昨日水曜日の段階では明日の金曜日の仕事は確定だと言われた。
今日木曜日の午後2時に電話あり。
相手は派遣会社の男性で名乗らず「すみません」から入った。
ああ、明日もキャンセルなのね、と理解する。
わたしは人がよすぎるのかもしれないが、相手の気持を考えてしまう。
昨日さんざん不満を言ったわたしにキャンセルの電話をするのはいやだろう。
おそらくだれが電話をするのか相当もめた結果が午後2時の電話ではないか。
いきなり午後2時に明日の予定をキャンセルされた不満を理解できない人はいますか?
聞いたら、DNP(大日本印刷)が明日は女性しかいらないとオーダーを変えたらしい。
男性は全員キャンセルだとか。
理由はシール貼りや検品は女性がするものだから。
まあ、裏を見通せば、
男にそんな楽な作業をさせてはいけないという企業文化があるのだろう。
おなじ時給千円をもらうのでも女はシール貼りでよく、
男はえんえんと重いものを積んで、早く作業をしたら早く帰される。
「いくらお仕事でもこんなキャンセルの電話をするのはおいやだったでしょう」
そうわたしは派遣会社の社員さんをねぎらい、
社会ってそんなものかとまたひとつ勉強した。
DNP(大日本印刷)の下っ端は女が強いから
女性利権を守ろうとする気持はわからなくもない。
男性差別はいくらしてもいい。
いまは自分もふくめてみながみな監視カメラのようになり人生を窮屈にしている。
監視カメラが多すぎて死角のようなものがない。
ヘタを打ったらネットになにもかもすべて公開されかねない。
しかも、監視カメラというのは上方の幹部さましか設置場所がわからない。
ある職場に入り、監視カメラとその死角を教わるのは最低1ヶ月後だろう。
監視カメラは人間の行動を著しく規制する。
さも模範的社会人のような行動を取るように暗黙の裡に命令されているようなもんだ。
通常はそういう監視カメラの暴力を、みなさんの安全のために、とか、
みなさんの職務遂行の便宜をはかって、などと説明するのだが、
本音企業は「監視カメラ設置中」と大きな威圧的な貼り紙をこれ見よがしに出す。
監視カメラは音を拾えないから、そういう職場では言葉のパワハラが横行する。
公明党は監視カメラ(防犯カメラ)の全国設置を強く訴えているが、それはどうだか。
しかし、次の選挙でも公明党(創価学会)に一票入れるだろう。
かの日本的政治宗教団体は忖度の意味を知っていると思うがためである。
はじめて働いたのは大学生のときで、いまはなきコンビニエーエムピーエムの夜勤。
20年まえの話である。あれは楽しかったなあ。
オーナーがものすごい、いいかげんな人で、
接客マニュアルも、こんなもんどうでもいいからと。読まなくていいよと。
店長もおもしろい人で、元はホリプロのジャーマネをやっていたとか。
バイトは日大ばかりだった。
仲間で言われていたのは店長が高卒でやたらコンプレックスが強い。
一回だけ「きみは早稲田なんだから」と注意されたことがあったが、
考えてみれば1年以上バイトしていたのに、
それしか注意されていないというのは、すさまじいホワイトバイトである。
ノルマ強制どころか、廃棄食品はいくらでも好きなだけ持ち帰ってよかった。
その後数年はコンビニおにぎりやサンドイッチ、菓子パンを自腹で買う気がしなかった。
ツナはたしかに売れるのだが、日によっては大量に売れ残っていた。
朝は女子高生が大量に来店するのだが、
当時はその価値もわからず、バイト仲間とあそこの女子校はブスばかり、
などと、いまではとても言えないようなことを楽しくおしゃべりしていた。
エロ本を買ってくださるお客さんには、ティッシュを自己サービスしていた。

オーナーは月に何度かお顔を見せてくれるのだが、いつも酔っぱらっていて、
なぜかわたしはひいきにしてもらっていて、
差別ネタを赤ら顔のおっさんから繰り返し聞かされたが、まったく不快ではなかった。
雑誌ネタで公開できないことがある。日大生って悪い子がいるよね。
わたしはバイト代だけでも、
こんなにもらっていいのかわからなく、そんな不正はできなかった。
むかしはいい時代だった。
夜勤明けにバイト仲間と東京堂書店に、
本日発売の菅野美穂のヌード写真集を買いに行ったこともあった。
とてもなつかしい青春の思い出である。
30オーバーなのに、
おれは俳優になると吹かしていたバイト仲間をみんなであざ笑ったこともあった。
いまの自分は42歳のたぶんコンビニバイトも務まらないおっさんである。
そのコンビニはいまはもうない。いい時代がありました。
10年まえくらいのネット、ウェブはたしかにスーパーフリーであった。
しかし、いまはどうだか。
裏事情を知りたくて、どんな検索ワードで調べても、
グーグル先生はおなじお答えしか教えてくださらない。
むかしはシナリオ・センターで検索するとまず「本の山」がヒットしたが、
いまはうちのブログどころか批判的な記事はまったく上のほうには出て来ない。
おそらくグーグルのアルゴリズムが解明されたか、
あるいはだれかがそれでメシを食っているのだろう。
シナセンのみならず大企業だって批判的な裏話は、
検索順位の上のほうにはまったく表示されない。
自慢するが、むかしは検索ワード「山田太一」「宮本輝」でも10位以内に入っていた。
いまでは10倍の百を検索してもうちのブログには行き当たらない。
そもそもうちのブログに検索でいらしたのは、
アクセス解析によると今年になってからまだひとりもいない。
上に出てくるのはテンプレートの決まったおなじようなサイトばかり。
憤っているのではなく、むかしが異常だったのだろう。どこにも自由はない。
「もっと過激に、もっと自由を」と原一男教授は言っていたが、
男は他人の過激や自由は許さないと去年再会して勉強させていただいた。
セブンイレブンが好きだということは何度も書いたが、実は隠れた理由がある。
むかしセブンの物流関係の短期派遣仕事をしたことがある。夜勤。
数時間で仕事が終わり、することがなにもなくなってしまう。
勤務開始後1時間休憩室で待機で、
2時間ちょっとしたことをして仕事終了ということもあった。
あれはセブンイレブンと派遣会社のどちらが偉かったのかわからないが、
早帰りでもきちんと契約書通りに8時間ぶんの日給を保障してくれたのである。
仕事の先は読みにくいが、
見通しのズレを立場の弱い派遣に押しつけるようなことはなかった。
そんなことをしてもらったらセブンで買い物をしたくなるじゃないかという話である。
むろん、セブンには恵方巻やおでんの強制ノルマがあることは知っている。
思えば、人生で一度も恵方巻とやらを食べたことがない。
コンビニのおでんも汚そうで、そういえば買ったことがない。
まだまだ生きる楽しみのような未体験のことは残っているともいえよう。
働く理由のひとつはむろん金銭だが、広い世代の無料取材もある。
今日は16歳の通信高校に通う少年といっしょになったので、
どうにかしてこの子から報酬以上の報酬を得るか幾ばくかやっきになった。
いまのわたしは自分の偽円満人的、
河合隼雄のようなインチキ笑顔にけっこう自信があり、
このうさんくさい笑顔で話しかければ16歳の少年など、
楽勝に心をくぱぁ(自己開示)してくれると思ったが、そう甘くはなかった。
お願いして昼休憩で取材交歓理解しあおうと思ったのだが、
少年はすぐにスマホでゲーム。
自分の河合隼雄的な能力にかなりの自信を持っており、
ぼくにはみんな心をくぱぁ(自己開示)してくれるかと思っていたら、否否否。
16歳の通信高校生は、かつてファミレスのガストでバイトをしていたという。
すぐに辞めた。ガストのキッチンには3秒ルールがあると少年は言った。
一度落としても3秒以内なら、まだキッチン可能。
その条件は1分放置することだという。
落とした食物でも3秒以内に拾い上げ、1分以上経過したら、それは清潔。
それがガストのキッチンルールらしい。
さもありなんである。もう少し少年からは話を聞き出したかった。
自分の河合隼雄的才能がまだまだなのかもしれない。
派遣経験はかなり豊富なので、食品を扱うところではないのだが、
もしやと思い、
段ボールを床に置いてはいけないのかどうかを責任者女性に聞いたらビンゴ。
絶対に段ボールを床にじかに置かないでください。
しかし、古参とおぼしき非正規さんは平気で段ボールをじかに床に置いていた。
だれも注意できなかった。
古老男はおそらく還暦オーバーだろうに、
42歳のわたしでもいやがるような積荷をなさっていらした。
いい人だった。おなじ女性管理者から
事前準備のガムテープのつけかたがいけないとご指導いただいた。
前日に別の管理者のおばさんからこうしろと言われたのだが、
むろん派遣ソムリエのわたしは自己主張せず「はい、わかりました」と答える。

スポット派遣は単純作業だが、それでさえも能力差はさまざまである。
わたしは自分の単純作業能力にあまり自信を持っていないが、
今回の書籍梱包はなぜか結構うまかった。
こういうのは女性がうまそうだと思うが、
できないでおばさんから怒鳴られている若い女の子がいた。
派遣女性は「すみません」を繰り返していたが、
おばさんは「すみませんではなく、うまくやってください」と怒鳴る。
派遣ではよくあるみにくい世界だ。あれは見るとトラウマになる。
できない人を大声で怒鳴り相手を委縮させ、
もっとできなくするという派遣悪循環ワールド。
どうして自分がかの派遣女性のできなかった書籍梱包を、
ふつうかそれ以上にうまくできたのかはわからない。
今日はじめての16歳男子高校生もうまかった。
能力差というのは、いったいどうなっているのだろう。
派遣なんか一度経験して登録抹消したらそれで終わりなのだから、
まだ身体が動く春日武彦先生や小谷野敦先生にぜひご体験いただきたいものです。
わたしがいちからついていきます。小説のネタになるかもしれない。
恥ずかしいことを白状するとこんなことは数年に1回もない話なのだが、
昨日寝過ごしてしまい派遣仕事に遅れそうで非常にあせった。
どうにかして約束を守ろうとタクシーの使用さえ考えたが、
バスがうまくきて始業20分まえには現場に到着した。
かの派遣会社はそういうことに馴れているのか、さらさら慌てていなかった。
昨日の今日でいま考えると、約束はそこまで守るべきなのだろうか?
派遣会社は今月に入り二度も約束をキャンセルしている。
どちらもメールが来ているから証拠が存在する。
挙句が今日の昼になっての明日の約束のキャンセルである。これで三度目。
非常に不服ですと伝え、「そんなことをしてなんとも思いませんか?」と問うたが、
派遣会社の人はそれがこの業界だと思っているようだ。
約束なんていくら破ってもいいのが派遣の世界だ。

で、さっき18時まで勤務という約束が破られたわけだ。
問い合わせをしたら何人もの派遣会社の社員さんを電話でたらい回しされたが、
約束を守らないことを不可解に思うわたしを理解できないようだし、
金儲けの仕事とはそういうものだろうが罪悪感もまったくないようだ。
たとえば「明日はキャンセルです」といえば約束なんかいくら破ってもいい。
いったい約束を破る仕事を継続していると、どこまで精神が荒廃するのだろう。
金曜日も仕事の約束は入っているが、前日キャンセルもあるらしい。
もしかしてわたしが間違えていて、
約束というのは派遣会社のようにいくら破ってもいいのではないか。
昨日寝過ごしたときなんか、
「まあ、いっか」と「風邪を引きました」とでも約束を破ればよかったのかもしれない。
しかし、約束を守らないと、どんどん心が荒んでいくのではないか?
いや、それは性善説の甘い考えで、約束なんていくら破ってもいいのかもしれない。
この年齢になってもいくらでも学ぶことは世間にあふれている。
そちらは約束を何度も破るのに、こちらには約束を絶対順守しろというのはおかしいが、
それは世間知らずの言うことで、世の中はあるいはそういうものやもしれぬ。
来世は絶対に美少女に生まれ変わるのだが、男と女のいったいどちらが得か?
いまきんもいコメントしか来ないが、
男に生まれてよかったことなんてありますか、みなさま?
男に生まれてよかったことか。夜道で襲われないってことはあるだろう。
襲われるって怖すぎないか?
男は平気でインドやベトナムで人の目を気にせず酔っぱらえるのもいい。
人の目をあまり気にしないで済むというのはかなり男のプラスだろう。
女の世界って、聞くとすごいらしいね。
5人いてひとりが抜けると4人が抜けたひとりの悪口をおっぱじめる。
またひとりが席を立つと今度は残った3人が、
いま抜けたひとりの悪口を嬉しそうに話すらしい。
男でもそういう世界はあるのだが、たしかに女ほどひどくはないだろう。

ほかになにかあるかな、男のよさ。
なにかに夢中になれるというところも男に生まれた喜びだろう。
それは虚栄心の裏返しかもしれないのだが、それでも。
学者や作家、社長は比率としては男に多いだろう。
しかし、ある程度の社会的成功をおさめても男は女にみつぐことが多く、
最後に勝利するのは女のような気がしてならない。
おばさんが「男ならこのくらいしろ」というときの男性差別は鬼気迫るが、
あれは若い女性にはない傾向で、なにか女という動物の本性を見た思いがする。
わたしより10も20も上のおっさんが安い給料で重いものを持っているのを見ると、
本当に男はしんどいよなあ、と思う。
そんなことをしたってそのご年齢なら女にもてないだろうに、
どうしてそんながんばれるのだろう。
仏教は男の世界で女の有名人は瀬戸内寂聴くらいしかいないだろう。
あの人、いつ死ぬのかなあ。梅原猛が死んだから、
勢いで向こうに引っ張られる可能性もあるのではないかと踏んでいる。
明日の仕事もキャンセルだと派遣会社から昼休みに電話が入った。
前日のドタキャンはありえない。人の予定をなんと思っているのか?
まあ、予定なんかなくて、読みかけの本でも終わらせるつもりだが。
理由を聞いたら派遣先企業が男性はいらない、
女性のみ求むと前日にオーダーを変えたらしい。
実際おなじ派遣会社の女性に聞くと、
新たに明日入れないかという要望がたくさん来ているらしい。
どうしてみんな女性のご機嫌をうかがうのだろう?
どうして男ばかり苦しまなければならないのだろうか?

今日は昨日とおなじ作業をやったのだが、
コンビを組んだ16歳の男子高校生が若くて生きがよくて嬉しかった。
背はあまり高くないが中学時代陸上部だったらしく動きがいいのである。
妙に気が合ったこともあり、ふたりでヤバすぎるほどのスピードで作業してしまった。
女性と組んだ昨日の倍くらいのスピードが出ていたと思う。
となりの女子連中の2.5~3培のスピードは出ていたのではないか?
男が女よりも優秀な面があからさまにあるのだと嬉しくなり(体力勝負ではね)、
これ見よがしにふたりでよけいなほどスピードを上げてしまった。
社員かなんか知らんが、ヤベえという顔をしていた。

わたしのいまの派遣先はみなが知っている大企業だから、
まさかコンプライアンス違反の早帰りはやらないだろうと思っていた。
いま評判を恐れてコンプライアンス違反はなかなかできないだろう。
ところが、17時になったら帰ってくれと派遣先企業から指示される。
「帰りません。18時までの契約です。契約書があります」
生意気にもそう答えたら大企業さまのお答えは――。
「(派遣会社の)○○さんと話ができている。帰ってください」と命令された。
「契約書は18時までになっています」と反論しても、帰れの一点ばり。

わたしだって世間を知らないわけではないので、
こういうことが横行していることは知識としても体験としても知っていた。
しかし、これでいいのだろうか?
派遣会社に電話すると、「大丈夫です。帰ってください」とのこと。
「そうではなくて、契約書に18時までと書いてあるでしょう?」
「現場の指示にしたがっていいんです。よかったじゃないですか。早く終わって」
「お金はどうなるんですか? お金は18時まで出ますか?」
「お金は17時までしか出ません」
「でも契約書には18時までと書いてあるでしょう?」
「それは、その、この世界はそういうものなんです」
「それは知っていますが、契約書には18時までと書いています」
「契約書じゃないんです。現場の指示にしたがってください」

わたしも日本人だから、このあたりで「和」の精神を発揮して丸く収める。
「まあ、派遣なんてそんなもんですよね」
しかし、あの大企業がこんなコンプライアンス違反をしているとは思わなかった。
契約書には仕事内容をネットに書いたら賠償金を請求するぞ、と記載されている。
男って損だよなあ。毎回、きつい仕事に回され、
ときに男同士でスピードを出して仕事をしたら早く帰される。
とはいえ、いまの日本で女性は偉いことになっているのだから仕方あるまい。
日給7千円では福井銀行のエリート、山口大介さんに笑われても文句は言えない。
学会ファミリーの雨宮処凛が「第三文明」で指摘していたが、
男性差別の問題はどこにも持って行き場がない。
それが当り前だからいまのわたしはなんとも感じないけれど、
派遣とかだと男はかならずきつい力仕事に行かされる。
女性のなかでも差別が存在して、
若くてかわいい女の子はとんでもなく楽な作業に回されることが多い。
昨日、派遣のおじさんが管理者のおばさんに、
「男なんだからこのくらいしなさい」と怒鳴られていて、ああ、自分じゃなくてよかったと。
結局、昨日はラッキーにもだれにも怒鳴られなかった。
おじさんは休憩時間に「あのばばあ、やってやる」とか言っていたけれど、
なにも事件は起きなかった。
おじさんさ、派遣なんてそんなもんなのだからあきらめようよ。
いまの派遣仕事は会社は1万7千円で請け負っており、
われわれがもらえるのは最高で8千5百円。
半分も中抜きしているんだから派遣会社はスタッフにもっと愛想よくしていだきたいもの。
これも一種の労働差別だが、そういうものだと思っている。
さて、今日も元気で朝から法華経を唱えるか。威風堂々と夢冒険に船出する。

(関連記事)↓差別について↓
「一休文芸私抄」(水上勉/中公文庫)
川越美和のような完全美少女に、ダメじゃないのと意地悪くデコピンされたい。
あたしのことを好きなんだあ、と心をパーフェクトに逆レイプされて、
身動きできない無条件降伏の自称大勝利旧日本軍状態に川越軍曹からされたい。
あたしのことをエッチな眼で見ないでと高貴な美少女からゴミのように扱われたい。
自分の魅力を知り尽くした川越美和のような美少女から、
あたしのことを好きなんでしょ? と完全に身も心も征服されたい。
こらっ、ダメだろ、エッチな顔してる、とデコピンされて、悔しさに悶々としたい。
むかしは瀬戸朝香が好きとか書いた記憶があるが、本当に好きなのは川越美和である。
あの美少女に一念三千の喜怒哀楽で振り回され、三悪道に堕ちていきたい。
すべてを捨てて川越美和のような美少女にほんろうされ涅槃往生したい。
弟を交通事故で亡くした飲酒運転常習者の吉澤ひとみさんにもおぼれたい魅力がある。
いまでもダメな自覚はあるがもっとダメになりたい。美に殉じたい。死にたいとは書けない。
いったい明日からどんなことがあるのだろう?
わたしは自他の運について非常に敏感で、
いま怖いくらい久々に運が高まっているのを感じている。
双子座だが今年や来年は運が最高の盛り上がりを見せるような予感がしている。
どんな幸運が来ても、それはある意味で予感していたと言えなくもない。
いんちきくさいことを言うと、運がどこかで見える。見えないものが見える。
どの顔と収入で言っているんだと笑われそうだが、
いま女の子にもてるのではないかと思う。
わたしみたいな努力家がこうまで報われていないのはおかしい(どの顔で言うか!)。
ともあれ、身辺に異様な気配を感じていることをオカルトみたいに申しておこう。
なにかが来ている予感がする。そして、それはこれを読んでいるみなさまにも波及する。
明日はかなり早起きしなくちゃならない。
時給千円の派遣でいったいなにをやらされるんだろう?
重いものを持つとか腰が痛くなるのでいやだが、
そのほうが仕事明けのビール(もどき)はうまい。
その派遣仕事は今回初だから、
どこになにがあるのかもわからなく、怒鳴られるのだろうな。
しかし、そういう思いをあえてしたいとも思う。逆にお金を払ってでもしたい。
どうしてって自分が偉くないことを身体のすみずみまで理解できるからである。
ちょっとばかり本を読んだからって自分は偉くない。自分は使えないゴミだ。みんな偉い。
そういう謙虚になれる機会が派遣仕事である。
本ばかり読んでいると自分が偉くなったような気がしがちなので、
そういう誇大感は馴れない派遣仕事で罵倒され是正する必要があると思う。
むかしシナリオ・センターの古株幹部先生たちから
「謙虚になれ」とだいぶご指導をいただいたが、
いまのわたしを見たらそんなことはとても言えないだろう。
明日から4日、日給8千円で叱られまくるぞ。人格を否定されて知るおのれがある。
本当は今日から働くはずだったのだが、土曜日の昼に派遣会社から電話が来て、
「月曜はキャンセルでお願いします」だって。
派遣の同僚から、この会社はよくそういうことがあるデタラメなところ、
と以前に聞いていたから驚きはない。1ヶ月のあいだでキャンセルは二度目である。
そうとう荒っぽいやり方で仕事を取ってきたりしているのかもしれない。
今朝の8時にも着信があり、めんどうくさいが昼にかけ直したら、
「間違えてかけたみたいです」っておもしろすぎる会社だなあ。
これまたそういうことがたまにあると同僚から聞いていたので、なるほどと思った。
派遣なんてそんなものだと思っているのでキャンセルにもなにも感じない。
ここの派遣会社の人材の質はわたしを見たらわかるよう非常に高く(え?)、
かわいい顔をした男女大学生のカップルが仕事終了後に作業着のままで、
男は女の尻を触り、女は男の股間を軽くタッチしたりしているのである。
周囲の目を気にせずいちゃいちゃしているというやつで、とても微笑ましかった。
いい派遣会社に登録することができたと思ったものである。
人がいいというのはなによりすばらしいことだ。

コメント欄で「川越美和は部落出身」と指摘されたが、さもありなん。
いかにも血が濃そうな顔だし、川を越えるの川越だし、
「橋のない川」と言われたら納得してしまう。よけい川越美和が好きになった。
関東に生まれ育つと本当に部落差別と縁がない。
大学の先輩の福井銀行の山口大介さんは部落差別が大好きで、
日常会話でも「あいつはエタだ」とかにやにやしながら言っているおもしろい人だった。
銀行はハードだと聞くが、身体を壊さない程度に精進していただきたいものだ。
福井の山猿エリートが解放同盟の怖さを知らないはずはないのだが、
どうしてあんなに部落差別を喜々として語っていたのかいまでもわからない。
そういうお年頃だったのかもしれない。さすがにいまは変わっていると思いたい。
福井銀行の山口大介さんから一度メールをいただいたことがあり、
食えてるんか? というこちらをバカにした内容だった。
銀行なんて足の引っ張り合いが激しかろうに、なんて脇の甘い人なんだとたじろいだ。
島崎藤村の「破戒」は部落民だった教師がおのれの出自出所をカミングアウトしたのち、
生徒に向って土下座するような話だった記憶がある。
同和利権は広く知られているが、天皇陛下とおなじで、
いわゆるエタヒニンの部落民には、こちらがなりたいと思ってもなれない不自由がある。
現代の被差別部落民といえば創価学会のメンバーではないだろうか?
創価学会は利権団体、解放同盟の部落と異なり、
建前のうえではいちおうだれでも入れることになっているが、わたしは入会できなかった。
はっきり言って、創価学会だとばらされることは、部落民だと暴露される行為に等しい。
先日、信濃町に行き博文堂書店で「第三文明」を立ち読みしたとき、
雨宮処凛が学会ファミリーだと知った。柳美里とおなじ枠に入っていた。
女はらくでいいなあ、と思ったのでございます。
まったく売れていない廃刊寸前のオヤジ雑誌の「SPA!」が、
最後の炎上マーケティングとも言うべき「ヤレる女子大学生ランキング」を発表し、
その栄誉ある第一位が実践女子大学だったようだ。
ああいうオヤジ雑誌はいまは還暦が読者層なのだろうか。
はるかに若いわたしなんかの世代だとあこがれるのは桜蔭女子である。
あの子たち、あたまがいいもん。
化粧もしないで、ざっくらばんに下着も隠さず丸見えで、
「あたしは詩人だから」とほがらかに意地悪く笑っていた一文桜蔭女子を思い出す。
自信のある子はいい。
BSの居酒屋番組を見ていたら、女将が主人は急に39歳で亡くなったと言っていた。
老婆は笑顔でなにも言わなかったが、ああ、自殺したのかとわかった。
わかる人にはわかるし、わからない人にはわからない。それぞれの経験差である。
わたしはマイナス経験が多く(ブログに書いていないものも山ほどある)、
精神障害、知的障害、身体障害、いわゆる片輪世界には精通している。
死の世界にも長らく異常なまでの近似性を有して、さりとてこうして生きている。
わかる人はおわかりくださっているのだとこの文章を書きながら思う。
それはばれているということと意味はおなじである。
コンビニ各社が成人雑誌、いわゆるエロ本の締め出しを決定したようだ。
ネット全盛のいまエロ本なんか買う人の気持はわからないので、
そっちのほうはどうでもいい。
出版社の正社員編集者とか大丈夫なのだろうか?
いまは本はおろか雑誌でさえ売れない時代になっている。
スマホが親友のいまの若い子たちは長い文章を読めない脳構造をお持ちらしい。
わたしだって正直申し上げれば、いまドストエフスキーやトルストイは読めない。
めんどうくさいのですもの。
むかしのエロ本で見た紙面で記憶に残っているのは、
驚くほどブスなおばさんが半裸のセーラー服で縛られ、
ひげをはやしたおっさんたちが意味不明な学生服を着て彼女を取り囲み、
ドヤドヤしていて、そしてここが重要なのだが、
黒板には「池田先生大好き」と下手くそな字で書かれていた。
当時はその猟奇性を理解できなかった。
サブカル、カウンターカルチャーも平成とともに終わりを迎えたのか?
いったいその先になにがあるのだろう?
20代のころ、文末の「である」が書けなかった。
「である」と言い切れる自信のようなものがさっぱりなかった。
いまは多少は厚顔になり、涼しい顔をして「である」を書けるようになった。
40代のおじさんの功徳だろう。
自分とおなじ素人のブログをたまに読むと「である」を書けない人をちらほら見かける。
そういう人、好きだなあ。いな、そういう心持の人が好きである。
重度のうつ病の、医者で作家の南木佳士氏の書いた青春小説「医学生」は、
いまでも覚えているくらいの傑作、名作である。
医者が偉いと思うのは、
みなさん医学生のころ、死体解剖をおやりになられているんでしょう?
若くてお美しい女医と対面したとき、この人も死体解剖をやったのかと思うとぞくっとする。
あれを一度やると人生観が変わるのではないか。
医者のほとんどが人を救いたいという思いがどこかにあるところも偉い。
たとえそれが若気の至りであったにせよである。
医者と僧侶のどちらが偉いかといったら断然、お医者さんである。
一時期、お坊さんになりたくて詳細を調べたことがあったが、
あれは生まれた家で決まるらしい。
わたしは坊主の才能があると勝手に思っている。
死体をあつかうのが坊さんだが、
わたしはそこいらの僧侶よりよほど確信を持って、遺族に浄土を説けるだろう。
以前、純度100%の統合失調症の男性から、ぼくらメンヘラは、
と言われたとき違和感があった。あなたはメンヘラかなあ。
ずっと解決できない問題であった。
いまようやく解答に行き着いたのだが、
彼はメンヘラではなくキチガイと言うほうが適している。
ふつうの人も、ガチのほんまもんのキチガイも、
どちらもメンヘラぶるのがいまという優しい時代なのかもしれない。
天国のようないい時代である。キチガイがメンヘラになった。
なんでこんなくそブログをお読みくださる人がいるのか不思議だが、
なら少しでもお役に立ちたいと思い書くと、精神と心はちゃいまっせ。
精神科医を心の専門医とか紹介している馬鹿ライターを見ると、
かつての自分を迷惑再放送されたような脱力感にとらわれる。
何度でも言いたいが、精神と心は異なります。
精神科医は心の専門医ではなく、
彼(女)に可能なのは効くかどうか本当はよくわからぬお薬を出してくれるくらい。
それだけでもご立派なのだが、メンヘラは精神科医になにを求めているのだろう?
勤務医も開業医も精神科商売のメンバーは時間がないのである。
ひとりの話をそう聞いていられない。おまえに興味がないんだよ。
しょせん精神的心理的疾病はパターンがあり、
それに沿って薬を出して結果を待つしかない。そして、即効薬なんかない。
カウンセリングは精神商売ではなく心理屋で、話を聞いてくれるが、お薬を出してくれない。
カウンセラーが指導をしてくれないと批判しているきちがいをネットで見かけたが、
それがまっとうな心理療法者なのである。
精神科医の投薬や指導が効かない困った人の最後のよりどころが心理療法や宗教だ。
わたしはまだ精神科という希望が残っているのか。
自分のことをいい患者だと思っているが、医者としたらどうなのか?
わたしは医者に自分の話を聞いてもらいたいという願望がほぼない。
3分診療どころか1分で診療室を出ることを目標にしているくらいだ。
こちらとて話せば長くなるが、そんなことを聞く義理はお医者さんにはないと思う。
だから、手早く薬をほしい。その薬が効かなかったら次のをほしい。
そもそも薬効なんて、のんでいなかった場合をわからないのだから確かめようがない。
30分とかひとりの患者が待ち合い時間を奪っているとうんざりする。
精神科の初診ならしょうがないのは理解している。
精神科は未経験で、もしかかるなら春日武彦医師しかいまい。
相手が春日先生でも自分のことを長々と話したくはない。
自分の話を長くする患者にもそれを名医ぶって聞く医者にも、
人間不信のわたしとしてはうっとりする人間美、人情味がございますですね。
なにがいい患者なのだろうか?
人によって価値観はわかれるが、
わたしにとっての名医は医術の不確かさを理解しているかどうかだ。
医学は絶対科学ではない。個人差、ばらつき、まぐれさえ存在しうる。
手術をしたら99%が快癒、1%で脳死という患者がいたとする。
この1%を経験したことがある人が名医になりうる可能性がある。
わたしはその1%の確率を人生でかなり多く味わってきたほうである。
80%が成功する医療であっても、自分が20%になってしまったら意味がないのである。
このため、医者との出会いは賭け、ギャンブルだ。
医者の運と自分の運、すなわち相性を見極める必要がある。
1%の確率でも失敗することも成功することもありうる。
最近ひどく父から嫌われているようなのだが、
去年父はわたしの大嫌いな某大学病院の先生から検査結果であなたは健康だ、
長生きできると言われたと自慢していた。
父があたまをやっちゃったときも、
おなじ帝京大学病院の教授先生から健康のお墨付きをもらっていたのだが、
そういうことは息子としては言えない。
「ケンジはわかっていないなあ。
大学の教授だよ。教授の先生がツチヤさんは大丈夫と言ってくれてんだよ。
おれは百歳まで生きる」
そう自慢していた父が脳出血で倒れたのだが、
それから数年経ったいまも父はおかしな大学健康自慢をしている。
そういうものなのだろう。
以前、ある信頼している内科医に外科の先生ってどうなんですか? と聞いたら、
あれはうちらとは別物だからと本音らしきお答えをいただいて、
同世代だなあ、と深々と思った。外科医は体育会系、内科医はインテリ。
外科医といっても整形外科しか知らないが、いままでかかったやつらは非常に危ない。
根性論が大好きなのである。怖いバスケ部の先輩のように患者をいじめる。
レントゲンを撮って、このくらいなら痛み止めはいらないだろうって、
どこまで他者に対して傲慢なのだろう。整形外科医はそんな人しか会ったことがない。
顔面神経麻痺のときも耳鼻科、眼科、リハビリ科はひどかった。
いまなら予後(答え)がわかっているが、どの医者も正解を当てていなかった。
あなたはひどい「ひょっとこ顔」になって生涯苦しむだろう、
と予言くださった顔面神経麻痺の権威の先生もいらした。
いまではとてもいい思い出なので恨んでいるとか、そういう話ではない。
懐かしい、いい思い出だ。
結局、いまのところのわたしの答えは内科医がいちばんできるやつらではないかと思う。
わからない法にかかわる問題があって、
たとえばこれをのめば極楽往生できるという薬があれば、
人はそれをのみつづけるものだろうか?
苦があるから楽があるんだろう?
楽ばっかりだったら真実の楽を味わえないのではないか?
しかし、楽になる薬をまったく与えないのも変な話で、苦しみばかりはいやだろう。
法然も日蓮も、親鸞でさえも地獄を強調しているが、
それは楽を深く認識させるためではなかったか?
わたしは違法ドラッグをやったことがないし、
育ちがいいのでたぶんこれからもやらないが、
いわゆる天国に往ける覚醒剤を
やりつづけると廃人になるという現代の地獄物語はおもしろい。
天涯孤独の身でクスリを決めまくってある日、楽に自殺する人は不幸なのか?
おっさんは年々なにかが悪くなっているような気もするが、いい時代になったとも思う。
いまはむかしと比べて、いわゆる「先生」がどんどん威張れなくなっている。
教師、教授、医者、弁護士、社会なんとか士。
先生はサービス業であるという認識が強まったいまという時代は、
ある面とてもよろしいのではないか。
お金をもらっておいて人を高みから指導するなんておかしな話で、サービスすべきだろう。
先生は自分の正義を自己主張するのもいいが、相手をそこまで見下すべきではない。
強い影響を受けている精神科医の春日武彦先生が書いていたが、
いまは患者に逆らうとインターネットに悪口を書かれるから、顧客を尊重するという。
春日先生は薬を出すのを好まないタイプらしいが、そういう人をも時代は変えた。
いまわれわれは相当にいい極楽浄土の時代を生きているのかもしれない。
われわれは他人の苦しみがわからないということにだいぶ救われているのかもしれない。
少なくともわたしは他人の苦しみがわからないことに救われている。
他人の苦しみはわからない。同様に自分の苦しみはわかってもらえない。
他人の痛みはわからない。
以前、医療用大麻をのんでいたという人が、いまはトラマールを処方されていると聞いた。
医者ができることは患者の話を聞くことではなく、
他人の苦しみや痛みをわからないことを熟知してお薬を処方することではないかと思う。
人はわかりあえるという正義は非常に甘っちょろいと思う。
他人はわからない。そして、それは救いである。正しいことは言えない。
主として朝は法華経と題目を、夜は浄土系のお経と念仏を唱えている。
ほかにも般若心経、観音経、密教のダラニ、マイナー経典を気分にまかせて。
日蓮宗で読まれるという御書の一節も一枚起請文も、
正信偈、親鸞和讃、白骨の御文、修証義、白隠禅師座禅和讃、
一休道歌さえも日によっては声に出して唱える。
いちばん対立しているのは題目(南無妙法蓮華経)と念仏(南無阿弥陀仏)だろう。
さっきふと思ったが題目というのは自分の内に仏がいるという信心だろう。
妙なる力が内に眠っている。
だが、内へ内へ掘っていくと外の世界に到達するのではないかと思う。
念仏は外の仏をたのむ信心である。自分の外にある仏に頼る。
しかし、外の世界はすべて自分の心がつくりだしたものとも言える。
だとしたら、内は外なのである。
たとえば男にとって女は外部の他者だが、
恋人というものは男が内の理想を相手に投影しただけと言うこともできよう。
外は内なのである。
もうすぐ節分で「鬼は外、福は内」というが、鬼や福は外にも内にもいると思う。
「内は外、外は内」とも考えられるのではないか?
精神と肉体、心と脳、精神と物質、心と物、自己と他者、主観と客観、宗教と科学もおなじ。
自分は心でもあり物でもあるが、
いっぽうで心でもなく物でもなく、
自分という実質は虚妄(空/くう)という考え方もできる。
異なるとされるふたつはどちらも正しいし、どちらも誤りである。
南無妙法蓮華経(内)、南無阿弥陀仏(外)、南無大師遍照金剛(無=全=仮=嘘)。
病的賭博、ギャンブル依存症の人のようなことを言えば、
結局目先の4、5万を取るのか、その先の無限の光に賭けるかという話なのだろう。
来週、働かせてもらえることになったが、そのあいだ読書をしたり、
別のことをしていたほうが、先々で恵まれるかもしれないのである。
しかし、反対にその短期仕事でなにかのきっかけを得られるかもしれない。
実際、ひとつまえの職場ではおもしろい人に逢って、
いつ電話しようか迷っているくらいなのだから。
ふざけたことを書くと大勢の人と働くと孤独感がとても薄まるのである。
そのうえ仕事上がりのビール(もどき)ほどうまいものはない。
だが、先々のことを考えるといまもっと孤独に追い込まれたほうがいいのかもしれず、
本当にどちらを選択すればいいのかは人間にはわからない。
周囲の人のご意見をうかがうと、まったくバラバラである。
感覚を研ぎ澄ませて、自分のなかから出てくるものを信じるしかないのだろう。

いま知らないところに行きたいが、そこに行くには運もあるし努力も必要だろうが、
しかし目的地を知らないのだから道に迷ってまごまごするしかない。
複数の道があったら全身でどこかの道に賭けるしかない。
人生では後戻りして道を選び直すことはできないことが多い。
このため、どの道が正しいかはどこまでもわからなく(再試行できない)、
自分を信じてそれが獣道だろうと分け入っていくしかない。
道の選択基準は損得や打算、世間的な善悪ではなく、
なるべくならば「おもしろいか/おもしろくないか」のほうがいいような気がする。
ある日ある道で突然だれかと出逢い人生が変わるようなことはいくらでもありうるし、
いままでの人生でもそんなことばかりである。
計算してしまうと計算の範囲内に小さくまとまるのが、
われわれの生きるこの「計算できない世界」なのかもしれないし、
そんなギャンブルはせずに、着実に計算したほうがいいのかもしれないし、
世界の本当の裏側がどうなっているのかはだれにもわからない。
雨宮処凛の男バージョンといえば成功論客のご存じ「希望は戦争」赤木智弘だろう。
とっくに餓死しているのだろうと思ったら大食肥満して横椅子にふんぞりがえっていた。
朝日新聞のパワーはいかにすごいかである。
わたしも自死遺族、貧困、吃音、アルコール問題、孤独中年といろいろかかえた、
いわば朝日新聞テイストなので、だれか朝日に紹介してくれないだろうか?
もちろんキックバックは常識以上に払うつもりだ。
いちおー早稲田だから社内にはいっぱい同学同窓のものがいるはずである。
そろそろキラキラ、ピカピカしてもいいという自信が芽生えてきたので、
デビューするなら真っ赤な桃色の朝日新聞だと思う。
わたしは共産党寄りでも公明党(創価学会)寄りでもあり、
便宜を計ってくれたらどちらの団体にも、
気持が悪い微笑みを見せられるのでお得な存在だ。いわゆるコンビニエンス。
赤木智弘ほど勉強していないやつがメジャーデビューしたのには驚いたが、
彼は希望の星でもある。絵を作るためにヤマトや佐川で叱られながら働いてもいい。
佐川女子はかわいいので、それをちっとも苦痛に感じないだろう。
適材適所で各新聞社は僕をうまく使ってほしいと思う。
僕はいくらでも思想を退転変更意識革命可能である。
あたまが悪い貧困大食革命家の赤木智弘のようになるのも悪くない。男は勝利した。
中学生のときにカマトトなボインが悪ぶった美少年からいじめを受けていた。
制服のスカートの上からだが定規で股間をいじくられていた。
カマトトなボインはなにかがばれてしまったという羞恥と困惑で動けないでいた。
蛇ににらまれた蛙のような動揺を見せ動けなくなっていた。
少年は少女が逆らえないことをどこまでも知っているというような感じで、
カマトトなボインの中心をしつこく定規で突いて笑っていた。
カマトトなボインとは小学校でクラスがおなじで、
そういえば一輪車に乗るのが好きだったと思う。
担任の指導に従順で、下着をつけないで白い薄い体操着で女の身を健気に隠していた。
定規でさんざんいじめられたカマトトなボインは一瞬しゃがむと、
そばにいた男子を顔を赤くして悔しそうににらみ教室から逃げていった。
美少年は終始勝ち誇ったようにニヤニヤしていた。僕はショックだった。
いま言葉の組み合わせに興味があって、どの言葉と言葉をくっつけたら、
おもしろい響きが出るのかまったく趣味的に実験しているわけだ。
文章はすべて言葉の配列、組み合わせであり、そうであるならば、
あらゆる思想が言葉の合体技と言えるわけである。
まったく種類の異なるふたつのものを
いかにうまく接着できるかが才能の実体ではないか。
われわれを生かしも殺しもするのは実のところ言葉である。
外国語を学習するというのが、いちばん役に立つ勉強なのだと思う。
にんにくをガーリックと言い換えただけで百倍売れる食品もあろう。
ある言語群に脳内を支配されると、自分もそれを使いたくなってしまう。
いわばこころをレイプされたようなものである。
山田太一、春日武彦、両先生の言葉の魔術師っぷりには圧倒される。
文章がうまい人というのは、言葉の用法が個性的であり真似をしたくなる偉人である。
わたしは言葉がうまい人を尊敬して、下手くそな定型句しか書けないやつを軽蔑する。
世界との向き合い方が使う言葉にまざまざと現われる。
言葉をうまくするには本を山ほど読んで、文章を大河のように吐き出すしかない。
10年以上まえ敦煌料理店のオーナー隋さんに、
自分は酒を飲むと性欲が消えるといったら驚いていた。
ビールが大好きな隋さんは愛人の目のまえで、
昨日彼女は生理だったのでフェラチオしてもらったとかいうのである。
「そんなことを言って大丈夫っすか?」とこちらが慌てると、
「彼女は日本語がわからないから大丈夫です」って、敦煌の隋さんはおもしろすぎる。
あの人に逢えただけでも人生満足である。
むかし自宅でともに酒を酌み交わしてくれるシナセン友人がいたのだが、
あっちのほうが年上だし、
永久脱毛したというきれいな脇をこれ見よがしに見せてきても相変わらず友だちだったが、
かの女を駅にお送りするときにはすっかり酔っていて、
するとどうしてか胸を触りたくなり、
怒らない程度に手を出すと女はかたくなに拒んだ。
一度間違ってつかんでしまったことがあり、かたくて形のいい乳に土下座したくなった。
とてもいいおねえさんで、若い女の子を紹介してくれたりもした。
女性の好みのタイプを聞かれると、むかしはだれでもいいと言っていた。
世間的な立場としては、そう言うしかなかった。いまなら異なる。
・気が強い。
・あたまがいい。
・情にもろい。
・化粧をしない。
・胸があまり大きくない。まな板でもいい。
・それは1歳でも若いほうがいい。
・悪戯っぽい。
・めんどうな性的規範をかかえている。
・純情を演じられる役者である。
・はかない無常感が透けて見える。
・上下の下着は白。桃色乳首。
・怒ると怖いが、あんまり怒らない。
・僕なんかを好きにならない。
これはいい傾向なのかもしれないが、女性不信、女は大嫌いのわたしがいま、
あたまのなかが女、女、女で眠れない。中年男はこういうものなのか。
本当の美少女というとあの子のことを思い出す。
くっきりとした顔立ちの美少女で、
いつも脇から黒々とした恥毛をのぞかせていたのである。
あれは宗教上の理由だったのかもしれないが、かわいい美少女が腋毛を剃っていない。
恥じらいのある細いがしかし一本の筋が通っているような美少女だった。
のちにインド人とのハーフだと聞いたが、
完全に整った、だがもろいところのある清潔無比な美少女。
脇からのぞく腋毛の黒さが、おのずから下半身を想像させ、淫靡であった。
本当の美少女とは彼女のことかもしれない。
わたしは女性の無毛の脇を見ると彼女のことを思い出し、とてもやりきれない思いになる。
近所のスーパーのベルクスが最近、異常ながんばりを見せている。
あるいはマルエツを超えているのかもしれない。
スーパーのぶんざいでふぐの刺身とかあるんだぞ(マフグ)。
そういえばそうそう、ふぐのうまさは、
味がないところにあると新年そうそう教わったものである。
もしかしたら味のないことがもっともぜいたくな美食なのかもしれない。
ベルクスは貝殻つきのホッキ貝もあって、
あれは好みが非常に激しくわかれる磯の味のため、
大量に売れ残っていた。わたしはおいしかった。やるなあと思った。
今年、ふぐの唐揚げをご馳走していただいたときタコの刺身がうまかった。
タコってこんなにうまかったのかというちょっとした感動があった。
このためベルクスでもタコの刺身を買ってみたら、これもまたうまい。
スーパーの寿司のタコってゴミ箱に捨てて燃やしたいほどまずいが、あれではない。
ほほう、ベルクスが急成長を見せている。
長らくスーパーのオーケーに行っていないが、新たな変化があるかもしれない。
しかし、これほどの美味を追求して商品化してその先になにがあるのだろう?
東大現代文は早稲田大学教授でも正解を書けないと思う。
おなじく東大日本史の正しい答えは、ヘタをしたら東大教授でも書けない。
ただし出題者を知っていたら話は別になるのである。
東大模擬試験の問題と解答をつくることができる人は、ある意味で、東大教授よりも偉い。
東大は正解を公表しないが、予備校はこれが答えだと発表しなければ商売にならない。
愛すべき母校のシナリオ・センターにはコンクール対策講座というものがあるようだが、
あれは汚い金儲けである。アトセツ、後付けの説明をしているだけではないか?
この作品が受賞したのはこういう理由だからと部外者が後で説明している。
てめえで書いて賞を取ってみろという話なのである。
去年のフジテレビ、ヤングシナリオ大賞は、
意趣返しなのかまことブスな女子中学生を正解として選択したという。
そんなことをしたら中学生女子の人生は壊れるだろうが、
われわれ人生敗北民衆にとっては満足できる結果だ。
あの女の子はこれからが大変だぞ。ざまあみろ。
ノーベル賞目前作家の村上春樹はメンヘラ女子を好んで描いていたような気がする。
氏は村上龍との若きころの対談で、
メンヘラの子ってだれとでもやるところがいいと言っていた。
だれとでもやる女の子ってかわいいですよね。春樹と龍の意見の一致した正解である。
メンヘラ女子が寄って来る男と、まったく来ない男にわかれる。
メンヘラ女子はほぼ動物生命体で本能的な勘が異常に発達している。
こいつは大丈夫だと本能で識別した男にしか、
だれにでもやらせるメンヘラ女子は寄って来ない。
わたしは完全なまでにメンヘラ女子から敬遠されているが、
そういうところに女性の生物学的な才能を感じる。
わたしを食い物にはできない、食い物にされちゃうと本能で気づくのだろう。
女性の精神障害者、知的障害者はまだかわいさがあるが、
男のそれらは犬猫なみにどうしようもなく、
とはいえそんな本当のことはなかなか言えないものである。
男のメンヘラ(精神障害者)、イケヌマ(知的障害者)はまったく価値がなく救われない。
まあ、せいぜい犯罪でもして世間を騒がしてくださいってところだな。
むかしは躁鬱病といった双極性障害がもっとも創作活動には有利に働くのではないか。
正反対のものをおのれのうちに持ち、
それを理性では統御できないなんて、まさしく天才である。
一般的には統合失調症(精神分裂病)を天才と誤解する人が多いが、
双極性障害(躁鬱病)のほうがはるかに可能性に満ちている。
ただし双極性障害は辛いと思う。
天国のような極楽体験を自家製造の脳内麻薬で味わえるいっぽう、
地獄のような鬱状態もこれまた脳内が勝手に生産する神経物質のせいで
経験しなければならないのだから。
地獄を知っていれば知っているほど天国の豊かさを味わえる。
反対に浄土をひとたび味わってしまうと地獄の苦しみが何倍にも増す。
精神、感情の起伏が激しい人は好きだが、自分が関係できるのかは自信がない。
メンヘラほど魅力的な存在はいないと思うが、
ほぼメンヘラの自分がメンヘラの相手をできるとは思えない。
地に足がついた生活感のある女性に支えられて、いままで生きてきたようなところがある。
ある私淑している精神科医の先生からメールで、
あなたは危なっかしいと言われたのが自慢でも恐怖でもある。
わたしは自尊心の高い危なっかしい不安な美少女が大好きなのである。
自尊心が低い化粧もりもり、テクニック主導、マニュアル根本の女性は嫌いだ。
どうして素のそのままの自分を愛さないのだろうかと思う。
どうして自分の持って生まれた美しさに気づかないのか。
世の中には人生すべてがうまくいく新井一のテクニック、マニュアルがあるそうだが、
そんなくだらぬインチキを販売して金儲けしている小林幸恵や新井一樹は死んでほしい。
しかし、結局うまくいき、大勝利顔で大笑いするのはあっちサイドの厚顔なやつらなのだ。
金がほしい。女にもてたい。ドヤ顔で人生を語りたい。新井一族のように。
腰のすわった俗物になりたい、なりたかった。
才能は才能を知るなんて偉そうなことを言ってみたいが、美少女は罪なものである。
そうでありたいと思っていなくても、美少女として生まれてきてしまうのは才能である。
テクニックで人工美少女になった商品よりも、
おのれの美を恥ずかしくて隠したい化粧をしない天然ものの少女がいい。
命がみなぎる養殖ではない、天然の美少女というものがいて、わたしはそれを愛する。
お化粧をしない女の子しかわたしに親切にしてくれないが、いったいどうしてなんだろう?
わたしと深くも浅くも関係してくださる女性は、
少数ながらみんな化粧を最小限にとどめている。
すっぴんがいちばんかわいいと思う。
白化粧が山盛りになったキャバ嬢はいくら若くてもなんだか怖い。
素地を生かした、生き生きとした天然の美少女、美女をわたしは愛する。
テクニックが好きなマニュアル女はいやだなあ。
あなたは人の才能に打ち震えたことがあるだろうか? 
人の才能に土下座したくなったことはあるか?
わたしは幸運にもあって、それは柳美里、宮本輝、山田太一である。
天才とはどういうことかいうと、
心に天国も地獄も、美女も老女も、少女も少年も中年も、むろん男も女も、
貴賤、善悪、損得、苦楽、美醜、すべてを過剰なまでに持っているということである。
心のうちにすべてが存在しているということを知っており、それをうまく出せるのが天才だ。
いまでも柳美里、宮本輝、山田太一の天才には畏怖としか言えない恐怖感がある。
なんでこんなに豊かなのだろう。こうまで複雑なのだろう。命の恵みに満ちているのだろう。
人間の喜びや悲しみにあふれているのだろう。舞い上がりたくなるのだろう。
切ないのだろう。孤独なのだろう。さみしいのだろう。
一念三千を一文や二文でここまでうまく描写できるのか。
才能と出逢いたい。才能にひれ伏したい。負けたと言いたい。
学問とは、名前をつけることと言ってもよかろう。
なにかのことに、それはこうだと名前(言葉)をつけるのが学問である。
異論はあろうが、突き詰めれば、ラブを愛ということが学問といってよい。
世界でいちばん山田太一さんの脚本、戯曲を所有しているのは、
おそらくわたしではないか。
山田太一さんのご親友のあいどん師匠は、とにかく本を読むのが嫌いらしく、
シナリオ読解はできないと言っていた。
調べてみたらおもしろいと思うのは、
山田太一の劇作に出てくる登場人物の名前である。
どの名前が多いのか。どういう傾向にあるのか。
それが学問なのだが、そんなことをしてもお金にならないので、だれもやらない。
大学研究者がそれをやればいいのだが、
アカデミックな山田太一の価値は、
シェイクスピアの爪の垢に大海の水を入れ、
ミキサーでくるくるさせたその一滴ほどの価値もないので、だれもやらない。
お金をいただけるのならわたしがやってもいいが、
そんなスポンサーはいないだろう。
このためこれはわたしの個人的な記憶と印象によるものだが、
山田太一さんのいちばん好きな女性名は「加奈」のような気がする。
「加奈」は多い。八千草薫も「加奈」をやっている。
いまは流行らないが「耕作」なんかいい名前である。
薄幸な「幸子」さんはきっとかわいいことだろう。
貧乏な「富子」さんもきっぷがよさそうである。
不純な「純子」さんにメロメロにされたい。
愛を知らない「愛子」さんと愛作(メイクラブ)したい。
品のない「雅子」さんは水商売で成功しそうである。
早稲田の山田太一さんが東大の倉本聰との対談で語っていたが、
シナリオを書くとき名前をつけるのにかなり苦労すると。
両者のどっちかが電話帳を見ていい名前を探すと言っていたのを覚えている。
むかし作家の工藤伸一さんが、
自分の名前は「人間革命」の山本伸一がモデルであるとお話になっていた。
彼はいまは無宗教だが、むかしは創価学会の若き指導者だったらしい。
子どもの名前をそんないいかげんにつけちゃう親がいるのかと身震いした。
しかし、「伸一」という名前のおかげか、
工藤さんはいまは人気作家として文壇のほうで活躍なさっている。
これは仮説だが、名前が人生を決定づける部分もかなりあるんではないだろうか。
梅原猛はいかにも梅原猛だし、井上靖もいかにも井上靖である。
漢字のちからというのは思いのほかあるのかもしれない。
女の子に冗談半分で鸞鸞(らんらん)という名前をつけてみたいが、
画数が多すぎるので明らかに受験では不利だろう。
蓮美はハスッパな女性に育つのだろうか?
名前に神や仏が入っている人を見たことないが、
自分は見たという人がいたら教えてください。
利子、益子、増子、君子、富子、伸子、信子は育ちがばれかねない名前と言えよう。
恥ずかしい名前である。顕史と書いて「あきふみ」ではなく「けんじ」と読む。
顕微鏡の「顕」で歴史の「史」ですといつも言っている。
意味は「史を顕わす」、文章を書くということだろう。
母方の祖父がつけたようだが、そんなご大層な名前をつけられても困っちゃうよ。
しかし、広宣(ひろのぶ)、正大(まさひろ)、正仁(まさひと)よりはましだろう。
英雄(ひでお)も勝利(かつとし)も正義(まさよし)も、自分だったらいやだ。
名前に「正」「大」「勝」が入っていると、うわっと思う。
冗談で他人の子どもの名前に、
高貴、尊大、大勝、勝太郎、忠義、尊玉とかつけてみたい。
いったいどんな子に育つか、
人生を実験とその結果の検証だと思っている自称学者のわたしは気になる。
名前には時代性というものがあり「太」が入っているのは貧しかった時代の名残だろう。
「池田太作」「山田太一」とか、そうである。
ダイエット時代のいま「太」を名前に入れるのは、よほど親が食えないのだろう。
「武彦」は医者ネームなのだろうか?
貴子は好きな名前だが、学会ネームという噂がある。
香峯子(旧名:かね)とかはさすがにぞっとする。
妙子、法子、京子も学会ネームらしいが、意外といまつけたら新鮮ではないか。
国子はいやだなあ。命名者のセンスを疑う。
しかし、奏子、道子、孝子、範子、和歌子は好きな名前である。
女性名でなら「美」が入っている子はほぼいい子である。
美香、由美、恵美子、美貴、美歩なんか大好きな名前だ。
変わった名前といえば相生(ひとし)という名前の女性がいた。
平仮名ネームもおしゃれだが、つけられた本人はどう思うのだろう?
「めぐみ」「かおり」「ふみ」「あや」「ひかり」のセンスのよさにはうなる。
「ひめ」はつけちゃいけない名前だろう。
風俗には源氏名というものがあるらしいが、あれにも作者の教養が現われる。
「正志」はダメだが「一樹」のセンスは悪くない。
だからなんだと言われても困る。
この記事を失礼とお感じになった実在のみなさまには伏して謝罪します。
人気作家の土屋さんもたまには読者と交流を持ちたいので、
みなさまの好きな名前、嫌いな名前をよろしればコメント欄で教えてください。
子どもは親の作品である。
どこかの先生に名前をつけてもらわないほうがいいと思う。
責任感が希薄になる。
なにが真実かといえば、今現在のところ嘘だとばれていないことが真実なのである。
いま本当とされていることだって、いつ嘘とばれるか知れたものではない。
わたしはそもそも浮気はしてもいいと思っている。
どうして一度結婚したら他の異性と愛し合ってはいけないのかわからない。
結婚はいわゆる愛ではなく、生活のための計算でするものだろう。
相手をうまくだましてくわえこんだら、その後はなにをしてもいいと思う。
かりにそれが悪だとしても、浮気をしてもばれなければいいのである。
ばれそうになっても、いや浮気していないと言い張れば、
人間は自分が信じたいものを「正しい」と思うものだから、
けっこうなんとかなるものである。みなさん、もっと浮気をしましょうよ。
そんな簡単にばれるものでもないし、ばれなければいいのである。
万が一、ばれても全身で否定したら、
相手に自分への愛が残ってるかぎり、あんがい嘘が真実としてまかり通るものだ。
人妻とプラトニックな恋をしてみたいなあ。
そっちのほうが燃えるではありませんか?
愛し合ってはいけないという障壁こそ恋愛への灯油として機能する。
禁忌ほど快楽に通じている道はない。
自分が好きな人妻から夜の秘め事を聞かされるとか極楽往生必至。
相手の旦那が自分より社会的地位が上の人だとさらにたまりませんなあ。
問題は人妻は年齢的におばさんのことが多いということである。
大山妙子さんは創価学会の会員だったのだろうか?
大山妙子さんは追手門学院大学の二期生で、
のちに作家の宮本輝の奥さんになった人である。
わたしの知り得た情報では宮本輝はアル中の母親の影響で創価学会に入信している。
しかし、大山妙子という名前である。
「大」が入っているし「妙子」は学会ネーム。
わたしは宮本輝の不安神経症(パニック障害)から勝手な憶測をして、
氏は大山妙子さんしか女を知らないのではないかと疑っている。
だから、あれほどすばらしい小説の数々を生み出せたのではないか?
むかしの多くの日本仏教者はインドを知らないことで新たな思想を生み出した。
実際のインドを知っていたら幻想も妄想も吹き飛んだかもしれない。
知らないからこそ幻想や虚構を人は創造できるのではないだろうか?
法然も日蓮もインドどころか中国にさえ行ったことがないのである。
このため法然は善導に、
日蓮は智顗(ちぎ)に烈しく思い入れをすることができたのではないだろうか?
現実の貧乏を知らないほうが、いわゆるプロレタリア文学をうまく書けるだろう。
現実の贅沢など知ってしまえばつまらないものかもしれない。
経験しないことがわれわれの思考を縛っているという可能性はないだろうか?
男は盛り女は減らすのは経験人数である。
男は話を盛って盛って、さらにこれでもかというほど山盛りにする。
あいどん師匠にかつて酒の席でうかがったことがあるのは、
山田太一さんって浮気したことがあるんでしょうか?
答えは、なんだったのか。
山田太一さんは僕だって浮気のひとつやふたつくらいはと言っていたが、
本当はどうだかわからない。
話のはずみで、あいどん先生は浮気したことがあるんですか? と聞いた。
そりゃあそのくらいあるよ、と師匠は言った。
いまだから白状すると、嘘だろうとそのとき本人の風貌を見ながら思った。
決して口を割らないのだろうが、人妻の本当の経験人数は何人なのだろう?
職場に大勢穴兄弟がいるのに寿退社したハイミスとかこちらの性的妄想をくすぐる。