと上の学歴で、平均よりいくばくか上の会社に入り、
不平不満悪口を言わず後生大事に自分のポジションを守り、
平均程度のお嫁さんをもらう人生はそこまで楽しいのだろうか?
自分を生きたくはならないのだろうか?
いや、いざ、そういう優良案件が宗教関係から来たら土下座しかねないのがわたしだ。
古臭いことを言うと、どうしてみんな内面を磨かないのだろう?
芸能人のブログやインタビューを読むとあたまの悪さにげんなりする。
この場合のあたまがいいとは学歴とか資格ではなく、切れがあるという意味だ。
みんなおなじようなスタイルでどこかで聞いたフレーズをリピートしているだけ。
プロレスであたまがいいのは、
中央大卒のジャンボ鶴田のライバルだった中卒の天龍源一郎。
天龍のインタビューはいま読み返してもおもしろい。
男は若いころから週刊誌をほぼ全種類購入して目を通していたという。
あの時代の人だから、学歴にコンプレックスがものすごくあっただろう。

女優では壇蜜。
壇蜜は自分がおかずにされていることで興奮するようなことを言う。
それはそういう妄想を好む非野性的な男性層が一定数いることを
知ったうえでの演技なのだから一枚上手であたまがいい。
壇蜜のあたまのよさは、こちらのすべてを見透かされそうで逆に怖い。
もし対面したら、その瞬間に身体が震えはじめるのではないか。

あたまが悪い宮本輝の師匠の池田大作は驚くほど頭が切れる偉人だ。
彼は自分のあたまの悪いところを知っているのが賢いゆえんだ。
教学(教義)なんかバカな多数派末端信者には
意味がないことを(自身のバカゆえに)知っているのもさすがだし、
さりとて教学を軽視するのではなく、教学部をつくらせ、
そこで製作された教えを自分のものとして発表するのだから悪いなあ。
しかし、これは日蓮仏法的には「異体同心」という教義によっているのである。
意味は「体は異なれども心は同じくす」で、
そうだとしたら異体の教学部が書いたものも池田と同心なのだから、
そういう(世間的には非道な)ことをしても日蓮仏法的には正しい。
池田先生のあたまのよさに気づかない人は痛い目に遭うのではないか。

「無知の知」とも言われるが、あたまのよさは無知を知るレベルにある。
学べば学ぶほど無知がわかってくるので、「無知の知」が知者の証明になるのである。
法然はほとんど遺言のようなものとして「一枚起請文」を書いている。
内容は「なにも知らぬバカの人のようにひと筋に念仏しなさい」だ。
学者のようにいろいろ議論をしていると念仏信心がわからなくなってしまうのである。
後世のめんどうくさい議論や派閥割れを予想していたのかもしれない。
踊り念仏の一遍は「ただ南無阿弥陀仏」と言い残し遺品をすべて焼却した。
わたしは勝手な妄想だが、踊り念仏こそ芸能人のルーツではないかと疑っている。
知りたい対象ができたら全知力、体力を集めて飛びかかる。襲う。ストーカーだ。
たとえ危険があろうが、内部に怖いもの知らずで飛び込んでいく。
創価学会に入りたいなんて実名で公開するのも奇跡確率だが、
それにふたりも対応してくれた奇跡確率はなんなのだろう?
当然、囲まれての集中悪罵や屈辱的な自己批判を迫られるのは覚悟のうえで、
最悪の場合、東京湾に沈められてもいいとさえ思わなくてはそういう行為を取れない。
暴露本を読むと、殺されても文句が言えないくらいあそこは危ないのである。
考えてみると、危ないってなんだろう?
わたしに飛び込んでくれる女性が過去に複数いらしたが、あれは危ないだろう。
なにをされるかわからないわけだ。
ひと目見れば、お里がばれるのだが。できないことはできない。
「好き」はほとんど暴力で相手にずかずか入っていく迷惑行為である。
シナリオ・センターの創価学会も好きでした。
なにかを好きになりたい。
政治だって宗教だって内部に入らないと本当の現実はわからないと思う。
たとえば早稲田で言えば学院卒、早稲田学院高校卒のやつがとにかく偉いし威張る。
学院卒だと、どんな魅力がない男でも早稲女がひとりついていた。
法学部や政経が文学部を足元のゴミのように見ていたのは言うまでもない。
学院卒は都内在住で親が金持ということを出自が証明している。
鹿児島の一浪一文早稲女は1年から色気づいて男あさりをしていて、
お里が知れるという言葉の本当の意味をいまから回想したらわかる。
しかし、仕送りがあったわけで、そんな金持の子女でも辺境地方や一文だと弱かった。
わたしは中学受験ではこの偏差値だとどこの私立にも入れないと言われ、
高校受験でも早稲田学院に落ちた。
その約15年後にだれでも入れる名門のシナリオ・センターから強制退学処分を受けた。
さすがにだれでもお金を払えば入れる学校から落とされることは予想できなかった。
政治が好きな人がわからない。あれはお金になるからなのだろうか?
なら、それに参加したいが、なにもかもわからないし、興味がない。
国家教育のせいで中高大と政治に関心のあるふりをしたが、
極私的な家庭内の壮絶不幸を経験してからは、なにもかもどうでもよくなった。
憲法改正? どっちでもいいんじゃないかなあ?
慰安婦問題? 大韓民国はそこまでやるのか!
竹島はあげちゃえ! 北方領土はあげてもいいけれど、おいしい海産物は食べたい。
日米安保とか、そのまえに、
日本は広島や長崎のお礼をアメリカにしなきゃダメでしょ? 受けたご恩は返そう。
わたしは基本的人権も国民平等も理解できず、
税金を多く払ったなら投票用紙をその数に合わせてもらってもいいと思っている。
正直言って、苦労して金持になった人とわたしがおなじ1票しかない理由がわからない。
まあ、稼げたということは政治の恩恵を受けているのなら、いまのままでもいい。
安倍首相は好きでも嫌いでもなく、たいへんそうだなあ。
なんであんなしんどい仕事をやられているのだろう? あれ、やったら、きついよ絶対。
橋下徹はなんか嫌いだが、彼の主張を読んだこともない。なんとなく嫌い。
政治家本人や秘書の子女がおいしいのは悔しいが、
それは持って生まれたものでどうしようもないだろう。
むかし大学時代、完全美人政治家秘書娘NHK入社の子を見たが、
そういう人生が楽しいのかもわからない。
スーパーフリー、スーパーノンポリのわたしは正義という言葉が大嫌いで、
政治にまったく関心がなく、頼まれたらどこの政党にもだれにでも入れる。
自分の1票ではなにも変わらない。
そのことをみんなわかっているから、あの投票率なのでしょう?
わたしが選挙に行くようになったのは事前投票が5分で行けるところと知ったからだ。
正規投票だと15分かかり、
わざわざ往復30分かけてなんのおもしろみもないイベントには参加できない。
ここ5年くらいは学会員っぽい人にお世話になることが多く公明党に入れている。
公明党の政策なんてひとつとして知らないが、
それでわずかだがお礼を返しているつもりである。
ちなみにみなが経験するという「公明党に入れて」と言われたことは一度もない。
自民党批判というものがある。
ネットで自民党を礼賛する文章を見たことがない。
しかし、どうして自民党が政権与党を取っているのか?
いったいだれが投票しているのだろう。
投票率60%で、そのうち何割を取れば勝てるのかもわからない。
自民党に入れるとお得だからみんな入れているのだったら、
わたしもその分け前に与りたい。
もしかしたら自民党に入れるのがいちばんおいしいのではないか?

数週間まえ共産党の選挙演説が来て、
法華経を読んでいたのでうるさくてたまらず腹が立ち(耳栓をつけているのにうるさい)、
いつものように「うるさいです」とお声がけしたら、
これは人生初の経験なのだがだれも聞いていないスピーカー演説をやめてくれた。
代わりに「共産党をお願いします」と言われ、
「わかりました。ありがとうございます」と感激した。
「荒川なお」のポスターだったが本人ではなくおっさんふたりだった。
以前、公明党の選挙演説に抗議したときは完全に無視された。
共産党に入れたほうがいいのだろうか?
しかし、あれは自分から災い(騒音)をつくっておいて、ただやめだだけとも言いうる。
とはいえ、長い騒音との「わが闘争」に
はじめて誠実に対応してくれたのが2019年の共産党。
公明党といえば創価学会だが、教えの原理はアメとムチ。功徳と仏罰である。
創価学会はとにかく大きなグループで極めて人工的に功徳も仏罰も創価創造できる。
わたしは二世や三世ではないので仏罰は信じられないが、
甘い甘い蜜のようなあんころ餅のような功徳利得は味わってみたい。
やはり公明党に入れるべきか?
ぶっちゃけ、選挙投票に1万円くらい国は出さないと本当の国民の声はわからない。
1万円くらいだったら富裕層は選挙なんか行かないわけで、
まさに革命のようなことが起こるかもしれない。
日々老いていくが、いまのわたしには35歳のおばさんでも若い女の子になるのか。
30歳なんて若々しすぎるが、むかしは30はおばさんと思っていた。
20歳の大学生のころコンビニの夜勤でバイトをしていた。
バイトでは昼勤との引き継ぎがある。
30過ぎの役者志望のおなじバイトが26歳のフリーター女性をいいよなあ、と言っていた。
わたしから見たら気はよさそうだが、自分とは無縁なおばさんであった。
役者志望だがなにもしていない30過ぎのフリーター男性が、
ある日気持の悪いことを教えてくれた。
トイレは男女共用で事務所にひとつあるだけだったが、
その26歳女の使用済みナプキンがあると興奮しているのである。
においを嗅いだとか、わけがわからない世界であった。
それをべつのバイトに話したら、35歳の店長(元ホリプロマネージャー)が
26歳のアルバイト女性に告白して振られたというではないか。
いまでも生理用ナプキンの嗜好はわからないが、
しかし寄る年波には勝てず26歳女性の魅力はわかる年齢になりました。
ひとつ疑問なのは、おっさんが若い女の子と話しても、
相手の人生経験が未熟だから、おもしろくないのではないか?
話が合わないということ。しかし、高齢女性はおばさん、BBAである。
話したことはないが飲み屋の(苦労人の)ママなんぞというのは、
この種の需要にこたえた存在なのかもしれない。
天龍源一郎は一時期「痛みが伝わるプロレス」をスローガンにしていたが、
これはまさしくプロレスの本質で、
プロレスの目的は役者のレスラーに痛い思いをさせることではなく、
勝敗でもなく、いかにこの現実の痛苦を伝えるかにある。
プロレスファンを数年続けたらわかることだが、
プロレスとはいかに上手に痛みを観客に伝えるかの表現勝負である。
実際に痛くても、それを身体表現できなかったら意味がない。
本当は痛くない技でも(STFはその典型)双方が協力して痛みを伝えられたらいい。
場外への投げ技はたしかに痛みがびんびん伝わるが、
それはプロレス伝統芸能ではない。
しかし、プロレスファンの本音としては事故が見たいというところにある。
なまの危険なガチンコ的なプロレスを見たい。
いまの若手レスラーでこれをできるものがいるのか?
電流爆破デスマッチで大げさな演技をするのはたやすいが、本当はそうではない。
むかしの女子プロレスの試合をYouTubeで視聴するとガチが散見させられる。
あの子たちはプロレスから追放されたらスーパーのレジ子さえできない。
いくら勝敗が決まっていても痛みが伝わるガチンコである。セメントだ。
プロレスなんて10年以上まえにレフリーのピーターことミスター高橋が、
内幕を暴露したことで終わっていなければならないのだが、
新日本プロレスはいまバブルのように金が入ってきてしょうがないという。
創価学会だってヤクザの組長が実名で
暴露本を出した時点で終わっているのが「正しい」のだが、現実はそうなっていない。
答えはなにか? だれも本を読まない。
人は自分の信じたいことを信じ、それを「正しい」と思う。
新日の金髪疑似欧米ジャパンレスラーの新体操的ムーブ漢裸演舞が
どうしていま受けるのかはわからないが、事実金にはなっているのだから、
あれらは「正しい」わけである。むろん、創価学会も金になっているから「正しい」。
最初から勝ち負けが決まっている小芝居に夢を見るのが大衆なのだろう。
わたしだってガチを仕掛けられたら体力的に困るみすぼらしいおっさんだ。
プロレスは勝敗が決まった八百長で、
小演劇でさえ務まらない、
つまりセリフが入らない男芸者を集めた即興の一時しのぎの金儲けだが、
そういう嘘ばかりの世界の「本当のこと」がおもしろい。
在日コリアンの金村キンタロー選手の女性へのセクハラ騒動とかガチンコ。
決して逆らえない立場の関係会社の女性に土下座をさせて、
下腹の秘所をおおやけの場でもてあそび警察沙汰になっている。
金村キンタローはおなじ在日の大木金太郎ではないが、
金、金、金のガチンコプロレスができる。
だが、一時期年収が1千万以上あったというのは嘘だろう。
いまのインディーは1試合1万円というのも嘘で、
ガチンコは足代(交通費)の数千円くらいではないか。
しかし、新日に出たとき上井から数十万のアシをもらったというのはどこか本当っぽい。
社長の荒井が経済苦で自殺したFMWの金払いがよかったというのはどこまで本当か?

昨日の馬場死亡20周年記念大会でも関心は金しかない。
だれがいくらもらっているのか? あれはギャラがひとりひとり違う。
それを言ったらプロレスではない大喧嘩になるから、だれも言えない。
一応ガチンコ発言として多めに言うのが男社会、プロレス世界の流儀だろう。
ブッチャーは奇妙な韓国キリスト首長を宣伝していたが、それを込みの値段だろう。
登場して3分しか演技をしなかったやつも10万もらっていたかもしれない。
キム・ドクはなにもしなかったが、あるいは数十万もらっていたのかもしれない。
初代タイガーの佐山はそっち方面で悪評が高く、いくらもらったのか。
税務申告はどうなっているのか。
世界の荒鷲の坂口征二や自民党議員の馳浩はノーギャラではなかったかと思う。
文京区議会の議員さん、西村修の周辺は不穏すぎて知っていてもここには書けない。
プロレスのようなショービジネスは当たればでかいが、
濡れ手に粟のあぶく銭はすぐに水商売関係に浪費され消失するが、
言っておくが、それこそ経済を回すということである。
本当のガチンコは金、女、権力だが、いちばん本当に近いことは金だ。
金の話はガチンコ。それはなんぼや?
貧乏人ほど人生は金ではないと嘘をつく。
いま日本で本物のインド料理、中華料理、ベトナム料理を出しても、さして売れないだろう。
「正しい」と「売れる」は異なる。
プロレスラーのカールゴッチはガチでは強い(正しい)という触れ込みだったが、
あれは寝技限定の話で、男は本場のアメリカではまったく売れず、食い詰めていたと聞く。
そのゴッチを神さまとあおいで商売に使えるようにしたアントニオ猪木がいかに偉いかだ。
ジャイアント馬場はアメリカで売れているもの(人気レスラー)を
高額で輸入してくるだけだったが(その財力はすごい)、
猪木はゴッチのみならずタイガージェットシン、ホーガン、ベイダーを創価したのである。
馬場と猪木のどっちが偉いのだろう?
わたしは売れたほうが正しいと思う。なんぼや? というおのれの経済感覚を信じている。
ステロイドで身体がボロボロの鈴木みのる選手がやっているゴッチ式パイルドライバー。
あんなものは筋力がなくなり、
ふつうのパイルドライバーができなくなったジジイの悪あがきにしか見えない。
てこの原理で一応はゴッチ式パイルドライバーはさまになる。
ボディスラムさえできないヨボヨボの鈴木みのるでもゴッチ式ならなんとか客を騙せる。
寝技はインチキに思えてならない。だって、まず相手を寝かせられるかの問題がある。
ちまちました関節技の巧拙より、
ただただ大きいほうがいいと言ったジャイアント馬場が正しかったのではないか。
しかし、売れたのは猪木で、馬場はビジネスは契約を守ったが、
だれも糖尿病、巨人症の彼が喧嘩で強いとは思わないだろう。
アポーの馬場さんは外国人レスラーでさえ
十六文キックに向けて全力疾走させる金満家であった。高いギャラが払えた。
猪木だって強いかはわからず、前田から逃げたし、
その前田だって安生には手も足も出なく、あれは万死に値する恥事である。
馬場と猪木はどちらが強かったのか? 正しいのはどちらか?
勝負を決めるのは金だ。
金で動いた天龍源一郎は悪くなく、結果的にそれが正しい行動であった。
馬場は相撲あがりの天龍を厚遇したが、金は出さなかった。
原爆固めとは、ジャーマンスープレックスのこと。
いま原爆固めなんてテレビ放送で言おうものなら、抗議の電話が来るだろう。
といっても10レベルで100は来ない気がする。
なら言ってもいいような気がするが、だれも原爆固めとは言えない。
むかしのプロレスなんかにらみあったりしながら魅せて、
15分経過の最後で原爆固めを1回やるだけで観客を満足させることができた。
四天王プロレスというものがあり、
あれは投げ捨て原爆固めを多用する残酷ショーだった。
馬場さんは外国人レスラーには気前がよかったが、
三沢、川田、小橋には社会保険はおろか、
中小企業の正社員よりも低い給与しか出さなかった。
もっともそれが正しいかもしれず、
男の裸演劇芸者奴にあれだけ払っていたのはさすがとも言える。
だれがどう考えてもあたまから落とすのは危険なのである。
だからむかしはジャーマンを原爆固めと言った。
顔への張り手や蹴りは相手のプライドを直撃するが、危険度はほとんどない。
人工知能の限界は成功確率70%、29%の選択肢があったら、
過去のデータから前者しか選べないところにある。
人間だったら過去の怨恨や絶対体験から後者を選ぶことがあるが、
それが人工知能にはできない。
それから人工知能は選択しないという確率1%の選択肢を取れない。
選択肢の正解はやってみるしかわからない。
成功確率29%でもそれで結果的に勝てば、それが正解データになる。
正解は時間が決める。結果が決める。そして、なにが成功かは人工知能にはわからない。
なにも新しいことを言っているわけではなく「勝てば官軍」とむかしから言われてきたこと。
「逆張り」もどこか感情論に近く人工知能には難しいだろう。
一定程度、一定時期に「金で動かない」人間がいることは人工知能には計算できない。
経済効率的最適解を目指す人工知能はあえてバカになることができない。
騙されないところが人工知能の最大の欠点とも言えるのではないか。
人工知能は間違えることができない。
もしかしたらそれがあるひとりの人間にとっては正解かもしれないが、
そこまでは計算できない。
ある人からいまの投資信託は人工知能がやっていると聞いたが、
ある時期の金銭的損失が人生全体から見たらプラスになることも
人工知能には判断できまい。間違えていい。間違えよう。
なぜならきっとおそらくそれが人間が人間たるゆえんだからである。
わたしは伝統プロレスのファンで新興プロレスはどこがおもしろいのかわからない。
タナもオカダもうまくやっているエリートサラリーマンのようにしか見えない。
白眼で知られる永田さんとかコジコジカッターの小島さんはサラリーマンすぎる。
しかし、中西はあまりにも思考力がなく動物的で、
にもかかわらずそれが狂気の美しさにはならず、
いわゆる愛玩的野獣、ペット、モルモット、イケヌマあつかいのまま終わりそうだ。
むかしのプロレスラーにあった怖さとはなんだろうか?
ヒクソンに二度も負けて「前田が泣いているぞ」とバカにされた高田はなんなのか?
しかし、その最強プロレスラー高田でさえ、
妻に最初から勝ち負けが決まっていることは言えなかった。
むかしのプロレス会場に、ここまで女性は来なかった。それが真実ではないか?
とにかく大勢の関係者から嫌われていたジャイアント馬場の
没後20周年おめでとうのセレモニーが今日、両国国技館であった。
こちらはジェイコムで見たのだが、知ったのは今日である。
ジェイコムマガジンにも生で放送されることは書いていなかった。
黒い呪術師、
アブドーラザブッチャー選手の追悼直前のお披露目が実質のメインであった。
いちばん沸かなかった入場、え? え? この曲はだれ?
は世界の荒鷲、坂口征二さん。わたしもこの入場曲は覚えていない。
アントニオ猪木が最初に登場して、さりとてリングには上がらず、
追悼記念(死んでおめでとう!)の祝意を表明していたのが不穏だった。
わたしは今日、馬場さん死んでよかったね、のセレモニーがあることは知らなかった。
しかし、ブッチャー選手を見ているうちに、
大ファンの天龍源一郎がいつ出てくるのかわくわくした。
スマホがないので興味がないカードの途中にパソコンに戻り検索したら、
なにかがあったらしい。
天龍源一郎が大嫌いなのは大仁田厚、渕正信、石川敬士。
このあたりでなにかトラブルがあったのだろうか?
馬場が死んでようやく20年おめでとう会合は豪華すぎるのだ。
あれは馬場元子夫人が死んだ遺産の使い道だったのではないか?
税金で取られるよりはお金をばらまき恩を売っておいたほうがいい。
馬場の悪口が大好きなカブキ選手が出て来ないのはよかった。
むかしは長い漢裸演舞のプロレスを見(ら)れる体力があったが、
だらしないバックドロップで恥死した三沢光晴のようにはっきり言うと、
いまはプロレスは10分以内に済ませるのが観客への礼儀だと思っている。
メインがだれも知らない人たちのわけがわからないカードだった。
観客席最前列の世界の荒鷲グーチが大あくびをしていた。
おなじく自民党議員の馳浩がメインの試合中にテレビで撮影されているのを知りながら、
スマホを大きくしたアイパッドを見ていたのには同感、共感、賛同した。
それをするかという思いと一緒に。
いったいどういう金と力が働いたのだろう。
女性のあべみほを出したことは評価する。
しかし、天龍源一郎のサンダーストームが聞きたかった。
学会批判ブログの真贋の見分け方は池田大作在日説にある。
こんまんきさんの匿名ブログ「創価学会はカルトです」は在日説を明確に否定していて、
おかけでこのブログは信用できると読み込んだ。
池田先生は大森の貧しいノリ屋の三男坊で在日コリアンではない。
しかし、ほかではかなり信頼できる記述のある(匿名)創価批判ブログでも
池田在日説を取っていることがあり、
そういう精神性が学会に入っていたという恥ずかしさと通底しているのではないか。
在日コリアン差別や部落差別がいまいち納得できないのは、
あれは生まれで変えようがなく、たとえばわたしがなりたいと思ってもなれないところだ。
創価学会差別が複雑なのは二世三世は自分で選んだわけじゃないでしょう?
いくら自力で退会できると言っても親子関係、
友人関係を切っていいのかという問題がある。
そして、創価学会も在日や部落とおなじで学会員になりたいと思っても、
だれもがなれるものではない。
いまわたしの関心があるのは「きたない」という感性である。
おそらく差別は「きたない」という感覚に宿っている。
10年以上まえ家柄のいい高学歴の女性に逢ったとき、
創価学会を毛虫ゴキブリ並みに嫌悪していた。
わたしはそこまで嫌われているのかと逆に新鮮だった。
マクベスではないが、きれいはきたない、きたないはきれい、である。
もっともきたないものはもっとも美しい。もっとも美しいものはきたない。
創価学会の「小善積もりて大悪になる」というきたなさが好きだ。
だれもやらないきたないことをしれっとしてやるようなところがいい。
バカなやつはこれをわからないが、何度もブログで繰り返し書いてきたが、
創価学会の池田大作SGI会長は死なないのである。
なぜなら「死」とは客観的に申せば、医師が死亡診断書を書くことだからである。
それを役所が受理するのが「死亡」の諸法実相、十界十如是、一念三千。
創価はドクター部があるから、いくらでも池田永遠師匠を冷凍保存可能なのである。
ドクターが池田師を生きていると証明すれば何歳まででも生きられる。
そろそろ「死」の解凍処理をしようかと思うときまで待っていればよろしい。
創価学会にドクター部があるのだから、池田先生はあと10年でも20年でも生きるだろう。
そのことがわからないのがMC、マインドコントロール、洗脳、真実まことの信心である。
わたしはそれがある、本当の信心が。
なぜかYouTubeで検索したら創価学会の池田大作さんの
過去の講演が聞けるようになっていて、なまで耳にするとじつにいいのである。
創価学会の宮本輝が出世して自分が誕生したころの池田先生はいい。
なにがいいかと言ったら、本当のことを語っているからである。
「きちがい」とか「貧乏人」とか、いまでは消されてしまう本当の言葉がたくさん出てくる。
だれがどう考えたってきちがいはいやだろう? 病気よりも健康がいい。
貧乏人はどんなに清貧ぶっても魔が顔に現われる。金はあったほうがいい。
本当のことはいい。
山田太一の旧作ドラマ「想い出づくり」(1983年)は
「非処女は中古」とえんえんと全面でリピートしている本音が怖く、しかし素晴らしい。
在日ロッテの工場に勤務する非正規処女を、
あたかも池田先生を思わせるような
田舎もんの食堂経営をしているプチ成功者(加藤健一)がものにする話だった。
よかった。あんなにいいドラマは知らない。
創価学会はたしかにインチキだが、しかるがゆえに本当のことを言っていた組織だった。
かつて宮本輝は障害児が生まれるのは前世の仏罰だと書いた。
自殺をしたら地獄に堕ちると書いた。
「錦繍」――いちばん嫌いで、しかし大好きな小説であります。
きたなさ、あくどさがいいという、この感覚、わかっていただけませんか?
創価学会は真っ黒だが、いまやそんな地獄はなく、天国そこにあり。これ霊山浄土なり。
匿名の学会批判者はご本尊をカラーコピーと言うが、そこが内部の弱点。
外部の世間から見たら日蓮正宗なんかより学会のマンダラのほうがよほど本物である。
創価学会批判をしているブログはいくつもあるがぜんぶ匿名なのだ。
それをどうして実名で書けないのか? 実名で書けよ。良識者ぶってんじゃねえ。
実名だったら田原総一朗のように学会擁護をするのが常識だろう?
あんな金と権力を持っている組織はない。
匿名の超有名創価批判ブログが「創価学会は仏教ではない」
と繰り返すが匿名で言っているのに対して非常に腹が立つ。
なぜなら創価学会はどう考えても本物の仏教だからである。
シャカというインドの金持のぼんぼんが変なことを言いだした。
彼は仏教徒ではなくバラモン教の世界に生きていた。
おなじような嘘つき見栄っ張りインド人がシャカは金になると思いついた。
インドに行ったらインド人のたまらないきたなさがお腹いっぱいわかる。仏教はきたない。
シャカの弟子(上座部のやつら)を否定したのが小乗仏教で、
それをも「小乗」ときたないけがれた心で軽蔑したのが大乗仏教。
最後は密教になってインドに吸収された。
日本にはなぜか密教と差別大好きな大乗仏教(天台宗)が受け入れられた。
いちばんの仏教革命者は南無阿弥陀仏の法然で、彼はえらいことをやらかした。
それを批判したのが南無妙法蓮華経の日蓮で、
その先だれも多数派から支持される仏教は出てきていない。
たしかにわたしは踊り念仏の一遍が好きだが、
あれを多数派に認めてもらうにはかなりの工夫が必要だろう。
仏教がパイセン批判を繰り返してきたという文脈でとらえるならば、
創価学会こそ本物の仏教である。
煩悩を消せと説いたインドのおシャカの正反対に到着しているのもいい。
仏教の最高進化形態が創価学会ではないかと思う。
パイセンやフルカブをぶっつぶせと言いながら、
どこかおシャカに依存している古臭さ抹香臭さも由緒正しき仏教である。
わたしほど創価学会を愛している非学会員はいないと思う。
軍歌めいた学会歌はほぼほぼ抑えているし、威風堂々は歌詞を記憶している。
ネイティブな学会壮年がじつは学会歌が嫌いと言っていたのとは対照的だ。
「今日も元気で」は女子部の歌曲らしい。
創価学会にはルネサンスなんたらという音楽隊があり、YouTubeで視聴可能。
見ちゃいけないものを見てしまった感があり、すばらしい。
自分の深奥に存在する恥ずかしいものをまざまざと創価学会は見せてくれる。
恥ずかしいものを見ちゃったという原色の輝きが創価学会はパネエのである。
いま創価学会妄想が盛り上がっている。
女子部のきれいな子に人格を破壊されたい。
そうじゃないでしょう。御書にはそう書かれていないでしょう。
池田先生はそうは言っていない。
いまどき仏教なんて生まれたときからMCされている創価女子、かわゆす。
破邪顕正されたし。
学会員って本当にあたまがおかしいよね。
脱会したのに休日に友人と会ってするのは仏法の話って、
どこまで狂っているのか頼もしい。
仏法の話がしたい。池田先生のことを聞かせてください。
大聖人女子、ぼくをいじめて。
交際中の若人が異性に申し訳なさそうに学会員であることをバラすところはいい。
ごめんなさい、うちは創価学会で、と言うところはまさにまさに現代の「破戒」。
恥ずかしい創価学会員でごめんなさい。創価のくせに隠していてごめんね。うち創価なの。
テレビでは絶対に放送できないアンタッチャブルな光景である。
「ごめん、おれ、創価なんだ」「あたし家……学会」
履歴書に創価大学とか書かれていたら狂信者、つらたん。創価、つらたん。学会、つらたん。
ブックオフオンラインから方言の本を勉強のために複数冊購入。
悪いことを書くと、東京語標準弁では生き生きとした差別ができへん。
西のほうのなまった言葉やないと差別語が生きん。
西のほうの言葉って陰湿でいやらしくてええのう。常勝関西、差別関西、部落関西。
英語がからきしでけへん英文科卒の宮本輝の神戸言葉は薫り高い。くっさいのお。
思いっきり偏見だが、西のほうの人の言葉はがさつで怖い。
「おおきに」とか粗雑感がたまらない。
創価学会末端では英語を中学教科書から勉強するのが流行っているが、
わたしは西のねっとりとした言葉を身につけたいと思っている。
総体革命が終了していまの創価学会は日本最強の権力マネー組織である。
しかし、弱点があって、それはC1の池田博正氏とC3の池田尊弘氏だ。
おそらく本部も警戒しているだろうが、学会シンパのわたしも不安でならない。
学会最強は婦人部だが、彼女たちはとにかく女性スキャンダルを嫌う。
いまそれをやれるのは顕正会だけだろうが、狙うならC1かC3だろう。
女性ふたりと男性ひとりがいたら、いくらでも痴漢がらみの事件は創造できるのだ。
創価が日顕に対してやったようなことを(シアトル事件)、
大宮の顕正会が学会にやるのではないかと心配している。
いまの日本では女性の権力がいちばん高まっているので、
C1やC3のそこを突いたら創価学会は割れる。
内部の壮年幹部、男子幹部にもかならずや
池田家をこころよく思っていない正義の志士がいるはずである。
まあ、われらの永遠の師匠、池田先生への忠義を裏切った仏敵、獅子身中の虫である。
5代目会長の秋谷栄之助氏の弟子筋が要注意だ。

大宮のテロ組織の顕正会がなにかできるとしたら、創価学会を分裂させることしかない。
創価が分裂したらわが国も少しは変わるし、
それは老人ばかりの現代日本既存権力からしたらもっとも困ることだ。
顕正会には老いぼれ団体の創価学会とは異なり若い人が大勢いる。
C1、C3をハニートラップで追い落とせば顕正会も奇跡の勢力拡大が見込める。
在家組織の創価学会がどうやって宗教法人格を取ったのかといえば、
2代目会長の戸田城聖が日蓮正宗の僧侶に女を送り込んでメロメロにさせ、
その弱みをつけ込んで脅迫したのである(具体的には妊娠騒動糾弾)。
総体革命後の日本で創価学会に逆らえるのは顕正会だけではないか。
むろんのこと、警察権力は創価公明にくわえこまれているから信濃町は大丈夫だろう。
総体革命が終了しているからマスコミも報道できまい。
だが、そこにも顕正会がハニートラップを仕掛けたらどうなるか?
創価学会には権力と金がうなるほどあるが、顕正会にはなにもない。
それでも若さがあるではないか。青年のパワーがある。
C1やC3の女性スキャンダルや性犯罪が報道されたら創価学会は割れる。
そこがもはや総体革命が終了して怖いものなしの常勝団体の弱点だ。

釈迦のどこが強いかといったら大富豪のボンボンだったところだ。
一国の王子で、美女も美食も味わい尽くしていた。
釈迦は美女にも美食にも地位にも勲章にも愛想を尽かして出家したのである。
釈迦は金にも地位にも女にもなびかなかったから強かった。
女嫌いで金にもポストにも勲章にも興味がなくなったやつがもっとも強い。
さらに生命への執着さえなくなっていたら、これほど怖い人はいない。
世間体や評判を気にしない女嫌いの自殺志願者がいたら、彼は釈尊である。
わたしは創価学会が大好きなのでお願いがございまして、
むろんいまでも警護をつけているだろうが、
さらにC1博正氏とC3尊弘氏へのSPをぜひぜひ増やしていただきたい。
かつて男子部長だった弓谷照彦氏はハニートラップに落とされたという極秘情報がある。
当時飛ぶ鳥を落とす勢いだった最高幹部の弓谷照彦が、
どうして凋落したのか不思議ではないか。なぜマスコミ報道を揉み消せなかったのか。
どうでもいいわたしの話をすると、こちらはお金と女性が大好きで、
地位や勲章がほしくてたまらず、自殺なんて人生で一度も考えたことがない。うふっ♪
人はたとえばカルト宗教なんかを
「正しい」から信じているわけではないような気がする。
信じ「たい」から信じているのではないか。
しかし、本人は対象が「正しい」から信じていると思っている。
だから、いくら周囲がそれは「正しい」わけではないことを伝えても、
本人は信じ「たい」わけだから、それは無意味で逆効果にもなりうる。
美女に騙される男が多いのは彼女を信じ「たい」からでしょう?
美男に騙される女がいるのは男を信じ「たい」からとは思いませんか?
いくら相手がダメなことを教えても意味がないのだと思う。
冷笑的に批判しているわけではなく、信じられるものがある人は幸いだ。
騙されても騙されてもある男から離れられない女は、
大勢が知らぬ本当の幸い(愛?)を知っているのかもしれない。
なぜならどこまでも自分の欲求(信じたい!)に忠実だからである。
みな自分の欲求を信じているのかもしれない。
自分をどこまでも信じられる人はやはり幸いである。
自分とは突き詰めれば欲求、欲望のことである。
たとえばある組織の人たちが口をそろえたように
「これからは多様性の時代です」と言う。
だれもかれも「多様性は個性です」とか大らかに笑顔で金太郎飴みたいに。
そこにだれかが「私は多様性を認めない」と言ったとする。
彼は大勢からおなじように批判されるだろう。均一的に非難される。

わたしは白人が嫌いだから人種の均一的な多様性なんか認めない。
え? え? え? あれ?
こんまんき(キンマンコ)さんの創価批判ブログは本当に読み物としておもしろかった。
作者はもはや創価批判がライフワークになっているのではないか?
創価学会がつぶれちゃったら逆にこんまんき(キンマンコ)さんが困ってしまうという。
わたしは宮本輝経由で創価学会や池田大作さんに興味を持ったくちだが、
あの人たち、おもしろいよねえ。
ブログで読んでおもしろかったのは、池田さんの底意地の悪さ。
幹部が必死で原稿を考えた講演をやっているとき、
まさに佳境に入ろうとするそのタイミングで池田先生がのっそり現われ、
「こんなつまんないもん、やめやめ」と言って、なにをしたか。
いきなり下手くそな童謡を歌いだし幹部にタコ踊りをさせたというのではないか。
それを観客として見ていたら、これほど笑えるものはなかったと思われる。
高学歴のエリート幹部が難しい仏法指導をしているときに、
池田さんが「やめやめ」と登場して、いままで威張っていた幹部にタコ踊りをさせる。
池田さんというのは恐ろしい人だったというのがよくわかるエピソードである。
側近にはこんな怖い師匠はいなかっただろうし、いっぽうで末端会員は、
こんなに信頼できる師匠には永遠に付き従いたいと思ったことだろう。
池田大作さんは「そこまでやるか」という裏のエピソードがいくつもあり、
わたしは名誉会長のそういうあまりに人間くさい俗臭ぷんぷんたるところが好きだ。
またさ、池田先生の影響で側近も学会員も人間味が非常に濃い。
造反した元部下の池田暴露本がどれもなんとおもしろいことか。
基本的に池田も造反部下も、人の悪口がうまいのである。
これは日蓮大聖人の特徴でもある。日蓮の才能のひとつは悪口の達者なところだ。

こんまんき(キンマンコ)さんの名作ブログ「創価学会はカルトです」から紹介したい。
創価学会にはかつて「広宣部」という秘密組織があったそうである。
敵対する日蓮正宗への攻撃チームである。
やられるまえにやれ。やられなくてもやれ。先にやれ。やったら少なくともやられない。
で、創価学会の秘密謀略組織「広宣部」の考えたのが「勇気のエンジン大作戦」。
いまから30年近くまえでもこのネーミングは恥ずかしい。
で、もっと恥ずかしいことに「勇気のエンジン大作戦」の資料が流出して、
暴露本(野田峯雄「わが池田大作バッシング」)に掲載されてしまったという。
その内容は3日3晩笑いが止まらなくなる危険性さえある。以下、閲覧注意。
ブログ「創価学会はカルトです」に敬意を表しながら孫引きさせていただきます。
大阪創価学会の善男善女は以下のようなチーム編成を取った。

①FOCUSチーム=僧侶やその妻たちをつけまわすネタ取材班。
②特攻野郎Sチーム=男子部の特殊潜行活動班、別名「鉄砲玉」。
③ワイフ・キャッチャー・チーム=婦人部の追っかけイヤガラセ班。
④四条金吾チーム=壮年部の特別抗議行動班、別名「893(やくざ)部隊」。
⑤十羅刹女チーム=婦人部の電話抗議行動班、別名「極道の妻たち」。
⑥パトリオットミサイルチーム=寺からくる郵便物の回収作業班。
⑦ナポレオン・グループ=不可能を可能にする唱題会。別名「わら人形グループ」
(わら人形を五寸釘で打ち付ける呪い)。

http://konmanki.blogspot.com/2017/04/blog-post.html



この秘密チームの指揮官は「ビクトリー責任者」という役職名だったという。
永遠の師匠と永遠の弟子たちを敵に回したら、これほど怖いことはない。
「創価学会はカルトです」のこんまんき(キンマンコ)さんは、
創価学会に名前とかばれていないのだろうか?
創価学会には絶対にネット対策部があり、
今日も今日で「WEB2019 勇気のエンジン大作戦」を練っているかもしれないのである。
なにをされるかわからないぞ。
ちなみに、わたしはかつて信濃町の本部に行き、
心優しき同志たちと一緒に勤行や唱題をした「創価学会の味方」です。
昨日紹介した優良ブログは「創価学会はカルトです」
ありがたく全記事拝読させていただいた。
この人、いったいどんなひどい人道無視の折伏(勧誘)や
嫌がらせを学会員にされたのかと思うとぞっとする。それを聞いてみたいくらい。
福運があるのか、わたしは学会員から強引な折伏を受けたことがない。
そもそも学会員は(恥ずかしいからか?)カミングアウトしない人が多いので、
だれがそうなのかわからないのだが、それっぽい人から親切にされたことは多い。
これが「創価学会はカルトです」の作者、
敬愛するおなじ創価ウォッチャーのこんまんき(キンマンコ)さんと
当方の境涯の差なのかどうかはわからない。
正法か邪法か争うというのは、おなじレベルというか、
悪い言葉だが「おなじ穴のむじな」という見方もできるのではないか?
しょせん善悪、正邪、損得、美醜という二相(相対)で争っているわけで、
そこを超えたところにある不二(絶対)に至っていない。
べつに不二に至るのがそう偉いというわけでもないのだろうが。
折伏する人はあんがい相手を見て突撃している可能性もある。
わたしくらいの使えないゴミレベルになると折伏さえ来ないし、
入りたいとお願いしても断られたり、遠くまで来いとか無理難題をいわれる。
えっへん、どうだ♪

「創価学会はカルトです」のこんまんき(キンマンコ)さんは、
創価がカルトだインチキだと正義の告発をしている。
たしかに創価はカルトでインチキだと思うが、
しかしインチキではない宗教なんてあるのだろうか?
キリスト教も浄土真宗も、真言宗、禅宗、みなみなインチキではないか?
宗教とはそもそもインチキなもので、
人は本当のことではなくインチキに救われると考えたらどうだろう?
本当の現実は厳しすぎるから、人びとはインチキになかばそうと知りながらすがる。
「それは転重軽受よ」「願兼於業よ」「大丈夫、みんな人間革命してるわ」
「この信心は本物よ」「絶対幸福になる宗教なの」「だから、今日も元気で」
たとえインチキだとしても、こう励ましてもらえたら嬉しい人もなかにはいるのである。
創価学会はインチキ性(毒性)が極めて強いが、そのぶん効き目もあると思う。
もっともインチキくさいのがもっとも本当の宗教だという逆説が存在する。
浄土真宗もあからさまにインチキで、しかし生意気にも格式ぶっている。
だが、おい、真宗の坊主に人を救えるかって話だ。
仏教大学を出て、お寺で掃除して偉くなった澄ました坊主になにができるか!
生き身で這いずり回る人の苦しみや嘆き、絶望が葬式坊主にわかるもんかよ。
お金に困ったこともない家柄のいい仏教大学の教授兼僧侶に、
「それは空(くう)でねえ」と説明されても腹の足しにもならない。
庶民が1週間お金を払って座禅なんか組んだって悟れると思うかい?
真言宗の坊主に祈祷をしてもらうって、いくらかかるか知っているのかどうか?

そんなときに人間の底意地の悪さをどこまでも味わい、
それにめげずに逆に仕返しして生き抜いてきたような池田大作さんが現われ、
「それいけー! 引っ込むなー! 勝つまでやれー!」
と大声で言ってくれたらどれだけ多くの人の励ましになるか。
実際にそうなったから創価学会は短い期間で急成長したのである。
御書なんか読んだってメシは食えねえ。
朝は唱題3回で、山盛りのメシを平らげ、それいけー! 負けるなー! 行くぞー!
そういう創価学会のようなカルトでインチキな宗教が大勢の人を救うのである。
現実として、伝統仏教はカルト性がないぶん、まったく在家を救っていないわけだ。
葬式や法事のときだけスクーターでやって来て高い金を取りよる。
ふざけた話で「お足代」まで請求するわけだ。
日蓮正宗の坊主連中と喧嘩してコテンパにやっつけた池田創価学会は偉いとさえ思う。
カルトの特徴は唯一正義という自負と、それを基にした行動性にあろう。
考えるなー。悩むなー。先生は正しい! 折伏だー。選挙だー。勝て勝て勝て。
先生は言った。二兎ではなく、三兎、四兎、五兎を捕まえるのが日蓮大聖人の仏法だ。
御書にそんなことは書いていなくても、そういうふうに庶民の王者の先生から
発破をかけられたいのがある種の庶民というものなのである。
まとめると以下のようになる。

1.たしかに創価学会はカルトでインチキである。
2.しかしどの宗教もインチキである。
3.伝統仏教はカルト性(毒性・迷惑性)がないぶん人を救済できない。
4.強引な折伏や退会者への嫌がらせは怖い。
いま「お経がわかる本」(藤井正雄/双葉社)に
掲載されている円頓章(えんどんしょう)というお経が気になっている。
天台宗のお経だが、日蓮宗、創価学会の人も詳しいところではないかと思う。
「お経がわかる本」はいいかげんで円頓章のなかにひとつ誤植があった。
これはネットで調べたところのどこも違っていたから双葉社のミスだろう。
そこはいいのだが、わからないのは円頓章の最後のところ。
学会員さんが好きそうな一念三千の箇所がネットでもふたつに分かれている。

1.当知身土。一念三千。故成道時。称此本理。一身一念。遍於法界。
2.当知身上。一念三千。故成道時。称此本理。一身一念。遍於法界。


違いは「当知身土」か「当知身上」か。
「天台寺門宗」 「福聚講」は「当知身上」としている。

多数決で決めるかと
「一念三千。故成道時。称此本理。一身一念。遍於法界。」で検索する。
すると、いちばん最初に出て来たのがやっぱり創価学会で「当知身土」を取っている。
3ページくらい検索しても、ぜんぶ「当知身土」だから、こちらでいいのか?
なら、どうして「天台寺門宗」「福聚講」は「当知身上」なのだろう。
「天台寺門宗」の説明がいちばんわかりやすかった。
双葉社の本には書き下し文がついていないから助かった。

経典コレクターでお経アンソロジーのようなものをたくさん所有しているが(既読)、
円頓章は「お経がわかる本」(藤井正雄/双葉社)にしか掲載されていない。
「日蓮宗のお経」(双葉社)にも「お経 日蓮宗」(講談社)にも載っていなかった。
かなりマイナーなお経なのかもしれない。
いえね、最近ふと円頓章はけっこういいんじゃないかと。
わたしは法華経の諸法実相、十如是を説いた方便品のあそこが好きなのでさ。
内容がかぶっているじゃないですか。
ともあれ、いまはネットでかなり勉強ができるのでいい時代になった。
いまはまともな閲覧に堪えるおもしろいブログが減ったが、
ひさびさに「これは降参!」というところを発見した。それは――。

「創価学会はカルトです」
http://konmanki.blogspot.com/


中の人は男なのはわかるが、いったいどのくらいの年齢なのだろう?
創価学会研究家、創価マニアのわたしが負けたと思うくらい作者はよく勉強しておられる。
おなじ創価暴露本を読んでいることも多く、この人わかっているなあ、と拍手したくなる。
そこから先がどうして分かれてしまうのだろう。
わたしは創価学会のカルトでキッチュ、インチキそのままのところ、
池田センセイと弟子筋の黒光りするユーモアに胸のときめきを抑えられないが、
偉大なる彼はそこに嫌悪感を覚えるようだ。
すばらしいブログなので敬意を込めて引用させていただくが、
池田センセイの以下のような当意即妙なスピーチは最高である。
ぜひなまで耳にしたかったと生まれて来た時代の不幸を呪う。


「とくに、とくに、えー、女子部。バンザイ!(笑い) バンザイさせていただきます(拍手と笑い)。SGI(創価学会インターナショナル)、そしてとくに女子部。大好きな女子部(笑い)。バンザイ! バンザイ! バンザイ!」
 九一年十月二十七日。池田大作は全国青年部会に出席し、何度もバンザイを叫んだ。おびただしい拍手と笑いとバンザイの唱和に包まれた。
 彼はこう続けた。
「情けない。日本人ちゅうのは。ま、お金儲けはうまいけども。哲学がないんです。思想が、浅い。みえっぱりで、何の自分自身ももたない。これで、カナダ人のほうがよっぽどいい。だからもう、海外の、日本人くるとやんなっちゃうもんね。すぐに悪口いって、スッパヤネ(意味不明)、批判して、これは日本人だ。日本人がいるところ、事故起きんの。いないところは、ガッーチリとね、深まっていく。そいで、いまから約六百年前、十四世紀に始まるルネッサンスの時代。こういうふうに話はいかなくちゃなんない。……そいで、いまから六百年前、六百円じゃないよ。ライスカレー。帰り食べよ。……諸君もいいことば使ってね。あのー、ビデオ撮ってんのは、うまいけどさ、しゃべんのが下手じゃダメだよ。ね。だから、目先のことは、こらー、出てけっ。何だ、そんなちっちゃいこと。人間がつく、リラッタ(意味不明)ことだよって、魂てことは消せないよ。信心は消せませんよ。大聖人は消せませんよ。どうですか(ハイッ) ……宇宙は大きいですよ。そんなちっぽけな考え方はもう目もくれないでいきなさいよ(ハイッ)」
 これは、当日のスピーチを正確に再現した記録からの抜粋である。
池田大作は終始、大きな拍手と笑いに包まれていた。
 (野田峯雄著『増補新版 池田大作 金脈の研究』より引用)

http://konmanki.blogspot.com/2018/02/blog-post_18.html



こんな滅茶苦茶なスピーチをなまで聞いたら、
絶対池田センセイを好きになってしまうだろう。
これは文章で読むとくだらないが、その場で聞いたら、
一遍の踊り念仏レベルの昂揚感があるのではないか?
もし引用が失礼ならばおっしゃってくだされば、この記事を丸ごと削除します。
「創価学会はカルトです」――中の人はだれなんだろう?
相当な実力者とお見受けした。
この勢いだと全記事読んでしまうかもしれない。
作者の真似をして、わたしの創価本ナンバー1を発表すると――。

「池田大作「権力者」の構造」(溝口敦/講談社+α文庫)

創価学会はたしかにカルト的だが、そこに嫌悪感を抱くものと、
うっとりときめいてしまうわたしのような愚人に分かれるのだろう。
かのブログと比較すると勉強不足が恥ずかしいが、
「本の山」の創価記事を恥ずかしながら最後に並べてみたい。
逆の立場ではありますが、お互い研鑽に励みましょうと届くかわからぬエールを送ります。

「カテゴリー創価学会」
http://yondance.blog25.fc2.com/blog-category-49.html
信濃町の博文堂書店で田原総一朗の「創価学会」が平積みになっており、
えらく売れているようで、ちらりと見てみたら、
気持が悪くなるほど学会を礼賛していて、ついに田原も落としたか、
よくやった、大勝利だな創価学会とシンパとしては嬉しく思ったら、
あれには裏があり、田原の娘のテレ朝Pの田原敦子さんが学会員らしい。
敦子さんがテレビ局に入れたのもお父さまのゴニョゴニョだろうし、
裏では利権の細かな網が覆いめぐらされているのではないかと、
そういう華々しい世界とは縁がないためゲスの勘繰りをしてみたくなる。
学会員が差別されるのは、
学会員が他宗や外部を差別しているから仕方がないとも言える。
そういえば学会員のおっさんが浄土真宗の地域は自殺率が高いとか、
まことしやかな顔をしておっしゃっていたものである。
いま学会に入ってもどうせ末端でこき使われるだけだろうし、
田原総一朗、佐藤優、柳美里みたいなシンパ位置がいちばんおいしいのだろう。
むかし人気作家の小谷野敦さんが、歴史を勉強するのは積み重ねが効くから、
若者を威圧するためのおっさんの勉強としてよろしいというようなことを書いていた。
おなじことは仏教にも言えるのではないか。
最近、唐木順三「無常」、柳宗悦「南無阿弥陀仏」と続けて読んだ。
どちらもよかったが、とくに柳宗悦の本は世評通りに名著であった。
しかし、あれは前提として最低限、
法然、親鸞、一遍、浄土三部経くらいを読んでいないとわからない。
仏教を勉強するとなにがいいのかと言うと、
自分を超える大きなものを信じられるようになるところか。
わかりやすく言えば、安心を得られる。

創価学会の聖地と言えば信濃町だが、かの地の博文堂書店はおもしろい。
先日行ったら、だれかの悪戯か平積みされた角川ソフィア文庫の「法華経」の横に、
おなじ文庫の「浄土三部経」がポツンと置かれていた。
近年、めっきり本屋に行かなくなったので、こんなものが出ているとは知らなかった。
図書カードが余っていたので、
いつも創価情報を教えていただいている博文堂書店で「浄土三部経」を購入。
いろいろな訳で読んでいるが、久しぶりに文庫で再読するのも悪くないだろう。

信濃町の博文堂書店に行くと、だれが創価学会かわかる仕組みになっている。
なぜなら創価学会コーナーがあるからだ。
脳学者を自称している中野信子が生粋の学会員だなんてこともすぐわかる。
学会員の本は学会員が買ってくれるから売れる。
宮本輝なんかも初期はだいぶ助けられたのではないか。
わたしは創価学会に偏見がなく、
いまでも婦人部さんからもらった小さな勤行要典片手に朝に法華経を読む。
そのあとは学会数珠を手にして南無妙法蓮華経を1分くらい唱える。
昼を過ぎると念仏モードに変わるのだが、それは仕方がないだろう。
わたしは南無阿弥陀仏も南無妙法蓮華経も同時に唱えられる。
それが当方の行き着いた信心だが、こういう姿勢もあっていいだろう。
どのように矛盾を抱えているかがその人の個性だと河合隼雄は言っている。
タイトルからして心配はないだろうが、
柳宗悦は名著「南無阿弥陀仏」で日蓮をバカにしていたから
学会員は読まないほうがいいと思う。

今日から1週間また酒を断ってお経の世界に耽溺しようかと思う。
山頭火をいま読み直したらどうかという興味はある。
先日「本の山」の過去記事「アジア漫遊記」をお読みくださった方がいたようだ。
あれはおもしろいでしょう。
自分でも読み返してみたらぜんぜん覚えておらず、書き残しておいてよかったと思う。
白人と荒っぽい喧嘩をしていて、むかしは若かったなあ、と自分にあきれた。
それからベトナムはひどい国だったことを思い出した。
おっさんになると過去を美化してしまうので困る。
長安(西安)のあらゆる仏教聖地に行っていたのには自分でも驚いた。
浄土教発祥の地にも(法華経を漢訳した)鳩摩羅什の寺にも行っていた。
あのころはまさか自分がこうまで仏教に深入りするとは思っていなかった。
在日コリアンの某俳優が性暴力、性犯罪をなしたようで評判になっている。
その俳優はむかしNHKの山田太一ドラマで見たことがあり、
本当にちょっとしか出て来なかったのだが、なんとうまい演技をするのかと驚いた。
在日差別というのがわからない。
かといって、在日優遇がわかるわけでもない。
数年まえ、あぶく銭で1週間ほど韓国旅行に行ったが、ブログにはなにも書いていない。
なぜならどこまでもつまらなかったからだ。
韓国は日本とほとんど変わらず異国に行った気がしない。
世界遺産の仏国寺に行き仏教聖地巡礼を終了するつもりだったのだが、
そこにはソウルから楽勝で日帰りで行けてしまい(韓国新幹線による)、
チケットの手配もすべて宿の主人が親切にもスマホでしてくれたので、
まったく記憶に残っていない。韓国は退屈だが嫌いではない。
韓国人は概してわたしに親切だったし、一度も差別のようなものを感じたことがない。
反日感情もこちらが鈍感なせいかもしれぬが、さらさらゆめゆめ見いだせなかった。
ただ韓国観光地の物価は東京よりも高いし、メシもうまくはなかった。
また行きたいかと聞かれたら、現地に知り合いができたらと言うしかない。

3、4年まえには知的障害者差別がわからなかった。
しかし、アルバイトで入った職場に知的障害者の青年が3人もいて、
彼らといっしょに働くうちに、これは我慢ならんと思った。
そこの創価系知的障害者男性だけかもしれないが、
やつらは自分たちが人権的に偉いことを知的障害があるにもかかわらず知っており、
意地悪で姑息で馬鹿で天使どころか悪魔であった。
低学歴はおのれを恥じているが知的障害者は自分たちを尊大にも誇っている。
上司も創価で、健常者はクズだが、
障害者は磨けば光るというおかしな人間観を持っていた。
雄大という名の知的障害者が、健常者ぶってひどく偉ぶっていた。
勤務終了日に「雄大くんは知的障害者でしょう?」
と問い詰めたら泣きそうな顔をしていた。
なにも知らない子どもなのだろう。
いまは男性知的障害者に対して、差別感情があるのかはわからぬが関わりあいたくない。
女性にはお世話になっているので女性差別はしない。たぶん創価差別もしていないはず。
関東に生まれ育つと部落差別なぞ知る機会もないので、そっち方面も純潔である。
しかし今後、在日創価同和にいやがらせをされたら意見は十分に変わりうる。
だから、わたしは在日差別や部落差別をしている人の気持もわからなくはない。
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敬愛する精神科医の春日武彦先生の大嫌いなのが自由律俳句の山頭火である。
いまでは国語便覧にも載っており、文豪めいたところがないでもない。
山頭火の句に「鉄鉢の中へも霰」というものがある。いわゆる境涯句であろう。
山頭火の人生遍歴を知っていないとよくわからない。
山頭火は資本家の家(酒造家)に生まれたが、母の自殺をきっかけに運勢が下降する。
早稲田大学に入ったまではいいが、家業は倒産してさんざんな目に遭った。
いまでいう不安神経症ではないか?
周囲から結婚させたらまともになるのではないかと無理やりくっつけられたが、
妻子ができても山頭火の文学趣味、酒精中毒はどうにもならず、
生活者としてはもうどうにもこうにもしようがなくなった。
そこで鉄道への自殺未遂をきっかけに禅寺に入り、
当時の田舎では大学出というのはかなり威光があり住職のようなかたちにおさまった。
しかし、山頭火はそれもよしとせず、僧形で日本各地を放浪したのである。
金はどうするのかというと布施を頼むのである。乞食をする。
いまでいう押し売りセールスみたいなもんだ。
家の門の前に立ち僧形で般若心経や観音経を唱え、お礼として金や米をもらう。
その入れ物になったのが「鉄鉢の中へも霰」の鉄鉢(てっぱつ)である。

あるとき山頭火は行乞(ぎょうこつ/乞食活動)していた。凍えるような寒さである。
天から白いものが降って来る。淡雪か氷雨かと思ったら霰(あられ)であった。
「鉄鉢の中へも霰」――。
なにを常識を言っているのだろうとみんな思うだろうし、
わたしもこれを名句だとは思わないが、
山頭火が彼だけの「自分の真実」を発見したというその感激はわからなくもない。
みなさんにも「鉄鉢の中へも霰」のような発見はかならずやあると思う。
なんでもない光景に自分だけにしか通用しないかもしれぬ真実を発見することである。
海外旅行先でもなんでもない日常風景の中に「鉄鉢の中へも霰」は突如立ち現われる。
わたしは名無しの派遣のひとりとなり大勢と単純作業をしているときに、
おのれの「鉄鉢の中へも霰」を発見することが多い。
冒頭にあげた精神科医の春日武彦先生は、
ある意味「鉄鉢の中へも霰」を発見するのが非常にうまく、
休日の公園で警備員たちが見習い講習をしているのを見ただけで、
缶ビールを飲んだ軽い酩酊感も手伝い、
世界の裂け目のような「鉄鉢の中へも霰」を発見することがあるという
(以上、春日武彦「幸福論」講談社現代新書による)。
博識ぶって難解な仏教用語を使うと、
「鉄鉢の中へも霰」は眼横鼻直であり自然法爾であり諸法実相である。