「秘蔵宝鑰」(空海/加藤純隆・加藤精一訳/角川ソフィア文庫)

→「秘蔵宝鑰(ひぞうほうやく)」は空海の晩年に書かれた代表作。
淳和天皇が仏教の宗派の相違を知りたいという理由で各宗が出したもののひとつ。
これを読んで真言密教の内容がわかるかといえばそうではなく、
空海いわく密教は師僧から口伝えで教わるもので、
灌頂(かんじょう/儀式)を受けないかぎり理解しようとしても逆に害悪になる。
灌頂はお師匠さまから水をあたまからぶっかけてもらう通過儀礼のようなもの。

空海は「秘蔵宝鑰」で人間のレベルを上下10に分類していいる。
おそらくこれは天台宗の十界論の影響だろう。
天台宗ではシナ僧の智顗(ちぎ)が五時八教の教相判釈をしている。
教相判釈はいっぱいお経があるけれど、
それらの優劣はどうなっているかという個人的判断で、
考え方はおもしろいが学問的には誤りである(成立年度)。
学会員さんは常識だろうから飛ばしてください。
仏教に興味がない人もここは読み飛ばしてください。
中国天台宗の智顗(ちぎ)は釈迦がこういう順番で数あるお経と説いたと主張する。
1.華厳経(難解ゆえ理解を得られなかった)
2.阿含経(初期仏教、小乗仏教)
3.阿弥陀経、維摩経、勝鬘経(以下、大乗仏教)
4.般若経
5.法華経、涅槃経
密教がどうしてないかというと、中国天台宗が成立したころ、
まだインドから密教が入ってきていなかったからと思われる。
日本天台宗の最澄も日蓮宗もこの説を取り法華経を最勝の教えとしている。

最澄と同時代を生きた空海は権威を借りるのではなく、自分で判断する。
人間は平等ではなく、レベルの違いがあるとはっきり書いている。
本書のアマゾンレビューを見ると空海のやさしさに触れたなぞという、
気持の悪いものが散見されるが、彼らをバカと言ったら失礼で、
おそらくやさしい善人たちなのだろう。
空海は人間のカースト(偉い順番)を以下のように定めている。
1.欲にまみれる生活者(我欲)。
2.法律を守り親孝行してまじめに働く生活者(儒教)。
3.人間世界ではないあの世や天上世界にあこがれるロマンチスト(道教)。
4.声聞。釈迦の教えを耳で聞いて修業するもの(小乗仏教)
5.縁覚(独覚)。師につかないで悟ったもの(教えを説かないから小乗仏教)。
6.法相宗(唯識)。外界は内心のあらわれと見る唯心論(大乗仏教)。
7.三論宗(空の哲学)。般若の智慧(空)を悟ったもの(大乗仏教)。
8.天台宗。法華経を最勝と考える正義の人たち(大乗仏教)。
9.華厳宗。華厳経の世界観を支持する人たち(大乗仏教)。
10.真言密教。釈迦も説かなかった秘密の真理を知るもの(空海密教)。

ちなみに4~9は「顕教」で10は「密教」だと空海は説明している。
空海は平等主義者ではなく、れっきとした差別主義者であった。
著者をふくめ学者や坊主はそのことを隠微しよう(隠そう)として、
空海は10に分類しただけで優劣はつけていないと主張するものが多いけれど、
空海は天皇にはごまをすり、天台宗の年上の最澄をこれでもかと見下し弟子を奪い、
おのれの優秀を疑わぬ、見ようによっては「いやなやつ」だったのである。
バカ(愚人)をバカ(愚人)と言ってなにが悪いかと弘法大師空海は開き直っている。

「あゝ、自分自身の心の内にこうした宝が実在しているのにそれに気付かず、
外のどこかにあると間違って、勝手に自分で覚(さと)ったと思い込んでいるとは。
これを愚人[バーカ!]といわずに何と呼べばいいのでしょうか。
慈(いつく)しみぶかい如来(みほとけ)のお心は切なるものがあります。
しかし、教えをもって彼らを救う以外に方法は無いのです。
種々の教えを並べているのはこのためなのです。
しかし、いくら薬がいろいろあっても、それを服用せずにいたずらに議論したり、
いたずらに諷誦(そらよみ)したりなどして時を無駄に過ごしているならば、
如来(みほとけ)は必ずこれをお叱りになります。
つまり、密教以外の九種の教え(これを顕教という)は、
宮殿の外側の塵を払っているようなもので、真言密教こそが、
宝の宮殿の鍵(かぎ)をあけて、中の宝物を手に入れることができるのです」(P21)


空海の定めた人間レベル1~10のうち、みなさんはどこにいらっしゃいますか?
1か2あたりではないかと思われますが、結局それがいちばんいいのだと思う。
8の創価さんとかになっちゃうと独善主義と思い上がりが怖いでしょう?
真言宗では空海がいちばん偉い。
傲慢なのは重重承知だが、わたしはいま5の縁覚(独覚)レベルにいるような気がする。
仏教の師匠はいないし、欲望がめっきり落ちたし、よくない悟りにおちいっている。
教えを広めたいとか他人に影響を与えたいとか、そういう娑婆っ気も枯れた。
空海も「秘蔵宝鑰」で縁覚(独覚)はやばいと書いている(111ページ)。
縁覚(独覚)は地獄よりも恐ろしいと記している論書もあるとのこと。
地獄ならばまだ仏へ這い上がることができるが、
縁覚(独覚)は「菩薩の死」を意味して永遠に救われない。
わたしは1の人間か1以下の地獄に戻りたいところがある。
地獄の猛火とか言い方を換えればカッカしている、生き生きしているということだから。
余談だが、空海の時代には日本浄土教は出ていなかったが、
空海のレベル論(「十住心論」という)で言えば、
死後の極楽浄土を求める法然や親鸞はレベル3ということになる。
あんがいレベル3くらいがいちばんいいのでは?
だって、4からは厳しい修業が必要なんだぜ。みんな難しい本を読むの嫌いでしょ?
わたしも座禅とか地獄に堕ちるぞって脅されてもやりたくない。

まえにも書いたが、空海の鋭いところは持論の反論を想定するのがうまいのである。
果たして仏教は必要なのか?
当時は国費、税金でお寺を造り塔を立て僧侶を養っていた。
そんなことをする必要があるのかという問答を公子(公務員)と玄関法師がしている。
これがかなりえげつないガチンコ問答で弘法大師の純粋なファンが
内容を知ったら驚くようなことが書かれている。
「秘蔵宝鑰」は難解で一般読者は読めないと思う。
だから、紹介することに意味があろうが、
かえって紹介しないほうがクリーンな空海のイメージを保つことができていいのか。
迷うところだが前者を選択する。
現代においてなお僧侶は税制上優遇されているが彼らは存在する価値があるのか。
問答の内容はわたしがわかりやすくまとめ、
ねつ造だと言われたら困るので肝心かなめのところは原文(現代語訳)を引く。

公子「僧侶の世界って腐っているじゃないですか?
 あのすさまじい権力闘争はなんですか? 上に媚びることしか考えていない」
法師「たとえ腐っていようがまったく僧侶のいないよりはマシでしょう」(P71)
公子「国は仏教にだいぶ税金を投入していますが、どのような利益があるんですか?」
法師「ここだけの話、下層民は牛馬みたいなものだろう。
 あいつらはほとんど動物みたいなもので、
 放っておくと欲望のままなにをするかわからない。
 ああいう牛馬のような納税者をビシッとしつけるために仏教が必要なんだよ。
 これは秘密にしとけよ。このように真言密教は偽善ではなく真理を説くからな」
ここがいちばんおもしろかったので原文から抜粋する。

「馬を御する方法を例にたとえれば、馬のくつわと策(むち)とによって制御するので、
これ無くして馬を操(あやつ)ることはできません。
同様に人民を統治するには教化と法令が必要で、
これ無くしては統治はできないのです」(P76)


近代教育制度は国のために都合がいい人間(兵隊や良妻賢母)を
大量生産するためのもので、現代の教育制度もまあ遠からずで、
法律を破らない、よりよき納税者を養成する国家経済政策なのである。
国家がほしいのは金で、いかに牛馬のように長時間働く納税者を育成するか。
これが平安時代もいまも変わらぬお上(かみ)の基本姿勢なのだろう。
バカと天才はなんとやらと言うが、空海はそうとうな大物だったことが知れよう。

公子「だからって仏教の坊さんは腐りすぎていて悪臭がしますよ」
法師「ハハハ、おまえら公務員の世界だって腐っているだろ? 違うか?
 それによ、仏教は儒教や道教と等しく天皇陛下さまがお認めになられたものだぞ。
 おまえ、おそれおおくも天皇陛下さまに、お逆らいになるのか」

「儒教・道教・仏教の三つの教えは、いずれも陛下が認められ、
弘め伝えられたものです。それなのに、なにゆえに、
仏教の僧尼たちの違反ばかり指摘して、
儒教や在俗の人たちの非行にはことさら寛大にされるのですか」(P78)


公子「おれも本音を言っちゃうよ。公務員は楽じゃないって。おまえやれるか?
 朝早くから夜遅くまで働いて、給料なんかこれっぽっちかよって思うくらい。
 坊さんはいいよな。寺の中で座ってのほほんとお経をよんでいるだけだろう。
 どこが国の役に立っているんだよ」
法師「(痛いところを突かれあわてて
 『涅槃経』『大智度論』『大迦葉本経』『金剛般若経』『法華経』の知識自慢をして、
 居丈高にも高圧的に公務員を圧倒しようとする)」
公子「(バカにして)本当かなあ?」
法師「仏教には国を守る力がある。現世利益がある」

「この故(ゆえ)に『大智度論』(巻大五十八)によれば、
帝釈天は『般若経』典を読誦して阿修羅の軍を打ちくだいたとありますし、
僧祥(そうじょう)の『法華伝』によれば、
閻魔王は『法華経』にひざまずいて、
この経を受持する人を敬礼した、とあります」(P84)


公子「(薄笑いを浮かべながら)あっそう。で?」
法師「(怒り狂い)おまえ、地獄に堕ちるぞ。
 いいか、いいか! 釈尊は孔子も老子も偉いって言っているから偉いんだよ。
 ポンコツ公務員よ、地獄に堕ちろ!」

「お黙りなさい! そのようなことばは! 
孔子は自分から、西方の聖人釈尊をたたえておりますし、
老子翁もわが師釈尊のことを語っております。
偉大な聖人は嘘は述べない筈(はず)です。
釈尊を謗(そし)ると地獄の深い坑(あな)に堕ち込みますよ」(P84)


空海やばいなあ。仏教は天皇も認めているからおれも偉い。
釈尊は孔子も老子も偉いと言っているからおれも偉い。
それがわからねえようなやつは地獄に堕ちろ!
本当は天皇も孔子も老子も偉くない(という人がいてもいい)のだが、
空海は「偉い人」(権威)の仕組みをよくよく理解していたと思われる。

最後に空海の教相判釈を見ていきたい。
空海は密教がいちばん偉くて、つぎが華厳経、その下が法華経とした。
どういう理由でこの順番にしたのか何度も繰り返し読んだがよくわからない。
ちょろっと法華経の定番批判はしている。
法華経は釈尊死亡後にできたお経でしょう。
でも、法華経はいきなり釈尊のお父さんがあらわれ「わが子よ」と語りかける話。
よって、子の年齢が親より大きいというのはおかしい、という批判は書いてあるが、
空海はそこに集中して法華経批判をするわけではない。
たぶんものすごい子どもっぽい論理なのだと思う。
わかりやすく説明しよう。
学会員というのは、ほら法華経大好きな人たちでしょう。
学会員と空海の対話をさせてみよう。
学会員「どうして法華経は密教よりも下なのか?」
空海「法華経の仏は大日如来の化身だからだよ」
学会員「根拠はなんだ?」
空海「密教経典に書いてあるが、これはうちに入らないと意味がわからない」
学会員「密教の教えはなんだ?」
空海「秘密だ。入信しないと教えられない」
学会員「日蓮大聖人は真言亡国と言っている」
空海「そんな田舎坊主のことは知らんよ。彼はだれに認められたんだい?
 おれは嵯峨天皇とのパイプがある。その日蓮くんはどういうコネが?」
学会員「教えは秘密というのはずるいではないか?」
空海「まあ、華厳経がいちばん近いと思っていい。華厳経を読めるか?」
学会員「活動で忙しくて読む時間がない」
空海「法華経より深い世界観だよ。密教は教えられないが華厳なら教えてやろう」

このブログでは何度も紹介しているが、空海による華厳世界観の説明である。

「まずインドの伝説に帝釈天の珠網(しゅもう)のはなしがあります。
この珠網は、水晶の珠(たま)をつないで造られていますが、
そのうちの一つの珠を見ると、周囲のすべての珠がこの一珠(いっしゅ)の中に映り、
そこに映っている小さな珠をさらに観察すると、
その小粒(こつぶ)の中にも周囲の無数の珠が映っており、
こうして無限に細かく映り合っています。
このように一珠の中に全体の珠網が含まれ、
また全体の珠網も一々の珠に含まれていますが、
悟りの世界は、このようにすべてが重々無尽に縁起し合っています」(P149)


密教はずるいと言われても仕方がないだろう。
空海「密教がイチバーン」
他宗「論争しよう。教えはなんだ?」
空海「ヒ・ミ・チュ」
他宗「どうすればわかる?」
空海「おれの弟子になればわかる」

本書でも真言宗の高僧である翻訳者の著者が、
まるで空海のようなずるいことを言っている。
真言宗の教えは秘密で、師から教わって修業しないとわからないと。
これの意味するところは、「自分は秘密を知っていて悟っている」だから、
後輩は絶対に先輩を超えられないという最強ロジックである。
「まだ教えていない秘密がある」と延々と弟子を奴隷化できる。
秘密を知っていると思うと自分が特別な存在になったような気がする。
この感覚が悟りであり、真言密教の特色ではないかと思う。
本書にも真言宗僧侶に対する諌(いさ)めが書いてあり、
うちらの秘密を軽々しく口にするのではないよ、とのことである。
加藤精一氏は密教の秘密の一端を公開しているが、高僧ともなればいいのだろう。
あんがいわざと難しいことを書いて、
自分を神秘的な存在に見せかけるテクニックが、
真言密教および空海の隠しておきたい秘密なのかもしれない。
「お坊さんは役に立たない」というのが、
決して口外してはならぬ仏教の秘密だったらどうしよう。やべえ口外しちゃったよ。
でもまあアクセス数の低いブログだし、
地獄に堕ちてカッカした生き方をしたいから、まあいっか。
「お坊さんは役に立たないけど偉い」というのが真言密教の隠している秘密。
公式的には真言密教の教えは――。

「世界を微塵(みじん)にしたほどの多数の仏部の仏たちは、わが心の仏であり、
大海を水滴(すいてき)にしたほどの多数の、
金剛部・蓮華部の諸仏もまた、わが身体なのです(大曼荼羅)。
一一(いちいち)の文字にはあらゆるほとけと事柄を含め秘め(法曼荼羅)、
一一(いちいち)の刀剣や金剛杵(こんごうしょ)などもみな仏の神通力をあらわし、
同時に諸仏をあらわしています(三摩耶曼荼羅)。
私たちのすべての心身には、曼荼羅で示されるように、
あらゆる仏徳が本来、円満に具(そな)わっているのですから、
私たちは修業や体験を通してこの事実を確認していきさえすれば、
この生涯のうちに、秘密荘厳の仏をこの自身に体現することができるのです」(P161)


なんだか深い内容を語っているようだが、何回読んでも意味はよくわからない。
密教はいかがわしく、そこがとても宗教の本質をついているような気がする。
空海の真言密教はうさんくさい成功哲学のようなチープさがなくもない。
「そのやり方では失敗します。こうすればかならず成功できる」
「1日10分の努力で月収百万円を稼ぐ方法」
「秘伝。米国最新科学が証明した成功哲学10の気づき」
「しあわせマジック、しあわせ脳の作り方。先着10名様限定」
「顕教ではダメだ。真言密教ならだれでもこの世で即身成仏できる」
人気レストランの秘伝のスープは秘密だからよいのであって、
レシピを公開したらだれでも料理することができてしまい価値がなくなる。
秘密であるということそのものが価値を創造することがあるのだ。
秘仏は毎日公開したら価値を失ってしまう。
女性裸体は隠しているから価値があり、裸族の女性は味気ない。
パンチラも胸チラも隠されているから、見えると喜ぶ男が現われるのだろう。
大きな秘密を創造(発見)したことが空海の大天才のいわれではないか?

1.仏教は現世で利益が出るのか?
2.空海の真言密教に現世利益はあるのか?
3.仏教の僧侶はなにかの役に立っているのか?
4.空海はどうしてルンペン僧から大出世したのか?
5.上記1~4の答えは秘密で、空海は答えを知っていたが墓場まで持って行った。


この記事を書くために丸々4日費やしているが、
おそらく最後までお読みくださった読者さまは数名ではないかと思う。
わけがわからないでしょう?
無給でだれにも読まれない感想文を書く情熱って。
しかし、密教によるならば、この記事を書くという行為が、
かならず全世界の変化にわずかながら寄与しているのである。
わたしが空海の記事を書いている理由は秘密だが、
一銭にもならない行為がもしや現世利益と関係しているのかもしれない――
そういう世界の秘密をわたしが知っているのかもしれない。
一銭にもならないのに異常な熱気をもって長文を書くのはバカでしょう?
もしかしたらバカにしか見えない、
言葉では伝えられない秘密の世界があるのかもしれない。
あったら、どんなにいいことか。それほど現実はつまらないし味気ない。
現実の退屈、無味乾燥を深く味わっているものほど秘密を求めるものだろう。
世界には生き生きとした秘密があり、それは秘密だから語られていないとしたら、
どんなに世界は光り輝いて見えることだろうか?

*もしかしたらこんな長文記事を、
最後までお読みになったことで現世利益があるかもしれませんね。
それは世界の秘密でわからない――。