そうだ。いま思い出したことがある。
むかしひまなとき(いまもひまだが)ブログ読者が逢いに来てくれたんだ。
よく覚えていないが、30くらいの青年で、関西弁が少しあったような気がする。
記憶が薄いのは、お名前を教えてくれなかったからかもしれないが、
そんなことをいちいち気にするほど、そのころは神経症的ではなかった。
株で食っているとか言っていた。
お兄さんが株で大儲けをしていて、その影響をたぶんに受けたようだ。
「土屋さん、コルセンで働けばいいじゃないですか? あれ楽だし給料もいいですよ」
コルセンとは、コールセンターのこと。テレフォンアポインター。
「わたし、どもり、吃音だからダメなんですよ」と答えたら、
「え? どうして?」という反応だった。
ふつうに話せないのが吃音なのだが、身近にそういう人がいないとわからないのだ。
言い換えが効かない番号や記号を伝えるときに、吃音者は絶望する。
じつはいまの携帯番号に言いにくい数字が入っていて、いつも困っている。
こういう苦労は健常者にはわからないだろうが、
いちおう健常者とされているあなたにも悩みが山ほどあり、
まったく同様に、残念ながらわたしはそれを心底から理解することができない。
どもりでもコルセンをやっている人はいるだろうし、
そういう人はともすれば驕慢のこころを持ちやすいが、
しかしそうは言っても称賛されるべき挑戦者であることもまたたしかである。
「自分ができたんだからあなたもできる」は、
励ましだが鼻持ちならない傲慢の悪臭を感じる人もいるだろう。
あたしは偏差値40から慶應に受かったんだから、あなたもやればできるとか。
あなたとわたしは違う。わたしとあなたは異なる。孤独思想だ。
やんなっちゃうな、もう。こんなことあるか、ふつう。
いままで大量の本を買ってきたが、一度もなかったぞ、こんなこと。
積ん読すること10ヶ月、
ようやく意を決して宮本輝の「流転の海 第7部 満月の道」を読もうと思い立つ。
宮本輝の本は読むのも感想を書くのもエネルギーがいるんだ。
よし、読むか、と本を手に取ったらなんだこれ。
カバーは「満月の道」なのだが、中の本が「慈雨の音」なのである。
ちなみに「慈雨の音」は「流転の海 第6部」で既読。
なにかのいやがらせか。創価学会の陰謀かよ(笑)。冗談じゃねえって。
たぶんアマゾンで買ったと思うのだが、最初に思ったのはあきらめよう。
これはものすごくめんどうくさい作業になるような気がする。
とても750円では割に合わないと予想される。
しかし、750円といったらへたをすると交通費を抜いたわたしの派遣時給相当価格。
いま吃音が悪化していて、本当に電話をしたくないのだ。
とはいえ、泣き寝入りするのも悔しいので、なにかを呪いながらアマゾンに電話する。
いまから思えば新潮社のミスなんだから、
あのエリート連中のもとに投げ込んでやればよかったのかもしれない。

アマゾンとの電話チョーめんどくさかった。泣くほどめんどくさっ。
メールアドレスを一字一字口頭で伝えなければならないんだぞ。
わたしは主にふたつのアドレスを使用していて、どちらがアマゾン用かはわからず、
ひとつをまず言ったのだが、ものすごい時間がかかった。
従来の吃音と滑舌の悪さがあいまって、伝わらない伝わらない。
2、3回、修正や復唱を繰り返した。
なんでこんなに苦労しなくちゃならないんだ。
「もう750円ですし、ええか」と何度も電話で言ったが、向こうもそう言われても困るだろう。
で、苦労苦心のあげく、伝えたメールアドレスが違った。
とすると、もうひとつのアドレスをいちから伝えなければならない。
「めんどくせえ」って何度も電話で泣き言を口にしたものである。
なんかさ、おれの「b」の発音が向こうには「d」に聞こえるみたいなんだ。
ものすごい時間をかけて本人確認が終了。
返金と交換のふたつがあるが、購入後1ヶ月以内でないと交換は無理とのこと。
そっちのミスなんだから、新しいのを送ってこいや。
そう言ったあとに気づく。
「これはアマゾンのミスではなく出版社が悪いんですよね」
「はい、おそらくはそうかと思われます」
で、特例で新しく送ってくれると言うが、その失敗本を送り返す必要があるとのこと。
じゃあ、めんどうくさいから返金で言いですと伝えたら、
それでも失敗本をアマゾンに送る必要があるとのこと。
梱包とかチョーめんどくさいじゃないですか? 
その手間賃とか梱包代とか、どうなるんですか? 答えは、どうにもなりません。
わかっているよ。あなたはたぶん非正規のような気がするし、
間違いなくあなたは悪くないし、アマゾンも悪くないし、
いちばん悪いのはたぶん新潮社の委託会社なのに、
どうしてわれわれがこうもここで呻吟しなければならないのか。

DSC_0127.jpgDSC_0126.jpgDSC_0128.jpg

こういうブックカバーと本体が食い違うケースはどのくらいあるのか質問する。
1万分の1、いや3万分の1でも、多すぎる数字でしょう。
わたしもそう思う。これまで大量の本を購読してきたが、これは初体験。
電話後に返品方法を記したメールが来たが、読むのがめんどうくさい。
返品しないと750円の損になるらしい。
今後は注意するよう関係部署に通達しておきますってメールに書いてあったが、
アマゾン倉庫の人だってブックカバーと本体が異なっているなんて思いも寄らないだろう。
そこまでチェックしていたら時間が持たない。
やはりここは新潮社に爆弾(失敗本)を送りつけるべきだろうか?
わたしは芸術家肌だから(え?)、
こういうことがあると1日のやる気がそがれてしまうのだ。
ネットを見ていたら、「流転の海」シリーズは完結していたのか。
ものはついでと第八部(文庫本)、第九部(単行本)も購入。
ただしアマゾンではなく楽天で。
これはクレームを入れなかったが、アマゾンでちょいまえに購入した本が、
新刊なのに油よごれがついていたんだ。

わたしの人生では、起こりえない奇跡のようなことがよく起こるのである。
今回のようなケースは10万回に1回あるくらいレアなものではないか。
父は神経症(吃音)で母は精神病。
どちらもなる確率は1%だから、0.01×0.01で、これは1万分の1だ。
母親から声をかけられ目のまえで飛び降り自殺をされるのは、
もはやカウントできない数値で、
1千万人にひとりくらいが遭遇する症例ではないかと思われる。
いまでも母のいやな夢をひんぱんに見るし、宝くじに当たったようなものだろう。
しかし、マイナスほどレアケースではないけれど、
プラスの奇跡的なことも起こらなくもないが、それはちょっと書けない。
とにかく確率の低いことがわたしの周辺ではよく起こるのだが、これはなんだろう?
いったいプラスマイナスふくめて、
これからどんなことが起こるのか楽しみと言えなくもない。
べつになにも起こらないまま不遇に死んでも、まあ、それがそれならという達観はある。
96年にNHKで放送された山田太一ドラマ(45分×6)をジェイコムで視聴する。
テーマはいつものように孤独だが、「家へおいでよ」というタイトルからわかるよう、
本作ではいつも以上に孤独を真正面からとらえようとしている。
いまどうしてか孤独感と不安感でいっぱいなので何度も涙しながら見た。
最終回を見るのがもったいなくて時間的には一気にいけるのに、
わざと1日待ったくらいである。
何度も繰り返し書いてきたことだが、山田太一はすごい。
高校生のころからファンだったから四半世紀、こちらの心をとらえて離さない。
四十男になったいまでもというか、
いまだから楽しめるよさを山田太一作品は有している。
どうしてこんなに山田太一が好きなのか自分でもいやになるくらいだ。

大学でフランス語を教えている杉浦直樹は弱っている。参っている。
自分でもびっくりするくらい孤独に苦しんでいる。61歳だ。
国立の大学を定年退職して私大に移った。
大きな洋館を親から相続してそこにたったひとりで住んでいる。
30を超えた息子は結婚して自分のところには寄りつかない。
女房からは逃げられた。いまは夏休みでひとりぼっち。
新宿の定食屋で27歳の怪しい美しさを持った女性と相席になる(鈴木砂羽)。
雨だった。女性はびしょぬれだった。わけがありそうだった。
大学の先生は暇ですることがないから車で送ってやろうという。
女性はどこでもいいと答える。しいて言うならば、男の家へ行きたい。
「若い女なんてうんざりだ」と杉浦直樹は吐き捨てるように言う。
「女子大で教えているんだ。若い女なんてごろごろいる」

大学の先生はいま孤独感と人間不信でいっぱいである。
教え子の女子大生から研究室で「単位をください」と泣きつかれた。
答案にはミスチルの歌詞が3行書かれているだけだった。
冗談じゃねえよ。こんなんで単位なんかやれるか。落とした。
すると女子大生はどうしたか。
杉浦直樹から研究室で乱暴されそうになったという噂を広めた。
単位がほしいならと密室で先生に襲われそうになった。
大学に訴えたわけではなく、噂を広めただけだからよけい始末が悪い。
対処しようがない。手も足も出ないが噂はどんどん広がっていく。
大学のだれもが自分をそういう目で見るようになった。
正直、夏休みが終わってから大学に出て行く勇気のようなものさえ失っている。

先生は姉(岸田今日子)からも言われている。
「あなたはね、ひとりじゃないほうがいいの」
「そんなにひとりがいいの?」
杉浦直樹は姉に対しては強がるが自分でもそう思っている。
「ひとりなんかいや」「ひとりはもういや」
行き連れの27歳の女性もそう思っている。
双方の利害が一致したかたちで、
27歳の女性は家賃1万円で洋館のひと部屋を借りることになる。
友だちだというスナックで働く17、8の少女も越してくる(小橋めぐみ)。
どういう縁か孤児院育ちの捨て子である25歳の男もやって来る(筒井道隆)。
バランスを考えて杉浦直樹は、ノイローゼ気味の、
南米パラグアイから来た留学生のカルロスも寮から自宅へ越してこさせる。
「家へおいでよ」――ひとりが5人になったわけだ。

「若い人の役に立ちたい」というのが杉浦直樹の表の顔である。
いまどき家賃1万円で借りられるところなんてないだろう。
親切は他人のためにではなく自分のためにするという処世術を作者はよくわかっている。
親切をすることで、ときに人は孤独から解放されることがある。
長いこと大学の世界で生きてきた世間知らずという設定の杉浦直樹は、
61歳にしてこんなすばらしい世界があったのかと思う。
みんなが引っ越してきた晩、庭でパーティーをやった。
国籍も性別も年齢も異なるものがいっとき集い、場をわかちあう。
そのなんとすばらしいことか。尊いことか。慰められることか。生きる喜びか。
おそらく人一倍孤独に敏感な山田太一の理想郷というのはここにあるのだろう。
ひとりではなくふたり、3人、4人、5人が寄り添っていたわりあう。

とても優しい光景だ。
しかし、それは本当か? 本当はどうなっている? 本当はどうだ?
翌日からは人間がいっしょに暮らすことの大変さがこれでもかと強調される。
トイレの順番、食器洗い、挨拶、礼儀、人と人はうまくいかないようにできている。
孤独ならぬ集団(同居)のよさを悟ったつもりでいた大学の先生は現実を知る。
昨夜はあんなに和気あいあいとしていたひとりがこう言うのだから。
「ほっといてもらいたいの!」
昨晩のパーティーは先生への感謝を込めて、
下宿人全員で打ち合わせをして「死ぬ気で明るくしよう」と試みた結果だった。
現実はそういうものである。現実は甘かない。世間はそういうもんじゃない。

とはいえ、それでも人間はおもしろい。
そういう現実、世間をふくめて人間はおもしろいのである。
もしかしたら孤独に苦しむ人間の希望は、下世話な好奇心にあるのかもしれない。
先生ではないが、同様にヒリヒリした孤独に日夜向き合う当方は、
派遣バイト先でめぐりあう人間の下世話なドラマにとても癒されている。
いままでかなり下世話な取るに足らない愛憎劇を採取してきたが、
それは読書履歴同様、あるいはそれ以上のわたしの貴重な蓄積だ。
財産とまで言っていいのかもしれない。
ひとりではドラマがなかなか起きないが、人が集まるといろいろ厄介ごとが発生する。
若者なら愛だ恋だ友情だ、といったささいな揉め事にも巻き込まれよう。
そういう人びとのてんやわんやを見ながら、
孤独にヒリヒリしている杉浦直樹は下世話な好奇心を刺激され、不謹慎なことを思う。
「おもしろいね、人間が増えると」
こちらもおなじ。孤独。ひとり。
いまはもうあきらめたが、一時期どこでもいいから宗教団体に入りたいと思っていた。
むかしは否定していたボランティアも、いまは興味がなくもない。
それはおそらく無意識のうちに、
そうすることが孤独を忘れるための最良の手と感知しているからではないか。

しかし、ひとりもまたいい。
大学でフランス語を教える杉浦直樹は長年モンテーニュを生きる支えにしてきた。
いま勤務している大学の主任教授はパスカル好きだから、
学生にモンテーニュを教えることはできないが、自分は彼を長年の友としてきた。
杉浦直樹は自室にモンテーニュの肖像画を掲げている。
モンテーニュさん、と孤独な男性は困ったときの相談をフランス哲学者にしている。

「モンテーニュさん。あなたは言った。
ひとり静かに暮らしてみようなんて暇をつくってひとりでいると、
つまらない心配やバカらしい妄想がもくもくわいてくる」


モンテーニュだけではなく、吉田兼好もおなじようなことを言っている。
ひとりはよくないが、モンテーニュも吉田兼好も、働いたわけではない。
ひとりでいるのはよそうと思ったわけでもない。じっとしていた。ひとりでいた。
そうすることでモンテーニュは「エセ―」を、吉田兼好は「徒然草」を書いた。

ひとりがいいというのは美学でもポーズでもなんでもなく、
それがいちばんの安全策ではないか。他人は怖いだろう?
他人の怖さを知らないやつは世間を知らない。世間を舐めている。
世間とは他人の集団だ。他人は自分の都合でこちらになにをしてくるかわからない。
杉浦直樹は世間知らずだから、保証人も取らずに部屋を貸している。
軽々しく「家へおいでよ」なんて言ったら他人は土足で踏み込んでくるぞ。
世間知らずのわたしが世間を知ったようなことを書くと、
25歳で無職のみなしご、筒井道隆は保証人もいないし定職もないから、
ドラマ終盤で家を出て行けと大学の先生から言われるが、行き先がないはずである。
そこでおそらく住み込みのラーメン店という設定をつくった山田太一の世間知はたしかだ。
世間は冷たい。他人は怖い。人に気を許すな。
正義なんてうすら寒いもんで、女子学生がセクハラと言ったら、それでおしまい。
事実かどうかなんてどうでもよくて、お客さんたる学生の言い分が通っちゃう。
本当のことよりも、本当らしいことが持てはやされるのが世間というもの。

他人の限界を杉浦直樹はふたたびのパーティーで知る。
下宿人は大家のことを思って、彼を励まそうとして、パーティーを開いてくれたのだが、
その席で大学の先生の思い入れのあるシャンパングラスが無断で使われていた。
どうしてこれを無断で持ち出して使うんだ?
杉浦直樹は他人のありがたさ、他人の無神経さ、それから自分の無神経さを同時に知る。
みんなは自分のためを思ってやってくれたんだ。
しかし、それは無神経だ。しかし、それを無神経と指摘する自分もまた無神経ではないか。
ひとりだと孤独だが、いっしょにいると他人の干渉がたまらなくいやになる。
親切は干渉、お節介なのだから、それが功を奏すかはわからない。

世間は怖い。他人は怖い。人間はわからない。
27歳の板倉かやの(鈴木砂羽)は本当は怖いぞというタレコミが杉浦直樹のもとに入る。
ネット検索で知ったが鈴木砂羽は映画「愛の新世界」の主演女優なのか。
「愛の新世界」は大学時代好きだったので、おのれの女優識別能力の不足を嘆く。
板倉かやの(鈴木砂羽)は怖いぞ。
そう主張するのはむかしそこそこの大会社の営業二部の部長をしていた角野卓造。
彼女はむかし自分の部下だった。
ここのシーンがとりわけおもしろかった。
むかしは高級スーツを身にまとい、部下からの尊敬も集めていた角野卓造は、
いまはみすぼらしい格好で、鈴木砂羽に人生をめちゃくちゃにされたと訴える。
会社からも女房子どもからも見捨てられ、ひとり。
角野卓造は部下の野心あふれる鈴木砂羽をひと目見た瞬間に恋に落ちたという。
「無力でした。なにもかも失いました」
男と女の関係になったら、すぐに女はそれを誇示して部の方針を支配しようとした。
おなじ部のだれもが女の意向を気にするくらいの権力者になった。
それに対して、無力でした。自分はただもう鈴木砂羽の魅力に降参した。

これは山田太一さんの願望であり、わたしの夢でもある。
日常、生活、世間、常識に逆らって、
ひとりの女性にボロボロになるくらいおぼれてみたい。
銀行強盗をするくらい男性でもいい、女性でもいい、だれかに夢中になってみたい。
しかし、人間不信、女性不信(人間なんてこんなもの)から、ブレーキをかけてしまう。
孤独な無職者の角野卓造は、とても悲惨な人物として描かれていたが、
あるいは彼こそ人生の本当の味を知った果報者なのかもしれない。
これが相手の鈴木砂羽の言い分になると異なる。
鈴木砂羽いわく、角野卓造は男性社会の悪の象徴。
仕事ができる自分の邪魔をして、功績のいいところ取りをした。
自分が提案したプロジェクトをつぶしておいて、
それを自分が考えた企画として上に通すようなことも数知れなかった。
あげく、男って最低。
男はたいがい女なんかやっちゃえば自分の言うことを聞くと思っている。
ある晩、仕事の話だと酒に誘われて睡眠薬をのまされレイプされた。
チクショーと思った。あいつの言いなりになるか。
次の日から、あたしは部長の女だと自分から言いふらしてまわった。
そう言ったら、みんなあたしに逆らえないのがおもしろかった。

「家へおいでよ」のなかでいちばん興味深いテーマである。
どっちの言うことが本当のことなのだろう。どちらの主張が正しいのか。
双方ともに自分は本当のことを語っていて、正しいという認識があるのである。
睡眠薬うんぬんは女性の妄想の可能性もある。
ダメージがどちらが深いかといったら再就職できている女性より、孤独な中年だ。
魅力的な女性というのは、こういうことをすることを山田太一は知っている。
というか、そういう(重度の人間不信の)山田太一やわたしの夢の結晶が、
「家においでよ」の板倉かやの(鈴木砂羽)かもしれないわけである。

とはいえ、「そんなことは世間にはいくらでもある」。
「立ち入らないほうがいいだろう」

だから世間は怖い。他人は怖い。人を軽々しく信じるな。
まさか人のよさそうな板倉かやの(鈴木砂羽)にそういう過去があったとは。
のみならず女は最初の日、先生が手を出してきたら、
おなじことをして男の人生を台無しにしてやろうとたくらんでいたと白状する。
孤児という育ちのため、
苦境に人格を磨かれたかのように見える好青年の林田泰弘(筒井道隆)も怖い。
孤児院は中学までなので、15歳から働きづめである。
蒲田の町工場の夫婦には自分たちの実の息子のようによくしてもらった。
こういうことを言うと自慢のようだが、自分は若いし最新テクノロジーの仕事もよくできた。
ところが、町工場のひとり息子が帰ってきたらがらりと態度が変わる。
跡継ぎ息子は30過ぎまでふらふらしていて、しょぼい詐欺事件で執行猶予になった。
行き場がないので実家の町工場に戻ってきた。
長らく遊び歩いていたやつだから、どう見ても使えない。
衝突は何度も起こったが、こちらは一歩も二歩も身を引いた。
ドラ息子の提案で新しい機械を入れようという話になった。
それはどう考えても町工場の利益にはならない。下手をすると借金で倒産してしまう。
お世話になった経営者夫婦のことを考え、自分は必死でとめようとした。
しかし、夫婦はドラ息子の味方をする。
いままで不良のかぎりを尽くしてきた息子が、こんな仕事の提案をしてくれるのが嬉しい。

「家族って怖いね。間違ってもいいんだ」
と(家族を知らない)孤児の林田泰弘(筒井道隆)は思う。
孤児の筒井道隆は女性と交際していて結婚する直前までいっていた。
相手の女性は有名大学を出ていた。
結婚話がこじれたのは、筒井道隆が中卒だからということもあった。
工場ではみんな仕事のできないドラ息子を重宝する。
婚約者もその家族も、孤児で低学歴の自分に抵抗を示しているような気がする。
なんなんだよ、これ。冗談じゃないよ。バカヤロウ。
あるとき仕事のできないドラ息子が林田泰弘(筒井道隆)を面罵する。
「黙っていろ、中学が!」
その瞬間、喧嘩の強い筒井道隆は、
お世話になった工場の経営者や仲間をぶん殴り、蹴とばし、機械をぶっ壊して、
そうしてひとりになって(恵まれた)大学の先生の洋館にたどりついたのである。

「家族って怖いね。間違ってもいいんだ」と孤児が思う、このリアリティー。
むかし派遣職場で、捨て子で孤児院で育ったという好青年と会ったことがある。
いまでも彼のことをドラマのワンシーンのように記憶している。

「気持はわからなくもない」と大学の先生(杉浦直樹)は思う。
孤児出身の筒井道隆は、
高校生相手にカツアゲをしているところを同居人に目撃されている。
理由は、「ろくに働いたこともないくせに、幸福そうな顔をしやがって」。
ふたたび、「気持はわからなくもない」だ。
気持はわからなくもないが、しかし、この「しかし」が人を孤独にして同時に自分を形づくる。
恵まれた裕福な大学の先生は孤児に1週間以内に家を出ていきなさいと言い渡す。

ハンサムでイケメンな25歳の孤児、林田泰弘(筒井道隆)に恋しているのが、
スナックに勤める十代の土屋礼子(小橋めぐみ)。
少女にも人生への引け目のようなものがある。
母親が自転車の事故に遭った。冗談みたいに5メートルくらい吹っ飛ばされた。
それから意識不明。父親は湿っぽくなっちゃって、いつも暗い顔をしている。
食事の準備や洗濯を娘の自分にさせて当たり前のような顔をしている。
何度、お見舞いに行っても母親の意識は戻らない。父親は陰鬱だ。
こんなことであたしの人生は終わっちゃうの? もういやだいやだ。いやでたまらない。
両親を捨てて家出した。
この洋館に越してきてからは住所も父親に教えていない。
「大丈夫と言って」と少女は老先生に頼む。
「大丈夫と言って、きつーく、10秒くらい抱きしめて」

恥ずかしい私事を書くと、最近わたしも大丈夫と言ってと電話でお願いしたことがある。
それもひとりにではなく、ふたりにだ。
電話で笑われたが、くじけず、お願いしますから大丈夫と言ってくださいと。
嘘でもいいからと。
ものすごい底の浅い話をすれば、
孤独と不安の処方薬は「わかる」と「大丈夫」なのだ。
本当は人はわかりあえないが(おそらく)、嘘でもいいから「わかる」と言ってほしい。
本当は生きているあいだ、なにが起こるかはわからないが、
嘘でもいいから「大丈夫」と言われ安心したい。
占い師は「わかる」と「大丈夫」をうまく使える人ほど成功を収めるだろう。

いっときは先生の大丈夫に救われた土屋礼子(小橋めぐみ)だが、
大家が自分の好きな林田泰弘(筒井道隆)に出て行ってくれと言った。
結果、筒井道隆はひとりさみしく家を出て行った。
このことについて、そんなことあるか? と思う。ひどい。
大家だからってそんなに偉いのか? 大学の先生はそんなに偉いの?
ここで少女は27歳の鈴木砂羽と悪だくみを先生に仕掛ける。お芝居をする。
杉浦直樹が帰ってきたことを知りながら気づかないふりをする。
そうしてふたりが裸でいることをセリフで先生に知らせるのだ。
若い女性ふたりがドアの向こうで素っ裸でいる。
大学の先生は覗くか、それとも自分を抑えるか。
ここもいかにも山田太一ならではで非常におもしろかった。
男なんてどんなにかしこまっていても、若い女の裸のまえではいちころよ、
という一種のある面からの真実(本当のこと)から目を背けようとしない。
結果、孤児の青年を裁いた杉浦直樹は覗きをしてしまう。
もとより、それは女性陣の画策で全裸ではなく水着姿であった。
セクハラ疑惑のある大学の先生は若い女性ふたりからとっちめられる。
あなたに林田泰弘(筒井道隆)のことを批評できる資格はある?
あなただって覗きをしているじゃない?
ことによると本当は大学でセクハラもしていたのではないか?
女ふたりも洋館を出て行くと言い放つ。
パラグアイからの留学生、カルロスも
先生が親切からしたことを迷惑で無神経な行為だと憤り出て行く。
「家へおいでよ」の先生、杉浦直樹はまたひとりになってしまった。
ここまでが5回で、あとは最終回を残すのみ。
どう決着をつけるのか、1日時間を置くことにした。ひとり自分でも考えたかった。
最終回では先生と女子大生との直接対決が大学で行なわれるようなことが匂わされる。

最終回――。杉浦直樹は弱っている。ドラマ初回よりも孤独に参っている。
なまじいっとき孤独から脱出できそうな気配を感じたのがよくなかったのかもしれない、
大学での公開査問も行なわれず、それよりマスコミに嗅ぎつけられたら困るということで、
杉浦直樹は大学へ来なくていいという通達を受けている。
広い洋館にひとり。だれもいない。なにもない。することもない。ひとり。
宅急便の配達夫とも話したいくらい孤独である。
これをわかると書いてしまうと精神の疾病を疑われそうだが、
わたしも夜に交番のお巡りさんと「こんばんは」と挨拶しただけで、
ぞくっとするくらい喜びが体内に込み上げてきた経験があるので、
恥ずかしいことこの上ない。あーあ、白状しちゃった。

大学の先生は土屋礼子(小橋めぐみ)が2ヶ月ぶりに訪問してくれると喜色満面である。
聞くと、孤児の林田泰弘(筒井道隆)はもう若い女の子と付き合っているとのこと。
これってどういうこと? いったいどうなっているの?
少女はまた先生に大丈夫と言ってと頼む。
先生「大丈夫?」
少女「質問じゃない」
先生「――」
少女「こう大丈夫って(と示す)」
先生「(自信なさげに)大丈夫」
少女「そうじゃない」
先生「(少々威厳を保ち)大丈夫」
少女「そう。もう一回お願いします」
先生「(わけがわからないながらも確信ありげに)大丈夫」
少女「(満足する)」

大丈夫と言ってと頼まれた杉浦直樹が「大丈夫?」と聞くやりとりで大笑いした
この山田太一のユーモアが好きである。とぼけたユーモアがおもしろい。
それは庶民のよろしさ、おもしろさ、どうしようもなさにも通じる。

大学の先生は不満である。「大丈夫」と言ってほしいってなんだ?
自分はフランスの哲学者、モンテーニュの言葉をたくさん知っている。
モンテーニュではなく大丈夫なんていう安っぽい言葉で、それだけでいいのか?
そのうえ自分の話を一方的にしただけではないか?
こちらの話はぜんぜん聞いてくれない。こちらの孤独感はどうすればいいんだ?
こういう煩悶のあげくに杉浦直樹はまた自室のモンテーニュの肖像画と向き合う。
モンテーニュをまえにしたら大学の先生も素直になれる。
しかし、そもそも人間ってそんなもんですよね。
「みんな自分のことでいっぱいです」
モンテーニュさん、あなたは言った。

「何事にも終わりがある。辛抱しろとあなたは言った。
弱音を吐かずに辛抱しろだ。そのうち多少いいこともある」


パラグアイの留学生、カルロスが最終回でおもしろいことを口にする。
カルロスはパラグアイに美しい婚約者がいた。
彼女の家に行ったとき、庭の木に美しい花が咲いていた。
カルロスは日本に来てから鉢植えに毎日水をかけている。
その鉢植えはどういう謂われ? と女性陣から聞かれてカルロスは答える。
自分は婚約者の家の庭できれいな花を見た。感動した。
その木の下の土をひとつかみポケットに入れた。
それを日本まで持ってきた。鉢植えを買った。日本の土を入れた。
そのいちばん上にパラグアイから持ってきたあの婚約者の家の庭の土を置いた。
「それって種もなにもないんでしょう?」
「はい」
「そもそも木じゃない」
「はい」
「木が鉢植えで育つって思う?」
「わかっています」
「どうして毎日、芽が出ない鉢植えに水をやるの?」
「それが私の喜びです」
NHKとはいえ、たかがテレビドラマのセリフのやりとり。
しかし、これはものすごい希望を語っているような錯覚をいだきかねない。
花が咲かないどころか芽さえ出ないことをわかっている鉢植え。
どうしてそこに水をやってはならないのだろう?
花が咲かないことをわかっていても水をやるのが喜びなら、それでいいのではないか?
芽が出なくても、土に水をやることを喜びと感じなかったら、生きるのは味気なさすぎる。
人生とは、そういうものではないか?
われわれみんなどうせ花が咲かない地所に水や栄養を与えているだけではないか?
それが人生の喜びであって、そこまで他人から責められるべきものか?
芽が出ない花が咲かないという事実に変わりはないが、
それでも水をやるのが喜びであるという人生はそこまで悪くもあるまい。

ドラマ「家へおいでよ」はどうなったか。
実はお屋敷を追放された孤児の筒井道隆のつきあっていたのは、
杉浦直樹からのセクハラ被害を訴えている女子大生であった。
とびきりハンサムでイケメン、善人っぽい筒井道隆はそうと知りながらナンパした。
「先生への恩を返したいと思って」
本当のことを知りたい。本当はどうなっているのか?
洋館での公開裁判の結果、事実は杉浦直樹はセクハラをやっていなかった。
「うっかり乱暴されそうになったとか言っちゃって、引っ込みがつかなくなった」
「私が悪者。ひどいやつは私」
テレビドラマの最後は一同集合。
みんながみんな「私が悪者。ひどいやつは私」と思っているため、それぞれを許し合い、
一夜の和解、意気投合、歓楽を味わう。
あたかもこのくらいしか生きる味わいがないとでも言うかのように。

山田太一ドラマの特徴のひとつは説明過剰だが、
作者は杉浦直樹の姉の口を借りて、この作品の趣旨を説明している。

「まるで芥川の『蜘蛛の糸』ね。
エゴイストのあなたが、たった一回、若者の役に立とうとした。
そのことを仏さまは見ていてくれて、地獄に堕ちたあなたに糸をたらしてくれた。
おかげであなたは(セクハラ騒動から)救われた」


ドラマの最後にエピソードとして加えられていることを紹介する。
大学の先生、杉浦直樹の姉(岸田今日子)は夫と不仲である。
やりきれないほど、うんざりしている。
ところが、夫が倒れ病院に運ばれ残り3ヶ月と言われる。
「死ぬのも悪いばかりではない」
夫は老妻の岸田今日子の美しさを口にするようになった。
岸田今日子も彼女なりに、
余命少ない、終わりがある、うんざりしていた夫の美しさに気づく。
「いままであいつ(夫)は時間を持て余していた。
しかし、こうなって、毎日のように、日々、少しずつ、透き通るようになっているわ」

「何事にも終わりがある。辛抱しろとあなたは言った。
弱音を吐かずに辛抱しろだ。そのうち多少いいこともある」


これは山田太一が最後(?)の芝居「心細い日のサングラス」で、
万人向けには書けなかったという、死にゆく人への救いの言葉だろう。
「何事にも終わりがある。辛抱しろとあなたは言った。
弱音を吐かずに辛抱しろだ。そのうち多少いいこともある」
そう思うしかないという、いくらか悲観的な人生観である。
「家においでよ」は2年まえに録画していたが、いままで視聴しなかった。
山田太一ドラマは視聴するのも感想を書くのも疲れるし時間がかかるのである。

※こんな長文記事を最後までお読みくださったかたに心底より感謝いたします。
ほかにすることはあるのに、この記事に何日も費やしたことを世間さまにお詫びします。
しかし、本当にいい山田太一ドラマでありました。
大学や高校にあまり母校意識はない。
このまえ自分を見つめ直そうと出身高校を見にいったら変化が著しい。
中高一貫になったのは知っていたが、制服ありになったのか。
全員ホームステイとかなんとか書いてあったから金持学校になったのやもしれぬ。
いちばん勉強して、講師がもっともおもしろく、思い出深いのは河合塾。
河合塾には高校時代、浪人時代に通った。

東大英語(英文解釈)の栗林先生がおもしろくてねえ。
授業中に自分の妻がガンで余命わずかだとか語っちゃうんだよ。
その栗林が本当はハゲで、あれはヅラだとばらしたのが日本史の石川先生。
池袋校の東大日本史は桑山先生だったのだが、早逝した彼もおもしろかった。
授業中にいきなり、ふてくされるのである。
どうせ自分は早稲田だよ。
早稲田が東大日本史を教えられるのかって言われて、プンスカになっちゃう。

自分はガンでもう残り少ないが、
いま雇用元の河合塾と喧嘩している――という話を
えんえんと授業中にする英語ヒアリング(リスニング?)の講師もいた。
河合塾でいちばん懐かしいのは現代文の大川邦夫先生(故人)。
あの人にカリスマということを教わった。大川邦夫はカリスマだ。
法政大出身なのに東大現代文を堂々と、生徒に尊敬されながら教えていた。
クセが強い講師が大勢いた。

日本赤軍の重信房子の娘さんであるメイ氏が
河合塾の講師をしている(していた?)そうだ。さもありなんである。
代ゼミが崩壊したいま、
ようやく河合塾がほんものだと気づいた人も多いのではないか。
うまい講師は(代ゼミのように)わかりやすく教えるというよりも、
学生に自分から勉強する気にさせるのである。

高校生のわたしはなんの勉強もしていないのに現代文の偏差値が高く、
記述問題で大川先生に激賞され、
それをきっかけに大川先生を盲従して現代文を勉強していったら、
学習量に反比例して現代文の偏差値は下がっていった。
そういうものなのだろう。
いまでも覚えているのは河合塾池袋校東大クラスの漢文講師。
どこかの大学で(教授ではなく)講師をしているという高齢男性だった。
男は黒板に「愚直」と書いた。愚直にやりなさい。
そのクラスは人気がなく、どんどん生徒が減っていった。
しかし、わたしはいまもって20年以上もまえのことを覚えている。
黒板に「愚直」と書いた冴えないが、しかし誇り高き漢文講師のことを。
40を過ぎたおっさんが男子もなかろうと思いながら、そのこらへんは、まあその。
おおむかし肉食系とか草食系とか流行った気がするが(ボケているから詳細不明)、
肉か野菜かという選択肢(カテゴライズ)ではなく、
肉か魚のいったいどちらがという分類もあってもいいのではないか?
飛躍すれば、炭水化物男子という分け方もあるのではないかとね。
炭水化物は米、麺麭(パン←読めた?)、麺で貧困層が陥りがちな嗜好である。
いまはほっそりとした富裕層みんなが嫌っている炭水化物。
いまのところに越してきて驚いたのは、肉より野菜のほうが高い。
損得だけで物事を見ると、肉食系は安上がりと言えましょう。
肉は好きだが、味にあまり変化がないとも言える。
ここで肉か魚という新たな疑問が生じ、わたしは肉よりも魚のほうが好きなのだ。
「魚>野菜>肉」がわたしわたしわたし。
ご批判をいただきそうなことを書くと、肉食系とか草食系とか、どこかしら単純。
ここで言う魚とは海産物のことで、うにもほたてもいくらもあじなめろうもすべて入る。
がっつり肉でいくとか、シャレオツにベジ(野菜)でとか、
そういう二分法にはおさまらない深い味わいが海のものにはあるような気がする。
こんな意見は貧乏人のざれごとで、
いざ最高級の肉や野菜を口に入れたらころっと変わってしまうのかもしれない。
ひねくれたことを言うと、ころっと変わるのが、あるかなきかのわたしの長所です。
客観的にはどうだかわからないけれど、主観的には非常に行き詰っている。
旅に出たいと思ったが、行きたい場所もないし、懐がそう豊かなわけでもない。
某月某日、某派遣会社の仕事に応募した。旅に出られるからである。
早朝業務のため前日はホテルに宿泊させてもらえる。
ホテルに泊まるなんていつ以来だろうとウキウキする。大和第一ホテルに到着。

DSC_0091.jpg

かつて旧満州の大和ホテルには高額すぎて泊まれなかったが、
こうして人様のお金で別のいわば大和ホテルに行き着いた。
てっきり東横インだと思っていたが、ここでしたか。
おなじ派遣の人を何人も見たが余裕のない、しかし彼らのそつのない行動ぶりに驚く。
ホテルに泊まることをぜんぜん喜びと感じていないことに彼我の相違を感じる。
夜の大和駅周辺を軽くパトロール。
スーパーで半額のうにと弁当を買い、狭いホテルでささやかな孤独酒宴。
テレビをBSのTBS、吉田類の酒場放浪記に合わせる。
その次の番組で日蓮が特集されていて、TBSはそっち系なのかと思う。
まさか42歳まで生きていて、大和のホテルに泊まり、酔眼で日蓮を見るとは。
乞食根性。せっかくホテルに泊まったのだからとバスタブに湯をため、
何年ぶりか湯船につかる。旅の宿で風呂。山頭火気分を出そうとする。

朝4時起床。大和駅から中央林間駅へ。東急線乗降者調査の派遣仕事。
聞きしにまさるほどの楽な業務。これは仕事ではない。
朝6時、7時からスーツ姿で駆け込んでくる乗客を見ると申し訳なさでいっぱい。
山田太一ドラマ「早春スケッチブック」のテーマ音楽が脳内で流れる。
生活とは、こういうものだ。生きるとは、こういうことだ。
制服姿の女学生も目に入るようになる。なぜか男子学生はあまりいなかった。
しかし、それが生きるってことかよ。
教科書を見ながら歩いている子も多い。
勉強していい学校に入り、いい会社に入り、いい結婚をして、郊外に家を買い――。
しかし、それが人生だ。わたしは人生を知らないと青臭いことを中央林間で思う。
つくづく山田太一が好きである。

隣でカウントしていた男子が早稲田商学部の4年生。
もう就活は終わっていまは卒論に取り組んでいるという。
自分は一文で、卒論は創作小説だと言ったら二重に驚いていた。
「こんなことってあるんですね。たまたま来ただけなのに」
小説はあれから18年書けないでいる。
右横のカウント派遣は60過ぎのじいさんで、
おなじ単発派遣なのになぜか偉そうに指示を飛ばしてくる。
こんな楽な作業にどうしてそんな真剣になれるのかは不明だが、
仕事とはそういうものかもしれない。
左の早大生、右の仕事狂、どちらに聞いてもこのへんで観光するなら江ノ島しかないと。

偶然にまかせる。
10時ごろ死ぬほど楽な派遣仕事から解放され、することもないので江ノ島へおもむく。
正直、江ノ島にはまったく期待していなかった。
むかし子どものころ父に数度、
海水浴に連れてきてもらった記憶があるが、あまりいい思い出でもない。

片瀬江ノ島駅に降車した瞬間、空気の違いを感じる。
ここは観光地だと思う。アジアの香りがする。
当初は江ノ島には行かないで、
七里ヶ浜を散歩して長谷寺にもでも再訪するつもりだった。
いちおう仕事明けなので、
江ノ島の浜辺でローソンのチキンを食べながら第三のビールをのんでいたときだ。
まだひと口しか食べていないLチキをトンビにさらわれてしまう。
左手に持っていたチキンを映画かなにかのように鳥に持って行かれた。
前日、太宰治の「竹青」を読んでいたので奇妙な符合に感じ入る。
「竹青」はカラスと恋をする話だ。中国民話をもとにして書かれた小説。
チキンをトンビにさらわれたまさにその瞬間を目撃した江ノ島カップルと目が合う。
左手で、見た? 見た? これ? とアピールする。

江ノ島から歓迎された気がした。ほう、そう来ましたか。ならば、偶然にまかせよう。

DSC_0092.jpg

江ノ島がよかった。ここまでいいとは思わなかった。
もしかしたら江ノ島は日本最高の観光地ではないか。バタ臭いのがいい。
奈良京都のように澄ましているわけでもなく、浅草のように押し出しが強くもない。
江ノ島はいかにも観光地といったいかがわしさ、うさんくささ満杯なのがいい。
江ノ島に入るところで、高そうなスーツを着た50くらいの日本人男性から声をかけられた。
タブレットで自分たちの写真を撮ってくれというのである。
上品な男性はおなじく品のよい同年齢の女性と連れ立っていた。
お忍びの関係のように見えた。
写真の撮り方を聞いたら、ここを押すだけだという。
まだまだ大丈夫。人から写真撮影を頼まれるくらいだから、外見はまだまだ大丈夫。

しかし、どうしてわたしが日本人だとわかったのだろうか。
そのくらい江ノ島観光客は中国人率が高い。欧米人がいるのも嬉しい。
江ノ島はたとえるならば、中国の観光地、青島(ちんたお)にそっくりだ。
青島ビールで有名なあそこ。
お洒落でなく、泥臭い、しかしなんだか肩のちからが抜ける観光地。
江ノ島はいいよ。
おなじ派遣の早大生から聞いていたように、
たしかに江ノ島に入った瞬間からコンビニがなくなる。
缶ジュースやビール、酒が少しづつ高くなっていく。
どう見てもいかがわしい海産物の焼き串が、その場のノリで高値で売られている。
午前中からビール、酎ハイ、酒がこれ見よがしに売られているのがよかった。
観光地はこうでなくっちゃ。

DSC_0103.jpg

江ノ島はむかしぶらぶら遊び歩いたアジアのかぐわしき香りをふんだんに漂わせている。
脱力した高齢ファラン(白人)集団のなまくらな観光姿勢も好ましい。
飛行機に乗ってアジアに行かなくても、江ノ島に最高のアジアがある。
海辺の江ノ島だから海産物(しらす)というイージーな発想もよろしい。
しらす丼とかまぐろ丼とか煮魚とか、異常なほど高価で出しているのがうっとりアジア。
江ノ島で魚なんて取れないっしょ(たぶん)。
しかし、そのインチキなところがアジアで、いいよろし。
江ノ島はむかしながらっぽい食堂がたくさんあり、どこも海産物と酒を全面に出しており、
下界と比べて値段は非常に高く、あまりおいしくもなさそうだが、
そこがグー、アッチャー、ハオ。

たぶん江ノ島の本島にはこれがはじめて来たと思う。
日本にもこんなすばらしいアジアがあったのかと深く感動する。
なにより観光客がいい。観光とはこういうものだということがわかる。
耳に入ってくる中国語の音調がなんとこころよく響いてきたことか。
これは第二外国語が中国語だったことや、
かつて2ヶ月近くかの国を旅したことがあってのことだろう。
この偶然感動はなんだろう。

DSC_0099.jpgDSC_0097.jpgDSC_0098.jpg

江の島大師。南無大師遍照金剛。
中国人や白人には空海がなにがなんだかわからないと思う。
わたしも空海には無知だったが、
縁あって今年、かの日本人のよりどころの著書に触れた。
南無大師遍照金剛。

江ノ島には日本人の小学生も遠足に来ているのである。
これこそまさにアジアの観光地、人を選ばない、みんなが楽しめる、それが江ノ島。
江ノ島は日本の進化から取り残された孤島のようなところがある。
若者が「おれ、お酒の自販機をはじめて見た」と騒いでいた。
さすがにおっさんのわたしはその存在を知っていたが、
それでも懐旧の感激があった。もしかしたら江ノ島は日本最高の観光地ではないか。
江ノ島は土産屋や食堂の客引きがとてもいい。

これはすごいところに来たのではないかと本気になる。
江ノ島にはなにがあるのか。

DSC_0100.jpg

よくわからんが、踊り念仏の一遍上人の記念碑があった。
一遍といえばもっとも心酔する念仏者である。
一遍を知らなかったらおもしろくもなんともないが、わたしは深い感動をおぼえる。
南無阿弥陀仏。南無阿弥陀仏。踊れ。まかせよ偶然に。信じろ人間を、世界を、宿命を。
なんちゃって、えへへ。

DSC_0104.jpg

ザ・エノシマ。
いいな、この感じはアジアだ。アジアのゆっくりとしたいいかげんな、
そこそこデタラメな感じ。
ゆる~い、てきとうな、ジャンクな、のほほんとした、しかしけっこう計算高いところもある。
エノシマケイブ。
ここが江ノ島観光のクライマックスらしき洞窟に行き着く。
入場料500円とのこと。高い。入らない。
ラオスのルアンパバーンにも似たようなところがあり、
そこはしっかり観光したのに日本だとケチだね。
海を見ながら持ち込みの缶チューハイをのみ昔日の感傷におぼれた。

江ノ島、お腹いっぱい。さて、これからどこに行こう。偶然にまかせる。
流れるように流されるように歩いているとやはり江ノ島はすばらしい。
まるで日本じゃないみたいとも、治外法権だとも、反対にここが日本だとも思う。
妙に田舎くさいお洒落を江ノ島は演出している。
ふたたび、バタ臭い。だが、そこがいい。シャレオツよりもバタ臭いほうがええやん。

いちおうなにかあったときのために文庫本を持参していた。
15年まえに購入したハイキングコースが多数掲載された文庫本。
むかし何度この本のインチキガイドにだまされて道に迷ったことか。
そこがおもしろかったので、この本はいまでもたいせつである。
またもや記載地図が現実とは異なっているのがいい。
なぜか江ノ電の江ノ島駅に着く。それもまたよし。
ベトナム風サンドイッチのバインミーの看板が目に入る。
思えば、ベトナムこそ江ノ島で、
江ノ島にこうも満足したのはまるでベトナムの観光地のようだったからである。
ベトナムのニャチャン、ダラットを懐かしく思い出す。
500円もするバインミーなんて東京なら決して食べないが、ここは異界の江ノ島。
12年ぶりのバインミーをセブンイレブンで買ったハイボールとともに食す。
あれから12年も経ったのか。けっこうなんとかなるもんだ。

ほろ酔いかげんで、いいかげんにデタラメに歩くと寺がある。

DSC_0106.jpg

龍口寺? そういえば文庫本にも観光名所として載っていたな。
JRや江ノ電の駅を降りればすぐに案内がありわかると
15年まえのガイドブックには書いてあったが、実際はそうではなかったような気がする。
なにが龍口寺だと半笑いで物見気分で入っていく。やべえと気づく。

DSC_0107.jpg

龍口寺のタツノクチって、むかし創価学会の教科書で読んだ、「竜の口の法難」のあそこか。
日蓮が処刑されそうになったが奇跡が起きたというのが「竜の口の法難」。
昨夜、ビジネスホテルのテレビでも見たが、この偶然はなんだろう。いや、ただの偶然。
まさかここで日蓮が来るとは。
龍口寺は日蓮宗のお寺。
日蓮宗は主流で、創価学会を生み出した日蓮正宗はどちらかといえば亜流。
江ノ島散歩。空海、一遍に引き続いて今度は日蓮かよ。

DSC_0108.jpg

日蓮大聖人。
わたしは弘法大師空海、踊り念仏の一遍上人と同様に日蓮大聖人も好きだ。
南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。
寺社に入ると酔っているためだろう。不思議な涙が込み上げてくる。
南無妙法蓮華経とこころのなかで唱えながら、18年まえからのおなじ祈りをする。
きっと祈るというだけで救われているのだろう。
祈る対象がいるというだけで救われている。そのくらい人間は無力、無力、無力。
ふだんなら絶対にそんな散財はしないのだが、
意味のないおまじないに500円支払う。
小さな絵馬に自分の名前を書いて割り、
それを寺社に渡すと厄災から逃れられるというのである。
いまは超常的なものならなんにでもすがりつきたいくらい弱っているので、お願い。
こんなことはバカらしいとあざ笑いながら、
いや、これで宇宙世界にアクセスできたぞと安心しながら料金を支払う。
結局、なにがどうなるかなんて人間にはわからないのである。
おみくじも買う。いま行き詰っているので、念を集中して、出でよ真実と思いながら。

DSC_0109.jpg

道はけわしい。この先になにがあるのだろう。

DSC_0110.jpg

南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。南無妙法蓮華経。
少しは偶然世界にアクセスできているのだろうか。人生は偶然といってよい。
しかし、人間は偶然にアクセスする方法をほとんど持っていない。
だれかが幸福になるのも不幸になるのも、おそらくは偶然。
南無大師遍照金剛。南無阿弥陀仏。南無妙法蓮華経。以上、歴史の順番。

久しぶりに長谷寺に行こうかと江ノ電に乗車。

DSC_0112.jpg

長谷に着いたのは4時をかなり過ぎており、駅員さんからもう観光できないと教えてもらう。
鎌倉大仏ならぎりぎりセーフと聞いたが、そこまでして見なくても、もう見るべきことは見つ。
いざ鎌倉。

DSC_0116.jpg

鎌倉も10年くらいごぶさたしていたが、記憶が弱っているためかむかしとは異なる容貌。
品川駅で人身事故。電車はとまっています。鎌倉駅のサイゼリヤは休店中。
ひとり死んだ。ひとり自殺をした。ぐちゃぐちゃになって死んだ。
昨日まではスーツをまとい意気揚々を装い電車に乗った人が電車に飛び込んだ。
みんなに迷惑をかけないように生きてきた人が最後にみんなに迷惑をかける。
家に帰れるのかよ、とわたしは思った。
帰宅後、龍口寺のおみくじを見直して、また感傷の涙に暮れた。

DSC_0122.jpg

「今までは心が家に帰らぬように彷徨(さまよ)っていたが、
時期が来て家に戻りくつろぎの場を得るだろう。
心を共にする人もあり、地位も富も増して来て、いろいろなことが叶い、
何事にも吉となって来る。
霊跡本山 龍口寺」


南無妙法蓮華経。南無阿弥陀仏。南無大師遍照金剛。
江ノ島の専門店で10年ぶりくらいにバインミーを食べた。
バインミーとはベトナムのフランスパン、サンドイッチのこと。
むかしベトナムを1ヶ月遊び歩いたとき、毎日のようにバインミーを食べたものだ。
異論は大いに、というよりもすべてそのまま認めるが、
いちばんうまいベトナム料理はバインミーだと思っている。
江ノ島の専門店にはいろいろなバインミーがあった。価格はひとつ5百円前後。
「どのバインミーがもっともベトナムのものに近いですか?」
うちのバインミーはベトナムのものよりおいしいとのこと。
現地で食べたものよりうちのほうがうまいという(日本)人も大勢いる。
でも、ベトナムの味を出せるという。
ヌクマム(ベトナムの醤油みたいなもの)を使いましょうか?
ヌクマムを知っていますか?
「し、知っていますよ。料金を追加しても構いませんからマヨを多めにしてください」
マヨはすべての繊細な味をぶち壊すから、
高齢男性がいやな顔をしたのを見て取った。
ベトナムではバインミーに入れる香草が日本では手に入れることができないとのこと。
だから、どうしてもベトナムそのもののバインミーは出せない。
「じゃあ、お任せします。すべてお任せ」
こだわりがある千葉のポークを使ったオリジナルの特製バインミーを購入。
男性は東京のバインミー名店をすべて食べ歩いたとのこと。
そのうえでうちのバインミーがいちばんうまいという結論に達した。
ほかはパンに米粉を使っていないが、
うちは本場のように米粉を使ったパンを使用している。

これはあなたのためだけの特製バインミーなので感想をうかがいたい。
「観光でたまたま来たので」
ならば、ということで無料ドリンククーポン券をいただく。
「宣伝しておきますよ」
江ノ島バインミーを食べたが、うまいのかまずいのかわからない。
わたしがベトナムで食べたバインミーとは違う味だが、
あっちで口にしたのは1個50円とかそのレベルの屋台バインミーだ。
それをベトナムの味と言ってしまっていいのかはわからない。
ベトナムのバインミーは若きころの思い出の味という部分があり、
いま両方を江ノ島でいっしょに出されたら、
日本の観光地に軍配を上げるような気がする。
だが、「思い出補正」があるためベトナムのバインミーの魅力はなにものにも代えがたい。
日本のマックやロッテリアがなぜバインミーを出さないかと言ったら、
あれは万人受けはしないからである(一部には受けるが全体のメリットが少ない)。
そもそもいまでさえバインミーの名前を知っている人がどれほどいるか。
商品化するならベトナム風サンドイッチと変名するのが経済効率は高いだろう。
おいしいとはどういうことだろう? うまいってなに?
美味や嗜好というのはかなり経験や事前の知識に左右されるのではないか。

そして売れることと、うまいことの相関性はどうなっているのだろう。
本物(のコピー)を出すのと偽物(オリジナル)を出すのでは、どちらが売れるのか。
日本でベトナム屋台のバインミーをそのまま出しても売れないが、それは本物。
バインミーに影響を受けたオリジナルのサンドイッチは売れるかもしれない。
ベトナムという異国情緒がないから、まったく売れないかもしれない。
近年、流行のインドのバターチキンも、あれは現地の味ではない。
わたしが29歳のときにインドで食べたバターチキンは、
どれも脳が爆発するようなうまさだった。
そのため日本のバターチキンや風味はかなり食べたが、どれも物足りない。
ひとつとして満足したことがない。
しかし、商品が継続販売されているということは日本で売れているのだ。
ならば、そちらが正義のバターチキンとも言えるのではないか。
心理学者の河合隼雄はスイスのユング味とは異なるが、
日本風味としてはとてもおいしい。
わたしは河合隼雄のほうがユングよりもおいしいと思っている。
反対を書くと、海外で口にする日本食は違和感を感じることばかりだが、
あれで商売が成り立っているということは現地の人にはそっちのほうがうまいのだ。
グルメの話ではなく、文芸について語ったつもり。
むろん正しいことを言ったつもりはない。なにが正しいのかわからない。わかりません。

オリジナルの源氏物語よりも、
角田光代さんの訳したそれをおもしろいと思う人も大勢いらっしゃるでしょう。
ドラえもんののび太くんに象徴されるよう、0点はバカの表象的記号である。
だが、考えてみると0点を取れるのはとても運がいい確率的奇跡だ。
試験は採点者の都合からぜんぶ筆記問題ということはなく、かならず選択問題が入る。
四択くらいがいちばん多いだろう。
適当に回答しても25%の確率で当たってしまうのである。
マーク式のセンター試験レベルならその日の運のよさだけで偏差値70も夢ではない。
むしろセンター試験で0点を取るほうが才能があるとも言えよう。
当てようと思ってなくても確率的に当たらざるをえない。0点は強運の証拠とも。
言いたいことは、0点は取ろうと思ってもなかなか取ることができない。
いや、それは間違いで、答案に名前だけ書いて、
そのあとなにもしないでいたらお望みの0点だ。
しかし、人はなにもしないではいられないようにできているものらしい。
DSC_0074.jpg

バクダン。

DSC_0075.jpg

フセイ。

DSC_0080.jpg

ヒトリ。

DSC_0082.jpg

ウエノ。

DSC_0084.jpg

オカネ。

DSC_0085.jpg

マダマダ。

DSC_0087.jpg

ミチミチ。

DSC_0089.jpg

アンガト。
いつから布教できなくなったかと考えると、
踊り念仏の一遍上人の本を読んだころだから5年くらいまえだろうか。
一遍の本はわたしにはおもしろかったが、ほかの人へはすすめられなくなった。
むかしは自分のおもしろいものを人にすすめたいという願望が人並かそれ以上にあった。
宮本輝を東大のムーちゃんにすすめたら一章で限界と突き返された。
山田太一をすすめても、おもしろいけれどなにかが違うと。
わたしもムーちゃんおすすめの蓮實重彦「物語批判序説」を、
なんじゃこの文章は
とあきれながら最後まで読み断固拒絶する批判記事をブログに書いた。
そのころだったか、ある女性のすすめる水上勉原作の映画、あれはなんだったか。
「飢餓海峡」だったか、なんだかを、池袋の文芸座で見たが、つまらなかった。
そのころは常識がなかったので(いまも変わらないか)つまらないと言ってしまった。
その女子にはつまらないユージン・オニールの本をすすめてしまって、
いまでは後悔している。
わたしにとってはおもしろいが、それは他者には通用しない。

いまでは自分が好きな作品を他人が批判していても、まあそんなもんだと思う。
山田太一も自分とは異なる人が見たらつまらないだろう。
宮本輝の小説も好き嫌いがわかれるだろう。
村上春樹の小説は読む気がしないが、あれが好きな人を品がないとも思わない。
むしろ、わたしなんかより勤勉で社会的によくできた好人物ではないかと思う。
宮本輝の「水のかたち」という比較的に近刊の小説は、
わたしには不満だったがネットではほとんど批判がないほど好評なのである。
そのほめ方、感想が金太郎飴のようにおなじなのだが、
ご本人が感動したのならそれが真実で、批判するべきものではない。
そもそも「水のかたち」はミセス雑誌の連載小説として書かれたものだし、
読者層を中年倦怠既婚女性に想定しているのだ。
そういう小説は受けるし売れるし金になる。
それをわたしのような孤独中年が批判するのはまったく間違えている。
「水のかたち」は既婚倦怠女性から絶賛され売れ行き好調だった名作だ。
なにがおもしろいかは人それぞれで、しかしそう考えると人は孤独になる。
人に推薦したい本がないわたしはとてもさみしい孤独地獄に在住しているのだろう。
山田太一先生推薦の映画をジェイコムで視聴。1993年公開の香港・中国映画。

ものすごい有名な映画賞を受けた作品。
まえに一度見た記憶があり、最後まで行けずにギブアップした気がする。
中国の京劇の名優ふたりの話である。俳優と女形。
わからないが、あれは女形が相方に同性愛感情を抱いているという設定だったのかな。
セリフから抜粋する。

「人生には皆、運命がある。運命には逆らうな」
「芝居と(現実を)混同しないでください」
「時代が変わったことをわかっていない」


このあたりがテーマだったのではないかと思う。
あれはモブシーンというのか。
俯瞰の大画面シーンがまったくないので息苦しく感じた。
思ったのは、中国の文化大革命ってやっぱりひどい。
生まれのいい貴族や富裕層、知識人が主役の時代も考え物だが、
彼らを一律に反革命分子、反動分子と決めつけ、
「主役は労働者」というテーゼを絶対正義とすると悲惨である。
無知ゆえ残酷な労働者たちが群れて、造反有理の名のもとに、
少数の知識人や貴族を取り囲み弾劾するシーンは印象深かった。
ただし作品がおもしろいかといったら、そうではない。
この感想は造反有理になるのか。

日本ではかつて造反有理や革命分子を気取っていたものが、
いまでは大学教授になり、
最近の若者は元気がないとか権力者然として説教しているのは見苦しい。
しかし、権力者は正しく、
大学教授の原一男先生から今年映画館でご指導を受けたように、
もっと全身をすみやかにして映画を観なければなるまいとふたたび反省する。

山田太一先生推薦の映画をジェイコムで視聴。1974年公開のスウェーデン映画。
先生のおすすめはオリジナルのテレビ版だが、こちらが放送されたのだから仕方がない。

孤独な人は結婚したらと夢をいだくようだが、
結婚はそんなにいいものかという陰惨な夫婦の現実をこの映画は描写している。
わたしは両親の争いの仲介役を10年以上務めたから、
夫婦にまったく幻想をいだいていない。
映画における仲の悪い夫婦を見ていると、ほら見たことか、と小気味よかった。
スウェーデンといえば、夫婦喧嘩を多く芝居に仕立てた文豪ストリンドベリの国。
作品中、こんなセリフがあり、くすりと笑ってしまった。
これはストリンドベリを知っているから、おもしろいと思えたに過ぎない。

「ストリンドベリが、こう言っている。
憎み合う夫婦ほど恐ろしいものはこの世にない」


42歳の35歳の白人夫婦が喧嘩をして仲直りをして、
夫が若い女のところに逃げ、しかし復縁をするかと思わせておいて、
なぜか愛し合っているのに離婚することになり、
最後はお互い別の相手がいるのにセックスフレンドになるという話である。
夫婦のことはよくわからず、それも40年以上まえの白人世界。
このためかやたらセックスと孤独の問題に言及されているのが目を引いた。

「あなたはあたしから離れられない。他の女では、あれが立たない」
「孤独への不安から、愛のない結婚をしたの」
「いまの望みは自由になることだ」
「あの人は元気かしら。孤独ではないか? 何がいけなかった?」
「自由はいいが、孤独はいやだ」
「私は誰も愛したことがない。愛されたこともない。とてもさみしい」
「あたしは思春期からいつもセックスの問題を抱えていた」
「身の程を知った。自分の限界を受け入れた」


男も女もやたらセックスに関心があるようで、
40歳を超えた夫と40間近い妻が、そんなにお盛んなのかと驚いた。
それとそのくらいの年齢になっても(その年齢だからか)、
いい中年が「孤独」や「さみしい」といったセリフを連発するのが奇妙に感じた。
おもしろいかと聞かれたら、複雑な顔をするしかない。
山田太一推薦でなければ、最後まで視聴できなかっただろう。
実際、途中で一回ストップして、長い中断期間があった。
結婚経験があれば、おもしろい映画なのかもしれない。きっとそうに違いない。

山田太一先生推薦の映画をジェイコムで視聴。1977年公開のアメリカ映画。

ある映画監督にして大学教授の高齢男性から、
わたしの映画を観る能力はない、「あなたは間違っている」と映画館で面罵されたが、
もしかしたらそれは正しいのかもしれない。
この「アニー・ホール」は有名な賞を取っており、評価も非常に高い。
しかし、わたしにはつまらなかった。
90分程度で終わったので、そこまでストレスを感じたわけではない。

実験的な映画らしい。
なんでも有名な映画監督と主演女優が過去に交際していたらしく、
そういうのを込み込みで楽しむものらしい。
でも、わたしは映画ファンではないから、そういう前提の知識はない。
新しい実験的な映像手法を試しているとのことだが、
戯曲マニアの当方からしたら、そんなものはさして珍しくもなく、
この映画以前に芝居のうえで繰り広げられてきたことの焼き直しである。

いったいおもしろいってなんなのだろうか。
この映画は監督が、このおもしろさをわかる人はイケてる、と言いたげな小ネタが多い。
それを嫌味と感じるか、わかるおれってセンスあるじゃん、と思う人にわかれる。
40年まえの映画だが、あのころはまだアメリカってだけで、
「文化の香り」がしていた時代なのだと現代から見たらよくわかる。

当時のアメリカはフロイト流の精神分析が流行していたんだな。
日本では精神分析は商売にならなかったから、
翻訳字幕は「精神分析医」ではなく「精神科医」としたのだろうが、
それでは意味が通じない。しかし、仕方がないという事情もわかる。
これをおもしろいと感じる人がわからない。
大学教授の原一男監督からご指導を受けたように、
全身をすみやかにして映画を観ていないからかもしれない。反省する。

「文章読本X」(小谷野敦/中央公論新社)

→「うまい文章って、なんだ」という疑問に、
速読家のスピードライターが自分の答えを開示する。
その答えとは万人にうまいと思われる文章は存在しない。
シナリオでいえばテレビドラマの場合、
スポンサーのために多くの人に見てもらわなければならない。
最大多数層といえばグラフの山に位置する偏差値50付近の人たちだ。
シナリオもいちおう文章なので例に挙げたが、文章全般がそういうものである。
多くの文章を読み、書いてきた売れっ子作家はじつにわかりやすく、
万人に通用する文章は存在しないことを証明している。
たとえば新人の純文学小説は最初に長々と情景描写を入れるというお約束がある。
それはお約束の文章で、そうしたほうが評価が高くなるケースが多い。

「それは、大学へ提出するレポートや、論文であっても同じことで、
それを見る人がいいと思うかはどうかは人さまざまである。
ある程度以上はまともな文章であることは必要だが、それ以上のことになると、
結局はだれに評価されたいかということになってくる」(P40)


小説をほとんど読まない人に無料で配るような本であるならば、
あまり難しい表現をしてはならないと思うし、
改行をしない長文は嫌われることを考慮に入れて、会話を増やすのも手だろう。
小谷野さんは赤川次郎の文章をひとつの名文の例として抜粋しているが、
その文章に向き合う姿勢は正直で非常によろしい。

「赤川の文章は、平易だと言われるが、ここに無駄はない。
そう言えば人は、通俗小説だから平易なだけではないかと思うかもしれない。
確かにそうなのだが、文学的な文章を書こうとして俗臭ぷんぷんたる美文、
ないしは装飾過多の文章になってしまうということがあり、
そのため、一流の通俗小説作家である赤川次郎の文章は、
模範としてさしつかえない文章であるのに対して、
三島由紀夫を筆頭とする装飾的純文学作家の文章が、
とても模範にはできない文章になる、ということがあるのだ」(P59)


文章よりもまずそのまえに内容ありきだろう、という立場を著者は取っており、
とても好感が持てる。
文章だけはどっかから借りてきた文学趣味で、内容がまったくないものはうんざりする。
反対に言えば、内容が読者の心を打つものがあれば、文章はさほど問題ではない。
ここで著者は新聞投書欄に掲載されたありふれた主婦の文章を引用する。
心を病んだ息子を心配する母親の朴訥な文章だ。
わたしはことさらいいとは思わなかったが、似たようなノイローセ経験があり、
お母様に心配してもらったことのある小谷野さんはとてもいい文章だと思ったという。
その主婦の投稿記事のタイトルは「二年寝太郎」。

「また「二年寝太郎」は、私自身の経験と重なるから、私はいいと思うのであり、
人によっては、どうということのない、ありふれた苦労話に思えるかもしれないし、
病気について知識がない、
あるいは自分自身がそういう病気に罹ったことのない人の中には、
大学生にもなって何という甘ったれた話だ、と怒る人さえいるかもしれない。
つまり、誰にとってもいい文章、などというものは存在しないとも言えるのである。
もちろん私自身は、これこれこういう文章がいい文章だとは言っているが、
それとは違う意味で、空中楼閣のように、
文章だけが内容や文脈(背景)とは別個にいいものとして存在するという考え方は、
迷妄だと言っているのである」(P150)


☆書き手(体験&知識&嗜好)→名文←読み手(体験&知識&嗜好)

うちのブログは仏教の読書感想文を書くことがあってつまらないとよく非難されるが、
それはこういう構造のためなのだと思う。
仏教に興味がない人や宗教をはなからバカにしている人には、
どんないい文章でなにを書こうが伝わらないし、そもそも最後まで読んでもらえない。
日本の庭園についていくらいい本を書こうが、
わたしはあまり興味がないから、その文章をあまりいいとは思わないだろう。
理想を言えば、
無関心の人の心をうまくキャッチして最後まで引っ張る文章もありえようが、
それはあくまでも理想論、夢物語であまり現実的ではない。
だれかが数学の新発見をしてそれを本に書いたとしても、
いまでは数学偏差値が30くらいまで下がった算数さえおぼつかない当方には、
その本をいいと思うどころか、おそらく最後まで読み通すことさえできないだろう。
その点、小谷野さんがよく出す新書は、とてもうまいと思う。
上手に読者の心をキャッチしてスピーディーに最後まで連れて行ってくれる。
内容がいいから文章もうまいのである。
とはいえ、小谷野さんの名著も文学者の名前を知らない人にはわからないと思う。

仏教評論家のひろさちや先生の本は偏差値50あたりの読者を想定しているため、
とてもよく売れているが、識者向けに書いていないので受賞とは縁がない。
わたしは偏差値40の女子高生でもわかる文章を書きたいと心がけているが、
どうしても双方の「体験&知識&嗜好」が噛み合わないから、
わたしの言葉は見えない女子高生には届かないだろう。
むかし「本の山」の「方丈記」の感想文が十代の少女の心に届いたことはあったが、
あれは奇跡だろう。奇跡はめったに起こらない。
悲観的だが、しかるがゆえに現実的なことを書くと人はわかりあえない。
たとえば自殺という一字をも自死遺族とそれ以外の人たちは共有できない。
わたしはなんでもない自死遺族の文章に胸を詰まらせることはあるが、
小谷野さんはそういうことはないだろう。
この文章だって、いったいどれだけの人に最後までお読みいただけるか。
ずっと教員や作家、つまり先生として生きてきた小谷野さんは語る。

「大学で講義をしたり、講演したりする時、
相手にどの程度の知識があるのか、とまどうことがある。
大学ならいくつか質問をすればだいたいつかめるが、
公演だとそれができないため、終わったあとで、
「難しくて分からなかった」と言われることがある。
これは、哲学や物理学のように難しかったのではなく、こちらが基礎知識と思って
説明ぬきで口にしたことを知らなかったから難しかった、という意味である。
著作でも同じことは起きるので、このくらいは常識だろうと思って書いていると、
知らないことをあたかも当然のように書いていると言って
怒る読者が出てきたりする」(P99)


☆話し手(体験&知識&嗜好)→感動←聞き手(体験&知識&嗜好)

小谷野さんはいい文章を小説や作文に限定しすぎている気もするが、
事務的文章においては、わかりやすいというのがどこまでもいい文章の条件だから、
この姿勢を批判するのは的外れだろう。
著者は作家の才能について斬新な指摘をしている。
いい文章が内容ならば、それは書き手の体験に大きく左右されることになる。
真っ白な状態からは文章は生まれず、
なにかモトになるものが書き手には必要なのである。
たとえば闘病体験や旅行体験はそのひとつだろう。
旅行記は好きだが、あれはいくら話を盛るところが多いものでも、
モトとなる道中の事件が必要なのである。
ならば旅先でどんな人と出逢い、
どんな事件に巻き込まれるかこそ、文章の書き手の才能ではないか。
人生行路でも、どんな人や事件に遭遇し、
禍福に巻き込まれるかを作家の才能と考えたらどうだろう。
川端康成の「伊豆の踊子」は名作とされているが、その根拠は文章自体にあるのか。
そうではないと小谷野敦は主張する。作家の才能とはなにか。

「川端康成の「伊豆の踊子」も、事実を記した名作である。
ところが、「孤児根性で歪んでいる」と自分を思っている一高生が、
突然思い立って伊豆への一人旅に出かけ、その途次、
旅藝人の一座と遭遇して同行し、その中の少女にひかれ、
「いい人ね」と言われて、下田港で一行と別れて、東京へ帰る船の中で泣く、
というのは、はなしとしてできすぎている。
だが、『細雪』と同じく、美しい出来事に遭遇するというのも、
才能のうちなのである」(P130)


旅に出てとどこおりなく観光名所をカメラに収め計画通りに帰宅したら、
なにか文章を書こうとは思わないし、書いたとしても人の心を打つことはないだろう。
海外で救急車で運ばれて入院したり、盗難に遭って帰国すると人はいろいろ考える。
その考えたところから文章が生まれるという仕組みがある。
名文は書き手と読み手の相互交流で生まれるたまたまの産物で、
思っているほど画一的で普遍的なものではない。

☆書き手(体験&知識&嗜好)→名文←読み手(体験&知識&嗜好)

人間の体験は外的偶然にかなり支配されているから選択自由なものではない。
嗜好は生まれつきの遺伝的な要素が強く、変えようと思っても変わらないことが多い。
知識は努力でなんとかなるという人もいようが、
持って生まれた知力の差は歴然として存在し、興味のない知識は増えないので、
これまた嗜好や体験に大きく左右されると言わざるをえない。
以上のような理由で、この感想文にどんな採点が下るかは書き手にはわからない。

「深層意識への道 グーテンベルクの森」(河合隼雄/岩波書店)

→河合隼雄の本を長いこと読み続け考えているが、
事態はちっともよくなっていないとも言いうる。
一難去ってまた一難という感じで、慶事が来ないないこともないのだが、
セットになってどうしようもない惨事としか思えないことも起こる。
河合隼雄の名言「ふたつよいことさてないものよ」をしみじみ実感している。
全体として考えると、本当によいことの裏には悪いことが、
悪いことにの背面にいいことが見え隠れする。
河合隼雄が好きだった鎌倉時代のマイナー僧、明恵の名言は「あるべきようわ」。
これは全体のバランスを考えて、
どうしたら全体の調和が取れるかを考えようとする姿勢であろう。
たとえば、いまのわたしの問題を考えると解決しようがない。
なぜならそれは20年近く考える、調べる、を繰り返してきたが、
それは全体的に見たら起こるべくして起こるというか、
全体のバランスを考えるとそれはどうしようもないのだ。

わたしの問題は両親の問題であり、祖父母の問題まで引きずっている。
おそらく曾祖父や血縁全体の問題がわが問題として結晶しているのである。
父や母も同様に血縁全体の問題をかかえて、
自分の問題に苦しみながら出逢い結ばれた。
こうして問題は血縁や親戚関係全体に引き継がれていく。
子どもや孫、曾孫に自分たちの問題が全体図のなかで発現してしまうこともあるだろう。
これが全体を考えるということで、
さらに過去世や未来世も「あるべきようわ」=全体バランスの視野に入れると
合点がいくとまではいかないが、そこそこ、まあ、なかなか
うまくいっているのではないかと思えないこともなくなるのかもしれない。
自分の苦悩や問題は全体(親戚全体、過去世、未来世)を考えるとどうしようもない。
起こるべくして起こっていると言えなくもない。
そういう現象を数年の心理療法や精神科診療で治そうと思っても治るわけがない。
ときどき苦悩や問題の軽減が起こることもあるが、根が深い問題はまたぶり返す。

苦悩は解消しないし、問題は解決しない。
なぜならそれは本当に広い意味での全体のバランスで、
どこまでもどうしようもなく宿命的に生じた全体的結晶であり、
花が咲き枯れた結実であるからだ。
精神科で扱う気分障害もそうだし、リスカや煙草や酒、ギャンブルの依存症もそうだろう。
彼女がたとえばセックス依存をやめられないのは宇宙的全体を象徴している。
その女性から生まれた子もおなじシンボリックな全体的宿命を継承するだろう。
ときたま苦悩の結果として悟りのようなものを得るが、それは続かない。
何度でも繰り返すが、全体のバランスがあるがために、問題は解決しない。
躁鬱、酒、煙草、薬物、賭博、自傷、性行為を簡単な努力程度ではやめられないのは、
それら問題行為は全体のバランスを取るために現われた必然的現象だからだ。
河合隼雄は心理療法家にはあるまじき、ネガティブアピール(逆宣伝)をしている。
いわく、問題は解決しない。
問題は全体のバランスからどうしようもなく起こっているため、しつこいが、
その問題は薬をのんだら治るというようなかたちでは軽々しく解決しないだろう。
問題の実相はあまりに全体的にどうしようもなく生じているのでよくわからない。
クライエントを効率的に「なる早」で治せない臨床心理学者は言う。

「ここで臨床の知ということで、
わかるということと変わるということについて一言ふれておきます。
心の底からわかるとか、納得するとか、腑に落ちるとか言うんですが、
それはほんとうに大変なことです。
それがわかっていたら、僕の商売は不要になってしまいます(笑)。
そのためには、あれやったり、これやったり、あれを言ったり、これを言ったり、
本を読んだり、さんざん苦労するしか仕方ないのではないでしょうか。
そうして、いろいろ苦労しているあいだに、
ほっと腑に落ちるといいますか、そういうことがあるわけで、
誰でも上手に腑に落ちたら、人生かえって面白くないかもしれませんね。
ただ、そういうのを探して探して、いろいろ苦労しているその姿というものは、
これはものすごく大事なものです。
その人がそういう苦労をしている。その結果として、ときどきほっとわかるときがある。
ほっとわかったと思っても、長続きしないことも多いです。
ほんとうに人間というのは、「あ、わかった。これで行こう」
と思って喜んでいるのは二日くらいであとは……。
そういうことの繰り返しです。
それを繰り返して繰り返して、何度も何度もやっているうちに、
しかし少しずつ、人間って変るのではないでしょうか。
右から左にひょいと変るということはまあ、ないです。
不思議なことですが、人間というのはそういうものです。
そして、そういうものですと言いながら、何とか変ってもらおうと、
ぼく等は苦労しているわけです。
苦労しているけど、変らないということもよく知っています。
ちょっとやそっとで変れなくても腹が立たないというところはいいですね。
一〇年くらい変らなくても平気でいますから、気が長いです。
皆ちょっと焦りすぎですね。僕は自分でよく思います。
それほど人が簡単に変んねやったら、
僕という人間はもっと素晴らしくなっているはずだと思うのです。
だから、そういうのを積み重ねていく、
もしくは積み重ねていこうとしているその姿が非常に大事なのかもわかりません」(P154)


わたしなんかもブログ記事を書いて、
これで「わかった」というような気になることもあるが、
2、3日経つとまた「わからない」に戻る。
問題はいつまで経っても解決しない。
10年、20年のあいだ苦悩をかかえた人は絶望する。
心理療法家の河合隼雄も、問題は容易には解決しないことを認めている。
しかし、河合隼雄は待つ。ただ待つだけではなく希望しながら待つ。
氏が少年時代に愛した小説は「モンテ・クリスト伯」で、
この作品のテーマは「待て、しかして希望せよ」だという。
小説の本文中にも出てくるこの「待て、しかして希望せよ」は、
少年期の愛誦の句にして心理療法家の河合隼雄の人生のテーマにもなった。
問題はすっきり解決することはないが、臨床心理学の巨匠は言う。

「だから私は、その「待て、しかして希望せよ」
という言葉が大好きになりましてよく言っていたんですが、考えたら、
いま私のやっている商売がまさにその通りでしてね。
私のやっているのは、「死にたいです」「待て、しかして希望せよ」ということで、
「もう何をしても駄目です」と言っても、「待て、しかして希望せよ」と……(笑)。
自分が大人になってからする職業にぴったりのことを、
このころに読んで感激してたと考えたら、非常に面白いですね。
そんなことは、もちろんこのときはぜんぜん思ってなかったですけど、
ほんとうに私のやっている仕事は、
待つことと希望することができたらそれでいいというくらいです。
なかなかできません。腹が立ってきて待てないです。
「早う、やれ!」と言いたくなるし、希望もすぐになくなります。
「今度、頑張りますから」言うていても、
「やっぱり駄目でした。もう、やめや」となりますね、そのときに、
「いやいや、まだ希望はある」、「もうやめときます」「いや、待て待て」と……。
待つことと希望することができたら、僕の仕事は成立すると言ってもええくらいです。
ほんとうに難しいことですけどね」(P17)


全体から見て問題は解決しないのに、
「待て、しかして希望せよ」と河合隼雄が信じられる根拠はなにか?
河合は全体と、そのシンボルとしての私を信じている。
全体はほぼ無限の世界でその全体が結晶したのが私である。
全体はどうしようもないから私も変化(治癒や改善)しないが、
夜の星座のように全体も日々自然変化を見せるのだから、
そのどうしようもなさを、
ほかにないどうしようもない存在である自分が着目したらなにか生じるのではないか。
星占いはそのシンボルだが夜空は刻々と変わっていく。
ふつうの人は自分の苦悩や問題にいっぱいで夜空を見ようとしない。
しかし、ほかの万物とおなじで自然現象である夜空は日々変化している。
おなじように自然である私も少しずつ変化しているのだが、なかなかそこに気づかない。
なかには星を見て、全体の自然のシンボル(象徴)たる星を見て、
なにかに気づきそこから変わっていく人もいる。
「待て、しかして希望せよ」とは、そういう意味ではないか。
毎日自分が変化していることに、
どの外的な客観的存在で気づくかは人それぞれである。
客観は主観に現われ、主観はあたかも客観としてまざまざと感得することになる。
自他の区別はないのかもしれない。
だから、ある人は星に私を(照らされではなく)照らし全体(問題・苦悩)の意味を知る。
それはある人にとっては星だが別の人にはコップかもしれない。
星は星だが私の星は違う。コップは客観的にはコップだが、私にとってはなんだろう。
問題(苦悩)は苦悩(問題)だが、その見方を私中心(主観)に変えたらどうなるだろう。
真言や華厳を勉強した明恵を大好きだった河合隼雄の言葉を借りよう。

「だから、シンボリズムが難しいのは、ある人にとっては星を一つ見たというだけで、
「うん、わかった!」と思ったからといって、
「あなたも星を見てください」と言っても、ぜんぜん駄目でしょう?
それはなぜかといったら、星の持っているシンボリズム、象徴が、
何をその人に訴えているかというのが違うのです」(P148)


ある問題患者、苦悩患者が星を見たから改善したからといって、
ほかの人に星を見せたらうまくいくというわけではない。
なかにはあるときにあるコップを見たことでなにかが変わるかもしれない。
なぜなら、それは客観的な(みんなの)コップと、主観的な(私の)コップは違うからで、
それはコップだけではなく、それは星にも美醜にも損得にも当てはまる。
みんなの見た(自然)客観と、私の(自然)主観は異なるから、そこに救済がときに生じる。
なぜならどちらも主客(自他)わかれてはいるが、自然だからである。
百万円のツボを千円でもいらないと思うこと。
著名な鑑定家から百円と言われたツボをこれは1億円の価値があり売れないと思うこと。
このことを深く信じることから、なかなか解決しない問題に対しても、
「待て、しかして希望せよ」という態度で向き合えると河合隼雄先生はおっしゃっている。

「……客観的なことをものすごく大事にすると、たとえば、これはコップでしかあり得ない。
ところが、イメージとして、あるいはシンボルとしては、
これは宝物になってもいいし、王冠になってもいいし、武器になってもいい。
いろいろなものがひっついてくるわけです。
そんなことを言わずに、「これはコップなのだ。容量はいくらか」
とのみ考えてゆくと科学が成立します」(P169)


客観的にはどうしようもない障害児が主観的には宝物のようになる。
客観的には偉いとされる教祖先生が主観的にはおもしろくない。
主観的には崇拝している尊師が客観的にはまったく認められていない。
客観的には著名な映画監督、大学教授の作品がつまらない。
客観的にはだれにも相手にされていない人が自分にはおもしろく見える。
自分は客観的には地位も富もあり交友関係においても恵まれているが、
自分で自分を見つめると、これでいいのだろうかと巨大な不安に襲われる。
そういうところからユングの心理学は始まったし、
まさにおなじその部分からスタートした河合隼雄は
「待て、しかして希望せよ」という信条に行き着いた。
絶望は全体から生じるどうしようもない現象だが、
まさしくその全体を深く信じることで自然変化を腰を据えて待つ希望が生まれる。

*急いで思うがままに書いたので誤字脱字失礼、そのうち直します。
こんな駄文を最後までお読みくださりありがとうございます。
うまくいまの思いを書くことができているかは自信がありません。