これが過疎ブログの年内最終更新か。
明日は早朝から北戸田のコージーコーナーへありがたくも行かせていただき、
懐かしい、ここがわたしの青春でした、と思いながら(え? え? え?)、
もはや終了時間(=日給)はどうでもよく、終わったらいやいや父のところへおもむく。
本音をぶちまけると、父とは日給10万をもらっても逢いたくない。
どうせ毎回言い争いになるし、こちらは以後数日不快感で酒量が増えるし最悪。
うちから父のところへは距離的には遠いとはいえないが、
非常に行きづらいめんどうくさいところにある。
年末年始の面会は、父は息子になにかしてやったといい気分なのだろうが、
こちらは1年分の鬱積をぶつけられたような不快感だけ残る。
父と逢っても当方に自由はまったくない。
父から食えと命令されたものを食い、飲めと言われたものを飲む。
「これ、これ」と急かされながら指定されたものを口に押し込み、
飲める酒はビールだけである。20年以上、こういう関係である。
これを食え、あれを食え、これを飲め、早く飲め、おれには時間がない。
父と逢うのはどちらかと言えばいやだが、これが生きるということなのだろう。
いちおう大学まで行かせてもらったから、
父の命令(希望)に大晦日くらいは従っても、このくらいで済むならいいほうだろう。
去年、父はあたまをやっちゃったからよけい怖さが増した。
むかしからそうだったが、いまでは増し増しで、言ったことを覚えていないのである。
明日、父のところへ行っても自分が呼んだということを覚えていない可能性もある。
いま電話しても、あした忘れている危険性もなくはない。
父からは従業員あつかいで命令されたことしかない。
これを食え、これを飲め、この腕時計をしろ。おまえはおれの言うことを聞け。
おれは正しい。おまえは間違っている。常に常にそうだ。
おれは常に正しい。おまえは常に間違っている。
あしたは懐かしい北戸田へ行けるのだから、父のことはいつものように我慢しよう。
父のところは座る場所もないほど汚い。
わたしも似たようなところがあるが、掃除ができる当方はまだマシだと勘違いしている。
なんでこいつ(父)が女と結婚して、なんのためにおれを誕生させたのか、
いまでもわからない。うん? なんか愚痴っぽくなってる?
来年は新しい冒険をしたい。
きのう高齢者に囲まれて梱包をやったが41歳なんてまだまだ若い。
新しいことをおぼえる容量もチャレンジ精神もある。
来年はニューイヤーだぜえ(同語反復)、やるっきゃないぜえ(バカっぽい)♪
自分が生まれる3年まえ(昭和48年)に放送されたドラマをジェイコムで視聴。
全15回の連続ドラマで、山田太一の出世作というあつかいで、
作者も最晩年期にこのドラマはもっと評価されてもいいと発言している。
シナリオでは11年まえに読んで、感想もブログに記している。

高校生のころ仕事人間の父にこう質問したことがある。
「どうして毎日、おなじことばかりしていて飽きないの?」
おそらく、父は答えてくれたのだろうが、それを記憶していないということは、
こちらが納得を得る回答ではなかったということなのだろう。
話はいきなり飛んで25年後のいまになる。
いま人生初のオフィスワーク系のアルバイトに従事している。
といっても、仕事は補助で自分はオフィスワークなどこなせる能力はないのだが。
しかし、ネクタイをした部長の仕事ぶりから目で耳でいろいろなことを学習した。
部長の近くにいる3人の契約社員&パートはいずれもヤンママである。
毎日、毎日おなじような仕事をして、おなじようなセリフを発している。
女性は子どもの成長というはっきりとした目安があるからいいのだろうが、
この会社にいる男性は部長も課長も主任も係長も契約社員も、
毎日、毎日おなじことの繰り返しに飽き飽きしないのだろうか?
わたしはいい齢をして毎日をドラマのように生きたいと思っているが、
ドラマのセリフは毎日おなじことの繰り返しだとある日気づいた。
どの人も連日、同時間におなじセリフを口にしている。
その同一のセリフにもいろいろな情感がこもっていて、
人間の小さな喜びや悲しみを見出していくというのが山田太一のドラマ作法で、
ファンのわたしもそういう観点から日常ドラマを見ているが、
しかし、そういう日々の哀歓はしっかりと感知しつつ、
本当にこの人たちはそれで満足できているのかという疑念はぬぐいきれない。

わたしは部長と言えなかった。
いまのバイト先では、
課長は○○課長と名前をつけて呼ぶのだが(返品課とサービス課のふたつあるためか)、
部長は物流でひとりしかいないためかS部長ではなく「部長」と呼ぶ。
わたしがいままで働いてきたところでは役職で人を呼ぶところはなく、
どこも○○さんであった。だから、それなりにマシな職場に雇っていただけたのだと思う。
ともあれ、本当に部長が言いづらい。
短期バイト終わりのいまなら部長と呼べるが、
どうしても意気地のない小声になってしまう。
部長よりも部長さんのほうがはるかに言いやすいが、
当人はバカにされたような思いをするだろうから言えないし、むろん言ったこともない。
とはいえ、部長をSさんと呼ぶほうがはるかに発声しやすい。
わたしは部長からどう呼ばれているかというと、バイトくんやツチヤくんである。
もちろん、バイトくんは社外電話の通話時が多く、
社会常識のある部長さんは短期バイトでも名前のツチヤをありがたくもクンづけで、
お呼びいただいている。

Sさんは毎日部長と呼ばれていると、本当のSさんはどこに行ってしまうのだろう?
わたしが部長と言いにくいのは、どこか差別語ではないかと思っているからかもしれない。
部長ってことは課長や平社員、バイトよりは偉いけれど、
本部長や社長、会長よりは下である。
だとしたらSさんを部長と呼ぶことは、
ある階層に向かってエタヒニンと呼びかけるのとおなじではないか?
おまえらは名前なんてものはなく、エタヒニン(部長)なんだよと、それだけでしかないと。
部長を部長さんと言いたいのは、百姓をお百姓さんと言いたい心持とおなじだろう。
去年勤務していたところの工場長は部長と呼ばれることを喜んでいた。
いまは工場長だが、かつてアメニティ部門の部長だったから、部長と呼ばれたい。
自分はOという名前の人間ではなく、かりの身分は工場長だが、本当は部長である。
我輩さまはエタヒニンでもなく、商売人でもなく、工員でも農民でも公務員でもなく、
お偉い天皇陛下であられるぞよ、というのとおなじ構造である。

わたしは父のことをいつからかツトムさん、母のことをカズコさんと呼ぶようになった。
むろん、ここ5、6年の話である。
父と面と向かっても「ツトムさんはさあ」と言う感じで話している。
ときにはお父さんと呼ぶこともあるが(人の目や耳があるとき)、
いまはもっぱら父はツトムさんだ。
ちなみにオヤジやオフクロという言葉は当方の言語体系からは決して口に出せない。
父は社長になることが子どものころからの夢で、小さな焼鳥屋を経営するようになり、
パートには社長と呼ばせて喜々としていた。
たぶん父がいちばん好きな呼称はツトムさんでも、お父さんでもなく、社長である。
なんと性格の悪い息子だろうと批判されるのを覚悟で書くが、
わたしは父を社長、社長と呼んでバカにすることがある
(本人はこちらの悪意に気づいているかは不明)。
しかし、わたしだって父から、おまえは従業員よりおれの心配をしない、
従業員よりもおまえは使えないと罵倒されたこともあるから、どっちもどっちだろう。

どうしてみんな自分(わたしだったら土屋顕史)を極めようとせず、
正社員や課長部長社長、夫や妻、お父さんお母さんになりたがるのだろう?
部長と言われているあなたの本当はなんですか?
お父さんと言われているあなたの本当はどこにありますか?
以上はすべてドラマ「それぞれの秋」の我流の要約なのだが、
このドラマを実際に見た人ならばそれが正しいことがわかるだろう。
「それぞれの秋」第6回の小倉一郎のモノローグ「前回までの説明」。

「ぼくは大学の二年生だが、あまり出来がよくないせいもあって、
話を要約するのは得意ではない。もうこのドラマも六回目だ。
そうなるとここで五回分をひと口に説明しなければならなくなる。
そういうことはうまく出来るわけがないので、あつかましい事を言うようだが、
そろそろこのドラマを見て下さる方は、
なるべく毎週見損なわないで見ていただきたいと思うのです。
要するに、一口に言えば、これはわが家五人の家族の物語で、平凡な一家で、
しかしやっぱりぼくは語るに足るような気がするので、終わりまでお話しようと思う」


ホームドラマが家族の物語ならば、本当には毎日平々凡々の繰り返しなのだから、
かならずしも初回から見ている必要はなく、
途中から参入してもわかっておもしろいのが本物のホームドラマではないか?
そういった本当のホームドラマを書きたいという作者の意気込みを、
このナレーションから感じる。
結局、われわれ平凡な庶民にとっては役に立つ、
つまりそれぞれのパートを演ずるのが生きがいなのではないか?
部長という役に立ち(パートを演じ)、お父さんやお爺さんという役に立つのが生きがいだ。
本当の自分なんてものをえせインテリのように追求せず、そこは目をつむり、
おのおのそれぞれ与えられた役に立っていくしかわれわれの生きがいはない。
少女は部長の役にもお父さんの役にも立てないが(男性パートは演じられないが)、
(それが幸せかはわからないが)よき娘やよき妹の役になら舞台で立つことができる。
そんなのつまらないと与えられた役を拒否することも可能だが、
そうしたところでいったいなにがあるというのか?
与えられた役を断れるのは本当に強い人間で、われわれはそこまで強靭ではない。
なにも考えずに役に立つことを考えろ。それがわれわれ庶民の生き方だ。
男なら男らしく正社員や出世を目指し、夫になって父になるのが庶民の生きがいだ。
女なら女らしく一歩引いていやでも男を立て、妻になり母になるのが宿命だ。
その宿命は転換できない天与のものだから、そのゆえに宝とは考えられぬか?

ドラマ最終回までおのれの役を従順に演じた小倉一郎は言う。

「父が脳腫瘍になってから、ぼくの家族は、お互いに随分力を合せてきたと思う。
特に、兄貴と妹は人が変わったように、母を助けて、よく切り抜けたと思う。
ぼくだって、よくやった、と言っていいだろう。
しかし手術が成功して、父が退院し、段々また平凡な日常生活が戻ってくると、
なんだかまた少しずつ家族の結束がゆるんで来て、
結局人間はそれほど変わらないものだなあ、と思う。
ほじくれば随分いろんな気持をそれぞれが持っているんだろうけれど、
そういうものは、あんまり表へ出さないで、なんとなく曖昧(あいまい)にして、
そうして生きて行くのが人生の知恵なんだろうなあ、とぼくは思いはじめていた」


父が大病にかかれば、妻も息子も弟も妹もそれぞれの役に立てるのである。
父の役に立つという名目で、それぞれの役に立てる。
ホームドラマ「それぞれの秋」の父親役は部長補佐で、
男は重役に愛人との別れ話の決着を頼まれ、
部長になりたい一心で30万(いまでは倍の60万か)の借金を背負い込む。
このことから世間では部長は偉いことになっており、社長はさらに偉いことがわかる。
わたしはそういう社会常識のない、世間知らずだから、
山田太一ドラマにここまで惚れ込んでしまったのだろう。
山田太一もおそらく世間知らずだが、そのことを深く自認していたし、
同時に庶民が訳知り顔で交わす世間話の安っぽさを軽蔑するインテリ性を有していた。
41歳になったいまもまだ山田太一ドラマに感動する自分に驚いている。

(関連記事)
「それぞれの秋」(山田太一/大和書房)

夢がかなった。
大晦日に北戸田のコージーコーナーに派遣で行けることになった。
北戸田には去年の年末から4月まで入り、
断じて読書では学べない体験をさせていただいたものである。
へえ、こんな世界があるのかと、どんな演劇を見るより楽しかった。
労働者の派閥とかもいろいろわかり、敵味方関係もうっすら識別した。
いがみあうパートと派遣に(時給の)わかれた労働者の精勤根性とか、
うわっと思ったものである。
みんな自分がまじめであることを誇り、
わたしから見たらまじめな別の同僚をこころの底で非難している。
あいつはまじめではないと。
大晦日に1年の清算として北戸田のコージーコーナーに行きたい。
その夢がかなったので、まるで賄賂の授受のようだが、
北戸田で課された強制休日申請書の偽造ウップ写真掲載記事を削除した。
土屋は金で動く男と思われてもいい。実際、金で動くから。

北戸田のコージーコーナーでのライン経験は本当におもしろかった。
このブログ記事をお読みの方でもお菓子の箱入れ経験のある人は少ないでしょう?
あれはいくら学歴があっても肩書があってもダメな手先の器用な女性の独壇場。
そういうところに実地で現場体験して、ババアにがみがみ叱られた人がどれほどいるか?
そういう経験はプライスレスでしょう?
体験したものにしか書けない世界があるわけだから。
去年の大晦日にも北戸田に行った記憶がある。外国人女性ばかりで楽しかった。
さっき父から電話があり大晦日に家に来いという。
めんどうくさいけれど、処世の義理だしイエスという。
大晦日にプランタニエの北戸田のコージーコーナーで働いたあと、
長年いがみあっている父との対面も悪くはなかろう。
いまの職場では離職時に大量の菓子を持って行くことが流行っているらしい。
北戸田に行きたかったのは金のためではなく、
今年の総決算のためだったので、
その日稼ぐであろう7千円くらいをぜんぶコージーコーナーの菓子に費やし、
職場に持って行くのもありである。
また来年短期バイトに雇ってもらえるかもしれないし。
でも、退職当日は気恥ずかしい。
どうせ気が狂ったように近所なのだから、翌朝でも持って行きたい。
しかし、早起きは面倒くさい。

ボーナスとして北戸田大晦日体験をプレゼントしてくれた派遣会社のSさん。
彼からは始業は8時半だが、8時くらいには着替えて上に行ってくださいと言われたが、
もう北戸田はぜんぜんお金ではなく、むしろディズニーランドみたいなもので、
まるでパンダみたいなわたしがあそこで朝8時過ぎにのほほんとしているのもいい。
いまでも北戸田の人の名前はかなりおぼえている。
これで劇的な年の瀬になり、思えば最高の1年とうそぶくこともできなくもない。
ここ2ヶ月ほど毎朝3分、勤行と唱題をしている。
どこか冗談半分で、どこか本気で一生懸命である。
勤行とは法華経の有名部分を発声することで、唱題とはエンドレス南無妙法蓮華経。
毎朝たった3分のこれで、いま体調はおそろしくいいし、疲れないし、
かつてないほど労働賃金は入ってくるし、生活全般すべてがいい(健康食品CMか?)。
これでご本尊をもらったらどうなるのだろう?
わたしは長らく白米を食べる習慣を失っていた。
しょせん酒飲みだし、炊飯器も壊れたから、もうメシはいいやと。
もうすぐ契約終了のいまの職場には仕出し弁当がある。
毎日、ご飯がついてくる。本当かどうかわからないが(失礼!)自称コシヒカリ。
今日の昼休みバイト先から弁当を持ち帰り、
メシに昨夜のキムチ鍋の残りをぶっかけ卵の黄身を乗せたら、
うまいうまい、メシがうまい、しあわせでござりまするぞ。お米っておいしいんだなあ。
で、いま仕出し弁当のおかずでご機嫌に晩酌しておりまする。
昨日旧友に見せたら、これで350円なんて信じられないと言われた。
わたしもいまでも信じられないし、このお弁当がわたしの疲れない理由かもしれない。
大好きな仕出し弁当は浅草の「美華月ごぜん」である。
もうすぐこのお弁当が食べられなくなると思うとさみしい。
ここは毎年、年末の繁忙期に短期バイトを募集しているらしい。
また来年バイトに応募したら今度は部長に落とされたりして、あはっ♪
たったいま明日の豚キムチ鍋の準備を終えた。
といっても、食材を切るだけ。
いつもの豚キムチ鍋でいつもの女と何度しただろう酒宴をクリスマスにできるのは、
しあわせしあわせナンマンダブ。
夜、干した洗濯物を取り込みながら、ここまで来たかという感動に打ち震えた。
いまわたしは生活しているじゃないか。
旧友のシナセン仲間の女が忘年会はエビスビールがいいと言ったから、
今日わざわざ買いに行った。
むかしなら高いからダメと拒否したが、いまのお給金はそれなりにいい。
彼女におごってもらったことは数知れないし、ここで恩返しをしなければ男のクズ。
エビスの名前がついたビールジョッキを販促でつけていたエビスを買う。
いまおなじようなジョッキを「麦とホップ」で愛用している。
明日はぼくはこのジョッキで、長年お世話になった彼女はエビスジョッキで。
もちろん、もちろん、おなじエビスビールで乾杯♪
8時に彼女は浮間舟渡に来るらしいけれど、残業はどうなるかわからない。
シナリオライターの女は火曜日、派遣仕事が休みだという。
だったら泊まっていけばと言ったら、いやいやいんや。
まあ、終電までお互いの変遷を楽しみましょうや。
シナリオ・センターは悪口ばかり書いているが、心底では感謝している。
シナセンのみならず、みんなに感謝しているうさんくさいところがいまある。
どうかみなさまメリメリ、クリクリやってくださいませ。おれもやるぜ。
明日は仕事から家に帰ったら旧友とエビスビールで乾杯か。
当方は第3のビール派だが、たまにはブランドのエビスもいいだろう。
しあわせしあわせナンマンダブ♪
「無税生活」(大村大次郎/ベスト新書)

→これを宿命といったら大げさが過ぎるのだろうが、
税金のなまの現実をけっこう知っている。
わが国の税金は申告制度だから、無申告の場合、税金を徴収できない。
特定を避けるためにあらゆる詳細は書けないが、
業務開始届を出さないまま長年営業している喫茶店がある。
ぼかしまくるが知り合いの知り合いが働いていたレベル。
そういうところは当然バイト料も税務署へ申告していないから、
アルバイトも給与を税務署に発見されず、このため従業員は税金を払わずに済む。
どうやらマスターの本業はデリヘルとかそっち関係だったらしく、
喫茶店での利益はどうでもよく、まさに趣味のようなもので、
本業のほうも夜のお仕事だからきちんと税務申告していたかは疑わしい。
わたしはその人と横断歩道ですれ違い、
知り合いから紹介されあいさつをした程度の関係だが、
どこにでもいるふつうのおっさんで、そんな悪事を働いているようには見えなかった。
おもしろいのはみんなそれを知っていても、税務署に密告しないところ。
それを聞いたわたしだって、どこの喫茶店かわかっているけれど、
べつに密告したいとも思わないし、うまいことをやってうらやましいと思う程度。
デリヘルのおねーちゃんとか仕事の打ち明け話を聞きたいなあ、くらいは思う。

わたしは派遣で出逢ったその日かぎりの同僚である中国人に、
じつは自分は不法滞在でそのやり方はこうしていると教わったこともある。
これってものすごく危ないことなんだよ。
その場でわたしがこの人は不法滞在ですといっちゃえば、
彼は逮捕され、日本の税金で強制送還されることにあいなる。
彼はもう少し金をためてから帰国するときは自分から警察署に出向き、
日本の税金で帰りの航空券のチケットを買ってもらうといっていた(笑)。
彼は30歳そこそこだったが、
若い正規ビザを持つ同国人のかわいい彼女がいて(写真を見せてもらった)、
セックスがとても楽しいといっていた。その日、逢っただけのわたしに――。
これに類する話を山ほど聞いたことがあるけれど、
わたしは憤りを感じず、うまいことやるなあ、とそのたび感嘆のため息をもらす。

税金をまじめに払うほどバカらしいことはない。
だって、税金がそもそもちゃんと公正に使われているか?
公益法人へのキャリア官僚の天下りとか、おいしい話だよなあ。
あたまのいいエリートはそうやっておいしいライフを満喫するのか。
わたしは怒りを感じるわけではなく、ただただうらやましく、
自分もそういういい思いをしたい、利益の輪っかに入りたいと願うばかりである。
元国税調査官の著者は、税金なんて払うな、
と多数の本で実際的に有効なテクニックを惜しげもなく紹介している。
その動機のひとつは以下のような考え方からだろう。

「つまり日本の税金は、政治家、建設業界、キャリア官僚の
利権として使われているために、無駄が非常に多くなっているのだ。
日本は、失業保険や生活保護など、
いざというときのセーフティーネットがきちんと整備されていない。
その一方で、特定の人たちが受ける「事実上の生活保護」だけが異常に発達している。
税金が高いのに、福祉が発達していないのは、このためである」(P35)


どうしてか庶民は隣の失業保険や生活保護にはやたら厳しい目を向けるのに、
社会上層部のそれはエリートにあたまが上がらないのか見て見ぬ振りをする。
いまの勤め先は雇用保険に入れてくれたが、
あれはお願いして入れてもらうものではなく、事業主の義務なのである。
いちおう雇用保険義務違反は懲役か30万以上の罰金である。
短期バイト同僚のMさんは、
本社の人の「バイトで雇用保険に入る人なんていない」という言葉にしたがい、
わずかな掛け金の保険に加入せず、いきなりバイトを辞めてしまった。
わたしは都営住宅住まいの彼から板橋区は「払えない」と電話でいえば、
国保を半額に負けてくれることを聞いた。
国保って板橋区は1万8千円くらい毎月取られる。
本書で知ったが、国民健康保険は地域によって金額が違うらしい。
住民票が山梨にある大宮在住の派遣のAさんは、国保は3千円だといっていた。
そもそもAさんはちゃんとあのクソ高い住民税を払っているのか?
わたしが所属している派遣会社古株のNさんに聞いたら(実家住まい)、
一度も住民税を払ったことがないらしい。
今年、わたしは世間を知るという目的で、本当にいろいろな職場で働いた。
税務署はわたしの収入をすべて集めることができるのだろうか?
なかにはマイナンバー提出を課さない派遣会社もあったぞ。
しかし、今年は医療費がゆうに10万を超えている。
この場合、確定申告をしたほうがいいのか、放っておいて様子を見たほうがいいのか、
事情に詳しい方はぜひぜひ鍵コメントでもいいので教えてください。
税務署員はノルマがあり、調べても多く税金を取れないところは見逃すとのこと。
しかし、今年は山ほど税金を取ってくれたなあ。この恨みは忘れないからな、覚えとけ。
それからわたしは他人の不正を密告する趣味も正義感もない。
いまの会社がMさんを雇用保険に入れなかったのは法律違反だが、
そもそもMさんだってバイトを途中で辞めるような訳あり人材だったのだから、
どっちもどっちというか、まあ、そんなものだろう。
派遣で意外と税金の納付書が来ない人っているみたい。
派遣会社と税金とか、どういうシステムになっているのだろう。

本書でいちばんホホウと思ったのは財団法人の話。
一代で成り上がったメーカーの社長。息子はあまり優秀ではない。
しかし、莫大な財産はあって、自分が死んでしまうと相続税でわんさか取られてしまう。
こういう場合、
博物館のようなものを財団法人としてつくり(寄付だから贈与税・相続税はない)、
その理事の仕事を息子に与えれば相続税対策になる。
本業のメーカーのトップは優秀な部下に任せて、息子は財団法人のトップ。
財団法人の理事だから毎月高収入を支払うことができる(相続税対策)。
職員を親族、血縁のものでかためれば、これほどうまい相続税対策はないだろう。
博物館は収益事業ではないから、法人税を払わなくてもよく、
そもそも税務署に申告する義務も会計報告する義務もない。
うわあ、これを考えたやつはあたまがいいなあ、と平伏した。
わたしはできたらこういう利権の輪っかのなかに入りたいのである。

本書では身もふたもない本音が書かれているのがすばらしい。
税務署さまのお仕事は、ノルマとして追徴税を取り上げることである。
しかし、「払う金がない」と言われたらどうなるか?
おそらく脱税していると思われるドカタの元締めに「追徴税を払ってください」。
これに対して「金がない」と言われる。
そうすると税務署さまはなにもできないらしい。
現物差し押さえは人道上できないし、
金も銀行に預けていなかったら取り押さえられない。
こういう人を脱税者認定してしまうとノルマを増やすだけで元は取れない。
つまり、何回も税金を払えといいに行っても無駄足になりノルマ達成を妨害する。
そのため、こういう人(H氏)は対象リストから外されるらしい。
元国税調査官、金のプロといっていい著者は建前ではなく本音を書いている。

「つまり、H氏に税金を課してしまうと、
税務署としてはとんでもない不良債権を抱えてしまうことになるのだ。
となると、税務署としてはどうするか?
見逃すしかない、ということになる。
H氏は、特別に会計の知識が豊富というわけではないだろう。
また税務署の弱点を見抜いている、というような人物でもないはずだ。
しかし、H氏のような建設現場でたたき上げで会社を作ったような人物は、
「お金の本質」をよく知っている。
お金に関しては、あくまで図々しい奴が得をするようになっている、
声が大きい奴が得をするようになっている――
そこを見透かして、税務署に対して一歩も引かないのである。
税務署としては、そういう人物が一番やっかいである。
税法は、開き直って「お金はない」と言うような
納税者を想定して作られていないからだ」(P97)


焼鳥屋をやっていた父の口癖は「金がない」だったが、
「お金はない」はある意味における最強の呪文のようなものだったのか。
さあ、みんなもいってみよう。リピート・アフター・ミー。さんはい。

「お金はない」

金がないっていえば、国保も半額まで負けてくれるのかもしれない。
しかし、わたしが死ぬほどの思いで払っている国保を、
Mさんが板橋区に半額に負けてもらっているという事実はショックだった。
それにMさんは都営住宅に信じられない安い家賃で入っている。
ギャンブルと酒が好きで家をかえりみなかったMさんの父親は10年以上前、
脳卒中で倒れ半身麻痺になり、
それからはずっと無職で障害者年金(税金)をもらっているらしい。
障害者年金というお駄賃で好きなお酒もたしなんでおられるようだ。
Mさんはといえば、せっかく取ってもらった高時給のバイトも腰が痛いと辞めてしまう。
おそらく、ちかぢか生活保護を申請すると思われる。
しかし、わたしはMさんが嫌いではなく、長生きしてほしいなあ、と思うのである。
わたしは手先が器用なほうではないが、
そういうシール貼りのみならず、
どの単純作業でもMさんはわたしより仕事ができなかった。
こういう人って貴重だと思うし、生活保護でもなんでも活用して生きていてほしいと思う。

わたしがこの名著を読んだのは税金に殺されるかもという被害妄想を抱いたからである。
著者の本は3冊読んだが、答えは作家やライターになればいい。
派遣やバイトをしながら、作家やライターをするのがいちばんお得である。
だから、だれかわたしに原稿をご依頼くださいよって話なのだが、だめ? こわい?
キックバックするというか、あなたの評判を高めてあげますよ。
ほしいものがございましたら経費でプレゼントしてもいい。
だれかわたしを作家でもライターでもいいから、文筆業者にしてください。
節税の仕組みをわかりやすい本書からさらにわかりやすく引用する。

「たとえば、事業所得[原稿料]と給与所得[バイト賃金]がある場合。
事業所得[ライター稼業]のほうが赤字ならば、
給与所得[バイト給金]から赤字分を差し引くことができる。
それを「損益通算」という。(中略)
つまりは、「副業[ライター]」を介在させることで、
[派遣やバイトの]給料の税金を生活費に回すことができる、ということである。
赤字というのは名ばかりであり、以前とまったく変わらない暮らしをしながら、
税金の還付がもらえるのである」(P143)


最後に本書でいちばんおもしろいと思ったところを紹介する。
ここは当方の知識ではよくわからないからおもしろいのである。
ここがわかったら世間のからくりがわかるような気がするという直感だけはある。
個人も会社も利益を上げちゃうと税金を取られるわけだ。
経費や福利厚生、人件費で利益を落としたら無駄な税金は取られない。
だれか以下の名文の正確な意味をわたくしめに教えてくださりませんか?

「なぜ会社の利益を出さなくてはならないのか、それは株主のためである。
会社というのは、本来、株主が投資をし、
会社の役員や社員はその金を使って利益を上げる、
その利益を株主に配当という形で還元する。
会社とは、そういう仕組みになっている。
だから、普通ならば会社というのは利益を上げなければ話にならない。
しかし、日本の会社の9割は、オーナー社長の会社である。
どういうことかというと、自分で全額出資して会社を作っているのだ。
つまり株主と社長が同一人物だ。
そういう会社では、べつに利益を出して株主に配当を出す必要はない。
むしろ、利益を出して配当を出すということは、会社にとって損である。
利益には法人税がかかるし、配当には、株主に対する所得税がかかる。
利益を出さずに経費として使ってしまったほうが、大いに節税になるのである。
まあ、オーナー社長の会社であっても、
銀行から融資を受けなければならない会社などでは、
利益を出さなくてはならない場合もある。
銀行は赤字の会社にはなかなかお金を貸してくれないので、
税金を払ってでも黒字にする必要があるのだ。
しかしそうした場合以外においては、
オーナー社長の会社は、黒字にする必要はあまりないのである」(P180)


なんか世間の裏側を知った気分だが、よくわからないところがいい。
わたしはあまり人に期待をしないのだが、お願いします。
この記事にコメントをいただけませんか?
たとえば、今年あちこちで働いたわたしは、
来年確定申告をしたほうがいいのかどうか?
今年は確定申告しなかったら去年の大和ハウスパワーか高額税金納付書が届いた。
なるべく税金を払いたくない。
ためになるご助言は鍵コメントでも歓迎いたします。よろしくお願いします。

宿命転換をしたいわけではなく、むしろ宿命を生きたいと思っている。
今年はかなりうまく宿命をなぞらえたような気がする。
いったい今年いくつの職場を実体験したのだろう。
新卒でひとつの会社に勤めあげるというのは立派だし模範的人生だとは思うが、
反面、それだとそれ以外の社会(世間)を知る機会がないというマイナスもあろう。
ひとつの会社に10年、20年勤続したときの人間関係とか怖すぎる。
だから、そういう関係を毎日ガマンしながら続けられるネクタイのリーマンは、
現代の荒野のガンマンと言ってもほめ過ぎではない。
いまバイトしていてもうすぐ契約期間満了のため去ることになる職場も宿命だった。
部長に書くなよ、口コミはやばいから書くなよ、うちは怖いからな、
とどこか笑った目で言われたアレ関係の裏事情を知ったときはぞくぞくした。
「本物と偽物」「本当と嘘」という当方の表現主題とぴったしのところに、
わたしはどうしてかたまたまアルバイトとして雇ってもらうことができたのだ。
下層民の金銭感覚ではありえないお駄賃をもらっているので、
恩義のため「本当のこと」は墓場まで持って行く。

「本当のこと」ってなんだろう?
昨日コージーコーナーの派遣仲間だったAさんとうちで忘年会をした。
うちは時間無制限の食べ放題、飲み放題で酒の種類は世界各国無数。
Aさんというのは58歳のおっさんで、
今年出逢ったいちばんおもしろい漢(おとこ)なのだが、
なんだかうさんくさいのである。
自分は28歳の美人の婚約者がいるとか、本当は1億円の貯金があるとか。
わたしは世間知らずだから、1億円あると言われたら、
そうなのかもしれないと思ってしまうようなところがある。
だれに話しても28歳の彼女は嘘だと言われるが、
世間知らずだから、もしやあるいはともいまだ思っているわたしだ。

今日は参っちゃった。もう何度も飲んでいるAさんが1時間以上遅刻するのだ。
それも連絡(メール)を1本くれたら許せるのに、それもなし。
このとき思ったのはAさんには信用(ブランド)がないこと。
長期間の関係のある友人知人とは時間の蓄積という信頼(ブランド)があるけれど、
底辺職場で出逢ってまだ1年そこそこのAさんとは、それがない。
手料理をつくりながら、このままドタキャンされるのかもと思ったくらい。
人がブランド品を求めるのは安心のためなんだろうな。
「約束を守る」という信用、信頼こそブランドである。
約束を破ったらそれなりのペナルティーは払う。
時計というのは「約束を守る」ブランドの象徴なのだと思う。
約束を守らなかったらブランド(信頼)が崩壊しちゃうよという。
だから、人はおのれのブランドとして高級腕時計を求めるものなのではないか?

わたしはろくな職歴もないごろつきだが早稲田ブランドがある。
これはいちおう世間にならって時間を守って勉強して努力したという証拠。
だから、この人は遅刻をしたりしないし、無断欠勤をしないというブランド。
新しい仕事でも、なるべく同僚の名前と職務を
速やかにおぼえる意力を持ち合わせているという、
採用者に安心感を与えるのが早稲田ブランド。
いまの短期バイトの同僚だった同世代で中卒のMさんは好人物だったが、
やっぱりブランド力がないというのか、それが彼の生き方なのだろう。
ある日いきなり腰が痛いという理由で仕事を放り投げてしまった。
突然、仕事を辞めてしまった。
Mさんは人柄はいいのだが、なにをしても鈍重で(遅いってこと)、
およそ仕事をおぼえるという好奇心に欠けたペット的存在であった。
そういうところが部長から好かれていたのか、
彼はわたしよりも多く働いていた(残業している=稼いでいる)。
早稲田ブランドを舐めるなよって話とも言えなくもないわけだ。
わたしはお育ちがいいから遅刻は相手のご迷惑を考え、
もしするなら真っ先に先方へ連絡したいと思うし、
契約期間中に(彼の身体的苦痛はわからないが)いきなり辞めたりはしない。

いまわたしは高級腕時計に関する職場にアルバイトとして雇っていただいているが、
たしかに安い時計は1年も持たないで壊れることがひんぱんにある。
当方はそこまで責任のある立場(部長!)にはいないから、
時計が壊れても周囲にそこまでの大損害は与えないが、
しかし派遣仲間のアラカンのAさんから1時間以上無断で遅刻されると不愉快だ。
ドタキャンかと不安になるし、またかといやな気になる。
つまり、底辺派遣労働者のAさんにはブランドがない。
これが大企業社員なら最低限、時間は守るというブランドがある。
わたしはどこにも所属していない非正規だが、早稲田卒で、
そこを見てくれたらきちんとしたルールはいちおう守る人だとわかるはずである。
短期バイト中にばっくれたりはしない。

「本当のこと」って知っちゃうとショックだよねえ。
世間知らずのわたしはAさんをもしやどこぞの大物ではないかと期待していたが、
だって若い美女の婚約者がいて億万長者だと言うのだから……。
いくら金を払っても食べられないものってなんだと思う?
それはしろうとの手料理。
なーんかAさんが好きでおもしろくて、まあお世話になったので、
我輩さまの創作料理をご馳走したのである。
ちなみにわたしはいくら金をもらってもつくりたくないときは包丁を握らないため、
わが手料理はプライスレス。
前日残業終了後に閉店間際のベルクスに駆けつけ「蛍の光」を聞きながら食材購入。
原価は――。
「親子ニンニク」800円
「坦々ごま鍋」1500円
足で安い半額品を探せる時間的余裕はなかった。
こうして考えると自炊って経済的にはあまりお得ではないよね。
しみったれた話をすると、Aさんがいくら会費(?)を払うかという興味があった。
当方の見積もりではせめて千円くらいもらってもいいのではないか?
しかし、完全底辺労働者の顔になったAさんは、
ぜいたくな自炊をできるくらいの金はあるわたしにその千円を払いたくないという。
ああっ、貯金1億円なんて嘘だったのかと世間知らずはようやく理解する。
最後は千円札を投げ出してくれた。
しきりに外の安居酒屋に行こうとAさんは言っていた。
わたしの手料理よりも安居酒屋のインスタント食品のブランドを彼は信じていた。
おれさまが真心こめてつくった手料理なんか店では食えないのにもかかわらず。

女の子を紹介してくれるという。
彼がいま派遣で行っているところは外国人女性が大勢いるらしい。
フィリピン、カンボジア、ベトナム――。
わたしはフィリピンはダメでベトナムっ子が好きだと話すと、
男はまかせてよ、そのうちに友達になって紹介するからと、いんちきくさく。
Aさん、あんたは我輩さまの手料理を食べた世界に10人といないビップのうちの
ひとりなんだから、昨夜約束したよう次はあなたのおうちで酒を飲ませてね。
彼の若い美女であるところの婚約者とは金を払っても逢ってみたい。
本当にそんなことはないだろうという現実感と、
本当はなんだった起こりうるという当方の人生観のせめぎ合いだ。

いんちき全開のAさんいわく、ツッチーはあたまがいいんだから!
これはわたしも酔っぱらった勢いで同意。
なんでもできるんじゃないの? ああ、なんでもできるね。
口では吹かしている男に、
じゃあ浮間舟渡を仕切っているヤクザに紹介してくださいよと頼んだら、
Aさんはスイミングアイ。このおっさん、どこまで本物のワルなんだ!?
つまらないから人生や世の中をおもしろくしたい。
どうしてこれにだれも乗ってきてくれないのだろう。
Aさんは今回のダメぶり告白で親近感がましたが、
わたしが逢いたいのはいまこの文章を読んでいるあなた!
ひとりではできないがふたりならできる人生の活性化というのがあるのはないか?
サンタさんへ、ご連絡をお待ち申し上げております、

土屋顕史(アルバイト・41歳)
早稲田大学第一文学部文芸専修卒業。
シナリオ・センター強制退学処分。
底辺職場における低時給の下層労働経験は豊富。
(携帯電話番号)080-5188-7357
(メールアドレス)yondance1976@gmail.com
今年なら24日も30、31日も暇で働きたいのである。
来年は元旦から4日まで、それから7、8日は働ける。
クリスマスや年末年始のお祭りムードとは縁がなく、なら働いたほうがいい。
そういうスポット派遣もあるのだが、
難点があって登録するために貴重な1日をつぶさなくてはならなくなる。
それに、にもかかわらず仕事をまわしてくれないというリスクもある。
そこですでに登録している派遣会社頼みになるのだが、
ああいうところはどういうふうに仕事の割り振りを決めるのだろう。
わたしは派遣で欠勤はおろか遅刻も一度もなし。
シールを貼れるし、計算はできるし、日本語会話はできるし、パチンコ台までなら持てる。
とくに今月30~来年の4日までの連休がうざい。
新年のあいさつをする相手もいないし、親戚とは切れているし、友人も極めて少ない。
だから働きたいって、どういうこころ変わりだ、わたしわたしわたし。
初詣なんか5、6年行っていないしなあ。
まあ、みなさまはクリスマスにはドンキでネックレスや時計を買って恋人にプレゼントし、
ぜひぜひ家ではコージーコーナーのケーキをお召し上がりになってほしく、
さらにみな寝静まったころアンアン甘いふたりの夜をご満喫してほしいのである。
ふつうに就職して正社員になりふつうに結婚して子どもを持つってすごいことだよなあ。
ドストエフスキーの全集を読破するより難業かと思われる。
自分のためばかり考えているとエゴイスト、自分勝手と批判の的となる。
他人のためばかり考えている人は表層的な評判こそいいが、
反面、確固たる自分がないようなところもあろう。
それにいつも他人のために動いている人は、
自分は善人であるという鼻持ちならない思い上がった気持をいだきがちだし、
自分ばかり損をしていて報われていないという被害者意識を持つ傾向にある。
そもそもなにが自分のためになるのかはわからないのだが、
そこまで深く突っ込むと話が短文では収まらない。
この記事で申し上げたいのは、
自分のためにも他人のためになる行為がいちばんよろしい。

今日は今年お世話になった派遣仲間のAさんを拙宅にお招きして忘年会。
家飲みは安いから自分のためにも他人(相手)のためにもなる。
時間無制限で食べ放題、飲み放題である。
しかし、なにをつまみに出したらいいかわからない。
これっていちばん難しいし、
相手の気持はわからないから下手をするとこころを病みかねない。
ここはシンプルに自分のためを考えて自分の食べたいものをつくることにする。
月曜もうちで忘年会で相手の女友達は豚キムチ鍋を所望。
だから、キムチ鍋が続くと飽きるため今日は坦々鍋。
ベルクスぬか漬け。
それから好物の手料理、創作料理「親子ニンニク」を振る舞おう。
「親子ニンニク」は長ネギをいっぱいみじん切りにしてニンニクと炒める。
香りが出たら塩コショウで味付けした豚肉とニンニクの芽を投入。
火が通るまで炒めて最後に醤油でちょっと味付けすれば完成の簡単男性創作料理。
どんぶりにするならば生卵の黄身だけかけるとぜいたくだ。
平日はニンニク料理は周囲を気にして食べられないけれど、今日ならOK。
自分の好物を相手に出す。相手が嫌いでも仕方がない。

仕事の残業も自分のためと他人のためを考えるとおもしろい問題だ。
世の中では残業は減らせという風潮だが、
わたしのような末端時給バイト労働者にとっては残業こそ稼ぎどころ。
自分のためにいくらでも残業をしたいのである。
いまの職場でも、
当方の貧乏くさい身なりから懐事情を察しているであろう部長さんが、
他人(当方)のためを考えてわざわざだれでもできるシール貼りといった残業を
させてくださったことがあり感謝している。
残業したくないというのは一定以上の世帯収入のある労働者だけで、
下層の時給労働者はよほどのことがないかぎり自分のために残業をしたい。
残業代が給与に織り込み済みの管理職は残業をしたくないだろう。
双方にとってとてもいい残業というものがある。
本当に人手不足で残業が必要なときである。
たとえば先々週の土曜、わたしは休日出勤をしたが、
あれは会社も人がいないし、わたしも稼ぎたいしで、双方が満足する残業だろう。
(「伝票づけ」をひとりで任されて仕事を実地でおぼえるという貴重な機会でもあった)

自分のためになり、かつ相手のためにもなる行為の象徴は恋愛ではないか?
恋愛は自分のためにもなり、相手のためにもなるでしょう?
相手の喜びが自分の喜びになる。
相手のほしいもの(貴金属、高級美食、性的満足)を与えることで、
相手も喜びそれは自分の喜びとなり返ってくる。
相手の喜ぶ顔が見たいとかいいよねえ。
くだけた話をすればJKの援助交際だって、
中年男も喜び少女も金をもらって嬉しいのだから、
あるいは究極の恋愛と言えるのかもしれない。うん? 屈折しているか?
さあ、いまから人をうちに呼ぶための掃除と料理の下準備をしよう。
人が家に来ないとなかなか入念に掃除をする機会がないし、
家飲みは恋愛に引けを取らない「自分のためで他人のため」の行為と言えよう。

*似合わない偽善的なことを書くと、
恋愛は相手のために自分を磨こう、成長させようというプラス面もあるわな。
23日はコージーコーナーで知り合った派遣同僚のおっさんとうちで忘年会。
いまメールが来たけれど、
忙しい彼女も25日には時間が取れるらしく、7時半ではどうかと。
彼女とはシナリオ・センター時代からの長い友人である。恋人とかじゃなく女友達。
残業の終わる時間がわからないから家で待っていてくれ、
とお願いメールをしたけれど、
承諾してくれないだろうなあ(と思いきやすぐさまOKのメールが来た)。
結局なんとかなるものなのかもしれない。
またかまたかの話なのだが17年まえに母に目のまえで飛び降り自殺されたときは、
人生に完全に絶望し打ちのめされへこたれたけれど、
友人どころか知り合いさえひとりもいない孤独状態を5、6年経験したが、
あれから17年も経つとなんとかなっているもんだなあ、としみじみ年の瀬に思う。
いま絶望している人はニートでも引きこもりでもメンヘラでもいいから、
さらに誰に甘えてもいいからまず5年待ってみよう。それでもだめでも大丈夫。
10年待ったらなにかが少しずつ変わるから。
それでもなんにもないってことは運しだいでは起こりうる。それが現実だ。
でもだね、でもさ、絶望することはない。今度は15年待てばいいじゃないか。
宇宙の壮大な時間から考えたら10年、20年なんてあっという間だよ。
わたしは17年待った。なんとかなるもんさねと思う。
仕事があり少数ながら友人もでき、自身には膨大な読書の蓄積が眠っている。
自分の目でものを見ろって話なんだなあ。
おれがさ、ほんたうにビルマに遊びに行ける金を持っていたらバイトなんかするかよ。
ふつう遊んで暮らす。
ビルマまで行ける金があるとか、ほしいものはないとか、うそうそうっそおではないか?
男って強がるではあーりませんか?
自分はほんたうは強いとか、金があるとか、そういう強烈男子アピール。
男にとっては金がないとか肩書がないとは真の恥。
ほんたうはうそではないか?
わたしは女性をつねに欲望対象としか見られない俗物だろう。
そもそもあたくしなんて存在するのか?
このブログに書かれていることはすべてほんたうだ。しかし、うそでもある。
「本当と嘘」は原一男先生や山田太一先生が追求してきたテーマである。
ビルマに行ける金があったらアルバイトなんかしないというのが常識で、
そういう世間のことを知らないから、
当方はいんちきを書き、それがばれているからだれにも相手にされないのである。
ほんたうは女を見たらすぐその場で脳内で裸体にひっぺがし、
何度も何度も男根で突いていることを即座に妄想しているアニマルなのではないか?
貧窮の極みで脳内が逸脱したきちがいと思うのが常識ではないか?
当方の貧乏ここ極まれりといったユニクロ貧困外貌や、
底辺の象徴ともいうべき仕事ぶりをご存知のバイト先同僚は、
ほんたうのあたくしの正体を見破っていることだらう。
一銭でも金がほしいし、
どんなわけありの傷物女性に声をかけられただけでも土下座したくなる実体を。
金がほしい。女がほしい。肩書がほしい。
ほんたうのあたくしの正体は見る人が見たらばれるだろうが、
口先だけの最低の男でございます。
ビルマへ行けるけれど行けないんだなあ。
おおむかしインドや東南アジア、中国へ行ったときは実家(?)住まいだった。
家賃が発生しておらず、バンコクへ飛んだのは引越まえの想い出づくりである。
やっぱりビルマにはビザ限界の1ヶ月くらいいたいと思うし、
ベトナムでも中国でもそうだったが、それが当方の「旅をする」という感覚だが、
いろいろな職場を体験したあと、
ぜいたくにもビルマに1ヶ月滞在することを身体が拒否してしまう。
おそらくやれるのだろうが、当方の既成観念(底辺労働体験)がそれを許さない。
一人旅というのは、行ったあとにじわじわおもしろさがしみ込んでくるのである。
29歳のときのインド3ヶ月放浪なんて、
いまから思えば課されたタスクを無理やりいやいや消化している気分だったが、
いまから思えばあのタスクの3ヶ月ほどわが人生で充実していた期間はない。
インドを体験していたからベトナムのきつさも笑って飛ばせた。
わたしは今夏、くそ重たいパチンコ台、スロット台を持ち上げ置くという、
単純肉体労働を汗みどろになりながらしているのである。
短期派遣仕事ながら、そんなことを自分ができたという喜びがあった。
そのときの同僚のみなさまの顔を思い浮かべると、
いい気分でビルマなんて行けないと思ってしまう。
あれだけきつい仕事をしても給金は○○ということを体験してしまうと、
ビルマで散財する価値を疑ってしまう。
行ったほうがいいのはわかる。行きたいと思う。だれか背中を押してくれ。
ニートもあきたし、労働は苦ではないし、ほしいものはないし、来年の予定は白紙だし、
ビルマ! ビルマに行きたいが、行けない。ビルマに行きたい。
日本の歌を、ビルマで、地元民や欧米バックパッカーと。



ビルマに行きたい、行きたい、行きたい。
楽天ブックスから「地球の歩き方 ミャンマー(ビルマ)」が届いた。
パッと開いた感じではミャンマーから呼ばれている気がする。おそらく行くだろう。
改めて知ったがミャンマーってインド(圏)、中国、タイの中間地点なんだなあ。
わたしはインド料理も中華料理もタイ料理も大好きで、
そういう辛いものを口にしながらのむビールがいちばん好き。
「地球の歩き方」によるとミャンマーのホテルは高額だが、
それはお体裁というやつで(まあ定価やね)実際に行ったらもっと安いのではないか。
「地球の歩き方」には賄賂を払わないと掲載されないというのは有名な話。
しかし、そういう現実は行ってみないとわからない。
インドでは酒は期待するなとかむかしの「歩き方」には書いてあったが、
29歳のときにインド全土放浪をしたが、夜ごと酒を欠かした日はなかった。
つまり、酒はどこでも隠れたところで売っていた。
「歩き方」では中国のホテルは外国人専用とかいう決まりがあると書いてあったが、
いざ行ってみたら安い宿泊所はいくらでもあり、
そこに外国人もメイウェインティーで泊まれた。
あんがい行ってみればミャンマーのホテルも安く泊まれるのではないか。

ミャンマーのどこに行きたいとかないんだなあ。
ミャンマーでたまたま出逢った人がおすすめしてくれる場所に行きたいっていうか。
わたしは中国の北京でなにも観光をせず着いた当日に瀋陽行きの夜行列車に乗った男。
ラオスのルアンパバーンで、
いちばんの名物とされる托鉢を早起きがめんどうくさいという理由で見なかった男。
いまミャンマーに行くことは決まっていて、どこから入るか、どこから出るか。
なーんかバンコクから入りたいというのは、
いきなりミャンマーは怖いというか、
10年近くまえバンコクで現地のおやっさんとたまたまのんで奢られ、
タイは北もいいからいつか行ってみろと言われたことが影響しているのか、
いったいどうしたらいいのだろう?
タイの有名人で作家の白石昇先生の携帯番号はどこかにないか探したものだ。
バンコクから入って昆明あたりで出たほうが安くておもしろいのか。
それともミャンマー、インアウトで航空券を取ったほうがいいのか?
うちのブログって影響力が強いんでしょう?
わたしは偶然やたまたま行き当たりばったりを重んじている。
だれかその方面に詳しい人、コメント、メール、電話をください。
ミャンマーには行く。中井貴一の「ビルマの竪琴」は子どものころ見て感動した。
「ミズシマ、ニッポンへ帰ろう」
復路を放棄するとニッポンへ帰れなくなりそうで怖い。
しかし、そのあいだも家賃は発生しているから、そこまでだらだらはできない。
なんでもいいからコンタクトしてきてほしい。

なんでかわからないけれどビルマに行くことにした。
どこに行きたいかも、なにをしたいかもわからない。
だれかなにかを教えてください。
旧美香QNWのわたしは「歩き方」も新聞雑誌もいいと思うが、
どのみちだまされるのならネット情報に賭けてみたい。
もうミャンマーへの旅は始まっている。
バイト先の職場では体調を壊している人が多いようだが、
こちらはいま信じられないくらいコンディションがいい。
毎朝3分、勤行と唱題をしているおかげかしら(笑)。
派遣のSさんから着信。
折り返し電話すると、いちばん嫌いな川口のコージーコーナー。
でも時給は1300円だっていうし7・5時間保証だというのでOK。
17日に働いたらわたしは12日連続で働くことになるのか。
詳細は決まっておらず、またあとで連絡をくださるとのこと。
行かないことになるかもしれない。
こちらからもいい機会だとちゃっかりお願いする。
大晦日とかお正月とか、どこか入れませんか?
できたら30か31日に北戸田のコージーコーナーへ行きたいのですが。
久しぶりにみなさんとお逢いしたくて。
枠が空いていたら考えて下さるとのこと。
しかし、コージーコーナーはブログに悪口を書いているやつをまた呼んでくれるのか。
どれだけ○○なのか、人手不足がひどいのか。
答えはたんに「本の山」なんかだれも見ていないということなのだろうが。
年末年始はがんがん働いて、その勢いでミャンマーに飛んでいきたいが――。
税金が高くて払えないというのと、ミャンマーに行きたいというのは矛盾していない。
今年の税金はどうしてか異常なほど高く、母国を嫌いになるレベルなのだが、
それは税務署が去年仕入れた(正しいかどうかもわからぬ)
収入情報によっているわけでしょう?
それに経費はゼロと。冗談じゃないよって話なんだなあ。
作家やライターなら旅費はすべて経費あつあいで、結果個人事業主としての収入は減り、
したがって税金もぎりぎりまで減るわけでしょう?
作家やライターとうちのようなブロガーの違いってなんなの?
わたしもあんな高い税金を請求される必要はなく、どうして経費で落とせないのか?
わたしはわずかながら収益のあるブログのために書籍購入、旅行をしている。
どうしてブロガーの家賃、電気水道ガス光熱通信費、本代、旅費は
経費勘定できないのに、いざ作家やライターという肩書があれば、
それらは経費とみなされ収益から引かれ、無税生活をできるのか?
来年、ミャンマーに行きたいが、どうしたら経費で落とせるのか(収益から削れるか)?
答えは、作家やライターに名目上(社会通念上)なればいいのである。
節税の都合でわたしは作家やライターになりたい。
いまでも自分は(傲慢だが)けっこう有能なライターだと思っているが、
わからないがこのままでは税務署が認めてくれない。
わたしがミャンマーに行きたいのだって、いい文章を書くためだよ。
それがお金になるかならないかはわからない。
「つっちいミャンマー一周」でも「美香さんビルマに行く」でもだれか企画してくれよ。
そうしたら高額な税金は取られない。
わたしばかりどうして損して、作家やライターが得をするのかわからない。
ミャンマーに行きたい。応援を求む。

楽天ブックスは気合いが足らねえ。
月曜早朝に注文したのに火曜の夜のいまにも来ないのかよ。
ミャンマーのガイドブック。
ライターならこれも経費で落ち税金が安くなるのに、わたしは自腹で税金地獄。
だれかわたしを節税のためにライターや作家にしてくれ。
そのぶんキックバックしてもいい。今年のような高い税金は払えない。
やっぱりミャンマーへどうしても行きたいという情熱が冷めているなあ。
こういうのは勢いで行っちゃうしかないのだが、
お金がもったいないとか、旅の準備がめんどうくさいとか、そんなことをしてる場合かとか、
昨日のガーッというカッカした熱情が消えてしまっている。
早く決めないと格安ツアーも人員が埋まりそうだし、うーん。
とりあえず「地球の歩き方ミャンマー」を楽天ブックスから注文。
楽天ポイントを使ったので実質ゼロ円。
行くとしてもバンコクから行こうなんて冒険をしないで、
直接ヤンゴンに入ったほうがいいのかしら。
でも絶対バンコクから行ったほうがめんどうくさいぶん大変なぶん、
それだけおもしろいことになるような気がする。
しかし、腰が重い。わざわざミャンマーなんかで散財せず、
日本でこつこつ地道に生きていくほうが世間的にプラスなのはわかる。
おもしろいことなんて考えないで、
つまらない人生でもそこにある小さくも大切な喜びや悲しみを
見つける眼力を育てていくのが大人の生き方だろう。
なによりお金を無駄遣いしてはいけない。もうそんな余裕のある身ではない。
とはいえ、もうほしいものもないし、人生の夢も希望もないし、
最後にちょっと行ってみたいと思えなくもないのがミャンマー(ビルマ)。
どうしようか迷う。迷っている。
偉そうなタイトルだが偉人ではない凡人の言葉もおもしろがれるかどうかは、
貴兄貴姉の知性のいかんにかかっていよう。
うちのブログはジジイ、ババアにしか読まれていない(それも反感をもって)
気がするが、人生でボロボロにされ老いぼれ、
だが最近奇妙に明るい我輩さまが青年たちへの希望の言葉を語ろうではないか。
いいから、若いうちはなにも考えないで、好きなことをやれ。
やりたいことをやっちゃえ。
多少の不義理はあとで取り返しがつくから(しょせん金銭問題で生死のことではない)、
人の目なんか気にしないで自分の本当にしたいこと、やりたいことを見極めよう。
それは成功の近道だからではないよ。
現に我輩さまは好きなことばかりしてきて、
世間的には人の数にも見なされない孤独な低身分の中年男になっている。
それでも若いころに好きなことをやっていてよかったなあ、といま思うのである。
人は総じてやりたいことを先延ばしにするものだが(老後に海外旅行、老後に平家物語)、
だんだん老いぼれてくるとそういう好奇心や行動力が枯れていくのである。
インドは好きで嫌いで、どちらかといえば嫌いだが、いや好きだが、
いまインド個人旅行をする元気はない。
いまシェイクスピアやギリシア悲劇の全集を読み返せと言われてもできない。
この理屈を先々まで伸ばすと、50歳まで生きていないだろうが、
よしんば50歳になったらいまよりもっといきいきとしたものが枯渇しているだろう。
なら、41歳のいまでもまだ若いのだから、
可能なかぎりできる冒険めいたことはしておいたほうがいい。
本当に若いこと、無知であること、結果として冒険できることは財産である。
絶対なんとかなる、絶対大丈夫だから、
若い人にはもっともっと好きなこと、やりたいこと、冒険をしてもらいたい。
それは若いうちにしかできないことなのだから。
ミャンマー行けるかなあ。ラオスで打ち止めの予定だったのだが。
そのラオス体験がおもしろすぎで、当方の人生観もなにもかも変えてくれた。
ミャンマーでお土産を買ったら、
またあの子にそれを渡す目的で逢ってもらえるだろうか。
ラオ子、ラオラオは元気ですよ。いまはビアラオよりも日本の酒が好きみたい。
今日迷いに迷った。
短期アルバイトは来年1月10日までで、それ以降はまったくの白紙。
1月15日にタイのバンコクへ格安フリープランツアーで行ってしまおうかと。
2泊3日ホテル代込みで3万7千円。ネットでクリック、クレカ決済をすればOK。
バンコクのミャンマー(ビルマ)大使館でビザを取得。
復路航空券は放棄して、バンコクからイサーン地方を経てミャンマーに入ろうかと。
直接ミャンマーのヤンゴンに飛べばいいじゃないかという話だが、
わざわざそういうめんどうくさいことをするのが旅の楽しみのような気もして。
可能なかぎり偶然性に身をまかせてみたいという欲望がある。
極論をいえば、べつにミャンマーに行きたいわけでもなく、
バンコクで出逢った人の影響でほかへ行くことになってもよい。
偶然性を試してみたいというか、偶然そのものを味わいたいという気持が強い。
換言したら、宿命を知りたいとか運命を知りたいとか、そういううさんくさい話になろう。
ミャンマーを10日間旅してここに3日、あそことあそこに2日ずつ。
そのように効率的に計画的に旅行を終えてもぜんぜんおもしろくないではないか。
自分の知らないものを見たくて旅に出るのである。
ガイドブックの観光写真を確認するような旅をしてもつまらない。
そこが存在していることをまえもって知らなかったところに行きたい。

復路放棄、目的地不明の旅を10年近くまえにしたことがある。
タイ、カンボジア、ベトナムを経てラオスに行く予定だったが、
ニャチャンの日本人居酒屋で中国のガイドブックを持っている青年と知り合い、
行き先をラオスから中国へ変えて、そこでたいへん忘れられない体験をしたものである。
旅を始めたときには自分が行こうとも思っていなかった敦煌や、
父の生まれた旧満州地方も旅したものである。
それがいまどれほど生きる支えとなっていることか。
とりあえず損得や計算を考えずにいまネットでボタンをクリックしたら、
結果はどうなるかわからないし、これまでの経験からなんとかなるのである。
東京でミャンマービザを取ったほうが効率的で安価だが、それがおもしろいとは限らない。
バンコクは10年まえ一度行ったきりだが、
行ったら行ったでホテルまではたどり着けるだろう。
そこからどのようにミャンマーに行くのかはわからないが、
行ったらその場で身体が動くだろう。

いつだったか数年まえだったか、そうではなかったか忘れたがラオスに行った。
村上春樹のラオス推しとはまったく関係ない。
ラオスに行くときの基本プランは、まったく予定を決めないことだった。
その場のご縁にまかせてみよう。
格安航空券を買ったので、上海で深夜乗り換え。
つまり、ガイドブックもない上海で1泊しなければならない。
旅行会社の人からはホテルを予約して行けと言われたが、なんとかなるはず。
これが最後の海外旅行と思っていたから感傷もひとしおで、
しかし上海に着いたら現実はなにがなんだかわからなく、だれも助けてくれなく、
泊まるところがないのである。
そこで不安や焦燥感にかられながら、
ぶらぶらしていると空港まえでホテルの客引きをしているあんちゃんと遭遇。
英語と中国語のチャンポンで会話して泊まるホテルを決めたものである。
そのホテルの近くに地元民しか来ない串焼きの屋台があって、
そこで飲んだビールがどれほどうまかったことか。
まったくの偶然にここに来て、地元民たちとビールを飲んでいることに感動した。

ラオスでの予定もまったく決めていなかった。すべて偶然に任せようと。
空港を出てパッと目についたリキシャに安いホテルと言って、
連れて行ってくれたところに価格交渉をして宿泊した。
で、なにをしたかというと酒盛りだ。
ホテル周辺をぶらぶら歩いていると昼から酒を飲んでいるおっさんたちがいて、
その棟梁らしきものと目が合い、微笑みかけたらこっちへ来い。いっしょに飲もうと。
ラオスのビエンチャンに着いた当日に、
現地のおやっさんたちとビアラオをえんえんと飲んでいるってこれなんだ?
若い日本人観光客からスマホで写真を撮られた記憶がある。
わたしの現地人とこころを許しあえる能力みたいなものは、
プラスに出たらすごいだろう。
ラオスでの経験は公開できない類のものなので、言い方を換えたら、
それほどおもしろい体験をしたということだ。麻薬も違法薬物もやっていない。

このまえ旧友と電話したときも、ミャンマーに行っちゃえ! とさんざんあおられた。
この人には隠しておきたいラオス体験も話している。
とりあえずツアーに申し込んでしまえば、
お金がもったいないからバンコクに行くわけでしょう?
そっから先はなんとかなるんじゃないかと。
ミャンマーに行って、その先どうなるかはわからない。
もちろん、日本へ帰ってくるが帰国便の値段がいくらするのかもわからない。
ミャンマーのとくにヤンゴンはホテルが高いと聞くが、
行ってみるまではわからないだろう。
今年のソウルは非常につまらなかったのだが、ホテルを日本で予約して行った。
スタッフに聞いたら仲介を通さないで直接来てくれたらもっと安くできたとのこと。
ホテル価格といえば中国はめちゃくちゃで、
現地の仲介者がいるかいないかで宿泊費が半分どころか1/3になった。

いま生きていて本当によかったと思うのはインド3ヶ月放浪、
東南アジア中国復路放棄漫遊、これが最後のラオス旅行をしていたことである。
いまでさえインドでのこと、東南アジアや中国でのことを懐かしく思い返す。
ならば、後先のことを考えずにとりあえずバンコクに行ってしまってもいいのではないか?
どこの旅行会社が安いとか、そういうことは考えずに一歩を踏み出す。
決めた。いまからバンコク行きのチケットを取る。あとのことは知らない。
しかし、自分が本当にそんな無鉄砲なことをいまからできるのだろうか?

(追記)やっぱりいま酒が入っているから、パスポートナンバーとか誤記したらあれだから、
いちおうひと晩寝かすことにする。明日になったらやる気がなくなるのかなあ。
いくら携帯番号を公開してもなんにもないし、
ならこっちから世界へ飛び込んでいくべきなのか。
しかし、安全に経済的に冒険をしないで、
質実剛健に堅実に生きていくことの価値もいまは理解している。
昨日同僚のヤンママさんが「布団を干してくればよかった」
と部長に言っているのを耳にしたので、
おお、そうや、この仕事をしていると布団が干せない(正しくは取り込めない)、
ということに気づき、日曜日の朝から布団を干し、
いま洗濯機がまわっているところである。
昨日午後のプリンターからの伝票カットでミスをすることはなかった。
ほとんどの仕事が慣れで、繰り返した回数が多いほどうまくなる。
新人はそもそもなにがどこにあるのかもわからないから、
そういう不安もあいまって、初めてすることも多いのでミスをしがちになる。
このため、労働者はたとえ時給の高い仕事があっても、いまの職場に居座る。
知らぬ他国で苦労をするよりはって話だ。
どの職場のベテランさんも新しい職場に入ったらいちからのスタート。
それではあまりにも不安が大きいので、おなじ業界に行くのだろう。

いまちょうど近所短期アルバイトの折り返し地点。契約期間の半分が終了。
期待に応えられているかはわからない。
仕事をおぼえられるかは、同僚との相性といった偶然に左右されることも多く、
かならずしも能力差がそのまま反映されるわけではないところがある。
まあ、そもそもわたしは自分の仕事能力をあまり高く見積もっていない。
期待されている役割は補助的な雑務だし、
言われたことをそのままやるようにしている。
どの職場にもいるのだが「それをそれして」系の指示を出す老人もいる。
自分のあたまのなかではわかっているのだろうが言葉になっていない。
「それ、それ」と言われる。
なにを言っているのかわかりませんと答えたら、ものすごく怒る。
だから「それ」をなんとかしようとするが「そうじゃない」と怒られる。
だったら自分ひとりで働けよと言いたくなる、どこの職場にもいるタイプ。
もうこのパターンには慣れたから、
いまの職場ではけっこういい金もらってんだからしょうがねえなと我慢する。
このタイプの人とは何度も働いてきたが、いまのところの人はまあ軽度だろう。
自分で考えて仕事をすると「そうじゃない」と叱られる。
ボーっとしていると「それをそれして」と言われて、
彼の「それ」を行なえずに叱られる。
そうじゃない。そんなこともわかんないかなあ、ハッハ。
しかし、まあ働くとはそんなもんだ。

もうすぐ洗濯機が終わり、外に干す。
今日は気持のいい晴天だから洗濯物もよく乾くことだろう。
昨日はいつも晩酌の肴にしている仕出し弁当がなかったので、
料理を3品もつくってしまったよ。
あってくれと願いながらコモディイイダに行ったら、大好物の「あん肝」があった。
「あん肝」だけは定価でも買う。
おっと洗濯機がとまったようだ。
洗濯物を干したら、3分で法華経を読誦したり数珠片手に題目を唱えたり――。
その後は読みたかった本を読む。
夜は昨夜つくったものの余りものでハイボールでものみながら、
以前読んだ本の感想を書くことになると思う。
いま人生の静かな陽だまりのような期間を生きているのかもしれない。
わたしが週6日も働くのに神も驚いたのか、
昼にいつもの宅配弁当ではなく寿司が出た。
マルエツの798円の寿司。
半額になったときに食べたことは何度もあるが寿司は鮮度が命。
ランチは食べないことが多いけれど、いま家に持ち帰って食べている。
部長さんのポケットマネーなのか会社の金なのかは不明。
6日も連続で働いているといつもは忍び隠している素の自分が出そうで怖い。
おれ、伝票を切るのがヘタみたい。
とくにプリンターから出て来る伝票をうまく切れない。
昨日はスパッと切れたんだけど、今日は2回も破った。
こんなこともできない自分ってなんだろうと「自分探し」になるなあ。
マイクで各階の連絡を取り合うのだが、もちろん吃音のわたしは苦手だが、
部長さんは今日はネクタイをしてきていないし、
たぶん1階の梱包とか死ぬほど暇そうだし、ええい、
「おまんこ降ろします」とか気が狂ったようなことを職場で言ってみようか。
いやいや、あと4、5時間自分を押し隠す。
職場のみなさん、寿司の醤油は足りているのかなあ。
798円のお寿司を食べさせてくれるなんて本当にいい会社だと思う。
聞いてくれ、サンタクロースはいるんだよ。
サンタさんはぼくたちにクリスマスにプレゼントをくれるんだ。
よし、サンタさんへ手紙を書こう。
「サンタさんへ、ほしいものをください」
いまほしいものがなんにもないから、ほしいものをくださいサンタさま。
ほしいものができたらぼくももっと「やる気」になるかもしれないもの。
どこぞのクリスマスケーキも豪華おせちもいらない。
なぜなら、それらはほしいものではないから。
「サンタさんへ、ほしいものをください」
お金の話が大好きなわたしは先週の土日に同著者の税金に関する新書を3冊読んだ。
いま税金に殺されそうだが税金を払うために働いたら翌年、
さらに高額な税金を徴収されるという税金地獄スパイラル。
税金を払うために働いたらさらにそこから税金を取られるなんてブラック国家じゃん。
そうそう、このへんはいまだよくわからないが、
サラリーマンは会社の利益だいいちに考えないほうがいいような気がする。
ケチケチ節約して会社の利益を上げてもどうせ税金で持っていかれるだけ。
それなら人件費、広告費、経費をうまく使って会社の利益をゼロにしたほうがいい。
オーナー社長の会社は逆に利益を上げないように工夫するらしい。
利益を上げたって税金で持っていかれるくらいだったら、
福利厚生で使ったほうが仲間を幸せにする。
利益を上げたってどうせ税金で持っていかれるんだから、
だったらなるべく利益をゼロにするよう雇用や社会保険、
福利厚生に金をかけたほうがいい。
税金で取られるくらいだったら、縁のある人たちに利益をまわしたほうがいい。
これはわたしもまだ完全にはよくわかっていないが、
人件費を削って会社の利益を増やして税金で持っていかれるよりも、
労働者に対して広告費や経費と割り切って金を出し、
自社の評判を上げるほうがよほどうまい商売になる。
どれだけ節約して会社の利益を上げたってもうかるのは税務署と株主だけで、
われわれ労働者階級はなんにもいいことはない。
日本の大企業はオーナーが株主であることが大半で、
会社の利益を上げるよりも削るほうが彼(女)らを喜ばせるらしい。

わたしは本来休みだった明日も働かせてもらい、
なんか当方の経済感覚では信じられないブルブルするくらいの、
25%割り増しレートの時給をいただけるようだが、
罪悪感を感じる必要はなく、
経済をまわしているという幸福感でいっぱいでもいいのではないか。
これは必死になって金で買えるほしいものを探さなきゃあかんねん。
むかしお世話になった人にお礼をしたいのだが、
しかしサイゼリヤでご馳走するレベルなので、相手の収入を考えるとしり込みしてしまう。
スーパーで高いビールを買えなくて税法上安い第3のビールばかりカゴに入れてしまう。
エビスものどごし生も味の違いがわからない。
税金で取られるくらいだったら身内や友人知人に利益をまわしたほうがいい。
詳細はまた書くが、おそらくサラリーマンがいくらケチケチして会社の利益を上げても、
どうせ税金で持って行かれるのだから、会社の実質トップはあまり喜ばない。
このへんの仕組みはまだよくわからなくて、だれか見識者に教えてほしい。
本ばかり読んでいる机上の学問ではよくわからないことがある。
でも、どうなんですか?
会社の利益をケチケチしていくら上げても税金で持って行かれるから、
それは真のトップの望むところではないというのは本当ではありませんか?
コメント欄に期待している。
たまにはコメント欄に本当に役に立つ真実の情報を匿名でいいから教えてくれよ。
今週も週6日働き、来週もそう。
わたしの腐ったニート根性はどこに行ったのか、自分のことがまるでわからない。
いま絶好調よ。その証拠は自炊をしていることからわかろう。
お惣菜より高くつくけれど、自炊したものは手間がかかるぶんおいしいよね。

いま当方が生まれるまえにテレビ放送された山田太一連続ドラマ
「それぞれの秋」全15回を
毎日帰宅後にちびりちびり酒をやりながらちびちび視聴している。
最高に幸福だと思う。ぜいたくを言えば、ほしいものがほしい。
これだけがんばって金を稼いで、ほしいものを手に入れたという感動を味わいたい。
いまは美食にも文学賞にも女体にも興味がなくなった。
ほしいものを毎日考えているが、おそらくほしいものは書くためのネタとなる経験。
おそらく働いたほうがそういう有価値経験は味わえるだろう。
最後に変なことを書くと、
母親から目のまえで飛び降り自殺されるなんていう超絶不幸体験は金では買えない。
だから、消費税も取られない。
不幸やマイナスを金では買えないものと気づいたとき、
ある種の人間革命が起きるのかもしれないし、
そんな革命は起こらないで人をゆがませるだけということもあるのだろう。
いいおじさんがなにを言うのかと笑われるのを承知で書くが、
働くってどういうことかよくわからない。
明日また10時ちょっとまえに職場に散歩気分で行くが、
それがいやでもないし、またみなさまとお逢いするんだなあという。
働くということもよくわからないし、どうして税金がこうも幅を利かせているのもわからない。
税金で取られるくらいだったら、人件費や経費にまわしたほうがよほどいい。
少しでもこの仕組みを勉強したいが、詳しい人に教えてほしい。
田舎もんのみなさんは知らないだろうが、
東京のなかでおそらくもっとも田舎臭いだろう上野にアメヤ横丁というのがあるんだ。
年末に田舎もんでにぎわうアメ横だ。
わたしは長らく文京区に住んでいたので台東区の上野とはなじみ深かった。
両親ともに学のない田舎ものの貧困層で、
そういうものを引きつける魅力が上野や御徒町にはあるのだろう。
親の影響で長らく多慶屋ほど安い店は日本にはないと信じていた(だまされていた)。
アメ横商法とは定価を出して、定価よりこれだけ安いよというピーアールで買わせる。
定価1万円のものがいまだけ2千円だよと。
しかし、おなじものを近所のスーパーで買ったら千円なのだという田舎もん対象詐欺商法。
いまはネットがある。
40歳の大台をこえて親の影響下にある上野、御徒町に行ってみたら――。
むかしからアメ横は都民でも買わないほどうさんくさかったが、
多慶屋も二木の菓子もネットに比べたら高いのでございますことよ。
わたしはヨドバシカメラではなくビックカメラ派だが、
身もふたもないことを言うならば、実店舗よりもネットのほうが安い。
いまはネットで調べたらすべての商品の最安値が即座に出て来る時代。
いま多慶屋は中国人観光客ばかりでしょう。
クレカさえあればネット通販のほうがよほど安い。
しかし、ショッピングには実益以上の楽しみもあるのではないか?
定価12万円と書いてあるものを1万円で買えたら嬉しいではないか?
その仲買人取引価格はたとえ千円だとしても、それでもそれでも。
定価を信じちゃいけないよ。なにが本当はいくらかなんて知ったものではない。
わたしはお金が大好きである。お金の話ほど興味をそそられるものはない。
お金はいくらでもほしいが、しかしいまお金で買えるほしいものはない。
しいて言うならばミャンマーに行きたいが、
あそこはビザが必要らしく、ネットで申請できるのだが、
ネット写真のアップの仕方もよくわからないし、プリンターが不調なのでめんどうくさい。
わたしがインド以東、中国東南アジアを好きなのは、
上野御徒町趣味と通じていると思う。
欧米が嫌いでインド、中国、東南アジアが好きだ。
ドンキには人生であまり縁がなかったが、当方の生活者感覚からしたら高い。
表示されている定価よりは安いのだろうが、
世間実売価格と比較したらさほどでもない。
多慶屋は意地汚い田舎もんの両親の影響でむかし大好きだったなあ。
いまは上野御徒町に行くよりも交通費がかからない地元の浮間舟渡がイチバーン♪
「つまらない人生入門 鬱屈大全」(春日武彦・ 吉野朔実/アスペクト)

→著書多数で愛読者も大勢いらっしゃる、
どう見ても社会肩書的には院長先生にまで大出世した、
精神科医の春日武彦さんでさえ人生をつまらないと思っているのだ~よ。
それなりに金はあって(もう一生食うには困らないだろう)、
底辺世界では単著など1冊出したら威張れるくらいなのに
あまたの出版社から著書を多数上梓、
妻との関係もとりあえず破綻しておらず、世間的に見たら不満はなにもないような、
職業的心理屋で精神商売人の先生が
おのれの鬱屈をなんとか言葉にしようとしているのは、
下層の底辺読者にとって救いといえなくもない。
結局、ある程度の名声や収入、家族を勝ち得ても人間は孤独で不安なんだなあ、
と意地悪にも嬉しくなる。
お医者さんになって、本を何冊も出す有名人も鬱屈しているのだと思うと、イヒヒ♪
職業人としての春日武彦医師がとても好人物でいわゆるできるやつだというのはわかる。
だからこそ、かなり大きな精神(科専門)病院の院長まで出世できたのだろう。
それはどうしてわかるのかというと、こんな人格未熟(ゆえ)不人気ブログを書く当方も、
いまは非常に外面(そとづら)がよく、挨拶の声なんか朝礼でけっこう目立つほうだし、
なにごとも穏便、平和に大人としてやり過ごそうという態度になったことから、
鏡面反射的に理解できることである。
しかし、精神科外来を訪れるお客さんがすべて
有名医療人の春日先生の本を読んでいるわけではないから、
氏の職業的笑顔は固まるいっぽうで、反面、
内面の鬱屈をいろいろおもしろおかしく表現者的に書くことができたのだろう。

先生はこんなことを言われたらわかっていないとさらに鬱屈するだろうが、
自分が春日さんと似ていると思うところは傍観者的態度である。
どうにも現実にリアリティーを感じられない。
現実と自分のあいだに薄い1枚の膜(まく)が張られていて、
自分はそのフィルターを通してしか現実を見ていないのではないかという疎外感。
自分と現実のリアリティーのあいだには処女膜のようなものがあるというか。
自分はなまの荒々しいエネルギーをまだ知らないし、
一生知覚できないのではないかという不安感。
それでもまあまあうまくやっているが、これで本当にいいのかという焦燥感。
しかし、なにをやっても無駄だという無力感も強いし、
脱力感が基本トーンとしてある。最後は運が勝負なんだよなあ、といったような。
正義にも恋愛にもカッカできなく、どこまでも世界はむなしいという空虚感。
いちおう外面的には、そうは見せない微笑はつくることができるが、
正体がばれているのではないかという恐怖感はたえずあるし、
いくら人生経験や読書体験を積んでも世界への違和感は消えない。
いきなり自分こそ世界を変革する偉人ではないかという誇大感が生まれることもあり、
その瞬間は楽しいがあとあと自己嫌悪の感情を引きずり苦しむ。
なんでみんなふつうに生きられるんだろうとつねに劣等感をいだいている。
どうして人生への「もどかしさ」を感じないで、
まるでアニマルのようにふつうの人は生きられるのか。

最近、このブログはだれにも読まれていないことをあらためて知り、
さらに怖いものがなくなった。
短期バイトにいっしょに入った1歳上の同僚がいるのだが、彼がすごい。
いまどき中卒で独身、底辺、家庭環境も最悪で、
わたしだったら耐えられないで発狂するレベル。
しかし、彼はそこそこ明るく、これまで逢った人物と比較してむしろ安全な人材である。
世界がわからなくなるのはこういうときである。
精神科医の春日さんやわたしは本をいっぱい読んでいるから、
リアリティーの喪失といったような鬱屈感情に悩まされるのではないか。
わたしとおなじ貧困層の彼は、しかし身の丈を深く自覚自認しているため、
ヘルニアの影響だかでびっこを引いているが当方よりもはるかに
精神的には平和温和安定状態にいるのではないか。
「人生なんかこんなもの」をさらに発展させた「自分なんてこんなもの」という諦観を、
仏教を学ばずとも自然におのずから備わった知恵(中卒)で受容している。
上には上がいるんだなあ。下には下がいるんだなあ。これは同義である。
むかしからどの国でも下層民が9割以上だったわけで、
大衆庶民は生活に追われ難しいことを考えないがために、
インテリ階層には明るく健全で良心的な人物に思えたのではないか?
現代ではそういう雑草のような下層民がハンパな知恵をつけたから、
精神科や心療内科、カウンセリングが繁盛するわけで、
むかしは土俗宗教権威者から「そういうものなんだよ」と指導されて納得していた。

男女は生物学的必然として交尾すると決まっており、
しかしそこに恋愛とか複雑な知的概念を加えたから、
わたしのような無学な下層民がおかしな迷いにとらわれるのだろう。
男女は生物学的にオスとメスなんだから発情して交尾すればいいの。
生物学的交尾ともっとも遠く離れたものがインテリのSMだろう。
子孫繁殖という遺伝子命令には逆らった春日先生だが、
しかし職業がらか生育環境のせいかSMは実体験していないと思われる。
もっとも生物学的交尾から離れた、
人間的ともいいうる嗜虐加虐関係、SMは精神科医の春日武彦先生によると――。

「SMというものを考えてみる。あれはどちらかがSで
どちらかがMといった具合に役割分担をしてプレイが行なわれる。
だが、実際には、完璧なSや完璧なM同士が相対しているといった構図ではないらしい。
Mの役を演じつつSの立場を想像して興奮したりその逆であったりと、
脳内は二重構造になっている。その重層性がプレイの妙だという」(P97)


これはSを男、Mを女と言い換えてもおなじだろう。
動物から離れて人間的に考えてしまうと、女の性的妄想こそエロいし、
それを充足できたらなあと考えるが、向こうは男を立たせようと考える。
Sを女、Mを男と言い換えてもおもしろいだろう。
Sを患者、Mを精神科医と考えても意味が通る。
Sの患者は精神科医の職業感情を満足させるためにきちがいを演じている。
Sを精神科医、Mを患者とも考えられる。
スーパーフリーな患者を助言や投薬でいじめ抜くのが精神科医ともいいうる。

わたしと春日先生の関係もSMに近い。
社会的上位者の春日医師のまっとうな意見にシュンとさせられることも多いが、
社会的塵芥のわたしのほうが肩書のある精神科医よりもフリーもフリー、
スーパーフリーだと思うと、失うもののないこちらはサディスティックにも
西新井にある精神病院に(患者を選べない)春日医師に逢いに行けるのだから強い。
きっと安定を求めれば求めるほど人生はつまらなくなるのだろう。
しかし、つまらない人生にも人間観察というおもしろさがあると著者は本書で主張する。
大味なものばかり求めていると気づかない細かな味わいに著者は敏感である。
毎日つまらないなあと鬱屈しながら、著者は今日も微笑を浮かべて患者と対面する。
これでよかったのかどうかわからないが、
これでよいという居直りもないが、それが人生だ。
生きていくしかない。生きるしかない。
うんさりしながらげんなりしながら、ときたまほのかな希望の香りを感じながら。

「文豪の女遍歴」(小谷野敦/幻冬舎新書)

→完全なブサキモ底辺中年男になりきったいま、
文壇の売れっ子ゴシップライターの小谷野敦さんはむかしの親友のようなもの。
業界ごとに暗黙のルールみたいのがあるじゃないですか?
文学(=出版&研究)業界のそれにやたら詳しいのが東大卒の小谷野博士である。
トヨタの部長だといったら業界内では有名かもしれないが、
それ以外の人は「だから、なに?」に近い感覚をいだくと思う(そうでもないのかな?)。
小谷野さんは文学業界の細かい格差に異常なほど精通しておられる。
たとえば川端康成賞がどのくらいのポジションで、
どこからの支持(引きやプッシュ)があれば取りやすいとかさ。
一般人は川端康成は「伊豆の踊子」と「雪国」の人ってだけでしょう?
なんとなく偉い人なんだろうなということはわかるが、それはよそにあるブランドって感じ。
多数派の大衆庶民は川端康成なんかよりテレビの刑事ドラマのほうが好きなのである。
それから無知蒙昧な庶民はワイドショーの芸能人ゴシップが大好き。
人の下半身の話って、どうしてこんなにおもしろいんだろう?
山田太一ドラマで知った言葉だが「下半身に人格なし」って下品でいいよねえ。
本書では人格の壊れた文豪たちの愉快な下半身事情が紹介される。
高速で書き飛ばしたせいだろう。
これまでの氏の著書とは異なり、読みにくい部分が多々あったのが少し残念。
しかし幻冬舎新書に多くの期待をするほうが間違えている。業界を知らない。

いちばん楽でおいしい恋愛は、
有名人が自分の信者や弟子から性的搾取することなんだなあ。
むかしの文豪もファンレターをもらうと目を輝かせて女体を求め始める。
本書では書かれていなかったが、
井上光晴はうさんくさい新興宗教のような文学伝習所を主宰していて、
そこの生徒である婦人を複数、お皿いっぱいお腹いっぱいに召し上がっていらした。
これは井上光晴をドキュメンタリー映画で撮影した監督から聞いた話だが、
かの高卒の大学教授もまるっきりおなじようなことをしていた。
高卒のアングラ映画監督なんてそこらへんの主婦にも相手にされないが、
大学教授の地位を得て、さらに相手が映画ファンなら入れ食いなのである。
処女でも美少女でも食べ放題、飲み放題である。
そして食べたぶんがそのまま栄養になり次作に生かされる。
これが芸術家の生き方だ。文豪はこう生きた。
倉田百三なんかいまは知っている人のほうがめずらしいだろうが
(「出家とその弟子」は死ぬほどつまらんかった)、
かの文豪(?)は46歳のときに17歳の少女からファンレターをもらい舞い上がり、
色めきだち、有名人という権威を最大利用して文通をスタート。
まず言葉たくみに46歳は17歳の処女に陰毛を送らせ、
じわじわとお得意の言葉で相手を支配して19歳のときに少女の貞操を奪ったという。
倉田百三なんていまでは笑いのネタにもならないのに当時はそれほどすごかったのだ。

基本的に心底から人のこころを動かす作品は、作者の実体験から生まれていると思う。
エンターテイメントだったら計算や法則、マーケティングでつくりだせるが、
文学的なものは作者の純体験が入っていないと安っぽさを見抜かれがちである。
「小説の題材」のために奇行、色恋沙汰を繰り広げるのがかつての文豪であった。
わたしも人恋しいが、それは純粋な孤独感ではなく、創作意欲の発露である。
たとえば恋愛なら恋愛をして、仕事もそうだし、修羅場みたいのを味わって、
その実感から自分の既成の言語体系を揺さぶられ破壊され、
評価されるかはともかく、新しい言語表現を創作してみたい。
おれなんかもうどんな壊れかかった年増の子持ちババアでもいいから、
言語表現(文学←笑い)のために女に振り回され、いろいろ仕掛けられてみたいのである。
わたしは太宰治タイプではないと思う。あんなイケメンじゃないしさ。
小谷野敦は太宰を恋はできない男だと指摘する。

「太宰は「道化」と自称するようなところがあったが、
これは「絶対道化になりたくない」という意思の表明にほかならない。
恋をするというのは、その逆の、道化になってもいい、
という意思(というより、そんなことを考えない人格)から生まれるので、
太宰には恋はできないのである」(P187)


わたしは女性に公開されたら死ぬほど恥ずかしいメールを送ったことが何度もあるが、
しかし太宰のように「いっしょに荒川に飛び込んで死のう」とか迫ったこともあり、
その承諾をもって安心するようなきちがいめいたところがある。
かなりハレンチなバカ行為を(文豪のように)しかねない自覚(自信?)はある。
近代日本最大の歌人らしい斎藤茂吉もやばかったようだ。
52歳の業界最高権力者の茂吉は25歳の新米女性歌人に、
いまならばパワハラともセクハラともいわれかねないことを平気でしている。
威圧的ともとらえかねない恋文を世間知らずの処女に大量に送りつける。
婚約者の相談に乗る振りをしながら「日本最大の歌人」老権力者の斎藤茂吉は、
うまうまと業界の新人である処女をお召し上がりになる。
その後に試食感を当人に向かって書いたセクハラ手紙が本書で紹介されているので、
「日本最大の歌人」いわば言葉の魔術師の手紙を孫引きさせていただく。

「ふさ子さん! ふさ子さんはなぜこんないい女体なのですか。
何ともいへない、いい女体なのですか。
どうか大切にして、無理してはいけないと思います。
玉を大切にするようにしたいのです。
ふさ子さん、なぜそんなにいのですか」(P105)


文豪さんさあ、おまえら大人の分別ってものがないのかよ。国語便覧に書けないだろ。
いまわたしは欲望がほとんど消えた涅槃状態だが、
わずかながら女性さまと交際したい、色恋沙汰に巻き込まれたいという夢がある。
年齢、顔面偏差値、職業収入借金不問。子持ちOK。バツはいくつでも許容。

「作家(男)にとっては、女(男)を知ることは小説に使うという意味合いもあり、
川端の『雪国』なども典型的な例だが、本当に好きでつきあったのか、
小説に使うつもりだったのか、女(男)としては気になるだろうが、
双方あいまってということが多いようだ。
しかし[徳田]秋聲の場合、水商売の下層の、必ずしも美しくない女が主で、
さして羨ましさも感じない」(P91)


もうだれも知らないだろうが(わたしもよく知らない)、
かつて与謝野鉄幹という出版業界権力者がいた。
結婚もしていたが、正妻の座を奪ったのがあの与謝野晶子とのこと。
与謝野晶子まで知らないと言われちゃうと、わたしもお手上げ。
さて、与謝野晶子は夫を踏み台にして華々しい文学的地位上昇を遂げたという。
小谷野敦は「夫婦同業で妻のほうが出世してしまう」ことを、
この例にならい「与謝野鉄幹コンプレックス」と命名している。
小谷野さんのいまの奥さんは東大卒の文学研究者、坂本葵さんだが、
かの才女はどうやら与謝野晶子にはなれなさそうだ。
夫のコネで売れない小説を1冊出してもらい、作家という名誉肩書をもらったくらい。
作家志願者はお互いを食い合う関係にある。
山本周五郎も井上靖も井上光晴も周囲を冷酷にも食らいつづけた。
開高健の妻はおなじ同人誌出身で7歳年上の詩人、牧羊子だが、
彼女ははやばやと開高健青年の才能に気づき、
食おう食おうと虎視眈々とチャンスをうかがい、念願の捕食にいたったという。
しかし、成り上がったのは牧羊子ではなく開高健だった。
中卒芥川賞作家の柳美里氏のご長男のお父さまは、
たしか広告代理店とかテレビ局とか、そういうエリートの男性なんでしょう?
柳美里を食ってやれと手を出し中に出したら、
私小説「命」シリーズで逆にメシの種にされてしまったという悲劇だか喜劇だか。
わたしはいま尊敬する小谷野敦先生の正妻であられる、
作家の坂本葵さんとつきあってみたい。
おれはまんま粗雑で野卑な底辺階級の下層民だし、
ぼくを食べたら坂本葵さんは作家として磨かれるのではないか?
ひと皮むけるというか? 
小谷野敦先生もそうだけれど、坂本葵さんも底辺世界をぜんぜんご存じないでしょう?
そこでぼくをもぐもぐしたらどうかって話。おもしろいスキャンダルになるのではないか?
小谷野先生に仕込まれた玉のような女体に触れたらコチコチ(カチカチ?)になるだろう。
先生だって、そういうことがあれば私小説に書くネタができて、
もはやあきらめておられる芥川賞の再チャンスが舞い込むかもしれない。
いいか、文豪とはそういうものだし、小説を書くとはそういうことだ。
文豪になりそこねた小谷野敦さんは書いている。

「久米正雄と松岡譲もそうだが、漱石門下では、
女をめぐって友人を絶交する事件が二つも起きている。
おのずと『こゝろ』を模倣するのであろうか」(P130)


コバヤシエイトさんに興味はないが、
美人作家の坂本葵さんにはおなじ小谷野門下としてひかれるなあ。
スキャンダルを起こしたくて味わいたくて、それを書きたくて、
つまりいま流行らない文豪ごっこをしてみたい。
作家志望の女性とかぼくちんを食べたら文学史に名を残すような文豪になれるかもよ。
文学なんて、食うか食われるか。ご連絡をお待ち申し上げております。

これはいまのテーマなのだが、世界(世間)を知るとは言葉を増やすということ。
いまのバイト先に年末に「納会」というものがあるらしい。
ものすごい恥を白状しているのかもしれないが、
わたしは「納会」という言葉を目にしたことも耳にしたこともなかった。
このため、当然のことながら意味も知らなかった。
7、8年まえは辞書愛用者だったが、いまはネット専門。
「納会」って会社でするところのそういう行事なのか。
まあ、短期アルバイトには関係ないかもしれないが、できたら経験してみたいなあ。
いまの職場では短期アルバイトをのぞいて、みんな契約社員らしい。
9割がた名前はおぼえたし1Fの電話の横に貼ってある内線番号表で役職も判明。
主任と係長のどっちが偉いのかはいまネットで調べてみたけれどよくわからない。
いまうちの職場が短期アルバイトではない契約社員の募集をネットで出している。
それを見て、世界を知ったような気分になった。錯覚の可能性もある。
ともあれ働くのっておもしろい。いろいろ実地で学べることがある。
ニートはニートのままでべつに働かなくてもいからね。遊べ遊べ遊べ、踊れ踊れ踊れ♪