大和ハウスがブラック企業大賞にノミネートされているようだが、
わたしもその関連企業で去年アルバイトをしていた。
10月末にいきなり工場長から一対一で呼びだされ面罵、恫喝され、
「一身上の都合で」という退職届を書かされた。
退職届がすでに準備されていたことから計画的違法行為であったことは明らか。
わたしはむしろ工場長のファンであったのにどうしてこういうことになったのか?
40を過ぎたら正社員の道なんてないことを知らぬわけではない。
大和ハウス子会社を上司の指示にしたがい辞めたあと、
派遣で行っていたコージーコーナーのパートのおばさんからも言われた。
「あなたもう正社員にはなれないわよ」
べつに正社員になりたいわけじゃないんだけれどなあ。
わたしは大和ハウス関連企業に半年以上アルバイトとして勤め、
けっこういい金にはなるし、どうやらおれは文才はないようだし、
ここは親身になってくれる副工場長のコカの指導通り、
生まれてはじめて本気で仕事に向き合おうと思ったのである。
どうしたら仕事を少しでも効率的にまわせるかの提案書を、
休日に書いて副工場長に提出した。
そうしたらその翌日か数日後かに退職勧奨。
いままでは気楽な退屈しのぎの賃稼ぎ、バイト労働でOKだったのに、
もう人生ほかにすることもないし、しょうがねえからと仕事に関心を持ったら、
おまえは使えない、役に立たない、働いていないと退職届のペーパーを出される。
サインをしろと。一身上の都合と書けと。どうしてこうなっちゃうんですか?
しかし、本当にわたしのことを思ってくれていたら、おそらくそれが正しい。
大和ハウス関連企業を辞めてからいやがおうもなく、職場放浪をしたが、
おかげさまで書くネタは異様なほど蓄積することができた。
ぶっちゃけ、あそこで正社員を目指して知的障害者さまのご機嫌を取っているより、
いまこうなっているほうがはるかにいいし、楽しかったし、おもしろかった。
恫喝されクビにされたという解釈が常識的なのだろうが、
本当のわたしを、わたしの正体を知っていたら、
あそこで世間を勉強させてもらい、
ありがたくも送りだしていただいたという見方もまた正しい。
大和ハウス関連企業のお偉いさんから面罵されてからいままで、
いろんな経験をしたなあ。それはとてもおいしい経験でした。
恩人を恨むなんていけません。いろんなことを経験したい。書くネタがほしい。
あなたのことを知りたいし、世間を実感したいし、世界構造を文章化したい。
書きたい。書くために生きている。なんでも来い、もっと来いやと思う。
1985年(昭和60年)に放送された東芝日曜劇場全2回のドラマを、
シナリオでは既読であったものの、いま秋だからジェイコム録画ぶんを視聴する、
わたしは好きなブランドのようなものはまったくないが、
東芝だけはパソコン購入者の無料アフターサービスをやっているので好きだ。
パソコンでは何度も東芝のお世話になった。
そういうわけで去年東芝の電子レンジを買ったら1年もしないうちに壊れて、
量販店経由で修理に出すと戻ってくるのが1ヶ月後とか言われ、
この寒い冬を電子レンジなしでは暮らせぬと新しい電子レンジをビックカメラで購入。
ヤマダ電機のほうが安いのだろうが、ついむかしからの慣習でビックカメラ。
おなじ東芝製品を買いなおそうかとも思ったが、
また壊れたら笑えなくなるので(冬にレンジがないことに耐えられないわたしはカス)
東芝の半額程度の聞いたことのないメーカーのものを買った。

オフィスワークをしたことがないのである。
いまありがたくも雇っていただいているバイト先は、
オフィスワークのようなものを盗み見、盗み聞きさせてもらえるので嬉しい。
われわれ短期アルバイトがシール貼りなどの単純作業をしているのとおなじ場所に、
そこでいうところの「部長席」がある。
うちは焼鳥屋だったし、まっとうなサラリーマン世界のことはまったくわからない。
これまでもいまのようなまっとうな企業に雇っていただけたことはない。
生活能力、実務能力のからきしないわたしはそのぶんだけ、
まっとうな会社の部長や課長にまでなることに仰ぎ見るような敬意をおぼえてしまう。
ひっきりなしに電話が鳴るところだが(吃音のわたしは電話対応大嫌い)、
それを器用にさばく女性ワーカーたちには一生あたまが上がらないと思う。
彼女たちはみな正規に結婚して旦那さまどころかそれぞれ子どもまでいて、
まっとうな生活を
ニート的な矛盾に悩むこともなく(私ってなに? 生きている意味ってなに?)、
短期バイトに当たることもなく(いじめることもなく)、
明るく波風立たぬように、言うなれば世界全体をうまくまわしている。

部長の偉さ、課長の偉さをどれだけ理解してるかで世間知らずかどうかわかろう。
短期バイトに早稲田卒と中卒をいっしょに入れて、
ふたりを同等に扱うことのできるのは優秀な部長だろう。
テレビライターの山田太一はやたら老いた庶民から愛されていると耳にするが、
それは氏が好人物であると同時にリアリスト(現実主義者)だったからだろう。
ドラマ「東京の秋」はダ埼玉の所沢に住む農民青年が、
東京の一流商社部長の娘に恋する物語である。
どうして商社マンが農民より偉いかといえば、世間がそうだからである。
埼玉県民がむかし東京六本木にコンプレックスをいだいてたのは社会構造ゆえ。

このドラマには「想い出づくり」で光り輝いた加藤健一がまた登場する。
ダ埼玉に住む農民、しかしバブル土地成金で金だけはある長男である。
ダ埼玉の農家のせがれである加藤健一(この人大好き)もむかし
お嬢さまと交際する機会はあったが、結婚まではこぎつけなかったという。
(我輩さまが)大好きな加藤健一いわく。

「俺の[結婚前の元カノ]は聖心だ、
皇太子の美智子さんが出た聖心女子大の女の子で、
こりゃあキツカったなあ。あー、この世の中にはやっぱり階級ってもんがあるんだなあ。
俺がどう求めても、こういうエレガントな女は、
俺ンとこへは来ねえだろうなあって、
かーなりいい雰囲気まで行ったけどなあ、勇気なかったなあ」


山田太一さんって女性の自由解放を描いたとされる「人形の家(主人子はノラ)」の
イプセンのようなあつかいを長らく受けているが、
実像はイプセンのライバルだったストリンドベリ的要素も
たぶんに持ち合わせていたのではないか?
一流商社部長で長男を
重役の娘と政略的に結婚させた(つまり自身も重役直前の)男は娘に言う。
この男くらいで手を打っておいたらどうだ? 
おまえもすでに27歳で価値がそれほど高いわけではないだろうと古手川祐子に。
いいから、現実的に手を打て、わが娘よ。

「いまつき合ってる[埼玉農家の]男と結婚する気がないなら、
そういうつき合いは長くない方がいい。
[見合い写真を見せながら]こいつは、東京工大を出て、新科学工業へ入った奴で、
将来性はこの前の男よりあるらしい。
顔はあまりよくないが、逢うなら、来週の日曜日に予定を組むといっている」


人間は「金、顔、肩書」の3Kだが、そんな現実は見たくない。
なぜなら現実はそうであるから、にもかかわらずそうと認めたくないから。
短大と高卒なんか、当方の感覚からしたらおなじだが(大卒も院卒も)、
そういう細かな格差にこだわると生活感があると朝日的絶賛を受けるのだろう。
弟が一流商社部長の娘とつきあっている久松(加藤健一)と、
同居するその農民階級の埼玉の母親(幾子)との会話から。
ダ埼玉の老婦人、幾子は息子の久松に言う。

幾子「口惜しいじゃないか」
久松「なにが?」
幾子「誠次[次男]は、あの子と一緒になりたいと思ってるだろ」
久松「いや、だから、俺はそう思ってたけど」
幾子「つり合わないとかいってる」
久松「ああ」
幾子「向こうがなんだっていうの。こっちの方が余程収入多いんだよ」
久松「そりゃそうだけど――」
幾子「一度家を見て下さい。家族に逢って下さい。
 本人二人がつり合わないと思っている程、お宅さまと家に差があるかどうか」
久松「本人たちは本人同士のつり合いをいってるんだって」
幾子「それだって短大と高卒だろ」
久松「そうじゃねえって」
幾子「じゃあ、なに?」
久松「いや、それもあるよ。女房が仮にも大学出てて、
 亭主が高卒だってことも問題がないとはいえねえけど」
幾子「そんなもん」
久松「育ちが違うでしょう。食いもんでもつき合いでも趣味でも、一緒になって、
 本音をぶつけ合い出すと、そういうとこがあんまりちがうと、
 たしかに、たまんなくなるとこあっからね」


山田太一ドラマを良識的だと絶賛して、
野島伸司ドラマを罵倒する朝日新聞読者がいかにものを自分の目で見ていないか。
山田太一はドラマに階級差別感情をこれでもかとか書きつけているのである。
多数派の庶民、下層民などこの程度にすぎぬと。
わたしは、山田太一先生は朝日賞とは正反対の作家だと思う。正反対の作家だと。

(関連記事)
「東京の秋」(山田太一/ラインブックス)
1993年(平成6年)にNHKで放送された90分×3回の山田太一ドラマを視聴する。
9年まえにシナリオで読んでいて、ストーリーを細かくブログに書いていたため、
かなりのところ内容を記憶しているのである(映像は見ていないが)。
あらすじ紹介って一見かんたんな気がするけれど、じつはそうとう難しい。
40歳を過ぎてもだれにもほめられたことがないから、
自分で自分を厚顔にも礼賛すると、わたしは物語や書籍内容の要約がうまい気がする。
来年1月10日以降また無職になるけれど、
仕事がら本を読む必要がある人で、
しかし忙しくて本を読む時間がないという高収入の人に雇ってもらえたら。
本を読んで内容を正確に短文でレポートする仕事があれば速読はできるし、
読書経験豊富な当方にはぴったし、なんちゃって。
法人収益を税金で取られるくらいならわたしを有効利用するのも手ではないか?
まあ、世の中そんなに甘くないのは知っているつもり。

山田太一ドラマ「秋の一族」は孤独な人たちの物語。
唯一、孤独ではないのは、
美人の女房(原田知世)が臨月で出産目前のイケメン工員(大鶴義丹)。
ふたりが電車でラブラブハッピーを見せつけている。
孤独な会社員がいて、それを見て腹が立って、足を出して臨月の妊婦を転ばせる。
それを見ていたのは夫のイケメン工員だけだった。なにをしやがるんだ!
ブルーカラーの大鶴義丹は研究所会社員でホワイトカラーの男性をボコボコにする。
全治、4ヶ月だかなんだかの重傷を負わせてしまい収監される。
示談も可能だが、それには謝罪と医療費実費、示談金100万が必要だという。
本当に悪いのはあっちだろう? 
どうしておれが謝罪して金まで払わなきゃいけないんだ?
しかし、証拠もないし、証人もいない。
大鶴義丹は「正しい」こと「本当」のことを求めて、
臨月の美人妻がいるのに示談に応じようとしない。
このままだと実刑である。

大鶴義丹の父は元商社マンだったが、リストラされいまはパート(緒方拳)。
母は10数年まえ、自分の人生を生きたいと
夫と子どもを捨ててシンガポールで成功した女性実業家(岸恵子)。
久しぶりに日本へ帰ってきていたというタイミングもあり、岸恵子は
いろいろ元夫(緒方拳)、息子(大鶴義丹)、息子の嫁(原田知世)の世話を焼こうとする。
緒方拳は無職で孤独なため、ほろっとしかかるが、
岸恵子から5、600万融通できないかと言われ現実を知る。
この家を担保にしたら銀行から5、6百万借金できるでしょう?
さんざん夫たる自分を罵倒して、いわば家族を捨ててシンガポールに行った女性は、
いまむかしを懐かしむようなことを口にしながら、
しきりに接近してくるが結局のところ目的は金だったのか。
ドラマのラストは原田知世が出産し、家族の結束の結果、
孤独な男性が自分の罪を認め、
ただただ「さみしい」からという理由だけで、
緒方拳は元妻の岸恵子に金を工面してやり、復縁、商売の手伝いを申し出る。

わたしは世間とは金のことだと思う。世間知らずとは金の価値を知らないこと。
あらゆる問題を解決するのは法律でも人情でもなく、金ではないかと思う。
世間を知らないものほど、わたしのように人情びいきのようなことを口にして、
人生は金ではないというそぶりを取りたがる。
しかし、人生も世間も、どこまでもどこまでもお金の話とも言えるのではないか。
お金の関係で人と人は絆(きずな)をつくり、そこから人情のようなものが生まれる。
あらゆる人間関係の出発地点はお金と言えるくらい金銭は重要なものだと思う。
しつこいほど繰り返すが、世間とは金銭の価値体系の総合であり、
世間を知る処世人とは金の価値(同時に無価値)を限りなく知った人であろう。
人が自分に近づいてくるのは、自分の魅力ではなく、
裏には金銭事情があるのだから、うぬぼれてうっとりするんじゃねえ。
金がある人のもとに人は寄ってくるが、世間とはそういうものである。
わたしはほとんどだれからも相手にされないが、
それは金がないためだと思えば、おのれのプライドは傷つかない。
お金がうなるほどある成長企業の敏腕経営者、
シナリオ・センター小林幸恵社長のもとには人がひっきりなしに集まり称賛礼賛の嵐だが、
かの女性成功実業家(実際は二代目の利権保持者だが)に
「厚顔」と罵倒された格下の、貧困が足元まで迫っている中年のことはだれも関心がない。
金を持っているやつが偉いのである。それが世間を知るということだ。

山田太一さんとおなじでわたしもセリフ重視派である。
俳優はシナリオ通りにセリフを言えと思っている。
しかし、視聴者はシナリオ台本がない。
そのためどうセリフが言われたかは視聴者それぞれが解釈するしかない。
「正しい」セリフはあるのだが、その通りに役者が言っているかもわからず、
さらに視聴者がセリフをそのまま聞いているとは限らない。
どのセリフをどう聞くかは視聴者の自由と言ったら聞こえはよいが、
人生経験や言語体験(読書体験)に支配される。
工場労働体験のないものとあるものとでは、おなじ工員のセリフも聞こえ方が違うだろう。
結婚体験のあるなしもそうだし、出産経験、離婚経歴も解釈に影響を及ぼすだろう。
ほぼシナリオで内容を知っている山田太一ドラマ「秋の一族」を視聴しながら、
わたしは自分の耳に残ったセリフをメモに記録していた。
シナリオを見返したら、「正しい」セリフはわかるのだ。
しかし、あえてそれをやらないで、
わたしがわたしの人生来歴から耳にしたセリフを書き残してみようと思う。
それは事実ではないかもしれないが、わたしにとっては真実である。
わたしはこのようにセリフを聞いたという意味においてだ。

「もっと現実的になっているかと思った」
「本当はどうだったかなんて関係ない。証明できなきゃ正義ではない」
「意地はってなんになる?」
「ちゃんと幸福になってやる」
「正しいことのためにがんばるなんて、ドラマの主人公みたい」
「どっちが正しいのか?」
「(元商社マンの)おれは仕事をクビになりパートをやっても仕事人間になる」
「事実を知りたい」
「証拠がなくたって信じるってところがどうしてないのさ?」
「(ホテルの)格を落とすと足元を見られる」
「親ならなにをしてもらっても当然なの?」
「人生、正しいことが通らない」
「クビになって(そのうえさらに)しょぼくれたくない」
「子どものことを心配しないで、自分、自分、自分」
「さみしいんでしょう?」
「いいか、常識では――」
「ものすごく人間ってひとりぼっちなんだなあ」
「立ち入らなけらば、ブルックナーが好きでもいい」
「(あなたの)役に立ちたい。本当のことを言わせてみたい」
「女性が怖い」
「(ドアを、こころのドアを)開けてください」
「本当は(人間みんな)バラバラ。そんなものよ」

わたしは孤独感の強い、さみしい、ひとりぼっちの人間で、
しかしドアを開けたくて人に立ち入ってみたいところもたぶんにあり、
そういうことをして相手から拒絶され、おのれの非常識、世間知らずを恥じ、
もういやになっちゃうと思うが、
そういう自分のような人間を描いた山田太一ドラマを見て、
「人間の喜びと悲しみ」とうめきながら、生きているのも悪くないと自分をごまかす、
めんどうくさい自意識を持った、ありがちなタイプの人間なのだろう。
晩秋のいま視聴したドラマ「秋の一族」はよかった。
3日働いたあとに晩酌しながらドラマを1回ずつ全3話見て、
休みの今日つまらぬ感想を書いた。しみじみ悪くない。

(関連記事)
「秋の一族」(山田太一/「月刊ドラマ」2003年6月号/映人社)

なにかおかしい。エラーが起きている気がする。
もしかしてわたしはもう死んでいて、この世にいないんじゃないかというミスマッチ感が。
世界規模のエラーに巻き込まれているのではないか。
わたしって存在しているんだろうか。
わけがわからなくなってきた。エラーが起きている。
わたしが生きている証拠ってどこにあるんだろう。地球規模でエラーが起きている。
世界システムがエラーを起こしている。世界のミスを見つけてしまった。
わたしはミスではなく、ミスターである。
1985年(昭和60年)に日本テレビで放送された単発ドラマ。
そこそこ収入のあるもてない中年男女が結婚相談所を通じて出逢い、
お互いの趣味や嗜好がまったく合わないのにもかかわらず(双方相手をお断り)、
しかしほかにだれにも相手にされないのでひとりでさみしくてたまらなく、
この孤独の寂寥感から逃れられるのなら喧嘩相手でもほしいと思って、
なかばやけくそに恋愛感情抜きに結婚する身もふたもない物語である。
このドラマに登場するもてない中年男とおなじ41歳だが、
いまだに世間のことがよくわからないから山田太一ドラマをおもしろく感じるのだろう。
世間知らずなため正義の朝日新聞の主催する朝日賞を受賞した、
当方から見たら世界最高レベルの劇作家の作品から世間(日本社会)を学ぶことが多い、
教わっているというよりも、こちらの人生経験が増したため独学できることが増える。

世間というのは感情(人情)と契約(常識)のバランス感覚なのだと思う。
人間関係は人情と契約に二分されると言ってよい。
わたしは今年派遣で働いていた大手スイーツ会社で契約上(法律上)は
してはならない強制休日を命令されたが、
そこの会社へはいろいろな人情で働いていたので怒りを感じなかった。
契約ではなく(そもそも契約がよくわからない派遣雇用)人情で働いていた。
さすがに年齢と性別からして近所でもっと条件のいいバイトは探せただろうが、
派遣会社の人や同僚に人情を感じていたから双方の自然な着地点まで
毎朝早起きして交通費も全額出ないなか、日給約7千円のために働いていた。
むかしは雇用関係は義理人情が主流だったけれど、
いまは契約重視(コンプライアンス)でしょう?
わたしはコンプライアンスよりも義理人情のほうが肌身に合っているが、
しかし去年バイトした大会社子会社で上司からプライベートの酒席で、
毎朝1時間サービス早出を1年くらいしたら契約社員にしてやると言われたときは参った。
30分でもいいと言われた。実際、タイムカードのないその職場で、
副工場長は毎朝30分以上サービス早出をしていた。
「やる気」がないと叱られることが多かったが、
世間知らずのわたしは「やる気」がサービス労働のこととは知らなかった。

同僚の60歳を超えるバイトのチーフは、
毎朝2時間レベルでサービス早出をしていた。
西洋的契約とは異なる日本的人情の世界に生きていたのだろう。
だが、どうしてもわたしは近所なのに毎朝1時間早く出社することができなかった。
そこは大会社だけあってバイトも有給を取れたのである。
コンプライアンス重視のいまでさえバイトのぶんざいで有給を取れるところなんてあるか?
契約期間中にもかかわらず退職勧奨をされ(まあ威圧恫喝されたわけだ)、
世間知らずのわたしは自己都合退職(一身上の都合で……)に追い込まれたが、
ありがたくもバイトにもかかわらず法令通りに有給を全消化させてくれた。
わたしの直近の先輩のYさんも恫喝退職勧奨で辞めさせられたそうだが、
彼はおそらく有給をぜんぶ使えなかったのではないか。
いきなり工場長からまったくいきなり突然に退職勧奨されたのだが、
その直前に副工場長とプライベートでの何度もの酒席を経て、
「これからはおれと土屋さんとは友達だ」と言われ、
私用の携帯電話の番号を教えてもらっていた。
友情は契約(雇用)関係ではなく、人情の世界である。
わたしが工場長から退職勧奨をされたとき、副工場はなにもしてくれず、
本社に抗議したらペーパーの面において、
「友達宣言」をした男は正社員として所属する大会社の味方をしたが、
こちらとてそれに絶望するほどの世間知らずではなく、
やっぱりなあと思っただけである。

答えのない問いだが、人間関係ってなんなのだろう?
職場では親しくしていても、
一歩そこを離れたら怖くて口のきけない関係も多々あるわけだ。
職場では夫婦のように仲のよかった男女が、職場以外で逢ったらどもりどもりになる。
職場では先輩後輩の関係からお互い抑制していても、
プライベートで逢ったらめちゃくちゃ本音を言い合える親友になるかもしれない。
むかしは雇用関係(契約)と人間関係(人情)をほどよく中和する飲み会や
社員旅行があったのだが、いまはそういう日本的行事は嫌われている。
雇用(契約)関係にあるあいだは、
わたしをクビにした工場長も女性チーフも威張っていられる。
しかし、近所でたまたま対面したら、そこはもうなんの関係もないから、
法律ぎりぎりのことができるわけである。そこでするかしないかは当人の人間信頼問題。
山田太一の好んでテーマとする孤独というのは人間関係が乏しい状態のこと。
働けば、契約(雇用)関係を結べば、どんな人とも接することができる。
だが、それは社会常識の領域の世界である。
契約関係では会話できる男女がプライベートでは言葉も
交わせないというのはままあろうし、それが世間の実相のような気がしている。
友情は仕事のような契約関係ではないからいつ切られても文句は言えない。
とはいえ、5年、10年の友情関係があったら、それは半端な雇用契約関係よりも強い。
どうして人が恋愛関係では不満で結婚したがるかというと、
結婚には不安定な恋愛にはない法的契約があるからとは考えられないか。
いまさらなにをそんな常識を指摘しているのかと笑われるのを承知でいう。
よくも悪くも人が結婚したがるのは法的契約による安心のためではないか。
結婚は感情(恋愛)と契約(法律)が複雑にからまった人間関係だからおもしろい。
おもしろそうなものはとりあえず経験したいのだが、相手がいない。

ドラマ「ちょっと愛して…」に登場する孤独な中年男は、
当時でいまのわたしの倍以上の年収があり、
ルックスも数倍いいのに(そりゃまあ俳優だから)いくら見合いをしても断られる。
孤独な中年女も仕事ができ、当時で男同等の収入があるのにだれにも相手にされない。
さみしい。さみしいから逢いたいと言われると、これはデートかもなんて思って、
忙しいなかわざわざ休みに男女は逢うが、お互い気に食わない。
男が誘って浅草の大衆割烹(とシナリオには書いてあったが実際は居酒屋)で
ふたりは昼から酒を飲む。女がいやだというのを男が無理やり誘った。
もてない中年男は光一で、もてない中年男は秀子。
光一と秀子は最初のお見合いでコーヒー1杯660円もするホテルのカフェで逢った。
断わって断られて、しかしふたりはさみしいから、ただそれだけで再会する。
下町居酒屋で真昼間から酒を酌み交わす、もてない中年男女。

光一「こういうとこ、いいだろう?」
秀子「ええ」
光一「結局そうなんだよ(と盃を出す)」
秀子「あ、失礼(と徳利をとる)」
光一「日本人が気取ったってはじまんないんだよ。ホテルとかいってさ、
 つっぱらかって歩いたって、白人が通りゃあ、ドーッと見おとりしちまう。
 そりゃそうなんだよ。ホテルってのは白人が考えたもんだろ、
 そういうとこは白人が似合うように出来てんだよ。
 日本人はこういうとこよ。こういうとこへ白人が来てみなよ。なんか場違いだろ。
 ところが、俺たちは、ピターッと決まっちまう。ハハハハ」
秀子「フフフ」
光一「パリとかロンドンとか、すぐそういうこという奴大嫌いなんだ。
 行ったこともねえくせに」
秀子「私――」
光一「あるんです、パリも、ロンドンも、ローマも」
光一「そんなもんは、どうせ三泊四日ぐれえで」
秀子「十七日間でした」
光一「似たようなもんじゃねえの。サーッと匂いかいで来たようなもんだろ。
 そのくらいで、行ったとかなんとか、すぐいいたがるのは、
 俺、まったくやんなっちゃうんだよなあ」
秀子「いいたがるわけじゃないけど」
光一「そいでもって外国の音楽なんか聞くんだろ?」
秀子「はあ?」
光一「聞くなっていうんだよ。無理するなって。
 本当にいいと思ってるわけないんだから」
秀子「そうかなあ」
光一「日本人はこれよ(と流れている歌のない歌謡曲を指し)こういうのは、
 シミジミーッと心に沁みてくるけどよ。外国の曲がよ、
 日本人に分るわけがねえんだよ(流れている曲に合わせて、途中から歌いはじめる)」
秀子「(複雑な思いで見ている)」


同年齢のおれは、もてない中年男の光一の気持がよくわかる。
3歳のころから親の見栄でバイオリンを習っていたけれど、
西洋古典音楽にはまったく興味がなく、
けれども日本の通俗歌謡曲だったら数度耳にしたらすぐにバイオリンでひけたからさ。
もしかしたらものすごい神童だったかもしれないわけだ~よ(妄想の自覚あり)。

もてない中年女はおなじく独身の女友達に愚痴をもらす。
山田太一の人間関係への認識はとても鋭く、
もしかしたらこの親友の同年代独身女性が結婚を阻害していたかもしれないのである。
結婚したら(友達)付き合いは悪くなるでしょう?
あいつが結婚したのなら自分も、
と影響を受けやすいのがわれわれの長所でも短所でもある。
仕事ができる、しかしもてない中年女は、
もてない中年男の領域(居酒屋)に連れ込まれたのが悔しい。
バカにすんなよと思う。秀子はそれをおなじく独身の女(雅子)に向かっていう。

秀子「いいたいこといわれて、どうしてたと思う?」
雅子「ひっぱたいた?」
秀子「笑ってたのよ。ほほえんでたのよ。 微笑浮べて、いいたいこといわせてたのよ。
 ここンとこ十年近くなかったデートのチャンスをこわしたくなくて薄笑い浮べて、
 バカみたいにうなずいて、感心したような顔してたのよ(と泣いてしまう)」
雅子「分るよ。その気持分るよ(と肩を抱く)」


いまも原則は変わらず、女は落としたい男がいたら、
男なんて基本的に自慢話しかしないから、それをフンフン聞いていたらよろしい。
逆はおそらく真ではなく、男は女の話をフンフン聞いていたら、
そのくらいの男と見下され、ほかへ興味をうつされることだろう。
さてさて、もてない中年男の光一がアグレッシブなのである。
どうしておまえはそんなに結婚したいのかさっぱりわからない。
もてない中年女(おばさん)の秀子はデパートの紳士服売場の主任だが、
そこに光一が来たら(恋愛=人情とは別に契約=仕事として)対応しなければならない。
おそらくこういう人情と契約の定まっていないところを利用した商売が、
キャバクラやクラブ、ラウンジ、ホストクラブなのだろう。
契約でありながらどこか人情が割り込める余地がある。
そういうところを利用するしか、
いまは(お見合いがないから=世話焼きババアがいないから)
プライベートで男女はめぐりあえない社会構造になっている。
職場でちょっとなんか言おうものなら、すぐにセクハラ、パワハラだ。

話をドラマに戻すと、もてない中年男女はお互い好きな世界にいたらいいのに、
周囲の視線(これを常識とも世間ともいう)にこらえきれず、
好きでもない相手の世界に踏み込んでいく。
同年齢かつ同種族の光一がフランス料理店を嫌いなのはとてもよくわかるが、
彼が偉いのは中年女(これをババアという)
に誘われたら大嫌いなフレンチにも金を払うところだ。
こじゃれたフランス料理店に誘われたもてない男はババアに一発かます。

光一「笑わしちゃいけねえよ。
 大体、こんな店、お前、ほんとに好きか?」
秀子「ほら、またそういうこという」
光一「これで三千円だと、サラダが七〇〇円だと。
 バッカバカしくて食ってられるかよ」
秀子「雰囲気を買うのよ」
光一「何処がいいんだよ?」
秀子「いいじゃない。灯りひとつとったって」
光一「鏡見ていってくれよ」
秀子「そんなことよく。よくそんなこといえるわね」
光一「俺は、そういうたちなんだ。気取ったりされると頭へ来るんだ
 (自制しつつとまらなくなり)フランス料理なんてのは、
 似合う奴が食えばさまになるけど」
秀子「へえ。じゃ格好の悪いフランス人は、フランス料理食べちゃいけないの?」
光一「当り前じゃねえか」
秀子「当り前だって。無茶苦茶じゃない。無茶苦茶、よくもまあ」


光一はまるでそっくりそのままおれみたいなやつなので笑える。
しかし、我輩さまよりもよほどましな顔面偏差値と収入を持つ、
しかも結婚願望のあるやつが結婚できないのはおかしいと義憤にかられていたら、
最後はもてない醜い中年男女がいやいや結婚したみたいで、
残尿感のようなもどかしい気持はあるものの、ある意味でのカタルシスは得た。
41歳になってもテレビドラマから学ぶことがあるなんて、
ぼくちんはどれほど世間知らずのお子さまなのだろう。

1.山田太一ドラマ=世間(会社)=人情&契約

2.山田太一ドラマ=結婚(家族)=恋愛&契約


(関連記事)
「ちょっと愛して…」」(山田太一/「月刊ドラマ」2003年6月号/映人社)
コメント欄で告訴をしろとかあおられたが、ひとつまえの記事は正義の告発ではない。
底辺の労働環境はこうなんですよ、とおもしろおかしく紹介したエンターテイメント。
怒りはないのかって、世の中そんなもんじゃないんですかって話。
騒いだってどうにもならないし、かえって悪目立ちすると、
こいつはめんどうくさいと思われて使ってもらえなくなる。食い詰めてしまう。
「世の中そんなもの」「人間そんなもの」は山田太一ドラマの定番台詞で、
ファンの当方も気に入っており、よく脳内アナウンスをかける言葉である。
金がないってことはキンタマをにぎられているようなもので、
上からなにをされても文句は言ってはならないのである。
嫌いな言葉は正義で、わたしはかなりの不正を現実的に見逃すことができる。
青臭い正義を振りかざすことのない現実的なところがわたしの長所である。
会社が不正しているのを見ても、
そんなことを大事(おおごと)にしたところでどうなる?
社会不正にいちいち憤るよりも、世の中そんなものと思ったほうがストレスにならない。
安倍首相の森友・加計問題だって、人間なんてそんなもんじゃん。
自分の血縁や仲間にはおいしい思いをさせあげたいのが人情ではないか。
有名作家や有名脚本家のお子さんが、
いい会社にお入りになられるのは仕方がないでしょう。
わたしだって利権を持っていたら、自分と親しい人にまわしてあげたいと思うもの。

理想は理想としてあっていいけれど、
現実は理想論ではどうしようもなく現実的に処理するしかない。
いくら理想とは違うと騒ぎ立てても現実はいまあるようなものでしかないのだから。
いまのバイト先に入るときの自己紹介書に記入した長所は「現実的である」。
それはこういう意味なのである。
正義を振りかざさないし、社会慣習的な不正は見逃すし、
現実をそのまま受け入れますよと。
最後までわからなかったのはシフトを向こうの都合で削られ、
じゃあ、もう供給も意味不明だし明日から来ませんと言ったら、
それは契約に反しているからしてはいけないとコージーコーナーから言われたこと。
わたしは派遣でコージーコーナーとはなんら契約を交わしていなかったのだが。
しかし、まあ現実はそんなものなのだろう。
あそこで働いた4ヶ月くらいはいま思えば貴重な体験だし(朝6時半起床!)、
昔日をセンチメンタルに懐かしむという感覚でもう一度北戸田に行ってみたい。
大晦日とかに呼んでくれたらとても気持よく1年を振り返られるのだが、
コージーコーナーさんは下へ理不尽な命令をするのはお好きだが、
下のお願いはさすがにそうそう聞くわけにはいかないのが現実なのだろう。
北戸田はもう1回行ってみたいが、コージーの川口工場は二度と行きたくない。
テレビライターの山田太一さんとおなじでスーパーが大好きである。
見知らぬ土地に行く機会があったら、
まず地元のスーパーをのぞきたいという思いがある。
スーパーの商品はコンビニとは異なり、地域ごとにかなり異なると思う。
いま住んでいる場所は、スーパー激戦区である。
徒歩圏内にあるスーパーを並べ立てたら――
マルエツ、カズン、コモディイイダ、ライフ、オリンピック、オーケー、ベルクス♪
最強の布陣、最高の生活環境と言ってよかろう。
いまご近所さんで働きご近所さんの声を聞く機会に恵まれているが、
ここに引っ越してきたときすすめられたカズンは評判がよろしくないらしい。
あまり行かない新参のベルクスの評判がけっこういい。
コモディイイダはあん肝を売っているのが長所で(そのほか珍味も)、
カズンはとにかく庶民っぽい泥臭さがある。
マルエツが意外に評価が高く、わたしも近年見直しているところがある。
オリンピックはたまに中国産うなぎを半額で買えることがある。
オーケーは川口店のような圧倒的な濃さに乏しい(訪問回数は1回のみ)。
ライフはなんかお高くとまっている気がする(安いものは安いのだが)。
ベルクスは今日5回めくらいの訪問で、半額食品を試食のため少量購入。
サーモンハラミの刺身は目にしたのは初めてで買ってみたが、
「えんがわ」のパクリのようなオイル臭にがっかりした。
自家製ぬか漬けのようなものもあったので買ってみた。
安くておいしいものを口にしたい。
人生のいわば季節にしたがい、
欲望が大量に散っていった枯れ木の中年男の最後の望み。
わたしはたまたま住むことになった浮間舟渡がいまでは大好きだ。
浮間舟渡は東京と埼玉の境界で、
しかしまだ都民という変なこだわりのあるところがいい。
川を越えたら埼玉だが、ぎりぎりで東京都民。
それがわたしの好きな、そしてほとんどの人が知らない浮間舟渡。
浮間公園はいいよお。
やべえよって叫びたくなるくらい最近の幸福感はすさまじい。
バイトは10時からだから早起きしなくてよく、朝ゆっくりだらだらできる。
毎朝7時まえに起きるのは地獄かと思うね正直。
目覚めゆっくりぼんやりしながら、
年内は試してみようと思っている数珠セットの法華経読誦。
本場のリズムを知っているため、
朝ここだけはものすごいスピードでやるから3分クッキングの世界。
バイト先には自転車で行っていたが、座り仕事をさせていただく時間もけっこう多く、
これは太ると思って歩いていく。
法華経さまの功徳か、行方不明だった自転車のカギは見つかった。
大きな公園の紅葉をながめながら10分程度の徒歩通勤するのだが、
この幸福感が半端ない。
わたしは春の桜も夏の花火も嫌いで、秋の紅葉の深まりがいちばん好き。
2時間働いて安価で美味な仕出し弁当を手にしながら、
またのんびり散歩気分で帰宅。
昼休みには食器を洗ってネットをして、晩酌のもう一品、二品の準備をする。
仕事後はやる気にならないけれど、
仕事中の昼休みだと食器を洗うのもつまみの用意も高速でやれるこの不思議。
今日の晩酌のメインはなんだろうと仕出し弁当の中身をチェックするこの幸福感。

また10分かけ、にこにこ紅葉を楽しみながらバイト先へ。
いまのバイト先へはなんの不満もない。
いままでの派遣労働体験からすると、
自分だけこんないい思いをしていいのかと複雑になるくらい。
詳細は書かないが、日々いろいろ社会勉強している。
いま本当に欲望が枯れ葉のように散っている。
むかしのように女にもてたいとも、出世したい有名になりたいとも思わない
(これがかならずしもいいと思っているわけではないけれど)。
しかし、心の平安、平和、静寂は秋というほかない。
バイト先から帰宅したら、むかしから好きな山田太一ドラマを見たり感想を書いたり。
人生でもう(やれることで)やりたいことはすべてやったような気がする。
やりたいこと、好きなことを思うぞんぶんに若いころやったなあ。
それでもか、それだからか、いま秋の幸福をしみじみ味わっている。
今日(昨日?)の仕出し弁当は白飯ではなく混ぜご飯で驚いた。
これは久しぶりで本当に嬉しい。
いまいいなあ、秋はいいなあ。
冬も待ち遠しく、しかし春のことを考えると、いや考えないことにしよう。
いまだけでも、いまもいまの静謐な幸福感をたいせつにしたい。
2001年にフジテレビで放送された2時間ドラマ。
肉体労働者の38歳の女性(田中美佐子)が11歳年下の元ホストのイケメンを、
恋愛はめんどうくさいからという理由で、金銭の契約で交際するものの、
彼から「結婚する」という嘘の告白をされ動揺するが、しかし、
結局はイケメンも11歳年上の田中美佐子に恋していることがわかり、
年齢差収入差こそあれ美男美女が結ばれるというハッピーエンド物語。
山田太一さんはよくもこんなアベコベ物語をつくれるものだと感心した。
常識では肉体労働をするのは男で若い女を買うのは男でしょう?
しかし、このドラマでは女が肉体労働をして稼いだ金で若い男を買う。
男は男らしくしろとか、女は女らしくとかいやじゃん。
そうしないと世間ではうまくいかないのはわかるが、けれどにもかかわらずそれでも。
どうして男女がどっかに行ったり飲んだりして男が金を払わないといけないの?
わたしの実際の顔を見たらふざけんな嘘をつけと大笑いされるだろうが、
わたしは女性との交際費で相手に出してもらったことのほうが多い。
いまでは肉体労働は男がするものとあきらめているが、
むかしどうして同時給で男ばかりきつい仕事にまわされるのか不服だった時期がある。
男は男らしくしなくてもいいんじゃないか? 女は女らしくしなくてもええのやないか?
そういう非常識なドラマをむかしフジテレビが放送した。

いいドラマだったと思う。本当にいいドラマだったと思う。
だから、シナリオを参照して見返したりもしているのだ。
リアリティーってなんなのだろう?
38歳の外壁クリーニング会社の共同経営者、バイトはふたり、それが田中美佐子である。
田中美佐子の飼う(買う)のは、ホストクラブで出逢ったイケメン27歳。
条件は1ヶ月の家賃+生活費15万。
見た感じ最低でも家賃は5万、生活費15万、交際費10万。
そうなると月30万の遊興費の支出だろう?
いくら収入があったら、月30万以上も払って若い異性を買えるのだろう?
わたしは派遣で出逢った早稲田政経卒のエリート会社員から、
「土屋さんはお金の話しかしない」と言われたくらいお金に興味がある。
金銭欲はさほどないが(?)、世界(世間)はお金だという認識が強烈にあり、
このため、世界・世間=お金に尋常ならぬ好奇心を持っている。
はっきり言って、お金ほど関心のあるものはないかもしれない。
いったい毎月いくら金が入れば、年収がいくらなら、
若い異性を月30万払って買える(飼える)のか?
あそこは有限会社だろうし、バイトもふたりだし、経営規模から考えて、
どうしたって田中美佐子は若いツバメを買えないような気がする。
ちなみにこのドラマの演出をしたのは、
山田太一さんのお嬢さんでフジテレビの超絶エリート、
まさに世間を知らないという言葉がぴったしの、
おいしい人生を満々遊歩してきた一流も一流、
育ちも学歴も収入も超一流の宮本理江子女史である。
ちなみに弟さんの自称撮影監督某氏は、
あのあいどん先生からもバカにされるくらいの高卒低収入芸術家(だがイケメン)。

このたびフジテレビの超絶エリートで芸術家でもあり、
結婚もして子どもにも恵まれているスーパー成功者の宮本理江子さまが
ご監督をなさったお父上のシナリオ作品を見て、
山田太一作品としては感動をしたがお嬢さまのお嬢さまぶりにウフフンだ。
お金がわかっていないんだよ!
住んでいるところ、食うもの、着るもの(以上3つは演出の領域)で非常に脇が甘い。
おまえ、お金に苦労したことがないんだろうというのが、もろにばれてしまう。
いい家庭に生まれて、いい学校に入って、いい父親のコネでいい会社に入って、
いい結婚をして国からも芸術賞をもらって、いい人生を歩んできた女はいいなあ。
わたしも世間を知らないことではかなり能天気ぶりがあるけれど、
こんな当方から世間知らずを指摘されるエリートの宮本理江子は天才である。
シナリオは言葉しか書いていない。
それを映像化(実写化)するのは演出家の監督さまである。
そんなきれいな仕事をして、あんな大金をばらまける収入を得られるかなあ、
という疑問がそもそもわかないのだろう。
フジのエリートだったら年収1500万くらい当時でいっていたのか?
しかし、手取りはいくらだ?
夫婦でダブルインカムだったら若い男を買える(飼える)くらいの余裕はあったのか?

わたしは世間(=お金の価値)をよく知らないというコンプレックスがある。
このため、他人のそれにも嗅覚鋭く気づくのだろう。
月15万って、週5で必死で働いてわれわれがきつく汚い仕事をして得られる収入よ。
そっから家賃を払って、税金を払ったらなにも残らない。
わたしの労働環境では、みんなそんな感じで細々と、しかしそこそこ明るく生きていた。
そこから見ると月30万若い異性に払える仕事が、
あのきれいな外壁クリーニングだとはとうてい思えない。
――おれさ、いま最高に最低にいやな顔をしているんじゃないかしら?
自分は世間を知っているというような、鼻持ちならないドヤ顔をさ。
わたしはとてもとてもそんな偉そうなことを言える庶民ではありません。
むしろ、宮本理江子さんのほうが世間を知っていて、だから女の夢のようなドラマを、
だれも軽んじられない巨匠・山田太一のシナリオに逆らって演出したのだろう。
フジのエリートの宮本理江子は父親のシナリオをいくつも無断で改変していた。
ここも変わっている、ここも変えたのかといくらでも指摘できる。
業界雑誌「月刊ドラマ」のインタビューでオヤジの山田太一は、
セリフを変えなかったからそれでいいと言っていたが、
綿密に検証してみたらベテランの小林稔侍、渡辺えり子は、
無数にセリフを自分の言いやすいように言い換えていた。
田中美佐子と要潤はセリフをシナリオ通り正確に言っていたのとは対照的だ。
フジテレビのエリート女性演出家は、
巨匠のシナリオも変えられる度胸自慢をしたかったのか?
それは父親だから怒られないという甘えがあったのかどうか、
父娘ご両人以外はわからない。

2017年にこのドラマを見たときには、痛快のひと言だが、
2001年に放送されたときに視聴した自分の感想はわからない。
インタビューによると山田太一は、
当時流行していた援助交際に刺激されてこの逆転物語を思いついたという。
ちょっと金がある中年男が女子高生を金で買うのなら、
アラフォー女子が若いイケメンを金で買ってもいいのではないか?
よくはないかもしれないが、そういう現実もあるいはありはしないか?
40前後の性欲ってどのくらいあるんだろう、男も女も?
そんなに性欲、みんなあるんすか? 
と仰ぎ見るような感覚がドラマ作者からは感じられる。
一般的に性欲は男のほうが強く、だから女を買うとされているが本当はどうなんだろう?
アダルトビデオとかどこまでが本物なのだろう?
いまは女の性の売値が安いけれど、それを見た血縁のものはどう思うのだろう?
娘のAVとか母親のAVとかへたをしたら見てしまう可能性があるわけでしょう?
田中美佐子だって若いころにヌードになっているが、
それを見た血縁者はどう思うのだろう?
若いころの田中美佐子のヌードって、いまの若い子の裸よりもよほどソソルよねえ。
このドラマを2017年に見て、あの人って田中美佐子に似ていると気づいた。

38歳の田中美佐子は2001年に「恋愛は面倒くさい」という。

「大体、こんなはずじゃなかったの。恋愛とかさあ、そういの、
面倒くさいし、信用できないし、ろくなことないから、
パッとね、わり切って、金銭払った分だけのつき合いって
――そうすりゃあ、相手がどう思ってるかなんて関係ないし、
払った分サービスして貰って、倦きたら切る。
そういうの、いいと思ったのに――今だって、
愛しているとかそういうんじゃないかもしれないんだけど――まいったわ。
なんか、穴があいたみたいになって――なにやってもむなしくて――」


わたしは義理人情とかそういう世界は大好きだけれど、
それは自分がすべてを金銭化している醜さの裏返しなのかもしれない。
わたしは自分でもいやになるくらいお金へのこだわりと無頓着さが並行して同時にある。
お金の話が大好きだから、人情の世界に逆説的にあこがれるのだろう。
女とはつねにワリカンかおごってもらう。おごったら援助交際になっちゃうじゃん(笑)。
男らしくないのだろう。
いまではサイゼリヤやジョナサンならおごる(かっこう悪さをさらに出している自覚はある)。
このドラマでは男らしい50歳の小林稔侍がヒモの若いイケメンに説教するシーンがある。
男は男らしくしろ。男は仕事をしろ。
結果、仕事をクビになって女房子供から逃げられ、
田中美佐子の運転する車めがけて自殺しようとするも、
それも気合いが足りないため失敗した小林稔侍(卓次)とヒモ(克=かつ)の会話。

卓次「なに考えてんだ。あの人から、金とったって? 男がそんなことするなよ」
克「女ならいいんですか」
卓次「女だって悪いよ。金とってそんなことするなよ」
克「――」
卓次「[ジュエリーデザイナーの夢を追っている若い克の](彫金を見て)なんだよ、これ。
 こんなことして遊んでんのか?」
克「仕事ですよ」
卓次「食って行けんのか?」
克「いけませんよ」
卓次「どうしようもねえじゃねえか」
克「金稼がなきゃ、どうしようもないですか」
卓次「当たり前だろ。甘いこといってんじゃねえよ。
 女から金貰って生きていけるほど世の中甘かねえんだよ。
 俺なんかずーっと、死んじまうんじゃねえかと思うほどずーっと働いて、
 妻子やしなって、それで(とドアの方へ)」
克「それで、どうしたんですか?」
卓次「それで?(と止まる)」
克「ずーっと働いて、妻子やしなって」
卓次「帰ろうとすると、なんかいうな」
克「馘(くび)ですか」
卓次「お前にいわれたくねえよ」
克「どん底だっていうから」
卓次「馘だよ、妻子に見はなされたよ。死んじまおうかと思ったよ。
 死ねなかった。これでいいか。楽しいか。ザマァ見ろか。
 いくらでも笑いやがれ(と出てドアを閉める)」
克「――」


ある派遣先で知り合ってもう一生逢わないだろう2歳上の男性のことを思い出す。
自分は本職は不動産の営業マンで妻子もいる優秀な人間である。
たしかに好人物で仕事も的確で、ほほうと思ったものである。
次の正社員の仕事も決まっていると言っていた。
しかし、仕事終了後の飲み会で、酔っぱらった彼は本当のことを口にした。
本職もなにもない派遣バイトだったし、次の仕事もじつは決まっていないし、
妻からは愛想をつかされてひとり暮らしであることを。
なんで男は男らしく強がらなければならないのだろう? 
弱音を吐く男や女に甘える男もいてもいいのではないか?
女々しく現実的に金銭にこだわると、恋愛も結婚も援助交際だろう?
金がない醜い中年男なんてだれが相手にするんだよ!
人生は金だ、金、金、金。
きっと山田太一もそう強く思っていたから、そんな自分が嫌いで、
そうではないふりをする自分のような庶民を好んで描いたのだろう。
きっとそうだろう。夢のためとかいって、
小遣い銭にもならないシナリオを、
何度も何度も上の言いなりに書き直す人への嫌悪感があったはずである。
わたしはお金の価値をよくわからない世間知らずだから、
山田太一ドラマが好きなのだと思う。同時にお金の話は大好きである。
女の話なんかよりもはるかにお金の話に興味を持つ。
でもでもでも、田中美佐子の若いころのおっぱいもええなあ。
女って自分の裸で欲情されるとどんな気がするんだろう?
そのことへの想像力がいちばんエロスを感じる。

(関連記事)
「この冬の恋」(山田太一/「月刊ドラマ」2002年3月号/映人社)
いまさっき山田太一ドラマ「この冬の恋」を見終わった。
40歳を過ぎて小指の先ほど人生体験を積んだいまだから思うことがいろいろあった。
そんなものは要約すれば、やっぱりすげえぜ山田太一なのだが。
山田太一は好きだが倉本聰先生の脚本作品は苦手である。
倉本聰の庶民礼賛は、いやだなあと思ってしまう。
関係あるのかないのか、倉本聰は東大卒で山田太一は早稲田。
わたしは浪人しても東大に入りたくて東大受験対策ばかりしていたが落ちて、
なぜかまったく過去問もやっていない早稲田の一文に入れてもらえた。
ぶっちゃけると、早稲田くらいなら選択問題の偶然や運で入れるのだ。
長らく早稲田は嫌いで、早稲田なんか入っていると、
庶民さまから逆差別を受けると思っていた。しかし、いまごろ母校愛にめざめた。
おそらく履歴書に東大卒と書いたら、おまえバカにしているんだろう、
ふざけんな、とあらゆる努め先で採用してもらえなかったのではないか?
早稲田レベルなら、まあ運でも入ることができるから許せる、みたいなさ。
完全完璧パーフェクトな人は好かれないところがあるのではないか?
ミスを白状することで、先輩や上司からこいつも仲間なんだと思ってもらえる。
いやね、先週の金曜日も帰宅時のタイムカードを押し忘れて、
今日もうっかり忘れてしまった。やべえやべえ、おれおれおれ。
しかし、早稲田を出たのにこんなチョイミスの連続は、
想像外に親近感を持ってもらえるのではないか?
こいつダメだなあと思ってもらうことから始まる人現関係もある。
あえて弱みを見せるとキャラができ仲間として受けとめてもらえるというか。
本ばかり読んできたから生活能力はないし実務はまったくの不得意なのである。
今日も仕出し弁当はうまかった。
かき揚げと生姜焼きとオムレツ、その他おかずが3、4品入って350円なんて。
明日も弁当が楽しみだから生きる。
こいつ、どうしようもねえなと思われ(短期ながら)みなさんの仲間入りをしたいから、
タイムカードの押し忘れを「またか」と思われるのを覚悟で申告する。
いま生きているのってけっこう楽しいかもしれない。
派遣バイトと直接雇用バイトのどちらがいいかと経験的に言えば後者。
派遣経験は相当にあるけれど、
派遣会社にはそこそこ感謝するが、ぶち込まれ先には恩義のようなものをいだきにくい。
どうして企業が高額な労働者を派遣会社に注文するかと言ったら、
ハローワークに出してもだれも応募してこないからである。
かといって、タウンワークに募集を出すのは高いし、
出しても応募が来ないリスクを考えると確実だが高額な派遣会社に依存せざるをえない。
そのうえ直接雇用はなかなかクビにできないが(大和ハウス関連はその限りにあらず)、
派遣なら雇い止めの責任は派遣会社におっつけることができる。
派遣は直接雇用より時給が50~100円高いが、そのぶん直接雇用から恨まれる。
なかには派遣ばかりになった会社もあるが、
そういうところはもはやカオス(混沌)である。
なぜなら直接雇用の上司と派遣の先輩後輩関係が逆転してしまうからだ。
派遣なんか取るより時給をあげて直接雇用を求めるほうがいいのだが、
そうすると古株直接雇用の時給を超えてしまうので、どうにもできない。
労働者だってピンハネされる派遣会社経由よりも、
短期でも直接雇用になったほうが上司や同僚と信頼関係ができやすい。
ぶっちゃけ派遣会社の悪口はあまり書けないが(お金をもらっているから)、
コージーコーナーの内情やひどさはいまからでもいくらでも書ける。
まあ、シュークリームは安くておいしいのだけれど、スイーツ♪

いまのところに雇ってもらえて本当にありがたい。
今日先輩同僚さまからも言われてまったくそうだと思ったけれど、
凡人は働いていないとろくでもないことを考えるようにできている。
この点において引きこもりニートは天才的なのである。
働いていれば、よほど育ちが悪くないかぎり、
仕事のために健康に留意して時間を守る(会社に迷惑をかけたくないと考える)。
土日が空いてひさびさに仕出し弁当で晩酌したが、これは楽しみだなあ。
今日は串カツやら麻婆豆腐、明太マヨサラダの味が気に入った。
まあ、貧乏舌なのだろうが、
万民の気に入る日本食を出さなければならないという条件のなかで、
350円では見たことのない充実ぶりと言えよう。
夏に派遣で働いたパチンコ会社の社食もうまかったが、家に持ち帰れない。
あそこはいままでしたいちばんきつい肉体労働で、
しかも夏で体力的にはしんどかったけれど、なぜか楽しかったという思いがある。
わからないのである。
なんでいきなりあのパチンコ会社の派遣に応募する気になったのかも、
いま雇っていただいている会社に履歴書を持って行ったのかも、よくわからない。
気づいたら、そういう行動をしていた。
自分ならぬちからが働いていたと言ったら大げさすぎるのはわかっている。
とりあえず年内は大丈夫そうだ。
来年わたしがなにをするのかいまの自分にはわからない。
わからないことをわかっている。どうなるかわからないことをわかっている。
山田太一ドラマ「タクシー・サンバ」第2話「愛のかたち」の話をしたい。
1981年(昭和56年)にNHKで放送されたタクシー営業所を舞台にしたドラマである。
タクシー仲間の連帯の強さを描いたドラマという角度でとらえることもできる。
こういったら俳優に失礼になるのかどうか、
いかにもいかにもどうしようもなくモテなさそうなルックスの
タクシーの運ちゃんがいるのである。キャスティングとしては最高である。
病身の母がいるとかで嫁のキテがないが、あきらかにルックスがあるだろう。
何度見合いをしてもうまくいかない。
当時のタクシー運転手といえば、そうとう稼げる職業だったにもかかわらずだ。
そこで既婚中年の班長がおせっかいを焼いて、
これはお似合いではないかという若い女性(榊原郁恵)を見つけて、
そんなことをするのは人生で初だが見合いを設定してやる。
さすがにこのモテなさそうな男と若くてかわいい
榊原郁恵とは吊り合わないだろうと思うが(ミスキャスティング!)、
タクシー運転手と弁当の移動販売車のバイトでは収入的にはOKなのかもしれない。
当時は25歳を過ぎると女性は嫁のもらい手が減少したというし、
そのうえ女性の社会進出はぜんぜんだったから、
この程度で手を打てよというところが社会常識だったのかもしれない。
おかしいのは子持ち中年の班長さんがもう嫁との関係は冷え切っているのに、
同僚の若者に嫁を世話してやろうというところである。
モテない不細工と榊原郁恵は見合いではどちらも断ったが、
その後偶然にも再会して、まあこの程度かなあ、と付き合いを始め、
はああ、ひとりでいるよりはいいかと結婚しようということになる。
そのことを報告され怒るのが班長である。
自分が見合いを設定してやったのに断っておいて、
その後に結婚するなんてふざけている。
なにより憤懣を感じるのは、おまえらがまったく愛し合っていないのに、
お互いさみしいからというようないいかげんな気持で結婚しようとしていることだ。
そりゃあ結婚して数年も経てば愛はさめるだろうが、
結婚するときくらいこの女が世界でいちばん、
この男が世界でいちばんと思ってしろ。
おれはおまえらがそう思うまでこの結婚を許さないからな!
そういう障壁ができたことで盛り上がったのかふたりは愛し合い(本当かよ?)、
見合い結婚ではなく恋愛結婚をするにいたる。

もうひとつの愛のかたちは緒方拳である。
元エリート商社マンで仕事に夢中になって女房子供から逃げられた。
会社からも見放され、人間不信になりいまはタクシードライバーに身をやつしている。
たまたまタクシーに乗せた若い美女(大原麗子)が自殺願望を持っていることを知る。
金で解決できることなら金を貸そうと言い出す。いくら必要なんだ?
大原麗子は200万だと言うが、当時の200万円がいまのいくらかはわからない。
大金であることはたしかだろう。
大原麗子は悪い男につかまっているという。好きだという。
元プロ野球選手で脚光を浴びたが、2年で怪我をして引退。
しかし、華やかな過去を忘れられず地道に働こうとしない。
一発当てて世間を見返してやりたいと思っているのか、
元は社長秘書をしていた大原麗子を水商売で働かせ、
しまいには身体を売らせようとまでする。
なぜなら商売で失敗をして200万の借金があるからである。
いくら情がうつった男の命令でも見知らぬ男に身体を売るのはいやだ。
大原麗子が自殺をしようと思った理由である。
元エリート商社マンの緒形拳は120万しか貯金がない。
タクシー会社の社長に80万円貸してくれと頼むが断られる。
緒形拳は自分は人命救助をしたいだけなんだと言い張る。
たたき上げっぽい老社長は、緒形拳に向かってあなたは世間を知らないと言い放つ。
緒形拳はサラ金で金を借りてまで200万をつくり大原麗子に渡す。
そのかわりあの悪い男とは別れろ。もっと自分をたいせつにしろ。
金を渡したあと緒形拳は大原麗子と一発やる。
緒形拳は仕事に身が入り、いい恋愛をしていると呑気(のんき)なものである。
だがしかしけれども、大原麗子は元プロ野球選手とよりを戻してしまう。
借金はいつか返すと住所を書かない手紙をタクシー会社に託して。
大原麗子はイケメンでしっかりとした元商社マンの緒形拳よりも、
ろくでなしと言ってもよいプロ野球くずれのインチキ野郎を愛していたのである。
金や安定、ツラではなく自分の気持に忠実になった。
それを恋愛と言っていいのかはわからない。

いったいどちらが本物の恋愛なのだろう?
計算打算で見合い結婚を恋愛だと思い込み結婚するのと、
人さまの厚意の200万円提供を裏切り悪い男についていくのと、いったいどちらが?
むかしこのドラマ脚本を読んだときにはどちらもうさんくさかったが、
いまではどちらも本当にありえるようなことではないかと思う。
結婚なんてしょせんは「金、顔、肩書」の吊り合いでしょう?
むかしは世話を焼く人がいたけれど、いまは個人情報なんたらで人間関係が希薄になり、
結婚相談所を儲けさせるしかない。
そうなると相手を年収、顔面偏差値、会社レベルという数字で判断するしかなくなる。
いまは本当に希少ケースだろうが、
共依存のような数字を無視した「愛のかたち」もなくはないことを、うーん。
いまはとっくに縁を切って詳細は知らないが、むかしニートをしていたバカ男がいて、
そいつが女とよろしくやっているのを聞いて心の底からむかついたが、
そういう現実もあるのかと世間を知ったような気になったものである。
しかし、やはりドラマの元プロ野球選手には好感を持てない。
本当に相手のことを考えたら、自分と交際するのは損なのだから、
格が上の緒形拳が現われた時点で200万をもらい身を引くべきだったのではないか?
それが本物の「愛のかたち」ではないか?
さてさて、最後に根性が悪いことを書いておくと緒形拳は笑える。
人命救助、人助けをしたいと思って200万を女に渡して逃げられるのだから。
一発200万なんて価値のある女がこの世に存在するのかよ。
美人局(つつもたせ)に遭ったようなもんじゃないか!
しかし、もしかしたらこれが本当の本物の「愛のかたち」かもしれないのである。
愛情は金に換算できる(慰謝料!)というのは世界の真実ではないかもしれないが、
世間の実相であることをおそらく知らない大人はいないだろう。

元エリートの緒形拳(朝田)がたたき上げの老社長(大島)に借金を乞うシーンから。

大島「こりゃあ、尋常な額ではない」
朝田「はい」
大島「貸すと思ったかい?」
朝田「あ、いや、ただ、いまの営業収入なら、無理すりゃあ、五ヶ月で返せます。
 御迷惑は、出来るだけ、かけません(一礼)」
大島「外国で――」
朝田「はい」
大島「随分きつい仕事をして来たということだが」
朝田「―― いえ、(と小さく)」
大島「やっぱり一流商社だねえ」
朝田「は?」
大島「世間を、知らない」
朝田「そうでしょうか?」
大島「(普通はとても)貸しませんよ。八十万は」
朝田「はあ(と目を伏せる)」
大島「返すかどうか、なんの保証もない」
朝田「しかし、返さなきゃあ、タクシーの仕事は出来なくなります。
 ブラックリストにものって、逃げ回ることをになります。
 八十万で、世間をせまくするのは、割に合いません」
大島「そんな事はあなた、なんとも思わないのがいくらでもいる」
朝田「はあ」
大島「理由を……聞きましょう」


世間知らずの緒形拳は大原麗子と出逢ったいきさつを話す。
タクシーに乗せた女が自殺をしようとした。200万必要だという。
自分は120万ある。あと80万あればひとつの命を救える、といったようなことを。
世間を知った苦労人の老社長は貸せないという。

大島「早い話、私が死のうとして、あなたが二百万貸すかい?」
朝田「死のうとした所に出くわせば貸すと思います」
大島「いい女でしょう?」
朝田「いえ――」
大島「言葉の端々で、相当いい女だってェことが分る」
朝田「まだ二度逢ったきりです」
大島「二度逢えば充分。私なんか一度で惚れた女が、いくらでもいる。ハハ、ハハハハ」
朝田「そんな――」
大島「女狂いに、金は貸せません。運転に、気をつけて下さい」


緒形拳はサラ金で80万を借り女に200万渡して一発やらせてもらい逃げられる。
そういう世間を知らないところがまるで自分みたいでうっとりするぜ。
ちなみにわたしは若く美しい大原麗子にまったくこころ惹かれなかった。
比較したら榊原郁恵のほうがいいけれど、
当方にはタクシー運転手ほど高額を稼げる甲斐性はない。
元プロ野球選手のような過去の栄光も、
一旗あげたいという野心も(むかしはあったがいまは)ない。
そもそも女をだまして惚れさせるような魅力がさらさらない。
女を利用して金を得るという世間知、交際術も持ち合わせない。
なんにもない、わたしわたしわたし。
同性愛者ではなく、男よりは女が好きだが、
そもそも特定個人に執着するということがほとんどない。
このため、こんな人間嫌いのわたしを夢中にさせた作家・山田太一は偉いのである。
しかし、そこは執着がなく、山田太一さんと個人的に知り合いになりたいとは思わない。
ちょっとお話しできるようなチャンスをかつて、
一部で有名な例のあいどん先生がつくってくれたが、直前で逃げた。
さて次はあいどん先生の推す「ちょっと愛して」を見ようか、
それとも「この冬の恋」を見ようか。
どちらもシナリオで読んでいるので、
テーマ(のようなもの)は「恋愛は本当か嘘か」であることを記憶している。
既婚の人はバツイチでもすごい偉いと仰ぎ見たいところがございますですね♪

1981年にNHKで3回放送されたドラマを視聴する。
去年のいまごろジェイコムの日本映画放送チャンネルで放送されたものを録画。
それを1年経ってからようやく観るのだから遅い。
すでにシナリオで読んでいたので、ついつい優先順位が後回しになってしまう。
いい大学を出ていい会社に入って
仕事人間の敏腕商社マンとして生きてきた男(緒形拳)が、
妻子に去られ会社から仕事を評価されず切り捨てられ(つまり挫折を知り)、
一流からそうではないとされるタクシー業界に入り(ひとりでできる仕事だから)、
かえって一流のエリートだった時代には思いも寄らなかった庶民の人情を知る――
という山田太一ドラマには類似したものが複数ある、いわば定番の物語である。
テレビを見るのは多数派の庶民だから、
ドラマは「庶民>エリート」「庶民>インテリ」を描くものにならざるをえない。
インテリやエリートが格下の庶民の美しさに感動するといったら嫌味だが、
それを自然に書けるのが山田太一の才能だったのだろう。
氏は早稲田を出て映画会社の松竹に入ったインテリでありエリートだが、
出身は庶民階層でたしか血縁で大学に行ったものはひとりもいないとどこかで聞いた。
庶民だからインテリにあこがれ難しい本を読むが、
おのれの生まれである身分階層=庶民をどうしても捨て切ることができない。
「タクシー・サンバ」を書いたころの山田太一さんはもう名が売れたライターだったから
きっと収入もそれなりにあったはずで、しかし、
こんな原稿用紙を汚すだけで大金をもらっていいのかというためらいもあったはずである。

どうでもいいわたしの話をすると、
タクシーの運ちゃんになりなさいよと言われることがある。
人の話を聞くことが好きだし、世間を知りたいならタクシーがいいよと。
ところが、光り輝くゴールドの運転免許証(AT限定)はあるけれど、
20年のペーパードライバーでいまやどっちがアクセルかブレーキかも忘れた。
土地勘もないが、いまはカーナビがあるが、それでも自信がない。
いまはタクシーはカーナビ完備だからベテランもなにもないらしい。
タクシーは嫌いでタクシーに乗るくらいなら1時間でも2時間でも歩きたいが、
よんどころない事情でタクシーに乗ると
ドライバーから身の上話をされることがちょっと異様なほど多い。
それも大病や身内の死といったディープな話をされるのである。
タクシーに乗るタイミングは絶対的な偶然だから、
これはだれにも仕組めないはずなのに、そういうことがどうしてかよくある。
わたしは人の話(言葉)を聞くのが好きだからいい世間勉強になる。
そうそう、このまえ近所で道に迷ったというおばあさんから、
家族の物語を20分近く立ち話でうかがったこともある。

インテリで当時エリート花形ライターだった山田太一は、
がしかし庶民派階級出身ゆえかならずやタクシーに乗ることに抵抗があったはずである。
しかし、仕事の必要上、乗らざるをえない。
たしか山田さんは車を運転できないはず。かりに免許を取っても運転がうまそうではない。
どうしてたかが売文屋にすぎぬ自分が、
タクシー運転手より高額のギャラを稼いでいいのか?
自分は庶民をだますドラマを書いて食っているが、
本当の世界つまり世間というものを知っているのはこういう人たちではないか?
そのような屈折した自らのインテリ性と庶民性の葛藤が、
山田太一にこのドラマを書かせたのだと思う。
脚本家はドラマを書くまえタクシー会社の取材をしたという。
忘れられない体験だったという。エッセイ「いつもの雑踏 いつもの場所で」から――。

「で、取材をはじめた。その取材は、十六、七年になる私の
ドラマライター暮らしの中でも、特別忘れ難(がた)い取材であった。
とりわけある中堅クラスのタクシー会社の営業所で一夜をあかした時の楽しさは、
以後つい何度も誰彼となく話したくなってしまうほどであった。
営業所の隅(すみ)に腰かけさせて貰って、三時すぎあたりから
ぽつぽぽつと帰ってくる運転手さんたちの仮眠所へ行くまでの動き、
会話をそれとなく見させていただいたのだが、
第一にあんなに明るいとは思わなかった。
朝の八時から深夜まで働いて帰ってくるのである。
疲れて、不機嫌に入って来るとばかり思っていたのだが、
日誌と金を持って入って来る運転手さんたちの誰もが、実に陽気なのにおどろいた。
一人だけ追突されて、客を病院に連れて行った人がいて、
その人はさすがに営業課長にがっかりしたような顔で説明し相談していたが、
あとは大声で、笑い声が絶えない。
計算を終えて課長に金を渡した人も、なかなか仮眠所へ行かない。
いなくなったかと思うと、自動販売機からカップ酒や缶ビールを買ってきて、
のみながら現れる。そして、その日にあったことだの、
次の休みにゴルフに行く話だのを大声で話す。
その会話の面白さに、私はほとんど顔をあげる暇がないくらいであった。
メモをとっていたのである。
次々と面白い「台詞(せりふ)が」出てくるので、
勿体(もったい)なくて書き落とせないという気持であった。
こういう運転手さんの生活を、みんな知らないな、と思った。家族の人だって知らない。
それをなんとかドラマの中で再現したいと思った。
出来たら一回分営業所だけでも面白く見せられると思った」


これは参与行為、
つまりインテリで同時に庶民派の山田太一の耳があったからかもしれないのだ。
人間は他人の目、他人の耳を強烈に意識するところもなくはないだろう。
その場にひっそりといたインテリでありながら楽天的で陽気、古い言葉だがネアカ、
軽薄とさえ言われかねない山田太一の耳が、場を明るくしたのかもしないのである。
山田太一は耳の感度が強い作家ではなかったかと思う。
タクシーなんてお客を乗せて降ろしての繰り返しである。
タクシーのみならず、海外勤務の商社マン(緒形拳)なら話は別だろうが、
基本的にどの仕事もおなじことの繰り返しでつまらないものである。
しかし、そのマンネリズムにもよく見れば、よく聞けば喜びと悲しみがあるではないか?
ちっぽけな喜びでも大笑いして、ちょっとした悲しみなんて笑い飛ばしてしまおう。
それが庶民に持って備わったおおらかさであり、生きる知恵ではないか?
小さな喜びでもおおげさに笑おう。ささいな悲しみなんか笑い飛ばしてしまえ。
それがなにごとも深刻に考えがちなインテリやエリートとは異なる庶民のちからだ。
踊れ。サンバでもルンバでも盆踊りでもいい。踊れ。笑え。なんでも明るく笑え。
しんどいときでも笑いを忘れるな。泣いてもいいが、そのあとに笑え。微笑を忘れるな。
踊るように生きられたらどんなにいいことか。
山田太一は固有の耳で聞いた言葉を自分の言葉に翻訳して、
ドラマ「タクシー・サンバ」を書いた。
わたしがどんな低賃金仕事でもけっこうおもしろがれるのは、
山田太一ドラマを深く愛してきたからかもしれない。いまも愛しているからかもしれない。
おかげさまで目と耳の能力が少しだけ上昇したのかもしれない。
朝日賞作家と自分を同等に置くのは恐縮だが、
わたしは山田太一とおなじで、
インテリの言葉も庶民の言葉もメモしたくなるようなケチでゲスな貧乏人根性がある。
まだまだ録画して視聴していない山田太一ドラマがある。
山田太一ドラマには始まりの定番台詞がある。それはなにかというと――。

☆「余計なおせっかいかもしれないけれど(立ち入っていいのかという迷い)」

(関連記事)9年まえにシナリオを読んだときの感想↓
「タクシー・サンバ」(山田太一/「月刊ドラマ」1982年1月号/映人社)

ある人からある巨大宗教団体女子部で、
かつてこういう指導がなされていたと聞いたことがある。
新幹線はグリーン車に乗らなければダメ。
なぜなら、グリーン車に乗らなければグリーン車に乗るような男と一生出逢えない。
聞いたときはいかにもあそこっぽいなとゲラゲラ笑ったけれど、
日々老年や貧困に近づきながら人生経験を増していくと、
そういう指導は本当のことではないかと思えてくる。
一流は一流でつるむし、三流は三流同士で群れるようなところがあるのではないか?
絶対結婚して子孫を残しちゃダメという貧困男女が、
一流製作の恋愛幻想(まあテレビだ)にだまされ
結婚して子どもを生産して貧困を連鎖していく(それともアニマル遺伝子本能か)。
どうして貧困を自分で食いとめようと思わないのか?
それはそもそも一流のものを知らないからだろう。
貧困はいいとも悪いともいえる。
貧困の人たちは貧困ゆえ善知識を得る機会がないから、当然の権利も主張しない。
富裕層が大金をもらってもするのをいやがるようなきつい仕事を、
さしたる不満もいわずに、それどころかそういう仕事にこだわりをもって、
先輩ならば後輩をいじめながら、どこまでもまじめにまじめにまじめにやってくれる。
そして、これは当方41年の人生経験の主観だが、貧困状態の人ほど明るく親切だ。
中途半端に金や肩書を持ったやつほど意地悪で逸脱思考をしがち。
グリーン車に乗れという指導はバカバカしいが、ある面での真実だろう。
たとえロレックスの腕時計をしていても、わたしのような貧困者にはそうとわからない。
金持の村上龍が好きなアルマーニのスーツも、わたしには識別できない。
今日、ネットオフへ古本を12箱売るため14~16時に待機していた。
佐川急便が集荷に来たのは15:57。
待っているあいだ暇だったので近所の佐川の社員やバイトの給料を調べてみた。
あんな重い書籍満載の段ボールを運んで、このくらいなのか驚いた。
額面はそこそこあってもいろいろ引かれた手取りを考えるとぞっとする。
わたしは一時期、ある佐川女子のファンだったが、佐川急便は大家族主義らしい。
佐川男子も佐川女子もみんなおなじ雰囲気を持っている。
佐川男子と佐川女子が結婚して、さらなる佐川っ子をつくるのだろう。
佐川女子でさえ高嶺の花という自覚は持っている。
だから、貧困思想の連鎖はしない。グリーン車には乗らない。終わり。おれで終わり。
インターネットってほんとうは恐ろしい世界なんだ~よ。
うちのブログの読者さまがどのくらいいらっしゃるのかさっぱりわからない。
アクセス解析がおかしくて、ここ数年検索ワードで来たものはほぼゼロよ。
そんなことありえないっしょ?
たしかにむかしよりははるかに検索ワードで上位にのぼることがなくなったとはいえさ。
読者さまの男女比とか年齢層とか知りたいがわからない。
まあ、だれもうちのアマゾン広告経由でものを買ってくれないということだけはわかる。
予測では読者は男性の高齢層が多いような気がする。
なんでもいまの若者って読書離れどころかパソコン離れが進んでいて、
長い文章は好奇心を持って読めないような脳構造になっていると聞く。
しかし、インターネットは革命的である。
むかしだったらわたしの言葉は世界に伝えようがなかったのである。
せいぜい新聞の読者の声みたいのに、偽善めいたことを書くしか手段がなかった。
いまはわたくしごとき低収入非正規孤独バカ中年でも、
ネットを用いればいちおうは言葉を世界へ投げかけられる。
言葉というのはその機能性のひとつとして伝染性を持つのである。
影響力のある強い言葉を目にしたり耳にしたりすれば、
それがおのれのリアルでの発声やネットでのメッセージ発信に現われてしまう。
まるでウイルスのようにだ。
あるところで読んだ言葉、聞いた言葉を気に入ってしまい、
自分も使いたくなるという傾向性が人間にはある。
われわれの世代はネット勃興期からネット世界を形成してきたといってもよかろう。
まだあるのか知らないが、いわゆる2ちゃんねる匿名世代。
言葉の世界の、世界の言葉の変容をせしめたのがインターネットという化け物だ。
働く楽しみのひとつはなまのなまなましいいきいきとしたセリフの採取だろう。
今日なんかもこのセリフで3日笑えるというなまの言葉を採取したが、
聞き取ったことを書いたらどこかでばれそうで、そうしたら用心されるので書けない。
過疎ブログがなにを言ってんだか、というのはわかっている。
わたしなんか好きな本ばかり読んできたから、なまの世間を知らないところがある。
そこになまの現実役者のいきいきとしたセリフが耳に入ると活性化されることこの上ない。
むかし戯曲(芝居台本)が大好きだったからか、
現実世界での会話も演劇のセリフのように聞こえてならない。
たまに笑いが込み上げてこらえているが、ばれているのかしら。
活字もいいが、なまの言葉はいきいきとして、
言語収集家としてはたとえ無報酬でも貯蔵できることに喜びを覚える。
なまのなまなましいいきいきとした言葉を耳にできるのは働く楽しみであり、
活字マニアにとっては趣味の言葉コレクション活動にもなるだろう。
言葉が好きだ。言葉を集めたい。世界(世間)とは言葉である。
全国のニート諸君へ働く楽しみを伝えるために、
年内いっぱい毎日ブログ更新しようかなあ。
常識と非常識ってわけがわからないよね。
わたしはどっちもしたことがあるけれど、応募アルバイト先へは
直接電話よりもネットで先方へ意思を伝えるほうが常識的だと思っている。
いきなり直接電話をしても担当者がいないことがあるでしょう?
それにネット経由だと年齢や性別を事前に伝えられる。
年齢的、性別的に無理な仕事に応募して面接してもらうのは双方にとって不利益。
ダメならダメと最初に言ってほしい。
当方の常識では、現代ではみんなネット世界にいると思っていた。
しかし、いまの職場で電話対応を聞いていると、
フリーペーパーのタウンワークやハローワークからバイト応募をしている人も少なくない。
あんがい思ったよりもネットって普及していないのかもしれない。
バイト先の場所なんてネットで検索すればすぐにわかるでしょう。
だが、道順がわからないという応募者がかなりいるようだ。
みなさん意外とインターネットと接続していないのかしら。
わたしなんかネットがいまでは常識だけれど、それは非常識なのかもしれない。
いまのアルバイト先ってけっこう応募者が多いようだ。
たしかに派遣ばかりの奴隷作業所よりははるかに感じがいいし人間味がある。
派遣ばかりの無責任な職場にもそれなりのおもしろみはあるのだが、
それは珍味を愛する変人だけ味わえるものかもしれない。
会社ごとに空気はいろいろでこちらの常識がひっくり返される。経験値が高まる。
いまの会社は好きよ。仕出し弁当が好きなだけじゃないかって言われたらテヘペロ。
フライが多いという中年には向かないところもあるけれど、
昨日はビーフストロガノフ(ハヤシライスのハヤシ)が入っていて、
久しぶりの味だなあと満足した。
今日は焼き鮭が入っていて、どうせ嫌いな塩鮭だろうと思っていたら、うまい西京漬け。
毎日、なにが出て来るかわからないから晩酌が楽しい。
とはいえ、それが常識ではなく、毎日おなじものを食べるのが好きな人もいるわけだ。
常識とか非常識とかわけわっかんね。
ニートのみなさん、常識も非常識もないから、べつに働かなくてもいいからね。
そして、働く理由が仕出し弁当でも同僚の異性が好きでもノープロブレム。
わかるということは、わけるということで、世界に名前を与えるのがわかるということ。
ものごと(問題)をパターンとして認識するのが受験的な理解するということ。
いまの職場はこれまでのところよりもちょっと高級なのかな。
派遣なんて取らないところだから、ネームプレートがない。
むろん、派遣ばかりの職場でネームプレートさえない監獄同然のところもある。
不安というのは、わからない、わけられない、区別できない、
パターン化できないというところから生じるのだと思う。
わたしが新しい職場に入ったときにまず見定めるのは名前とポジションだが、
どんな作業をするのかさっぱりわからないで入ったいまのご近所さんには
ネームプレートのようなものがない。
だれかがだれかに話しかけたとっさのセリフを記憶して名前を覚えるしかないのだ。
だれがだれだかわからない状態は非常に不安である。
だから、わたしは必死でまず名前から入り、だれが社員でパートか、
古参かどうかを全身を耳にして吸収しようとしている。
わからないのは不安だが、わかったら退屈のマンネリズムにおちいるというこの矛盾。
まだ入って1週間も経っていないが、いまがいちばん楽しいのかもしれない。
名前を知る(わかる)のが楽しいし、
まだまだ職場の全体像がわからないので好奇心が持続している。
わかったころに短期バイト終了になるのだろうが、それはそれでいいのかもしれない。
安定は退屈、不安は刺激的でエキサイティングとも言えるわけである。
希望は安定だとしたら、なかにはあえて絶望を求めるものもいるとは考えられないか?
働くと無限に社会勉強になるなあ。
今日、わたしが値札をつけたネックレスがひとつ8千円よ。
それはこちらが一日働いて得るゴニョゴニョ、ムニャムニャ。
わたしだったらこんなネックレスは百円でも買わないけれど、
8千円で買う人がいるから商売が成り立っているわけである。
商売の基本は安く買って高く売れ。
いまバイトしている会社がいくらでこれを仕入れて、いくらで卸しているかわからない。
高級腕時計の価値なんかブランド力(信頼)のようなもので、
原価はものすごく安いかもしれないわけ。
さすがにそういう裏事情はバイトには教えてくれないのだろうが、
ものの価値ってなんだろう。
けっこうな業界で生産者と販売者が直接やり取りできないわけでしょう?
たとえば魚を釣った漁師が血縁の居酒屋に直接送ったら安いけれど、
ふつうの料理屋はそういうことができないから、たとえば築地市場に行くのである。
とはいえ、いち商店がいち漁師と交渉できないわけだ。
身もふたもないことを言えば、相手を信用できない(支払い等)。
このため信頼のある仲買人が
必要となると思われる(慣習、業界の掟といった既得権益も)。
いいものを生産しても生産者はそのよさをアピールするプロではない。
このためよき営業マンを持つ仲買会社(商社)が利益を上げるのだろう。
ものすごい吸収率で世の中の仕組みを実地で勉強したいという思いがある。
だって、おもしろいんだもーん♪

安く買って高く売ればお金が入ってくるんだなあ。
お金が入ってきてもキャバクラに行って高いネックレスを、
おねえちゃんにプレゼントしたらすぐ金欠だ。
しかし、なんで交流コストが高いキャバクラ嬢なんか商売として成り立つのだろう。
人間って結局のところ見栄に行き着くのかもしれない。
人によく見られたいっていうか、人より優位に立ちたいっていうかさ。
ロレックスの時計はいらないが、あからさまなニセモノには興味がある。
ニセモノだって本人が本物と信じていたら、
相応の自己愛や自信が生まれるのではないか?
わたしは本物よりもニセモノを愛しているような屈折したところがある。
抹香臭い話をすれば仏教用語の「空(くう)」とは本物もニセモノもないということ。
朴念仁の釈迦の教えやその弟子を完全否定した大乗仏教がわたしは好きだ。
ニセモノだって人気が出て高く売れれば本物になるのである。
ロレックスだってGショックだってニセモノで、
多くの人があんなものをほしがるから(高値で売れるから)、
当面本物ということになっている。
埼玉の川口、それもバスでかなり時間をかけないと行けないというド田舎で、
日本語をろくろく話せない外国人や派遣たちが
アバウトな衛生環境でつくったスイーツも、
名称に銀座をつけたらそこそこ売れるのかもしれない。
しかし、どうして外国人がつくったケーキがまずいと言い切れるのか?
おいしいものはおいしいだろう。わたしは銀座コージーコーナーのファンである。
派遣で潜入して内情を知り、むかしから好きだったのがさらに好きになった。
けっこう影響を受けやすいところがあるのかもしれない。
いまのバイト先で2ヶ月働いたら高級腕時計がほしくなる可能性もないとは言えないだろう。
去年働いていたところの昼の仕出し弁当がうまそうで、
しかしわたしは過敏性腸症候群の傾向があり、昼に食欲はないのでランチは取らない。
今日行ったところも仕出し弁当を取っており350円だという。
去年のあそこは春になるころに勤務開始したから言えなかったことを、
冬間近のいま、あのときよりさらに厚顔無恥、図々しくなったわたしは言う。
昼の仕出し弁当を家に持ち帰って夕飯で食べてもいいですか?
ありがたいことにOK。うちとバイト先はチャリで5~10分。
なんでも今日仕出し弁当がひとつ余ったとのことで帰りにお土産にもらった。
ふつうそういうことは恥ずかしくてできないのかもしれないが、
わが節操のなさ、乞食根性は、どうだ見たか、おいこらええ!
職場の仕出し弁当っておいしそうだが一度も食べたことがないんだもん(そこはかわいく)。
いま昼の仕出し弁当をつまみにちびりちびりやっているが、これはうますぎるぞ。
おかずが7~8品も入っていて350円なんて酒好きは感涙するだろう。
どうしてスーパーやコンビニは500円取っても、こういううまい弁当を出せないのだろう。
おかずが少量でちょこちょこあるのがいちばん呑兵衛は嬉しいのである。
正直、食に飽きていた。
スーパーといってもどこも惣菜品は似たようなもので味に飽き飽きしている。
自炊といってもできる料理は限られている。
おかずたくさんの仕出し弁当350円はいいよなあ。しかもメニューは日替わり。
明日から毎日お願いして家に持ち帰って夜の酒肴にさせていただくことにする。
仕出し弁当屋さんって、どのようにして利益を上げているのだろう。
どうしてスーパー弁当やコンビニ弁当は仕出し弁当に勝てないのだろう。
しかし、現実的に大勝利しているのは巨大資本のスーパーやコンビニである。
生きる楽しみができた。
これは貧相で低能なわたくし個人の考えで、
まさか過疎ブログで消費傾向に影響を与えたいわけではない。
今日まざまざと知ったが、世の中には10万や5万もする腕時計があるんだなあ。
腕時計なんて時間がわかれば十分なのだから、千円、二千円のものでいいじゃん。
元プロレスラーの天龍が好きなロレックスの腕時計って最低でも20万するのかあ。
わたしはロレックスが1万円でも買わないと思う。
時計は時間がわかればいいし、服は着れたらいいし、女はやさしければいい。
メシにかぎっては腹がふくれればいいというわけではなく(栄養補給でもなく)、
安くてかつおいしいものを求めてしまう、
文学への興味では、ロレックス趣味のようなものがまだ少なからず残っている。
ギリシア悲劇やシェイクスピアを全作品読んだのはロレックス的な見栄である。
いまでも古典(ブランド)を読みたいと思っているのは、知的ロレックス趣味だろう。
古典を読んだということが自己愛や自信につながっていることは間違いない。
だから高級時計好きをバカにするのは同族嫌悪のようなところがあるのだろうが、
やっぱりロレックスをほしがる人というのがわからない。
高級時計のどこがいいのだろうと思うが、そこは人それぞれなのだろう。
わたしだって庶民の好きな吉野家の牛丼がまずくて食えないわけだから。
高級時計のひとつでもなくなったら、こちらの日給なんてふっ飛ぶのだろう。
明日からはカバンを持たないでバイト先に行こうと思う。
疑うのもいやだろうし、疑われるのもいや。
いま家の大掃除をしていて今日で終わるはずだったのだが、ぜんぜん終わらない。
今日ネットオフに本を大量の本を売るはずだったのだが、手違いが。
あそこは段ボールを6箱まで無料で送ってくれる。
それ以上の段ボールは自分で用意しろ。
で、6箱なんてかんたんに超えて調達した段ボールに入れる。
箱数が増えたことを電話で報告したついでに聞くと段ボールの制限があるらしい。
縦横高さ合計100センチメートル以内でないと佐川急便は持って行ってくれないらしい。
そんなことホームページに書いていないじゃないですか!?
それで予定を今日から今週の土曜日に延長。いま玄関段ボールの山積みよ。
ネットオフってどうなんだろう?
いつもはブックオフオンライン専門だったけれど、ネットオフで一度注文した。
そうしたら欠品があるのよ。注文したのに在庫がないって。
まあ、新刊でも買える本なんだから、そこはマイナス覚悟で新刊調達しろと。
しかし、ネットオフは在庫がないものはないのだから送らない。
問い合わせされるのもめんどうだから、とりあえず送るね、みたいなさ。
あれが関西(愛知)の乗りなのかしら。
ネットオフのいいかげんさはおもしろくて、今回買取を依頼したとき、
ネットでお願いしたらそのむねメールで返信が来ると聞いているのにうちには来ない。
コルセンに電話して聞いても、どうしてかはわからない。
大掃除して大量の本を売る金額なんてさほど気にしていないのよ。
手間を考えたら持って行ってくれるだけでもかまへん。

しっかし、段ボール10箱以上の本を捨てると決めるとさわやかな気持になるなあ。
つくづく思ったのは、くだらない本ばかり読んできたのかもとね。
もうちょっとましな本を読んできたら、けじめのあるまっとうな人間になっていたのか。
書籍って読んだときの想い出がまとわりついているから捨てづらい。
自死遺族として絶望していたとき、この本を読んで救われたなあ、とか思うとさあ。
本来なら今日で大掃除は終わり、
明日から新しい短期職場でファイトする予定だったのだが、
本の入れ替えも間に合わなかった。
ついに村上春樹や村上龍は捨てられたけれど、古典文学は捨てられないなあ。
これらを読んだことがおれのプライドみたいな腐った昭和老人意識があるからからか。
ドストエフスキー、トルストイ、中上健次なんてまったく意味がないとわかっているのにさ。
河合隼雄は捨てられなかったけれど、ひろさちやは適度に捨てた。
中島義道は捨てたかったけれど、たまに読み返すこともあるのでこらえた。
足で安価に集め、暇に任せて
大量読破した海外戯曲コレクションは宝物ゆえわが身から離せぬ。
雀鬼の本はほとんど捨てたなあ。
河合隼雄、春日武彦、小谷野敦、中島義道、植島啓司の
本ばかりたまっているのには微苦笑。

大掃除しているということは、もう「今年は終わり」態勢に入っている。
今年もいろいろ楽しかった。もう明日で「今年は終わり」でもいいくらいお腹いっぱい。
年々読書の質は下がっているが、生活者感覚が戻ってきている。
いま再読してみたらどう思うかという本がけっこうあり、むろんそういう本は捨てられない。
明日から新しい職場で2ヶ月の短期アルバイト。
いったいどんな人たちと出逢い、それがどのような当方の養分になるのか楽しみである。
むろんのこと、わたしなんかを雇ってくださった会社には短期でも誠心誠意尽くしたい。
年末年始にけっこう休みがあるけれど(12/30~1/4←大したことないか)、
派遣会社TのSさんにお願いしたら、
また北戸田のコージーコーナーにスポットで入れてくれるかなあ。
もう完全にお金目的ではなく、菊池さんや桑原さん一戸さんと再会したいという思いのみ。
みんな今年の1年はどうでしたかと目で会話したい。
派遣のミッキーやあっちゃんはまだいるのだろうか? 
趨(すう)さんや橋本さんも懐かしい。
今年はいい1年でした。
年々母の自殺というトラウマから離れるから、それは理の必然といえばそうなのだろう。
本年度はみなさまにお世話になりましたし、
なんだか2017年ももう少しあるようなのでしばらくお世話になります。
来年からは生まれ変わる、なんちゃって41歳独身アルバイト男性。明るい。
高校生、大学生のころ、サブカルのヒーロー、ヒロインのような人がいた。
ほら、エロ本で特集を組まれるような人っていったら男はわかるでしょう?
人間は白い表の部分だけではなく裏の黒い部分もあるからおもしろい。
ダークヒーローってかっこいいじゃん。
ハンサムで高収入で高身長、学級委員タイプで言うことはつねに世間的に正しい。
そういうやつがいるから世の中はまわっているのだが、ケッと思う部分もあるじゃん。
そこでヒールというか悪役というか、嫌われ者が必要となる。
うすぎたねえかっこうをした、インチキくさい、いかにもニセモノといった食わせ物。
いまはそういうバカがいないよねえ(世間さまが存在を許さない)。

東京より西に住んでいる人にとっては東日本大震災なんて対岸の火事だったでしょう?
うちは便所紙も水も即席麺も大量にあったから、まさに対岸の火事。
このまえの芥川賞で尊敬する創価学会の宮本輝先生が、
候補作のひとつを対岸の火事と評したのがネット匿名社会で叩かれた模様。
いやあ、それは輝パパが正しくて対岸の火事だって。
しかし、火事は野次馬を呼び寄せる不謹慎な魅力があるわけでしょう?
だから、もっと大量に燃やせば火は対岸から此岸(こっち)に渡ってきてわくわくするわけ。
わたしなんか近所で火事があると家を飛び出して見に行くけれど、そういうものよ。
対岸の火事と思わせないのがエンターテイメントの技術なのだろう。
火事場泥棒とか人の不幸にわくわくしているゲスだけれど、似たようなもんよ、わたしも。
当方のファンクラブ入会を拒絶してくださった、
紫綬褒章正義作家の宮本輝先生がどうだかはわかりません。
いまFC2というところでブログをさせてもらっている。もう12年だ。
いやな言葉だけれど古株。
なぜFC2ブログかっていうと、わたしはパソコンだめだめだから。
そのときの2ちゃんねる仲間だったムー大陸さんから、こうしろと手取り足取り。
いつしか12年もやっているんだなあ。
しかし、お友達ごっこは嫌いだからリンクはゼロ。
どこかのカテゴリーに入っていて、順位表みたいのもあるのだがまったく見ていない。
はじめた12年まえはランキングを見て、上に行きたいと思ったこともなくはない。
10年以上、FC2ブログをやっている人ってどのくらいいるんだろう?
どうしてみんなブログを更新しないことを申し訳なく思うのかも(だれも読んでねえって)、
閉鎖するときに大仰に宣言するのかもわからない(だから、だれも読んでねえ)。
「考えるための書評集」というブログが長年FC2ブログで人気のようだ。
たまに読んだりするが、いいブログだと思うが、作者はまじめすぎる。おもたい。
そこが人気なのだろうし、けっこうな齢っぽいし、どうこう言うつもりはない。
たしかこの「考えるための書評集」じゃなかったかなあ。
出版社から本を献本してもらっていると読んで、匿名ブログふぜいでと哀しくなった。
うちは実名ブログなのにそういう報酬がない。
でも、考えてみたら読みたくもない本を送られても迷惑なだけなんだよね。
今年うちもはじめて精神科医の春日武彦先生から新刊を送っていただき涙した。
そして、古くからの仲間(?)の「考えるための書評集」。
人気ブログのあそこと過疎ブログのうちの違いは、遊びのノリなんだろうなあ。
わたしもまじめに悩んだ時期も10年単位であったが
(いまもまじめに苦悩していなくもないが)、踊り念仏の一遍と出逢って吹っ切れた。
めんどうくさいことは適当にそのまま放置して、
うきうきしちゃおう、わくわくしちゃおう、楽しんじゃおう、遊んじゃおう、踊っちゃおう。
サンバでもルンバでも踊っちゃおう。イタリアーンで行こう。ラテン系で行こう。
今年になってからは逢いに行けるアイドルならぬ、
呼べば来てくれるブロガーを目指してハレンチにも携帯電話番号を公開。
土屋顕史(080-5188-7357)、踊りまっす。
好きな曲は「コーヒールンバ」「思い出の九十九里浜」「ヘビーローテーション」。
好きなドラマは「タクシー・サンバ」(←シナリオでは読んだが録画したジェイコムは未見)。
わくわくしよう、どきどきしよう、
楽しんじゃおう、笑っちゃおう、踊ろうよ、ラリラリノリノリPP夢冒険♪ それ、心に冒険を♪


来週から2ヶ月、近所で短期アルバイトをさせていただくことになった。
年内は遊びつくすのもいいかなあ、と思っていたのである。
わたしのメールボックスは毎日バイト情報が複数送られてくる(登録しているからよ)。
そのうちのひとつのメールを開けたら、近所だし10時スタートだし、いいなあと。
時給も1200円で現実としてこんなものというか、これでも高いというか。
履歴書を書くのは本当に嫌いで、しかし仕方がないから1年ぶりに書きました。
最後の大卒を抜いたほうが通りやすいんじゃないかなあ、と思いながら。
あちこちスポット派遣で行っているから面接に緊張のようなものはない。
多少は世間ずれしたところがあるのだろう。

参ったのは履歴書提出後にその会社のエントリーシートみたいのを書かされたこと。
「長所」とかあるんだぜ。
わたしに長所なんかあったら40歳を過ぎてアルバイトに応募していません。
「わたしに長所なんかあるかなあ」と面接官の部長さんのまえでつぶやく。
そういう厚顔なところが長所なのだろうが、まさか長所に厚顔とは書けまい。
で、なんて書いたかというと「現実的である」。
現実的にこの会社は近所だし、早起きしなくていいし、
倉庫内作業はいくつも経験しているから、そこまで大きなミスをすることはないだろう。
仕事が終わったら近所のスーパーでつまみを買い、
家で飲むビール(もどき)はうまいだろう。
疲労度しだいでは自炊も可能かもしれない。
世の中のクリスマスのバカ騒ぎも、ここで黙々と働いていたらやり過ごせるだろう。
久しぶりの派遣ではない社保完備の直接雇用というのも悪くない。

「短所」という欄もある。
「いっぱいありすぎて書ききれねえよ」と思ったが、これはかろうじて発声をとどめた。
短所は「夢がない」と書いた。
もう40歳を過ぎて夢なんかありません。それは長所でもあるんだろうけれど。
「自己PR」の欄には「家が近いこと」と書いた。おまえ、やる気あんのか?
これでも採用してくれちゃうんだなあ。不義理はできねえぜ。
うまくいけば朝に本を読んだりジェイコム消化をしたりして、
それから出勤して、昼休みには家に帰り食器を洗ったりして、
夜は気持よく仕事上がりのビール(もどき)を飲みながら、
朝読んだ本の感想や視聴したドラマの批評を書けるかもしれないんだなあ。
2ヶ月くらいそんな生活ができたら、とりあえずそこそこには年は越せるだろう。
めんどうくさい人間関係とかに巻き込まれたらうんざりだが、
それも悪いばかりではなく社会勉強というか書くネタの補充になるかと思われる。
ほしいもののないのが悩みだったが、いま気づいた。コネがほしい。
コネがあったら良質な賃貸物件だって割のいい仕事だって入ってくることだろう。
世話好きの町の顔役とかとコネができたらいろいろうまくことが運ぶだろう。
しかし、人間関係はギブ&テイク。
山口瞳(男性作家)ではないけれど、人間関係は利害関係と言えなくもない。
ぶっちゃけ、わたしとつきあってもメリットはないでしょう?
人間関係の定期的なメインテナンスをするのも苦手だし、
ラインとかツイッターとかフェイスブックとか、そういうネットのお友達ごっこは不得意。
大勢の人の幸福自慢を毎日見るなんてうつ病を発症しかねない。
でも、そこを変えるべきでSNSっていうんだっけ?
そういうところでコネめいたものを求めたほうがいいのかしら。
しかし、振り出しに戻って人間利害関係でわたしが提供できるものがほとんどない。
今年、一流社員のNさんと知り合って、
向こうから友情宣言のようなお言葉をいただいたけれど、
近況をうかがうメールを出しても返ってこないもの。
「収入が吊り合わないから、われわれが親交を深めるのは無理では」
とわたしはともに「いたばし花火大会」を軽く見物したあとに
バーミヤンでご馳走になりながらNさんに言ったのだった。
早稲田政経卒の優秀な一流の彼は「そんなことはない」と言った。
結局、わたしの言ったことのほうが哀しくも正しかったようだ。
どう考えてもわたしとつきあってもメリットはないのだから。
コネというのは与えるメリット(利得)があってこそ相互成立するのである。
忙しい大人はただ単に「馬が合う」だけでは知り合いにさえなれない。
さみしいが、それが現実というものだろう。
わたしがだれにも相手にされないのも、やたらドタキャンされるのも、
自分勝手で性格が悪いという理由ばかりではなく、
だれかに与えられるメリットを有していないからだと思われる。
唯一、与えられるメリットは「困っている人を助ける喜び」のようなものか。
なかには人を助けるのが喜びになる人もいるのである。
わたしはそういう人にこれまでどれほど助けられてきたことだろう。
いま電話で時給1200円の短期アルバイトが決まったよ。
これで餅代くらいは稼げるかな。おせち料理なんかとてもとても買えないけれど。
年内は餓死しないで済む模様なので、アンチにはごめんなさい。
本当は昨日採用決定の電話が来たらしいけれど、
そのときは携帯の電源を切っていたので。
どこにいたのかって秘密組織の秘密会館で、なにをしていたかって秘密修行よ。
そこに連れて行ってくれた女性に書くなって言われたから書かない。
今年のビックイベントは奈良京都遊行訪問だったけれど、
あの奈良のお医者さんはかなりの器だったのではないか?
ブログに(うかがったお話の)なにを書いてもいいとおっしゃっていたから。
そう言われると逆に秘密をキープしたくなるのだから人間ってもんは……。
今年はコージーコーナーに始まり、夏はパチンコで燃え、最後は時計屋さんか。
かなり上のほうの人は知っているだろうけれど、労働者を軽んじるなかれ。
わたしはセブンイレブンとコージーコーナーで派遣で働いたことがある。
そうなるとセブンイレブンの商品を買うようになるもの。
昨日、とある秘密組織の潜入にご協力くださった方への手土産は、
コージーコーナーのクリスマスセット。おなじみのコージーコーナー。
これってかつて働いていたからだもん。
とりあえず年は越せそうだという算段がつき、いまホッとひと息ついたところである。
いったいだれが偉いんだろう?
わたしは低賃金でいかにもいかにもきつそうな仕事を
している男性(女性はそういうことをしないから)を見ると偉いなあ、と思う。
偉くなりたくないとも。
コバヤシエイトと名乗る女性(?)から、
あんたはうちの旦那よりもぜんぜん偉くないとコメント欄でとっちめられた。
コバヤシエイトは偉いご主人をお持ちだから偉いといった口ぶりであった。
うちのダーリンは講談社から本を1冊出版しているから偉い。
かつてどこぞの雑誌で連載をしたことがあるライターだから偉い。
どうして講談社って偉いの? どうして連載を取ると偉いの? 
ライターっていまでは医者や弁護士のようなお偉いご職業なんですか?
わたしが偉いと思うのは、おもしろい文章を書ける人。
そのためには世間に動かされない自分だけの価値観を持っていなければならない。
世間から離れると孤独感が強まるから、その人は孤独でさみしいことだろう。
しかし、自分の人生の味わいをよく知っていることだろう。
ひと目を気にしない人だろう。
みんながスーツを着ているところにTシャツ&ジーンズで乗り込んでいける「天然」だろう。
相手を好きになったら駆け引きとか抜きにラブビームを送ることだろう。
世間体や損得勘定などうっちゃった人だろう。
バカヤロウと常に叫びたいと思いながら叫べない人であろう。
わたしは偉くない。
持って生まれたものというのはあるとしか思えない。
ある人はいつも貧乏だし、もてる人はもてるし、反対もそうだし、
人から嫌われるタイプもかわいがられるタイプもいることだろう。
41年を振り返ってわが人生の傾向性を考えると、異常なほどドタキャン率が高い。
いきなり直前で約束をドタキャンされることが、たぶん人並み以上に多い。
父は焼鳥屋をやっていたから息子へはドタキャンが常であった。
今日は人がいないから約束は無しな、なんて当たり前であった。
それはバイトがドタキャンするからなのだろうが、ドタキャンをする神経がわからない。
いちおうこのブログは12年やっているが、これまたドタキャン率は高い。
わたしは逢いたいと言われたら、都合がつくかぎりだれとでもお逢いするが、
ドタキャンされることがかなり多かった。
自分は忙しい有能な人だって思われたいのかなあ、と考えるのは根性腐敗か。
ドタキャンされると本当にむかつくのである。約束は守れと。
だから、わたしはなるべくドタキャンをしないように努めている。
このかぎりにおいて父の強い影響下(支配下)にあるのだろう。
先約があったら可能なかぎりそちらを優先したいと思っている。
ドタキャンばかりの人生だったからだろう。変な話、ドタキャンには慣れている。
基本的に他人と約束をしてもドタキャンされることをある程度見越している。
なぜドタキャンされるかといえば、
相手にわたしよりも優先順位の高い案件が生じたからである。
子どものころから優先順位の低さは変わっていないとおじさんはさみしく笑う。
おまえなんかどうでもいい、という世界からのメッセージはきちんと受けとめている。
ジジイめいたことを言わせてもらうと、いまの時代はうすいし、ぬるいし、ちょろいんだよ。
べつにゲームが悪だと言うわけではないが、ファミコン世代以降(むろんわたしもふくむ)。
人生はテレビゲームのようにすぐにリセットできる、うすい、ぬるい、
攻略法さえ覚えれば、まあちょろいという感覚が一般化した。
それが間違っているわけではなく、実際、人生は運ゲームのようなもので、
うすいし、なまぬるいし、簡単なルールさえ理解できればある面ではちょろいところがある。
そんなに安っぽかないよと言いたいけれど、いまはいろいろと、うすい、ぬるい、ちょろい。
みんなわかったようなことを言うし、たかが知れたというようなことを言う。
それが大人の証拠どころか美徳のようなものにさえなっている。
うすい(簡易化・穏便化)、ぬるい(安全化・平和化)、ちょろい(合理化・効率化)――。
わたしは濃い味が好きだし、猫舌だがカッカしたいし、
反面とろいのんびりしたところがある。
ガチンコを仕掛けられて、ガチンコで返して、
それで燃え尽きてもいいという抹香臭い古臭い死臭めいた禍々しい思いがある。
白々とうす明るく生きるよりは黒々とした重々しい闇を愛しながら滅亡したい。
いつの時代の老人かと笑われそうだが、人間はそんなもんじゃないだろうと叫びたくなる。
明るきゃいいのか? 売れればいいのか? 平和ならいいのか?
もっともっとなにかあると信じたい。そんな安っぽいものだと思いたくない、人生が。
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ボクはラオスのルアンパバーンから来たラオラオと言います。
双子の妹のラオ子と来ました。
ラオ子はべつの家に引き取られていきました。
年に一度、七夕に逢う約束をしていましたが、今年は連絡ができませんでした。
だってもうラオ子ちゃんは日本のお家になじんでいるかもしれないもの。
これを見ただれかがラオ子に伝えてくれるといいなあ。
ラオラオは日本で元気にやっています。
このケンジさんのお家は日本のパンダのYonda?くんがボスみたいで、
彼はとてもよくしてくれます。
でもたまに「ラオス育ちのくせに」とからかわれます。
ボク、知っているんだもん。
Yonda?くんの派遣元の新潮社だって、
日本の出版業界のなかではそれほどのものではないことを。
それにボクは直接雇用だけれど、Yonda?くんは派遣社員みたいなもの。
でも、言いません。後輩だもの。ここは日本だもの。
本音と建前。上下関係。つまり、ラオスではないのですもの。
ときどきラオ子ちゃんのことがとても懐かしくなりますが、ボクは夜空の星を眺めます。
このおなじ星をラオ子ちゃんも見ていてくれるんじゃないか、なんて思いながら。
ボク、負けない。変なコスプレをさせられ、
ケンジさんの新しい携帯の撮影モデルにされたけれど、でもボク負けない♪