むかし自分もちょっとその気があったから、
いまどき文芸批評なんぞを読む痛くて恥ずかしい若い男女はかわいいなあ。
若い男は年上の男がもてているのは男の内面がすぐれているからだと錯覚する。
若い女は自分が年上の男からもてているのは、
自分の内面がすぐれているからだと錯覚する。
男は女の内面なんか見ないし、女も男の内面なんかじつは見てはいないのだが、
そういう双方の錯誤が人生の味わいであり、生きがいというやつであろう。
若いころにちやほやされた女ほどかわいいものはなく、性格もよく、内面もよい。
自分のようにえんえんと女から相手にされなかった男は、
外面のみならず内面も下品下劣で犬畜生のような精神性しか持っていない。
しかし、おっさんになるといいのは、
そういう清潔とは程遠い品性下劣をおもしろがれるところか。
「もてないくせに」とか年下の女性からかわいがられたい。
その眼が好きなんだ。そのパイオツに甘えたい。「もてないくせに」って笑われたい。
「土屋さん、もてないでしょう?」とか言われて「うん」って答えて、
ぜんぜん傷ついていなくて、おいしいなあって思って、
いろいろあって女性を怒らせて玄関で土下座した経験は青春そのもの。
女とユーチューブでいっしょに酒をのみながら「いいね」って聞いた森田童子が死んだ。
「道の手帖 空海 世界的思想としての密教」(河出書房新社)

→庶民には読めないインテリ向けの本。読めちゃうわたしはインテリなのかなあ。
日本の有名インテリ学者の空海に関する論考をまとめたもの。
結局、日本仏教史でいちばん怪しくうさんくさいのが弘法大師空海なのだ。
「日本のスウェーデンボルグ」って言っても庶民さまはわからないかもしれないけれど。
オウム真理教の麻原にいちばん近いのは空海だって思う。
怪しくなければ宗教ではないし、
いちばんニセモノくさいのがホンモノの宗教家なのではないか。
乱暴かもしれないが、
空海の言っているのはみなさまが耳にしたら苦笑したくなるようなあれなわけだ。
あれとは宇宙パワー。宇宙の根源にあるパワー。
そんなことをわたしが言ったらアホみたいだけれど、
有名学者の井筒俊彦先生のお言葉を借りたらどうだろう?
最初にわかりやすく説明しておくと、
ドラマ「北の国から」の主題歌みたいな「あ」をずっと繰り返す、
大自然のメロディーみたいのがあるじゃないですか?
あれが根源で、あの「あ」の叫びが、
それぞれドラマ登場人物のセリフに分裂していくって感じでイメージしてもらえたら。
吹雪の音も春の息吹も人間の泣き声も笑い声も、
すべて「あーあー、あああああーあ」から発生している。



「この宇宙的「声」、宇宙的コトバの巨大エネルギー、は一瞬の休みもなく働いている。
それなのに、その響(ひびき)は我々の耳には聞こえてこない。
なぜ聞えないのか。宇宙的エネルギーとしてのコトバは、
それ自体では、まだ絶対無分節の状態にあるからである。
絶対無分節のコトバは、そのままではコトバとして認知されない。
だが、他面、この無分節のコトバは、時々刻々、自己分節を続けているのだ。
自己分節して、いわゆる自然界に拡散し、
あらゆる自然物の声として自己顕現し、
さらにこの宇宙的意味分節過程の末端的領域において、
人間の言語意識を通り、そこで人間の声、人間のコトバとなる。
このように自己分節の過程を経て「耳に聞える」万物の声となり、
人間のコトバとなる以前の、絶対無分節態における宇宙的コトバ、
「コトバ以前のコトバ」、は、前述した分節理論の見地からすれば、
当然、あらゆる声、あらゆるコトバの究極的源泉であり、
従ってまたあらゆる存在者の存在性の根源でなければならない。
こういう意味での存在の絶対的根源としてのコトバを、
真言密教は大日如来あるいは法身という形で表象する」(P73)


で、その生命の根本たる大日如来がどこにいるかというと、
断じて外部にあるわけではなく、
我われそれぞれの内部、奥深くに眠っているというのが真言密教の考え方である。
俗っぽい言い方をするならば、
このため「北の国から」を視聴して多くの人が感動するわけである。
そのエネルギーが英語になったら「ハムレット」やハリウッド映画になるわけだ。
モーツァルトという人がその響を表現したら絶妙な音楽になる。
讃美歌もそうだしゴッホの絵画も根っこは(仮称すれば)大日如来であると。
音楽や絵画を鑑賞して言葉として評論するものもいるだろうが根は同一である。
それが大日如来であると。
「真言宗の中興」といわれる覚鑁(かくばん)という坊さんは、
西方浄土も曼荼羅世界のひとつであると考えた。
どういうことかというとコトバになるまえの宇宙パワーは大日如来であり、
その無限光明を阿弥陀如来と言ってもよいのではないかと解釈したわけである。
大日如来も阿弥陀如来も我らが内奥に分け入り分け入りすると、
全生命共通の曼荼羅世界のうちに鎮座している。
さらに井筒俊彦先生のお言葉を拝借しよう。

「永遠に、不断に、大日如来はコトバを語る、そのコトバは真言。
真言は全宇宙を舞台として繰りひろげられる壮大な根源語のドラマ。
そして、それがそのまま存在世界現出のドラマである。
真言の哲学的世界像がそこに成立する。
大日如来の「説法」として形象化されるこの宇宙的根源語の作動には、
原因もなく理由もない。いつどこで始まるということもなく、
いつどこで終るということもない。
金剛界マンダラが典型的な形で視覚化しているように、
終ると見れば、すぐそのまま、新しい始まりとなる永遠の円環運動だ。
しかし、この永遠の円環運動には、それが発出する原点が、
構造的に――時間的にではなく――ある。
それが阿字(ア音)。すなわち、梵語アルファベットの第一音である阿字が、
大日如来のコトバの、無時間的原点をなす」(P78)


いま大正時代とか昭和前期の短編小説を読んでいるが、
作者が夭逝(ようせい/早死に)しても言葉は残り、わが心に感動をもよおすのである。
日本だけでいっても古事記のころから言葉があり、今後も言葉は残るだろう。
最近くだらぬ夢を睡眠中によく見るが、夢には過去も未来も詰まっているわけだ。
それを目覚めたときに言葉にすることは可能だが、なんとも形容しがたい夢もある。
それが言語化(言語分節化)以前の大日如来のわかりやすい具現だろう。
そこらへんの世界で空間や時間を超えていると考えたら、
オカルトのシンクロニシティや超能力、超常現象、霊界体験にまっしぐらだ。
わたしのスタンスはどうせこの世は退屈なのだから、
シンクロニシティのみならず占星術まで味気ない生活に取り入れたいと考えている。
不思議な偶然の一致みたいなものはあるというよりも、あってほしい。

奇人として知られる南方熊楠はいわゆる「南方マンダラ」として、
神秘的な不思議現象をあらわしたと言われている。
本書には権威づけのためか、南方熊楠の手紙が重々しく転載されているが、
この怪人は口が悪いというかメチャクチャなことを書いていておもしろい。
南方熊楠の文章は全体としてはさっぱり意味がわからないが、
下品でおもしろいなと思ったところを、みなさまの一興になればと紹介する。

「入我我入(にゅうががにゅう)とか、身平等、意平等、
そんなことは一日三文で食えるインドや、樹下で行(ぎょう)しおれば、
村の別嬪(べっぴん)が醍醐味とまでなくとも、
握り飯や豆腐のから持ってきてくれるような、簡単な世にしていうべし」(P174)


いちおう南方熊楠は真言宗びいきなんですよ。
だから、念仏宗をバカにしているが、その口汚さが爽快である。

「ついでに申す。念仏ということも弘法大師はいうたが、
前述禅定と今日の口頭禅とちがうがごとく、
心の中で仏を念ずるというと、ぶつぶつと口で念誦せよというは大ちがいなり。
余これまで親族などの中に寺詣りすること荐(しき)りなる女みるに、
みな若いときに淫奔の行い等面白からぬことありし人のみなり。
さて、この輩は真言などは面白からずとて、みな念仏宗に帰す」(P183)


南方熊楠いわく、宗教の本質とは――。

「おれのいうことは聞け、人のいうことは聞くな、
何でもえーから分からねば分かるまでわれのいうことをむりにおぼえ誦せよ、
ということとなる。これ実に宗教の本意ならんや」(P189)


さてさて、インテリ諸兄のご想像通りで、本書には
現代の空海になりそこねた男、元カリスマ学者の中沢新一も登場する。
オウム真理教の麻原尊師が愛読していたのが中沢新一。
チベットで秘法を教わったとかビックマウスで、
うまくいけば河合隼雄くらい行けたかもしれないのだが、
運がないのかオウムの麻原の師匠格になってしまったという怪しい学者さん。
河合隼雄との対談で、自分は秘法を授かったとかふかしていたなあ。
本書の編集者は中沢をカリスマ視しているようで、特別あつかいをしている。
中沢新一は秘法の一端を本書の対談で公開している。
新しい言葉を海外から持ってきて、
これの意味をわかるのは自分だけというのが空海の時代からの、
いわゆる文化人の手口なのだろう。
中沢がチベットから持参した手土産はアヌッタラ・ヨーガ・タントラである。

「……後期密教の教えである無上瑜伽(アヌッタラ・ヨーガ・タントラ)です。
無上瑜伽の思考はある意味で極限的な高さを持っていますが、
同時におそろしいほどのシンプルなものが出現したのです。
こうして密教の極限に、信じられないほどシンプルなものが出現したのです。
なにもしないこと、無為であること、まったく努力をしないこと、
無努力・無為・無作為の境地のうちに
出現してくる存在の光を見届けることを通して得られる境地、
それが後期密教の教えです」(P29)


まあ、アニマとアニムスの自然合体みたいなものだろう。
結婚相談所や街コン、婚活なんてやめちまえという。え、ちがうって? メンゴメンゴ。
小谷野敦さんは宗教本なんて意味はないという立場のようだが、
先生のように愛妻と夜ごと
アヌッタラ・ヨーガ・タントラしていないものは人生がつまらないんだ。
空海の密教がもし本当ならば、退屈な人生に色彩が生じるのである。
まだなにが起こるかわからないと思える。不思議な現象を期待できる。
実際、現実の裏側がもし空海の言うようであるならば、どんなにいいことか。
そういえばいつだったか、むかし一遍の寺へ一緒に行った若者から電話が来たぞ。
23時近くに、なんでも金は自分が払うから一緒にチベットに行きませんかとか。
まえ逢ったときには金欠でピーピー言っていたのに、どうしたんだと思った。
こちらも酔っぱらっていたから夢でも見ていたのかもしれない。
もちろんその後、連絡はないが、
空海の言うよう無言語世界海があるならばどんな不思議なことも起こりうることになる。

早稲田のドン・ファンこと渡部直己教授の転落ぶりに文学を感じる元文学徒。
「小説を書けない小説創作指導者」渡部直己教授はついに文学をやったな。
どういうツテとコネで早稲田の教授になり、
そして真っ逆さまにダイブするという文学芸当をなしとげたのかは、まさに文学。
おそらく間違っているだろうが、当方の考えでは文学は人から教わるものではない。
1.実人生で不幸になること。
2.文学作品に深く感動すること。
ことさら難しくもなく、以上2点を重んじることで、文学への眼は開かれると信じている。
これは信仰の問題であって、学問的正誤の領域ではない。
大学院に通って教授から創作を指導されるよりも、
文学志望女子はぼくとつきあったほうがいいのではないか。
ぼくと深くつきあおうとしたら間違いなく不幸になる。
うちには個人的なマイナー感動作が多数売却せずに保存されており、
波長が合えば多くの文学的感動を無料で味わえる(本は返せよ)。
渡部直己教授は人生の晩年でみごとな文学をやったなあ。
おのれ自身もごひいきの女子学生も同時にいわゆる世間的不幸に追い込んだ。
自称被害女子学生の名前なんかとっくに特定されているだろうし、
ああいう世間知らずなことをしたら、
これからかならずや男社会でいばらの道が待っていることだろう。
名家のご子息のオレサマ教授、渡部直己先生も世間の冷たさを知っただろう。
今回のご醜聞はおふたりにとって文学的にはとてもプラスなことと言えよう。
むかしのプロポーズの定番は「貴女(あなた)を幸福にします」だったようだが、
いまぼくは貴女に約束しよう。
「ぼくは貴女をかならず不幸にしてみせます。ですから、おれのおんなになれ」

↓なにがテクスト読解だよ死ねバカアホカス↓
(早稲田評論?)
http://www.yomiuri.co.jp/adv/wol/education/lec_semi_130516.html
「おれの女になれ」――パワハラ、アカハラ、セクハラ、色魔の性豪、
渡部直己早稲田大学教授はいま高笑いしているのではないか?
というのも、だれも渡部直己なんて知らないでしょう?
彼はね、文学という狭いムラで地主にペコペコしてきた意地汚い番頭なんだ。
なぜわたしが知っていたかといえば、むかしムラに関心があったからである。
彼は有名になりたかったが、世間はまったく相手にしてくれなかった。
それなりの業界苦労経験はあるのだろう。
見よ、いま男は世に出た。有名人だ。
権力をかさにきて孫の年代の女性に
「おれの女になれ」と強要するしわくちゃのおフランスばか渡部直己教授!
ようやく彼が世に出たぞ! ばんざいばんざい渡部直己!
生きていて恥ずかしくないのかなあ。みんなばらされちゃって。
おフランス文学理論ではこの事態をどうご解釈なされるのでしょうか?
教授というポジションで若い女体をうまうまとものにしようとしたのがばれて、
ああ、恥ずかしい恥ずかしい切腹しないの?
「カフェ コットンクラブ」が教授の聖地なんですか?
わたしがいちばん嫌いなのはフランス文学、フランス演劇である。
わけわっかんね。教授、教授先生、教授さあ、いやね、ざまあみやがれ。
66歳のお誕生日とセクハラデビュー、心よりお祝い申し上げます。よくやった。感動した。
「おれの女になれ」
の渡部直己教授で有名になった早稲田の淫(院)の「現代文芸コース」。
母校のことなんかぜんぜん興味がなかったのだが、いま調べてみた。
もう村上春樹を輩出した「ノルウェイの森」の第一文学部はないのか。
わがふるさとの文芸専修もなくなったのかと思いきや、
文芸ジャーナリズム論系とかいうさらに怪しさを増したものがある。
大御所の重松清さんが教授をなさっているのか(なぜか創作論ではなく文学論)。
重松清さんは中上健次の大ファンだし、江中直紀もそうだったし、
道産子の久間十義先生も中上に引き上げてもらった。
じつは早稲田の文化文学を支配しているのは熊野の中上健次なのか?
重松さんも久間先生も吃音でいらっしゃる。
うちらの時代は三田誠広が広告塔だったが、いまは重松清さんなのか。
いまのほうがよほどましと言えよう。
やたら受賞歴華やかな堀江敏幸教授が怖い。早稲田の黒幕であろう。
いったいどんなお家柄なのだろう。
さすがに堀江教授は久間さんや三田さんのように学生に舐められてはいないだろう。
標準語って味わいがないよねえ。関西弁のほうがよほど実感がこもっている。
おおむかし原一男先生に相談に行ったとき、「そりゃ、しんどいよなあ」と言われた。
「しんどい」という言葉は当方の語彙にはなかったが、
そうなのだ、自分は「しんどい」のだと言葉がぴったり現実と相応した感じがした。
原先生は(山頭火とおなじ)山口県出身だから、「しんどい」は関西弁だろう。

関東が上か関西か上かというあらそい(笑)がいまだあるようだが、
わたしは関東在住でありながら関西っていいよなあ、と思うのである。
関西の人たち、天皇陛下を東に移しちゃってごめんね、みたいなさ。
日本文化は関西(奈良京都)から始まっていて、それを鎌倉幕府が打ち倒した。
それは関東が強かったからだけれど、
関西には弱さを美と観ずる哀感(情緒)が根強いような気がする。
士農工商というのは嘘で、
ほんとうは分類外の天皇貴族や部落民不具狂人がいるのだが、
武士と工員は関東で、商売は関西というイメージがある(大阪弁)。
貴族や部落は関西のものでしょう?
関東育ちだと、部落への差別感というのがさっぱりわからない。
農民は全国に散らばっているから関東も関西もない。

文化でいうならば、東京よりも関西のほうがすぐれている気がする。
いまでも残る奈良京都の陰湿な人間関係は日本文化そのものだろう。
ネットで調べた(調べるっていうか?)だけだが、四国高知も同和地区が多いらしい。
四国は踊り念仏の一遍上人の生まれたところだし、
いっかい行ってみたいけれど国内旅行は旅費がかさみ過ぎるのが難点。
精神科の春日医師も四国はやばいって近著でおっしゃっている。
河合隼雄や梅原猛、宮本輝を出したことから関西の優位、上位はわかろう。
河合先生は関西弁の英語を話したらしいけれど、それはどこの言葉でやんす?
関西弁は標準語よりもあったかい。

いま日本全土が標準化(退屈化)しているような気がしてならない。
どこに行ってもおなじ風景、おなじショップ、おなじ食べ物。
みんな優等生ぶって、金太郎飴みたいで、おもしろくねえんだよ!
いまの田舎の中高生って方言を使っているのかなあ。
テレビの標準語なんかに影響されないで、その味を深めてほしいと思う。
あなたが捨てたがっているものは、わたしのほしいものなのだから。
読者さまから以下のようなコメントをいただく。

渡部直己がセクハラで早稲田を首になりそうだ。 久間十義についても1999年、女子学部生からセクハラ被害の相談があった。久間のそういう行為を見聞きしたことはある?



おいおい、まじい? 1999年っていえば、まさにわたしが接していた時期よ。
当時の現場を知るものとしては、ほんとうかしら?
わたしは1999年に卒論(創作小説)を書いていて、その指導教授が久間十義先生だった。
10~20人くらいが久間さんに卒論指導されていたのではないか。
いまもそうだろうが、当時の久間さんは冴えないっていうか、華やかなオーラがないんだ。
いちおう三島賞作家なんだし朝日新聞の書評委員も務めていたのだから、
もうちょっと業界人っぽいキラキラしたものがあると思っていたら。
卒論指導もやる気がなくて、自分の仕事場の電話番号を学生に教えて、
「なんか困ったことがあったら電話してきてね。でも、あんまかけてほしくないなあ」
こんな感じだった。
卒論は最後の審査のときにしか指導されなかった。
みんな言われていたとあとで知ったが、「いいんじゃん。いちばんおもしろかったよ」。
それで終わり。「島尾敏雄の『死の棘』読んだことあるう?」
「ないっす」「(時代が違うし)そだねー」――こんなやりとりを10分くらいして通過。
いまでもいい先生だって思う。
小説創作なんて教えられるわけないし、
そもそも人生経験のない20そこそこの男にいい小説なんて書けるはずはないのだから。
当方にはこんなふうだった久間十義さんが女子学生にがっついていたとは思えない。
言葉は悪いけれど、久間さん、学生から舐められていたもん。
でも、文学部だから女子ばっかで、いわゆる家柄のいいかわいい子が多かったから、
なかには先生がご執心して、
熱心なご指導をなされた才媛も絶対にいなかったとは言い切れないが、まさかねえ。

渡部直己が女子学生に「おれの女になれ」って言ったのか。
その女子は一生に一度のチャンスを逃してしまったのではないか。
渡部直己の女になったら、その学生の小説は師匠からほめられるわけでしょう?
取り巻きや男子学生は渡部直己の評価に盲従するしかない。
うまくいきゃあデビューまでいけたかもしれないのに、せっかくのチャンスをもったいない。
渡部直己はこの手で何人もピチピチした早稲女を食ったのだろうな。
早稲田の創作は仏文が強かった気がする。
蓮實とか柄谷とか、庶民をバカにしたような批評を書くやつらを崇めるっていうか。
むかしはああいうのが格好よかったんだろうけれど、
渡部さん、いまの女学生には通じなかったね。残念でした。お気の毒さま。
文学の終焉を身をもって味わえましたね。おめでとうございます。
そういえば早稲田には江中直紀っていう肉体労働を一度もしたことのないような、
ひょろひょろした頭でっかちのおフランス教授がいて、
あいつが死んだと知ったときには祝杯をあげたものだ。

西原理恵子が言っていたけれど、
女性の商品価値は20歳を境にどんどん落ちていくのだから、
アートの世界で成功したかったらその分野の権威おじさまに身体を与えろって。
そうしたら技術もコネもぜんぶ手に入れることができる。
売れないミュージシャンなんぞに肉体投資しちゃもったいないと。正論である。
早稲田のインテリ女子学生は西原理恵子の本なんて読まないのかなあ。
メシがうまくなる情報を教えてくれた方には感謝する。
考えてみると、日本人なのにニッポンのことを知らないなあ。
北海道は「あーあーあー」の「北の国から」とジンギスカン。ロシアっぽい?
東北は陰鬱で自殺率が高そう。米が好きで日本酒が好きなの?
福島はフクスマで目を合わせちゃいけない。
長野とか別荘? 山猿? 山菜が好きなの?
東京は標準語しかない無味な国際機能都市。
名古屋は味噌カツ食っているんだっけ? ひまつぶし、ひつまぶし?
奈良、京都、大阪、神戸は差別大好き、部落ヤクザ創価の、いわば日本の華道王道。
広島は原爆とお好み焼きの観光地で、山口県はなんにもない田舎町。
四国は薄気味悪く、みんな朝から晩まで、おやつまでうどんを食っているって本当?
九州に入ると修羅の国、福岡を除くと、まあ、あまり文化とは縁がないというか。
よかたいよかたいばってんとか豪傑ぶって芋焼酎でオッーケーって感じかな。
沖縄はパスポートがなくても行けるんですか? 日本語通じますか?
なんくるないさーってなんくるないさー? 現地でも泡盛ってあんなに高いの?
沖縄は成人の日の成人式のためだけにある日本治外法権。
アメリカさんになにをされてもニコニコ、ピースしなければならないんでしょう?
いちばん縁遠いのは四国。あそこ日本なのってくらい不気味うどん県。
うどんのコシとか、そんなことしか関心がないの? 生きていて楽しいの?
物価からいったら沖縄に行くくらいだったら台湾のほうが安くて満足できる気がする。
ひとつまえの記事はなんの主張もなく「日本精神」の体現でございます。
差別や正誤を超えた、つまり意味の世界を超越した「和心」を描きたいと思いました。
「めんこいオメコ」が誤用なのは存じ上げており、
なぜなら「めんこい」が北海道弁で「オメコ」が関西弁だからです。
ほかにも誤用はわかっていてやっています。
しかし、おなじ日本語ならくっつけてもいいんじゃないか、と思ったというよりも、
書きたかったから書いたのです。
29歳のとき、そろそろ死んでもいっかと思って、インドを89日旅しました。
沈没(怠惰生活)は苦手で数日に1度移動したので、ほぼインド全土をまわりました。
最後のほうはどこを旅してきたのだとインド人から聞かれると、
東西南北答えなければならず、
質問してきたほうがデリー、コルカタ、バラナシくらいなので申し訳なく思いました。
が、わたしはインド人よりもインドを知っているわけではありません。
カースト制度は5年、10年インドにいたくらいではわからないでしょう。
いちおうインド語はありますが、北と南では会話が通じないこともあると聞きます。
とまれ、インドを3ヶ月旅行できたことはわが人生の宝です。
ひるがえって、母国はどうか? わたしは北海道にも四国にも行ったことがありません。
九州も鹿児島どまりで沖縄へは足を踏み入れていません。
標準日本語はつまらない。ばってん、いまさらシナ語や英語はできん。
せやけど、日本人だし日本語はいちばん得意だし、なによりネイティブです。
新しい言葉をつくりたい。
そのためなら北海道弁と九州弁、沖縄言葉をくっつけてもいいのではないか。
文法、正誤なんてくそったれ。言葉の可能性を追求したい。
お金をいただいたらそんなことはできませんが、「本の山」は趣味でございます。
言葉に淫しておりまする。
橋のない川の向こうにおるのはだれけんのお。最も七五的、倭国的なものが天皇陛下であらせまするでございまするならば、大和心は橋のない川岸に悪臭をはなちながら穢れ多くうごめいておらないか。関西、四国、九州のほうが江戸東京よりもめんこいオメコぎょうさんおるねんと聞いた。四国高知の広末涼子は土着のおまんこ顔しちょると大部落の朋輩が言いよった。さらに酔んばらばって小川範子の暗さは江戸東京からは出えへんとも、同盟から解放されへん暗闇がまがまがしゅう黒光りしておるとも。女流作家でチョモランマら暗々美々しよるのは創価部落の橋下に住む朝鮮漬け育ちの柳美里や。ドヤの根っこは満州のグリコらしか。グリコ青年学校かもしれへん。薄気味悪い橋のない川岸の向こうにある自死遺族きちがいかたわ部落によっつよっつ這ってでも行きたいのは、そこにびっこの「かい人21面相」なるとうりょうがおるからや。くさいくさい、はくさい、白山神社。おめでたい、ありがたい、やりたい、佳子さま愛子さま靖国神社。明治大正昭和平成ばんざい、おばんざい。
太宰がもしいま生きていて売文稼業をしていても、
すぐさまネットで「本当のこと」をばらされ、
バクハイ3杯あたまをゆすられたような酩酊感、二日酔いとともに、
くだらぬ家業に戻って大損失を出し、
周囲からあざけりの大笑いを受けたことだろう。
長じてからも永らくモツ煮込みを口にすることがなかった。
モツ煮込み的なものを父母が嫌っていたという理由が多きかろう。
はじめて口にしたとき、こんなうまい酒がいけるつまみがあるのかと思った。
四捨五入して30になっていたときかもしれない。

こちらが勝手に友人だと思っている大宮の59歳の派遣で知り合ったAさん。
彼と最前、激安の食べ放題、飲み放題に行ったとき、
以前にはないモツ煮込みがあり、バイキング形式で取ってくるとなかなかうまいので、
ひと口いかがですかとヤクザ業界にもお詳しい彼にすすめると、
モツだけは食べたくないとかたくなに拒否された。むかし食べ飽きた。
なにかがわかった気がした。
ローソン100(すべてほとんど百円)のレトルトのモツ煮込みはレベルが高く驚いたが、
春到来とともに消えた。
また飲みましょう、いろいろ教えてくださいという意味を込めて、
「友人」の59歳派遣のAさんにエーユーから伝文したのはいつだったか。
返信はまだ来ないが、このくらいのスピードがモツ煮込み時代の感覚だろうと思う。

太宰の短編小説「恥」は本当に恥ずかしい。
来月からなにか始まるかもしれないので(なにもないかもしれない)、
いまはもっぱら滋養につとめている。中身を育てている、養っている。
月曜日の今日は夕方まで寝ていようと思ったが、昼過ぎに限界を感じる。
きのう読んだぶんはまことによかったと文庫小説全集を読み継ぐと、この巻も傑作ぞろい。
むかしの短編小説に大感動し号泣滂沱し今日はもうこれでよし、
と日が沈まぬうちから色川武大の「喰いたい放題」を読みながら飲酒を開始する。
梅雨にもかかわらず肌寒くも感じられるので紙パック酒を電子レンジでぬる燗。
人肌のぬる燗と世に言われるが人肌と縁なき衆生ゆえこの程度かと見定める。
ちびちび酒肴と昔言葉で体内を「おせったい」しながらスーパーにでも行くかと思う。

食い物屋稼業をしていた父に感謝しているのは、いまでいう食育である。
田舎者の末弟の父は見た目にたいへんこだわったが、
一方で息子の中身を育てようという、いい意味での成り上がりもの根性があった。
食い物屋の経費という形もあっただろうが、うまいものをいろいろ喰わせてくれた。
まえにも書いたが赤貝はいいものを何度も喰わないと味がわからないのである。
父は見栄もあっただろうが、自分の舌ではわからない赤貝の味を息子には教えた。
赤貝だけではなく、ウニもそうだしほんとうにうまいカニ、いわがきもそうだ。
父の教育方針としては子どものころにうまいものを喰わせておけば、
将来自分で努力して大金を稼いでそれらを自分で喰うだろう。
そういう目論見があったようだが、人生はだれしも思うようにいかないもの。
申し訳ないが、父の食育はいまのところ成功したとは言いがたい。

いまは使われていないのかもしれないが、喰っているもんが違うという言葉がある。
大東亜戦争で日本が欧米に負けたのは、喰っているものが違うからだ。
そういう文脈で使用されることが多いと思う。
これはほんとうの話で日本兵と欧米兵では喰っているもんがまるで違った。
銀シャリ白米ごときに感涙する農民兵は、
ステーキをがつがつ喰らっている欧米兵に歯が立たないのである。
旧日本軍上層部もおそらくそのことに気づいていた。
なぜなら彼らは家柄がよく子どものころからいいものを喰っていたからである。
魚肉、卵、野菜みなみないいものを食べると精がつく。エネルギーがわいてくる。
金持の子がなぜ優秀かと言ったら、幼少時からいいものを喰っているからではないか。
滋養をつけるというのはじつはとても重要なことなのである。

今回は意地汚い食べ物の話をしたが、文化領域でもおなじである。
読書、映画、音楽、絵画、あらゆる文化で滋養(喰っているもんが違う)が勝負になろう。
繰り返しになるが、誕生したときに家に本棚があったかなかったかは大きい。
むかしの庶民がかなりの確率で可能だった芸術創作が子育てである。
子どもは親の芸術作品という面は少なからずあるだろう。
いいものを喰え。いい本を読め。両親からそう言われながら育ったようなところがある。
しかし、貧乏人出身の父母両方、双方どちらもともに、
なにが「いい」のかわからなかったようなところがある。それが哀しい。ちびちび手酌する。
平成30年までの「本の山」文化研究センター所長、
土屋顕史の調査報告によりますと、人間はインテリと庶民にわかれるのであります。
明確にこちらインテリ、あちら庶民と分類されるわけではなく、
はなはだ信用性が疑問の当センター所長の調査データによりますと
標本体ひとりひとりにインテリ率、庶民率というものがございます。
インテリなのに庶民ぶっている人、
庶民のぶんざいでインテリくさってるものも多数記録されております。
作家先生でございますありますところの山田太一と宮本輝はどちらも庶民ですが、
山田太一はインテリ志向はありながら庶民ぶり、
宮本輝は根っこまで庶民なのにインテリぶりたいという属性を有しておるのです。
「ケツの毛まで抜く」という意味がわかるかどうかでインテリと庶民の違いは識別できます。
バーガーの女性はインテリだったのか庶民だったのか。
バーガーの意味を知っているかでも読者さまのご階級はわかりますでございましょう。
昨日、池袋ハロワお参りのあと板橋警察署へ5年ぶりの免許更新へおもむく。
この5年で自分が変わったことを哀しくも喜ばしくも思い知る。
妙に世慣れてきたのはプラスかマイナスか。
免許更新センターなんかどこもそうだろうが明らかに人員過剰なのである。
大した仕事もしていないのに、この人たちは高給を取っているんだなあ。
むかしはそんなふうに感じたが、いまはあれ? 
考えてみたら自分、そんなに税金払っている?
ぎりぎりに近い時間に現地に到着。
3千円の更新料を払うところで、「おねえさん」から「お待たせしました」。
「いや、ぜんぜん待っていないっすよ」
「アハハ」
「不安なのは視力検査。あれ朝やるほうがいいっていうでしょう?」
「どうしますか? ダメだったら2500円無駄になりますよ(5百円は講習料金)」
「賭けとしてチャレンジします」
「そう。1回ダメでもしばらく休んでもう1回やれるからがんばって!」
「ういっす」
どう見ても仕事がない、税金の無駄洪水流出場所をぐるりと見まわし、ひと言。
「こういう落ち着いた場所で働きたいなあ」
場の空気が一瞬にしてゆるむのを感じる。

視力検査は一発合格。
「よかったじゃない。おめでとう」
と料金受納係の「おねえさん」が場違いなほど甲高い声で歓迎してくれる。
「ありがとうございます。おかげさまで」とこちらも感動アピール。
次は写真撮影だが、世慣れた自分に酔っているわたしわたしわたし。
カメラマンに問う。
「20年ペーパー(ドライバー)ですけれど、どうやったら復活しますかね」
「教習所へ行けというのが正しい答えだろうけれど、高いしねえ」
「あれ、専門じゃない人に教わってもいいんですか?」
「いや、あなたゴールドなんだから運転する資格はあるのよ」
「え? ひとりで車なんて運転できませんよ」
「そうしてアクセルとブレーキを間違えて海へドボン、アハハ」
「またまた(からかって)」
5年ぶりの写真撮影パチリ。
醜形恐怖症で顔面神経麻痺だから、写真撮影されることはほとんど皆無。
30分の講習を受け、免許証を板橋警察署から拝受。

醜形恐怖症で顔面神経麻痺のため、自分の顔写真を見るのは死ぬほどいやだが、
警察署のカメラマンの腕がいいいのだろう。なかなかのものに仕上がっている。
5年まえの写真と比べると、いいのか悪いのか、妙にマイルドになってきたというか、
インチキ渡世人めいたいかがわしい上出来な顔になっているのである。
変化がおもしろくてブログに公開したいが、
免許証を出しちゃうとさすがに危険なんでしょう?
軽口をたたける人ってあこがれなのね。
自己陶酔かもしれないが一歩どこかへ足を進めた気がする。
免許証の期限は平成35年までだが、よく知らないけれど来年天皇が変わるんでしょう?
存在しない平成35年までは生きていられるかなあ。
どれほどゲスなおっさんになっているか、せめて将来にはこんな楽しみを持つしかない。
飲み屋で中年女性店員に「おねえちゃん、いいおっぱいしてんね」
と言えるようになるのが夢だが、わが文化力、教養力はそれを大きくはばむことだろう。
「食う寝る遊ぶ」なんていうフレーズを知っているのはオジンやオバン。
なんの実績もないおっさんが思うのは、遊ぶも働くも学ぶもおなじではないか?
おれにかぎってかもしれないが、
働いている最中に強烈な遊び心が舞い降りることがある。
これ楽しいよ。ずっとしていたいって感じ。
学ぶのは、働いているのか遊んでいるのかわからない。
いま25年まえに文春文庫から出された名作短編のアンソロジー全集を読んでいるが、
これはなにをも勝る遊びであり人生勉強であり、
もしかしたらこの言葉・物語の蓄積は、
今後金銭価値が発生する仕事になるかもしれない。
小説の書き方なんて学校で教わるものではなく、いいものを読むしかないのだから。
遊んでいる最中に仕事を感じることがあれば、労働中にちょー楽しいと思うこともある。
遊ぶという面がない学習は意味がないとどこかで思っている。
いま遊んでいる、働いている、学んでいる。この三行は一であろうと我輩は思うのである。
みなさんもそうでしょうが、お金の話は大好きである。
当方の感覚ではお金は「ほしいもの」ではなく「必要なもの」「便利なもの」。
今年のはじめ久しぶりに確定申告を大行列のすえお役人さんの手を借り行なった。
結果はどうなったか? 住民税が去年の1/10以下になった。
ということは、去年住民税を払いすぎたのか、くっそお。
いまからでも確定申告可能なのは知っているがペーパーを消失している。
それにしても去年、こんなに稼いだのかって思う。
年末に勤務したところで予想以上に稼がせてもらったせいかもしれない。
今年の年末もまた近所のあそこに350円の弁当目当てに行きたいのだが、
もう70近いのにお元気な部長さんはわたしを採用してくれるかしら?
勤務終了日にコージーコーナーの菓子を大量にばらまき、
部長さんにその旨をたずねたら「さあ?」だった記憶がある。
面接に行くとしたら今度はジーンズではなく、
8000円のユニクロぺらぺらスーツで行く。
あの弁当また食いたいなあ、ってそれが働く目的かよ。

記憶をたどると還付金の知らせが板橋区からわずかながらあり、
合算すると住民税はゼロか(というかプラス)。
確定申告をやらないばかりに大損している下層民とかけっこういるのかもしれない。
ものすごくめんどうくさいけれども不安定な非正規労働者は税務署へ行こう。
意外と税務署の人は低所得者にはやさしいぞ。スーツで行くなよ(笑)。
むかしはサラリーマンと言われたのが、いまの正社員。
正社員は強制的に税金を給料からしょっ引かれるから辛くはありませんか?
ふらふらしているほうが税法上、有利なことがないとも言い切れない。
そもそもの累進課税制度が、人のやる気を根こそぎ奪う。
稼げば稼ぐほど税金を多く取られるなら、
だれがリスクを引き受けてまで大金をねらうチャレンジャーになるか?
年収1千万だって手取りは7百万ちょいで税金でごっそり持って行かれるわけだ。
だから、高額の生命保険に入ったりするのだろうが、
保険に入れば入るほど人生はつまらなくなるような気がする。
扶養家族を増やせという少子高齢化対策に
本当になっているかは疑問と言わざるをえない。
今年はたくさん稼いだから来年は遊びまくろうなんて思っても、
住民税がそれを許さない。
思う。わたしは思う。高額納税者は偉い。その愚かしさゆえに偉さが際立つ。

山田太一さんもけっこうあるでしょうに(財産が)、
橋田寿賀子先生のように財団法人をつくらないのかしら。
相続税で持って行かれるよりはよほど世のため人のためになる。
河合隼雄のように自分の賞――山田太一賞を創設したらいいのになあ。
いま山田太一さんの側近中の側近と言われている女性は当方よりも年下。
あの人に気に入られるためにはやはりトークショーに行ったほうがいいのかしら。
ここだけの裏話がまったくない、
尊敬するお師匠さまの礼賛話をがまんしてうかがうのも社交のひとつだ。
だれか誘ってくださいましたら上野まで行きますでございますよ。
仕事と遊びの違いがわからないというぜいたくな狂った世界を生きている。
ひょっとしたら来月からわずかばかり(長期間?)在宅ワークをできるかもしれず、
そうなったら孤独でさみしいなあと思っていたら、お仕事紹介メール。
近所。馴れ親しんだ構内作業。時給1500円と書いてある。週2日からオーケー。
身体を動かす仕事は嫌いじゃないし(それしかやったことがないとも)、
構内作業はいわゆる底辺だから(にもかかわらず?)「いい人」も多く、
なにより近所だし生活のリズムを保てるし健康的だし時給1500円だし、
庶民的価値観を常時キープしておきたいし、
大人数でひとつの仕事をするのは嫌いではないから早速ある派遣会社に応募。
登録面接会の日時まで決めた直後にお断りの電話が。
たったいまその仕事はほかの人に決まったから「ごめんなさい」とのこと。
それが本当かはともかく、人生って本当に「一瞬の差」で運命が左右されるところがある。
昨日募集が公示された派遣仕事で求人数が5人で、
このタイミングで応募してもう決まっているというのはおかしいが、それならそれでいい。
ここで落ちたことがマイナスかプラスかわからないことをわたしはよく知っている。
派遣社員さんによると、この会社は募集がよく出るらしく(それってブラック?)、
また出るかもしれないので(というかつねに近所の求人はチェックしている当方は初見)、
そのときにお電話くださるとのことで感謝する。

仕事ってなんだろう? 遊びってなんだろう?
「本の山」は遊びだが仕事とも言えよう。
遊びでなければ、これだけマイナー読書の感想文を書き続けないはずだが、
書いている本人はいわゆる賃仕事よりもブログ更新のほうがきついことがある。
こんな難しい本を無償でわかりやすく説明するなんて、なにかの奴隷ではないかと。
ある人から教わったが、仏教書を検索するとかなりの比率で「本の山」がヒットするらしい。
その人は仏教者だからそうでしょうが、演劇でも他分野でもマイナーに強い。
いまの人は本を読んだりせず、わからないことはスマホ(ネット)にお任せなんでしょう?
そこでヒットするのがまったくのボランティアで書かれたわが記事というわけだ。
ところが、ブログ主の当方には月に数百円しか広告料が入ってこない。

去年、山田太一ファンの奈良のお医者さんからご招待を受けた。
交通費を出してくれ、宿泊費も、そして額は言えないがお小遣いまでくださった。
おかげでわたしは山田太一の小説「空也上人がいた」の舞台、
京都の六波羅蜜寺に行くことができた。
いただいたお金はすべて私利ではなく(そもそも物欲がない)山田太一に使った。
早稲田大学の演劇博物館に行き、
未読の未公刊戯曲をすべて有料コピー読破、苦しみながら感想を書いた。
正直申し上げると、この労力とお駄賃を考えたら、それほど高額とも言えないだろう。
きちんと仕事はする男なのである。
山田太一の戯曲をぜんぶ読んだことのある人は世界でわたししかいないと思う。
だって、公刊(出版)されていないものもあるのだから、これは当然だろう。
このあたりで仕事と遊びのさかいめがあやふやになる。
本音を言うと、わざわざ早稲田まで行き台本をコピーしたり、
それを読んで他人に見せて恥ずかしくないだけのブログ文章に仕上げるのはきつかった。
たとえば50万でやれと言われても、やれと言われたらできなかったと思う。
思いがけなく10万円もいただき(テヘペロ公開♪)、
やべえよ、こんなもらっていいのかという迷いから、
わたしは自分からこの仕事(遊び?)をしたのである。
結果的にはネットにいい仕事として残っているのでしょう?
山田太一はテレビの人だが、
マイナーな劇作品の紹介も、すべて「本の山」が行なっている。
後世の人が調べようと思ったら、ここを始点にすればよろしい。
あれは仕事だったのか遊びだったのか、いまでもわからない。
むかし時給850円の埼玉の書籍倉庫アルバイトは完全にお遊びで行っていました。
もうすぐ収入が途絶えてしまうと思うと不安がふくらむばかりで池袋ハロワへ。
就職支援に「日本語教師」がある。
いままでインド、東南アジア、中国でいろいろお世話になってきたし
(日本の底辺職場で彼ら彼女らに親しみを持っているし)、
そろそろご恩を返すのもいいかなあ、と食指を動かす。
そのうえ日本語を違う角度から勉強したら、
(現世では書かぬやも知れぬ)小説創作に生かせるかもと。
見学会(説明会)は大人気らしく、最終日しか空いていなかった。
で、高田馬場にある有名な日本語学校へさっき行ってきた。

事前にネットでいろいろ調べてしまうわけである。
日本語教師なんか食えるわけがない。有閑マダムのお遊びだったのである。
見学会でも「ひとり暮らしで食べていけますか?」
と質問したら「無理です」とにべもなく言われた。
周囲を見回すと、思った以上に金を持っていそうな有閑マダム率が高いのである。
ちなみに日本語教師は大学を出ていたら、この講義を受けるだけで資格が取れる。
高卒以下は日本語教育能力検定試験とかいうのを受けないといけないって差別だぞ。
その試験の過去問を少しやってみたが、勉強しないでも受かりそうなほどちょろい。
きっとこの学校が東京都就職支援に入っているのも、
日本語教育能力検定試験も利権でいろいろ裏があるんだろうなあ。
ある種の高卒の主婦とかには、
先生と呼ばれて外国人にものを教えるなんて夢ではないか。

ここの学校は日本語をイメージでわかりやすく教えるのが特徴らしい。
実際、校長やトップ教師の実演を見たが、格助詞の教え方とか天才的にわかりやすい。
踊るように教えるらしいのだが、その踊りの振り付けを教師には覚えさせるらしい。
そこの教師は女性ばかりだったが、いいおっさんが外国人のまえで踊れないだろう。
設立者の校長も言っていたが、
この仕事は金も稼げないし、学んでおもしろいというものでもない。
最初にトップがそれを言うってどれだけ正直な好感度の高い学校であることか。
シナリオ・センターなんか社長が説明会で、
うちに来ればみんなライターになれるとか宣伝していたことを考えると段違い。
ここの正直な学校長の好みなのだろう。
女性教師はみな胸元の大きく開いた、
少しでもかがめばおっぱいが見えそうな服を着ている。
70人応募があって15人当選という大人気講座で、
筆記試験、面接試験があるそうだが、
受かるには女性が胸元が大きく開いた服を着ていくことがポイントだろう。
あたまのいい女は(男も?)こういうところに注目するのである、えっへん。
わたしが受けてもまず通らないだろうし、
日本語教師資格を取っても月収10万も行かないだろう。
ちなみにベトナム現地採用だと家賃会社負担で月収3万5千円。

日本語教育はうちが先鞭をつけた(1975年)と誇っていたが、
儲かったり利得が得られるのは最初のチャレンジャーだけなのだろう。
それに外国人が日本語の正しい格助詞を使いこなせてどんなメリットがあるのか?
通常海外ビジネスは英語でするだろうし、
外国人の「てにをは」レベルの誤りを気にする日本人はそう多くないだろう。
少子高齢化の日本が今後ビジネスにおいて中心点になるとも考えがたい。
そんな日本語教師の就職支援になんであんなに人気があるかと言ったら、
金にはさほど困っていないが先生面をして
外国人と個性的(笑)な光り輝く(笑)仕事をしたい人が多いのだろうかと思われる。
最初から父親ゆずりの吃音遺伝というハンディがあるなか、
一度使ったら6年使えなくなる就職支援をここで使うのもどうだか。
40過ぎで若い外国人に楽しんでもらう踊り技を習得するのは一考の余地を有しよう。

そうそう、とうとう就活用スーツを買ったから。
ユニクロで8千円。笑っちゃうほどペラペラ。
いやさ、ハロワのおねえさまが応募書類に貼りつける写真はスーツでって言うから。
面接もすべてスーツ。就職活動はスーツを買うことから始まる。
いや、おれさ、いままでバイトや派遣の面接は
すべてジーンズ貧乏ユニクロスタイルだった。
しかし、当選率は8割を超えたけどなあ。不思議。
貧乏っぽい格好のほうが面接官に受けると思うのだが、ハロワには逆らえない。
で、今日ユニクロのペラペラのスーツを着て、証明写真を撮ってきた。
ユニクロのゆるめの「感動ジャケット」だが正装は公立中学校の制服以来なので、
太陽の光のなかスーツの着心地の悪さにうんざりべったり嫌悪感をいだく。
こんなの毎日着るくらいなら死ぬまでブルーカラーでいいやとも。
しかしまあ、ブルーワーカー系のところも正社員の面接ならスーツだろう。
今日10年ぶりくらいにネクタイの締め方をネットで検索したぞ。
10年まえは手取り足取り(足は必要あるか?)
ネクタイの締め方をやさしく教えてくれる女子がふたりもいたんだけれど、
いまは天涯孤独の身(大げさ?)。
経験から言うと、意外と派遣やバイトから正社員への壁はスーツになっている気がする。
スーツ、ネクタイ、ワイシャツを買うその場の金がないとか、
正社員は応募から採用までかなり時間がかかるが(給料日まではさらに)、
それまでの資金的な余裕がなくその場しのぎで派遣をしているうちに、
派遣はシフトの自由が効かないし、
休みも少なく疲れるから正社員などどうでもよくなってしまうという。

今日の見学会で隣に座ったおっさんのノートを見たら仏教のまとめが。
聞いたらNHK「100分 de 名著 法華経」の(S疑惑の高い)植木雅俊氏から
仏教の個人指導を受けているのだという。こういうヘンテコなことが人生でよくある。
今月23日で収入は途絶えるが、この先どうなることやら。
ハロトレのおねえさまには、日本語教師なんか主婦がお遊びでするもので食えない。
「本当のこと」を教えてほしかったような、1、2日夢を見られたからよかったというか。
倍率の高い就職支援に応募する女性よ、当日は胸が開いた服を着ていけ。
それから校長面接のまえでさりげなくかがめ。
わたしはどうするかわからない。
落ちるとわかっている試験を受けるのも業腹だが、新しい体験ではあるしなあ。
結局、コネなんだよなあ。
地方のどっかで日本語教師を求めている人がいて、
資格を取ったらおまえを取ってやるという約束があれば必死になれる。
日本にアジアからたっくさん留学生が来て(旅館とか農村とか多業種で)、
ろくろく日本語も話せないままに帰国していく。
江副学園のようないい学校に行けばいいのだが(教え方はたしかにうまかった)、
授業料が日本人でも払えないほど高い。
これからもどんどん若いアジア人が建前は留学生(職業訓練生?)、
本音は少子高齢化対策の労働力として来日することだろう。
もっと安価に効率的に楽しく日本語を学べる場所があったらいいのだろうが、
そうすると先達の大手が困るのでなかなかうまくいかない。
本当に若いアジアの人たちには旅行先やバイト先でお世話になったという気がしてねえ。
まあ、他人のことより自分のことを心配しろって話だ。
1999年にNHKで放送された75分の山田太一ドラマをジェイコム録画視聴。
ひさびさに山田太一ドラマを視聴したが、うまいなあ、うまいなあ、泣ける。
しかし、その泣くところが既成概念、
社会常識に強制されたものだったとしたらどうだろう?
物語の骨子はやはり人と人との出逢いで、
裕福な未亡人の63歳八千草薫にダンディーなおじさま夏八木勲が逢いに来る。
理由は亡妻の、老妻の鍵のついた秘密の日記を見つけたからだという。
その鍵を壊して日記を読んでみたら、夏八木勲の亡妻(老妻)と八千草薫の
一流会社勤めだった亡夫が付き合っていたというもの。
「あやまち」も舞鶴でふたりで一泊したという記録があるため、
そのときあったのではないか。
舞鶴でおじさまがおばさまを口説いた言葉は、
「あなたがいちばん綺麗なときを見たい」――。
アパートの火災でアルバム写真はぜんぶ消えたが、
もしかしたら舞鶴の写真館には残っているのではないかとふたりで行った模様。
そして、おそらくは一夜だけ結ばれた。

いろいろなことを考えさせられる。
まずは故人の日記を読むのがよいことか悪いことか。
わたしは母に目のまえで飛び降り自殺され、
その当日に日記が遺されていることに気づく。
いまでも笑い話にはできないが、そこには父やわたし、
親族全員の悪口が事細かにいきいきと
「許せぬ」という熱意(狂的な悪意)こもった文章で書かれていたことだ。
山田太一ドラマでは不倫日記を死のまえに捨てておかなかったのは、
自分に対する仕返しだと仕事人間だった夏八木勲が嘆いていたが、
当方の場合は病死ではなく眼前自殺だからほぼ復讐なのである。
この母の日記はいまもうちにあるが父も親族もだれひとり読みたくないと言った。
自分の悪口が書かれている自殺者の日記を読みたがるものは、そりゃあいないだろう。
わたしは何回も読み直し他の客観的事実記録と比較して詳細なレポートをつくった。
結局、父は別居していた母の葬式にも来ず、日記の話には耳を貸そうともせず、
自分と妻は愛し合っていたという物語を信じながら20年近く経過した。
精神病だった母の死後直後から結婚前の「いちばん綺麗なとき」の写真を、
仏壇のようなものにまつっていた。父は賢い生活者なのだろう。

これをされて生きていけるかって話なのね。
大好きだった母から目のまえで自殺されて、日記には自分の悪口がずらり。
だれもその意味を教えてくれないし、みんなこの事実から目を背ける。
ハロワとかキャリアカウンセリングに行くと経歴の乱れを指摘され、
自己責任とか「自分で検討してください」のようなことを言われるが、
あなたがそれを経験したらその後10年も20年も生きていられるかって話じゃないか。

言葉の達人、ドラマ作家の山田太一もそこらへんは敏感で、
日記が「本当のこと」である証拠はないという示唆もしているのだから偉大である。
日記は「妻の夢なのではないか」と夏八木勲に発言させている。
日記に書かれていることが「本当のこと」かどうかはわからないのである。
ブログ「本の山」は日記形式の記事もあるが、かならずしも「本当のこと」を書いていない。
「本当のこと」なんか自分でもわからないし、未熟な言葉に託せるかという思いもある。
ふたりは舞鶴で一泊したと日記に書いてあるが60近い男女が性行為をできるのか?
すべては夏八木勲の亡妻の妄想だったという解釈もできるのではないか?
「あなたがいちばん綺麗なときを見たい」という口説き文句は有効なのかもわからない。
熟女好きだった山田太一は老女の若いころを妄想しながら興奮できたのか?
このドラマでも夏八木勲が63歳の八千草薫に迫る場面があるが、
こんな年代になってもセックスへの欲は尽きないのかと薄気味悪い思いがした。
それはこちらが未熟な女性観しか持っていないからかもしれない。

とてもうまいいわゆる良質な庶民ドラマで、作者の手のひらの上で泣かされたが、
考えてみるとそれがいいのか悪いのかもよくわからない。
このドラマの基本的ルールは、「不倫は悪」というものがある。
夫婦は、そして両親はお互いを永劫に愛し合わなければならない。
ドラマに泣かされながら反抗的なことを申し上げると、不倫ってそこまで悪いか?
それは現代法律的にはそうだろうけれど、世間法を超えたところから見たらどうだ?
ここに当方は救いのようなものを見ている。
母は子を想うべし、子は親孝行すべしも、「不倫は悪」レベルの些末な問題ではないか?
そうだとしたら母から意図的にねらって目のまえで飛び降り自殺されたことも、
わざわざ悪口だらけの日記を遺されたことも、
すべては嘆くに足らずになるのではないか?
――と言葉のうえでは、口だけでは言えるが、実際あれをされると、
完全に心を破壊されるというか、いまでも夢で意地悪されるし、来世にしか期待はない。
ひとりの人を根本から崩壊させるなんて通常人はなかなかねらってもできないし、
その意味でわが母は偉大だったのだと思う。
母は父の不倫の証拠をつきとめたとか何度も日記に書いていたが、
いまはそんなものはどうでもいい。
たとえ事実でも不倫がなにゆえ悪か? 夫婦関係がそんなに神聖なものか?
母子関係は生物的なDNA的関係に過ぎないとも言いうる。
最後に日記に書いてあることは「本当のこと」なのか? 
本当とはなにか? 嘘とはなにか? 事実とはなにか? 虚構とはなにか?

以下に当方の耳がとらえたセリフを記録しておく。
シナリオが手元にないから、すべては妄想かもしれない。

「(用件は)お金かなにか? ふん、虫のいい話」
「おばさんと相性よくないの知っているでしょう?」
「綺麗ごとを言っても仕方がないから、ザックラバンに話すと――」
「死んじゃえば本とかまわりのものには邪魔なだけじゃない」
「ひとりが長いとひとりになりたがる」
「焼くことも捨てることもできた日記を遺したのは私に仕返しをしたかった」
「さみしい」
「あなたを抱きたい」
「あろうことかここに男をくわえこんで」


「井上靖展 詩と物語の大河」(神奈川近代文学館)

→2003年に神奈川近代文学館で開催された井上靖展の図録である、
ひとつまえの記事で紹介したものよりもだいぶ薄手になっているから、
やはり作家は死ねばだんだんと影響力は落ちるのだろう。読者世代も老いて死ぬ。
医者(軍医)の息子だった井上靖には教養があった。
というよりもむしろ、教養を身につけるだけの遊びをする余裕があった。
教養は学ぶものではなく、遊びながら自然に身につくものだと思う。
うちは焼鳥屋でバブルの影響もあってかなり教育投資をしていただいた。
バイオリンの鈴木メソッド、代々木の英才教育研究所、浪人時代の河合塾。
わたしはバイオリンのせいでクラッシック音楽が苦手になったし、
英才教育なんてされたから鼻持ちならないプライドを持つようになり孤独になった。
唯一感謝しているのは浪人時代の河合塾池袋校東大クラスくらいかなあ。
あそこで1年ぎっしり教わったことが、いまの読書でも役に立っている。
とはいえ、わたしが勉強に覚醒したのは14歳だから基本の教養がない。
都道府県をぜんぶ一致させられないし、世界地図でも国名があやふやなところがある。

いまさらだが教科書以来で芥川を読み返すと教養がすごいのね。
わたしがいちばん教養がなくて読書の際、困るのは日本の地理。
そもそも現代の都道府県さえ怪しいのに、「逢坂の関」とか古いのがあるじゃない。
ああいうのがぜんぜんわからないから俳句も和歌も理解できない。
あと貴族の階級もわからない。何位以上はどっかに上がれるとか(天皇に会える?)。
そういうのこそ教養だと思うし、焼鳥屋の息子には哀しいながらそれがない。
物心ついたときから周辺に本がなかったから。
本棚のない家に育ったものとそうではないものとは相当の教養の相違が出ると思う。
両親ともにわたしに教養をつけさせようとしたが、
ふたりとも教養のなんたるかを知らなかった。
まあ、教養がないとはそういうことなのだが。
教養とは押しつけるものではなく、本人が遊びながら自然に身につけるもの。
いまのわたしは大学卒業後、
不逞にも貪欲に無頼をつらぬきわがまま放題に遊んできたから、
多少の教養はついている気がするが、
それでも持って生まれたものにはかなわないだろう。
名前は忘れちゃったけど、西村賢太と芥川賞を同時受賞した人とかすごいんでしょ?
選考委員の宮本輝がビビッてもろ手を挙げて降参したくらいなんだから。

井上靖もよく遊んでいるんだ。
この人、岳父のコネで就職するまでいったい何年遊んでいるんだよ。
就職してからも文化部で、新聞記者の立場で有名文化人の遊びに加わり、
酒もがんがん飲んで女遊びもしっかりやって、ようやく作家デビューって、おまえさあ。
しかし、しっかりそれら遊びは創作の養分になっているから無駄にはなっていない。
おそらく井上靖自身は無駄になっても構わないと思っていたことだろう。
なぜならそれが遊びだからである。
井上靖が色紙を請われると座右の銘のように書いていた言葉があったという。

「養之如春」

「これを養うこと春のごとし」と読むらしい。
教養がないわたしは「養うことこれ春のごときにすべし」と誤って読んだが、
意味は大して変わらないと思う。
本書によると意味は――。

「何事をなすにも、春の光が万物を育ててゆくようにゆっくりと、
あせらず、ゆたかにやっていくべきだ」(P15)


「毒蛇は急がない」とおなじ意味だろう。
「毒蛇は急がない」はタイのことわざだかなんだったか、
サントリーの開高健が好んだ言葉で、のちに創価学会の宮本輝もひいきにしている。
意味は、自信のあるものは急がないでゆっくりしている、くらいか。
教養がないからそこらへんはいいかげん。
新米作家の宮本輝が井上靖に宴会に呼び出されたとき、師はポツリと言ったという。
証拠はないが、本人がそう述懐しているなら、それを信じるしかない。
井上靖は宮本輝にこう言った。

「宮本さん、小説って何でしょうねェ。小説は学問でもなければ宗教でもない。
小説は遊びですねェ。贅沢な心の遊びです。
贅沢な心の遊びなんだから、清潔でなければいけませんねェ」(P34)


いま心を遊ばせる未知なる場所がないよねえ。
シルクロードとか結局、井上靖がすべてあさっていって、もういまさらって感じだし。
教養がない宮本輝や当方のような庶民には日本の歴史小説でも書けない。
宮本輝の時代にはまだ朝鮮戦争やベトナム戦争があったけれど、
いまはねえ事件も小粒で全体的に小さくまとまっている。
考えてみたら宮本輝は仕事ばかりでまったく遊んでいない。
育児をまともにやらなかったことを、いまになってご子息から指摘されているんでしょう。
まあ、お金をいっぱい稼いだからいいんじゃないの。
けれど、お金の使い方、遊び方を知らないのが宮本輝。
井上靖も世に出てからは仕事人間でほとんど遊んでいない。
遊ぶって働くより難しいと思う。
わたしは遊ぶのに飽きて働きはじめた人を知っている。怪我をしていったん頓挫。
最近、今度は遊ぶのも飽きたって言っていて、
じゃあ反対に働けばとアドバイスしたのだが、
返答はもうちょっと遊んでみるようなニュアンスだった。
そいつは嫌いだから、どうなってもいいんだけどさ。

高級グルメを食って、ゴルフをして、
金のちからで骨董品を集めるくらいしか宮本輝は遊びを知らなかった。
競馬はいまもやってんの? ファンクラブに入会拒否されたから最新事情がわからない。
スーパー糖質制限でいまは食べたいものも我慢しているんでしょう。
なにが楽しくて生きているんだろう。やっぱり清潔な財団法人宮本輝かしら。がんばれ!
「井上靖展――文学の奇跡と美の世界」(毎日新聞社)

→1992~1993年に各地で開催された井上靖展覧会の図録(ちなみに没後ね)。
少年時代、どこから文学世界へ分け入ったかといえば「しろばんば」や「あすなろ物語」。
あれらが文学かと問われたらどうかわからない。
「敦煌」や「天平の甍」は明らかに娯楽小説としても読めるのだから。
井上靖は凛としているというか文豪のなかでも格好いいよねえ。
アメリカナイズされていないというか、
東洋世界にしっかりと根を張っているようなところがある。
海外西洋文学の物真似をしているやつらとはものが違い、
どっしりと地に足がついている。
安倍公房なんか結局、和製西洋作家みたいなものだったのでしょう。小声で言うが大江もそう。
個人的にはデビューが42、3歳と遅く、スロースターターなところもいい。
ゴリラみたいな顔なのにデビューまえから愛人がいたところも
(この女性が最初に井上を文学者とみなした)、酒豪なところもよろしい。
詩人の大岡信が弔辞で井上靖を以下のように述べている。
一部抜粋する。井上靖は――。

「不逞でしかもたくましい夢想の徒である詩人・小説家の魂が、
謙虚でしかも貪欲な学問研究者の勤勉とみごとに結びついて、
井上靖という文人の厖大な業績を産み出しましたが、
その仕事の根本には、世間的な栄達とはまったく無縁な心、
すなわちわが好むところを好むがままに追求して飽くことを知らない、
無頼で自由でわがままで孤独な夢想家の心がありました」(P13)


「不逞」「貪欲」「無頼」「わがまま」とかおよそ弔辞には不似合な言葉を使用しながら、
きちんとした弔辞にまとめているのはさすが詩人だと思う。
井上靖はわが道を行く人であったし、
「あすなろ」はいくら題目を唱えても「ひのき」にはなれないことを知っている人だった。
「あすなろ」は「ひのき」にはなれないが「ひのき」を目指して「あすなろ」のまま輝け。
ひっくり返せば「あすなろ」は「ひのき」への人間革命などできぬことを深く認めよ。
宮本輝は池田大作と井上靖のふたりを師匠と目しているようで、
先輩作家の作風と非常に似たものを書いているが、
両作家の相違は重量感にあるような気がする。
宮本輝作品はよくも悪くも新興宗教的な、安っぽいキラキラした感じがある。
宮本はおのれの教養がないのをひどく恥じているようで、
むかしネットだったか「教養がないがや」と他人を非難しているのを見たが、
いうまでもなくコンプレックスの裏返しだろう。

30そこそこで世に華々しく出てしまうと勉強する暇がないというのはわからなくもない。
宮本輝もそこは自覚しているようで、
娯楽長編小説に源氏物語といった古典をアクセサリーとして挿入するが、
本人がろくろく読んでもいないのにそういうことをするから小説にチープ感が出てしまう。
井上靖の岳父は大学教授だが、宮本輝さんの奥さまの実家は庶民だろう。
宮本輝には(大岡信のいう)「学問研究者」的態度が
まるで見られないのが両者の相違だろう。
英文科出身だがまったく英語は話せなく、しかし関西弁だけはめっぽう達者な
成り上がりもののイメージから宮本輝は逃れられない。
しかし、宮本輝は井上靖を真似たような文体で人生の深遠を知ったかぶるから、
そこがプチ文学的とも滑稽とも浅ましいとも共感できるとも言えるだろう。
わたしの父は学問となんの縁もない焼鳥屋のおやじだったから、
井上靖よりも金ぴかな宮本輝に共感するときもなくはない。
「3千枚の金貨」や「山盛りのキャビアでシャンパン一気呑み」の幸福を
わたしは宮本輝とおなじで信じてしまいそうなところがある。
井上靖には、そういう金ぴか性とおもむきを異にする枯れたところがある。
40過ぎまで世に出なかった井上靖は世間の栄枯盛衰をよく見たことだろう。
才能もないのにうまく世に出てひと稼ぎして消えていったもの。
才能があるにもかかわらず不遇にも無名のまま死んでいったもの。
この世は「空」だが、「空」のなかにも「色」はあり、
自分はその「色」を娯楽性のある遊びの物語として書きたいと思ったのが井上靖である。
「空」でありながら「色」であるこの世界を遊びとして描きたい。

井上靖は文学賞を「独り占め」し過ぎという悪評もあったようだが、
それは氏が人の嫌がる雑用をよくやったからである。
ペンクラブの会長や選考委員、若手作家の習作読書は、
自分の時間がなくなるから、才能ある作家ならばだれでもあまりやりたがらない。
そもそも社会体験が乏しい作家には「○○会」を開くことさえできない。
会場を手配して出欠を取って、返信を寄こさないやつには直接連絡を取る。
そういうことは毎日新聞の記者を10年以上やっている井上靖にしかできなかった。
「作家の多くは、いうだけはいうが雑用はしたがらない」と三好徹も書いている。
井上靖は、たとえば河合隼雄や池田大作のように実務もできた人だったのである。

この図録で夫人の井上ふみさんが不穏で意味深なことを書いている。

「私は宅の応接にあります靖の祭壇に朝晩報告をいたします。
生前そうしていたように、お早うございますに始まって、お休みなさい、に終わるまで。
南無妙法蓮華経とは素直に口をついては出てきません」(P11)


井上靖の戒名は「峯雲院文華法徳日靖居士」。
日蓮宗の戒名は11字で(創価学会と敵対する)日蓮正宗の戒名は9字。
だから、井上靖は日蓮正宗ではなかったのだろう。
しかし、晩年は親鸞に興味を持っていたという記載もある。
平成3年1月、井上靖没。
同年11月、日蓮正宗から創価学会が独立。
井上靖と池田大作は生前、「四季の雁書」という往復書簡を出版している。
内容はつまらないが、文壇の大御所と創価学会トップが手を組んだという事実は大きい。
これは池田が井上の大ファンで創価サイドから依頼したと言われている。
直後の宮本輝の華々しい文壇デビューはなにか関係しているのだろうか?

長いあいだ愛人に井上靖を取られていたふみ夫人は父からこう言われていたという。

「父は私に言っていました。
若い時はいくら貧乏してもいい。
隣の主人の収入より靖の収入が少ないことを咎(とが)めてはいけない。
四十の声を聞いた時、世間に一寸(ちょっと)芽を出しておかないと、
その後が難しいということを。
芥川賞をいただいて、漸(ようや)く底をついた貧乏からは抜け出せました。
二、三年おそくはなりましたが、一応社会に受賞という芽を出しました」(P12)


そんな貧乏だったら井上靖は愛人を囲えないはずなのだが、そこは追求しない。
40歳というのはたしかにある境で、このへんで人生の勝敗がある程度決まるのだろう。
父親としての井上靖は娘にどういうアドバイスをしていたのか。
本書に遅咲きの作家のご長女さまの記憶が語られている。

「父は賑やかなことが好きで、けちなことが大嫌いなザックラバンな人柄だった。
私たちが何か困ったことが出来て相談すると、
「ザックラバンに話してごらん、隠しだてをしても始まらん」
「物事はよい方へ、よい方へと考えなさい。
そうすれば、きっとよい知恵が浮かんでくるよ。悲観的になってはおしまいだ」
とよく云っていた。
実際に父は、どんな時にもその言葉通りに問題を解決していたようだ」(P103)


「物事はよい方へ、よい方へ」とわたしも考えるようにしたいものだ。

(関連記事)
「父・井上靖の一期一会」(黒田佳子/潮出版社)
「花過ぎ 井上靖覚え書」(白神喜美子/紅書房)←愛人の暴露本
「四季の雁書」(井上靖・池田大作/「池田大作全集17」/聖教新聞社)
「日本語と日本人の心」(河合隼雄・谷川俊太郎・大江健三郎/岩波書店)

→いまだもって日本語への関心は強い。言葉に興味がある。
むかし時給850円の書籍倉庫でバイトしていたけれど、
そこにGさんという日本語ペラペラな笑顔がかわいいベトナムの女の子がいて、
最後は勤務中に携帯番号を聞いてしまったくらいだもの(教えてくれなかった)。
日本語の仕組みを知りたいならば、外国語をやるにかぎるのだろうが、
もう当方にはそれをなすだけの脳細胞は残っていない。
で、古文とかたまに挑戦するけれど、やっぱり言葉はおもしろい。
「もったいない」とか英語では言えないわけでしょう。
上野の中国人旅行者は「すいません」を連発するけれど、
あちらのガイドブックにはそうしろと書いてあるのだろうが、
日本人と中国人の「すいません」のニュアンスは正確には異なる。
数日まえ芥川龍之介「奉教人の死」を読んで久しぶりの文学的感動に打ち震えたが、
あれも根っこには西洋と日本の言葉の問題があると思う。
ゴッドと神はおなじだけれど違うというかね。
あれはすごくて最後のほうは音読して音に酔い痴れた。
世界はひとつなのにベトナム人と日本人ではまったく世界観が変わる。
それは言葉が違うからだと思う。
ひとつの真如(真理)を我われは多様な言葉に分節化しているだけかもしれない。
息子は全員(?)お偉いさんの河合隼雄は言う。
これは最晩年の書籍だから、老年に達した河合の結論と言っていいのかもしれない。
河合隼雄は晩年、学者の井筒俊彦のすごさに改めて気づいたという。

「私の仏教の勉強のいちばん大きい手引になっているのは、だいたい井筒先生です。
この井筒俊彦先生のお書きになった本を見ていますと、
仏教で非常に大事なこととして「真如(しんにょ)」という言葉があります。
要するに、「真如」ということがわかれば、もう仏教では終り、
悟ったということになるのでしょう、
ところで、この世界のなかで私のような俗人はひとつひとつこだわって、
ここにマイクロホンがあるだけではなくて、
このマイクロホンはどのぐらいの値段がするのだろうかとか、
どこのメーカーだろうかとか、そういうことを考えますが、
そういうふうにひとつひとつ区別して
いろいろなことを人間がやっているのはすべて妄念、妄想であって、
世界というのはほんとうはひとつで、そのひとつの世界というものには、
そんなわれわれが必死になっている区別[言語化]などというのは存在しない。
まったく区別[言葉]はなくて、いうならば、すごいエネルギーの固まり、
ただもう存在しているというふうな、そういうものなのだ。
それが「真如」なのです。
そういう[言語化できぬ]「真如」がこの世にあらわれてきて、
マイクロホンという形になってみたり、私という人間になってみたり、
一人一人みなさんのようになっているのです。
だから、考えて見ますと、「私」というのを私はすごく大事にしているのですが、
ほんとうは「私」などというもの[言葉]も、真如のほうからみたら妄念なのです」(P31)


テレビドラマ作家の山田太一さんはむかしセリフに「私」を入れられなかったのだと思う。
「私はこう思う」というのは英語の翻訳で、日本人はそういう言い方はしない。
少なくとも35年まえの日本人はできなかったのだろう。
現代は「私はこう思う」「あなたはこうだ」と言える人のほうが多いのかもしれない。
山田太一ドラマ「ふぞろいの林檎たち」では「こちら」「そちら」「あちら」が頻出する。
影響を受けて、わたしもブログで自分のことを「こちらは」と書いたりしてきたが、
そういう悪影響(?)に気づいた人はおられますか?
河合隼雄もそこらへんは敏感で、一時期は「私」を「筆者」と呼称していた。
山田太一ドラマはほぼ絶対に英語化できなくて、
登場人物が「I think」とか「You said」とか言ったら情緒が台無しでしょう。
たしかに意味はそうなんだけれど、それは違うよっていうかさ。
わたしは七五調の語りが禍々しいながら情緒的で感傷的でとても好きだ。
しかし、七五調のよさはよほど日本語に熟練した外国人でもわからないと思う。
あれは我われの生きるリズムなのだから。
語り物の「日本霊異記」や「説経節」はときに七五調があらわれるがそこがいいのだ。
「平家物語」も近松門左衛門も「義経千本桜」もそうである。
怨念や怨恨をおさめる役割を果たしているのが七五調ではないかと河合隼雄は言う。

「それからちょっと話は変わりますが、
さっき大江さんの五・七・五・七・七というのは、ほんとうにおもしろいですね。
これは上田秋成の『雨月物語』かなんかだったと思うのですが、
崇徳院とか関白の秀次とか「浮かばれない」人たちの怨霊がでてくるのですが、
そのなかで歌のやりとりがあります。
あるいは五・七・五の歌をつくると、だれかがうまいこと七・七でおさめるのです。
そうしたらうまく「おさまりました」といって、怨霊の心の方もおさまるのです。
これはヨーロッパの人だったら、その恨みをどう晴らすか。
恨みはどういう方向に、だれに向かうのかということをやってしまわないと、
完結しないのです。ところが、日本は七・七でおさまるのですね。
このおさめ方というのが日本のいまでもすごく行なわれているのですよ。
手打ち式でもみんなそうですよね。
そうした伝統をわれわれはいまだに持っているのですが、
[心理療法家の]私が苦しんでいる人にお会いしていても、
五・七・五・七・七的おさめ方が生じるのです。
それはなにも私がやるのじゃないですよ、
その人がやられるから、それに私は従うだけですけれども。
そうでないと、恨みを絶対に晴らさなければならないと思ったら、
すごいことになりますからね。そういう知恵も、
これは日本だけではなくて、ひょっとしたら、
さっき言いましたようにもっともっと世界中にあるのじゃないか」(P169)


わたしは日本語ばかりがいいと言っているわけではなく、
「がんばれ」よりも「グッドラック」のほうがよほどいいでしょう?
最後に別れるとき、「がんばれよ」と言われるよりも「グッドラック」のほうがいい。
「Do your best!」とか言われても「はあ?」「知らねえよ!」とわたしなら思う。
そういえばむかしは、なまの言語収集のためもあり働いていたんだなあ。
「おつかれさまです」とか日本人なのにいまだに意味がわからない。
「ごくろうさま」も意味が正確にはわかっているとは言いがたい。
「了解です」も嫌いな日本語だ。
「ざっくり」も嫌いな書き言葉で、使わないようにしているつもりだが、一度使っていた。
「私はあなたを愛している」なんて言葉は使う気がしないし、そもそも意味がわからない。
「もうちょっとだけ一緒にいて」なら意味がわかるし使用可能だ。
知らない人と話すことがけっこうあり(病院や公共の場所)嫌いではないが、
言葉の採取が目的かもしれない。
山田太一ドラマは役者の演劇でもあるだろうが、
突き詰めれば言葉(台詞)のやりとりだと思っているから、
シナリオや芝居台本を読もうともしないリアル視聴世代とは意見が合わないのだろう。
「言葉だ、言葉、言葉」(「ハムレット」)。

「ダメなときほど「言葉」を磨こう」(萩本欽一/集英社新書)

→わたしにとって欽ちゃんといったら(世代が違うから)テレビの人ではなく、
ベストセラー「ダメなときほど運はたまる」の人なのね。
ドリフターズなんて知らないし、そもそもお笑いには門外漢で、
子どものころビートたけしの「コマネチ」でなぜみんなが笑うのかわからなかった。
まあ、当読書ブログのよさは、こういう雑食性にあるわけでしょう?
空海関連で中村先生とか井筒先生の論文を拝読いたしましたけれど、
そういう難しいのもこういう軽いのも同時に読めるというフットワークの軽さ。
「ダメなときほど運はたまる」はむかし読んでいま自分は運をためているんだと
自分で自分をごまかしたが、あれから6年経ってもダメなまま。
当方の人生のピークはたぶん、
19歳のときにまぐれでスーパーフリー大学にお情けで入れてもらったときではないか。
あれから20年以上ダメなままだが、
大成功者である萩本欽一の「運」理論によるならば、
どれほど運がたまっているのか恐ろしくなる。
結局、面接でもなんでも「上」に行くには「上」から、
こいつおもしろいなと引き上げてもらうしかないのである。
だったら、欽ちゃん引き上げてくれよという話なのだが。

大成功者、芸能界の王者の名言を引く。
これは無意味は行為で、あと5年後もダメなままなのだろうとはうすうす気づいている。
しかし、そろそろ運がたまってきたかなあ、という自己的運命論を信じたいところもある。
これまでの膨大な蓄積と奉仕的アウトプットに反比例する報われなさは尋常ではない。
スポットライトを浴びて消えて行った年下の若者たちを何人見てきたか。
そろそろ風が吹くような気がしてならないが、来世で台風の目になるのかもしれない。
いまは駒澤大学で仏教をいちから学ぶ大成功者、大勝利者にして、
なによりとびきり運がいい萩本欽一氏はいう。

「これはテレビに限った話ではありません。
何か迷ったら、自分にとって物理的な距離や心理的なハードルがあったり。
これはちょっと大変かなというほうを選ぶ。
そこにいい物語が生まれ、人生を豊かにしてくれるのです」(P32)


こういう言葉を信じて、中年男は女子大生と付き合うとか夢見ちゃダメだよ。
いや、金があれば、そういう道を選ぶのもいい。
著者は高校時代、自分よりのテストの成績がいつも悪い同級生が、
どうしてか通信簿では自分より評価がいいのかわからなく教師に問い質したという。
末端公務員の教員は正義の生徒にどう答えたか。

「萩本、悪い。先生もいろいろ立場があるんだ。
あいつの親から結構なお歳暮をいただいちゃってな。
こういうときは、成績にそれなりのことが出ちゃうんだよ」(P72)


萩本欽一少年は先生を軽蔑するどころか、正直なところを見直し、
高校生にすぎない自分に本音で語ってくれる教師を逆に尊敬さえしたという。

「世の中、お金を持っている人が得をするようにできているんだ。
インチキな仕組みだけど、こういうのが隠れた大人のルールなんだろうな」(P72)


大成功者のいちばんの恩師は、高校時代のこの国語教師ではないだろうか。
わたしには不運なことに、だれもこのインチキな仕組みを教えてくれる師匠がいなかった。
いや、いたのだろうが、愚かなわたしがそれに気づかなかったともいえよう。
中学校のころ卓球部に所属していた。
顧問はMという数学の教師で、Nという同学年の美少年をかわいがっていた。
ひとりだけある公式戦に出られるという機会があった。
みんなMのお気に入りのNが選抜されるのだろうと思っていた。
いや、勝てばいいのではないかとわたしは思った。
醜い男子だったわたしはNに試合を申し込み、
心理的揺さぶりやら弱点をつくなどいろいろして、
M教員の目のまえでNに勝った。
しかし、公式戦のひとりに選ばれたのはわたしではなく、
M先生お気に入りの美少年Nであった。
中学時代、体罰を受けた記憶は少ないが、
数学のMからひどい平手打ちをされたことはいまでも忘れられない。
数学教師のMはインテリでクールという風貌なためか女子から人気があった。

なーんか終わりを意識しながら人生を俯瞰(ふかん)すると、
ずうっとダメだったなあ、という気がしてならない。向かい風ばっかり。
しかし、著者はそうではないという。

「長い人生の中には、自分に追い風が吹いているときもあれば、
向かい風に行く手を阻まれる時期もありますが、
この時期[コント55号解散期]は風がぴたりと止んでいた気がします。
こんなときは凪(なぎ)の中で、
人生の昼休みを過ごしていればいいのだと思います」(P41)


ずっと人生の昼休みで昼寝をしていたという感もなくはない。
自分でも自分の人生がなにがなんだかわからない。
ずっと時給千円付近の派遣やバイトだったが、
機会があってハローワークに行ったらボーナスをもらえる正社員の職があるという。
まあ、ハロワ中年女性職員からは、
あんたの経歴だと正社員になれたとしても介護や警備くらいじゃないと言われた。
しかし、正社員に奇跡的になれたとしても(なりたい?)、
時給換算したらいままでの派遣やバイトのほうがいいということも起こりうるだろう。
短期のバイトや短期の派遣は給料もそこそこ(時給1200円くらい)で、
永続性がないので人間関係のしがらみが生じないというプラス面もある。
もう単純作業に戻るのがいやで、かといって経歴的に正社員は無理っぽいし、
文筆的には権威者からまったく相手にされていない。
どうしたらいいんだろう、萩本欽一先生?

「仕事を選ぶにしても、どんな仕事をしたいかではなく、
どこへ行けば戦う相手が少ないかという選び方がいいと思います。
大勢の中では勝てなくて、三人抜けば一番になるというところなら頑張りようがある。
でも六〇〇〇人を抜くのは大変だもの」(P67)


だから、河合隼雄は明恵を選んだのだろうし、
わたしもマイナーな一遍やストリンドベリ、ユージン・オニール、ピランデルロ、
グリルパルツァーに賭けたが、だれにも相手にされないことには変わりはない。
いまわたしは錯覚かもしれないが破綻寸前だし(精神的? 身体的? 経済的?)、
いやいや、携帯電話番号を公開していることからそのへんはうかがい知れよう。
なんでそんなことをできるのかといったら、やってみなきゃわからないからである。
企業はある企画を立てるとき、何度も会議をして問題点を話し合うという。
だがしかし実際は会議は無駄で、
なぜなら現実はやってみなきゃわからないからである。
成功確率90%はなにを意味してもおらず、やってみたら失敗に終わることもある。
人生のあらゆることが相談や会議ではなにも事態は判明も進展もせず、
やってみてはじめて結果が現われ、
それをどうするかの段階では会議(相談)が必要となることもあるだろう。
やってみなきゃわからないんすよ。会議をしてもなにもわからない。
事前データをいくら調べても、やってみなくちゃわからない。

なぜならそれは運だから。

大勝利者のチャレンジャー萩本欽一氏は会議が嫌いだという。

「僕は打ち合わせしてもいいものはつくれないと思っています。
たとえば、打ち合わせのときに、僕が「これやるから」と言うと、
周りが「それは○○ですか? △△ですか?」と、どんどん質問してきます。
これでは、面白いものは生まれない。
みんなが自分の頭で考えて、「きっと、こうなるんだろうな」
と思って見切り発車するくらいがちょうどいい。
そうすると当然、ズレが生じてくるんだけど、そこが面白いところなんだと思います。
ズレや違和感はとっても大事。そこに思いがけない幸運がやってきます。
それでも、みんなすぐ打ち合わせをしようとします。
「これをするにはどうしたらいいか」「こうやったらこの番組は当たるか当たらないか」と。
そういうのは無駄な時間。当たるか当たらないかは、
いくら話し合ってもわからないけれど、やってみればすぐ気づく。
打ち合わせは才能をつぶすとさえ思っています。
他にも、打ち合わせをしたがるのは、
みんな失敗をしたくない気持ちが強いからなんだと思います。
責任を取りたくないのでしょう」(P110)


1.面白いことがしたい。

2.やってみなくちゃわからない。

3.なぜならそれは運だから。

「ひとりぼっちを笑うな」(蛭子能収/角川oneテーマ21)

→難解書物を読むなかでの箸休めの一書。
元シナセンの蛭子さん「ローカル路線旅バス乗り継ぎの旅」を降板したらしいね。
なんか人気番組だったらしいけれど、本人としては
「他の番組と変わることなく、いつもどおりの自然体で旅をしているだけなのになあ……。
そして、その場その場で思ったことを、正直に言っているだけなのに」
なにがいったいおもしろいんだろうと不思議がっている。
この路線にぼくも乗れないかなあ、というか乗りつつあるというか。
元シナセンの蛭子能収は知人からこういうことを言われ心外だと思う。
「みんな、本当は蛭子さんみたいに、自分勝手、自由気ままに振る舞いたいんですよ」
元シナセンの蛯子は自分では周囲に十分に気を遣っているのに、
この言われようはなんだ。そう不快感を吐露している。
ぼくも周囲に気遣いはしているつもりだが、そうではないんでしょう?
いやさ、おれだってテレビの食レポで海老フライ専門店に行って、
いざ現物を見て「うわっ、小さあ」とかいってロケを台無しにしたりはしないよ。
しかし、シナセンに行って講師に受賞歴を聞いたり、
ぼくとどっちがおもしろいシナリオを書けるか勝負しませんか?
なんて、言っちゃうのは蛭子能収っぽくて恥ずかしい。
元シナセンの出身漫画家である蛭子能収は芸能界の常識、
楽屋あいさつをしなかったらしい。その理由はこうだ。

「別に礼を欠こうと思ってそうしているわけじゃないし
むしろ僕があいさつに行くことによって、相手の自由な時間を奪ってしまうことが怖い。
それと、僕からすると積極的なあいさつというものは、
やっぱりどこか主張している感もあるので、そのような行動を控えてしまうんです」(P89)


わかるなあ。ぼくなんかも朝日賞のテレビライター山田太一さんのファンでねえ。
そりゃあ、お話したかったけれど、相手の貴重な時間を奪っちゃうわけでしょう。
そう思ったらできないよ。
ところがところが、自分はファンとして山田太一と長時間話したという、
(そしておそらく山田のコネで引き上げてもらった)沖縄の男性が、
山田太一が半身麻痺になってしまったいま、
師匠の真の言葉を広めるのは自分しかいないと思ったのか、
宣教師的態度で「自分は山田太一の真の言葉を伝える」なーんていう
トークショーを有料で6月16日にやるそうで、来ないかという宣伝コメントが来た。
それまるで宗教みたいじゃん。あなたが一番弟子なんですか?
で、山田太一と一度も言葉を交わしたことのないおれはあんたに指導されるの?
宗教ってこうして始まるんだなあと薄気味悪いものを感じた。

ひとりぼっちのさみしがりやだから、そういう商売につきあったほうがいいのかなあ。
名刺を配って交友関係を広げるみたいな。
しかし、交友社交というのは自由の敵でもある。

「長いこと、自由であることを第一に考えていると、
いわゆる「友だち」と呼ばれるような人は、あまり必要ではなくなります。
むしろ、友だちがたくさんいると、面倒くさいと感じることが多々あるくらい。
友だちはいい存在である一方で、ときに自由を妨げる存在になるからです」(P138)


「考え過ぎかもしれないけれど、僕が自由や時間を奪われるのを嫌うように、
逆に誰かを誘うということは、
その人の自由や時間を奪ってしまうということになるかもしれない。
それは本望ではありません」(P139)


出版業界って出版パーティーとか受賞パーティーが多いんでしょう?
そういうものの参加率で選考委員や受賞作が決まったりするとか聞く。
偉くなれば偉くなるほど、どんどん自分の自由に使える時間がなくなるのである。
しかし、そういう社交を完全に遮断してしまうと今度は仕事が回ってこなくなる。
本人が参加しない(笑)山田太一トークショーとか行って、
絶賛記事をブログに書いたらおいしいことがいろいろあるのかなあ。
関係ないけど、山田太一さんのご葬儀の委員長って「北の国から」の人なの?
寺山修司の葬儀委員長は山田太一だったけれども、
大学(学校)を卒業して社会に出たら男同士の友情は純粋性がだいぶ薄まる。
元シナセンの蛭子能収はそのことを正直に書いている。

「つまり、たとえ親友だったとしても、いつまでも親友とは限らないんですよ。
親友だからといって、必ずしも常に腹を割って話せるわけではない。
とくに、そこに職業とか年収の差、または家庭環境などが関与してくると、
気を遣うし、意識せずともどこかギクシャクしてしまう。
若いころは、好き勝手に、そして自由になんでも話すことができたのに、
本当に難しいものです。悲しいけれど、それが現実なのかもしれないな」(P150)


たぶんこれは男同士(女同士)の友情の場合で、
男女間の友情だったらそういうつまらない壁は乗り越えられる気がする。
いや、男同士でも歳の差があっても、あんがいうまくいくケースはある。
ぼくは派遣で知り合った大宮のAさん59歳といまだに交際があるのが不思議である。
おなじく派遣で知り合って、ありがたくも友だちになろうとおっしゃってくださった、
同世代の世田谷本部長とは無理だったようだ。
会社を辞めたとかひさびさにメールが来て、じゃあ遊びましょうよと返信したらそれっきり。
いまは再就職して優秀な彼のこと、妻子のためにバリバリ働いていることだろう。

6月はある結果待ちなところがあり暇になるっぽい。
ある人との電話で話題にあがった芥川龍之介とか読めるくらいに暇。芥川は怖い。
というか、中高の教科書以来だが、
あんなものを学生に読ませても意味はわからないだろう。
暇だから山田太一の側近のトークショーに行くのもいいのかなあ。
運転免許の更新は忘れてはいかん。
おれさ、20年ペーパーなんだけれど、
ボランティアで実技講習してくれる暇な老人とかいませんか?
その代わり過去の自慢話、武勇伝は感心しながら拝聴することを約束します。